アネモネ 第四章

情に厚いお方なんだな、と騎士と自分しかいない長い廊下を歩く。
あの後、ホッとしたように話すルルーシュ殿下に、断られることも覚悟していたことを聞いたとき、傲慢な皇族とはそもそも考え方からして違うのだなと感じた。
自身が権力者に虐げられてきたから、きっと皇女は、虐げられている人の気持ちが痛いほど理解できるのだ。
だから同じ境遇の女性を、1人でも救いだしたいとお考えなのだ。
笑顔と一緒に出てきた紅茶と、皇女自ら作ったとお話されていたチーズケーキは絶品で、あまりに美味しいと連呼してしまったら、『家族で食べてほしい』とお土産に持たされた時は本当に飛び上がった。
今までの上位皇族には献上はしても、お土産を頂いたことなんてないのだから。
今日お話しただけで参ってしまった。これがシュナイゼル殿下の妃で、もし彼が皇帝位につけば、皇后陛下になられる方だ。
本当に、帝国の未来は明るい。
『身勝手な権力者はブリタニアの政治にいらない、民を大切にしてこその帝国である』痺れた。
事務所に帰ったらすぐにファンクラブを作って、妻と娘と母に話さなくては。
あんな、理想的な方が皇后陛下になったら、どんな風に帝国は変わるのだろう。


「少し、お聞きしてもいいでしょうか」
前を歩いている騎士は、振り返って「なんです?」と答えた。赤い髪が魅力的な女性だ。
「ルルーシュ様は、いつもあのような感じなんでしょうか?」
「あのような、とは?」
「帝国の全土を見渡せるような視野は素晴らしいと思いました。
家庭的で、身分差を気にされることなく、お優しくて。
本当に、あの、エリアに残された、帝国が放置した皇女様なのでしょうか?それとも、以前からあのように気さくでいらっしゃるのですか?」

自分の問いかけに騎士は苦笑した。

「私たちはあの方の視野が異常に広いことを前提として皇族方の護衛任務に就きますが、他の殿下方は申し訳ないですが、あまり物を知らないのだなという印象です。ルルーシュ殿下と、シュナイゼル殿下が特別なのです。
あの方は間違いなく、帝国の第三皇女、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下でいらっしゃいますよ。
身分差を気にされないのは、エリア11で過ごされ、色々な方々と触れあう機会があったからだと聞いています。
家庭的なのは、少女時代を皇女としてではなく、平民として生き、アッシュフォード家に保護されるまではご自分で生活されていたようですので、生きていくために料理や裁縫を覚えたと話されていました。
母国に棄てられて、妹様を亡くされ、その身に暴力を受けてもお優しいのは、お母様であるマリアンヌ妃から身分関係なく優しくありなさい、と言われて育てられたからです。
ルルーシュ殿下は平民出の妃であるマリアンヌ妃のお子様であることを誇りに思っておいでです。
民を蔑ろにすることは母を蔑ろにすることと同意ですので、ルルーシュ殿下が平民を虐げることはありえません。むしろ、戦争や、暴力に震える、自分のような境遇の子どもが1人でも少なくなることを願って行動されています。
貴方は今日ルルーシュ殿下が着ている服の産地を聞かれていましたが、ルルーシュ殿下は産地を選んでから衣服を発注します。
今一番帝国での生産が低いところから買い付けをするんです。
つまり、財政基盤が少ない中小企業や自営業から、ですね。
そうして、帝室御用達の称号を送り付けるのですよ。相手方はびっくりして、私ども側近に『何かの間違いでは』と恐る恐る聞くまでがセットになっています。可愛らしい方なのですが、民が可哀想になるときもあります。」
「とても素晴らしい方ですね!あんな皇女様がいたなんて…!ブリタニアは本当に先が明るい!あの方がシュナイゼル殿下の奥様ということが嬉しいです。やはり、民を思って下さる方が帝位に着かれることが我々民草の願いですから。」
「やはりとは?」
「首元で揺れていた不揃いのパールのネックレスと、イヤリング。あれはきっとエリア11産ではないかと思って見ていました。今、かのエリアの話は結構タブーになっていますが、あのゆらめく美しさはエリア11が産地でしょう?」
「え、ええ。」
「服飾は私が大好きな分野でして、いま経済特区日本が解かれたエリア11は、これといった産業ができないことを知っています。
でも3ヶ月前に、運輸業の会社が名乗りを上げて真珠生産を始めたと耳にしましてね。
きっとそうなのではないかと・・・!
なんとも、なんとも慈悲深い。
一度は生産が止まったエリア11の真珠産業を、何社かが細々と続けているということをだいぶ前に聞いたことがあったんです。
エリア11の産業を帝国議会が許さなかった為に取引先が無いからと、養殖のアコヤ貝を海に沈めたままにしているというので、残念に思っていたんです。
運輸業者がブリタニアの名で売り出せば買い手がつきます。
真珠産業が軌道に乗ったら、他の産業にも注目が集まる・・・!あのエリアは元来工芸品や布、お菓子などの生産にかけては世界一の水準でしたから、産業の許しさえ帝国から出ればまた美しい品物が見れると思っていたんですよ。
なぜ今になって真珠産業に働きかけているのか気になりましたが、今日殿下のお人柄を見て確信いたしました。
あの方は、ジェイル殿下とユーフェミアがめちゃくちゃにしたエリア11の産業を、帝室御用達にして箔をつけるおつもりなのだなと。いやぁ、あのエリア11の真珠がまた見ることができるなんて!嬉しい限りですよ。」
驚いた様子の騎士は目を大きく開いた。
「エリア11の工芸に詳しいのですか?」
首を傾げた騎士の言葉に、昔、帝都のドレステイラーにいたときのことを思い出した。
冬の寒いクリスマスに、姉と肩を並べて石段に座り込んだ時の事だ。
父親を戦争で亡くして、母親が昼夜問わず仕事に出ていたが、その月の始めに患った病気が肺炎になり、帰らぬ人になったばかりだった。
姉も私も成人していなかったので、借りていたアパートから追い出されて、着の身着のままでクリスマスのイルミネーションと花火を見てから、楽しい気持ちのままママの所にいこうね、と話していた時だった。
声をかけてくれた女性は、日本人で、そのとき帝国一のドレステイラーと言われていた。
拾われてから姉と二人で彼女の元に住み着き、色々と手伝った。
1人でデザインと、パターンをこなせて、刺繍を徹夜で完成させては笑っているような、そんな明るい人だった。
オートクチュールにかけては天才的な手腕を持っていて・・・懐かしく、戻らない、美しい日々。
成人するまでの10年間お世話になったのに、私が就職した初任給を持って今までのお金を返したいと言ったら、『困ってる、子どもからお金を巻き上げたりしないわ。でも、もしお礼がしたいなら、ちょくちょく顔を見せてよ。寂しいじゃない』と笑っていた。
それでも彼女も日本戦線の折りに日本人への圧力が強まると帝都のドレステイラーから居なくなってしまった。
久しぶりに寄ると店の中がガラッと変わってしまっていたのだ。
彼女のブランドはどこから来たのか変な男が切り盛りしている。
あんな生地も技術も貧相な物は彼女のドレスではないのに、ブランド名だけそのままの、詐欺のような店だ。
美しさを理解しない男が作る店は、年嵩の貴族に持て囃されている。店主が色目を使って女性に購入させているのだ。
黙った私に騎士が声をかける。

「ああ、申し訳ない。少しだけ郷愁にかられてしまって・・・。
私が詳しいのはエリア11の服飾だけです。
子どものころ、とても憧れていたのですよ。昔、帝都のドレステイラーで姉と一緒に働いていました。
といっても、子どもだったのでお手伝いの域なんですが。
姉も私も孤児だったので、住み込みで下働きさせてくれた店主には今も感謝しています。
その時に見た日本産の絹がもう本当に忘れられなくて・・・!
今でも夢に見るほどです。
単なる白地と思って手に取ったときの驚き。
薄く軽いのに透けておらず、刺繍ではない模様が生地に浮かび上がり、夏は涼しく、冬は暖かく、その白がミルクのように柔らかくとても艶やかで。
店主も『一度は見たかった一品が手に入ったから後学の為にお針子に見せようと思ったのよ』と従業員を集めたほど美しい布でした。
その当時の高位の皇妃様から受けた注文の品だったそうで、皇妃様の愛娘の為のウェディングドレスだったのです。
あの素晴らしい布地がドレスに仕立てられていくのを、姉と二人で溜め息をつきながらうっとりと見とれました。

そのドレスには、とろっとした光を弾く日本産の真珠のネックレスが誂えられました。
耳飾りも存在感のある大きな真珠が一粒だけの、ただそれだけのドレスとお飾りでしたが、素晴らしい出来映えてしたよ。
一見シンプルに見えるのに、皇女様の内面の美しさがにじみ出るようなデザインでした。
頭につけるコサージュにも真珠が使われました。店主が真珠とドレスの共布を使って大きなコサージュを作るときは、姉と競って小さな真珠を店主に渡しました。
懐かしい、とてもいい思い出です。

その皇女様が病に倒れて亡くなってしまい、婚礼のパレードは無くなりました。もちろん、結婚式も。
あのドレスを公式の式典で見ることが出来なかったのが残念でした。
皇女様が自ら工房に来てフィッティングしてくださったので、皇女様の人となりは知っています。
亡くなったのをお聞きして、信じられない気持ちでした。
とても悲しかった。
ご存命であれば、皇女様の水色の髪と瞳が艶やかな白に映えて美しく、誰よりも高貴な彼女の魅力に、ご夫君を筆頭に皆が溜め息をついたことでしょう。
とても喜ばしい特別な日になったに違いありません。
あの芸術品のような生地を近くで見ることができて大変幸せな時間でした。

・・・長々と話してしまいました。失礼を。エリア11の真珠なら、今後も取引があると思います。一言書面に乗せても?」

騎士の方は一瞬だけぐっと目を閉じて、直ぐに朗らかに笑い、頷いた。
「・・・。ありがとうございます。後ほど確認いたします。」
サミュエルは安堵から笑った。
良かった、気分を害した訳ではなさそうだ。
「ぜひ宣伝させてください。今、あの真珠が売れることこそ、ユーフェミアやジェイル殿下に虐げられたエリア11の方々の復興への道筋となるのですから!ぜひ!」



ルルーシュの、恐ろしいところ。
多方面に考えがポンポン飛ぶところ。身内であっても本当に恐ろしい。
私に黙っていたのは、日本の産業が軌道に乗るまで内緒にしておきたかったからだろうなと脱力する。
帝都純血派を吊し上げながら、マリアンヌ妃暗殺の黒幕を排除する傍らでクリスティーナ様を保護してその足でエリア復興の道筋を立てる。
ちょっと、有能過ぎやしませんか?
しかも聞くところによると朝昼晩の食事をエルモア殿下と食べるために自炊して、時間を捻出しているそう。
流石はゼロ。
学生生活と株式とカジノとテロリスト生活を掛け持ちしていただけのことはある。
シュナイゼル殿下の戴冠式の用意も内々に進めている最中だ。
皇帝宮からその内示があったのはつい最近だった。
カレンは日本の素晴らしさを説くサミュエルに、嬉しさから頬が熱くなるのを感じながら、シュナイゼルの後宮『Elysion』の廊下を、まだおしゃべりが尽きないサミュエルに付き添いながらゆっくりと歩いたのだった。







ブリタニアTIMESから、シモーネ領の記事が取り上げられると、新聞各社はクリスティーナ・フォン・ヴァルトシュテイン辺境伯令嬢の記事を大きく報道した。

彼女のこれまでの半生が語られ、痩せた現在の写真が一面に載ると、今までアミナ・クインティを、クリスティーナ公爵夫人その人だと思っていた下位の貴族から多くの声が上がった。
多くが、これは『フリューゲル公爵夫人ではない』という問い合わせだった。
しかし彼女の半生と、民と領地を気遣う記事を読んだフリューゲル公爵領に隣接する伯爵領の主が、クリスティーナの直筆のサインの複写から、筆跡が間違いなくクリスティーナ・フォン・ヴァルトシュテインであると証言したのだ。自分と領地のことで書簡のやり取りをしていた夫人はこの人であると。
逆立ちしてもフリューゲル公爵家に味方なんて絶対しないキャディリッシュ伯爵が名乗り出たことで、あっさり、社交界を恐怖に陥れていた今までの『フリューゲル公爵夫人』は偽物だと声があがったのだった。
更にシモーネ領は度重なる小麦の高騰の件で皇帝から呼び出され、シモーネ領主と議会から依頼を受けて宰相府が調査した結果が、クリスティーナの20年を犠牲にした、フリューゲル公爵家の謀叛だったと知った民の反応は凄まじかった。

フリューゲル公爵家の名前は地に落ち、いかに悪魔のような貴族だったのかを全国民が知るところとなったのだ。

宰相府での調べでは、フリューゲル公爵家は、辺境伯ジョシュア・フォン・ヴァルトシュテインに根も葉もない言い掛かりをつけてその地位を脅かし、花嫁という名の生け贄を差し出させた。
辺境伯は最も愛した夫人の忘れ形見である一人娘のクリスティーナ嬢をフリューゲル公爵家へ送り出さざるをえなかったのだ。
この時に指示された法外な持参金が支払えずに、ヴァルトシュテイン伯爵は敵に等しい公爵へ送り出す娘の安寧の為に、シモーネ領でとれる小麦の売買権利60%の売上を約束した。
その契約は、彼女が公爵家で何不自由ない生活を送り、亡くなるまでと決めていた。

公爵はこの有り余る持参金を持って嫁いだヴァルトシュテイン伯爵令嬢クリスティーナ・フォン・ヴァルトシュテインを、結婚式も挙げずに婚姻の調印だけ玄関で済ませた後、フリューゲル公爵家の敷地の中でも下級使用人も住まないような小屋に押しやり、彼女から奪った権利を使って小麦をシモーネ領から押収。

これを帝国の預かり知らぬ所で他国やエリアへ高額で売り付け、帝国内での食料危機を招こうとしたのだ。
危機に陥れば、隣国が攻め入り、皇帝へ嫁した妹、第六皇妃が皇帝を暗殺。
その後自分が帝国皇帝の椅子へ座る手筈だったと裏付けがとれている。
もし計画が実行できなくても、小麦高騰の矛先はフリューゲル公爵家ではなくシモーネ領へ工作済みだった。

小麦粉を法外な値段で取引していたので、謀叛への活動資金は潤沢にあったが、欲をかいた公爵は、更に私腹を肥やす為にシモーネ領の稀少なサファイアに目をつけた。
このサファイアの原石を採掘させ、低価格で買い取り、フリューゲル公爵領の宝石商を介し大変な高額で貴族へ売り付け、シモーネ領にはそのデザインやカット料金を宝石商より請求させたのだ。

これにより公爵家は更に潤い、シモーネ領は永遠に売上がない宝石の採掘を強いられるようになった。
ヴァルトシュテイン辺境伯は、宝石の原石を売れば売るほど負債額が上がる泥沼に嵌められたのだ。
娘の命と、小麦の売買権利さえ買い叩かれて苦しい領内の経済発展の為にと始めた宝石事業は、罠だったのだ。
宝石のカットとデザイン料金を支払う為に、原石を売る。
すると売った原石にカットとデザイン料金が派生する。これを原石を売って賄う、この宝石にカットとデザイン料金がつくという、悪魔のようなルーティンだ。途中どこかで紙幣による買い取りは出来ない滅茶苦茶な契約だった。
しかもこの契約には終わりがない。
何故なら、終わらないように作っているのだから。

このような事が明るみに出たのは、公爵家で安寧どころか不遇すぎる扱いをされていたクリスティーナ公爵夫人の手腕だった。
公爵夫人が徒歩で、一人のお供もつけずに痩せた体に鞭打ち、裁判所や軍部、皇宮へまわって情報が書かれた手紙を投函してまわったからだった。
その手紙さえ何かの書簡の書き損じの裏に書かれていて、涙で滲んだ文字の主を、宰相府と帝国議会はずっと探していたのだった。


再三に渡って行われる裁判に、クリスティーナ・フォン・ヴァルトシュテイン辺境伯令嬢は呼び出されて多くを語った。
少しの間も立っていられない程、遠目から見ても痩せて衰弱した彼女に、裁判所では異例であるが、証言台が低く設置され、椅子が設けられた。
彼女の裁判は傍聴席が満員になるほど混雑した。
デビュタント以来一度も公では見ることの出来なかったフリューゲル元公爵夫人は、所作が大変美しく輝くような銀髪で、その深紅の瞳はヴァルトシュテインに昔降嫁した皇女の血を濃く引いた証だった。
だがそれに反し、貴族女性ではありえない程短く切られた髪の毛と、痩せ細った今にも折れそうな体、手袋越しにもわかるゴツゴツとした指先が彼女の生きた過酷な20年を物語るには十分だった。



*****

さて、どうしたものか。

貴賓席で椅子に深く腰かけたシュナイゼルは、裁判が行われている証言台でギャアギャアと喚く男を見下ろした。
帝国は裁判制度を取り入れてはいるが、貴族の犯した犯罪については高位皇族が見極めることになっている。
裁判長を見下ろす位置に置かれた貴賓席は、喚く男の表情がはっきりと見えた。


事の発端であるジェイル・ディ・ブリタニア第六皇子擁する帝都純血派による宰相妃の誘拐から、第六皇妃の謀反における廃妃、ユーフェミアの皇室除籍と皇位継承権の剥奪、ここに来てからは経済特区日本の破綻が物議を醸し、人権問題にまで波及している。
更に明らかになったのは第六皇妃の実家であるフリューゲル公爵の皇帝への謀反だ。
言い掛かりをつけて婚姻したヴァルトシュテインの令嬢、クリスティーナの持参金であった小麦の売上を全て接収し、賄賂や、愛人の遊行費に使っている。
更にシモーネ辺境伯領へ事業を持ち掛けて失敗させ、その事業の穴埋めの代わりとして過度な政治干渉を行っている。
一番の論点は、売上げ金よりも遥かに収穫があった筈の、かの地から吸い上げられた大量の小麦の行方だった。
収穫した量と、売った量に大きな差があるのだ。
宰相府の調べで、シモーネ辺境伯領から接収した小麦の行方を辿れば、辺境という地を利用し、中華連邦へと運輸業者が運んで居たことがわかった。
運輸業者もならず者の集まりで、密輸品と一緒に大量の小麦をトラックに積んでいたのだ。
しかも、国境に控える兵士は全て買収されており、荷物の確認をせずに中華連邦へ送り出している。運輸業者も、国境の兵士も一斉に摘発し、彼らも罪に問われてている。
フリューゲル公爵家は、手紙で中華連邦の上層部と密約を交わしていたことも解ってきた。
しかしまだ未然に防げたそれらよりも、過去に起きたテロリストへの援助の方が取り返しがつかないことを、証言台に上がる愚か者達は分かっているのだろうか。
彼らが画策した密約や小麦の行方より、シュナイゼルには許しがたい犯罪を彼らは犯していることを。
その点に於いては、帝都純血派も、フリューゲル公爵家の馬鹿な連中も生かしては置けない。何故ならば。

「第二皇妃を筆頭とする帝都純血派は第六皇妃とフリューゲル公爵家と手を組み、テロリストをアリエス宮に引き入れ、マリアンヌ様を弑した後、母親が殺されたばかりの幼い皇女二人を勝手に日本へ留学させ、日本に着いたと同時に皇女殺しだと日本を非難し開戦した事実。
皇女が求めた帝国への帰還のための手段を汚い賄賂で断ち、ナナリーを死なせた罪。生き残ったルルーシュを死んだものとした罪。馬鹿な我が母も関与しているが、この一連の件は本当に許し難いね。」

貴賓席の豪奢な椅子のひじ掛けをトントントンと指先で叩く無機質な目をした宰相の呟きに、周囲は震え上がった。
近くの官僚や裁判員、侍従は彼の忍耐がいつ切れるのか、背中に大汗をかきながら様子を確認している。
割といつもにこやかな宰相は、ここに来てから不機嫌を隠そうともしない。
こんな場面に慣れに慣れたシュナイゼルの赤髪の騎士は『またやってる』と内心でため息を吐いた。
周囲のことはお構い無しに、シュナイゼルは喚く男・・・ジェイルから視線を右側に座る貴人に移した。


「君が私の隣に居なかったら私も愚か者になっていたかもしれないね。ルルーシュ。君が生きていてくれて本当に嬉しいよ。」


左隣に用意されている2つ目の貴賓席には、美しく着飾った宰相妃が座っている。
スレンダーラインのドレスはグレーに近い青色で、落ち着いた雰囲気は彼女にとても似合っていた。
所々にアクセントとしてある銀糸の刺繍は繊細で、スカートは柔らかそうなシフォン生地だ。肩から手の甲までは同色のレースが覆い、なんとも艶かしい。
レース越しに見える陶器のような白い肌が映えるドレスだった。
髪の毛を飾るコサージュも同じ布とレースを使っている。シンプルな真珠のネックレスだけの飾りはそれでも暗めの青に華やかさを添えていた。
首もとを覆うレースだが、短い髪の毛を編み込んだ為に、彼女が俯くと項がチラチラと見える。
その妖しい美しさにシュナイゼルは口角を上げた。
彼は隣の席に座る妻の横顔を溶けた視線で見つめた後、頬から耳へ流れるような手つきで後れ毛を優しく撫でたのだった。

第六皇子の言葉をまるで聞いていないこの動作に、ルルーシュはため息をついた。
今は裁判の途中だろう、との意味を込めてその手をやんわりと止める。

「いいえ、貴方は愚かにはならないでしょう。私がいなかったらそれなりの妃を娶ったでしょうから。」

ツレナイ反応にも、嫉妬が見え隠れしていることにシュナイゼルはほくそ笑んだ。

「ルルーシュだから欲しいのに。他の女性なんて要らないよ。知っているだろう?
君がもし、死んでいると確信する出来事があれば、私はこの席にはいない。
無いとは思うが、君がジェイルのものだったら私はね、ルージュ。君の足の腱を切って監禁していたかもしれない。そうならなくてよかった。」

その一言を聞いて動揺した憐れな文官が、落としてしまったペンを慌てて拾う。

「そんな“もしも”は無いでしょうに。」

でしょうね、とカレンは心の底からルルーシュに同意した。
自分が知る限りではあるが、あのお膳立てされなければ何も出来ない第六皇子が、日本に遣られて死んだとされるルルーシュを探そうなんて思わなかっただろう。
更に、殊の外狭量なこの男が、ルルーシュの瞳に他の男が映るのを、みすみすそのままにしておく筈がない。
相手が無事なら御の字だ。最悪、墓石に名を連ねることになるだろう。
くわばらくわばら。

シュナイゼルは満足げに笑うと、自身の左手の手袋を外し、その手袋を膝の上に置いた。
途端に周囲に緊張感が走る。
裁判員が振り返ってシュナイゼルの膝の上の手袋を注視した。
ジェイルは蒼白な顔でシュナイゼルを見上げる。
裁判長も蒼白な顔で、その白い手袋がいつジェイルに投げられるか気が気ではない。
裁判は一時的にストップさせられている。
自分に注目が集まっていることもお構い無しに、シュナイゼルはルルーシュを砂糖が溶けたような熱を孕んだ瞳で見つめた後、口を開いた。

「愛しているよ、ルルーシュ。」

溶けるような眼差しでルルーシュへの愛を公言した男の暴走はこれで終わらない。
カレンは頭を抱え、カノン・・・宰相補佐官は目を覆ったあとに天井を仰いだ。
シュナイゼルは唐突な愛の言葉にパニックになって何も返せないルルーシュの耳を素手でなぞり、体を椅子から乗り出してそこへ唇を寄せた。

「他の男を見つめる妻には今夜、仕置きが必要だね。」

肘置きを掴んでいた手を取られて口づけられニヤリと艶然と笑うシュナイゼルに、ルルーシュは思わず顔を覆った。

頬が熱くなるのを禁じ得ない。

最近はお喋りが出来なくなったエルモアと二人で眠ることが多かったので、夜のそういったことをシュナイゼルが仄めかしたことは無かった。
なぜ今で、この場所なのだ、と思った処で、自分とは全く違う次元を見ることの出来る夫を出し抜ける要素はない。
原因はきっとジェイルから押収された資料だな。
と、ルルーシュは内心で悪態をついた。
先ほどとはなりを潜めたが、証言台でギャアギャア言う男の妄言を信じる程シュナイゼルは馬鹿ではない。
だからといってその妄言を聞かされる自分たちは気分の良いものでもない。
奴に監禁されていた時に、盗撮されていたこともシュナイゼルは憤慨していたからだ。
自分の写真を良いように撮られていたと聞いたときは、余りの気持ち悪さに、吐き気がした。
だから今日、ストーカー男に引導を渡してやると息巻いたのが裁判が決まる前のことだったのだ。

裁判が始まり、母の事件や、日本開戦でのナナリーを喪ったことは到底許せはしないし、やり返してやる気も満々だが、出てくる真相の数に驚いた。

当時、陛下率いる後宮を牛耳っていた“高貴な生まれ”の皇妃二人が関与していたのであれば、今自分が生きていることは本当に奇跡に近い。

シュナイゼルの母である第二皇妃は、先代の皇帝の実姉を母に持つ。あの当時の権力は揺ぎ無く、皇后陛下より優遇されていた。
コーネリアとユーフェミアの母親の実家であるフリューゲル公爵家は、皇后陛下を幾度となく輩出してきた家系だ。
もちろん皇女が何人も降嫁し、公爵と婚姻している。
在りし日のアリエス宮が、こんな権力にしか興味ない女たちにぐちゃぐちゃにされてしまったことが許せない。
そして守れなかった自分自身も。
ジェイルから聞くお母様を弑した理由が「平民だから」と言われた時はあまりの悔しさに手に力が入った。
それなのに、その間違った皇妃を母に持つ私は違うのだと、至高の存在だと舌の根も乾かないうちに宣うのはどういう神経をしているのか。
固く握って白くなっているルルーシュの手を取り、シュナイゼルから口づけられるまで、自責の念に押しつぶされそうだったのに。
今は、赤くなった頬を誰にも見られたくない。

顔を可愛らしい動作で覆って丸まったルルーシュを見て、シュナイゼルは笑った。
シュナイゼルとしては、こんな男の目の前に愛する妻を晒すこと自体がいただけない。
更に裁判中、ジェイルの話を聞きながら、酷い言葉で貶められ続ける母親を思い、日本開戦で亡くなったナナリーをはじめとする沢山の人の事を悼んでいるルルーシュの胸中は痛いほど解る。
今日はジェイルの裁判に限られるので、盗撮のことが主に話されるかと思ったが、馬鹿なジェイルが帝都純血派のことや、アリエス宮の事件の真相をいきなり話し出したた為に、ルルーシュの退席を促せず酷い目に合わせている。
彼女の傷に塩を塗り込むより酷い事だ。
だから、ルルーシュに一人ではないことを自覚させるために一芝居打ったのだ。

牽制・・・も、多分に含まれてはいるが。

顔を赤くしたまま貴賓席で丸くなるルルーシュに、周りに座していた者達は宰相夫妻のやり取りに困惑の目を向けた。
もちろん、意図した通りの音量に調整されたシュナイゼルの声はしっかりと会場内に聞こえている。
カレンは胸の中で十字を切ったし、カノンは私は何を見せられているの?とぶちぶち言っている。
裁判は止まったままだ。

「殿下、私少し気分が悪いので下がらせて頂きます。」

沈黙と溶けた熱い視線に耐えきれなくなったルルーシュは、敵前逃亡を選択した。
シュナイゼルなりの優しさなのだと、わかっているが、やり口がいただけない。
赤い顔のまま早口に言ったルルーシュは、彼の正解を早々に引き当てたのだった。
「そうすると良いよ」と笑顔のシュナイゼルに周りがほっと息を漏らす。
「カレン、」
名前を呼ばれた騎士はルルーシュに付き従って貴賓席から立ち上がった。



スルスルスルと移動するドレスの音に正気に戻ったカノンは、これは酷くなるわねと一人ごちた。
今まではルルーシュ妃が居たのでまだジェイルの言い分も聞かれたが、手袋を外した段階でジェイルの言うことは『聞く気がない』『不興である』とおおっぴらに宣言したと同様だった。

「私、しーらない。」

呟いたカノンの言葉を拾ったシュナイゼルは先ほどの溶けた顔ではなく、策士の顔をしてニヤリと笑い、貴賓席の赤い椅子に深く腰かけた。


パタン、とドアが閉まったのを見ていたシュナイゼルは、大仰に椅子に座り直し、そして足を組んだ。
三権のうちの一つである司法の最高峰に座する男・・・帝国裁判所裁判長は、裁判が進行するのを喜べばいいのか悲しめばいいのかわからなかった。


もとより、皇帝が治めるこの帝国では司法の力は貴族が絡むと途端に弱くなる。

特に今回の様に自分より身分が上の、皇帝の血族に連なる人たちに関われば、法律などあって無いようなものだった。
派閥に阿り、賄賂で操られ、それはそれは神聖な天秤に幾度となく汚泥を仕込まれ続けられてきた。

抗おうにも味方だったはずの相手が買収や脅迫されると勝敗はひっくり返る。
改ざんされ、別の犯人を仕立て上げられ、そして善良な人間を鉄格子の部屋へ送りつけ、見て見ぬ振りをしながら罪に問われた被害者たちを、あの手この手で牢から逃がす日々。
教会や修道院と密かに手を組んで彼らを各方面へ送り、釈放金を教会や修道院へ支払うことで、牢獄から助けるという方法を編み出した。
もちろん、釈放金は釈放したときに彼らに持たせるのだ。
・・・もちろん本当に罪を犯した者には適応されない処置だが、これでかなりの冤罪者を権力者から逃がすことができた。
しかし中にはお金を払えない者や、釈放金を払ってくれる身内が居ない者、身内に罪を疑われて帰る場所を失った者がいた。
そんな彼らはそのまま修道院や教会で過ごすか、自ら死を選んでいった。
誰からも手を差し伸べられなかった者は、刑期が過ぎると打倒帝国を掲げ、復讐に生きる道を見出しその多くが絶望や失望、憎しみで命を散らした。
止める術は無かった。

そもそもの罪、その全てが冤罪だったのに。

あの頃の自分は何のために司法を目指したのかを自問自答する毎日だった。
罪に問われた被害者の大多数を占めるのが皇族の不敬罪だった。

曲がりなりにも司法に長く仕えているが、この罪がどのようにすれば罪となるのか、その線引きがいまだに解明できない。
メイドが主人の髪の毛を少し引っ張っただけで牢に入れられる。
雨の日だったから不快だった、だから一番最初に見た相手は不敬罪だとぬかした皇女もいた。
人を人だと思わぬ所行だ。
上級侍女に命令されて皇女を起こしに行かされた不幸な下女は、そんな不当な理由で牢へ繋がれ、そして自殺した。まだ14歳だったのに。
自分は何もできずに唇をかみしめ、拳を握ることしかできなかった。

今回もどうせそうなる。

兄であるシュナイゼル殿下が、年の近い弟であるジェイル殿下を庇いこそすれ、罪を詳らかにすることはないと思っている。

ふう、と息を吐いた音がここまで聞こえる。
裁判開始と同時に『不快』と珍しく表情に乗せたシュナイゼル殿下に、この裁判そのものが彼を不快にさせていると震撼した。

ユーフェミアの裁判では、彼女を庇護していたコーネリア殿下が我々に取り計らってくれて彼女をスムーズに修道院まで送る事ができたが、それはユーフェミアが皇帝の血を引いていなかったからできたことだ。
加えてユーフェミアの最大の被害者であるルルーシュ妃が厳罰を望まなかったことも大きかった。
当初は牢へ繋がれ、鞭打ち100回の後、第六皇妃と共に北の離宮へ行く事が決まっていた。
裁判所はユーフェミアに司法取引を申し出、彼女はこれに応じることで大きく減刑された。
拘束はされたが、鞭打ちは彼女が知っているフリューゲル公爵家の罪や、母である皇妃の罪を包み隠さず話すことを条件に回避された。
とはいえ、皇帝陛下の息女として育てられたユーフェミアが皇位継承権を剥奪されて市井に下ることはそれなりの罰と言えた。

彼女はコーネリア殿下の助言もあって、裁判では何もかもを話し、決して罪を否定しなかった。
皇帝陛下に恭順を示し、議会や裁判官に至るまで全ての関係者に深々と頭を下げたのだった。
参列していた裁判員も、彼女の態度を真摯に受け止めた。
裁判員達にとっては、あのルルーシュ妃の銃撃事件以外は比較的穏やかだったからだ。
ユーフェミアはある程度の期間の拘束をもって、その罪を許された。

裁判所に出頭したユーフェミアは、母親に振るわれた暴力で青く腫れた頬をそのままに、貴族女性としてあり得ないほど短く切られた髪の毛を気にする事なく、淡々と事実を話し、その姿は謝意に溢れていた。

結局は最後まで皇帝の息女を騙った事に対する罪を声高に叫んでいた元老院も、彼女には知り得ない生まれる前の出来事であり、そこは母親の責任だとして彼女への減刑を後押しした。

彼女は母親とは違う南方の修道院へ行くこととなった。
皇后陛下がよく訪問されるかの修道院は、シスターが優秀で、評判も大変よく、市井へ下る彼女が更正する場としては最適な場所と言える。
沙汰を聞いたときは、皇后陛下とルルーシュ妃、二人に感謝と謝罪を涙ながらに話していたことは記憶に新しい。

真逆だったのはユーフェミアの実家、多くの妃を排出したフリューゲル公爵家と、第六皇妃だ。
彼らは再三に及ぶ出頭命令を無視。
ラウンズナイツに引っ張って来られた裁判では一度とて罪を認めず、新たな被害者・・・この場合はヴァルトシュテイン辺境伯に罪を着せようとした。

しかしかの女傑、公爵家が辺境伯から無理矢理奪った娘、クリスティーナ・フォン・ヴァルトシュテイン嬢の証言や、彼女が集めていたフリューゲル公爵家の国家転覆を目論む書状、ありとあらゆる悪事の証拠の提出、更には宝石商と結託し、ヴァルトシュテインからの利益を吸い上げるための共同事業の強要や、事業費の不当な搾取、内政干渉の事実がヴァルトシュテインへの嫌疑を瞬く間に晴らした。

隠れ蓑のヴァルトシュテインを失った彼らは後がなく、味方は居なかった。
公爵達は、自身より地位が低いことを理由に、他の爵位を持つものたちをいたぶっていたとの証言が後をたたなかったからだ。
子息の婚約者の実家でありながら不当な扱いをしていたキャディリッシュ伯爵家を筆頭に嘆願書や、被害届、更には国家転覆罪に準じる穀物の買い占め等がわんさか出てきたことで言い逃れは出来なくなった。

減刑されるどころか、言い訳や言い逃れをする度に元老院から罪状が加算され、前当主や当主、愛人はその罪の重さから、罪が全て明るみになるまでの終身刑が言い渡された。
彼らの子息については、婦女暴行未遂罪の為に右手首に刺青を入れられた後、権利の全てを剥奪後に市井へ下った後はどうなったかは解らない。
フリューゲル公爵家は貴族としては絶対に手出ししてはいけない事案をこれでもかと抱えていたため、ここちらはすんなり皇帝陛下の逆鱗に触れて処罰が決まったのだった。
第六皇妃は北の離宮へ移り、彼女の罪が全て明らかになった時点で毒杯が渡される予定になっている。
数多の皇族を手にかけたと思われる、暗部への契約書や依頼文書までもが第六皇妃宮で見つかった。此方も近い内に審議されるだろう。
とんでもない毒婦だ。

だが第六皇子について、この対応は望めない。

第六皇子は確実に皇帝の血筋であるし、第六皇子の実家は帝都純血派の筆頭。
現在のこの状況はルルーシュ妃に横恋慕しているだけとも言える。
すぐ下の弟であるクロヴィス殿下を亡くしたシュナイゼル殿下にとっては、可愛い肉親の筆頭。
今回も、うやむやで終いだ。

ふぅ、とため息を吐いた音が静かな空間に響いた。
音を辿ると足を組んだシュナイゼル殿下が嗤いながら第六皇子を見下ろしていた。

「私はね、ジェイル。君の話など彼女がいなければ聞く気は無かったんだ。
だって時間の無駄だよね。
そもそも彼女は私の妃で、それを一時的でも監禁したことは、私の中でのお前の立ち位置はゴミ以下になったのだから。
・・・ルルーシュをこの馬鹿げた裁判に来させるつもりもなかった。
思惑が外れてルルーシュがお前にストーキングされた鬱憤を晴らしたいというから連れて来てしまったけれどね。
ジェイル、私は彼女を傷付ける者は皆死ねばいいと思っている。

今日お前には2つの道があった。
素直にルルーシュをストーキングしたことを認めて謝り、皇族籍の離脱を申し出ていたら、私も鬼ではないからお前を貴族の末席に置いてやってもいいかなと考えていた。
それが1つめのお前の道だ。
もう1つはお前が素直に認めず、帝都純血派のことを持ち出し、己の血統を言い、あろうことか彼女の母親を罵倒するようなことがあれば、絶対に許さないと決めていた。

私が敬愛してやまないマリアンヌ妃は、婚約者と引き裂かれて後宮に入り、騎士である誇りを手折られ、それでも尚ルルーシュの母として、平民出の皇妃として一生懸命に生きた方だ。
私やクロヴィス、コーネリアはあの方の好意で人間になったのだと自負しているよ。
私を産んだ女は、私の頭上に来るかもしれない王冠を執拗に追いかけ回したが、マリアンヌ様は幼い私たちの目を見て、真実だけを聞き取る素晴らしい方だった。
私はあの方を母親として今でも懐かしく大切に思っている。
何の罪のないあの方がテロリストに殺された時、私と兄上、コーネリア、クロヴィス以外の兄弟姉妹は『当然だ』と大声で言っていたのを昨日の事のように覚えている。
ギネヴィアは不在で、カリーヌは生まれて間もなかった。
その中でもお前が声高にルルーシュに放った言葉を、今でも到底許せないのだよ。
私はね、あの時初めて怒りで頭が白くなった。貴重な体験だった。
ルルーシュが各所を駆けずり回って、嫌いな皇帝や、母親の敵かもしれない皇妃連中に頭を下げ、やっと出せた葬儀の最中だった。
母が庇ったことによって奇跡的に助かった、たった一人の妹の命さえどうなるかわからない状態で、憔悴していた彼女に、お前は口汚く
『汚れた血が皇宮に入ったのが間違いだったのだ、死んで良かった。妹も死ねば皇宮は清浄になれる。黒の皇女はどこかの国に下賜すれば帝国はもとの形に戻れる』
とあの子の前で笑いながら宣ったのだ。
あの子は母親を突然殺されたショックが消えない幼い体で、そんな酷く汚い言葉に懸命に耐えた。
お前が放った言葉は、幼かったとしても、到底許せるものではない。
私はお前を殴りたかったが、私を産んだ女の矛先がルルーシュに向かうのを避けなければならなくて、葬儀の後彼女をコーネリアと抱き締め、共に泣いて慰めることしか出来なかった。
忌まわしく、悲しい記憶だ。
ジェイル、ルルーシュはマリアンヌ妃の葬儀の時の事はあまり覚えていないんだ。あの時、お前の言葉を筆頭に様々な酷い悪意に晒されたために、記憶が混濁していて、体が思い出そうとしないんだよ。
ルルーシュはそれを今でも後悔している。"自分の事ばかりに必死になって、きちんと母を弔えなかった"と、ね。
お前はエリア11の式典の際の社交界でルルーシュを見初めたのだろうが、私から言わせればルルーシュの視界にお前が入り、お前が彼女に恋情を覚えたことは絶対に許せない。
お前はルルーシュに『お前も死ね』と面と向かって言い放ったのだからね。
なのに美しくなったルルーシュに愛して貰おうだなんてお前はなんと都合のいい男なのだろう。
彼女の記憶からお前が抜けていたことは本当に安心したよ。そして彼女は私を愛してくれている。
わかるかな?ルルーシュは、私のものなんだ。
彼女を否定したお前のような男が、ルルーシュに横恋慕するなんて笑えない冗談だ。本当に・・・」

大きく息を吸って、吐くだけの動作に恐怖を感じる。

「虫酸が走る。」

深く歪められた眉に、ジェイル殿下を庇護する気が微塵もない事に、裁判官は漸く思い当たった。

「そ、それは・・・」
尚も言い募ろうとするジェイル殿下は青い顔のままシュナイゼル殿下を見上げた。
「お前の発言を今更私は認めないよ。言い訳も、謝罪する時間もたっぷりあった筈だ。
さて、これからお前が辿る道だが。
おめでとうジェイル。
お前は、その高貴な血統に殉じることができる場所を用意してあげよう。
帝都純血派共々、中華連邦とは協議ができている。何、心配はいらない。
その高貴な血統を盾にかの国との和平を繋ぐように。
期間は10年間。幼いルルーシュが出来たことだ。何も問題ない。
ただ口に入れるものを全て疑い、安心して眠れる場所を自ら確保し、その頭脳を切り売りして生計を立てればいいだけだ。
帝国からの援助はもちろん中華連邦の手前できないからね。自分の事は自分でするように。
お前は男だから彼女のように身を守らなくていい分、楽だろう。成人ももうすぐだ。
私の妃に対しての罪は、このブリタニアで償ってもらう。裁判長。」

急に話を振られて驚く。
用意していた罰は一般的な罪状と、それから国家転覆罪、エリア協定違反だ。

「ジェイルの罪を述べよ。」

紫の瞳に射ぬかれた私は、ぐっと拳に力を入れた。
もしかしたら、私は皇族を裁いた最初の一人になるかもしれない。
えもいえぬ高揚感のなか、ハンマーを叩いた。

5/7ページ
スキ