アネモネ 第一章


優しい朝の光に、シュナイゼルは目を覚ました。現在、時計は午前十時半を指していた。
珍しい自身の朝寝に少し苦笑しつつ、傍らでかすかに身じろいだ存在に、苦笑とは違う自然な笑みを浮かべる。

「夕べは随分と急だった。」

自分に余裕が無い、という『はじめて』を体験したシュナイゼルは、同じベッドで眠る妻の漆黒の髪の毛を緩やかにといた。
スルスルと指を抜ける髪は、彼女の魂の様に、少しでも傷つけたなら自分の腕から逃げて行ってしまいそうで。
昨晩は謂いもしない焦燥感に駆られて随分と酷いことをしてしまったように思う。
彼女は熱が出ていて、病人だったと言うのに。

「私もしがない男の一人、というわけだ。」

だが、どうしても欲しかった。何年も何年も欲した者が目の前にあった。手を出すな、という方が酷な話だ。
『死んだ』と七年前に聞かされたときは自分こそが死んだと思った。
何日も離宮に篭り、喪に服すシュナイゼルを父皇帝は『弱きもの』と見下したが、アッシュフォードがエリア11に渡ったと聞いたときに、彼女の『死亡』は偽証だとシュナイゼルは悟った。
『白の皇子』としての人生はそこから立ち上がったといっても過言ではない。
あらゆるエリアに左遷され、そのエリアを完膚なきまで蹂躙し、上に上にと上り詰めた。
人に使われるよりも、使う側に。
ブリタニア兵も他のエリアの住民も、ルルーシュの前ならば『無』に等しかった。“冷酷”の二つ名はこの頃からだ。
彼女がアッシュフォードを自分よりも頼ったことに憤りを覚え荒んでいたときに、たまたま行ったパーティでシュナイゼルはロイド・アスブルンドと出会った。
 伯爵位であり大変な秀才という噂は耳にしていたが、それと同じくらい奇人だということも噂になっていた。
話しかけて来たのはロイドからだった。内容は他のものが聞けば奇異極まりないものだったが、それ以前にシュナイゼルにはロイドという人物が興味深かった。


『焼きプリンと蒸しプリン、殿下はどっちを好みますぅ?』
『私は焼いたほうだな。』
『んじゃあ、カスタードとバニラは?』
『前者だ。』
『じゃあ、焼きカスタードプリンを誰かが隠しちゃったら、どうします?』
『隠した相手をねじ伏せてでも取り返すだけだ。』
『じゃあ、その“ねじ伏せる”動作が不要になったら・・・?』
『・・・何のことだ。』
『そうすることができますよ。僕の頭の中にある構図を使えば。
・・・もちろん、ご高名なシュナイゼル殿下のことです。何の構図かは僕が皆まで言わなくともお解りでしょう?』
『アスブルンド伯に何の得がある?』
『ぶっちゃけて、研究資金が欲しいんですよね。この際軍属になっても良いですし。・・・ただ、僕の頭の中の構図は奪われたプリンを奪還するだけではなく、貴方を帝位に、と約束いたしましょう。』
『研究資金と引き換えにプリンと帝位・・・随分と上手い話だな。』
『ええ。ですから、だまされてくれませんか?』
『作っているものは?』
『なんてこと無い、ただのナイトメアフレームですよ。ただ他のものと違うのは、ナイトメアの前に“第七”が付きますが。・・・気になりますぅ?』
『多大にな。』
『よかったぁ!殿下ががちがちの能無しじゃなくて。本とですよ?約束しましたからね!』
『あぁ。』
『・・・このロイド・アスブルンドは貴方に唯一無二の剣を作ることを約束します。』


あの時にロイドの手に乗ったは正解だった。彼は騎士に負けない成果を、研究という形で積み上げた。出来上がった“Lancelot”は間違いなく時代の最先端を駆使して生み出され、『特派』はシュナイゼルを宰相の地位にまで押し上げる。
・・・そして昨日、奪われて久しいプリンを文字道理食べることができた。

「研究資金を上乗せ、だな。」
スルスルと通り抜ける妻の髪の毛に唇を落とすと、シュナイゼルはルルーシュを起こさないようにゆっくりと立ち上がった。


ルルーシュに服を着せてやり、時間を見るともう十一時になっている。
かれこれ三十分間もルルーシュの髪の毛を触り続けていたことにシュナイゼルは少し驚いたが、幸せとはそういうものだ、とコーヒーメーカーに向かった。
ストッパーに入っていたものを捨てて豆を入れ、メーカーに水を注ぐ。コポコポと音がし始め、下のストッパーに黒い水が溜まるのを、シュナイゼルは見つめた。
白で統一された部屋にコーヒーの香ばしい香りが満ちる。ふと、目に違和感を感じたシュナイゼルが浴室の鏡を見ると、コンタクトレンズをしたままだった。
昨日はコンタクトをしたまま、だったから外すのを忘れていたらしい。
そもそも代えも無いので、内ポケットに入っていたコンタクトケースにそれを外して入れ、目薬を差した後、鞄の中に入れておいたノンフレームの眼鏡を掛ける。
それと同時にシュコーっという音がして、シュナイゼルはコーヒーメーカーまで移動し、マグカップに二人分コーヒーを注いだ。

「そろそろ出てきてはどうだい?話がしたい。・・・ルルーシュもまだ等分は眠っているから安心するといい。」
そこそこ広い仮眠室の、設置してある物置の影から、美しい黄緑色の髪をした女が出て来る。C.C.だった。
シュナイゼルはそれに微笑むとC.C.にコーヒーを渡して自分は椅子に座った。
「待っていたよ。灰色の魔女。」
「何故私がいるとわかった。」
C.C.はシュナイゼルの向かい側の椅子に座ると、一口コーヒーを飲んだ。
「これくらいのことを察知できない様であれば、私は当の昔に寝首を掻かれているよ。」
悠長にコーヒーを飲む男を、C.C.は見やった。
「ほう。やはりお前は恐ろしい男だ。私がお前を殺す、とかは考えないのか?白の皇子。」
「確信は無いが、貴方が私を殺す、ということは無い。」
「何故そう思う?」
「ルルーシュが悲しむからだ。」
「・・・」
C.C.は男を睨み付けた。
「・・・何が望みだ。」
低く出された声にシュナイゼルは口角を上げた。
「話がしたい。・・・これからのことだ。」
C.C.は一度考えるとコーヒーを飲んだ。
「良いだろう。だが、その前に質問に答えてもらう。」
「どうぞ。」
「王宮は、ルルーシュにとって安全か?」
「この上も無く安全だ。彼女の為だけの城がある。他が侵入することはおろか、害虫は近づくことすら絶対にできない。」
「・・・ではもうひとつ。お前、ルルーシュをどうするつもりだ。」
シュナイゼルは白いカップに入った黒い液体を見、顔を上げてC.C.を見た。
「幸せにしたい。
どんな風からも包み、守って。彼女の本質が、魂が、心が傷つかないように慈しみたい。
あの子は、もう誰かに愛され、支えられてもいいはずだ。硝煙にまみれ、手を血で染め、愛してもくれない男のために自らを犠牲にするなど・・・このまま行けば自分には死しか残っていないということは、聡い彼女のこと、解っているはずなのだ。」
「・・・だからルルーシュを愛し、欲するお前があいつの支えになる、と?」
「・・・彼女が受け入れてくれれば。」
「それは心配ないだろう。ルルーシュは嫌っている男には近づきもしないからな。・・・お前の言い分はわかった。では最後に。ピンクの姫とその騎士は。」
「排除。当然だ、彼女を傷つけた。」
しばらくの沈黙の後C.C.は笑い出した。
「アッハハハハハハ!お前、面白い。」
「できれば貴方にはルルーシュを守ってもらいたい。」
「言われずともそうするよ。ルルーシュが生き延びることこそ、私の望み。いいだろう、ではお前と盟約を結ぼう。」
そう言ってC.C.は右手を差し出した。
「私たちは、同志だ。」
誇り高く、脆い。姫君を愛し、守る為の。

シュナイゼルは首を縦に振ると、灰色の魔女の手をとった。

盟約が、成立する。


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