アネモネ 第四章
熱くなった頬を押さえながらルルーシュは、最高裁判所からの石造りの廊下を進む。
原因は先ほどのシュナイゼルの色を多分に含んだ動作だ。
カレンはそんなルルーシュの様子を見て呆れたように目を細めた。
「頼むから、そんな目で見ないでくれ。」
居たたまれないから、と頬を染めたまま可愛らしい様子で額を押さえるルルーシュにカレンは脱力する。
10代の頃の反動なのか、最近はこういった乙女も真っ青な可愛い動作をするようになった。
これは最近Elysionの住人となったクリスティーナの影響である。
Elysionの住人は当初微笑ましながら見ていたのだが、感化されたルルーシュの可愛さは凶悪だった。
この動作で毎日を過ごされるのだから、皆心臓がもたない。
更に悪いことにシュナイゼルにとっては堪らないツボらしく、ルルーシュを見て悶絶することしばしば。
ルルーシュの周りに侍る侍女、侍従、騎士に当たることもしばしば。
Elysionにルルーシュが帰ってきたものの、今まで会えなかったエルモアを優先させる為と、皇宮の色々を片付けるために宰相府に缶詰めになっているシュナイゼルは、ルルーシュに手が出せない日々が続ていて。
妻が可愛いのに構えないフラストレーションが溜まりに溜まっての今日である。
ぶつぶつ言いながら政務にあたるシュナイゼルに、宰相府の人員らから不満の声が上がっていることもあり、またシュナイゼルに不憫にも当たられる自身の夫の為にも、一肌脱ぎましょうと決意したミレイがルルーシュに矯正を入れようとして失敗し、『可愛さの前には私は無力だ』という名言を残したのがついこの前だ。
エルモア殿下すら、『お母様かわいい』と筆談で言わしめるこの動作。
この可愛い動作のもとになったクリスティーナ様は微笑みながら、『ルルーシュ殿下は作法は間違えないから大丈夫!』と、そんなとんちんかんなことを話していたが。
ルルーシュは頬に軽く風を当てるように手で扇いだ。
「ルルーシュ様、さすがにご夫婦となってから時間が経過しているのですから、そう言った初な反応は却ってシュナイゼル殿下を喜ばせているということを、もうそろそろご自覚されたほうが良いですよ。」
はーあ、と呆れた風な言葉を放った自分に、前を歩いていた文官が後ろを振り向いてカレンを驚きの表情で見つめた。
皇宮でカレンのような皇族への対応は信じられないらしい。
赤い髪の毛と瞳を凝視する騎士もいた。
全く、何だって言うのだ。
ルルーシュとカレンを囲うグランストンナイツが肩で笑うのが分かった。
ルルーシュに突っ込みたいのは彼らも同じなのだ。振り回される身になってほしい。
だって困るわ、こんな可愛いなんて。
変態がホイホイ釣れそうで嫌だ。
「カレンだって、あんなの、」
「はいはい。」
「だって」
美しく聡明なルルーシュ殿下形なしである。
確かに、裁判中にするような動作ではない。しかも「愛してるよ」の台詞つき。
そりゃあ、嬉しかったでしょうよ。
とカレンは再び溜め息をついた。
それまであのバカ皇子の発言でどれだけ彼女が傷付けられたか、手に取るように分かるのだ。なんど『その口を閉じろ』と叫びそうになったか。
母親を権力闘争で殺されて、体が不自由な妹を暴力で喪ったことを、ルルーシュはとても悔やんでいるのに。
エルモア様も、クリスティーナ様も、あと少しでも助けるの遅かったらと、いつも震えるのに。
ゼロをしていたときは、こんなに繊細だとは思わなかった。
人を人とも思わないやり口だと思っていたし、冷酷だなとも感じていた。
そこにはきちんとした勝算があってのことだと知ったのは、宮に来てからだ。
ギアス、という名の超能力。
絶対遵守の王の力。
知っているのはElysionにいる者達でも一握りだ。あまり使わないようにしているというルルーシュに理由を問うと、お前達を信じているからとはにかみながら教えられた。
つまり、意思をねじ曲げてしまう恐れのある能力だということなのだ。
「・・・カレン?」
首を傾げるの、可愛いかよ。
・・・ごちそうさまです。推せます。
「・・・ルルーシュ様。」
「うん?」
「今日のドレス、どなたが選ばれたのです?」
美しいブルーグレーのドレス。
どこかあの変態眼鏡の臭いがするが、憎らしいほどに似合っている。
「ロイドだが。」
やはりか。
今日来れないことを嘆いていた相棒の気持ちはわからなくもないが、これはよろしくない。コレは、原因の一端を担ってんな。
「あー・・・ Elysionに帰還されたら、すぐにお着替えしましょう。そうしましょう。シャーリーが、薄紫のシルクのドレスを丁度テイラーから受け取ってましたから。それにしましょう。そうしましょう。」
「・・・なぜ?」
きょとんとした顔も最高かよ。
立ち止まったルルーシュの耳にひそひそ話をするように顔を近づけた。
こういう色恋に関係した事柄は、ルルーシュには全く伝わらないのだ。
普段は頭が良いくせに、こんな時だけ鈍感なのどうにかなんないの?可愛いんですけど!
万感の思いをこめて、今夜の布陣を整える。
・・・傷は浅い方がいい。
シュナイゼル殿下は有言実行のお方なのだから。
「他の男が選んだドレスを着ているのは、シュナイゼル殿下の琴線に触れてます。・・・多分。」
だから裁判所に来る前から機嫌が下落したのだ。紫陽花の色彩はとても美しく似合ってるけども!
それでまだあのアホジェイルの証言がなければ持ちこたえられたのに、あのアホが妄想含めあること無いこと言うわ言うわ。
はっきり言って、ルルーシュのことで知らない事があることを許せない質のシュナイゼルにアレはない。
途中から『え、この男死にたいのかな、』と普通に思えるレベル。
隣にいたカノン宰相補佐官がごく小さな声で『およしなさい』『およしなさいったら』と何度も連呼しているのも気になってしかたなかった。面白かったけども。
火に油どころか、火薬をぶちまけてくれたジェイルは今頃酷い目にあっているだろう。
母親は皇妃から転落して平民に。
彼は国外追放ならばまだマシな方だな。
つらつらと考えていると、真っ青な顔のルルーシュがこちらを見上げた。
「・・・カレン、どうしよう。」
「今夜はお覚悟を。」
「無理。絶対無理。」
「明日みんなで労いますね。」
ぶんぶん、と頬を赤く染めたまま涙目で顔を振るルルーシュは凶悪に可愛い。これは出迎えと同時にベッドに直行コースだわ。
私の他にいクツクツ笑っていたグランストンナイツが廻廊の曲がり角で一気に緊張する。
前を歩いていた文官は顔が赤いままだ。こちらは別の意味でよろしくない。
周りを伺う彼らの動作に気づいたルルーシュが、危険を察知したのか一度目を閉じてから私に向かって命令した。
「早急に宮に帰る。」
ナイツはいつものように反応し、歩く速度を上げた。
裁判所の廻廊を出、文官に見送られながらロイドとラクシャータがこさえた絶対安全な高級車に乗り込むと背を掻き毟るような嫌な感覚が無くなった。
見張られていたのだろう。
「カレン」
こういうことには、殊の他敏感なルルーシュが、「廻廊の終わり、嫌な気配だったな」とふーっと溜め息を吐いた。
ここは皇宮の近くだ。変な人間は入れない。
帝都純血派を捕らえてからはルルーシュを害そうとする貴族は減りに減っている。
・・・シュナイゼルが粛正しているともいうが。
しかし貴族は現在ルルーシュに好意的だ。
理由は皇帝陛下から受け継いだ紫の瞳。
誰がどう見ても皇帝陛下の血を一身に受けていることを証明する瞳だ。
帝国宰相の皇妃で、現場の人間からも大層好かれている。
シュナイゼル殿下に言われて産業部門に手を出してからは特に高位皇族が構い倒しにやってくる。
純粋に妹を可愛がっている、ともとれるが。
マイナスな感情をもってして近づく人間は限られる。
何故ならば、ルルーシュはこのブリタニア帝国の皇后陛下へと登り詰める確率が一番高い人物なのだ。
普通の貴族ならば悪感情を抱く前にルルーシュに取り入りたいはず。皇宮にいることを許されておきながら、ルルーシュに悪感情を持つもの。
・・・ならばあの男だろう。
「カレン、気になるか?」
「いえ、取るに足らない相手です。Elysionに帰りましょう。」
「殿下の政敵なのだろうな。」
「そんな大層なものではないです。ただの野良犬だと思います。」
「・・・犬か。」
眉をよせたルルーシュは、少しだけ身震いをした。あら?
「ルルーシュは、犬は好きじゃないの?」
「追いかけられたことがある。吠えられると怖いんだ。」
「あー!可愛いっ!!」
本当に怖いんだぞ、とぷりぷり怒る様もとても可愛い。
これは今日はきっと潰されるだろう。
「ルルーシュ。」
「なんだ。」
「応援してるね。」
よよよ、と泣く真似をすると、顔を真っ赤にして(なんなら首まで!)「どうしたらいい・・・!?」とやはり涙目で聞かれるのだった。
走り去る車を、追いかけ損ねた。
遠目から見ても、あれはルルーシュだった。
白い襟を黒淵で彩る騎士服のデザインは、裏切り者の伯爵が着ていたものと同じものだ。
その中にいて、黒い騎士服に赤い髪の毛の女。
あれはカレン・シュタットフェルトだろう。
ブルーグレーのドレスに身を包んだ、膨らんだ柔らかそうな胸がルルーシュを優美に見せていた。
アッシュフォード学園に居たときも、エリア11総督府から逃げ出す時も、本当に本人なのか疑っていた。
ルルーシュは俺の前ではずっと男の子だったから。
骨格は骨ばっていて細くて、声は低かったはずだ。
疑わしいが、あの紫の瞳であるならばルルーシュなのだろう。
あの・・・シュナイゼルの宮に行ったときに、自分や、日本のことは信じていなかったのだと知った。
女の子だと知っていれば、婚姻という手段をとって日本を守ることが出来たのにと思ってしまう。
ルルーシュだって、あの頃は俺に好意的だったから頷いてくれただろうに。
そうすれば祖国がブリタニアのエリアになることもなかったかもしれないのに。
全てルルーシュが言ってくれないのが悪いんだ。
今やシュナイゼルのものになってエリア11で色々としているみたいだけれど、そんなものは日本への贖罪にはならない。
日本戦線の前なら。
父を俺が殺してしまう前ならまだなんとかなったのに。あの罪を、背負わずに済んだのに。
「そんなにあの男がいいの?」
長い髪の毛を切ってまでシュナイゼルの元に帰りたかった?
俺の手を振り切ってまで?
ルルーシュ、と叫んだ声は聞こえなかった?
振り返りもしなかった。
長い長い黒髪は今も大切に取っている。あの髪質は、間違いなくルルーシュのものだ。
皇族はこの宮では大切にされる。
ルルーシュには特に決まった人間しか近づけない。
会話に上げて、動向を聞くのにも怪訝な顔をされる。それだけ身分が上なのだ。
コーネリア殿下からは直接呼び出されて『兄上の妻で、私の妹だ。めったな事をしたり言えばラウンズとて首が飛ぶぞ』と釘を刺された。
もちろん会うにはシュナイゼルの許可と、彼女の騎士の同伴が義務付けられるのだと、シュナイゼルの宮から出てきたブリタニアTIMESのCEOは少し脅すだけで大量の汗を流しながら俺に話した。
会える手だては無きに等しい。
シュナイゼルに面会を入れても会ってはくれない。あの男はルルーシュを囲うつもりなのだ。義理の妹に欲情するイカれた男。
ルルーシュと子どもを作るなんて、絶対に許せない。許せる筈がない。
最近は皇帝もおかしな動きを見せている。
あのユーフェミアが皇女でなかったことは信じられなかったが、もういい。
自分には関係の無いことだ。
それよりもすることは多くある。
必ずラウンズワンになり、皇帝からルルーシュを賜るのだ。
あんな男にルルーシュはもったいない。
日本のことは、ルルーシュを手に入れてから考える。まずはルルーシュを救うことが最優先事項だ。
「君だけ幸せになるなんて、許せないな。」
幸せになるなら、俺とでないと。
今やラウンズナイツの席は固まりつつある。
いつまでもナンバー7に居続ける理由はない。ビスマルクを倒す。これは命題だ。
ランスロットは、シュナイゼルの持つ特派の連中のもので、俺のものではなかった。
パイロットとしては俺しか適合しないと思っていたが、カレンが適応してしまった。
だから切られたのだ。
ルルーシュに俺を近付けないために。
あれから時間は経っているが、あの男は俺を脅威として見ている。
ルルーシュさえ俺と話をしてくれたらきっとうまくいく。
白い車の後ろ姿を見ながらどう攻略するかを考える。
「まだ、面と向かって"いらない"と言われたわけじゃない。」
だからまだ大丈夫。
腹が冷える感覚は、日本を離れてからずっとしている。
ラウンズになってからは更に。
自分は間違ってはいないと、そう確信している。
スザクは見えなくなった白い車に背を向けた。
皇帝宣詞が行われたのはこの三日後となった。
ジェイル・ディ・ブリタニアの中華訪問と同じ日であり、それは完全にブリタニア帝国の基盤が変わる日でもあった。
ラウンズナイツは規定にて解散が命じられ、新たな円卓の騎士が名乗りを上げた。
枢木スザクは、皇帝の一言の重さを身を持って知ることになるのはその後となる。
三日後、自身の持てる権力の全てが無くなることを、このときの彼はまだ知らないのであった。
第四章 END
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