ブリーチ

『我が愛故に物思う身は』(藍一)


心臓に悪いのは決まってこの瞬間。

一、切長の瞳を伏せた時。
二、腕を組み直したとき。
三、穏やかに俺を見るとき。
特に三番は油断してはならない。大概キレている事が多いからだ。
だから俺は常にそうならない様に心掛けてはいる。

・・・ケド、

「何をそんな怒ってんの、惣右介。」
・・・そう。目の前の男は先程から俺を見ながらにこにこ笑っている。
「だからどうして君は反対するんだい?」

ことの始まりは、惣右介が『CDを出したい。』とのたまったことだ。

「だから、ギンが出した事について対抗意識持つなよ。あんただったら書籍の方がずっといいよ。本の方がいいよ?本。本にしろよ。本なら賛成だ」

ギンが『僕CD出すんや~』と豪語して早数ヵ月は経った。
今じゃヤツの歌はカラオケで歌われる程だ。

・・・だがしかし。

俺は机の上に置かれた惣右介の自作CDを取って顔をしかめた。

どう考えても、コレはいただけない。
何か、宗教めいたモノを感じる。否、むしろ世間一般様の宗教めいたモノが可愛いくらいだ。

タイトル名『俺が天に立つ~虚圏 冬のアナタ~』

寒い・・・!

誰だコレ考えたの。
俺はおそるおそるCDから顔を上げる。
惣右介はにこにこ笑って、
「素敵な題名だろ?ウルキオラとグリムジョーが考えてくれたんだ。」

その時点でおかしいって気付けよ。

「歌詞は、ギンが考慮して、要に曲を作らせた。」
・・・哀れ東仙さん。
「君はやはり反対かい?」
反対だ。こんな宗教めいて気持悪いことこの上ないCDを世間一般様に出すわけにはいかない。
かと言ってこのまま反対したところで惣右介が聞くはずもない。

思案だ黒崎一護。お前の一言で世間一般様の平和が保たれる・・・!

出来ればこれだけは最後まで出したく無かったが、仕方ない。最終手段だ。

「・・・惣右介。」
「うん?どうしたんだい、一護。」
「コレ、本当に出してぇの?」
「・・・そうだよ?」
「だってソレ出したら、惣右介有名になって俺を一人にすんだろ?」
「・・・一護。」
「だからヤダ。止めて?俺は俺だけの惣右介がいい。」

頑張れ俺!ほら、小首傾げて!上目使い!目ぇうるうる!
いける。これはぜって―いける。

「・・・一護。解ったよ。CDは諦めよう。折角可愛い部下が作ってくれたものだが、愛する君にそう言われたら退き下がらなければね。」
「惣右介。」
よっしゃぁぁぁぁ!!!
「それに。謳うのは、君への愛だけで充分だった。」
・・・へ?
「では今日は特別に、君の耳元で囁いてあげよう。」
惣右介は向かいに座った俺のところまでスタスタ歩いてきて、ひょいと俺を抱き上げた。
「神が与えるにふさわしい極上の、愛を。」
「惣右介っ!」
抱きかかえられたまま廊下に出て、ジタバタ暴れるも効果無し。

「君が寂しがらない様に今日は特別に愛してあげよう。」

はぁ!?

そう言って惣右介はにこっと笑った。

やられた!このクソ狸!お前俺がこう言うの予測済みで言っただろ!
恨めしい目で睨みつけると、惣右介は愉快そうに笑いながら言った。


「何、遠慮は要らないよ?今日はゆっくりするといい。僕の腕の中で・・・ね?」


end.

*****
【枯渇】(浦→一)

惹かれたのは、果てしなく明るい、その色。


光が満ちる昼。アタシはこの時間帯が、

死ぬほどキライ。

だって、アナタを彷彿とさせるんでスもの。
ダカラお日様の光はアタシの敵。
何度掻き消そうとしても入り込んでくるあの光は、焦がれてならない、彼の色。

夜。


貴方は知らないでしょ。毎晩アタシが貴方の寝顔を見に行ってる、なんてコト。
夜の闇は、アタシを隠してくれる。 哀しいほど。
貴方の名前を、窓越しに呼ぶときは、イケナイことをしているみたいで。
その度にアタシは壊れそう。


呼ぶのは、アタシじゃなくて、彼の人の名前。
本当の優しい笑顔を見せるのは、彼の人の隣。

欲しい、と言ってみたところで彼が振り向いてくれる可能性なんてありゃしない。
伸ばす手は、空気ばかりを掴む。


何故、アタシじゃ駄目だった?
きっと彼よりはずっと一緒に居た筈。
一緒に歩んで来た筈。
何が駄目だった?
この顔?性格?言って下さい。全て治しますから。



あぁ、貴方を思うコトはなんて幸せで苦しいの。
ひと思いにこの気持ちを殺せてしまえばよかったのに。
それさえ出来ずに淡く思い続けたところで未来は見えはしないのに。
貴方の隣で笑顔を張り付けるアタシは何て臆病者。
それでも奪えはしない。貴方の幸せは。
誰よりも貴方を思うアタシは貴方の幸せを望むから。

だからアタシは昼が嫌い。
貴方が居ない空間で、貴方を思うと、身体中が悲鳴をあげるから。


焦がれる空の色は、アタシをいつもカラカラにさせる。

太陽にあてられ過ぎた砂漠の砂の様に。

――――枯渇、する。
END.

*****


『貴方の罪をおぉう、数えましょう~♪オシロスコープでぇえええ♪』

黒崎一護、いっきまーす☆

目の前でゆっくりと湯煎にかけられたソレに、朽木ルキアは震撼した。
甘い臭いが立ち込める室内。別にそれだけだったらなにも怖がる事は無い。
机の上に並ぶモノを見て、パッと目を反らす。

・・・見てはいけない。見てはいけない。見てはいけない。

アレは目の錯覚なのだ、と何度自分に言い聞かせたところで、机の上に並ぶ物体は消えてはくれなかった。
いつもは喜んで食べるその甘いモノは、今や恐怖の代名詞になり代わり、ソレを作る人間は、何時もの数倍は上機嫌だ。
彼を象徴する眉間の皺は全く無いと言っても過言ではないだろう。
・・・恐ろしい。
陽気にペガサス幻○曲を歌いながらチョコレートを掻き混ぜる人間に、朽木ルキアはこの日何十回ともなる溜め息をついた。



・・・そもそもの原因は、現世に慣れ親しみ過ぎたあの男の一言から始まった。
もし、某猫型ロボットがここに居たなら彼女―――朽木ルキアは間違いなく過去へ向かい、かの変態下駄帽子の首を絞め上げたことだろう。


だが、そんな都合が良いものが現在にあるはずもなく。
曲がペガサス○想曲からプリ○ュアに変わったところで、意気揚々とチョコレートを混ぜている彼―――黒崎一護に声をかけた。

「一護、一体コレは何に使うのだ?」
ルキアの背中を冷や汗が伝う。コレ、と彼女が指したのは、机の上に並べられた物体だった。
ピクリ、と黒崎一護の肩が反応を示す。陽気にプ○キュアを歌っていた彼の表情は一変し、かき混ぜていた木ベラをボキボキボキィと折った後、彼は再び二ィ~っと笑った。

不気味である。

引きつった笑顔を何とかそのまま維持し、コレは聞いてはいけないことなのだ。と、理解した。
机の上に置かれた物体・・・硝酸やゲルマニウム、焼酎瓶の破片、挙句の果てには豆板醤や・・・針。
更に何の呪いなのかラッピング用紙には大々的に『食べてね』とご丁寧に書かれている。
・・・恐ろしい。
目を背けたくなるが、コレでもまだましになったのだと、黒猫に化けて出て行った知人を思い出す。
常の彼女では想像もつかない程憔悴仕切り、もうチョコレートはこりごりだと漏らせたのは、この子供のせいだった。いっそのこと自分もここから逃げ出したかった。


丸め終わったチョコに針を入れてクスリ、楽しそうに笑う一護に寒気を覚える。笑っていることには笑っているのだが、いかんせん目が死んでいる。
チョコの中に豆板醤を入れたりだとか、チョコの上に硝酸を更に粉々にしてまぶしてみたりだとか。

コレを受け取る人間に少々の同情を禁じえなかったが、奴らの普段を思えば、一護のしていることは未だ可愛い分類に入った。


・・・そう。これは報復なのだ。

近頃・・・死神代行として認められるようになった頃から、黒崎一護は深刻なストーカー被害にあっていた。
しかも一人からではなく、複数・・・からである。いくら鈍感だの童貞だの言われても、さすがにそのことには一護は気づいてしまった。
気づいてしまったのなら~と、そのストーカーたちは悔い改めるどころか逆に開き直り、猛烈なラヴアタックを繰り返すようになったのだ。
・・・一護の気持ちを無視して。
それからストーカーたちの間では、事あるごとに一護争奪戦なるものがたびたび繰り返されてきた。
・・・その中の一人に自分の兄が含まれていると知ったのはごく最近の珍事だが。
一護とストーカーの華麗な攻防戦は、どれも一護に同情してしまいそうな程滑稽でくだらなかった。(ストーカー達は至ってマジメ)
今回の出来事だって、浦原がチョコレートのことを言い出さなければ起きなかったのだ。

『一護サン、チョコレート下さい。』

その一言で、一護のチョコレート争奪戦が始まる、と半分うきうきしていた己の予想は、一番最悪な状態で粉砕された。

『いや、今回はみんなの分作るぜ?ほら、日頃お世話になってるし。』

にっこりと告げられた言葉に、果たしてどれだけの人間が死刑宣告を言い渡されたことに気づいただろう。
・・・きっと気づいていない。
目の前の男は、器用にラッピングした包みを全て黒い紙袋に移した後、何も入っていないトリュフを、ピンク色の袋に丁寧に入れていた。
「・・・それは誰にあげるのだ?」
聞いてもよさそうな穏やかな雰囲気になった彼にそう問うと、さっきとは違った笑顔で答えてくれた。
「ん?これは・・・浮竹さんとか、卯之花さんとか、夜一さんとか、冬獅郎とか、乱菊さんとか。あいつら以外の人に。・・・やっぱさ、世話んなってるし。あぁ花のも作るか。」
再び腕まくりをする黒崎一護をみて、朽木ルキアは苦笑した。
「私の分はないのか?」
するとオレンジ色の頭の男はそこ、と指差した。そこにはウサギの模様が入った袋の中にチョコレートが二つ、入っている。
「貰うぞ。」
かさかさと袋を取って二階の部屋に上がる前、一護の頬が赤かったのは見て見ぬ振りをしてやろう。
・・・そう思いながら上機嫌で二階へあがった。

翌日、黒崎家の玄関先で必死に一護に誤る隊長たちの姿が見られたのは、また別の話。

end,

なぜこれを書いたかは不明。

******

『転がったトマトの惨劇』


何故に!?


今日は何かといい日だったような気がする。
珍しく浦原が浦原商店に居なくて、ひげジョリジョリされずに済んだし。
いつも大勢で活動してる不良集団に出くわさなかったし。
虚にも会わなくて、伝令神器も静かなもんだったし。
ご町内で新しく出来たスーパーの特売で広告の品(1キロ72円の砂糖)をゲット出来たし。
なんかそこでもらった福引で二等賞のスキヤキ用牛肉が当たって・・・今日はスキヤキかぁ。んじゃあ八百屋に寄ろうか、確か商店街の角っこにあった八百屋が安いし、新鮮だったよなぁゆず、喜ぶかなぁ・・・とか思案して、ソレを実行に移しちゃった俺を殴りたい。


「アンタ、何してんの?」
どうか目の前の人間?が自分の知ってる人物とは違いますように。ほら、世間には同じ顔した人がなんたらって言「なんだ、黒崎か」

・・・何故に!

立ち寄った八百屋『はっちゃん』八百屋なのにタコ焼き屋の様な名前なのは、ご主人が関西出身者だからで。いや、それはどうでもいい。そのご主人が近頃ギックリ腰を患い、アルバイトを募集していた。
八百屋なわりに時給がよくて、募集者は多くいたはずなのに、中々アルバイトは決まらず、ご主人の奥さんがその仕事を一人でやりくりしていた。

何故、アルバイトが決まらなかったのかと問われたら、それは奥さんが面食いだった・・・ということだろう。
・・・じゃなくて。
「久しいな。兄はこの辺りに住んでいるのか?」

世の中のお貴族様の考えてる事なんざ知るかァァァァ!!!


「いらっしゃい、お姉ちゃん、トマト一籠198円ザマスよー。」


朽木白哉。四大貴族にして尸魂界で唯一繁栄を続ける朽木家の嫡男にしてその長。
二十七代目当主にして、歴代最強。そして御廷十三番隊の六番隊隊長でもある。
少々妹に甘いことに目を閉じれば、とても信頼に足る人物だった。

だった、つまり過去形。

「それで黒崎は何を買いに来たのだ?」

魂を抜かれるってこういう事ですか、お母さん!
今の白哉は二十七代目当主という高貴さも、六番隊隊長という威厳も、スッキリ爽快!とばかりに剥がれ落ち、ザマスザマス言いながら俺にトマトをすすめて来るのでした。・・・って作文!?

ちげーよ!そうじゃない!惑わされるな俺!
肝心なのは、

「何で白哉がここ(現世)に居んの?」
「お前が好きだからだ。」

あぁ、俺今日疲れてんだろうな。早いとこ帰って眠ろう。あぁ・・・夕日が目に染み「というのは冗談だが。」

「・・・っ!マジ死ね!そーだったよ。アンタァルキア一筋だったなぁ!」
「妹を可愛がって何が悪い。それに愛らしいだろう?」
「で?何で白哉はここ(現世)に居るの?」
「何処かの隊が瀞霊廷を全壊させた。その修復工事に時を要する上、現世に破面が出現すると聞いてな。ルキアが行くと訊かなかったのだ。」

・・・それでか。

「兄が知る隊長副隊長は全員来ておる。しばらくは出くわす事もあろう。」
「バランサーがそれでいいのかよ。」
「総隊長がちょっとの間なら平気♪らしいぞ?」
「山爺~」


「とりあえずは隊舎が建つまでは現世で暮らす事になったのだが、何せ暇でな。だからこうしてあるば糸をしてみようかと。あ、奥さん、大根一本百円ポッキリザマスよー!」
「あるば糸じゃないから。アルバイトだから。」

「んまぁ~白哉ちゃん今日も素敵ねぇ~。じゃあぁ~大根一本と、長葱一本とそれから・・・おみかん一袋貰える?」
「へぃ!ありがとうございます。」
「あらん・・・素敵。じゃあソコのトマト一籠もお願いしちゃおうかしら。」
「ありがとうございます!全部で六五十百円ザマス!」

「じゃあ千円から。お釣りは居らないわ!」
「毎度ザマスー♪」


「・・・白哉。」
「何だ?」
「いつもこうなのか?」
「そうだが?黒崎、すき焼きにするなら白菜と長葱と糸こんにゃく、それから豆腐があった方が良いぞ?長葱一本百円、白菜一つ八十五円、糸こんにゃく一袋百円、豆腐一丁三十円だ。合計五百円ポッキリだ。」

「(何ですき焼きってわかった?)・・・じゃ、それで。」
「毎度あり。」


いっぱい言いたいことはあったけど、ひとつだけ思ったことは、死神って案外いい加減ってことだ。
そしてこれだけは言える。
いくらスーパーの野菜が高いからって、『はっちゃん』には絶対行かない!ということ。
あんな白哉は見ていて、


吐気がするわァァァァ!!

ザマス?ザマス?ザマス?何でザマス!?何で白哉ちゃん!?
ぶっちゃけ・・・ありえなぁーい!


今日は早いとこ帰って眠ろう。(二度目)

あぁ俺、明日から引きこもりになるかも。


あ、トマト買い忘れた。スーパー行こう。

一護は知らなかった。そのスーパーの野菜売り場にも今が旬と叫ぶ藍染がいることを・・・。

END
******
『花冠』(ウル織)



崩れ去る宮城を見ながらウルキオラは砂に埋もれたまま天を仰いだ。
光が射さない暗く閉ざされた空間。

―――・・・結局、誰も天などには立てなかった。

藍染の思惑は断ち切られ、彼は霊王自身に屠られた。組した者は全て塵と成り果て、否。奴らは前から塵だった。自分も含めて。
体が信じられないくらい重い。もう直ぐ消えてしまうことは知っている。自分は他の塵共に与えられた“許し”を放棄して此処にいた。
 消え去る者たちは皆誰もが苦しげな声を上げたが、終わりは一瞬だった。それもいいと思ったが、自分はあの黒い月牙から逃げ出してきた。動かない手足を叱咤し、這い蹲って。もう、闇に囚われるのは嫌だった。

誰も彼もがいなくなった広大な土地は自分を果てしなく許容する。終わりにする舞台にはこれほど相応しい処が他にあるだろうか。
ゆるやかな風に巻き上がる砂が頬を撫でる。心残りも、何かしようと抗う気力もない。
ただ、瞳を閉じれば逃がしたあの女の顔が蘇るだけだ。


ただそれだけで充分な気がした。


月を隠していた雲が千切れ、静寂を保っていた漆黒の世界に「月だ」と死神たちが祝福と賛美を贈る。
戦いで傷ついた宮城は晒され、砂に覆われていく。流れてきた白い砂に、自分の体も埋もれ。
後悔はない。
藍染の手によって生まれたときからどこかで知っていた。終わりは直ぐにやってくるのだと。
天を仰いで瞳を閉じる。このままこの世界と共に消えて逝くならばそれでいい。

それでいい。

近くでサクリ、と音がした。
ポツリ、と頬に雫が落ちる。
ドサッと頭の横で音がし、その音がした方へゆるやかに手を伸ばした。


『花冠』



あぁ、お前。また泣いているだろう。

******



ポツリ、ポツリと頬に落ちる雫を熱い女の指が拭う。
聞こえる悲鳴にも似た呼吸が遠い歓声を覆い尽した。
ゆるやかに伸ばした手は、生きた彼女の手にしっかりと握られる。

生きた拍動はいつか守ったものだった。

ポタポタと溢れ落ちる水に瞳を開けると、花の顏を涙で濡らした女は乱雑に袖で顔をグシグシと拭った。
笑おうとした女のその動作に瞳を細め、力の入らない手で熱い手を握る。
女の後ろでサクリ、と砂を踏む音を聞いた。


「井上」


目を向ければ驚愕に顔を歪ませた死神が其処にいる。
女は振り向かない。
ザクリ、と踏みしめる足の音が強くなったのを聞き“これで終わりか”と他人ごとのように思う。
上がった霊圧を受け入れる為に瞳を閉じれば、女の優しい手が破れた仮面の上を撫でた。


「私ね、黒崎君。自分の本当が何処にあるのか、全然分からなかったの。」


ザクッと足を退く砂の音がする。仮面を撫でる優しさは変わらない。
「あの日、命令されて現世から去った時は“私が皆を守らなければ”って思った。朽木さんや、黒崎くん。佐渡くんや、松本さんや、この世界に生きる人を守らなきゃって。
・・・私にしか出来ないんだって思ったの。・・・苦しいのは、悲しいのは自分だけでいいって思った。」
「井上」
「死んだって、皆が私を覚えてくれてたらそれでいい、とも。あの時は自分が何だか分からなかった。何のために生きてるのか分からなかった。消えたって構わなかった。・・・彼が命をかけて救ってくれるまで私は深い暗闇にいたの。」
「・・・井上!」
死神が怒声を上げる。女に目を向ければ震える肩が映った。
「そいつらは存在しちゃならねぇんだ!目ぇ覚ませよ!」
握られた手に更に力が籠り、女は首を横に振った。

「無理だよ・・・」

「井上!」
怒鳴り声を上げる死神に首を振る女の肩を掴んで上体をやっとの思いで起こす。
女に名前を呼ばれたが構わず手をふりほどいた。


「――――・・・消せ、死神。」


凛とした空気を美しいと思う。暗闇にあっても変わらない姿勢にこがれて止まない光を感じた。
その光を自分が闇へ追い落とすのならば、それは自分が防がなくてはならない。

自分は確かに彼女によって満たされた。

「ウルキオラさん!」

呼び声が聞こえる。目の前の死神が刀を構えるのと“終わり”は一緒にやって来た。

今まで霊子で保っていた体は突然パラパラと砕けていく。
あぁ、もう終わりか。
目を大きく開いた死神を見た後、砕ける自らの手を何の感慨もなく見た。

とうに知っていたことだった。

散っていく花のように最期は跡形もなく、消える。
パラパラと先端から無くなる指に、目を大きく開いた女は悲痛な声で叫んだ。

「双天帰盾!私は拒絶する!」
目を剥いた死神が女を見る。それでも違うところからパラパラと砕ける体に女は何度も叫んだ。
「双天帰盾!私は」
死神が女を止める為に動く。
「井上!」
「双天帰盾!私は、」
「井上!」
「双天帰盾!私は・・・拒絶する!」
それでも無情に砕け散る己の体を見て、女が大粒の涙を流した。


「何で・・・?どうして!」


パラパラと崩れる体を見つめたあと、女を見る。



「もう、終わりだ。お前は向こうに戻れ。そして全て忘れろ。」


溢れ落ちる水を拭いたいが、そうする為の指先はとうに無い。
首を振る女の頬に唇を落とす。いつか見た、死神がそうしていたように。

「・・・織姫」

笑え。


体はもうほとんど残っていない。彼女を包み込む腕ももう無いが、それでも充分自分の空虚は満たされた。
女は再び叫ぼうとしたが、自分は首を振った。『もういい、』という意味を含めて。顎から下の感覚が消え、女が静かに瞳から涙を溢したのを見る。


砕け散る体と遠のく意識のその最期の瞬間、花のように笑う女の表情を眼に焼き付けた。





それが何の感情かは、知らなかったけれど。

END
******


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