アネモネ 第一章


立ち上がったカレンに、シュナイゼルは朗らかに笑うと、足を組み直した。ロイドがしゅるしゅるとシュナイゼルの右斜め後ろに椅子を動かした。
「君がルルーシュを守ってくれていたことは十二分に知っている。
私は彼女を庇い、守る者は大切にしたい。・・・ナンバーズだろうとテロリストだろうとね。」
カレンはシュナイゼルから一歩退いた。
「貴方、何処まで知っているの?」
“ゼロ”の正体がルルーシュだとわかっている時点で、カレンもテロリストだと言うことはバレていても不思議ではない。
だが、日本人だということまでばれているとは・・・
病弱設定の皮が脱げ落ちた少女は怯むことなく帝王の目を持った男と対峙した。
「・・・全部だよ。カレン・シュタットフェルト嬢。」
シュナイゼルは手を組んでソファーに凭れ掛かった。
「ルルーシュが作った騎士団・通称『黒の騎士団』その要。紅い死神の名を冠する『紅蓮弐式』のパイロット。
はっきり言うが、私は君を私の正式な騎士に据えたい。・・・彼女は望まないだろうがね。」
シュナイゼルは溜め息をつくとティーカップの中のお茶を一口、啜った。
「騎士団は作っても、正式な『Knight』は一人も任命しない。彼女は騎士がどのようなものなのか解っているだけに、無理意地は・・・できればしたくない。強要するのは、酷過ぎる。」
カレンは少し考えると、口を開いた。
「なぜルルーシュは騎士を任命しないんですか?」
シュナイゼルは悲しそうに笑って答える。
「自らの『騎士』を任命すること。それは、その魂ごとその存在を縛り付けることなのだよ。
主から逃げたくても逃げられない。常に傍に仕えなくてはならない。場合によっては自らを殺してまで主のところに駆けつけなくてはいけない。悪く言ってしまえば、呪縛だ。それがどんなに身勝手で自己中心的な命令であるか知っているからこそ、彼女は騎士を持たない。」
カレンは大きく目を見張った。
「そんな彼女に騎士を持て、といったところで彼女が素直に聞くとは思えない。だが逆に、私の騎士となった君に彼女の護衛を命じるとしよう。そうすれば彼女は拒めないし、彼女の身の回りも安全だ。・・・どうする?」
と聞かれてカレンは一つ返事で返した。
「私にできることなら。」
決意を持って返事をした少女に、今まで傍観していたロイドがアハっと声を出して笑った。
シュナイゼルはそれを見、頷く。
「それで、君には機体を預けようと思うのだよ。まぁ所謂白兜・・・第七世代ナイトメアフレームLancelotをね。」
シュナイゼルは、笑いながらロイドを見やると、ロイドはぷくぅと頬を膨らませる。
「白兜じゃないです!ランスロット!」
「ですが私には」
カレンがロイドの話の途中で声を上げる。
「紅蓮弐式は、ブリタニア兵を多く殺してきた機体だ。・・・必然的なこととはいえね。良くも悪くも印象が悪い。ちょうど、君たちにとってのランスロットがそうだ。」
「・・・つまりは、味方の攻撃対象ということですね。」
なるほど、とカレンが相槌を打つ。
「そして私は呈よくあの男から白い機体を取り上げてしまいたい。」
にやり、と笑った男の顔にその場が凍結する。ただ、ロイドだけがシュナイゼルの後ろで笑ってみせた。
「殿下ったら相変わらず腹黒なんですから!」
「腹黒くなんかないよ。私は彼女の為なら何だってするさ。」
「まぁ、説得力皆無ですけど」
ロイドは椅子をくるくると回す。カレンは、思案すると、ソファーに座る男を見た。
「しかし殿下。その機体に乗ったら・・・」
シュナイゼルは、カレンの言おうとしたことが解ったのか、朗らかに笑った。
「心配要らないよ。君に日本人は撃たせない。私と・・・彼女と共に本国の方に移動してもらう。」
「先程のことは・・・」
「必ず、と約束しよう。日本は必ず黒の騎士団、ないし京都六家に還そう。ただ、時間がかかるのは承知してくれ。その間の日本人の待遇も考慮しよう。・・・他のエリアに比べ、ここは酷すぎだ。」
「よろしくお願いします!」
カレンは深々と頭を下げた。
「では、あの機体に乗ってくれるかな?」
「・・・はい!」
カレンがはっきりと答えると、ロイドがシュナイゼルの後ろで「ぃやったー!」と声を上げた。

ロイドが喜々としてカレンをランスロットに連れて行った後、シュナイゼルはルルーシュが寝かされた仮眠室に来ていた。

「彼女は?」
ベッドの傍らに腰かけていたミレイに、シュナイゼルは静かな声をかける。
ミレイは緩やかに振り返った後、ゆっくりと立ち上がった。
「先程、お気付きになられましたが、また眠ってしまわれました。」
「そうか。」
シュナイゼルは静かにそう返すと、ルルーシュが眠るベッドに近より、付近の椅子を引き寄せて座った。
ミレイは、音を立てずにその場を退くと「あとをよろしくお願いします、」と部屋から出ていった。

「・・・」

ルルーシュの呼吸音を聞きながら、シュナイゼルは手近にあったおしぼりを洗面器の中に浸し、固く絞った後、ルルーシュの額に当てた。

「・・・ん。」

いきなり冷たい物が当てられたルルーシュは、少し首をよじった後、うっすらと目を開いた。
「・・・お兄様。」
呼ばれた名称に苦笑しつつ、シュナイゼルは頷く。
「なにかな?ルルーシュ。」
ほんのりと赤い頬をしたルルーシュは、体を持ち上げようと腕に力を入れた。ぐっと力の入ったたおやかな体を、シュナイゼルは慌てて支える。
細い腕に巻き付く管がシュナイゼルには一層悲壮に映った。
ルルーシュは、シュナイゼルの目を見た後、真剣な眼差しで言葉を吐く。
「話が、したいのです。・・・これからのことを。」
シュナイゼルは一旦間を置いたあとで「あぁ」と答えた。
「貴方は、私が欲しいと言った。」
「そうだね。政治の道具としてでも、体でも血でもなく、君という人を、心を、思想を欲しいと。ルルーシュの本質が欲しい、と私は言った。」
ルルーシュはその言葉に眉を歪める。
「・・・本気ですか?」
「恋をするのに容姿や格式、血筋がいるのかい?」
「・・・分かりません。では、日本は?」
「先程カレン嬢にも言ったが、私は日本は要らないのだよ。父君の様に世界統一したいという野望があるわけでもない。日本が欲しかったのは、君が居たからだ。君を探す為。でも君はもう既にここに居る。―――――それに。頭のいい君の事だ、解っているだろう?今、日本を私が解放し、ブリタニアが国内から去れば、この国がどうなるのかを。・・・日本は今以上にブリタニアに属する国になる。」
ルルーシュはゆっくりと頷いた。
「・・・ですがそれを父上はしない。」
「そうだ。本当の支配の仕方を父君は知らない。隷属させるなら魂の根ごと。人の心を掴むのは大変そうに見えて実はとても容易い。」
「そして友好という名で属国にし、その国を例え蹂輪したとしても、その国の民は依然として気付かない。・・・貴方らしい考えだ。」
「抑えるばかりでは何も産みだしはしないからね。この国の言葉では確か・・・飴と鞭、と言ったかな?」
ルルーシュは顔を下げ、うつ向いた。
「私としては、日本人が楽に呼吸出来ればそれでいい。」
悲しく寄せられたルルーシュの眉に、諦めを感じとったシュナイゼルは、眉間に皺を寄せて、細い、力を加えたら今にも折れてしまいそうな指をぎゅっと握った。
「日本人・・・違うな。黒の騎士団創設も、日本解放戦線に話を持ち掛け騎士団に統合したのも、全てはあの男・・・枢木スザクの為。君の本質はとても愛情深く、優しい。彼を愛している、だから私に自らを投げ打ってまで彼の祖国を救いたい、そし」
「違う、違うんですお兄様。」
「何が違うと言う。」
シュナイゼルはルルーシュの紫藍の瞳を覗き込んだ。
「違うんです、お兄様。だって私は生きた事がない。・・・始めから死んでいるんです。だから誰かの為に砕いた心も、全ては夢幻。死んだ者は、ただ傍観者となるだけなのです。恋心を知った所で、それを叶えたいと思った所で、それを咲かせる術も、殺し、刈り取る術も持たない。・・・恋した相手が誰かと幸せになって行くのを、ただ見ているだけ。空気と変わらないんです。・・・少なくとも、スザクにとっては。」
シュナイゼルはルルーシュの言葉に頭を殴られた様な衝撃を受けた。
生まれて16年の間に否定され続けた少女の『今』を構成する感情の全てだった。
悲しく笑ったルルーシュを、シュナイゼルは衝動的に抱き寄せた。きつく頼りない肩を抱き締める。
何故、誰が彼女をこんな風にしてしまったのか。
それが、知りたかった。

「誰が、君を“死んでいる”と言ったんだい?」
熱の為か少し熱いルルーシュの華奢な体をシュナイゼルは抱き締めていた。
腕の中の少女は、少しみじろぐとシュナイゼルの服を弱く握り締めた。
小刻に体が震えている。
「父上、からです。
・・・お兄様の仰ったことは半分本当です。スザクを助けたかった。その為に騎士団を作り、日本を解放しようと。でも私の場合、それを受け取る相手が居ない。彼は、スザクは知らなかったとは言え私の手を拒んでユフィの手をとった。・・・もうそれだけで十分です。スザクにとって私は空気、死人だったと。」
肩口に顔を埋めたルルーシュはぎゅっと目を閉じた。
「君は、生きているよ。」
シュナイゼルは更に強くルルーシュを抱き締めた。
「いいの、私は死んでいる。解っているんです。」
緩やかに首を横に振るルルーシュに、シュナイゼルは底知れない愛しさを感じた。
・・・こんなに傷ついている彼女に、どうして世界はこうも優しくないのだろう。
「生きている。ルルーシュは生きているよ。
・・・生きていなければ君はこんなに生きることに必死になったりしない。日本を救いたいとも思わなければ、体も熱くない。誰かを愛しその心を砕いたりしない。
だが、もし君が死んでいるのなら。いるのだとしたら。・・・これからは私の為に生きて欲しい。」
抱き込んだルルーシュの体がひくり、と震えてハッと息を飲むのが解る。
シュナイゼルは彼女をゆっくり体から離すとルルーシュの濃いアメジストをじっと見つめた。ルルーシュの瞳が揺らぐ。
「ですが私よりも」
ルルーシュはゆっくりと首を横に振ってうつ向いた。
「今、一番私が言いたいことが何か、解るかい?」
ルルーシュが顔を上げる。
「先も言ったが、私は君が欲しい。君が思うより、君は魅力的なんだよ。悔しいが、そう思っているのは私だけじゃないだろう。・・・ユーフェミアとの噂を知っているんだね。」
ルルーシュは悲しく笑うと頷いた。
「ユフィと、お兄様の婚約の話は、私がアリエス宮にいるときから存じてます。・・・ユフィが生まれてすぐの婚約だったのでしょう?」
シュナイゼルは目を見開き、首を横に振って否定した。
とんでもない話だ。
「有り得ないよ、ルルーシュ。言い訳に聞こえるかも知れないが、私は一度でもその話を承諾した覚えは無い。断言しよう、それはリ家の者たちが勝手に言ってるに過ぎない。あんな者たちを私の宮に入れるつもりは毛頭無い。
私の妻は、君だけだ。君をおいて他に無いのだよ。ユーフェミアなど、論外だ。」

常に無く声を荒げるシュナイゼルに、ルルーシュは穏やかに笑うと兄の頬に手を伸ばした。
シュナイゼルは伸ばされた白く細い、その繊細な指を握り締め、唇を寄せる。
肌に唇が寄せられ、ルルーシュは少し驚いた後それを静かに甘受した。
拒まないルルーシュの態度にシュナイゼルは安堵の色を濃くした吐息をつくと、ルルーシュの頬を今度は自分の片手で包んだ。
ルルーシュは控えめに笑い、シュナイゼルの手のひらに擦り寄った・・・まるで、猫のように。
シュナイゼルはルルーシュを再び抱き込み、彼女の絹糸のような黒髪を手で梳いた。
そして彼女の耳元で、切ない声で問うた。

「・・・許してくれるかい?」
君に恋をしてしまったこと。母君と、実質的ではないにせよ妹君を守れなかったことを。

「・・・受け入れてくれないかな。」
自分という存在全て。二人して罪を犯すということ。
・・・これから永遠とも呼べる人生の道程を歩んでいく、ということ。

「・・・助けて、くれるね?」
これからのブリタニアの治世。大勢の兄弟姉妹達から帝王の座を奪い合うこと、その戦略を。そして自分自身を、民を。

シュナイゼルはゆっくりとルルーシュを見上げて、目を見開いた。
ルルーシュがひそやかに笑っていたからだ。

・・・いつか見た、クロヴィスが描いたマリアンヌのように。

ルルーシュは静かに首を縦に振り、口角を緩やかに上げて声を発した。

「はい。」

言った問いからすれば、とても簡素な答えだったが、しかしシュナイゼルにはそれで十分だった。
恥ずかしげにはにかんで笑うルルーシュを、シュナイゼルは思いっきり抱きしめた。
「きゃっ!」
抱きしめられたルルーシュが小さく驚きの声を上げる。シュナイゼルはルルーシュを抱きしめたまま、耳元でルルーシュに言葉を吐いた。

「大切にする。君以外の后は持たないし、そもそも必要ない。日本も戻す。
ルルーシュ、ルル。愛している、愛しているよ。・・・・・だから君を今ここで貰っても、いいね?」

シュナイゼルはルルーシュの顔中にキスの雨を降らせてルルーシュに確認を取る。ルルーシュは男の背中の布を緩やかに握ることで了承をした。
シュナイゼルは、ルルーシュをや優しくベッドの上に押し倒すと、彼女の露になった白い首に吸い付き、紅い花を咲かせた。

「・・・優しく、する。」
仰々しい上着を脱ぐシュナイゼルを手伝いながら、ルルーシュは兄の金髪が伝う、逞しい首に腕を回した。




それは、七年間あらゆるものを消失してきた悲しい姫君が、やっと他人からの愛情を手に入れた瞬間だった。



「あぁ、やっと君を“私のもの”だと言える。・・・私だけの、愛しい、姫君。」
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