アネモネ 第一章

幾度となく見離される現実に孤独を覚えたとしても。

真実がいかに残酷な響きを持っているのだとしても。

期待する結果が得られなくても。

ええ、このただ一度きりの儚い恋が叶うのでしたら、わたくしは死んでも構いません。

ただ一度、咲くことをお許し下さい。


『捨てられた姫君』

スザクがユーフェミア第三皇女の騎士になる様を、ルルーシュは呆然と見ていた。手に持っていたカップの中身は既に机に大きく広がっていて、机の端から床に溢れる。
「ルルーシュ。」
C.Cは顔を悲しく歪めてルルーシュを呼ぶ。彼女の美しい顔は蒼白だった。
テレビは尚も騒々しく興奮を伝えようとしている。
「あぁ、すまないC.C。」
ルルーシュはC.Cを振り返ると、何事もなかったかのようにテレビを消した。
そして机の上に広がった紅茶を布巾で手早く拭う。波打ってポタポタと床に溢れ続ける紅茶は、まるで泣くことを拒んだルルーシュの涙のようだった。
「ルルーシュ。」
C.Cは再びルルーシュの名を呼ぶ。
ルルーシュは机を拭う仕草を止めてC.Cを見やった。
「どうした?C.C。」
慈愛が満ちる声、そして壮絶で美しい微笑み。・・・誰もが跪きたくなるそれ。
だがそれは空虚に満ちていて、C.Cは確信した。この儚い少女の心が壊れてしまったと。
C.Cが視線を反らすとルルーシュはまた机を拭いはじめる。スーっと白い布巾に染み込む紅茶の色は、乾いた血の色に酷似していた。

「酷い、裏切りだ。」

独りC.Cは静かに呟く。そう、それは完全な裏切りだった。この儚い少女、ルルーシュは幼馴染みである枢木スザクを愛していた。
彼のために日本を取り戻そうと画策し、自分が殺めたクロヴィス暗殺容疑で拘束されたスザクを救いたいが為に“ゼロ”になった。

名を持たぬ裏も表も無い、真っ黒な存在に。

ルルーシュは“ゼロ”になった。彼女は女の身でありながら仮面をかぶり、男のように振る舞い、人々を驚かせた。“ゼロ”は自らの私兵、黒の騎士団を創設し、日本解放戦線と連携を取り、京都六家とパイプを結んだ。悪を許さず、また弱き者には例外なく救いの手をさしのべた。
なぜ彼女が弱き者にそこまで荷担したのか。それは、彼女の亡き妹への影響があったからだった。

彼女の妹のナナリー・ヴィ・ブリタニアはエリア11を制定した侵略戦争中、ブリタニア人に憎しみを抱いた日本人に殺害された。
ルルーシュが水を取りに行った瞬間の出来事だった。アリエス宮で起こったテロ事件で動かなくなった足、母親が目の前で死んだショックで見えない目をカバーするために彼女は車椅子に乗っていた。
目も見えず、足も動かない、小さなブリタニアの少女。日本人からすればこれほど害しやすい存在もいなかっただろう。格好の憂さ晴らしの餌食となった少女は、散々な暴力を複数の人間から受けながらも抵抗することも、逃げ出すこともできずに、事切れてしまう。


ルルーシュが戻ったときには暴漢は去った後だった。破壊された車椅子が虚しく転がる道で彼女の妹は一言、『お姉さま』と微笑んで逝ってしまった。
痣ばかりの、傷つけられた体はブリタニア人の合同葬儀にかけられ、燃やされた。
あっけない死だった。


大切なものを他に奪われすぎた少女は、些細な幸せしか望んでいなかったのに。C.Cはルルーシュの側に近寄ると頭半分だけ高い体を抱き締めた。
「C.C?」
ルルーシュが顔を歪めて笑う。
「泣いていいよ、ルルーシュ。」
C.Cは先程までテレビに映っていた男を思い浮かべ、眉間に皺を寄せた。なぜ、よりにもよって温室で育てられたあの女なのか。

憎い、枢木スザクが。

「私はお前の共犯者だ。ずっと側に居る。」
あんな男のことなど忘れてしまえ。C.Cはそう言うと、ルルーシュを抱き締める腕に力を入れた。ルルーシュは、一度だけ肩を震わせた後、静かに涙を流した。

自らの心を、埋葬するように。

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