アネモネ 第四章
最近は帝国の重鎮たちによるスキャンダルが多くブリタニア紙に載るようになった。
ことの発端は、ジェイル・ディ・ブリタニア第六皇子率いる、帝都純血派の瓦解だった。
エリア11総督に就任した第六皇子は、第四皇女から受けた傷を癒しにエリア11に訪れていた宰相妃、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを誘拐。
その後監禁し、かの帝国宰相、次期皇帝に一番席が近い男の目の前から唯一の妃を奪うという暴挙に出た。
当然のことながら烈火の如く怒り狂ったシュナイゼル・エル・ブリタニアは、彼の率いるナイトメアフレーム開発部、特別技術嚮導派遣隊・・・通称特派にルルーシュ・ヴィ・ブリタニア妃の奪還を命じる。
かの技術部に在籍していた宰相妃の騎士、ロイド・アスプルンドは世界初の技術で飛ぶ船、アヴァロンを駈りトウキョウ祖界に聳え立つ総督府を襲撃。
無事に宰相妃を奪還することに成功するも、シュナイゼル・エル・ブリタニアの怒りは、唯一無二の妃を見て静まるどころか燃え上がった。
宰相がどこへ行っても自慢していた彼女の豊かな髪の毛が無惨にも切り落とされていたからだった。
怒りでその顔を乱したシュナイゼルは、第六皇子がルルーシュ妃に対して『害する意図あり』とし、即座の報復措置を講じた。
直ぐ様特派員や彼の持つグランストンナイツにより、第六皇子支持派の貴族を拘束。
宰相妃誘拐の協力者をしらみ潰しに炙り出し、疑わしい人物は監獄へ送還。
また、エリア11の総督府で勤めていた者達に関しては一人残らず調査を行い大規模な裁判を起こし、これを粛正。
この調査中に帝国宰相の集中攻撃を受けていた第六皇子は帝国議会からも謀反の嫌疑がかけられる。
宰相妃誘拐の理由や、押収した資料に は宰相妃に対し口に出すのも憚られる内容の計画が議会で取り上げられると、シュナイゼルはその冷酷な目を細目ながら第六皇子ジェイル・ディ・ブリタニアを激しく詰問した。
曰く、皇帝に認められている才女である宰相妃を自身の妃に迎えることで帝位簒奪を図ったと、議会で証言したのだった。
これには、シュナイゼルの暗殺計画も盛り込まれており、宰相府や、帝国議会は紛糾。
特に金の出所に対しての帝国議会の追及は厳しかった。
なぜならばエリア11では、帝国議会を通さずとも総督の懐を肥やせるシステムが存在するからである。
ブリタニア帝国議会から特に煙たがられていた『特別経済特区日本』についての諮問が相次いであり、税制策での帝国法に反した行いが白日の元に晒された。
名誉ブリタニア人である経済特区日本の人々の税は、本国の約8倍。
支払えない者には過度な労働が有無を言わず課せられており、ここに住むほとんどの市民が大人・子ども関係なく過剰労働を強いられていたことが判明すると、『これは実質の強制労働である』と、瞬く間に帝国議会は第六皇子に向けての非難の声が集中した。
先の大戦でさえ、大国と小国とのさはあれど一方的に略奪することを是とはしなかったブリタニア帝国に、明らかな略奪の意図ありとして経済特区日本が運営されていたからである。
これによりユーフェミアの提言した経済特区日本は破綻。提言者であるユーフェミア・リ・ブリタニアにも嫌疑がかけられ、速やかな帝国議会出頭と、彼女の後ろ楯であった当時の官僚や文官、騎士が裁判後に全員が更迭される。中には貴族籍を剥奪され、その後の刑罰を待つ者で一時的に裁判所は人で溢れた。
経済特区日本は、名誉ブリタニア人たちが主に住んでいる地区であった。
議会では『名誉ブリタニア人を集め、労働させる特区では名誉ブリタニア人から搾取するのを是とする考え』が他エリアに浸透しないように徹底した会議が開かれ、専門家達が集められて協議は紛糾した。
なぜならば、帝国は皇帝陛下が治める知性ある国家であるとの見方が『経済特区日本』により崩れたからである。
これを是正しなければ、ブリタニア人がブリタニア人以外の人種を搾取する非道な民族であるとの捉えられ方をされるようになることを帝国議会や一部皇族が危惧したためだった。
国是は弱肉強食であり、弱き者は罪となされるが、ブリタニア帝国は複数の国々を統合し帝国にのしあがった国である。
このため、現ブリタニア人の中でさえ派閥が複数あり、また民族も多岐にわたる。
ブリタニア帝国は数多くの人種が存在し、中には財政を動かすほど知略に富んだ人種や、帝国の主食を生産する第一産業を担う地区からの皇族からの離反を帝国議会は特に恐れていた。
彼らが帝国から手を引く、若しくは牙を剥くことは帝国たる基盤が揺らぎかねない。
巨大なブリタニア帝国を帝国たらしめているのは、軍事戦略と、油田の保持、財政基盤、そして世界生産の4割を担う穀物の出荷だからだ。
しかし現在穀物生産の一部は中華連邦に依存している。複数のエリアを抱え、この穀物を帝国内で奪い合うことも起きている。
今第一産業を担う彼らが離反すると、帝国は瓦解する。危惧が現実のものとなる前に何とかしなければならない状況まで来た。
こと経済特区日本提言者の、ユーフェミアに関しては、ユーフェミア自身も、母親である皇妃に対しても、あらゆる罪が明るみに出ている状況であることも踏まえ、『よきにはからえ』との現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの言葉をもって帝国議会は再度の召集を余儀なくされた。
第六皇妃は裁判にも議会にも出廷しないが、その娘、ユーフェミアは裁判に呼び出される度に出廷し、彼女が知る限りの真実を述べた。
第六皇妃が不在で開かれた議会での諮問では、税金の横領や、縁故採用が検察側から上がった。ユーフェミアより、今まで突然死とされていた人物の暗殺計画も証拠が次々と挙げられる。
裁判で特に注目されたのルルーシュ皇妃殺害未遂事件だった。
宰相夫妻の結婚式の際、宰相妃がユーフェミアに銃で撃たれたことに関しては、あの時、宰相妃が妊娠中であったことを上級メイドシャーリー・フェネットがユーフェミアの目の前で証言した。
そしてユーフェミア自身が腹を撃った動機も、宰相妃の妊娠がきっかけだとも話した。
私怨も含めたその明け透けな内容に議会からユーフェミアは集中砲火を受けたが、ユーフェミアが自身を弁明することはなかった。
議会では帝位簒奪も含め皇族同士の殺し合いに発展し、果ては身重の女性さえ標的にされる国是への疑問まで展開を迎えたが、被害者のルルーシュが、ユーフェミアの処刑を望まず、減刑を求めたことで、ユーフェミアの修道院行きが決定した。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア
一度は鬼籍に入ったその名前は、庶民出の妃から生まれ、母をテロで亡くしたそれからの不遇な人生と現在を共に語られ、メディアは彼女の悲劇的な人生と女神のような美しさを日夜絶賛するようになる。
加えて用心深いシュナイゼル帝国宰相が唯一心を許す人物であり、彼女がシュナイゼルの名代で行ったエリア統治は、表に出なかった分も含め次々に注目され、その画期的なアイデアは帝国議会を唸らせる程だった。
エリアの統治能力を語られる上で外せないのは、同様にエリアの総督をした年の近い妹皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアとの比較である。
ユーフェミアの行ったエリア11の『経済特区日本』の事実的な破綻により、彼女の名は帝国民の中でも地に堕ちた。
しかしユーフェミアの不幸はそれだけでは終わらない。
あのテレビ中継されていたシュナイゼル・エル・ブリタニアとルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの結婚式を血で染めたのがユーフェミアだと大衆紙で報じられるや否や市民から批判が殺到。
更にユーフェミアか現皇帝シャルル・ジ・ブリタニアとの血縁関係が認められずに、皇族籍が剥奪されることが大々的に報じられると、『残虐な娘』『血染めのユーフェミア』とかつては『慈愛の姫』や『可憐な天使』と謳っていたメディア各社は掌を返したように連日報道した。
同時に長いこと権力者の席に座っていたユーフェミアの母親、第六皇妃についてもあらゆる事件の首謀者として名前が挙げられ、実家であるフリューゲル公爵家も、横領、殺人などといったテロ活動が表向きになり、元公爵や現公爵、その一家が裁判所に出廷。あらゆる罪が明るみに晒され、一家は離散。現公爵はテロリストと深い関係があるとされ、皇帝より処刑が言い渡された。
帝国議会は、件のエリア11に居たルルーシュ妃を議会に召集しようとし
たが、それにノーを突きつけたのは彼女の夫たるシュナイゼル・エル・ブリタニアだった。
ユーフェミアの事件で受けた傷の療養の為に訪れたエリア11で、療養出来ずに拉致監禁されるというショッキングな出来事からようやく解放されたばかり、とのシュナイゼル宰相に、議会は何も言えなくなった。
それでもルルーシュ妃の画期的なアイデアが欲しいのだとシュナイゼルに求めると、『どうしても聞きたいのならば』と、異例中の異例だが、議長がシュナイゼルと共に彼女の住む後宮へ足を運ぶのなら、と許可を出したことで帝国議会は一旦落ち着いた。
それでも多くの手続きを余儀なくされたのだが。
目が覚めるような美しさだな、とブリタニア帝国中に支店を構える『ブリタニアTIMES』の社長サミュエル・ダズリーはまばたきを何度も繰り返す羽目になった。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの容姿は彼女の幼少期の写真が僅かに出回る程度で、その後・・・つまり日本に送られてからシュナイゼルとの、あの婚儀以前のものは出回る事はなかった。
情勢のこともあったのだろうが、彼女を写真や映像でとらえたものは無いに等しい。
慌ただしく行われた、シュナイゼルとの婚約式は彼女の母がテロリストの凶弾に倒れたことを警戒してか、極僅かな出席者のもとに、日程もリークされずに執り行われたというのは有名な話だ。
だが真実はこの方を信頼のおけない男に見せたくなかったからだなと、納得する。
帝国宰相の慶事はどこの新聞社も目を光らせていたし、それなりに張ってもいたが、リ家の連中がユーフェミアだと言い張るだけで、何も信憑性がなかった。
なのに、帝国宰相直々に婚約者の名が挙げられたと同時に、婚約式は終わっており、婚儀の日付を言われた時には、常に売り上げを競う同胞と盛大にスッ転んだ後で、あんまりだ!と叫んだのは記憶に新しい。
そして記者連中がこぞって宰相妃の写真を撮って新聞の一面にしたかったあの婚儀のときにさえ、彼女がつけていた美しいマリアベールが、それは盛大に邪魔をしてくれて、遠くからはどんなに優れた拡大レンズでも彼女の美しい顔を撮ることは出来なかった。そのあとのユーフェミアの凶行には震え上がったが。
あの婚儀以前にも、あの第六皇子のエリア11総督就任式典の折りも宰相妃は出席されていた。
でもやはり自分も同胞もその時も顔を見ることはかなわなかった。
なぜなら、彼女が遅れて夜会に登場したことと、濃紺から朝焼け色のマーメイドドレスに、ヘッドドレスのレースが彼女の顔を半分隠していたからだ。
しかも近くに伯爵位の騎士と、ピリピリしたシュナイゼル殿下が居て、とてもじゃないが話しかけられるような雰囲気ではなかった。
あの時は薔薇姫の名を欲しい儘にしていたユーフェミアが脚光を浴びており、更に同日にエリア総督の補佐たちが議会で更迭されたことで、あの夜会は結構荒れていた。
見たことない宰相妃もとても気になるが、華やかな装いが美しかったユーフェミアや皇族の方々のファッション特集を組むことに自分は邁進していて、政治部なんかは更迭された議会委員の情報を集めることに躍起になっていた。
・・・多分それも、宰相の掌の内なんだろうなと、内心溜め息を吐いた。
壁は高く、そして厚い。まるでこのElysionを囲む壁のように。
シュナイゼル宰相の執着が、ヤバい。
その一言に尽きる。
冷や汗をかきながらサミュエルは、勝ち取ったインタービュー権を最大限利用しようとにっこりと笑って自己紹介をした。
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シュナイゼル宰相の慧眼は本物だな。
宰相妃の第一印象はこれだ。
今まで女性皇族を多く取材してきたサミュエルだが、この人は数多くいる皇女の中でも抜きん出て異質だなと早々に考えを改め、背筋を伸ばした。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと言えば、数多の皇子、皇女がいる中で最もその扱い方が軽んじられてきた皇女だ。
シャルル陛下の父君のラウンズナイツである、平民出の妃マリアンヌを母に持ち、陛下の後宮の中でも皇帝宮から最も離れた離宮、アリエスで育てられた。
マリアンヌ妃が生きていた時は妹のナナリー様も含め家族仲良く、だが、皇族とは言えないような生活をしていた。
彼女たちには、皇女に普通付くはずの侍女や侍従、乳母や家庭教師、護衛騎士といった本来いて当然の使用人が付かなかったからだ。
アリエス宮にはハウスメイドの手配がされていたので洗濯と掃除と買い出しをするメイドはいたが、それ以外のことは全て自分たちで行っていたようだった。
ルルーシュ殿下は歩きだした途端に学問や芸術に興味を持たれた。
これは様々な貴族間で有名な話だ。
彼女は、母親から手を引かれて歩く前から、皇帝宮に来る度に使用人や他の皇族からの視線に晒されていた。
それが歓迎されていないこと、また自分の無作法で母も嗤われている事が分かっていたのだろう。
彼女は見よう見まねでカーテシーや皇族の美しい所作を覚え完璧に振る舞い、更に貴族の名前や、その地区の産業などを嫌みが多く含まれる会話や噂話から抜き出し次から次へと吸収していった。
彼女の優秀さに興味をもった皇族がいたことは、彼女にとっては良いことだったのか、悪いことだったのか。
平民と変わらない暮らしのアリエス宮は、その居心地の良さも手伝って自然と高位の皇子、皇女が集まるようになった。
マリアンヌ様に憧れていたコーネリア殿下や、可愛くて美しいものが大好きなクロヴィス殿下、平民の暮らしを知るべく、また遺憾ない意見を言うマリアンヌに触発されたシュナイゼル殿下たちがそうだ。
彼らは愛情に飢えた子どもであった。
母親というものがどういうものなのか、知っていてもそれが自分たちと結びつかない。彼らの母は、母であるよりも前に皇妃であり、女だったからだ。
マリアンヌがルルーシュの手を引いて歩く様は彼らからしてみれば理解できないことで、しかし市井の民を見ると自分たちの方が特殊なのだと直ぐに理解した。理解したら、今度は理想の母親像を追求し始めた。
マリアンヌ妃は、彼らにとって理想の母親であった。
マリアンヌ妃は彼らを皇子や皇女ではなく、自身の娘や息子として接するようになる。
マリアンヌ妃は彼らが来る度に『お帰りなさい』と声を掛け、『ルルーシュのお兄様とお姉様は頑張り屋さんね、ゆっくりしていって。』と彼らの事を気遣い、彼らの話を楽しげに聞いていた。
母親である前に女である自身の母や、また勉強、権威、上位皇位継承権をと喚き、責め立てる臣下としか関わって来なかった皇子、皇女らは『これが我が子を愛する母親という存在なのか』と、とても感激した。
彼らが身内の目を掻い潜ってアリエス宮に真の安らぎを見出すのに、そう時間はかからなかった。
彼らは教えればすぐに理解するルルーシュ殿下を可愛がった。
ルルーシュ殿下も彼らから勉強を教わり、皇女でありながら家庭教師がひとりも付かないという、ありえない異常事態になんら不足を覚えることなく、その才能を開花させた。
そして、きっとそれが原因で母をテロで喪ってしまった。
その後は自身と妹は開戦間際だった日本に、留学生という形で送られたのだった。
帝国情報部は、ルルーシュ殿下達が日本に着くや否や『彼女達を日本が殺した』と誤情報を流し、死んだものとして国葬を行い民衆の感情を煽った。
大義名分の『打倒日本』を掲げ対日本戦が一方的に開戦された。
表向きは、皇女らの仇討だったが、希少資源のサクラダイト獲得を目的としていることは、軍人以外の宮殿勤めは皆知っていた。
ルルーシュ殿下達は生きていたのにも関わらず、帝国側には死んだことにされる。
鬼籍に入った皇女は、当時のブリタニア大使館の高官から不要と見捨てられ、多くのブリタニア人が帰国や避難のため利用した飛行機や船にも乗ることができなかった。
サクラダイトの為なら彼女らごと殺してしまえという皇帝陛下の非情すぎる采配だった。
あの後、帝国配下になったエリア11で行われたブリタニア人の合同葬儀で、日付と共にナナリー・ヴィ・ブリタニアの文字が刻まれた。
亡くなった日付と、開戦した日に1ヶ月間の開きがあることから、多くの軍人たちは情報部が日本に言いがかりをつけ一方的に開戦に持ち込んだことを知ったのだ。
あの出来事は軍人たちに大きな禍根を残した。
彼らは幼い皇女二人の仇を取ろうとして、逆に彼女らを殺してしまったと、帝国議会での発言が多くあがったが、それは全ていつの間にか無かった事にされた。
シャルル陛下の命令は秘され、帝国情報部の幹部が減給されただけで情報部に対しては何のお咎めも無し。
軍部からは情報部へ信用問題が叫ばれたが、それもやはり口を塞ぐようになくなった。
エリア11の制定と共にシュナイゼル殿下が軍部に独自の情報部を作ったことが唯一の再発防止策だ。
これは、皇帝直属の情報部が情報を挙げても再度軍部の情報部が調べ上げ、その結果を鑑みて軍を率いる将軍や左官の承諾を得て、これに皇帝が許可を下さないと開戦しないというシステムだ。
皇帝は自身の権威が下がるとシュナイゼル宰相にきつく当たったが、皇帝の気分や、勘違いや、間違いで大勢のブリタニア人軍人が亡くなる事態は避けるべしと声高に叫び、それが元老院も含め満場一致での採択となれば皇帝も無視はできなかったようだ。
とはいえ、開戦の指示は皇帝が行うという根本的に変わらない部分もあるため、そこは認めざるを得なかったという具合だ。
あの合同葬儀に、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの文字は無かったが、身元が確認できなかっただけで、もう皇女は亡くなったのだろうとあの頃皆が後悔に涙した。
どんな苦難が襲ったとしても、彼女の輝きは失せていない。
今日会ったルルーシュ殿下は、自身の生い立ちなどまるで感じていないように朗らかに笑われる方だった。
養子であるエルモア殿下の頭を膝にのせて、彼女は今幸せなのだなと感慨深く思う。
内政の話を何の気なしに振ると、まるでシャルル陛下やシュナイゼル宰相と同じようなテンポで話される。
それなのに平民の暮らしから、貴族同士の繋がりや、貴族が司る第一次産業から第六次産業までの税政策に及んだかと思えば、果ては国家間の軋轢やエリアへの考え方は全方面だ。
何よりエリアの歴史や産業については地域ごとの特産品や、実は開発できるであろう産業の考察がすごい。
・・・こんな皇女がいたなんて!
それも、彼女は家庭教師もなく、一般人の行く学園にしか行っていないなんて、とても信じられない。
今までの女性皇族ならば、当たり障り無い政治の話をすると決まって嗤い、「それは陛下が考えること、自分の役目は陛下を癒すことで、詮もないことは臣下がすべき」など、まるで陛下の前でしか働かないと声高に宣う姿勢に吐き気がした。
しかし取材なので上から目線でのやり取りは終わらない。彼女たちは身に付けている宝石や布や、食べているものさえ"献上品もしくはプレゼント"ぐらいにしか思っていない。
お前は汚くて喋っただけで私が汚れてしまう、と唾を吐き掛けた皇妃もいた。
例をあげると、ユーフェミア元第四皇女の母だ。
あれはなかった。
貴族平民云々よりも人としてどうかというレベル。
ユーフェミア元皇女もしっとりとしたお姫様然としていて、好感が持てたが、取材してみると何も考えていない皇女というのはすぐに知れた。
身に付けている宝石が美しいですね、どこのものですか?と誉めたら『叔父様が買って下さったの。産地は叔父様に聞いてね。とても素敵でしょう?』と話して終わり。
彼女には誰よりも優秀な家庭教師がついていた筈だったが、それは無駄だったようだ。
どの姫も似たような具合だったのでそういうものかと深く追及しなかったが、第一皇女のギネヴィア様にお聞きした時は、具体的に『シモーネ領のサファイアのことだな。帝国随一の穀倉地帯で見つかった宝石鉱山の宝石は、現在フリューゲル公爵家が売り出している輝石だ』と返ってきたので、ギネヴィア皇女は帝国の事を知るなんと広い目をお持ちなのか、流石は第一皇女殿下ですね、と褒めたら『コーネリア将軍もこの程度の事は知っているであろう。他がお花畑の住民なだけだ』と呆れたように話され、とても感動したのがついこの間のことだったのに。
それがこの人、ルルーシュ殿下はもはや次元が違う。
視点が正に帝王のソレだ。
宝石は身につけていらっしゃらなかったので、身に付けているドレスの生地について質問したら、『アルマニア地方の綿織物を使用している。肌触りが良くて重宝しているが、私はこの生地をブランディング化したいんだ。
あの地方は高山であるから、夏場は高山野菜が取れて良いのだけれど、冬場になると雪と氷で覆われてしまう。
それで農家はほとんど収入がなくなってしまう。都会に出て働く人も増えるだろうから、今後は野菜を育てようと思う人が少なくなるだろう。
その前に手を打つために、彼らが細々としている織物事業を盛り立て、冬場にしか販売しないとして帝国で売り出したいんだ。厚い生地にしては伸縮性や吸水性もあり、とても温かいので子どもの服にもぴったりだ。』
と返ってきた。驚いて、シモーネ領の宝石はどうか、今は貴族間で流行していますが、ルルーシュ殿下はご覧になられましたか?
と問いかけたら驚くべき回答が得られた。
「美しいブルーサファイアとは思うが、私がかの領主だったのならば、すぐに採掘を辞めさせるな。」
と、笑いながら話されたのだ。
この一言で、ルルーシュ殿下を試したくなり、悪い癖が出た。「その意図は、」と聞いてしまったのだった。
言った直後に不敬であると言われるかとオロオロしていたら、ルルーシュ殿下は自分を見て「こんなことで不敬罪にはしない」ところころ笑ったのだった。
聞き返しただけで鞭打たれた新人の頃の苦い記憶があるので、ルルーシュ殿下は許して下さるのだな、と率直に安心した。彼女の意見はこうだ。
「ブリタニア帝国でも有数の穀倉地帯であるシモーネ領は、辺境伯領で中華連邦との国境に位置している。
そのような魅力的な土地に、その上希少な宝石を産出する鉱山があったとなると、他国の関心を更に引くことになるだろう。
豊かな土地はそれだけで争いの種だ。
シモーネ領主が権利を有する我が帝国最強の部隊バルトシュテインは、精鋭を集めてはいるが、国の本隊が動けば苦しい展開にならざるを得ないだろう。
戦の間、かの土地での小麦生産が出来なくなれば帝国全土が餓えることになる。私たち皇族はそれは望んでいない。今ならばまだ貴族間での流行に留まっているから、これから生産を下げて"取れなくなった"鉱山であると見せかける事で、サファイアが採掘できないと他国に思わせる。
なれば、自国の鉱山の方がまだましだと視線が反らすことができる。
そうすればあの地は守られる。
そもそも、穀倉地帯で採掘は向いていないんだ。採掘に伴い、有害物質が田畑に流れ込んでいる事例もある。
安心安全な穀物の出荷を望む帝国民や帝国側からの要望に応えたくとも、そうなれば厳しい。
更に原石から削り出され、美しくカットされ磨かれる宝石の殆どはカッティングの際に大きさが半分程になる。
つまり、採掘する側には余程契約がしっかりしていなければ大きさ通りの料金は支払われない。
更にシモーネ領にはカッティング技術者が居ないため、他の領のカッティング技術者に委託しなければならない。この場合は、フリューゲル公爵領の宝石商になるが、カッティング技術者には採掘した原石に価値をつけるという工程になるので、高いお金が支払われる。つまり委託料金が凄まじく高い。その料金を埋めるためには、新たな原石を売らなければいけない。新たな石を売ればまたカッティング代がのしかかる。またこれを原石を売って賄う、この原石のカッティング代が必要になる。
これが永遠に続く宝石商しか得をしない馬鹿みたいなシステムだ。
当然採掘した者達へ支払われる金額は微々たるものになる。
グラムいくらの原石はそのままの値段で買い叩かれ、一粒いくらの宝石になったとしてもその代金はカッティングした宝石商の懐に全て入る。今のようなシステムなら、あの領地への還元はゼロに等しい。
あのサファイアは、領民の命を削りながら採掘されているのに、領民の生活に全く還元されておらず、更に負債を生んでいる。
なのに宝石採掘で帝国随一の肥沃な土地の小麦生産を脅かし、且つ隣国へ無駄な刺激を与える。
百害あって一利無し。私が領主ならすぐにでも閉山させる。と、言いたいところだが、公爵家を相手にかの辺境伯が言うことを聞かせることはできなかったであろう。」
「それは頭が上がらないと思いますよ。あのシモーネ領から嫁いだクリスティーナ元公爵夫人は、大変な浪費家で、それを賄うためフリューゲル公爵が、シモーネ領主に宝石を売らないと採算がとれないと言ったとも話を聞きましたが。」
私がそう言うと、ルルーシュ殿下はにこりと笑って口角を上げた。
「貴方もジャーナリストなら、噂に左右されないことだ。クリスティーナ様は16歳で嫁いでからは屋敷の外に社交で出たことがない。彼女は、シモーネ領に対する人質だったのだから。」
硬質な笑いに自身がやってしまったことを大いに嘆く前に、ルルーシュ殿下の開けられた部屋のドアがノックされた。
「どうぞ。」
取材の終了か、とぎょっとしてルルーシュ殿下を見る。
彼女はノックされたドアを見据えると、「ルルーシュ様、今よろしいの?」と、ゆったりとした白いワンピース姿の小柄な女性が入ってきた。
「あぁまた、そんな薄着で。」
呆れたように話してルルーシュ殿下は眉を歪めたあと、入ってきた女性に自分の隣のソファーを勧めた。
確かに、今ルルーシュ殿下が着ている服の生地より少しだけ薄い。
彼女はにこりと笑って、一度略式のカーテシーをしてからソファーに腰をかけた。とても美しい所作だ。
「失礼いたしますわね。
・・・ドレスは重たくてしょうがないのです。肩からずり落ちて、昨日はエルモア殿下とのお散歩の帰りに疲れて廊下の途中で歩けなくなってしまって。今日も、お客様が来られるとお聞きしていましたのに、ドレスを着たら立ち上がれなくて…失礼だとは思いながらも、こちらにしましたのよ。」
私の方を見て淑女は「このような格好で申し訳ありません」とお辞儀した。それにつられてこちらもお辞儀をすると、ルルーシュ殿下の溜め息とともにメイドからミルクティーが差し出された。
「エルモアに付き添って頂いてとてもありがたく思う。だが貴女が動けなくなるほど疲れてしまうことは望んでいないんだ。」
困ったように眉間に皺をよせるルルーシュ殿下に、ワンピースの淑女は微笑んだ。
「ありがとうございます、ルルーシュ様。昨日のエルモア殿下はとてもお可愛らしくて、ついつい、時間を忘れてしまったのです。でもとても頼もしくもあったのですよ。
私が息を切らして止まると慌てて駆けてきてそれはそれは紳士でいらっしゃったの。それに、すぐにリヴァルさんとロイド伯爵が気づいて運んで下さいましたし。ご心配をおかけして申し訳ありません。」
「謝って欲しいわけでは…。貴女を大切に思う私の気持ちも汲んで欲しいものですよ、クリスティーナ様。
風邪を召されると危ないって、ラクシャータも話しているでしょうに。
カレン、」
ルルーシュ殿下は赤毛の女騎士に声を掛けると、彼女はため息を吐きながら柔らかそうなカシミヤのショールを隣のソファーに座った女性の肩に掛けた。
「本当ですよ。クリスティーナ様こんな薄着で…せめて羽織るものを持ち歩いて下さいね。
漸く少しだけ太れたのに、歩き回るからまた痩せたと、ラクシャータが頭を抱えていましたよ。
点滴を増やされたくなければ大人しくして頂きたいものです。
・・・リヴァルが栄養価の高いカボチャの栽培に失敗したのを、本当に悔やんでいるので彼の為にも、もう少しゆっくりして頂きたいです。
シュナイゼル殿下も、これ以上痩せるようなら考えがあると話されていましたよ。ラスボスが出て来る前にこの宮の皆でどうしたらよいか考えましょう。ね?」
と釘を刺した。淑女は肩にかけられたショールを強く抱き寄せた。
「本当に贅沢だわ。この前まで食べられるのがいつか、で悩んでいたのに。今は食べられないことで悩むだなんて。」
くしゃくしゃに顔に皺を作って、笑うことに失敗した彼女は、少しだけ涙を浮かべた。
長袖のゆったりしたワンピースと、手袋をしていて分からなかったが、信じられないくらいに痩せていた。
骨に添うように皮膚がある。女性らしい柔らかさはなく、骨張っている。
ワンピースの前の腰とスカート部分の切り返しの所は、なにも入っていないようにへこんでいて、私の視線に気づいた彼女は、私から隠すようにショールの合わせ目を握った。
「ルルーシュ殿下、こちらの女性は…?」
私の問いかけにルルーシュ殿下は口角を上げてにやりと笑った。
「この方は、クリスティーナ・フォン・バルトシュテイン嬢だ。今しがた、貴方がお話していた、フリューゲル元公爵夫人。クリスティーナ様、不愉快な紹介をして申し訳ありません。」
「ルルーシュ様がお気になさることなんてありませんわ。私があのクズに輿入れしたことは間違いないのですもの。・・・およそ、世間がどのような目で私の名前を見ているかなど解りきったことです。」
緩く巻かれたシルバーブロンドに、赤い瞳の淑女は、確かにバルトシュテインの血筋だ。
緩く巻かれたシルバーブロンドで良く見えなかったが、頬もこけている。
フリューゲル公爵夫人がこんなに痩せていたなど、今まで聞いたことがない。つまり、
「噂の公爵夫人は、貴女ではなかった、ということでしょうか?」
私のペンを持つ手が震える。これが真実ならば、大変なことだ。
ルルーシュ殿下の目を見ると、彼女は直ぐに頷いた。
「今日、取材に応じたのはこの事を公にしてほしいからなんだ。」
皇族の数々のスキャンダルはユーフェミアの件を皮切りに今飽和状態であるのにも関わらず、国民の関心が高まっている。
自分たちの納めた税金がドレスや宝石に多分に使われたとあれば納得できないし、憤りを覚えるだろう。
納めた税金が多ければ多いほどその感情は高い。
フリューゲル元公爵夫人は、ゴシップ紙が槍玉に挙げている一人だ。
宝石がこれでもかとふんだんに使われたドレスを夜会のたびに新調し、パーティーでは自分より良いものを着ている夫人を見つけると執拗に『礼儀がわかっていない、見せびらかすための物なら私がもらってあげるわ』と、夫人たちのネックレスやイヤリングを強奪してきた。
結婚式をあげたばかりの新婚の侯爵位から下の夫人は目の敵にされ、パーティーの出席が断れないように裏から手を回して、パーティーに来たら来たで『礼儀が分からない女が来た』と、ドレスコードをわざと教えずに笑い者にするという、悪魔のような女である。
その性格は破綻していると言わざるを得ないが、こんな話はまだ序の口だ。
かの公爵夫人は、一部屋に男を何人も集め、息子の婚約者の伯爵令嬢をその中へ押し込み、無体をしようとした、という嘘みたいな本当の話がある。
この時は鬼のように強かった令嬢の護衛騎士の活躍で、なんとか令嬢は無傷で逃げおおせたものの、それからは領地に籠ってしまい社交界には一切出てこない。
流石に令嬢の父親である伯爵が抗議するも、フリューゲル公爵には鼻で笑われ、夫人も『ほんの冗談ですわ。それに、本当はああいうのがそちらの令嬢はお好きなのでしょう?色々と息子から聞いているの。歓迎のつもりだったのに、伯爵風情が大袈裟な。こんなに騒ぎ立てるなんてはしたない。貴方の娘は頭がおかしいのではなくて?あんなふしだらな娘なんて婚約破棄してもいいのよ?』と逆に嗤いながら言い掛かりをつけたのだった。
これ以上関わると権力を盾にした公爵家にこちらが不利になると考えた伯爵は、その場では「そうですか」と曖昧に相づちをした。
そしてその会合の直後に裁判所に足を向けた。
裁判所で伯爵は、最悪の事態を想定して持ち歩いていた書類を裁判所に提出した。
婚約者と婚家の理不尽な仕打ちを証言する証明書と証拠品、各家々にお願いした証言のサインと、念のために録音していたボイスレコーダーだ。
婚約破棄の意思は相違ないとして婚約破棄証明書の早期発行を申し立てた。
伯爵は慰謝料の請求をしなかった。
早期に婚約破棄の許可が下りやすくするためだ。
静かに怒っていた伯爵が、公爵家への復讐に舵を切った。
伯爵の行動は早かった。
今まで業務提携として取引していた作物の売買権を陛下の名前のもと白紙にする書類を作成。
これは即日に貴族議会へ提出。
申請書類が受理されるまでは作物の全てを『自領の作物の育成不良』を理由としてフリューゲル公爵領から全て回収。
回収した野菜や小麦は、フリューゲル公爵家と敵対している公爵家、伯爵家、子爵家、男爵家に安く卸し、彼らと密かに同盟を組んだ後は、フリューゲル公爵領から全ての事業を『業務不振による廃業』という形で2ヶ月も経たずに伯爵領へ撤退させた。
フリューゲル公爵家と敵対している家々は、伯爵家の本気にそれもそうだろうと、多くの同志達と連絡を取り合い、伯爵を助けてやってくれと情報を拡散していった。
あの夜会の際、公爵家に用意されていた部屋から逃げ出した伯爵令嬢を見ていたからだ。
あと一歩遅ければ酷い目に遭っていたであろう伯爵令嬢は、ドレスは破かれ、髪は乱れてぐちゃぐちゃに泣いて護衛騎士に支えられて震えていた。
錯乱した彼女は過呼吸を繰り返し、それはそれは酷い有り様だったのだ。
追撃の手を緩めず、フリューゲル公爵領への卸売業は全て議会を通し、許可が得られないと売れないように算段。
フリューゲル公爵領からの民が関所を通る際に、伯爵領で購入したものに高い高い関税をかけ、一部を皇宮へ納めるといった手続きをし、皇帝の許可を得た。
何がなんでもフリューゲル公爵に痛い目を見せてやるとばかりに盾を構築する伯爵に『あの伯爵は本気だぞ』と、かの公爵家に敵対している家々は、彼の愛娘への愛を称賛し、諸手を上げて伯爵の復讐に手を貸した。
婚約破棄と、業務提携の撤廃の申請書類が皇帝により受理され、受理されたと一方的な公文書がフリューゲル公爵家に届いた時。
それがお家没落のファンファーレとなった。
その公文書のせいでフリューゲル公爵家は作物や麦、塩の購入が伯爵家からできなくなった。
領が隣接する伯爵家からのまさかの業務提携破棄に、はじめは舐めていた公爵家だったが、何度手紙を送っても、封を切られないまま転送して返ってくる依頼文に『これはまずい』とやっと、執事とナンバー2と呼ばれる公爵の叔父が伯爵領へ向かったのだった。
テーブルを挟んで向こうの伯爵に『提携破棄を取り止めてもとに戻せ』と上から目線で命令しても、伯爵はにっこりと穏やかに笑い首を横に振った。
『伯爵領の作物は陛下の命令で、皇宮鑑査員の許可が通らないと販売できなくなったのです。それに、業務提携の契約はそちらから破棄されています。』
と、詳細は貴族議会へ申し付けて下さいと命令を拒否。
つまり、文句があるなら陛下に言えと言われたことと同義の文言に、フリューゲル公爵家の執事と公爵の叔父は流石に頭をかかえた。
しかしこれは序曲の一部に過ぎない。
フリューゲル公爵領への作物を途絶えさせる活動は、フリューゲル公爵領地に隣接する伯爵領以外の男爵領や、子爵領、商家までも参戦する。
つまり、今までフリューゲル公爵にいいようにされた来た低位貴族が手に手をとった形となった。
これがかの領へは大打撃だった。
卸売りを隣接する領が行わなくなったために、他の領地を経由して販売される作物は信じられないほど高額となった。
隣接する男爵領や子爵領にも圧力をかけたがこちらも貴族議会を通せという。
頼みの綱であった商家でさえ気がつけば拠点を公爵領から伯爵領へ移しており、買い付けの命令は伯爵を通さないといけない。
このままでは領民が、と民を人質にしたところで伯爵は先ほどのように貴族議会を通せという。八方ふさがりであり、打つ手無しだった。
公爵領は凄まじい早さで物価高が進み、入手できる作物は公爵領の農家の作ったものが主になった。
しかし彼ら農家はフリューゲル公爵領では長いこと迫害されてきた。
この事態を機に、今まで虐げられた分や搾取されてきた分を取り還そうとし、野菜価格は他領から買うより1割安い今までの3倍、小麦価格は5倍に引き上げた。
小売業へは卸さず農家に直接買い付けに来たものだけに販売していたので、農村部に人が殺到した。売上は濡れ手に粟の状態だった。
公爵家は自領の危機として農家に命令し作物を全て彼らから取り上げた。
無報酬でだ。
これが最悪の悪手だった。
ただで作物を接収された農家は、収穫した端から隣接する他領へ作物を売るようになった。隣接の領地も彼らがどんな扱いをされてきたか知っていたので、その分を快く買い取り帝国の流通に乗せた。
これで自領の作物さえ他領地を介さないと購入できなくなった。他領地から購入する際は、議会の承認を得なければならない。
仕方なく議会での承認をと申請するも、他の事が常に優先され議会にさえかけられない。かけられなければ承認は下りない。これは伯爵の復讐に賛同した貴族の策だった。
これで公爵領の店頭から野菜や作物から軒並み消えたのだった。
代わりにシモーネ領からの宝石が店頭に並ぶが、宝石で腹はふくれない。
隣接する領へ買い出しに行く民もいたが、帰るための税関で痛い目を見ることになる。安く沢山買い込んでやっとの思いで公爵領へ帰ろうとしても、その料金に関所で税金が上乗せされるため、領地での購入金額と変わらず意味がない事を知るのだ。
そのうち生活できなくなった民はフリューゲル公爵領地を捨てるようになる。
親戚や知り合いを頼って他領へ逃げ出す民で関所は賑わった。
令嬢への待遇の報復措置とも言えるこの活動に、不服だと、公爵家が抗議したが、一度は皇帝が許可した案件であるため裁判所が介入。伯爵家と公爵家に鑑査員が入ることとなった。
伯爵家はクリーンだったが、公爵家はそうはいかなかった。
出てくるわ出てくるわ汚職の数々、殺人容疑、テロリストとの癒着。
どれひとつを取っても没落コースな嫌疑が沢山発見され、これが皇帝の耳に届き、見せ物のように連行され、裁判にかけられることが決まった。
これで没落の道を辿ることとなった。
没落の前に長男と次男は直ぐに婚約者と結婚して婚約者の家に入ろうとするが、慧眼持ちのシュナイゼル宰相の神がかった采配により、婚約破棄された後だった。
フリューゲル公爵の長男次男は控え目に言ってもグズだったので、結婚する予定だった令嬢は回避できて良かったと、皆安堵し、かなり同情的だった。
領地に逃げ、この世の全てに絶望した令嬢も、なんとか希望を取り戻せたと一報で知った。
フリューゲル元公爵夫人のまことしやかに囁かれている噂が9割が真実であるのは証言がとれている。
その夫人がこの方でないならあれは誰だったかという疑問が残る。
「私はね、サミュエル氏。」
口角をあげたルルーシュ殿下はクリスティーナ嬢の手を握って私に鋭い視線を投げた。
「私の母が、皇帝という悪魔に捕らえられ無残にテロリストに殺されてから、権力者というものが大嫌いだ。
奴らは地位が低い者がより地位の高い者の言うことを聞くことを、当然のものとしている。そんな今の現状を変えたい。
どんな人間にも、人としての意思や、その人生の決定権、志や、抗う気持ちはあってしかるべきと思っている。
なぜなら人には感情があるのだから。生きているのだから。
権力者がそうでない者達の意思を決め、処遇を決め、生き方を、死に方を決めるなどあり得ないことだと私は思う。私たちは、彼らの努力によって生かされているのだから…!
現在のように自分本位な権力者に従うことは自殺行為だ。
家族を養うため、支える為、あるいは家族に降りかかる火の粉を払う為に働く。
ボロボロなりながら、それでも家族の為に、自分の意思とは反するものに同調して、言葉を飲み込み。
権力者に同意しなければ、家族がどうにかされる恐怖と隣り合わせでいながら。
そんなの、脅されているのと何ら変わらない。
本当に守りたいモノは。
本当に欲しいものは、自分の手の中の数人の安寧と、暴力とは正反対の穏やかな暮らしなのに、それが認められない。
欲深い権力者に従わざるを得ないと解っていながら。
彼らが甘い汁を啜りたいが為の、自分は消耗品だと解っていながら。
国や、組織という曖昧なくくりの歯車の一部に無理矢理組み込まれて、抗うことも出来ずに大きな流れに飲み込まれ、退路を断たれる。
家族が幸せならまだ耐えられる。
戦いや、動員や、エリア統率が終えて、家族が温かく迎え入れてくれるのなら。
でも歯車となった者を、人を殺したのだと、信じられなくなった家族が忌避し、家族の為に戦ったのに、疑惑の目を向けられ家族が離散した場合。
あるいはその家族が権力者により早々に亡き者にされていた場合。
歯車となった者は、何を守るべきだったのか、なぜ自分は同調したのか。
なぜ人を撃ってしまったのかと、考えだせば出す程後悔し、一生消えない傷を負ってしまう。
使うだけ使って虐げた権力者たちは彼らの死を悼みもせず、苦悩を知ろうとせず、また新たな被害者を探しだして穴埋めにする馬鹿ばかりだ。
上位下位問題は家族間でも通用する。
ブリタニアの女性は嫁いだ先ではとても弱い立場だ。貴族女性は特に。
彼女らは働かされるだけ働かされて、子どもを生む道具とされる。
年を取ればそこに在るだけの家具と変わらない扱いをされる。
だから嫁姑間のトラブルが絶えない。
姑は自分を追いやる女が来る、だから排除しようとする。
嫁は望まれて嫁いだのに、姑から非難され、助けを求めれば『出来損ない』『甘えるな』と言われる。
夫が愛してくれたり、人間として尊厳を持ってくれたらいいが、そうでない者が圧倒的に多い。
修道院や隣国に逃げられた者は幸福だ。そうでない者は、既に棺の中にいることだろう。
クリスティーナ様は何とか私の手がなんとか間に合ったうちの一人。
権力者である公爵に、こんな体になるまで20年間苦しめられてきた。
彼女を虐げた件のフリューゲル公爵夫人は、全くの別人で、クリスティーナ様の名を騙って、わざわざクリスティーナ様と同じ髪色に染めた頭で夜会に出ていた。
名前はアミナ・クィンティー。『身分が低いお前は豚より臭い女』と言い放って男爵夫人を自殺未遂に追い込んだ。
アミナは平民で、公爵の愛人だった女だ。
今、あらゆる嫌疑をかけられて裁判所にいるが、この女は強かで、今度はクリスティーナ様に言われて、成り代われと言われたと証言している。
公爵夫人には逆らえなかった、などとな。噂の夫人と、自分は別人なのだと。
おかしな話だと思わないか?
今まで特権階級を主張して甘い汁をすすり、今度は支配階級を主張して罪から逃れようとしている。到底許せる問題ではない。
そこで、貴方があの女に思い知らせてほしいのだ。
今まであの女に虐げられてきた侯爵以下の夫人方に、あの女がしたことの確認をとってきてもらい、そしてそれを記事にしてほしい。
そしてその夫人方にクリスティーナ様の写真を見せて、この人に見覚えはかありますか?と聞いてほしい。きっと『知らない』や『下女だった』と答える。その証言がほしいのだ。
そして、クリスティーナ様の領地で、クリスティーナ様の写真を出し、これは誰かを聞いてほしい。皆が皆驚くと思う。面白くなると思わないか?
そして、フリューゲル公爵の悪事から、彼らを指示していた者達も芋づる式に検挙する。絶対に逃がさない。
ブリタニアの政治に、民から納められた税金を湯水のように使う豚は必要無いのだから・・・!
スクープ記事の報酬は全て貴方に渡そう。どうだ、悪い話ではないだろう?」
隣の席で淑女がワンピースをグっと強く握った。彼女がこんな骨のような体になったのは、噂の女のせいなのだな。
「クリスティーナ様の許可が降りれば。いくらでも、お手をお貸しします。ただし、そのアミナ・クインティーの写真などありますか?」
「何に使う気だ?」
「不思議なことに、公爵夫人は写真がないのです。夜会や、お茶会など公式行事にいつも参加されていましたが、よほどカメラを気にされていたのでしょう。銀髪であると言うことと、派手な衣装しかカメラには写っていないのです。私はこれだけをもってしても、クリスティーナ様の名前が騙られたとも証言できますが、念には念を入れたい。ご婦人方に確認をとる際に、そのアミナ・クインティーの写真を見せて、その反応を記録媒体に残します。」
「良いだろう。」
三枚の写真を渡されて見ると、青い瞳の豪華な女が写っている。
クリスティーナ嬢の方を向くと、ゆっくりと頭を下げられた。
「本当なら、噂などどうでもいいのです。でも私の名前を騙ったあの女のせいで、領地の父や義兄がとても困っていると噂で聞いて。お力をお貸しください。」
頭を下げたその人の肩さえ、痩せ細っていて、お世辞でさえ美しいなど言えない程だ。
ルルーシュ殿下の目を見て、サミュエルはゆっくりと頷いた。
「私にできることなら」