ギアス 旧サイトきり番お礼

『ライラック』


柔らかな月の光を浴びて彼女は窓辺に立っていた。
シーツだけを体に巻きつけたからだが月明かりの中やけに白い。
凛と立つ美女を私は見やり、そして悲しく眉を寄せた。

「逝くのか。」

小さく呟いた言葉に、けれども窓辺に立つ女―――マリアンヌは振り向いた。笑う。

「起きてらっしゃったんですか?」

月を背に微笑するマリアンヌに私はため息をつくとベッドから起き上がった。膝を立て、彼女を見る。
「何故あの愚かな女どもの策を見逃す。お前なら今からでも防げるはずだ。・・・私にはお前の考えがわからぬ。」
マリアンヌは艶やかに笑った。
「全てはルルーシュとナナリーの幸せのために。・・・このままでは他の皇女同様、他国に嫁がされて終わり。貴方には娘も駒に見えるようですから。・・・そうでしょう?」
「娘達の安寧の為?だがお前がここから居なくなればあの者たちはここを追い出されるぞ。」
「宜しいですわよそんなこと。生きてさえいければ。・・・でも少しでも陛下が話を聞いてくださるなら我が儘を言おうかしら。」
「そなたが我が儘?」
「・・・そう。陛下、私が死んだらあの子達を日本に。日本に送って下さい。」
「・・・・解らんな。」

溜め息を吐いて、枕もとの明かりをつける。マリアンヌはじっとこちらを見ていたが、明かりがつくとそっと眼を細めた。
「少なくとも、ここで殺されるよりはマシです。そして日本ならこの皇帝宮の人間はそう行くことができない。」
「守れるということか。」
「そうです。そして放っておけば第二皇子殿下が動く。」
マリアンヌは柔らかく笑うと、スルスルと音を立てながらベッドに歩み寄った。
「あの皇子が帝位を欲するなら、間違いなくルルーシュを求めるでしょう。他の皇女―――皇位継承権の高い方たちは、それだけ後ろ盾もしっかりとなさっているようですが、その分皇族としての血が濃い。唯でさえあの皇子の持つ皇族の血は貴方と同じ、混じりけの無い純潔。
リ家の方たちは貧欲にかの皇子との婚姻を望むでしょうが、彼は絶対にそうしない。あの頭のキレた皇子はより皇帝の血が薄いものを、と考える。次に思うのは皇后という地位のこと。」
「“唯一”を決める代わりにその女に“絶対”を求める。」
「ルルーシュは頭の良い子です。」
「・・・・解った。ならばそのように計らおう。そなたの最初で最期の我が儘、だからな。」

マリアンヌは私の隣に腰掛けると、髪の毛を一つにまとめ、私を見た。
「嬉しいですわ陛下。それが例え口約束だとしても。」
私は彼女を抱き寄せ、膝に乗せた。温かく柔らかな太ももの感触がシーツ越しに伝わる。
「痛いところを突く。では確約しよう。」
「どのように?言っておきますけれど、私はちょっとやそっとのことでは信じませんわよ?」
首を傾げた彼女の首が白い。手を伸ばし、触れる。
「解っている、“私の女神”そなたはいつもそうだ。体は投げ出すくせに、心まではつかませない。私のことも信じない。―――私が嫌いか?」
マリアンヌは目を細めた。
「ええ、大嫌い。」
白い首筋に唇を寄せる。薫る肌。初めて会ったときと同じような。
「・・・そう切って捨てるな。こうして話せるのはこれが最「冗談ですわ、陛下。」」
私は目を見開き、そして彼女を見上げた。視界に映る、鮮烈な蒼。
「嘘は聞きたくない。」
マリアンヌはゆっくりと首を横に振ると再び微笑した。
「でなければ私がここに留まる理由がございませんもの。隙を見て逃げ出すことも、貴方を殺すことも容易かった。でもそうしなかったのはひとえに貴方が私に好かれようと必死だったからですわ、陛下。絆されたのかも。」
笑うマリアンヌに、私は目を歪ませて目蓋を押さえた。
「それは私に向けた餞別か?」
「さて。お好きなようにお取りになって結構。・・・私は強い男が好き。力強く、そして頑な。信念を持ち、揺るがない。あなたは真実強い男だった。
でもギアスを手に入れて王として孤独な道を歩み始めてから変わってしまった。・・・貴方がいったい何をしたいのか私には理解できない。」
首を振ったマリアンヌの頬に口付けて、私は笑った。
「世界が、」
「え?」
「世界が変わる瞬間が見てみたくなったのだ。自分の足で帝位に辿りついた時のような。」
マリアンヌは大きく息を吐いて私の肩に腕を回した。
「馬鹿な人。はじめから解っていたことでしょう?全てを手にして、それから望むものは全て虚無なのだと。」
「だがそれ以上の可能性を私は世界に見出した。」
彼女は体を起こすと、哀しげに眉を寄せた。
「孤独な―――王。」
私は私の髪に手を伸ばすマリアンヌの手を捕らえ口付けた。
「そうだ私は孤独だ。だがギアスという力を手に入れた。それは私が王たる人物だからだ。―――マリアンヌ、お前も私が王だから逆らえずに居る。」
「―――私は権力などどうでも良かった。それを貴方がねじ曲げた。・・・あのままジャンのものになって政権とは遠いところにいたかったのに。」


「あの男がまだ恋しいか。」
「当たり前ですわ陛下。一生で一度の恋でしたから。―――ですが別に未練はございません。あちらももう奥様も子女もいらっしゃる。私のような女にとり憑かれずに良かったと今では思います。」
マリアンヌはそう言って立ち上がって私に背を向けた。
「・・・愛しているのか?」
マリアンヌは笑って首を振った。
「今、私が愛しいと思うのは娘達のことだけ。特にルルーシュには目をかけて教育してきた。―――あの子は民にとって理想的な皇女になる。
美しく、驕らず、優しく、でも強かさを忘れない。」
私は眉をゆがめると、自分を背にするマリアンヌを後ろから抱きしめた。

「――――私の、女神。」

黒々とした波打つ髪は出会った頃と変わらない。その、鮮烈な瞳も。変わったのは二人の関係。自分の望みが叶えられることは終ぞなかった。―――彼女に愛されるという。
マリアンヌは抱きしめた私の腕を跳ね除けた。
「私の女神。―――これが最期だ。私に、この私に言葉を遺してくれ。ルルーシュや、ナナリーでなく、私に。」
彼女は不敵に笑った。



「―――お達者で、陛下。」



彼女は凛と立ち上がって床に散らばった衣服を纏った。そして再び私を見据え、私が帝位に立ったときのように跪き、恭しく礼をとった。
「陛下に置かれましてはご機嫌麗しく―――失礼。」


いくら手足を鎖でつなぎ自由を奪っても、彼女はやはり風のような女だった。私の手を何処までもすり抜けた彼女は微笑みながら去っていった。



翌日、彼女は凶弾に倒れる。



******





まず最初に動いたのはアッシュフォード家だった。
すぐさま医者を手配し、同じく凶弾に倒れた彼女の二番目の娘の治療に当たった。流れるような動き方だった。
ルルーシュはヴィ家の当主として恥じぬ動きを見せたが、私に謁見をした時に感情に走った。
豊かだった彼女に似ていた黒髪を惜しげもなく私の前でナイフで削ぎ落とし、勢いのまま継承権を放棄した。
私は浅慮なルルーシュに大きく絶望した。
何のために彼女が死を選んだのか。何を思って彼女がこう行動したと思っているのか。
だから私は言ってやったのだ。道を生きるものではない、と。

「お前は、生まれながらにして死んでいる!」

第三皇子がぐっと拳を握るのを見た。クロヴィスは優しい男だった。シュナイゼルは手配に追われその席には不在であり、コーネリアは泣きじゃくるユーフェミアを宥めに帰った直後だった。
私も少しは感傷に走っていたかもしれない。
だが、言い終わってルルーシュを見て私は愕然とした。
そのときのルルーシュの顔は、ジャンにギアスをかける前の、マリアンヌと同じ顔をしていたからだ。
―――女の、表情だった。
私は目を見開き立ち上がったが、ルルーシュは直ぐに表情を消すと口上を述べて去っていった。


彼女との約束の通り、日本にルルーシュとナナリーを渡し、何ヶ月か過ぎた後に私の妃である第三皇妃が自身の兵を使って日本に戦線布告をした。止める立場にあったが、私はルルーシュを試してみたくなった。
彼女が誇る、彼女と私の娘。生き残ったなら迎え入れてやろうと。だから全面戦争を唱える枢木ゲンブの口車に乗ってそのまま戦争に突入した。
結果は散々だった。
エリアとなった日本で、二人は死んだ、との報告を受けた。その程度だったか、と私は思ったが、報告を受けた翌日、喪服に身を包んだシュナイゼルが謁見を申し出た。


「貴方にはどうやら人間の血が通ってないらしい。」


睨み付けたシュナイゼルの瞳は怒りと憎しみ、嫌悪に満ちており、それが私に向けられていた。
私はこの男が覚醒したことを知った。


シュナイゼルという男が本格的に立ち上がったのは、ルルーシュの葬儀が終わった後だった。
反抗するエリアに出向き、完膚なきまで叩きのめす。
あの男が踏んだ大地には花など二度と咲かぬとすら言われた。
“白の皇子”とは聞こえはいいが、大地を灰に返し、白紙に戻すことから付けられた名だ。
同じ時期に反抗したエリアを武力で治めるコーネリアが“魔女”と呼ばれるようになった。
二人は間違いなく“王”としての道を歩み始めた。
シュナイゼルはナイトメアフレームの開発に乗り出し、実力主義を掲げ、コーネリアはナンバーズを徹底的に排除した。
そしてルルーシュが死んだとされて7年。


『“我が名は、ゼロ!”』


私はこのときを待っていたのかも知れない。
テレビ画面に映る仮面の人物に、全身が震えた。―――彼女に初めて会ったときのように。

案の定シュナイゼルが連れてきたルルーシュは、彼女に似て美しかった。
私を見ても、何の感慨も無いという態度。確固たる人間に。
マリアンヌの計画は見事成就していた。―――だが。ルルーシュとシュナイゼルは、私と彼女とは全く違っていた。
互いが互いを信じあう、愛しあう二人を見て、私は深い自責の念に駆られた。

“私が求めなければ、女神は死ななかったかもしれない”

シュナイゼルの言うとおり、自分には人の血が通ってないらしい。なれど、今まで成したことを今更私が否定することは許されない。
勝ち残った者に、帝位をやる。私は私のゲームを進める。それだけだ。

私は私として生き、そして私として死ぬ。来るべき瞬間は、王として立ったあの日から解っている。―――だからその瞬間に。









月を見ながら思い出に浸っていたシャルルは杯を傾けた。
向かい側にはもう一つ、何も入っていないグラスが置かれている。

「―――のう、マリアンヌ。言えはしなかったが、あの時に“逝くな”と言えばそなたは少しでも留まってくれただろうか。」

溜め息混じりに吐かれた言葉は、けれど返す相手はいない。
ただ凍れる月が、あの日と変わらない光をシャルル・ジ・ブリタニアに注いでいた。


END.
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