アネモネ 第四章


安堵と、正当な政治に涙したのはもしかしたらこれが初めてかもしれない、と思ったのは裁判が終了してから少し時間が経ってからだった。

ハンマーを下ろして罪状を述べる時間がこんなに長く感じたことも。

同じように男爵位からの叩き上げだった同志の書記官が泣きながら何度も首を縦に振るのを、まるで外から見ているかのような心地で見ていた。

私たちの戦いは、無駄ではなかったのだ。

ただ人となったジェイル・ディ・ブリタニアは、項垂れながら爪をギシギシと噛んだ。
母親の皇妃も騎士に引き立てられ、宰相に品の欠片もない言葉を投げつける。
書記官が大きく頷き、私は更にハンマーを叩いてこれまで何度も口にしたその言葉を叫んだ。


「宰相閣下への不敬罪である!」


これまで何度この言葉を吐いて、罪のない人々を窮地に追い込み、辺境へやり、人生を滅茶苦茶にしてきた事か。

どうにか道を模索しながら解決法がないまま、今日まで一握りの被害者しか命を救えなかった。
その一握りさえ、復讐に駆り立ててしまった。




笑顔が可愛かった下級メイドのローラ、薔薇の栽培が見事だった緑の手を持つ見習い庭師のアンサム、気高い淑女でマナー師だったサマンサ女史、皇宮の厨房にいたそばかすがいとけなかったパティシエのジルベルト。

髪の毛の色や瞳の色が皇宮に合わない、ただそれだけの理由にしてこの4名は皇宮で虐め抜かれた。
最後はその髪色が不敬だと一緒くたにされて裁判にかけられて。

ローラは獄中で酷い目にあって殺された。処刑ではなく若い看守どもの私刑だった。
青く腫れた頬に、苦悶の表情を浮かべていて・・・あんなに魅力的に笑う彼女の、嘘みたいな終わりだった。
私刑に加担した看守は、コーネリア殿下が『許されざること』として全員解雇になり、鞭打ち百回のあと犯罪者の入れ墨を入れられて求刑先のひとつである工場へ収容された。
ローラの両親である男爵は娘の死を受け、罰を与えてくれたコーネリア殿下に忠誠を誓い、軍部の人材育成に熱を注いでいる。
ローラと婚約していたローラの幼馴染の子爵令息は、工場と取り決めを行った。
彼らの求刑が終われば、彼らはローラの婚約者の下で働くことになる。
工場が天国だったと彼らは思うに違いない。
ろくな終わり方にはならないだろう。

サマンサ女史は、教鞭を取り上げられて国外追放になった。
流石に彼女の実家である伯爵家も明確な理由を、と裁判所に抗議の手紙を何度も送ってきたが、皇宮で茶色の髪を見せたことが不敬であるという馬鹿みたいな理由が何の脚色もなく手紙として送られると、彼女の実家は直ぐに爵位を返上して、ブリタニア帝国と敵対する国へ亡命した。
これに痛手を負ったのは、医療機関だった。
サマンサ女史の優秀な教え子である医者や、医療機器や薬の特許権を持つ薬師や技術者の多くがその国へこぞって亡命したからだ。
シュナイゼル宰相当人が何とか、かの国と渡りを付けて薬の使用や医療機器を購入しているが、帝国は今までタダ同然だった薬の特許使用料を信じられないほど高額で買っている。
その契約期間さえ1年契約というあり得ない短さだ。
1年経つと使用料と共に更新手続き料をかの国へ支払わねばならない。
大変な痛手だ。
 それもこれも、あの第六皇子の不敬罪事件がなければなかった事態だ。
皇帝はこの事態に第六皇子宮の運営資金を10年間減らすことに罰を決めたが、たったそれだけかと、元伯爵の怒りは更に燃え上がった。
今後かの国からの医療機器には今よりずっと多くの関税もかけられることになったのだ。
こんな事になってさえ、サマンサ女史の国外追放令は破棄されなかった。

見習い庭師のアンサムは髪の毛と瞳の色が黒だという理由で右腕に入れ墨を入れられた。
彼は必死に生まれた色は仕方ないと話していたが、決定は覆らなかった。
修道院で静かに過ごしていたが、刑期があけると、ひっそりと居なくなってしまった。
子爵家の三男坊だった彼は、子爵家を廃嫡されて戸籍上は平民となった。
父親の非情な判断に、長男と次男は領地の仕事を何もしなくなった。
ボイコットだ。
皇宮からも出仕の連絡がいくが、行くのは父親で後継となる長男は絶対に出席しない。いつも『体調不良につき』と話して欠席している。
領地にいる次男は、皇宮に招集された際に『髪の毛を染める時間がない為いけない』旨を奏上し、物議を齎した。
ほとんどの貴族が『ふざけた内容』としたが、彼はしたたかで、弁護人と代理人を立て『皇宮で黒髪を晒すのは不敬罪であるという認識である。己の命がかかった事態に、対策を練る時間を与えてほしいというのは当然である』とし、弟が受け取った裁判所の決定を貴族議会で見せた後『黒髪は不敬罪であると証明されている。ふざけた理由と仰る方は、私の命を脅かした慰謝料を請求する』として彼を一蹴した貴族全員に裁判所から慰謝料の通知を出した。

裁判所は“黒髪・茶髪は不敬”という通知を正式に出しており、彼の主張はそのことに対して“対策の時間を否定された。自分の命が脅かされたことへの慰謝料”としていることから、裁判所から出された慰謝料請求の通知は正当性を帯びた。
結局、貴族議会の議長が一括して支払い、彼は金髪になってから議会に参加した。
裁判所と議会、皇宮への盛大な皮肉だった。議会に現れた彼は死んだ目で『命を守る期間を与えてくださってありがとうございます。僕の髪の毛の根本が黒くなる前に皇宮を辞す予定ですので、議会の進行はお早目にお願いします』と頭を下げた。
彼の父親は頭を抱えて唸り、議会は7日という異例の速さで終了した。
子爵領は、国内でも有数の薬草の産地だったために、彼の招集は絶対で、子爵家の領地での薬草の種類や、生産体制を直接知る彼の意見は無視できなかった。
サマンサ女史の事がなければ、薬草の件でこのような事態にもならなかったであろうに。
このことを機に、茶髪や黒髪の下級貴族や、皇宮に努めている者が髪の毛を染めるという事態が多発している。
今、皇宮を見渡せば金髪か赤髪しかいない。皇室の関係者と出会うことを考えれば、こうなることは明らかだ。
そしてその金髪代金は、財務部を悩ませている。曰く、必要経費のため全部署の金髪以外の侍従、侍女、騎士の予算編成をしなければいけなくなったからだ。これが皇宮の予算を思いの外圧迫している。
消息不明のアンサムは現在はどうなっているかわからない。
・・・生きているのか、死んでいるのかさえ。

ジルベルトは家族が保釈金を用意してくれて実家に帰った後、自殺した。
彼の実家の近くの裁判所に用があり、様子見をしに行ったら黒い服を着たご婦人が私に汚泥を掛けてきた。
なぜ、冤罪を承認したのだと。
茶髪が不敬なら、募集要項にそう書けばよかったのだと私を詰った。
紫の瞳に、金髪でなければ就職できないと解っていれば息子をそんな場所へやりはしなかったと母親から言われた言葉に、なんと返していいかわからなかった。
謝り続けることしか、私にはできなかった。


不敬罪が適応されれば、何らかの罰が下されるのは、こいつらが決めたルールだ。皇妃だった女は私を睨みつけるが構うものか。

シュナイゼル殿下は足を組み、皇妃だった女と、ジェイル殿下を見下ろしている。
「そうだね、これは私に対する不敬罪だ。」

・・・閣下!ありがとうございます!

「・・・な!」
その言葉に女が目を剝く。
「黒髪や茶髪の使用人や、皇妃や父上の子どもの事を“汚れもの”と呼んでいたのを今思い出したよ。ルルーシュもナナリーも、美しい紫の瞳を持っていて皇帝の血を引いているのは間違いないのに、貴女はしきりに“まがい物”だの“混ざりもの”だのと言っていたね。
ブリタニア人には、確かに金髪が多い。紫蘭の瞳は初代皇帝の血の証ともいわれているが、ルルーシュのようにはっきりとしたものはとても珍しい。
しかし、私のような薄い紫や、青に近い瞳であればそこまで珍しくもない。
・・・貴女がこれから市井で過ごすのには何ら不自由さはないだろう。
貴女は多くいる父上の妃の一人としてしか認識されていないし、容姿は民に混ざり皇妃とは認識されないだろうね。いかにもその辺の一般的な婦人と何も変わらない。
良い機会だ、民の生活をジェイルが帰ってくるまで堪能してみては?
まぁ、ジェイルが帰って来ても、皇室には入れる予定はないが。」

付けている宝石の大きさはともかく、確かに彼女がワンピースを着て市井にいても解らないかもしれない。
金髪碧眼の皇妃は、確かに凡庸だ。
シュナイゼル殿下は、皇妃とジェイル殿下に平民に下れ、というのか。

「私に、平民に堕ちろと・・・!?」

叫んだ女は、忌々しげに顔を歪めた。

「醜悪だな。」

閣下は、皇妃だった女を見下ろして嗤った。
「"何の功績もなく、そこにいるだけの女は、帝国には不要である。第六皇子の名も、その母親である女の名も、その容姿さえ余は知らん。"よって、好きにしていいというのが、陛下の弁だ。
私も貴女の名前は知らないよ。
先程から私に対し、まるで私よりも身分が高い者であるかのような話し方をしているが、私がそれを許しているのはルルーシュと、私の子であるエルモア、そして皇帝陛下だけだ。貴女のような何の功績の無い皇妃は私と目線を合わせるだけでも不敬だというのに。さすが、
教養も知性もない皇妃の紛い物には恐れ入るよ。」

皇妃が目を開けたまま膝から崩れ落ちた。


帝王の威圧そのままに和やかに笑いながら突きつけられた刃は鋭く、強い。

『教養も知性もない皇妃の紛い物には恐れ入るわ』

これは、母親がルルーシュ妃の母親である女によく言っていた言葉だったと、気づいたのは、母親が引っ立てられるのを呆然と見てからだ。

情報量が多くて頭が回らない。
皇帝が自分たちの宮に来なかったのは忘れていたから・・・?

母親は平民に落ち、自分はどうなるとこの男は言った?中華連邦の人質に、と言わなかったか?

ジェイルは己の甘さに打ちのめされた。
何もかもが中途半端で、覚悟も研鑽も勉強も出来ていなかった。
帝王に到達するまでの道程はそんなに甘くなかったという訳だ。
単なる誇張された噂だろうと嗤っていたシュナイゼルの冷徹の通り名が過る。

兄弟姉妹の中でも飛び抜けて優秀なシュナイゼルは、皇帝が指名こそしなかったものの、ほぼ次期皇帝と目されているのは残念ながら皆が知るところだ。
あと十年早く生まれていればと臍を咬んだ兄弟姉妹は多かっただろう。
歳が近いオデユッセウスやコーネリアが、シュナイゼルとの仲がそれほど悪くないことが信じられない。
彼と歳が近い兄弟姉妹は皆比べられたはずだ。

『シュナイゼルに負けるな』
『シュナイゼルのように研鑽を積め』
『シュナイゼルの視野に勝てるように見識を広めろ』
『シュナイゼルに遅れを取るな』
『シュナイゼルの権威を落とせ』

『シュナイゼルよりも優秀たれ』

羨望し、やっかんだところで彼の優秀さはルルーシュ妃の名が知れ渡るまで誰も適わなかったし、追い付けなかった。


シュナイゼル・エル・ブリタニアが宰相に上り詰めたのは彼が19歳の時だった。
18歳で成人と認められるブリタニアにおいて、19歳という成人して1年あまりで皇帝の持つ権限以外の国政を、シュナイゼルはぼぼ完全に掌握したのだ。

皇帝からその権力の一部を揮うことを許されるのには時間はかからない。

シュナイゼルは宰相に就任した1年間で土台を築き、内政に飽きた皇帝からそのほとんどの指揮権を2年目に揮うことを許された。

まず手を付けたのは軍関係だった。
軍人の退職年齢を60と決め、軍部に居る70から80を過ぎた高齢の高官を名誉職とし、一線から退けた。
これにより彼らは軍にアドバイスできるが、現役軍人たちに直接命令することは出来なくなった。
身内の派閥闘争で若く優秀な命が散らされるその芽をシュナイゼルは摘んだのだ。
更にその足で帝国軍法を見直し、割れていた派閥を一本化することに成功。
陸・海・空軍の法の整備と編成を進め、どうしても軍に権力が傾きがちのブリタニアの国政を、コーネリアを将軍に据えることで内政権力と軍部とのバランスを図った。
この時に新しく軍の高官となった指揮官らは、シュナイゼルに騎士の誓いを涙ながらに果たし、膝を折ったのだ。

次に皇宮に仕える全ての人間にその能力と希望に合わせて配置換えを実行していった。
使えない人間はどんどん解雇し、新しく優秀な人材を年齢、性別、身分を問わず試験に受かったものから登用した。
更に皇宮の中での底なし沼と言われていた後宮にメスを入れ、皇妃やその子どもたちに不当に扱われていた侍女や侍従、騎士の所属部署を一本化し、皇宮から各宮への派遣とすることで従事者と皇妃たちのランク付けをそれぞれ行った。

仕える人間は虐げられていると皇宮に訴えることができ、後宮監査官が事実調査を行う。事実が認められれば、皇妃が望むスキルを持ったそこにふさわしい人間を派遣するようになる。
後宮従事者のための部署、通称『コルツフット』の発足である。

物事は従事者側、皇族どちらにも平等に誂えられた。
第六皇子宮に仕える従事者は金髪が最低条件となり、母の意向で彼女より年下の侍女は受け付けなかった。
この条件がもとになり、私の住む宮には金髪だが、仕事があまり出来ない口だけのベテランの従事者が集まるようになった。
イエリアは私の騎士だが、他は皇宮から派遣された男の騎士のため、奴らの相手に手こずっている。
ばあやが宮の指揮をせねばならぬほど、現場はてんてこ舞いだ。何故なら従事者のほどんどが皆、指示待ちだからだ。

皇妃が住まう宮には年2回の更新が入り、双方に聞き取り調査を行い、事実確認を徹底した。
何らかの問題がある皇族には、他の宮で何等かの問題がある侍女や侍従、騎士が派遣される仕組みのようだ。
髪の色については金髪以外は常々不快に思っていたし、現に皇宮にはそぐわないと感じているが、ルルーシュ妃のように艶やかなら許してやってもいい気がする。私だって譲歩したのに、前回の更新でも現在勤めている者たちからの変更はなかった。

後宮の妃たちはこれに憤ったが、皇室から求められる皇妃像を基準とするだけでよい人材に恵まれるだろうとの、後宮監査官の冷めた言い分にはぐうの音も出なかった。

『謀略をせず、浪費をせず、淑女教育を終えており、3か国語を習得し、仕える者にも民にも誠実な対応をし、皇帝の子どもを産む』

ことが皇宮に輿入れする際に交わされた皇妃としての契約にしっかりと記載されているからだ。
皇妃らの実家から連れて来られる侍女らもこの制度への加入が必要条件となったことで、私の宮から若い侍女が何人も辞めて他の宮に移った。
母は裏切り者だと叫んでいたが、そもそもが母の設定・・・自分より年下の侍女は受け付けないと契約に書かれているし、普段から業務外だと私を拒否するような情がない連中だったのでせいぜい他の宮で酷い目に遭えばいいと思う。

この後宮の一件が収束すると、シュナイゼルは今度は灰汁の強い平民代表が幅を利かせている元老院から信頼を勝ち取った。
子どもの教育にかかる機関の設立と、資源や産業、経済の問題、問題は多岐にわたるが、元老院がエリアからの不安を吸い取り報告する度に素早く真摯に取り組む様子を見て、元老院はシュナイゼルに絆されたのだ。
詐欺師のような手腕で、この男は平民に飴をやったのだ。


驚きは続く。
シュナイゼル自身の皇宮と、彼の後宮を建てることを皇帝より許可されたことだ。

現皇帝の子どもは、有に100人を越える。
兄弟姉妹の多くは、成人するまでは帝国内にある離宮・宮殿に住まわされる。
皇帝宮の中の後宮に住めるのは皇后陛下と、実家が高位貴族出の皇妃、寵愛されている皇妃と、彼女らと皇帝の子どもたちだけで、あとは郊外や帝都外の宮殿に行かされるのだ。

自分は帝都に近い郊外に立つ離宮“ドリュアス”で生まれ育った。

緑が深い山の中にひっそりとある離宮に母は、『私は山に捨てられたのね』とよく話していたが、『彼は私をあの魔窟から守るために森にかくしたのよ』とも言っていた。
・・・一度も訪れが無い理由は、今知ったが。
大なり小なり既存の宮殿や離宮に皇妃が住まわされるのは避けられない慣例で、新しく宮を建てる事を許されたシュナイゼルに、兄弟たちは羨望と憎しみを覚えた。

シュナイゼルの宮は白い外壁で囲われており、ナイトメアフレームの開発局もあるらしいその宮の全容はわからない。
そしてその後ろに聳えるエリュシオンは細かい四角の細工ガラスで覆われており、出口や入り口の類いがない。
皆がルルーシュ妃に会いたくとも会えない理由はここにある。
普通の宮なら可能な、庭からふらっと入って出会うという事が出来ないのだ。
気軽にその宮の戸を叩いて面会することも、先触れをシュナイゼルを通さず送ることもできない。
庭の外から叫んで声が届く範囲でもない。それこそ、マイクを通した大きな声で怒鳴ってやっと聞こえるか聞こえないかだ。
その造りはまるで堅牢な修道院を彷彿とさせる。

エリュシオンを建てるとき、シュナイゼルは業者に細心の注意と契約を交わした。
厳しい契約だった筈なのに、業者はシュナイゼルに忠誠を誓っていて、未だに内部の情報が漏れない。
取り決めに使用した建築資料などの間取りや、発注表などを全て燃やしたからだと言われている。
建築家が誰なのかも知られていない。
建物の設計には簡単な電卓以外の電子機器を使わせなかったことも分かっている。
全てが昔のままの建築方式でエリュシオンは建てられたのだ。

しかしその建て方すらも普通ではあり得なかった。

普通はメインの建物から建築し、庭を作り、外壁を作るが、かの宮は全ての資材を内部に持ち込み、外壁から建てられた。
発注先も、25あるエリア全てに振り分けられており、どの資材がどのように使用したのかも解らない。
こちらもとにかく徹底されている。
間取りを外に気取らせない配慮や、襲撃を排除するための守りが執拗に完備され、その堅牢すぎる守りに、後宮とは見せかけで、実は軍部の施設のひとつではないかと憶測が立ったほどだ。

下の姉妹たちが『我こそが皇妃』と色めき立ったのも記憶に新しい。

ガラスが積み上げられた外壁の向こうにぼやけながらも透ける宮は、白く優美で華やかだ。
今は薔薇に覆われて見えないが、庭に何も植えてられていないときは、それはそれは宮が美しくも荘厳に建っているのが見て取れたのだ。

かの後宮の主はユーフェミアだろうとの噂が流れ、ユーフェミアより低位の皇女らは軒並み諦めた。
ユーフェミア程ではなくとも高位の皇族出身の皇女は第二、第三妃を狙い、シュナイゼルに見合いの書類を送ったと聞く。

それでもシュナイゼルの皇妃だろうと言われていたそのユーフェミアでさえ入宮できなかった。

かの宮は建てられる前からルルーシュ妃を待っていたのだ。

まさか鬼籍に入っていたルルーシュ第三皇女が生きていて、その輿入れがあるとは。
それまでのあの宮は本当に誰も入ることの出来ない、主の居ない要塞だと皮肉られてもいたのに。

宰相としても敏腕であり皇帝が政治に飽き、政治を投げたその日からシュナイゼルは政治の舵取りをしている。

シュナイゼルは絶大な力を持ってはいるが、ルルーシュ妃の立てた功績と拮抗している。
彼女はこの五年間で様々なアイデアで産業や福祉、教育に力を入れてきた。
特に、コーネリアと共に興した事業への支持は大きい。
女性の地位向上のための会社の設立だ。
多くのブリタニア人女性が数多くある職業の中でも、決まった職業にしか着いていない現実を打破するための仕組み作りに邁進している。
ルルーシュ妃は庶民派であるが故に民からの覚えもよく、気さくで、何より、シュナイゼルと同格の天才だ。
ルルーシュ妃が第六皇子である自分を認め、こちらの陣営に付けばシュナイゼルとの権力闘争はトントンになるはずだった。
・・・むしろ、帝都純血派という自分の派閥をもってして、シュナイゼルを失脚させることができた筈だったのだ。

だがこれが最大のイレギュラーに見舞われる。

シュナイゼルと嫌々無理やり結婚させられたのだと思っていたルルーシュ妃が、本当にシュナイゼルを愛していたことだ。

次期皇帝たるシュナイゼルが妃に、と望んだということは、彼女は次期皇后陛下たる、と発表したも同然だ。
しかも、あのシュナイゼルをもってしても、『唯一無二』と言わしめる才女。

真実、彼女の才能は他の追随を許さない。
そして皇室独自の体質故に、どの男が皇帝に立ったとしても、彼女以上に皇后の資格があるものは居ないと断言できた。

血族婚を繰り返すブリタニア帝国にとっては、彼女の体に流れる血は最高であり、最低であるからだ。

帝位は魅力的だが、血が近し過ぎることは様々なリスクを孕む。
高位貴族の殆どが皇女の降嫁先であり、もちろん母の実家も、母の母、つまり私の祖母が第三十三皇女という正当な家だ。
後宮にいる皇妃の母親や祖母が皇女なんていうことは良くあることで、直接皇帝とは関わりがなくとも高位貴族は皆親戚となる。血はとても親密だ。

しかし、ルルーシュ妃は違う。

平民出の妃から生まれた彼女は、皇帝の娘でありながら、この皇宮の誰よりもその血は薄いのだ。
しかも彼女自身は幼少の身から皇后の素質有りと今や亡くなった先代の皇太后様からもお墨付きをもらっている。
リスクを減らし、皇帝という地位を望むならまずは彼女を落とすことだと兄弟たちは彼女との接点を待ち望むようになった。


誰の目にも鮮烈に映ったであろう、あの結婚式でそれが顕著になった。


閃光のマリアンヌ、彼女の母親がその美しさから皇帝の目に止まり、寵愛を受けたことをこの時に皆思い出した筈だ。

あのときの彼女は、女神かと思うほど美しかった。

柔らかな髪の毛も、優雅な仕草も焦がれて止まないそれだ。
私には彼女に会う権力があり、彼女もそれに応じてくれて何ヵ月か共に生活したが、彼女が居た毎日はかけがえのない時間だった。

優しい言葉を掛けられたくて鎖で繋いでしまったが、素直にならない彼女が悪いのであって、自分に一言お願いしてくれればすぐに取外す予定だった。
彼女は頑なに喋らず、瞳が次第にガラスのように無機質になるのを見ていられなかった。

それが、あの空飛ぶ船を見たとたん、輝いたのが信じられなかった。

シュナイゼルが恋しいのかと、頭から冷や水を浴びせられたのだ。
自分は愛されるものだと思っていたのにあの女は・・・!


愛する女が愛したシュナイゼルが憎い。
何もかも持っているシュナイゼルが憎い。

口角を上げて嗤いながら母を断罪したシュナイゼルは何が可笑しいのか嗤いながら更に口を開いた。

「お前が何を考えているのか、手に取るようにわかるよ。ジェイル。」

穏やかに笑うシュナイゼルの後ろで補佐官が首を横に振るのが視界に入る。睨みつけると溜息を吐かれた。

「ルルーシュが自分を選べば、私なんてすぐに追い落とせると思ったね?
それから、当たり前の様に彼女がお前を愛するとも。
あぁ、これもかな?
私が私の宮を作ったこともだ。
私が憎いか?これに関しては言われ慣れているからどう思ってくれてもいいが、私は全てを手にした訳ではないよ。

はっきりと言おう。
お前は大きな勘違いをしている。

私が彼女を見初めて妃にしたのではなく、私は彼女に請うて妃になってもらったのだ。
彼女が私の隣を拒めば私は帝位を望もうとはしなかったよ。これは本当だ。
何故ならばルルーシュはルルーシュの力のみで皇帝になることが出来るからだ。彼女が皇帝になればいい。
皆諸手を挙げて従うだろう。

その力の揮い方は私などより格段に上であるし、思いもよらない発想で難題をひっくり返す事だってできる。

なのに何故彼女が皇帝にならないかと言えば、皇帝になれば自由を制限されるからに他ならない。

彼女は自身の力を自由に揮えるように、皇帝などという重苦しいだけの地位を必要としないのだ。
ルルーシュは、治世の安定と民への愛だけで生きていける。
そういう女だ。
一度彼女に出会ってしまえば民だろうが権力者だろうが彼女を支えたいという輩は掃いて捨てるほど出てくるだろう。
権力や金はあれば便利だが、それは彼女が真に必要としているものではなく、持っていれば便利なある種の道具にしか過ぎない。

彼女が真に必要としているのは、人々の願いや、天望、努力する姿勢だからだ。

だからどんなに予算がなくても、出鱈目な計画でも、彼女が本気になれば予算問題は解消され、出鱈目を修正して成功という名の結果がついてくる。
『思いの力だけで私は地面に立っている』『私は人々に生かされているのだ』とは彼女の言だ。

そんな彼女に感化されて高い皇位継承権を持つ兄弟は身の振り方を考え、皆私に帝位を擦り付けてくる。

オデュッセウス兄上は私に帝位に就いてくれと泣きながら頼み込んできた。自身は『農地改革と、畜産が生きる喜びなんだ』と宣い、私の息子のエルモアと結託して小麦の改良を生き生きとされている。
息子の手前ダメとは言えなかった私はコーネリアに帝位を擦り付けたかったが、これも失敗した。
コーネリアには『兄上が治めるブリタニア帝国で、軍の統括を頑張ります。私を頼ってください』と真摯に宣誓されてしまって。
頼みの綱のギネヴィア姉上からは『帝位に着くよりしたいことをさせろ』と言われて逆に帝位を押し付けられた。
そのしたい事、がルルーシュが推し進める女性の地位向上に関わる養蚕事業と服飾などの職業斡旋なのだから断れなかった。

ルルーシュに、君が女帝になればいいと話したら『何故?』と笑顔で言われ。
さぁて、こんな誰からも拒絶される椅子に座らされそうな私は大変な貧乏くじだと彼女の前で愚痴を言ったら、『仕方がないから手伝ってあげます』と可愛いことを言われたので好きにしたのだがね?
皇帝になればこんな良いことがあるのだなと、それだけは嬉しかったのだけれど。・・・それはいいとして。

だから私は彼女が手伝ってくれる手前、絶対に手が抜けなくなってしまった。
彼女の思惑に外れないだけの知識を習得し、知恵絞って政務にあたらなければいけなくなったし、帝国やエリアを含めた文化や、民の在り方を学び直さなければならなくなった。
各地域での農産物などの産業はオデュッセウス兄上に丸投げして報告をさせたが、しかしこれが中々に難しい。

私が考えていることなど、彼女が考えていることに比べたら3割もいかないだろうと痛感したよ。
優先順位を決め、彼女と応酬しながら摂る政務は、まるでチェスのように高揚する。
勝てば褒美があり、民は安全快楽な暮らしを手にでき、貴族は豊かな民からの報酬を受け取ることができる。

絶対に負けられない戦いだ。
彼女の望む基盤を整えることも楽しくて仕方がない。
皆が私を『皇帝に』と推すのは結局私自身が人を使うことに長けているからだと彼女は言ったよ。
そして彼女は人を使うことを、『できない』と言った。
自分で動いた方が早いし、私の速さに周りもついてこないだろうと。

彼女は帝国の守護者、閃光のマリアンヌの娘だ。彼女の本質は戦うことも、自身を楯にすることも厭わない。
その精神はとても苛烈で、行動的で、とても自由だ。
同じテーブルにつき、政務の話をすると楽しくてたまらなくなる。
かと思えば、民の生活に際した話では、冷や汗が止まらなくなるほど怖くもある。
その言葉はエリアも含め、ブリタニアに住まう多くの民の現状の言葉と同等の重みを持つだろう。

民に関しては『出来なかった、仕方なかった』という言い訳を、彼女は決して許さない。

思考を手離さず、何が解決策か考えて行動する。もちろん、無能では決してない。
私とて道を誤り、これを省みなければ彼女は見放すだろう。大人しく私の腕の中に居てくれるような人ではないのだ。

そんなルルーシュが私の腕の中に居てくれるのは、私の思いに彼女が折れてくれたからだと思ってる。これはとても幸運だった。

余りに不人気なこの皇帝という椅子だが、おいそれと馬鹿に座らせることは出来ない。私たち皇族には多くの民の命が委ねられているのだからね。
血筋や血統など、皇帝の椅子に座るための最低限の資格ではあるが、どんなに血が濃くともなんの功績にもなりはしない。

血筋を尊ぶことは結構なことだが、その血筋で何を成し得たかが重要だ。
現陛下の弱きを挫き強国たれという思想もあるが、強くあるために必要なのは何なのかをルルーシュと過ごすと考え方が変わる。
現陛下のように、他国を圧倒するのも強さであり、それによって不幸になった国も幸福になった国もある。
陛下は貪欲に帝国の属国を増やし、要らぬ恨みを買っているがそれもあながち間違いというわけでもないのだ。
特に、属国になる前から内乱が続いている国では、その国にいた施政者たちに私は恨まれているが、エリアの民となった人民からはとても喜ばれたよ。
銃声のしない夜がこんなに嬉しいなんて、とね。
正義とは勝者にとっての味付け次第で如何様にも変化するのは、多くのエリアを束ねてきて実感している。
民にとっての正義は明日が脅かされず、好きな宗教を信じ、対立宗派に無関心を貫き、思い描く仕事に就き、大儀であっても人を殺さずに、愛する者と笑顔で共に食卓を囲い、未来を容易に想像できる毎日だ。
これを実践していくことこそがブリタニアを一つの強国へするための近道だと感じている。

ルルーシュと歩み出してからは、そのエリアの人民にとっての最善とブリタニア帝国の属国としての最善を考えて折り合いをつけるようにしている。
お前は知らないが、ジェイル。
ルルーシュはお前の能力を大層買っていたのだよ。
だからエリア11の総督に私がルルーシュの口利きでお前を推薦した。
あの『経済特区日本』が無く、お前がルルーシュに要らぬ恋心など抱かず、これまで通り責務を全うしていれば、お前はルルーシュにとって弟という役割のまま未来永劫
彼女の近くにいることができたのに。
本当に残念だよ。
帝都純血派だか何だか知らないが、その血筋だけで中華連邦で生き残れることを祈っておく。
血筋と歴史で解決できるなら、没落などしないのだからね。」

ため息を吐かれながら言われた言葉に少なからずショックを受ける自分に吐き気がした。

「・・・彼女は俺を買っていた・・・?」

思わず呟いた言葉にシュナイゼルは頷く。

「ああ。アレで弟妹の類には本当に彼女は弱いんだ。お前がルルーシュを強引な手口で誘拐などせずに私に話を通し、総督府まで招待したのなら、彼女はエリア11のことはとても気にかけていたから、いい相談相手になったであろうに。
まぁ、お前が彼女の後見人であるアッシュフォードを付け回し、ユーフェミアに撃たれて重傷の彼女の周りを嗅ぎまわっていた時点で私は彼女に会わせるつもりはなかったがね。」

あれさえしなければ、彼女の弟として身柄を委ねてくれたのか。
・・・でも。



「あのように綺麗な人を諦めきれるわけがない・・・!」



シュナイゼルに触れられるたびに頬が赤くになるなんて自分の時にはなかった反応だ。自分は声すらあまり聞いたことがない。毎日の挨拶さえ返さずに。

こちらを、見ようともせず。

「本当に、残念だ。」

シュナイゼルの近くにいた騎士から引き立てられる。視界が水でよく見えない。母は既に退場した後だった。
手首を縛られた自分に、私の騎士であるイオリアが「私も共にまいります。私は殿下の騎士です!」と名乗りを上げたことに安堵してしまう。
シュナイゼルは静かに「許そう」とだけ答えた。

「中華連邦にジェイルと共に行きたいなら許可する。お前の住む宮“ドリュアス宮”は今日を以て閉宮とする。中華連邦への出発は明日だ。他にジェイルに付き従いたい者がいれば止めはしないが、中華連邦へ行っても帝国からの支援は最低限だと心得るように。・・・ジェイル、お前が帝国皇族の責務を果たすことを祈っているよ。」


それがシュナイゼルの温情なのだと嫌でも解ってしまう。だがこれさえ、ルルーシュ妃に嫌われないための手段なら笑えない。

屈強な騎士に引きずられながら、明日からの自分は誰の頼れる者のいない中、自分を慕う者たちを守らなければいけないのだと震撼した。

重い扉の閉まる音は、自分の皇族としての未来が閉じた音なのだろう。
「私がきっと殿下をお守りします」
手を握り励ます自分の騎士がとても頼もしくて、子どもの頃以来初めて大泣きしたのだった。

不安でたまらない私の肩をぐっと抱くイオリアが騎士でよかった。

「・・・イオリア、すまない。」

イオリアは泣きそうな顔で「当然の事です。」と笑ったのだった。


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