誰も居なくなったあの子の隣
抱きしめた体が薄いことも、骨が出ていて抱き心地が悪いことも、イザークがいないと落ち着かなくなくなったことさえ、
「なんていうか、可愛い。」
あの、アスラン・ザラがだ。
出会った時のこいつの印象は最悪。
ラクス嬢の婚約者だったことで同世代の奴らをみんな敵に回した。
酷く優秀で、流石はザラの跡取りと大人が称賛するのも気に入らなかった。
工学部を飛び級で卒業した後は技術者としてプラントの環境システムのオブザーバーに就任。その後すぐに起こったユニウスセブンの悲劇。
国防庁長官の父親と、母の敵討ちを誓ってザフトに入隊。
歴代最高の成績を叩き出してエリートのザフトレッドに任命される。
少数精鋭のクルーゼ隊に所属。
戦歴を上げ、連合の白い悪魔ストライクを撃破し、ネビュラ勲章を受賞。
同時にフリーダムと対を成す核搭載の最新鋭の機体ジャスティスを受領。
ナチュラルを排除という、父親と仲違いし、平和のためラクス軍へ逃走。
ヤキン・ドゥーエの戦いの際は連合の対プラント砲メサイヤを落とし、核の雨からプラントを文字通り死守した。プラントから放たれる予定だった父親が造った大量破壊兵器ジェネシスの本体を自身が受領したジャスティスの核爆発で防ぎ、地球さえ守った。
第一次世界大戦後、父親の罪で銃殺刑が言い渡されるも、功績から恩赦が下されオーブに亡命。
カガリ・ユラ・アスハの護衛として数年間を過ごす。
ブレイクザワールドを経てギルバート・デュランダルの許可のもとザフトへ復帰。
ネビュラ勲章はそのままに新たなフェイスとして新進気鋭ミネルバの艦に着艦し、指揮をとる。
内部が纏まらないままにオーブ首長国連邦の首長が結婚式の際にフリーダムで連れ去られるという事件が発生。
その後戦闘に介入するラクス軍と、話し合いの場を持ちながらも説得しきれずフリーダムにより撃沈。
議長の言葉にも疑問を持ちながら連合戦線の指揮を執り勝利。
その後もプラントの守護の為に戦っていたが、ラクス・クラインの替え玉をしていた少女が議長部下より殺されてからは一転し、ラクス軍へ下る。
最終戦線でもラクス軍として活動するも、ザフト兵は撃たず、プラントに仇成す者には容赦せず、またレクイエムを地球に撃たせなかった。
多方面から平和の使者だと称賛されたラクス軍だが、彼だけは裏切り者の謗りを受けた。
プラントを死に物狂いで守ったのは実質彼であるのに、それはいつの間にかラクスの功績になっていた。
可哀想なアスランは戦後半年に渡り幽閉されて、平和への活動を言い渡された。キラ曰く「わかってほしいため。」だ。
平和活動と名の付いた残党狩りをたった一人で行い、俺やイザークやエザリア氏がラクス嬢に噛みついて議会を再三開かせて、やっと牢獄から出された時にはもう自分が生きていることを懺悔するようになっていた。
へいき、へいきと言う顔は笑っていても薄気味悪く、痩せた体と青白い顔が悲しかった。
昔から感情が読めない男だったが、それは感情の起伏があまりなかったからだ。
感情の表しかたが解らないと言った方が分かりやすいか。
穏やかで優しい性格だった。
あの穏やかさが諦観だったことは、彼と親しい者達は皆解っていた。
アスランはとても孤独だった。
アスランは父親と母親が大好きだったのに、それを言う機会はほぼなかった。両親との物理的な距離が、そうさせた。
よりプラントの発展のために、とアスランの両親であるパトリック様とレノア様はそれはもう多忙だった。
パトリック様は義勇軍ザフトを創設し、プラント宗主国からの独立を掲げ朝も夜もなく戦っていた。
レノア様はプラントの独立を掲げる夫を支えるべく、地球からの配給でプラントの食料を賄うのではなく、プラントでの食料生産の道筋を作ることに邁進していた。
きっとアスランがあのキラ・ヤマトと一緒に過ごしていなければ父親と母親の概念は無かったであろうほどにはお二人がアスランと過ごした時間は微々たるものだ。
同じ館で暮らしたことも、下手をすれば一月に満たない。
家族が三人揃ったことも、アスランが月に移住する前には既にパトリック様とは生活していないだろうから、覚えてはいないだろう。
最後に三人が揃ったのがラクス・クラインとの婚約式だったのだから笑えない。家族の時間なんてなかったのだ。
今なら、テロリストの標的になったり、軍の軋轢でパトリック様が危なかったことは分かる。
離れていたほうが安全だからと、それが父親からの愛なのだと、わかる。
レノア様も、ザラの跡継ぎをユニウスセブンにまで連れてくるメリットはなかったからディゼンベルの屋敷にアスランを留め置いたこともわかる。
農業プラントで遊ばせるよりは、帝王学を始めとしたザラの跡継ぎとしての教育を、と考えてのことだ。
それがアスランの為になるだろうとして離れて暮らしていた。
お二方はアスランに寄り添えなかった。
そしてアスランも、優秀さゆえに二人の境遇や、プラントの事を思ってお荷物になってはいけないと己を滅した。
滅してしまったのだ。
両親に物理的な距離を置かれて出来上がったのは何でも淡々とこなす酷く優秀な男だ。
しかしアスランの内面は、身内から距離を取られたことで、悲しいほどに自己肯定感が低く、己をずっと疑い続け、正解を導き出してはこれを否定し、周囲の状況から答えを導き出すような、そんな性格になってしまった。
微笑んでいたら他人と衝突しないと学んだのはキラが居たからだ。
弁が立つキラの口擊を交わせる対応は微笑み『ごめん』と謝ることだ。
自分が折れれば関係は悪化しない。
関係が悪化すれば両親に迷惑をかける。両親に愚痴を言ったり、泣き言を言ったりするのはアスランの中では大罪だった。
どんなに理不尽でも自分が飲み込んでしまえばそれに越したことはない。
だって近くにアスランの味方はいないのだから。
助けを求めることのできる大人はいないのだから。
アスランの両親の代わりに近くにいた大人は、使用人と幼なじみの両親、婚約者の父親くらいだ。
彼らはアスランを大切にしたが、それはアスランが欲しい両親からの愛に代わるものではなかった。
彼らにはいつも自分以外の最優先がいた。キラであり、ラクスであり、自分の子どもだ。
優先順位は、常に自分以外だから、それが当然となってしまうのには時間はかからなかった。
自己犠牲が過ぎるのも、これが原因だ。
大切にされるものは、自分以外であるべきなのだ。アスランの中では。
クルーゼ隊長や、デュランダル議長を慕った事も、信じた事も彼の中では父親にさえ甘えられない、行き場の無い悲しい心の消化に過ぎない。
クルーゼ隊長はアスランをよく見ていた。癖の指導をされた時は目を見開いて嬉しそうだったのを覚えている。
優秀だな、と誉められる度に赤くなってはラスティにつつかれていたが。
今思えば、きっとそれまで純粋に誉められたことなどなかったのだろう。
デュランダル議長は、アスランがよく話すように距離が近い大人だった。
あの大きな手で撫でられる為にザフトに戻ったのだと言われても不思議ではない。
幼い頃に渇望した、優しい大人の手だ。
自分を肯定してくれて、許してくれて、受け入れてくれる、優しい手。
アスランはそれまで独りで、自分を見てくれるような、愛してくれそうな大人は近くにいなかったのだから。
その相手が父親と同じ服を着ていれば、尚更だ。
自分を一番に愛してくれる優しい人を探していたのだな、と今ならわかる。
アスランが『一番になりたかった、』と呟く度に胸がえぐられるようだった。
それなのに、一番近くにいた筈のラクス嬢やキラ・ヤマト、カガリ・ユラ・アスハはアスランの孤独に気付かないばかりか、アスランを兵力としてしか見ていなかった。
アスランが何か言葉にしようとして発言する度に「それって、皆にとってはどうなんだろう。もっとよく考えて」と繰り返した。何度も、何度も。
そうしている内に『自分の考えは艦の指示系統を麻痺させるからいらない』とアスランはインプットしてしまった。
それからは「わかったよ」と答えるしかなくなったのだ。飲み込んでしまった方が、軋轢がないから。
プラントを守る事ができれば、あとはどうなってもいい。
『プラントを守る』それはとてもアスランの中ではシンプルな答えだった。
ラクス達がどうあれ、戦局が、議長がどう暴走しようが、アスランはプラントさえ守る事ができればそれでいいのだ。
自分がどうなろうと、それでいいのだ。
アスランが幽閉先からジュール邸に移って一年。
イザークと俺はアスランを取り戻すために色々頑張った。
側にいることはもちろん、元ザラ邸にいたアスランの乳母を探し出したりした。
彼女からはザラの息子なんてと断られたが、あの頃勤めていたコックは、寂しい背中で一人でご飯を食べるアスランが可哀想だったと今ジュール邸のコックになってくれている。
空虚を見たまま生きてしまった事を懺悔するアスランをどうにかして止めたかった。
イザークはアスランをよく抱いて移動して甘やかしていたし、エザリア様はアスランに好きだった筈の桃のゼリーを作って食べさせていた。
『食べるときは少しだけ目が緩むのに、それなのに、うわ言で母上に好物を言わなければ良かった、そうすれば母上は農業プラントに行かなかったかもしれない。父上ごめんなさいって、謝るの。ユニウスセブンの悲劇はアスランのせいではないのに…!連合が憎い…!ラクス嬢も許せない…!』とエザリア様が泣きながら仰るのを、イザークと二人で慰めた。
アスランの負った傷は、深すぎる。
『アスランに会わせなさい』と抗議してきたラクス嬢に、二人でぶちギレたのは一昨日だ。
俺たちが最初に味わったような絶望を、あの三人にも味わってもらおう。
自分の世界に入り込んでずっと『俺は不要品』と言い続けるアスランに、どんなに『それは違う』と言っても届かない悲しみも、そんなことを言わせてしまう苦しみも、何よりアスランがパトリック様を愛していて、その事を、周りを気にして言えないことも、あの三人に知ってもらおうとした。
アスランの懺悔を、庭に出て聞いてもらおうと。
「まさか戻って来るなんて、思わなかった。」
力が抜けて意識が閉じたアスランをベッドに横にするイザークにそう告げる。
「ディアッカ。」
「本当に、自分が嫌になる。あの懺悔は。いろいろと心が抉られる。もっと助けてやれたかもしれないのにって、思う。特に、俺は。」
「俺もだ。でも心が戻って来てよかった。そろそろ、流動食は難しいと思っていたから。まぁ、食べてくれればだが。」
そう言ったイザークは、アスランの頬に唇を落とした。
「まぁー。お熱いこと!」
「念願叶ったりだ。あいつらは?」
「丁重にお帰り頂いたよ。キラに至っては、何であんなことになってるの?だってさ。」
「あいつらには首振り人形で十分だろうよ。評議会のクライン派が喧しかったので、アスランの今の様子を動画で撮ってテレビ局に送ってやった。
タイトルと煽り文句は『平和の歌姫の犠牲者、元婚約者は打ち捨ての議長閣下の真実』だ。ついでに、アスランの簡単なプロフィールと、今までプラントを守ってきた道筋と、デュエルやジンで撮っていた、あいつがプラントに迫る核をぶち落とすところとか、メサイヤ・ジェネシス・レクイエムを破壊するところ。」
「最高!んじゃあイザーク、それに付け加えてネットに流そうか。」
「なにをだ?」
「議長の現恋人は、あの、ストライクのパイロットだと。ラクス嬢はそれを知っている上で恋人として側に置いているのだと。」
二人して嗤ってアスランのベッドの隣で酒を煽る。
琥珀色の液体に、そういえばアスランが昔、父親としたのだという約束の話をしていたことを思い出した。
成人したらパトリック様とディゼンベルの屋敷でお酒を飲むという、他愛のない約束。
それを聞いたニコルが、お父様はアスランをお祝いしたいんですね、と笑っていて、アスランはどうだろう、そうだったらいいな。と素直に返していた。
そんな他愛ない約束さえアスランにとってはまたとない機会だったなんてその時の俺達は解らなくて、父親離れできてない坊っちゃんめと罵った後、ラスティとミゲルに「何もかも知らない癖に」と怒られたのだった。
彼らはアスランの機微に詳しかった。
だが今はもう、彼らはいない。
戦争だったのだと言われればそうだろう。でも、キラがあの白服を着ているのを見ると、怒りが込み上げてくるのだ。
その『白』を纏うなら、ラスティも、ミゲルも、ニコルも、ハイネも、なんならあいつに殺されたザフト兵はなんのために散ったのだと言いたくなる。
ザフトなんかに、と何度もアスランに言っていた、そのザフトはアスランの父親である、パトリック様が起こした軍だ。
あれだけザフトを罵っておきながら、何故お前は白を着ているのかと。
何様なのかと。
本当ならその白を誰よりも着ないといけない、人物がいるだろう。
3度だ。
ジェネシスも、メサイヤも、ブレイクザワールドの時も、レクイエムも、全部全部アスランが最後まで諦めなかったから、世界はまだ続いているのに。
グラスを握る手に力が入ったのを見たイザークが止める。
「わかるぞ、その気持ち。」
グラスをベッドのサイドテーブルに置き、アスランの前髪を撫でながら、アスランが穏やかに眠っていることに安堵してイザークは目を閉じた。
「アスランの孤独を想う。
頼るという選択肢が初めからないことも、一人でどうにかする癖も。
アスランの育った環境なら、誰かと寄り添うとか、頼るとか、相談するとかいう発想が始めから無いんだ。
他人から伸ばされる手は自分以外のものだと、そう思うだろう。
そう思っていた方が、自分が傷付かないで済むから。だから自分を惨めにさせないために強くあらねばならなかった、その悲しみを想う。
俺は人間は弱い時があって然るべきだ。ずっとは戦えない。
もう、ひとりでは戦わせたくない。
俺は、こいつの逃げ場になりたいんだ。ディアッカ、アスランをラクス嬢やキラ・ヤマトから解放するために協力してくれ。」
イザークはそう言って俺を凪いだ瞳で見た。
「お安い御用だ。」
俺は知っている。
息をしていることが、どんなに尊いか。
開いた瞳が新緑の森のようなことも。本当は、笑うともっと可愛いということも。
だから、彼をひとりにした連中が許せない。
「その話、のった。」
崔は投げられた。
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