鬼滅
初恋の人』
新緑の光が所々入る森をくぐりぬけると、炭治郎さんのいるお家が見えてくる。
ゆっくりと煙を上げる炭焼き小屋からは、善逸さんの大きな声と禰豆子さんが笑う声も。
もう一人の声が聞こえないところを見ると、今日は葵さんに会いに行っているらしい。
駆け上がるスピードを上げると、爽やかな5月の匂いがする。
最近は日差しが強くなっので、きっと縁側に炭治郎さんはいるハズだ。
父の友人である炭治郎さんは体調のいい日はいつも縁側に腰かけてお茶を飲んでいる。
竈門家は、とても居心地がいい所だ。煉獄の家のことや、学校のことを聞いてくれる炭治郎さんや善逸さん、伊之助さんと一緒にいると俺の悩みはたちまち解決してしまうのだ。
禰豆子姉さんの作るご飯は絶品だし、蝶屋敷でお医者さんをしているカナヲ姉さんや葵姉さんには何度もお世話になっている。
穏やかに笑いながら無茶ぶりを言う炭治郎さんも、自分で捕った獲物を見せびらかして山のことを自慢してくる伊之助さんも、喚きながら正しい道から絶対ひかない嵐のような善逸さんも大好きだ。
炭治郎さんは穏やかなのに苛烈のような・・・そんな独特の空気を持った人だ。
少し前までは善逸さんや伊之助さんと同じように動けてとても元気だったらしい。
本当かどうか知らないが鬼退治をしていたと聞いている。
俄には信じられない御伽噺のような話だが、鬼という生き物がいて、その親玉を炭治郎さんたちが討って、人の世が平和になったのだと聞いた。
常に笑顔を絶やさない柔和な父が、鬼の話をするときは心底鬼が憎いと話し、多くの命を犠牲にしたのであろう、鬼退治で炭治郎さんの片腕が動かなくなったことをいつも気にしているので、本当の事だと思ってる。
とにかく、「あの時代にお前が生まれなくて本当によかった」と俺を抱きしめる父は、色々な言葉を何度も飲み込むほど、痛そうだった。
「炭治郎さん!」
案の定竈門家の縁側でお茶を飲んでいた炭治郎さんに声をかける。
今日は5月10日。
父の兄にあたる人の誕生日だ。この日はとても特別なんだ。
俺の家、煉獄家ではお館様と、鬼退治していた人たちをお招きして法要を行う。
鬼退治をしていた人たち・・・鬼殺隊の人たちの長の役目をしていた杏寿郎伯父さんは、その人たちからいっとう好かれていたようだ。
その中でも、父は杏寿郎伯父さんの最後の弟子である炭治郎さんをとても大切にしている。
ここに来るときに必ず持たされる芋の羊羹を炭治郎さんと食べるのは毎年恒例だ。
炭治郎さんは夜に煉獄の家の飲み会に呼ぼうとしても中々来てくださらないので、こうして俺がお使いに出されるのだ。列車が出来てからは短時間で行き来できるようになったからとても便利だ。
「やぁ、椻寿郎よく来たね。」
「今年も芋羊羹持ってきました!」
父とはまた違う清らかな笑みを浮かべて、こちらに来なさいと手招く炭治郎さんはとても三十路前とは思えないほど落ち着いている。
弱った体には薄手の羽織がかけられていて、呼吸の度に裾がゆっくり動いた。今日は元気そうだ。
炭治郎さんが長くないことは、皆が知っている。
当たり前だけれど炭治郎さんと縁がある人は皆炭治郎さんを大切にしている。
一昨年まで俺と遊んでくれていた不死川さんが、俺と遊んだ次の日に亡くなったと聞いたときは、人の命のあっけなさを知った。
命を惜しむということを、不死川さんから最期に教わったのだ。
不死川さんは情に厚い人だった。
大らかに笑う顔と、頭を撫でてくれる大きな手が大好きで、足元に懐くと抱き上げて高い高いをしてくれた。
彼と一緒に亡くなった冨岡さんは静かな人で、片腕がなかった。これも鬼にやられたらしい。
冨岡さんは言葉にならないくらいとっても綺麗で、何とも言えない色気があった。
俺は話しかけられずにいつもどぎまぎしていた。朗らかに笑った顔は女神さまの様だった。あんな別嬪さんにはもう出会えないと思う。
あの二人が恋仲だったのは公然の秘密で、父からは『今までいっぱい我慢した二人なのだからあまり口を出さないようにするんだよ』とよく言われていた。
不死川さんが冨岡さんの天然な所にイライラしながらつっこんで、冨岡さんがよく解ってないまま謝罪して、そんな冨岡さんを不死川さんが何だかんだ言いながらやいのやいのと世話を焼く、そんな遠慮ない二人のやり取りが面白かった。
仲良く二人で旅立ったことに、宇髄さんは泣きながら『らしいな』と話して、炭治郎さんは『お二人が寂しくなさそうで良かった』と笑った。
『布団の上で亡くなったから、柱としては大往生だよ』と善逸さんが花を手向けて、伊之助さんは一言も話さなかった。
俺は二人との突然の別れが辛くて泣きじゃくっていたが、葵さんが『これでも長生きだったのよ』と、葬儀の後ぽつりと溢した言葉に、鬼退治の過酷さを呪った。
自分の命を縮めても、彼らは鬼のいない未来を掴んでくれたのだ。
優しい人たちだった。
葬儀には彼らが守った沢山の人が参列した。
貴族の人だってあんなに前が見えなくなるほどお焼香されることはないと思う。
部屋が煙で大変なことになってて、お葬式なのに、宇髄さんがお腹を抱えて笑っていた。
あれを笑っていいのか悪いのか、よく分からなかったけれど、奥さんの一人に叩かれていたから悪かったんだろうと思う。
産屋敷の襖を無表情で全て開けたカナヲ姉さんとカナタ様は猛者だった。
「炭治郎さんこんにちは!」
坂を上りきって縁側に上がると、炭治郎さんは笑って座布団を勧めてくれた。
「はい、こんにちは。そろそろこの時期かと思っていたよ。」
「お茶、用意しますよ!羊羹を一緒に食べましょう!今日善逸さんと禰豆子姉さんは?」
「きっと炭焼き小屋前だろう。禰豆子は善逸と行ったからそろそろ戻ってくるよ。お茶はその時に頼もう。椻寿郎は座っておいで。」
「カナヲ姉さんは?」
「カナヲは、子どもを連れて蝶屋敷に行っているよ。」
にっこりと笑って頭を撫でられる。
嬉しい。
「いつも椻寿郎が来てくれて嬉しい。今日は千寿郎さんは?」
「朝から杏寿郎伯父さんのお墓参りに行って、俺はここへのお土産を渡されて、これから一族の人が来るから、夜までに炭治郎さんを口説くように言われて来ました!」
「あははは!そうかそうか。じゃあ今日はお邪魔しようかな。」
この言葉に俺は驚く。
「え!?本当!?」
「昨日行こうと思ってた杏寿郎さんのお墓参り、体調が悪くて行けなかったからね。それに、来年どうなるか俺も解らないから、ここいらでみんなの顔が見たくなって。」
「炭治郎さん・・・。」
「あはは、暗くなっちゃったか。寂しいと思ってくれるのはとてもありがたいよ。でもみんなの顔を見たくなったのは本当。お呼ばれしてもいいかい?」
髪の毛を耳にかけて炭治郎さんは笑った。
「願ってもないことです!父に連絡を、」
すぐに駆けていこうとしたらカラスが飛んできて俺の肩に止まった。
「松右衛門、千寿郎さんへの伝言を頼まれてくれるか?」
『ショウチシター!』
出た、不思議カラス。
勢いよく羽ばたいたカラスを見送ったあと、炭治郎さんは「あ、」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「うっかりしていた。カナヲへの伝言をどうするか。善逸のうこぎに頼めるかな。」
よっと立ち上がろうとした炭治郎さんの頭上からカーともう一羽のカラスが声を出した。
「あれ?君は・・・」
目を見開いた炭治郎さんが腕を伸ばすと、そこへカラスが下りてくる。
「あぁ、どこかで見たカラスだと思った。要だね?」
要と呼ばれたカラスは煉獄の家のカラスだ。よく父上がお世話している。
「ついてきちゃったのかな・・・?」
俺が首を傾げると、炭治郎さんは笑った。
「椻寿郎は、杏寿郎さんにとてもよく似ているからね。」
肩まで移動した要は炭治郎さんの頬にすり寄った。かわいらしい動きだ。
「要、頼まれてくれるかい?カナヲは蝶屋敷にいると思うんだが。いなかったら蝶屋敷の人を捕まえてほしい。手紙を書くね。」
縁側から立ち上がった炭治郎さんは、部屋に入ると書きかけだったであろう硯と筆を持ち直して手紙をしたためた。
そしてそれを要の足に括り付けた。
「よろしくね、要。」
要は炭治郎さんの頬にもう一度すり寄った後、羽ばたいた。
「これでよし。良かった、要がいてくれて。」
炭治郎さんは遠くの空を見ながら微笑んだ。
「あ!炭治郎が起きてる!」
「お兄ちゃん大丈夫なの?」
勝手口前で善逸さんと禰豆子姉さんが立っている。
「こんにちは!お邪魔してます!」
「あら、椻寿郎さん!」
「いつもより時間が早くない!?」
慌てて駆けてきた善逸さんを、炭治郎さんは落ち着くように、と声をかけた。
「今日は椻寿郎が口説きに来たらしいから、このままお呼ばれしようと思って。」
「お兄ちゃん、大丈夫なの?昨日も・・・」
「禰豆子。大丈夫。」
頷いた炭治郎さんに、禰豆子姉さんは苦笑した。善逸さんは大仰に溜息を吐く。
「・・・わかった。伊之助も、もうすぐ帰るだろうし、それまでに準備しなきゃね。まさか俺たちを置いていくわけじゃないだろ?」
「そうするよ。」
「じゃあ、ちょっと待ってて。荷物まとめるから。・・・椻寿郎くん、よく来たね。とんぼ返りになっちゃいそうだけど、少し待てる?」
「も、もちろんです!お宿の心配はなさらぬようにと父から言付ってます。煉獄のお家は部屋だけはたくさんあるので!」
「あははは、そうか。じゃあ今日はお呼ばれしよう。」
炭治郎さんの言葉に俺は大きくうなずいた。
「じゃ、今日は天ぷらだな!!」
雑木林から出てきた伊之助さんは今日は獲物を持っていない。
「さては炭治郎さんよ。お前さん前もって決めてたな?」
善逸さんが目を細めて炭治郎さんを見た。
「反対されると思って。」
「・・・そりゃあしますよ。でも俺抜きは今後よしとくれよ、可能な限り炭治郎の意見に添えるように考えるから。」
善逸さんは苦い顔でわしゃわしゃと炭治郎さんの頭をかき混ぜた。
竈門家ご一行様を連れて、ふもとまで降りると隠にいた後藤さんが車を回していた。
「おお!車だ!」
はしゃぎながら車の周りを行ったり来たりする伊之助さんを横目に、善逸さんが後藤さんに頭を下げた。
「お世話になります!」
炭治郎さんと禰豆子姉さんも同じようにお辞儀をする。
「いやいや、俺は買い出しがあるから、送るのは駅までなんだ。炎柱の法要には間に合わないかもしれないが、夜からの懇親会には出るから、お前ら絶対いろよ。」
「今日は煉獄さんのお宅でお泊りする予定です。駅までは距離があるからありがたいです。お世話になります、後藤さん。」
「敬語はよせよせ。それより炭治郎、お前さん体調はどうだ?」
「今日はいい方ですよ。」
「無理だけはするなよ。あと、何でもなくても言え。おい我妻」
「わかってますよ!炭治郎のことは任せといて!」
「お気遣いありがとうございます。善逸もありがとう。」
「さぁ乗った乗った!」
善逸さんが助手席に乗って、伊之助さんと禰豆子姉さんと俺は後ろの席に乗り上げた。
ガタガタする道を悠々と走る自動車は産屋敷家のものだ。
駅に着くと、後藤さんは全員分の切手を渡してくれてすぐにいなくなった。
「あいつホント足がわりにきたんだなぁ。」
いつもは元気な伊之助さんが、駅前だからと静かな声でしみじみというのが面白かった。
「さぁ、乗ろうか。」
蒸気を上げている列車を見上げながら、炭治郎さんは俺の手を引いた。
禰豆子姉さんと善逸さんと伊之助さんが向き合った席に座って、俺たちは二人掛けの席が指定席だった。
窓際から離れない伊之助さんと、禰豆子姉さんに窓際を譲ってあげたい善逸さんが炭治郎さんと俺を同席にしてくれたのだ。
「窓際じゃなくて良かったの?」
高速で流れる景色から目をそらしていたら、炭治郎さんにそう問われた。
実は外の景色を見ると怖くなるという話をしたらびっくりした顔で笑われる。怖いものは怖いのだ。
「あんまりにも速いので・・・」
「そうだね。俺も最初に乗った時は凄く速く走るんだなと思ったよ。そんなことは直ぐに考えられなくなったけどね。」
「鬼、ですか?」
「・・・椻寿郎には話してなかったね。その時に煉獄さん・・・杏寿郎さんと初めての任務だった。人が消える蒸気機関車でのことだ。」
「炭治郎さんは、任務以前から杏寿郎伯父さんの継子だったのではないのですか?」
「初めてお会いしたのは柱合会議の時だったよ。色々あってね。2度目に会った列車の中で、煉獄さんは山のように積んだお弁当を、こう、うまい!うまい!って言いながら食べていた。列車の外まで聞こえる声に驚いたものだよ。」
「あの・・・お話聞いてもいい?」
「いいよ。」
「杏寿郎伯父さんは立派な人だった、としか聞いたことないんだけど、杏寿郎伯父さんはどんな人だったの?」
炭治郎さんはうーん、と考えこんで笑った。
「それはもう、立派な人だったよ?」
「炭治郎さん!」
「あはははは!あの人は・・・なんていうかな、本当に炎のような人だった。希望と光を齎す、というのかな。
あの人自身が光のようだったよ。
周りを明るく照らして、本当に素晴らしい柱だった。
絶望的な局面でも笑いながら最後の最期まで鬼に有効な一手を思案し、諦めなかった。
あの人以外の全ての人を守りきって亡くなってしまったけれど、今でもあの背中を鮮明に覚えているよ。
忘れられない。
とても・・・大きな背中だった。
鬼殺について、壮絶な覚悟を持った本当に尊敬できる人だったよ。
・・・椻寿郎はあの人にそっくりだ。」
懐かしそうな目で俺の頭を撫でる炭治郎さんは、とても痛そうだ。
「あの頃の俺は本当に未熟で、もう少し技を極められていたら、もしかしたら煉獄さんを助けられたかもしれないって、今でも思う。
でも、あの時あの人に庇われたから目が覚めたとも感じる。
鬼は残酷で、その悪行を断ち切るための俺たち鬼殺隊だったのだと。」
「それ以前はそうは思わなかったってこと?」
炭治郎さんは穏やかに笑った。
「そうだね。長くなるけれどそこから話そうか。
・・・俺は六人兄弟の長男で、禰豆子の他にも四人、兄弟がいたんだ。
すぐ下の弟の竹雄はしっかり者で、よく炭焼きを手伝ってくれた。
その下の妹の花子はおしゃまで口が達者で可愛かった。
その下の弟の茂はやんちゃで、手を焼いたけれど兄弟思いの優しい子で、末っ子の六太はまだ幼くて、皆で可愛がっていた。
父は肺を患っていて早々に亡くなってしまったけれど、母と兄弟六人で炭焼きを生業にして生活していたんだ。あの日までは。」
「・・・何があったの?」
「俺が炭を売りに行ってる間に、禰豆子以外の家族を殺されてしまった。
茂と花子は爪のような形状の一撃で血まみれになってうつ伏せで居間に倒れていた。
母と竹雄は茂と花子を守ろうとして庇うような形で、何度も体を嬲られた跡があった。それはそれは酷い有り様だった。
俺が炭売りから帰ってきて一番最初に目にしたのは、家から逃げ出そうとしたのか、玄関先でうつ伏せに倒れた禰豆子と、抱きかかえられた六太だった。
前日に炭を売りに行く前、六太はお兄ちゃんと離れたくないって、ぐずったから、抱き上げてあやしたんだ。
あの温かくて軽かった体が、嘘みたいに冷たくて、重たかった。
禰豆子だけがかろうじて息をしていた。
家の中はそんな状態だ。
俺は現実が受け入れられなくて最初は熊に襲われたのだと思った。だからまだ息のある禰豆子を連れて、ふもとの医者へ運ぼうとしたんだ。でもそれは熊にやられたんじゃなかった。」
「鬼に、やられたんだね。」
「そうだ。そして、ふもとの医者へ行く前に禰豆子は目を覚まして俺を攻撃した。禰豆子は鬼にされてしまったんだ。」
その言葉に俄かに驚く。禰豆子姉さんが鬼?でも、今は人間みたいだ。
「え、でも今は・・・」
驚いた俺の声に、炭治郎さんは笑った。
「いろんな人が協力してくれたり、禰豆子が頑張ってくれて、人間に戻ることができた。本当に奇跡的なことだったよ。
・・・あのとき、どうしていいか解らなかった俺に、鬼の盗伐に駆け付けた義勇さんが鬼の事を話してくれた。
そこで禰豆子を連れて鬼殺隊に入ることにしたんだ。鬼になった妹を人間に戻すために。
鱗滝さんの所でご厄介になって、選別を乗り切った。
いろいろ任務をこなしたけれど、大きな討伐の時に柱に、禰豆子を連れていた事を咎められて柱合会議にかけられた。その時に初めて煉獄さんにお会いしたんだよ。」
「杏寿郎伯父さんはなんて言ったの?」
「あの人は、迷わず禰豆子を斬首せよと言った。俺は受け入れられなくて抵抗した。
あの時の俺は、禰豆子のことしか考えてなかったから、なんと酷い事をあっさり言う人なんだろうと憤った。
でも柱は皆、人を沢山食べた鬼を毎日のように討伐する人たちだ。
到底鬼の存在を許せる人たちじゃなかった。
『鬼を連れることは、鬼の存在を許容することであり、鬼殺隊の根幹を揺るがすことだ。議論の余地なく滅するのが鬼殺隊の在り方だ』と彼らは話していたけれど、当時のお館様が禰豆子の事を取り計らってくれて、鱗滝さんや義勇さんが禰豆子が人を食べたら俺と共に責任を取ると言ったことで、渋々ながら承諾してくれた。
不死川さんだけどうしても許してくれなくて、禰豆子を斬りつけて、彼の血を禰豆子に浴びせたんだ。
あの時に禰豆子が頑張ってくれて、不死川さんに危害を加えなかったから、鬼殺隊に禰豆子共々在籍することを許された。
後から聞いたことだけれど、不死川さんは稀血といって、鬼が大好きな血の持ち主だった。その血の匂いを嗅ぐと、鬼は酔っ払ったようになって、稀血の人を食べずにはいられなくなるらしい。
上位の鬼にさえ効いた稀血を、禰豆子は拒んで食べなかった。これが決め手となったんだ。」
「不死川さん、怖い人だった?」
「それはもう!俺は最初好きじゃなかった。妹を害する奴を好きにはなれない。でもその内、子どもや、女性、お年寄りに優しいという事を知った。
つんけんしてる割には兄貴肌で甘党だし、禰豆子は人間になるまで目の敵にされたけれど、一般の人からも大層慕われていた。
なにより鬼殺に必死なんだと解ってからは、見る目が変わったよ。」
「不器用だもんね、不死川さん。」
「義勇さん以外の柱は禰豆子に対してとても懐疑的だった。でも煉獄さんとの任務の時、あの人はそのことには一切触れなかったんだ。
それどころか、俺にも、善逸にも、伊之助にもどこ見てるか分からない目で『継子になれ!』って、それはそれは大きな声で。びっくりしたよ。」
「大分父上と性格が違うんですね・・・。」
「そうだね。千寿郎さんはもっと静かな方だから。でも落ち着きがないというわけではなくて、溌剌と話されて、爽やかな、凛とした夏の太陽のような方だった。
そして、鬼殺の事以外は眼中になかった。あの人の本分はきっと、鬼殺で多くの人を救うことだっただろうから。」
「・・・杏寿郎伯父さんは・・・列車の鬼に負けてしまったの?」
「列車に出る鬼とは違う鬼と戦って亡くなったよ。
でも絶対に負けてなんかない。
それは今でも胸を張って言える。
あの人は、最期の最期まで刀を手放さなかった。
お荷物でしかなかった俺たちや、沢山の列車の乗客を背に、たった一人で立ち向かった。それも、鬼の総大将から数えて三番目に強い、とても、とても強い鬼だった。」
ファン、と汽笛が鳴る。炭治郎さんは拳をぎゅっと握った。
「あの時に俺は、鬼殺隊がどんな思いで鬼を斬っているかを痛感したんだ。
自分より強い鬼が相手でも、必ず立ち向かい、鬼を斬ることを諦めない。
致命傷を負って、動けなくなるその時まで一体でも多く強い鬼を斬って減らす。
その並々ならぬ壮絶な覚悟。
柱は皆そうだった。
平和な誰かの為に刃をふるうその意味。
己を無駄死にはさせない。
鬼に殺されたとしても、どんな形でも必ず報いる。
必ず誰かの役に立て、と刀を持ち。
そうやって鬼殺隊は何百年も思いだけで繋がってきた組織だった。
煉獄さんとの任務の前までは『もしかしたら禰豆子と同じように嫌々鬼にされてしまったかもしれない』とか『鬼も人間だったんだ』と思うことがあった。同情もしていた。
でもあの時のあの人に、そんな事は絶対に言えない。
言えるはずがない。
煉獄さんは、今にも息が耐えそうなのに、俺と禰豆子を鬼殺隊の一員だと、それを保証すると言ってくれたんだ。
鬼の禰豆子を、憎い筈の鬼が鬼殺隊に居ることを許してくれた。
自分はもうじき死ぬが、気にしなくてもいいと話した。
何時かは来る日が、今日だっただけだと。
俺は今までどういうつもりで鬼殺隊に居たか恥ずかしくなった。
鬼殺隊は人を守るための組織だ。鬼を斬るために作られた組織だ。
柱や、これまで繋いできてくれた先輩たちが傷つけられ、食べられ、殺されて、理不尽を飲み込み、残酷な運命に打ちひしがれ、それでも大切な誰かの為に、自分のような思いを誰かがしないように『鬼を倒す』という意思で繋がる組織だ。
命をかけて戦って、片目と腹を潰されて、力尽きそうなあの人が、あの黎明の中で穏やかな表情で笑ったことが今でも忘れられない。
本当に凄い人だった。
椻寿郎の伯父さんは、誰一人として鬼の餌食にさせなかった。全てを守りきった。炎柱の名に相応しい、立派な方だったよ。」
ぽつりぽつりと、笑った炭治郎さんの片目から涙がこぼれる。
「煉獄さんの仇は、俺と義勇さんが討った。二人でかかったけれど、それでも相当手こずった。
本当に本当に強い鬼だった。
最終決戦のあとで、義勇さんにあの時俺じゃなくて柱の誰かがいたら、煉獄さんは死なずに済んだだろうかと話したら、鉄拳を喰らった。
『そんなことを言えば煉獄の死が無駄になる』と。『後悔はしてもいいし、あの頃のお前が不甲斐ないのは解っているが、他力本願のタラレバはいただけねぇ』と、不死川さんに頭を木魚みたいに叩かれた時は、全然痛くなかったけど、凄く痛かったよ。心が。
宇髄さんまで話がいかなかったから、そこは口が硬い人たちで良かった。知られてたら半殺しにあってたと思うから。」
「・・・杏寿郎伯父さんは、皆から好かれてた?」
「それはもう!皆から好かれていたよ。
だから・・・喪失感も凄かった。
俺は、立ち上がれないかと思った。」
窓の外をふと見た炭治郎さんは、ゆっくりと息をした。
「色々な隊士から声をかけてもらったし、詰られたこともあった。
あの人の喪失で挫けかけた俺を立ち直らせてくれたのは、千寿郎さんだった。
一番辛い思いをしているご家族に、煉獄さんの最期の言葉を言いに行ったときに、あの人の刀の柄を形見分けしてくれて、俺を気遣ってくれた。
泣き叫びたかっただろうに。
千寿郎さんも立派な方だ。椻寿郎のお父上は、おれが日の呼吸を習得するまで、大変苦労を掛けてしまった。それでも、これが自分の戦い方だからと言ってね。」
そうなのだ。父上はそういうところがある。
一見凄く大人しそうで、静かな佇まいなのに、こうと決めたら絶対に譲らないのだ。
槇寿郎爺がこそこそとお酒を飲もうと酒瓶を買いに行ったときなんか、絶対零度の笑みを浮かべながら「代金は煉獄からは支払いませんので」といった時は背筋が凍ったものだ。
謝り倒す槇寿郎爺が遠い目をしたのはつい最近の出来事で。
俺は絶対に父上を怒らせないと決めた。
「最終決戦を迎えて、煉獄さんの敵討ちができて、無惨・・・鬼の総領を倒すことができた。
あの時鬼に取り込まれかけたけれど、命の湖岸で、亡くなった柱や、隊士や家族が無惨の闇から引き上げてくれた。
俺は、そう思ってる。
しのぶさん・・・カナヲのお姉さんがカナヲに持たせてくれていた鬼を人間にする薬や、人間になった禰豆子が止めてくれて何とかこうして今も生きていられる。
それもこれも、あの時皆が無惨を倒すことを諦めなかったから今があるんだ。
煉獄さんは俺たちを信じてくれた。“心を燃やして、前を向け。君たちを信じる”あの人の言葉は、俺たちをどんなに勇気づけたことだろう。
本当に、立派な人だったよ。」
俺の中で杏寿郎伯父さんはとても謎な人だった。
どの人に話をしても、一瞬痛みを堪えるような表情の後「立派な人だった」としか言わないからだ。
なぜそんなに痛そうなのだろうと思っていた。
縁者である俺を気遣ってそんな風に謙遜して言っているのか、それとも、鬼に負けてしまったから言えないのかとも。
「椻寿郎の謎はとけた?ずっと聞きたそうだったのは知っていたんだ。でも、話す勇気が俺にはなくてね。」
ごめん、と話した炭治郎さんは痛そうに笑った。
「いいえ、杏寿郎伯父さんの事はよくわからなくて。でも今日よくわかりました。」
炭治郎さんはきょとんとした顔をした。
「俺の伯父さんは、とっても格好良くて立派な人だってことが!」
夏の青空のような、爽やかな人。
朝日のように希望を齎す人。
快活に笑う、兄貴分。
ごはんをおいしいと連呼しながら沢山食べる、偉丈夫。
鬼から人を守ることに一生懸命だった人。
強い鬼から一歩も引かなかった人。
最後まで諦めなかった人。
後輩への思いやりを忘れなかった人。
とても温かな人。
優しい人。
うん、凄く格好良い。
とても立派な人だ。
なんて大きな人なんだろう。
炭治郎さんを見てニッと笑うと、炭治郎さんは俺の頭を愛し気に撫でた。
「あぁ、椻寿郎は本当に・・・あの人にそっくりだ。」
煉獄家の法要は滞りなく終わって、懇親会のが開かれた。
少し時間が経つと、宇髄さんがくだを巻きはじめたので避難しながら見ていた。
「炭治郎は長生きしろよ、俺を置いていくなよ。」
炭治郎さんにもたれ掛かった宇髄さんは、はじめこう切り出した。
「ちょ、宇髄さん飲みすぎですって!」
善逸さんが慌てて止めにかかる。
「善逸、お前もだぞ!お前も長生きしろよ。俺は百まで生きるから、お前俺を看取れよ。」
「んな無茶な!そりゃあ、あんたは百まで生きそうですけど!つか、水飲め、水!」
「あははは、宇髄さん。これでも長生きさせてもらってますよ。」
「炭治郎!しれっと宇髄さんにとどめを刺さないでくれる!?」
「お前も、お前も、長生きしろよ。いいか、お前も、長生きだ。長生きだぞ、長生き。絶対に、俺よりもだ。」
ぐてんぐてんに酔っぱらった宇髄さんは、一人ずつ指差して長生きしろと叫んだあと、伯父さんの位牌の前に行くと、酒瓶を手で持って更に呑み始めた。
「お前らなんてなぁ、今頃あっちで酒盛りしてんだろ、俺一人を置いていきやがって。ちくしょうめ。」
雛鶴さんとマキヲさん、お腹の大きな須磨さんがそっと宇髄さんに寄り添う。独り言は止まない。
「やい煉獄ぅ、お前だよお前。何カッコつけやがって。嫁の一人もこさえないでよ、見ろ、俺は三人もいるぞ。皆美人だ。気立てもいい。今度子どもも生まれるんだ。羨ましかろう。お前の名前頂戴するからな。あっちで悔しがれこの馬鹿たれが。」
「あーあ。始まった。」
善逸さんが呆れた顔で肩掛けを持って行って宇髄さんに掛けた。
「悲鳴嶼さん、こないだそっちに冨岡と不死川行ったんで、ちょっと賑やかになったんじゃねぇっすか?あの二人、犬猿の仲とか思ってたら知らない間にすっかり出来上がっててよ、多分そっちでも花飛ばしながらイチャイチャするだろうから伊黒あたりがうっとおしがるだろうけど、良しなにしてやってください。」
ぐびっとお酒を呷る宇髄さんの隣に座った雛鶴さんがお水をすすめる。
「天元さま、お水です。」
「ひな、ありがとな~」
受け取り、こちらもぐいっと呷る。
「やい胡蝶。胡蝶姉妹。お前らもだぞ。なんで十代で勝手にそっちに行ったんだ。俺の許しもなくよぉ。特にお前だ、しのぶ。」
カナヲ姉さんが宇髄さんの背後にそっと座りなおした。隣に座っている須磨さんに申し訳なさそうににこりと笑って。
「しのぶお前、体に毒を仕込んで鬼に食わせるなんて酷いこと考えつきやがって。カナヲがどんなに悲しんだか。」
宇髄さんはまたお酒を呷った。
「宇髄さん」
カナヲ姉さんが宇髄さんを呼ぶ。
「いや、これだけは言わせろカナヲ。こいつらわかっちゃいないんだ。
お前ら姉妹がどんな思いだったか解ってるつもりだが、解りたくねぇ。
そんな覚悟なんて要らなかった。そんな、鬼に喰われに行くような覚悟なんざクソ喰らえだ。お前なんかさっさと嫁に行っていっぱい幸せになれば良かったんだ。相手はいっくらでも居ただろ。甲斐性のある旦那五人くらいはできたはずだ。
でも、でもな。お前のおかげで勝てた。上弦の弐だ。よくやった。
流石は蟲柱だ。
でも遺されたカナヲのこと考えたことあったか?辛くなかったわけねぇ。悲しくなかったわけねんだよ。
お前、そこら辺抜けてんだよ。人の機敏が解っちゃいねぇ。
俺がそっちに行ったら説教してやる。だから後百年そっちで待ってろ、いいな。」
お酒を呷る手を止めて善逸さんが叫ぶ。
「え、あんたの年齢にプラス百年ってどんだけ生きる気なのよ!?」
ささっとお茶を勧めているあたり、とても手慣れている。
「善逸ぅ。お前は俺を看取るの!」
「無理じゃない!?」
「お前馬鹿!善逸!」
突っ込みを入れたマキヲさんが善逸の頭をはたいた。宇髄さんは善逸さんの髪の毛を引っ張る。
「お前、何長生きしないとか言っちゃってんの?」
「理不尽な絡み!そりゃあ長生きしたいですよ!?でも流石に百三十以上は無理ですって!頑張っても八十そこらでしょうよ!」
「なにお前、俺の言うことが聞けないってか・・・!?できるとかできないとかじゃねぇんだよ。やんの!呼吸と一緒だ。」
「嘘すぎない!?ねぇ脳味噌まで筋肉で出来てんの!?今から百年は無理!現実を見て!」
「まぁまぁまぁ。宇髄さん、お酒がすぎてますよ。お茶飲んでください。」
にこにこ笑いながら炭治郎さんが間に入るが、宇髄さんはその炭治郎さんを捕まえて、頬ずりを始めた。
「炭治郎、お前よぉ。可愛くないこと言って!まだ呑むの!
お前もだぞ、お前もあと百年生きるんだぞ。俺たちと、楽しい思いしてあと百年。・・・頼むから。頼むから。後生だから。」
あたりが水を打ったように静かになった。
「俺が向こうに行ったら皆さんに言伝てしますね。宇髄さんがとても寂しがってたって。」
苦笑しながら抱きかかえられたままの炭治郎さんはそう言った。
鼻水を啜る音がして、宇髄さんは炭治郎さんの動かない右手をさすった。
「馬鹿野郎、そんなの。言伝て?まだある。」
「あるんかい!?」
流石です、善逸さん。
「甘露寺と伊黒の祝言の為の式辞も用意してた。神がかって鈍感な二人の為にな。
甘露寺には桜の打掛もだ。伊黒は自分で用意しろ。」
葵さんがくすっと笑った。「伊黒さん、嫌がりそう。」
宇髄さんは杏寿郎伯父さんの位牌に向き直った。炭治郎さんは抱えたままだ。
「時透お前は酒はだめだ。百年早い。お前、たった十五だった。体半分斬られて、それでも刀を握ったまま上弦の壱に一矢報いた。柱三人がかりで死に物狂いでやっと倒せる強い鬼だった。
お前が、文字通り死んでも日輪刀を離さなかったから、諦めなかったから勝てた。とても立派だった。不死川があの時のお前は本当に凄い柱だったと何度も褒めてた。
だがな、俺は認めない。お前、まだしたりないこと沢山あったろ。
お前も俺の説教待ちだ。胡蝶姉妹の後だからな。正座して待ってろ。
色恋や酒の味を覚える前に逝きやがって。お前も大馬鹿野郎だ。」
ぐいっと酒をあおる宇髄さんを、信じられない気持ちで見上げた。
十五歳の柱。
「煉獄、説教から逃げる奴らがいないか見張ってろよ。あと、お前にも説教するからな。お前が一番はじめにそっちに行ったんだから。
それから、炭治郎がそっちに行きかけたら殴ってもいいから追い帰せよ。
お前にしか頼めないからな。俺らの言うことなんざ聞かないこの頑固者は、お前の言うことなら聞くだろうから。」
「宇髄さんの言うこともちゃんと聞きますよ。」
苦笑した炭治郎さんは宇髄さんを見上げながら頭を撫でた。
「・・・頼むから長生きしろ。」
困ったように笑う炭治郎さんは頷いた。
「はい。」
「煉獄が炭治郎をあっちから追い帰してくれたら、お前の仏前に芋羊羹おいてやる。」
またお酒を呷ろうとした手をとった父上が後ろからそっと宇髄さんの片手に握られたままだった酒瓶を取り上げた。
「それは兄上がとても喜びそうです。私も焼き芋、置きますね。」
「千。」
「お酒が過ぎると思いますので、お茶を用意しましたよ。」
「あのすげー苦いやつ?」
「そうです。宇髄さんにはお仕置きです。お酒を飲みすぎると、長生きできませんからね。
あと、百年は生きていただかないと。もちろん、有言実行ですよね、祭りの神は。」
絶対零度で笑う父上と、泣き叫ぶ宇髄さんを横目に、その日はお開きになった。混沌としていた。
やはり、父上を怒らせないようにしようと強く誓った日だった。
翌日に産屋敷家が持っているお墓詣りをして炭治郎さんたちは帰っていった。
駅でまで送ると、炭治郎さんは蒸気機関車を遠い目で見ていた。
見ていたのはきっと、杏寿郎伯父さんの背中なのだろうなと、ふとそう思った。
煉獄の家に炭治郎さんが来たのはこの日が最後になってしまった。
それから季節が二度めぐって、炭治郎さんは息を引き取った。
穏やかな死だった。
皆手が付けられなくなるほど泣いて炭治郎さんを惜しんだ。
炭治郎さんはとても優しい人だったので、やっぱり葬儀にはたくさんの人が押し寄せた。
ひょっとこのお面をかぶった集団が男泣きにむせび泣く様子は少し異様だとも思ったが、炭治郎さんを慕う気持ちは一緒だったので、一緒に泣かせてもらった。
前回のお焼香の教訓を生かした葵姉さんが、始めから産屋敷の屋敷の戸をとっていたのは、流石だと感じた。
色々な感情が去来した葬儀の後で、目を腫らして縁側で座っている俺をみつけた善逸さんが「いろいろありがとね」と声をかけてきたのは、葬儀が終わって夜になってからだった。
******
「・・・・?」
よく分からなくて首を傾げた俺に、善逸さんは苦笑して縁側の隣に腰掛けた。
「炭治郎ねぇ、あの時言えなかったことがあんの。」
「あの時?」
「二年前の煉獄さんの法要のとき。列車で煉獄さんの話をしてただろ?」
「聞こえてました?」
「俺の耳はとてもよく聞こえるのよ。知ってるだろ?」
そう言って善逸さんは頬を掻いた。
「煉獄さんは立派な人だった。そして炭治郎にとっては特別な人だった。
椻寿郎に煉獄さんのことを話すの、最後まで悩んでたよ。
身内だし、俺たちが不甲斐ないばかりに死なせてしまったから、どう話せばいいんだろうって。
でも煉獄さんにとっての甥っ子が煉獄さんのことを知りたいのに、誰もそれを話さないのはよくない事だと言って、それであの日は椻寿郎の質問に答えたんだ。
煉獄さんは立派な人だ・・・でも煉獄さんだけが亡くなってしまったあの無限列車の件は、皆の心の傷になってしまっていてね。
・・・俺たちは煉獄さんのことを話そうと決意しても、色々とこみ上げてきて少し勇気がいるんだ。中々言えなくてごめんね。」
「いいえ・・・皆言いにくそうだな、とは思っていたから・・・。」
善逸さんは痛そうな笑い方をした。あの日の炭治郎さんの表情と似た表情だ。思い出してしまう。
「炭治郎はね、大切にしているものは、宝箱に大切に仕舞い込む人なの。煉獄さんは炭治郎がいっとう大切にしている宝物だ。
本人は無自覚だけれど、煉獄さんとのことは、凄く大切にしていた。
言葉や、仕草や、その在り方全部。
・・・2度ほどしか会ってない筈なのに不思議だよな。
炭治郎の在り方は煉獄さんがお手本なんだ。炭治郎の中の煉獄さんは、きっと本人に近い存在で、それを倣う炭治郎は、皆から受け入れられていった。
まぁそうは言っても、炭治郎自身が凄く良い奴なのは皆が知ってることだけどね。
千寿郎さんが初めて会った炭治郎に良くしてくれたのは、その在り方が、身内から見ても似てたからだと思ってる。
炭治郎が煉獄さんに似たのには理由がある。
炭治郎は、あの日、あの夜。
煉獄さんから炎を託されたんだ。
灯火となる炎を。」
「炎・・・?」
「そ。炎。ゴウゴウ、と音を立てて燃える炎。命の灯だ。
あの日、俺は煉獄さんに初めて会った時、炎の燃え盛る音を聞いた。
とても珍しいなと思ったよ。
炭治郎からは泣きたくなるような綺麗な音がするけれど、この人もとても珍しい音だなと思った。
聞いてて温かくなる炎の爆ぜる音だ。
皆を温める焚き火のような。
でもあのとても強い鬼との戦闘が終わって、煉獄さんが炭治郎に遺言を遺したあの黎明の時に、何故かその音が炭治郎に移っていたんだ。」
「杏寿郎伯父さんの炎の音が炭治郎さんに?」
「そう。炎の爆ぜるあの音は、煉獄さんの生命の根幹の音の筈なのに。
それなのにあの日以降、炭治郎から煉獄さんの音もするようになった。
とても小さな音だけれどね。
煉獄さんのことを話すとき、炭治郎以外の人からは懐かしいとか惜しいという音がするのに、炭治郎からは煌々として燃え爆ぜる炎の音がするんだ。
まるで、煉獄さんがその時だけ表に出るみたいに。
その炎の音は最終決戦で炭治郎が鬼になりかけた時、ひと際激しく燃え始めた。
今までに聞いたことない勢いだった。
・・・だから俺は周りがどんなに絶望しても、炭治郎は鬼にならないって信じていられた。
煉獄さんが炭治郎を絶対に鬼にはさせないだろうから。
・・・そしてそれは当たってた。
目が覚めた炭治郎は、片目と片腕を喪っても、炭治郎のままだったから。」
「杏寿郎伯父さんは、炭治郎さんを守ったってこと?」
「俺はそう信じたいし、炭治郎もあの命の湖岸で煉獄さんに会ったような気がしたと話していたから、実際にそうなんだと思ってる。」
俺は快活に笑う杏寿郎伯父さんを想像してみる。
そんな伯父さんが炭治郎さんを鬼から守ったのだ。
「あの日・・・椻寿郎に炭治郎が言えなかったのは、煉獄さんが本当に特別な人だったってこと。」
「・・・何故?」
「有り体に俗物的な言い方をすると、惚れちゃったんだよな。きっと。」
「炭治郎さんが?」
「そ。煉獄さんに。」
「でも、カナヲ姉さんと結婚したよ?」
「それはお館様も勧めたし、なんと言っても当の煉獄さんは亡くなってる。
長男としての義務も果たさないといけないと、あの頑固者は考えていたし、カナヲちゃんのことはきちんと愛してるよ。
でも、煉獄さんのように燃え上がるものはない。
カナヲちゃんも知ってる事だ。炭治郎はカナヲちゃんは知らないだろうと思ってたけどね。」
「杏寿郎伯父さんは、罪作りだなぁ・・・。」
「まぁ、あれだけの御仁はそうそういないからね。俺だって炭治郎の気持ちが少し分かるよ。
あんな立派な人は、もうこの世には居ないだろうよ。断言できる。
だからこそ、一夜きりの邂逅で遠くへ逝ってしまった煉獄さんを炭治郎はとても大切にしたんだ。
今思えば、あれは炭治郎の初恋だったんじゃないかな。」
初恋は実らない、なんてよく言われるけれど、これが本当なら炭治郎さんの歩んだ初恋の道は大変な茨道だ。
「煉獄さんとの思い出は、いっとう大切にしてたから、炭治郎は言わなかった。
でも言いたげな時もあったんだ。
でもそれはあの時のことを言わなければいけないから結局言えなくて・・・。
炭治郎は寂しかったのだと思う。
今だから言えるけど、椻寿郎が煉獄さんのことに興味をもってくれて俺は良かったと思ってる。
炭治郎は、煉獄さんのこと最後まで気にしていたし、椻寿郎以外の誰かに話すには、炭治郎は躊躇して話せなかった筈だから。
煉獄さんの事は、皆話しにくそうだろ?
思い出話も、千寿郎くんと少し話す程度だったしね。
炭治郎の思い出話に付き合ってくれて、ありがとう。おかげで炭治郎は笑って長生きできたよ。」
一夜で初恋の人を亡くしてしまった炭治郎さんは、それでも初恋の人を一層愛してしまったのだ。
だからこそ、杏寿郎伯父さんのことを誰にも話せなくなったことが、とても悲しかったのだ。
善逸さんは俺の頭を撫でて『椻寿郎まで煉獄さんにならなくていいからね。あんな人は、本当に万人に一人いるかいないかだから。椻寿郎は椻寿郎なんだからね。』と笑った。
炭治郎さんが亡くなってからは、色々なことが立て続けに起こった。
時代が時代だったこともある。
杏寿郎伯父さんの法要にも鬼殺隊の面々は次第に減っていった。
皆が薄情だったとかそんな理由ではない。
むしろ、生きているならまた会えた。
亡くなってしまう隊士が後を立たなかったのだ。
皆、満足して早逝するのだ。
毎年法要に頑張って来てくれていた善逸さんも、次第に歩けなくなって杖をつくようになってからはとんと煉獄の家に来ることは出来なくなった。
会いに行くと、膝をさすりながらよたよたと歩くので、俺は会ったこともない鬼を心底憎んだ。
善逸さんも早々に逝ってしまうかと危惧していたが、彼は弱りながら今も健在だ。
禰豆子姉さんがいつも心配そうにしているのを、にやけながら見ている。
宇髄さんは誰かが亡くなる度に寂しがって、杏寿郎伯父さんの位牌に文句を垂れた。
その宇髄さんもあれだけ長生きすると豪語していたのに、五十半ばで他界した。
お館様と父上だけが歯を食い縛りながら皆を看取っていった。
俺は泣きながら彼らを見送ることに次第に慣れてしまった。
どうしようもない時代を、泣きながらしがみついて、平和になったときにふと、彼ら鬼殺隊の事を思い出した。
彼らが手にした鬼からの勝利の味は、安堵と安心をもたらしたのだと知った。
だからこそ皆一様に満足して事切れたのだ。
世の中が平和になって少ししてから、俺は炭治郎さんに恋情を抱いていたことに漸く気づいた。
赤い瞳の妻が、半分怒りながら静かに『私に誰を見ているの。』と聞いてきたことがきっかけだった。
郷愁と、思慕。愛着と、諦感。
あの竈門家に続く道を歩く夢をよく見る。
あの人がいるであろう期待と、それから抑えきれない喜び。
炭治郎さんが縁側に座っていればいいな。いなければきっと家の居間の布団の中。
あのキラキラした景色は、もう訪れることはない。
だってそこにいつもいた炭治郎さんがいないのだから。
悋気を起こす妻に嘘はつけずに、『昔、とても大切にしていた人が、貴女と同じ赤い瞳だったのです。』と答えたら、『忘れられない人なの?』と、あの人みたいに苦笑したので、俺はあの時の炭治郎さんの言葉の意味を漸く飲み込めたのだ。
あの、痛みを孕む笑い方は『ここに居ない誰か』を自覚する。
壮絶な喪失感を味わいながら、何も知らないであろう相手・・・それも『誰か』の面影を宿した人に嘘はつけなくて。
だからつい言ってしまったのだ。
「あぁ貴女は本当に・・・私の初恋の方にそっくりです。」
あの時の炭治郎さんの思いに、今になって気付いた自分を憐れに思う。
言う相手は、もう居ないのに。
炭治郎さん、好きです。
貴方は温かな日射しのような方だった。
誰にでも優しくて、親切で。
・・・もう貴方はいないのだけれど、貴方のことを時折、思い出してもいいでしょう?
ねぇ、私の初恋。
END
新緑の光が所々入る森をくぐりぬけると、炭治郎さんのいるお家が見えてくる。
ゆっくりと煙を上げる炭焼き小屋からは、善逸さんの大きな声と禰豆子さんが笑う声も。
もう一人の声が聞こえないところを見ると、今日は葵さんに会いに行っているらしい。
駆け上がるスピードを上げると、爽やかな5月の匂いがする。
最近は日差しが強くなっので、きっと縁側に炭治郎さんはいるハズだ。
父の友人である炭治郎さんは体調のいい日はいつも縁側に腰かけてお茶を飲んでいる。
竈門家は、とても居心地がいい所だ。煉獄の家のことや、学校のことを聞いてくれる炭治郎さんや善逸さん、伊之助さんと一緒にいると俺の悩みはたちまち解決してしまうのだ。
禰豆子姉さんの作るご飯は絶品だし、蝶屋敷でお医者さんをしているカナヲ姉さんや葵姉さんには何度もお世話になっている。
穏やかに笑いながら無茶ぶりを言う炭治郎さんも、自分で捕った獲物を見せびらかして山のことを自慢してくる伊之助さんも、喚きながら正しい道から絶対ひかない嵐のような善逸さんも大好きだ。
炭治郎さんは穏やかなのに苛烈のような・・・そんな独特の空気を持った人だ。
少し前までは善逸さんや伊之助さんと同じように動けてとても元気だったらしい。
本当かどうか知らないが鬼退治をしていたと聞いている。
俄には信じられない御伽噺のような話だが、鬼という生き物がいて、その親玉を炭治郎さんたちが討って、人の世が平和になったのだと聞いた。
常に笑顔を絶やさない柔和な父が、鬼の話をするときは心底鬼が憎いと話し、多くの命を犠牲にしたのであろう、鬼退治で炭治郎さんの片腕が動かなくなったことをいつも気にしているので、本当の事だと思ってる。
とにかく、「あの時代にお前が生まれなくて本当によかった」と俺を抱きしめる父は、色々な言葉を何度も飲み込むほど、痛そうだった。
「炭治郎さん!」
案の定竈門家の縁側でお茶を飲んでいた炭治郎さんに声をかける。
今日は5月10日。
父の兄にあたる人の誕生日だ。この日はとても特別なんだ。
俺の家、煉獄家ではお館様と、鬼退治していた人たちをお招きして法要を行う。
鬼退治をしていた人たち・・・鬼殺隊の人たちの長の役目をしていた杏寿郎伯父さんは、その人たちからいっとう好かれていたようだ。
その中でも、父は杏寿郎伯父さんの最後の弟子である炭治郎さんをとても大切にしている。
ここに来るときに必ず持たされる芋の羊羹を炭治郎さんと食べるのは毎年恒例だ。
炭治郎さんは夜に煉獄の家の飲み会に呼ぼうとしても中々来てくださらないので、こうして俺がお使いに出されるのだ。列車が出来てからは短時間で行き来できるようになったからとても便利だ。
「やぁ、椻寿郎よく来たね。」
「今年も芋羊羹持ってきました!」
父とはまた違う清らかな笑みを浮かべて、こちらに来なさいと手招く炭治郎さんはとても三十路前とは思えないほど落ち着いている。
弱った体には薄手の羽織がかけられていて、呼吸の度に裾がゆっくり動いた。今日は元気そうだ。
炭治郎さんが長くないことは、皆が知っている。
当たり前だけれど炭治郎さんと縁がある人は皆炭治郎さんを大切にしている。
一昨年まで俺と遊んでくれていた不死川さんが、俺と遊んだ次の日に亡くなったと聞いたときは、人の命のあっけなさを知った。
命を惜しむということを、不死川さんから最期に教わったのだ。
不死川さんは情に厚い人だった。
大らかに笑う顔と、頭を撫でてくれる大きな手が大好きで、足元に懐くと抱き上げて高い高いをしてくれた。
彼と一緒に亡くなった冨岡さんは静かな人で、片腕がなかった。これも鬼にやられたらしい。
冨岡さんは言葉にならないくらいとっても綺麗で、何とも言えない色気があった。
俺は話しかけられずにいつもどぎまぎしていた。朗らかに笑った顔は女神さまの様だった。あんな別嬪さんにはもう出会えないと思う。
あの二人が恋仲だったのは公然の秘密で、父からは『今までいっぱい我慢した二人なのだからあまり口を出さないようにするんだよ』とよく言われていた。
不死川さんが冨岡さんの天然な所にイライラしながらつっこんで、冨岡さんがよく解ってないまま謝罪して、そんな冨岡さんを不死川さんが何だかんだ言いながらやいのやいのと世話を焼く、そんな遠慮ない二人のやり取りが面白かった。
仲良く二人で旅立ったことに、宇髄さんは泣きながら『らしいな』と話して、炭治郎さんは『お二人が寂しくなさそうで良かった』と笑った。
『布団の上で亡くなったから、柱としては大往生だよ』と善逸さんが花を手向けて、伊之助さんは一言も話さなかった。
俺は二人との突然の別れが辛くて泣きじゃくっていたが、葵さんが『これでも長生きだったのよ』と、葬儀の後ぽつりと溢した言葉に、鬼退治の過酷さを呪った。
自分の命を縮めても、彼らは鬼のいない未来を掴んでくれたのだ。
優しい人たちだった。
葬儀には彼らが守った沢山の人が参列した。
貴族の人だってあんなに前が見えなくなるほどお焼香されることはないと思う。
部屋が煙で大変なことになってて、お葬式なのに、宇髄さんがお腹を抱えて笑っていた。
あれを笑っていいのか悪いのか、よく分からなかったけれど、奥さんの一人に叩かれていたから悪かったんだろうと思う。
産屋敷の襖を無表情で全て開けたカナヲ姉さんとカナタ様は猛者だった。
「炭治郎さんこんにちは!」
坂を上りきって縁側に上がると、炭治郎さんは笑って座布団を勧めてくれた。
「はい、こんにちは。そろそろこの時期かと思っていたよ。」
「お茶、用意しますよ!羊羹を一緒に食べましょう!今日善逸さんと禰豆子姉さんは?」
「きっと炭焼き小屋前だろう。禰豆子は善逸と行ったからそろそろ戻ってくるよ。お茶はその時に頼もう。椻寿郎は座っておいで。」
「カナヲ姉さんは?」
「カナヲは、子どもを連れて蝶屋敷に行っているよ。」
にっこりと笑って頭を撫でられる。
嬉しい。
「いつも椻寿郎が来てくれて嬉しい。今日は千寿郎さんは?」
「朝から杏寿郎伯父さんのお墓参りに行って、俺はここへのお土産を渡されて、これから一族の人が来るから、夜までに炭治郎さんを口説くように言われて来ました!」
「あははは!そうかそうか。じゃあ今日はお邪魔しようかな。」
この言葉に俺は驚く。
「え!?本当!?」
「昨日行こうと思ってた杏寿郎さんのお墓参り、体調が悪くて行けなかったからね。それに、来年どうなるか俺も解らないから、ここいらでみんなの顔が見たくなって。」
「炭治郎さん・・・。」
「あはは、暗くなっちゃったか。寂しいと思ってくれるのはとてもありがたいよ。でもみんなの顔を見たくなったのは本当。お呼ばれしてもいいかい?」
髪の毛を耳にかけて炭治郎さんは笑った。
「願ってもないことです!父に連絡を、」
すぐに駆けていこうとしたらカラスが飛んできて俺の肩に止まった。
「松右衛門、千寿郎さんへの伝言を頼まれてくれるか?」
『ショウチシター!』
出た、不思議カラス。
勢いよく羽ばたいたカラスを見送ったあと、炭治郎さんは「あ、」と声を上げた。
「どうしたんですか?」
「うっかりしていた。カナヲへの伝言をどうするか。善逸のうこぎに頼めるかな。」
よっと立ち上がろうとした炭治郎さんの頭上からカーともう一羽のカラスが声を出した。
「あれ?君は・・・」
目を見開いた炭治郎さんが腕を伸ばすと、そこへカラスが下りてくる。
「あぁ、どこかで見たカラスだと思った。要だね?」
要と呼ばれたカラスは煉獄の家のカラスだ。よく父上がお世話している。
「ついてきちゃったのかな・・・?」
俺が首を傾げると、炭治郎さんは笑った。
「椻寿郎は、杏寿郎さんにとてもよく似ているからね。」
肩まで移動した要は炭治郎さんの頬にすり寄った。かわいらしい動きだ。
「要、頼まれてくれるかい?カナヲは蝶屋敷にいると思うんだが。いなかったら蝶屋敷の人を捕まえてほしい。手紙を書くね。」
縁側から立ち上がった炭治郎さんは、部屋に入ると書きかけだったであろう硯と筆を持ち直して手紙をしたためた。
そしてそれを要の足に括り付けた。
「よろしくね、要。」
要は炭治郎さんの頬にもう一度すり寄った後、羽ばたいた。
「これでよし。良かった、要がいてくれて。」
炭治郎さんは遠くの空を見ながら微笑んだ。
「あ!炭治郎が起きてる!」
「お兄ちゃん大丈夫なの?」
勝手口前で善逸さんと禰豆子姉さんが立っている。
「こんにちは!お邪魔してます!」
「あら、椻寿郎さん!」
「いつもより時間が早くない!?」
慌てて駆けてきた善逸さんを、炭治郎さんは落ち着くように、と声をかけた。
「今日は椻寿郎が口説きに来たらしいから、このままお呼ばれしようと思って。」
「お兄ちゃん、大丈夫なの?昨日も・・・」
「禰豆子。大丈夫。」
頷いた炭治郎さんに、禰豆子姉さんは苦笑した。善逸さんは大仰に溜息を吐く。
「・・・わかった。伊之助も、もうすぐ帰るだろうし、それまでに準備しなきゃね。まさか俺たちを置いていくわけじゃないだろ?」
「そうするよ。」
「じゃあ、ちょっと待ってて。荷物まとめるから。・・・椻寿郎くん、よく来たね。とんぼ返りになっちゃいそうだけど、少し待てる?」
「も、もちろんです!お宿の心配はなさらぬようにと父から言付ってます。煉獄のお家は部屋だけはたくさんあるので!」
「あははは、そうか。じゃあ今日はお呼ばれしよう。」
炭治郎さんの言葉に俺は大きくうなずいた。
「じゃ、今日は天ぷらだな!!」
雑木林から出てきた伊之助さんは今日は獲物を持っていない。
「さては炭治郎さんよ。お前さん前もって決めてたな?」
善逸さんが目を細めて炭治郎さんを見た。
「反対されると思って。」
「・・・そりゃあしますよ。でも俺抜きは今後よしとくれよ、可能な限り炭治郎の意見に添えるように考えるから。」
善逸さんは苦い顔でわしゃわしゃと炭治郎さんの頭をかき混ぜた。
竈門家ご一行様を連れて、ふもとまで降りると隠にいた後藤さんが車を回していた。
「おお!車だ!」
はしゃぎながら車の周りを行ったり来たりする伊之助さんを横目に、善逸さんが後藤さんに頭を下げた。
「お世話になります!」
炭治郎さんと禰豆子姉さんも同じようにお辞儀をする。
「いやいや、俺は買い出しがあるから、送るのは駅までなんだ。炎柱の法要には間に合わないかもしれないが、夜からの懇親会には出るから、お前ら絶対いろよ。」
「今日は煉獄さんのお宅でお泊りする予定です。駅までは距離があるからありがたいです。お世話になります、後藤さん。」
「敬語はよせよせ。それより炭治郎、お前さん体調はどうだ?」
「今日はいい方ですよ。」
「無理だけはするなよ。あと、何でもなくても言え。おい我妻」
「わかってますよ!炭治郎のことは任せといて!」
「お気遣いありがとうございます。善逸もありがとう。」
「さぁ乗った乗った!」
善逸さんが助手席に乗って、伊之助さんと禰豆子姉さんと俺は後ろの席に乗り上げた。
ガタガタする道を悠々と走る自動車は産屋敷家のものだ。
駅に着くと、後藤さんは全員分の切手を渡してくれてすぐにいなくなった。
「あいつホント足がわりにきたんだなぁ。」
いつもは元気な伊之助さんが、駅前だからと静かな声でしみじみというのが面白かった。
「さぁ、乗ろうか。」
蒸気を上げている列車を見上げながら、炭治郎さんは俺の手を引いた。
禰豆子姉さんと善逸さんと伊之助さんが向き合った席に座って、俺たちは二人掛けの席が指定席だった。
窓際から離れない伊之助さんと、禰豆子姉さんに窓際を譲ってあげたい善逸さんが炭治郎さんと俺を同席にしてくれたのだ。
「窓際じゃなくて良かったの?」
高速で流れる景色から目をそらしていたら、炭治郎さんにそう問われた。
実は外の景色を見ると怖くなるという話をしたらびっくりした顔で笑われる。怖いものは怖いのだ。
「あんまりにも速いので・・・」
「そうだね。俺も最初に乗った時は凄く速く走るんだなと思ったよ。そんなことは直ぐに考えられなくなったけどね。」
「鬼、ですか?」
「・・・椻寿郎には話してなかったね。その時に煉獄さん・・・杏寿郎さんと初めての任務だった。人が消える蒸気機関車でのことだ。」
「炭治郎さんは、任務以前から杏寿郎伯父さんの継子だったのではないのですか?」
「初めてお会いしたのは柱合会議の時だったよ。色々あってね。2度目に会った列車の中で、煉獄さんは山のように積んだお弁当を、こう、うまい!うまい!って言いながら食べていた。列車の外まで聞こえる声に驚いたものだよ。」
「あの・・・お話聞いてもいい?」
「いいよ。」
「杏寿郎伯父さんは立派な人だった、としか聞いたことないんだけど、杏寿郎伯父さんはどんな人だったの?」
炭治郎さんはうーん、と考えこんで笑った。
「それはもう、立派な人だったよ?」
「炭治郎さん!」
「あはははは!あの人は・・・なんていうかな、本当に炎のような人だった。希望と光を齎す、というのかな。
あの人自身が光のようだったよ。
周りを明るく照らして、本当に素晴らしい柱だった。
絶望的な局面でも笑いながら最後の最期まで鬼に有効な一手を思案し、諦めなかった。
あの人以外の全ての人を守りきって亡くなってしまったけれど、今でもあの背中を鮮明に覚えているよ。
忘れられない。
とても・・・大きな背中だった。
鬼殺について、壮絶な覚悟を持った本当に尊敬できる人だったよ。
・・・椻寿郎はあの人にそっくりだ。」
懐かしそうな目で俺の頭を撫でる炭治郎さんは、とても痛そうだ。
「あの頃の俺は本当に未熟で、もう少し技を極められていたら、もしかしたら煉獄さんを助けられたかもしれないって、今でも思う。
でも、あの時あの人に庇われたから目が覚めたとも感じる。
鬼は残酷で、その悪行を断ち切るための俺たち鬼殺隊だったのだと。」
「それ以前はそうは思わなかったってこと?」
炭治郎さんは穏やかに笑った。
「そうだね。長くなるけれどそこから話そうか。
・・・俺は六人兄弟の長男で、禰豆子の他にも四人、兄弟がいたんだ。
すぐ下の弟の竹雄はしっかり者で、よく炭焼きを手伝ってくれた。
その下の妹の花子はおしゃまで口が達者で可愛かった。
その下の弟の茂はやんちゃで、手を焼いたけれど兄弟思いの優しい子で、末っ子の六太はまだ幼くて、皆で可愛がっていた。
父は肺を患っていて早々に亡くなってしまったけれど、母と兄弟六人で炭焼きを生業にして生活していたんだ。あの日までは。」
「・・・何があったの?」
「俺が炭を売りに行ってる間に、禰豆子以外の家族を殺されてしまった。
茂と花子は爪のような形状の一撃で血まみれになってうつ伏せで居間に倒れていた。
母と竹雄は茂と花子を守ろうとして庇うような形で、何度も体を嬲られた跡があった。それはそれは酷い有り様だった。
俺が炭売りから帰ってきて一番最初に目にしたのは、家から逃げ出そうとしたのか、玄関先でうつ伏せに倒れた禰豆子と、抱きかかえられた六太だった。
前日に炭を売りに行く前、六太はお兄ちゃんと離れたくないって、ぐずったから、抱き上げてあやしたんだ。
あの温かくて軽かった体が、嘘みたいに冷たくて、重たかった。
禰豆子だけがかろうじて息をしていた。
家の中はそんな状態だ。
俺は現実が受け入れられなくて最初は熊に襲われたのだと思った。だからまだ息のある禰豆子を連れて、ふもとの医者へ運ぼうとしたんだ。でもそれは熊にやられたんじゃなかった。」
「鬼に、やられたんだね。」
「そうだ。そして、ふもとの医者へ行く前に禰豆子は目を覚まして俺を攻撃した。禰豆子は鬼にされてしまったんだ。」
その言葉に俄かに驚く。禰豆子姉さんが鬼?でも、今は人間みたいだ。
「え、でも今は・・・」
驚いた俺の声に、炭治郎さんは笑った。
「いろんな人が協力してくれたり、禰豆子が頑張ってくれて、人間に戻ることができた。本当に奇跡的なことだったよ。
・・・あのとき、どうしていいか解らなかった俺に、鬼の盗伐に駆け付けた義勇さんが鬼の事を話してくれた。
そこで禰豆子を連れて鬼殺隊に入ることにしたんだ。鬼になった妹を人間に戻すために。
鱗滝さんの所でご厄介になって、選別を乗り切った。
いろいろ任務をこなしたけれど、大きな討伐の時に柱に、禰豆子を連れていた事を咎められて柱合会議にかけられた。その時に初めて煉獄さんにお会いしたんだよ。」
「杏寿郎伯父さんはなんて言ったの?」
「あの人は、迷わず禰豆子を斬首せよと言った。俺は受け入れられなくて抵抗した。
あの時の俺は、禰豆子のことしか考えてなかったから、なんと酷い事をあっさり言う人なんだろうと憤った。
でも柱は皆、人を沢山食べた鬼を毎日のように討伐する人たちだ。
到底鬼の存在を許せる人たちじゃなかった。
『鬼を連れることは、鬼の存在を許容することであり、鬼殺隊の根幹を揺るがすことだ。議論の余地なく滅するのが鬼殺隊の在り方だ』と彼らは話していたけれど、当時のお館様が禰豆子の事を取り計らってくれて、鱗滝さんや義勇さんが禰豆子が人を食べたら俺と共に責任を取ると言ったことで、渋々ながら承諾してくれた。
不死川さんだけどうしても許してくれなくて、禰豆子を斬りつけて、彼の血を禰豆子に浴びせたんだ。
あの時に禰豆子が頑張ってくれて、不死川さんに危害を加えなかったから、鬼殺隊に禰豆子共々在籍することを許された。
後から聞いたことだけれど、不死川さんは稀血といって、鬼が大好きな血の持ち主だった。その血の匂いを嗅ぐと、鬼は酔っ払ったようになって、稀血の人を食べずにはいられなくなるらしい。
上位の鬼にさえ効いた稀血を、禰豆子は拒んで食べなかった。これが決め手となったんだ。」
「不死川さん、怖い人だった?」
「それはもう!俺は最初好きじゃなかった。妹を害する奴を好きにはなれない。でもその内、子どもや、女性、お年寄りに優しいという事を知った。
つんけんしてる割には兄貴肌で甘党だし、禰豆子は人間になるまで目の敵にされたけれど、一般の人からも大層慕われていた。
なにより鬼殺に必死なんだと解ってからは、見る目が変わったよ。」
「不器用だもんね、不死川さん。」
「義勇さん以外の柱は禰豆子に対してとても懐疑的だった。でも煉獄さんとの任務の時、あの人はそのことには一切触れなかったんだ。
それどころか、俺にも、善逸にも、伊之助にもどこ見てるか分からない目で『継子になれ!』って、それはそれは大きな声で。びっくりしたよ。」
「大分父上と性格が違うんですね・・・。」
「そうだね。千寿郎さんはもっと静かな方だから。でも落ち着きがないというわけではなくて、溌剌と話されて、爽やかな、凛とした夏の太陽のような方だった。
そして、鬼殺の事以外は眼中になかった。あの人の本分はきっと、鬼殺で多くの人を救うことだっただろうから。」
「・・・杏寿郎伯父さんは・・・列車の鬼に負けてしまったの?」
「列車に出る鬼とは違う鬼と戦って亡くなったよ。
でも絶対に負けてなんかない。
それは今でも胸を張って言える。
あの人は、最期の最期まで刀を手放さなかった。
お荷物でしかなかった俺たちや、沢山の列車の乗客を背に、たった一人で立ち向かった。それも、鬼の総大将から数えて三番目に強い、とても、とても強い鬼だった。」
ファン、と汽笛が鳴る。炭治郎さんは拳をぎゅっと握った。
「あの時に俺は、鬼殺隊がどんな思いで鬼を斬っているかを痛感したんだ。
自分より強い鬼が相手でも、必ず立ち向かい、鬼を斬ることを諦めない。
致命傷を負って、動けなくなるその時まで一体でも多く強い鬼を斬って減らす。
その並々ならぬ壮絶な覚悟。
柱は皆そうだった。
平和な誰かの為に刃をふるうその意味。
己を無駄死にはさせない。
鬼に殺されたとしても、どんな形でも必ず報いる。
必ず誰かの役に立て、と刀を持ち。
そうやって鬼殺隊は何百年も思いだけで繋がってきた組織だった。
煉獄さんとの任務の前までは『もしかしたら禰豆子と同じように嫌々鬼にされてしまったかもしれない』とか『鬼も人間だったんだ』と思うことがあった。同情もしていた。
でもあの時のあの人に、そんな事は絶対に言えない。
言えるはずがない。
煉獄さんは、今にも息が耐えそうなのに、俺と禰豆子を鬼殺隊の一員だと、それを保証すると言ってくれたんだ。
鬼の禰豆子を、憎い筈の鬼が鬼殺隊に居ることを許してくれた。
自分はもうじき死ぬが、気にしなくてもいいと話した。
何時かは来る日が、今日だっただけだと。
俺は今までどういうつもりで鬼殺隊に居たか恥ずかしくなった。
鬼殺隊は人を守るための組織だ。鬼を斬るために作られた組織だ。
柱や、これまで繋いできてくれた先輩たちが傷つけられ、食べられ、殺されて、理不尽を飲み込み、残酷な運命に打ちひしがれ、それでも大切な誰かの為に、自分のような思いを誰かがしないように『鬼を倒す』という意思で繋がる組織だ。
命をかけて戦って、片目と腹を潰されて、力尽きそうなあの人が、あの黎明の中で穏やかな表情で笑ったことが今でも忘れられない。
本当に凄い人だった。
椻寿郎の伯父さんは、誰一人として鬼の餌食にさせなかった。全てを守りきった。炎柱の名に相応しい、立派な方だったよ。」
ぽつりぽつりと、笑った炭治郎さんの片目から涙がこぼれる。
「煉獄さんの仇は、俺と義勇さんが討った。二人でかかったけれど、それでも相当手こずった。
本当に本当に強い鬼だった。
最終決戦のあとで、義勇さんにあの時俺じゃなくて柱の誰かがいたら、煉獄さんは死なずに済んだだろうかと話したら、鉄拳を喰らった。
『そんなことを言えば煉獄の死が無駄になる』と。『後悔はしてもいいし、あの頃のお前が不甲斐ないのは解っているが、他力本願のタラレバはいただけねぇ』と、不死川さんに頭を木魚みたいに叩かれた時は、全然痛くなかったけど、凄く痛かったよ。心が。
宇髄さんまで話がいかなかったから、そこは口が硬い人たちで良かった。知られてたら半殺しにあってたと思うから。」
「・・・杏寿郎伯父さんは、皆から好かれてた?」
「それはもう!皆から好かれていたよ。
だから・・・喪失感も凄かった。
俺は、立ち上がれないかと思った。」
窓の外をふと見た炭治郎さんは、ゆっくりと息をした。
「色々な隊士から声をかけてもらったし、詰られたこともあった。
あの人の喪失で挫けかけた俺を立ち直らせてくれたのは、千寿郎さんだった。
一番辛い思いをしているご家族に、煉獄さんの最期の言葉を言いに行ったときに、あの人の刀の柄を形見分けしてくれて、俺を気遣ってくれた。
泣き叫びたかっただろうに。
千寿郎さんも立派な方だ。椻寿郎のお父上は、おれが日の呼吸を習得するまで、大変苦労を掛けてしまった。それでも、これが自分の戦い方だからと言ってね。」
そうなのだ。父上はそういうところがある。
一見凄く大人しそうで、静かな佇まいなのに、こうと決めたら絶対に譲らないのだ。
槇寿郎爺がこそこそとお酒を飲もうと酒瓶を買いに行ったときなんか、絶対零度の笑みを浮かべながら「代金は煉獄からは支払いませんので」といった時は背筋が凍ったものだ。
謝り倒す槇寿郎爺が遠い目をしたのはつい最近の出来事で。
俺は絶対に父上を怒らせないと決めた。
「最終決戦を迎えて、煉獄さんの敵討ちができて、無惨・・・鬼の総領を倒すことができた。
あの時鬼に取り込まれかけたけれど、命の湖岸で、亡くなった柱や、隊士や家族が無惨の闇から引き上げてくれた。
俺は、そう思ってる。
しのぶさん・・・カナヲのお姉さんがカナヲに持たせてくれていた鬼を人間にする薬や、人間になった禰豆子が止めてくれて何とかこうして今も生きていられる。
それもこれも、あの時皆が無惨を倒すことを諦めなかったから今があるんだ。
煉獄さんは俺たちを信じてくれた。“心を燃やして、前を向け。君たちを信じる”あの人の言葉は、俺たちをどんなに勇気づけたことだろう。
本当に、立派な人だったよ。」
俺の中で杏寿郎伯父さんはとても謎な人だった。
どの人に話をしても、一瞬痛みを堪えるような表情の後「立派な人だった」としか言わないからだ。
なぜそんなに痛そうなのだろうと思っていた。
縁者である俺を気遣ってそんな風に謙遜して言っているのか、それとも、鬼に負けてしまったから言えないのかとも。
「椻寿郎の謎はとけた?ずっと聞きたそうだったのは知っていたんだ。でも、話す勇気が俺にはなくてね。」
ごめん、と話した炭治郎さんは痛そうに笑った。
「いいえ、杏寿郎伯父さんの事はよくわからなくて。でも今日よくわかりました。」
炭治郎さんはきょとんとした顔をした。
「俺の伯父さんは、とっても格好良くて立派な人だってことが!」
夏の青空のような、爽やかな人。
朝日のように希望を齎す人。
快活に笑う、兄貴分。
ごはんをおいしいと連呼しながら沢山食べる、偉丈夫。
鬼から人を守ることに一生懸命だった人。
強い鬼から一歩も引かなかった人。
最後まで諦めなかった人。
後輩への思いやりを忘れなかった人。
とても温かな人。
優しい人。
うん、凄く格好良い。
とても立派な人だ。
なんて大きな人なんだろう。
炭治郎さんを見てニッと笑うと、炭治郎さんは俺の頭を愛し気に撫でた。
「あぁ、椻寿郎は本当に・・・あの人にそっくりだ。」
煉獄家の法要は滞りなく終わって、懇親会のが開かれた。
少し時間が経つと、宇髄さんがくだを巻きはじめたので避難しながら見ていた。
「炭治郎は長生きしろよ、俺を置いていくなよ。」
炭治郎さんにもたれ掛かった宇髄さんは、はじめこう切り出した。
「ちょ、宇髄さん飲みすぎですって!」
善逸さんが慌てて止めにかかる。
「善逸、お前もだぞ!お前も長生きしろよ。俺は百まで生きるから、お前俺を看取れよ。」
「んな無茶な!そりゃあ、あんたは百まで生きそうですけど!つか、水飲め、水!」
「あははは、宇髄さん。これでも長生きさせてもらってますよ。」
「炭治郎!しれっと宇髄さんにとどめを刺さないでくれる!?」
「お前も、お前も、長生きしろよ。いいか、お前も、長生きだ。長生きだぞ、長生き。絶対に、俺よりもだ。」
ぐてんぐてんに酔っぱらった宇髄さんは、一人ずつ指差して長生きしろと叫んだあと、伯父さんの位牌の前に行くと、酒瓶を手で持って更に呑み始めた。
「お前らなんてなぁ、今頃あっちで酒盛りしてんだろ、俺一人を置いていきやがって。ちくしょうめ。」
雛鶴さんとマキヲさん、お腹の大きな須磨さんがそっと宇髄さんに寄り添う。独り言は止まない。
「やい煉獄ぅ、お前だよお前。何カッコつけやがって。嫁の一人もこさえないでよ、見ろ、俺は三人もいるぞ。皆美人だ。気立てもいい。今度子どもも生まれるんだ。羨ましかろう。お前の名前頂戴するからな。あっちで悔しがれこの馬鹿たれが。」
「あーあ。始まった。」
善逸さんが呆れた顔で肩掛けを持って行って宇髄さんに掛けた。
「悲鳴嶼さん、こないだそっちに冨岡と不死川行ったんで、ちょっと賑やかになったんじゃねぇっすか?あの二人、犬猿の仲とか思ってたら知らない間にすっかり出来上がっててよ、多分そっちでも花飛ばしながらイチャイチャするだろうから伊黒あたりがうっとおしがるだろうけど、良しなにしてやってください。」
ぐびっとお酒を呷る宇髄さんの隣に座った雛鶴さんがお水をすすめる。
「天元さま、お水です。」
「ひな、ありがとな~」
受け取り、こちらもぐいっと呷る。
「やい胡蝶。胡蝶姉妹。お前らもだぞ。なんで十代で勝手にそっちに行ったんだ。俺の許しもなくよぉ。特にお前だ、しのぶ。」
カナヲ姉さんが宇髄さんの背後にそっと座りなおした。隣に座っている須磨さんに申し訳なさそうににこりと笑って。
「しのぶお前、体に毒を仕込んで鬼に食わせるなんて酷いこと考えつきやがって。カナヲがどんなに悲しんだか。」
宇髄さんはまたお酒を呷った。
「宇髄さん」
カナヲ姉さんが宇髄さんを呼ぶ。
「いや、これだけは言わせろカナヲ。こいつらわかっちゃいないんだ。
お前ら姉妹がどんな思いだったか解ってるつもりだが、解りたくねぇ。
そんな覚悟なんて要らなかった。そんな、鬼に喰われに行くような覚悟なんざクソ喰らえだ。お前なんかさっさと嫁に行っていっぱい幸せになれば良かったんだ。相手はいっくらでも居ただろ。甲斐性のある旦那五人くらいはできたはずだ。
でも、でもな。お前のおかげで勝てた。上弦の弐だ。よくやった。
流石は蟲柱だ。
でも遺されたカナヲのこと考えたことあったか?辛くなかったわけねぇ。悲しくなかったわけねんだよ。
お前、そこら辺抜けてんだよ。人の機敏が解っちゃいねぇ。
俺がそっちに行ったら説教してやる。だから後百年そっちで待ってろ、いいな。」
お酒を呷る手を止めて善逸さんが叫ぶ。
「え、あんたの年齢にプラス百年ってどんだけ生きる気なのよ!?」
ささっとお茶を勧めているあたり、とても手慣れている。
「善逸ぅ。お前は俺を看取るの!」
「無理じゃない!?」
「お前馬鹿!善逸!」
突っ込みを入れたマキヲさんが善逸の頭をはたいた。宇髄さんは善逸さんの髪の毛を引っ張る。
「お前、何長生きしないとか言っちゃってんの?」
「理不尽な絡み!そりゃあ長生きしたいですよ!?でも流石に百三十以上は無理ですって!頑張っても八十そこらでしょうよ!」
「なにお前、俺の言うことが聞けないってか・・・!?できるとかできないとかじゃねぇんだよ。やんの!呼吸と一緒だ。」
「嘘すぎない!?ねぇ脳味噌まで筋肉で出来てんの!?今から百年は無理!現実を見て!」
「まぁまぁまぁ。宇髄さん、お酒がすぎてますよ。お茶飲んでください。」
にこにこ笑いながら炭治郎さんが間に入るが、宇髄さんはその炭治郎さんを捕まえて、頬ずりを始めた。
「炭治郎、お前よぉ。可愛くないこと言って!まだ呑むの!
お前もだぞ、お前もあと百年生きるんだぞ。俺たちと、楽しい思いしてあと百年。・・・頼むから。頼むから。後生だから。」
あたりが水を打ったように静かになった。
「俺が向こうに行ったら皆さんに言伝てしますね。宇髄さんがとても寂しがってたって。」
苦笑しながら抱きかかえられたままの炭治郎さんはそう言った。
鼻水を啜る音がして、宇髄さんは炭治郎さんの動かない右手をさすった。
「馬鹿野郎、そんなの。言伝て?まだある。」
「あるんかい!?」
流石です、善逸さん。
「甘露寺と伊黒の祝言の為の式辞も用意してた。神がかって鈍感な二人の為にな。
甘露寺には桜の打掛もだ。伊黒は自分で用意しろ。」
葵さんがくすっと笑った。「伊黒さん、嫌がりそう。」
宇髄さんは杏寿郎伯父さんの位牌に向き直った。炭治郎さんは抱えたままだ。
「時透お前は酒はだめだ。百年早い。お前、たった十五だった。体半分斬られて、それでも刀を握ったまま上弦の壱に一矢報いた。柱三人がかりで死に物狂いでやっと倒せる強い鬼だった。
お前が、文字通り死んでも日輪刀を離さなかったから、諦めなかったから勝てた。とても立派だった。不死川があの時のお前は本当に凄い柱だったと何度も褒めてた。
だがな、俺は認めない。お前、まだしたりないこと沢山あったろ。
お前も俺の説教待ちだ。胡蝶姉妹の後だからな。正座して待ってろ。
色恋や酒の味を覚える前に逝きやがって。お前も大馬鹿野郎だ。」
ぐいっと酒をあおる宇髄さんを、信じられない気持ちで見上げた。
十五歳の柱。
「煉獄、説教から逃げる奴らがいないか見張ってろよ。あと、お前にも説教するからな。お前が一番はじめにそっちに行ったんだから。
それから、炭治郎がそっちに行きかけたら殴ってもいいから追い帰せよ。
お前にしか頼めないからな。俺らの言うことなんざ聞かないこの頑固者は、お前の言うことなら聞くだろうから。」
「宇髄さんの言うこともちゃんと聞きますよ。」
苦笑した炭治郎さんは宇髄さんを見上げながら頭を撫でた。
「・・・頼むから長生きしろ。」
困ったように笑う炭治郎さんは頷いた。
「はい。」
「煉獄が炭治郎をあっちから追い帰してくれたら、お前の仏前に芋羊羹おいてやる。」
またお酒を呷ろうとした手をとった父上が後ろからそっと宇髄さんの片手に握られたままだった酒瓶を取り上げた。
「それは兄上がとても喜びそうです。私も焼き芋、置きますね。」
「千。」
「お酒が過ぎると思いますので、お茶を用意しましたよ。」
「あのすげー苦いやつ?」
「そうです。宇髄さんにはお仕置きです。お酒を飲みすぎると、長生きできませんからね。
あと、百年は生きていただかないと。もちろん、有言実行ですよね、祭りの神は。」
絶対零度で笑う父上と、泣き叫ぶ宇髄さんを横目に、その日はお開きになった。混沌としていた。
やはり、父上を怒らせないようにしようと強く誓った日だった。
翌日に産屋敷家が持っているお墓詣りをして炭治郎さんたちは帰っていった。
駅でまで送ると、炭治郎さんは蒸気機関車を遠い目で見ていた。
見ていたのはきっと、杏寿郎伯父さんの背中なのだろうなと、ふとそう思った。
煉獄の家に炭治郎さんが来たのはこの日が最後になってしまった。
それから季節が二度めぐって、炭治郎さんは息を引き取った。
穏やかな死だった。
皆手が付けられなくなるほど泣いて炭治郎さんを惜しんだ。
炭治郎さんはとても優しい人だったので、やっぱり葬儀にはたくさんの人が押し寄せた。
ひょっとこのお面をかぶった集団が男泣きにむせび泣く様子は少し異様だとも思ったが、炭治郎さんを慕う気持ちは一緒だったので、一緒に泣かせてもらった。
前回のお焼香の教訓を生かした葵姉さんが、始めから産屋敷の屋敷の戸をとっていたのは、流石だと感じた。
色々な感情が去来した葬儀の後で、目を腫らして縁側で座っている俺をみつけた善逸さんが「いろいろありがとね」と声をかけてきたのは、葬儀が終わって夜になってからだった。
******
「・・・・?」
よく分からなくて首を傾げた俺に、善逸さんは苦笑して縁側の隣に腰掛けた。
「炭治郎ねぇ、あの時言えなかったことがあんの。」
「あの時?」
「二年前の煉獄さんの法要のとき。列車で煉獄さんの話をしてただろ?」
「聞こえてました?」
「俺の耳はとてもよく聞こえるのよ。知ってるだろ?」
そう言って善逸さんは頬を掻いた。
「煉獄さんは立派な人だった。そして炭治郎にとっては特別な人だった。
椻寿郎に煉獄さんのことを話すの、最後まで悩んでたよ。
身内だし、俺たちが不甲斐ないばかりに死なせてしまったから、どう話せばいいんだろうって。
でも煉獄さんにとっての甥っ子が煉獄さんのことを知りたいのに、誰もそれを話さないのはよくない事だと言って、それであの日は椻寿郎の質問に答えたんだ。
煉獄さんは立派な人だ・・・でも煉獄さんだけが亡くなってしまったあの無限列車の件は、皆の心の傷になってしまっていてね。
・・・俺たちは煉獄さんのことを話そうと決意しても、色々とこみ上げてきて少し勇気がいるんだ。中々言えなくてごめんね。」
「いいえ・・・皆言いにくそうだな、とは思っていたから・・・。」
善逸さんは痛そうな笑い方をした。あの日の炭治郎さんの表情と似た表情だ。思い出してしまう。
「炭治郎はね、大切にしているものは、宝箱に大切に仕舞い込む人なの。煉獄さんは炭治郎がいっとう大切にしている宝物だ。
本人は無自覚だけれど、煉獄さんとのことは、凄く大切にしていた。
言葉や、仕草や、その在り方全部。
・・・2度ほどしか会ってない筈なのに不思議だよな。
炭治郎の在り方は煉獄さんがお手本なんだ。炭治郎の中の煉獄さんは、きっと本人に近い存在で、それを倣う炭治郎は、皆から受け入れられていった。
まぁそうは言っても、炭治郎自身が凄く良い奴なのは皆が知ってることだけどね。
千寿郎さんが初めて会った炭治郎に良くしてくれたのは、その在り方が、身内から見ても似てたからだと思ってる。
炭治郎が煉獄さんに似たのには理由がある。
炭治郎は、あの日、あの夜。
煉獄さんから炎を託されたんだ。
灯火となる炎を。」
「炎・・・?」
「そ。炎。ゴウゴウ、と音を立てて燃える炎。命の灯だ。
あの日、俺は煉獄さんに初めて会った時、炎の燃え盛る音を聞いた。
とても珍しいなと思ったよ。
炭治郎からは泣きたくなるような綺麗な音がするけれど、この人もとても珍しい音だなと思った。
聞いてて温かくなる炎の爆ぜる音だ。
皆を温める焚き火のような。
でもあのとても強い鬼との戦闘が終わって、煉獄さんが炭治郎に遺言を遺したあの黎明の時に、何故かその音が炭治郎に移っていたんだ。」
「杏寿郎伯父さんの炎の音が炭治郎さんに?」
「そう。炎の爆ぜるあの音は、煉獄さんの生命の根幹の音の筈なのに。
それなのにあの日以降、炭治郎から煉獄さんの音もするようになった。
とても小さな音だけれどね。
煉獄さんのことを話すとき、炭治郎以外の人からは懐かしいとか惜しいという音がするのに、炭治郎からは煌々として燃え爆ぜる炎の音がするんだ。
まるで、煉獄さんがその時だけ表に出るみたいに。
その炎の音は最終決戦で炭治郎が鬼になりかけた時、ひと際激しく燃え始めた。
今までに聞いたことない勢いだった。
・・・だから俺は周りがどんなに絶望しても、炭治郎は鬼にならないって信じていられた。
煉獄さんが炭治郎を絶対に鬼にはさせないだろうから。
・・・そしてそれは当たってた。
目が覚めた炭治郎は、片目と片腕を喪っても、炭治郎のままだったから。」
「杏寿郎伯父さんは、炭治郎さんを守ったってこと?」
「俺はそう信じたいし、炭治郎もあの命の湖岸で煉獄さんに会ったような気がしたと話していたから、実際にそうなんだと思ってる。」
俺は快活に笑う杏寿郎伯父さんを想像してみる。
そんな伯父さんが炭治郎さんを鬼から守ったのだ。
「あの日・・・椻寿郎に炭治郎が言えなかったのは、煉獄さんが本当に特別な人だったってこと。」
「・・・何故?」
「有り体に俗物的な言い方をすると、惚れちゃったんだよな。きっと。」
「炭治郎さんが?」
「そ。煉獄さんに。」
「でも、カナヲ姉さんと結婚したよ?」
「それはお館様も勧めたし、なんと言っても当の煉獄さんは亡くなってる。
長男としての義務も果たさないといけないと、あの頑固者は考えていたし、カナヲちゃんのことはきちんと愛してるよ。
でも、煉獄さんのように燃え上がるものはない。
カナヲちゃんも知ってる事だ。炭治郎はカナヲちゃんは知らないだろうと思ってたけどね。」
「杏寿郎伯父さんは、罪作りだなぁ・・・。」
「まぁ、あれだけの御仁はそうそういないからね。俺だって炭治郎の気持ちが少し分かるよ。
あんな立派な人は、もうこの世には居ないだろうよ。断言できる。
だからこそ、一夜きりの邂逅で遠くへ逝ってしまった煉獄さんを炭治郎はとても大切にしたんだ。
今思えば、あれは炭治郎の初恋だったんじゃないかな。」
初恋は実らない、なんてよく言われるけれど、これが本当なら炭治郎さんの歩んだ初恋の道は大変な茨道だ。
「煉獄さんとの思い出は、いっとう大切にしてたから、炭治郎は言わなかった。
でも言いたげな時もあったんだ。
でもそれはあの時のことを言わなければいけないから結局言えなくて・・・。
炭治郎は寂しかったのだと思う。
今だから言えるけど、椻寿郎が煉獄さんのことに興味をもってくれて俺は良かったと思ってる。
炭治郎は、煉獄さんのこと最後まで気にしていたし、椻寿郎以外の誰かに話すには、炭治郎は躊躇して話せなかった筈だから。
煉獄さんの事は、皆話しにくそうだろ?
思い出話も、千寿郎くんと少し話す程度だったしね。
炭治郎の思い出話に付き合ってくれて、ありがとう。おかげで炭治郎は笑って長生きできたよ。」
一夜で初恋の人を亡くしてしまった炭治郎さんは、それでも初恋の人を一層愛してしまったのだ。
だからこそ、杏寿郎伯父さんのことを誰にも話せなくなったことが、とても悲しかったのだ。
善逸さんは俺の頭を撫でて『椻寿郎まで煉獄さんにならなくていいからね。あんな人は、本当に万人に一人いるかいないかだから。椻寿郎は椻寿郎なんだからね。』と笑った。
炭治郎さんが亡くなってからは、色々なことが立て続けに起こった。
時代が時代だったこともある。
杏寿郎伯父さんの法要にも鬼殺隊の面々は次第に減っていった。
皆が薄情だったとかそんな理由ではない。
むしろ、生きているならまた会えた。
亡くなってしまう隊士が後を立たなかったのだ。
皆、満足して早逝するのだ。
毎年法要に頑張って来てくれていた善逸さんも、次第に歩けなくなって杖をつくようになってからはとんと煉獄の家に来ることは出来なくなった。
会いに行くと、膝をさすりながらよたよたと歩くので、俺は会ったこともない鬼を心底憎んだ。
善逸さんも早々に逝ってしまうかと危惧していたが、彼は弱りながら今も健在だ。
禰豆子姉さんがいつも心配そうにしているのを、にやけながら見ている。
宇髄さんは誰かが亡くなる度に寂しがって、杏寿郎伯父さんの位牌に文句を垂れた。
その宇髄さんもあれだけ長生きすると豪語していたのに、五十半ばで他界した。
お館様と父上だけが歯を食い縛りながら皆を看取っていった。
俺は泣きながら彼らを見送ることに次第に慣れてしまった。
どうしようもない時代を、泣きながらしがみついて、平和になったときにふと、彼ら鬼殺隊の事を思い出した。
彼らが手にした鬼からの勝利の味は、安堵と安心をもたらしたのだと知った。
だからこそ皆一様に満足して事切れたのだ。
世の中が平和になって少ししてから、俺は炭治郎さんに恋情を抱いていたことに漸く気づいた。
赤い瞳の妻が、半分怒りながら静かに『私に誰を見ているの。』と聞いてきたことがきっかけだった。
郷愁と、思慕。愛着と、諦感。
あの竈門家に続く道を歩く夢をよく見る。
あの人がいるであろう期待と、それから抑えきれない喜び。
炭治郎さんが縁側に座っていればいいな。いなければきっと家の居間の布団の中。
あのキラキラした景色は、もう訪れることはない。
だってそこにいつもいた炭治郎さんがいないのだから。
悋気を起こす妻に嘘はつけずに、『昔、とても大切にしていた人が、貴女と同じ赤い瞳だったのです。』と答えたら、『忘れられない人なの?』と、あの人みたいに苦笑したので、俺はあの時の炭治郎さんの言葉の意味を漸く飲み込めたのだ。
あの、痛みを孕む笑い方は『ここに居ない誰か』を自覚する。
壮絶な喪失感を味わいながら、何も知らないであろう相手・・・それも『誰か』の面影を宿した人に嘘はつけなくて。
だからつい言ってしまったのだ。
「あぁ貴女は本当に・・・私の初恋の方にそっくりです。」
あの時の炭治郎さんの思いに、今になって気付いた自分を憐れに思う。
言う相手は、もう居ないのに。
炭治郎さん、好きです。
貴方は温かな日射しのような方だった。
誰にでも優しくて、親切で。
・・・もう貴方はいないのだけれど、貴方のことを時折、思い出してもいいでしょう?
ねぇ、私の初恋。
END