アネモネ 第四章


朝になり霧雨が降る中、ユーフェミアと元第六皇妃は部屋の外へと連れ出された。
宮の中はとても酷い有り様だった。カーペットは剥がされ、絵画は掛かっていた場所の日焼け跡だけ残して消えていた。
カーテンも何もかも無い状態で、窓ガラスは割れ、サロンや庭、ホールがあった場所は跡形もなく燃えていた。
一人もいない使用人は、逃げ出したのだと、母親が忌々しく嗤った。

ラウンズナイツが玄関まで付き添う中、宰相府の男、カノンへ、ラウンズではない他の宮廷護衛騎士が耳打ちをすると、先を先導していたナイトオブ3が急に立ち止まった。

「コーネリア・リ・ブリタニア殿下が謁見を求めております。この宮の玄関前の部屋でお待ちです。」
カノンはそういうと、スザクを連れて足早に応接室へ進んでいった。
昨日から着替えができていない第六皇妃は、うんざりしながら廊下を歩いた。
皇帝の勅命が下された後、あれだけ贔屓していた伯爵や男爵位の連中とこの宮のメイドや執事、従僕すべてが逃げ出したことを知った。周囲のものを投げたら、ナイトオブ4に「壊れたものは全て貴女の借金になります」と言われて、当たる相手がユーフェミアしかいなかった。
鬱々とした気分で出来損ないの娘を殴り、眠くなったので寝てしまった。 今朝は朝食もない。
逃げようとも思ったが鍵の明け方さえ知らない彼女は逃げることはできなかった。
そもそも、鍵の開け方以前にカーテンの開け方からして第六皇妃は『高貴な育ちであるため』知らなかったのであるが。

一方のユーフェミアはロイドにめちゃくちゃに切られた髪の毛を、明るいうちにラウンズや、ほかの騎士に見られることがとてつもなく苦痛だった。
ドレスは、母親からの”しつけ”のあと、胸元から少しハサミを入れるだけで簡単に脱ぐことができた。
これ以上、他人の血で汚れたドレスを身に纏うことが嫌で嫌でしかたがなかった。
昨日母親から殴られたせいで、目の回りが鬱血しているのを鏡で見てからは、全てが敵に思えた。
コーネリアが謁見したいと話を聞いても、皇女様がね、と皮肉に嗤った。
皇帝の血を引く姉が羨ましかった。
宮の周りにはラウンズナイツがいたはずなのに、叫んでも誰も助けてはくれなかった。
そのうち声を上げることを諦めた。
殴られながらも辺境にこんな母親という悪魔と一緒に押し込められるという未来は、ユーフェミアに絶望を抱かせるには十分だった。


応接室に入り、コーネリアを見た母親は思い切り叫んだ。

「この出来損ない!お前が女だったために、私がこんなに苦しまなくちゃいけない!シュナイゼルを殺しなさい。殺せばお前が皇帝になれたというのに!なぜ殺さない!殺せ!なぜ母のいうことが聞けない!私の言うことが聞けないなら死ね!死ね、死んでしまえ!お前など!」

あまりな言いようにジノが彼女の口を布で塞ぐ。コーネリアは静かな瞳で母親だった女を見据えた。


「フリューゲル嬢。貴女が私の母だったことなんて、一度もありませんでしたよ。」


そんな口調で、コーネリアはそう切り出した。

コーネリアは、この場所が母親と呼ばれる存在と出会える最期の機会だった。

「貴女は、シュナイゼル兄上と近くして生まれた私をまず、”なぜ先に生まれなった”と言って詰りました。
ことあるごとに、私と彼を比べては、完璧であれ、優秀であれ、明晰であれと何度も言いました。
お前は甘えてはいけない、何もかも自分でできなくてはいけない、シュナイゼル兄上に勝つべく、男のように生きなければならないと。
その為に家庭教師を多く集め、シュナイゼル兄上に劣る部分があれば、彼らに『私の失態はお前たちの努力が足りないからだ』と脅し、牢にやったり折檻したりしていましたね。
亡くなった者もいました。本当に彼らには申し訳なかった。
私はあの頃とても辛くて寂しかった。ユーフェミアが生まれるまでは、自分が何のために生きているのか分からなかった。」
「だから何だというの!お前が、出来損ないであることを私のせいにしないで!」
「ダールトン家の者が親身になってくれたことは、私にとっては幸せでした。
でも彼らはどこかで線を引いていた。
私は皇女でしたから。
そんな誰も彼もが私を帝位に近い皇族とでしか見てくれない中、私を見てくれて、話を聞いてくれて、抱き締めてくれたのは、マリアンヌ様だけでした。」


元第六皇妃の目が大きく開かれた。


「マリアンヌ様は、貴女が追い詰め、折檻するしか出来なくなった家庭教師から逃げてきた私を、泣きながらアリエス宮の前を歩いていた私を、抱き上げてくれました。
暖かいミルクを用意してくれて、抱きしめて慰めてくれました。
抱き締めた後で、怪我があまりにひどかったので、鞭打たれた腕に化膿止めの薬を塗って包帯を巻いてくれました。
そうして、『何か辛いことがあったの?』と聞いてくれたのです。
理由を話すことは恥であり、助けを求めることは万死に値し、甘えることは私の中で最大の罪だった。
何も言わない私を、マリアンヌ様はそれでもじっと待っていてくださった。あの時に。
”お母さま”ってこういう人のことを言うのだなと思ったのです。
初めて抱き締めてくれた体は柔らかくて、優しい香りがした。
状況が説明できずに黙ったままの私に、マリアンヌ様は気分を害するでもなく、にっこりと笑って『いつでも来ていいのよ。』と仰ってくださった。
それから私が来るたびに、嫌な顔をせずに『おかえりなさい』と受け入れてくれた。
ルルーシュがお腹に宿った時も、『お姉様になるわね。たくさん遊んでね。』とお腹を触らせてくれました。
自分が勤めていた軍部のことや、ナイトメアフレームのこと色んな話をお茶を飲みながら次々にしてくださった。
何気ないあの時間は、私にとっての宝物です。
ルルーシュが生まれると貴女は躍起になった。シャルル皇帝陛下から一番愛されている妃の出産だったから。
自身の身分が脅かされると、ユーフェミアを作ったのですね。
でも私は、どんな形であれ、貴女がユーフェミアを生んでくれてよかった。私の妹はとても可愛くて、愛しくてやっと生きていく理由ができたと思えた。この子を守りたいと強く思った。
アリエス宮にはシュナイゼル兄上もどう言う理由だか来るようになって、あれだけ敵視していた兄上が実は帝位に拘っていないことをそこで知りました。
帝位は長男のオデュッセウス兄上が最年長なんだから引き受ければいいと。自分は心底面倒だとも話していた。
その話を聞いて私は馬鹿馬鹿しくなった。今まで皆に踊らされていたことを、漸く知ることができた。
可愛いものや、美しいものが大好きだったクロヴィスともアリエス宮ではよく話しましたよ。
彼は絵描きになりたいと話していました。確かに芸術の才能は溢れんばかりにあった。でもそれは周りが許さないと、悲しそうに笑っていました。
マリアンヌ様はクロヴィスの為に画材を用意して待つようになりました。
シュナイゼル兄上にはチェス。
私やユーフェミアにはオレンジピールの入った焼きたてのスコーン。
皇女としてではなく、ただの娘として受け入れられて幸せだった。
あそこに通っていたときはとても幸せだった。本当に幸せだった。
・・・貴女方が、奪うまでは。」

目に涙を浮かべて実母を詰るコーネリアを見てユーフェミアは信じられない気持ちでいっぱいで見ていた。
自分にとても優しい姉は、自身のような事にならないよう、嫌な思いをさせないようにこの母親や、家庭教師達から守ってくれていたのだ。
家庭教師が屋敷から去る度に、『手を見せてくれ』と言われていたのはそんな経緯があったからなのだとショックを受けた。
また、母が出掛けて帰って来る前にアリエス宮へ遊びに行くことも多くあった。あれは、自分を母親の過度な『しつけ』から遠ざける為だったのだ。

幼い頃のことが蘇る。

花冠を野原で一緒に笑いながら編むお姉様、スコーン作りで粉だらけになりながら屈託なく笑うナナリー、それを見ながらキャンパスに筆を乗せるクロヴィスお兄様、シュナイゼルお兄様はルルーシュに勉強を教えていて、いつも朗らかに笑っていた。
そのうち、バターの焼ける良い匂いがしてくると、オーブンで焼け具合を確かめるマリアンヌ様を見て、ルルーシュが勉強をやめてミルクたっぷりのお茶を淹れてくれるの。
シュナイゼルお兄様はテーブルのセッティングを。
年の近かったナナリーと席がいつも隣で、笑いながらお行儀を気にせずに温かいスコーンを皆で食べるのはとても美味しかった。

いつもいつも、抱きしめてくれたのは母ではなくコーネリアお姉様だった。
周りはいつも笑顔が溢れていたのに。

私はどうして忘れていたの。

あれは、あの温かい空間はマリアンヌ様が作ってくれていたのに。

思えば、ルルーシュはいつも周囲を見回していて、問いかけると『なんでもない』と答えていた。
その言葉に、お姉様が安心してため息を吐くことも。
不思議に思っていたけれど、あれはきっと私たちを邪魔する誰かが入ってきた時に、すぐに対応できるようにルルーシュが警戒していたのね。
皆を、きっと一番はマリアンヌ様とナナリーを守るために。
私はルルーシュやお姉様に守られている事を今の今まで気付かなかった。

ルルーシュは、お姉様と一緒だった。
守るためにいつも戦っていた。
難しい本を読んでいたのには、理由があった。今、解った。
マリアンヌ妃にあの時理由を聞いたことがあって。確かそれは
『家庭教師をしてくれる方がいないから、ルルーシュは自分で勉強しているのよ。私も教えたいけれど、ほら、平民出だし、令嬢とは程遠い騎士だったから』って・・・。あのときは勉強しなくていいなんてとても羨ましいと思ったけれど、そうじゃない。
そうじゃなかった。
あれはこの母親の妨害の一つだった。
家庭教師が教えるはずの作法や教養が出来ないことを見下すための妨害だった。
だから皇帝が手配したはずの家庭教師を行かせなかった。
勉強できないことを不出来だと嗤うために。
だからルルーシュは一人で立ち上がったんだ。母親と、妹を、守るために。
ルルーシュは、ルルーシュは、あの二人を守るために一生懸命だったのだ。だから、だから。
あぁロイド伯、貴方が言ったことは本当に正しい。
私は甘えていた。とても、甘やかされていた。思考を辞めて、流されるまま、他人のせいにして生きてきた。
昨日、実の母親に殴られなければ分からなかった。何もかも、解っていなかった。
私はお飾りにもなれないほど、馬鹿だったわ。

『ルルーシュ様が何でも持っているように見えたなら、それは間違いだ。そうしなければならなかった。そうでなければならなかった。なぜなら、』

殺されてしまうから。

弱ければ、殺されてしまうから。

実際に、権力が無いからと、庶民出で後ろ楯がないからと、マリアンヌ様は殺されてしまった。
ナナリーだって日本で死んでしまった。
一緒におやつを食べて、ルルーシュを取り合った可愛い妹だったのに。


誰に。



おかあさまに?


呆然と立ちすくむユーフェミアの隣で元第六皇妃は喚く。

「わた、わたくしは知らなくてよ!?コーネリア。そんな、野蛮な」
「もう、誤魔化さなくて結構。
解っています。弁明も不要です。貴女方、第六皇妃と、フリューゲル公爵家、シュナイゼル兄上の母である第二皇妃と、その実家。
この四方が共謀して、アリエス宮にテロリストを入れたことはもう調べが着いています。
第二皇妃と、その実家は十年前にシュナイゼル兄上があのElysionを建てる前に、自らの母である第二皇妃とその実家の当主を捕縛し裁判にかけて北の離宮へ追いやった。
それから共謀した相手をずっと探していた。帝都純血派が尻尾を出すまで。
逃げられるなんて、思わないことだ。
次期皇帝は、貴女を大変憎んでいます。彼から、マリアンヌ様という『母親を奪った』のだから。」

「ヒッ・・・!」

隣でガタガタ震える女を見て、ユーフェミアは自分もきっと許されないだろうなと感じていた。
ルルーシュや、ナナリーが死んだと言われた時、自分は歓喜してしまった。これでルルーシュ比べられることはない。
死んだら、もうお兄様に触れられない。ざまあみろとも思っていた。
ルルーシュが、お兄様をいつも一人占めしていたから。
ルルーシュの前でだけ、お兄様は笑うのだもの。

あのとき撃った銃の感触が、今日になって鮮明に掌に残っている。

ルルーシュは生きている。

そのことに、心の底から安堵している、ずるい自分がいる。

ルルーシュは生きているのだ。


「どうして、どうしてなの。貴女は私の娘でしょう!?母親が可哀想だとは思わないの!?」
がっくりと肩を落としながら、そう呟いた母親を見て、コーネリアは嗤った。
「何をもって、貴女を母親だと思えばいいのか分かりませんよ。フリューゲル嬢。」
「貴女のために、貴女のためを思って教育したわ!帝位をと考えていたのよ。なぜシュナイゼルが帝位に拘っていないことを話してくれなかったの?そうすれば、」
「貴女はなにもしていない!貴女が私にしたことを挙げてあげましょうか!?
私を母親として抱き締めるより前に、皇女を生んだ、ただそれだけで権力という暴力を他者に振りかざしました!
私が貴女にとって都合のいい子どもにするために勉学を強制し!
でもそれだけです!
私の話は聞かず、周りと比べて貶し…!周囲から誉められることがあっても『この程度』と溜め息を吐き…!
私は善悪も、教養も、作法も、礼節も、志も、武道も、肉親という概念さえ貴女以外から教わりました!
貴女から教わったことは、ユーフェミアを貴女から守ること、暴力から逃げること、何も言わずに耐えることです!
これが母親と言えるのですか!?
シュナイゼル兄上が帝位に拘っていないことなんて、貴女などに!話す筈がない!
マリアンヌ様との約束でしたから!
アリエス宮でのことは、私たちがお互いの身の安全の為にも、他の人に、特に身内には絶対に喋らないようにと!
マリアンヌ様は、最期まで私たち兄妹のことを考えてくれていましたよ。
口が比較的軽かったお調子者のクロヴィスさえ、それは徹底していました。私たちは、私たちの安らぐ場所を守るために、貴女方、皇帝の皇妃たちには絶対に言わなかった。言ったが最期、殺されることがわかっていたから!」

「いいえ、いいえ、でも、でも、でも結局シュナイゼルが帝位に就くことになったじゃない!やはり、あの男は帝位を狙っていたのでしょう!?お前だって軍人になったのは、帝位につく為ではないの!?」

「何を仰るかと思えば・・・。貴女方のせいですよ?」

いまいち飲み込めていない母親に、コーネリアは溜め息を吐き、嗤いながら冷たく言い放った。

「貴女方が私たちの、心の母であったマリアンヌ様を殺して、ルルーシュとナナリーを日本に遣り、あの子達が日本に着くや否や帝国情報部の幹部に賄賂を渡し、対日本戦を勝手に開いて、結果ナナリーが死に、ルルーシュが生死不明になったからです。
シュナイゼル兄上は、それまでは政治については傍観者でした。
手や口を出すなんて面倒だといつも言っていた。
でも、開戦が叫ばれ、ルルーシュの国葬をマリアンヌ様の後ろ楯であったアッシュフォード家や、ランペルージ家が執り行うならまだしも、貴女方が勝手に執り行ってからは、上層部に強い不信感を覚えていましたよ。
兄上は馬鹿ではない。
自ら手塩をかけて育てた優秀なルルーシュが何もせぬままエリアで死ぬとは考えられない。
彼女ならブリタニアからの使者として日本の総理と同じテーブルに着き、協議できたはずです。
出来なかったのならば、それはルルーシュを邪魔する誰かがいたから。
しかも、その人物はルルーシュやナナリーが死んでも良いと思っている。むしろ、ルルーシュやナナリーが死んで得する人間が糸を引いているだろうということ。誰だろうと探るより前に、シュナイゼル兄上の母親と、貴女が何も関係性の無いルルーシュの国葬にしゃしゃり出てきた。
兄上の中で貴女方はその時に黒になった。ルルーシュを殺した相手だと。
私に言わなかったのは、ユーフェミアを守る力が不十分だったこと、そのユーフェミアの口が軽かったからです。
ルルーシュが死んだと聞かされた時にシュナイゼル兄上は、『もう傍観は辞める。帝位に必ず就き、ルルーシュを害した全てのものを白日の元に晒し排除する』と私に宣言しました。
私も、到底許せなかった。
可愛いルルーシュとナナリーを奪った日本に必ず報復し、マリアンヌ様の仇を討ちたかった。
帝位に兄上が就くのなら、必ず仇討ちができる。自分はその時に、彼の手足となろうと決めた。
それがまさか、こんな身近に犯人が居たなんて…。日本に報復を誓う前に、真相を見つけるべきだった…!
自分の致らなさに吐き気がします。

軍人になったのは、ダールトン家の家風が私には合っていたこともありますが、手っ取り早くユーフェミアを守るための算段をつけるためです。
武器無くば生き残れない。
私にとっての強み、武器は行動力であると感じたからです。
シュナイゼル兄上にとっての強みとは知略であり、戦術だった。でも私は彼のような能力はない。
知略を張り巡らせるよりは、体を動かした方が上手く行くことが多かった。
マリアンヌ様はいつも言っていましたよ。
貴女は手足が長くて筋肉質だからナイトメアフレームの操縦に向いていると。もし軍人になればきっと多くを守ることのできる素敵な将軍になれるわ、と。女の子だからって、お嫁さんになるだけが生きていく道じゃないのよと。
皆が違う角度から、それぞれの手腕で帝国を豊かにして、民を守れたらいいのにと。
目から鱗でした。
そんな考えは思い付かなかった。
これを聞いたときに私は体現したくなりました。だってそれは誰も死ななくていい図式でしたから。
シュナイゼル兄上とルルーシュが内政をし、治める。
兄上は帝国全土を見据え、法律を整え各国との連携や、税政策などのハード面、ルルーシュは福祉、医療、教育といったソフト面を担う。
私は軍人となって信用に値する軍部を作り帝国を守護する。
クロヴィス、あの子は美術館や博物館、テーマパークを手掛け観光資源を確保し、オデュッセウス兄上が趣味でしている農業研究を民に下ろし第一次産業を活性化させ、ギネヴィア姉上が商業を盛り上げ、通信事業や被服などの分野で活躍する。
ユーフェミアとナナリーは、慈善活動を通して民の近くで寄り添う皇室像が出来たらと、本気でそう思っていましたよ。
カリーヌは軍部参謀として、カリーヌから下の子達は自ら道を探し、それを兄妹全員がサポートする。
そして平和な時は、皆でテーブルを囲めたらいいと。兄妹で手に手をとってすすめたらよいと。
一人の能力が全能でなくとも、皆で足して足りないところを補い、兄妹で力を合わせた帝国の統治ができればと…!

シュナイゼル兄上が帝位をと叫んだのはそんなことは甘い考えだと痛感したからですよ。
兄上はずっとルルーシュを想っていた。その相手が身分が低いという理由だけで理不尽に消された。

貴女方が権力を失くし、皇帝が亡くなるまでに同じ兄妹が何人死ぬのか、シュナイゼル兄上には、先が見えていた。
実際に、ナナリーは日本に遣られて戦場で亡くなり、クロヴィスはテロリストに撃たれた。
貴女方が唆したせいでジェイルは間違った思想を抱き、生きてやっと帰ってきたルルーシュはユーフェミアに撃たれた。
しかもユーフェミアは皇帝の子どもではないと言う!
撃たれたルルーシュには次代の子どもがお腹にいた。
兄弟姉妹が血で血を洗う闘争に終止符を打つべく、シュナイゼル兄上が上に立つ覚悟を決めてくれた。
これ以上外野が口を出して兄妹が死ぬ状況を止めるために。
誰か一人を決めることで回避できるなら、と。
オデュッセウス兄上が、長兄であっても自分では皇帝も、家臣も、皇妃らも納得しないだろう。そうなれば更に熾烈な帝位争いが起きてしまうだろうから…!シュナイゼル、頼むと頭を床に擦り付けて頼まれたから…!
シュナイゼル兄上はあんなに面倒だと言っていたのに…!
私より酷い抑圧された幼少期を過ごしていたから、愛する者と自由に生きていきたいと話していたのに!
貴女方が、シュナイゼル兄上を変えたのです!他でもない貴女方が!」

目を見開いたまま崩れ落ちる母親を見て、ユーフェミアは痛みをこらえた。
シュナイゼルお兄様に拘ったのは、自分の責任だった。
皇后陛下の地位と、すべての民から愛される称号が欲しかったからだった。
全て間違っていた。

「兄上は、貴女方を決して許しませんよ。これから先は、兄上に直接聞いてください。」

つれていけ、と言われて母親である元第六皇妃をジノが担いで退室した。
部屋にはコーネリアと、ユーフェミアだけが残った。












「ユフィには、とても悪かったと思っている。」

項垂れた様子でコーネリアは涙を溢した。

「お姉様・・・。」
「私は、ユフィが死んでしまう事がとても怖かった。ユフィが痛め付けられることも避けたかった。ただただ守らなくては、と。思っていた。
でもそれは間違いだった。
結局私が過保護にした為に、お前から自分で考えて行動するという思考を奪ってしまった。
だから、あの女達に良いように扱われてしまった。あの女の都合のいいように。そんな駒にされてしまった。
・・・ルルーシュとも会わせるべきではなかった。
アリエス宮に行かなければお前はルルーシュと比べられることもなかった。
ルルーシュは、天才だったから。
天才と比べられて劣る自分を疎ましいと思う気持ちは私も知っていたのに。でも、これだけは解って欲しい。

私はお前がどんな罪を犯していても、庇いたくなるほど愛している。
お前はとても優しい子なのだと、そんなことは間違いなのだと叫びたくなる。
お前は生まれた時からシュナイゼル兄上の婚約者だと私も思っていたし、ルルーシュが生きていると知る前までは、シュナイゼル兄上の妃に推そうと思っていた。
シュナイゼルの母親と私たちの母親が従姉妹であることが議会で言われ、皇帝がリ家からの輿入れは血縁関係が濃くなり過ぎることを危惧してお前の名前がシュナイゼル兄上の皇妃の枠から消された時にも、それでもユフィの恋を叶えてあげたかった。

でも、兄上はルルーシュしか愛していない。

というより、ルルーシュ以外を愛せないと兄上は話していた。
兄上は私より酷い幼少期を過ごしていて、そのことで、兄上は一時期自分を人間だと判断出来なかった時期があるんだ。
何をしても優秀以上にこなす兄上だったが、その頃は、世界が模型のように見えていたと話してくれた。
毒味の人が死んでも、家庭教師が鞭打っても、母親から詰られても、皇帝に謁見しても、エリアを平定しても、怖いとか、痛いとか、寂しいとか、幸福だとか、こうしたいとか、果ては味覚や痛覚さえ感じなかったのだと。
自分はそういう人形だと思っていたのだと。
それが異常なことだと知ったのが、アリエス宮でのひとときだったのだと。
自分を人形ではなく人間だと認識したその瞬間のことは鮮明に覚えているとも話していた。
雲の中を歩き回って砂を噛んで生活していたのに、視界がゆるゆると鮮明になりはじめ、その場所に行くといつも何の味もしないスコーンと紅茶がとんでもないご馳走になるのだと。
テーブルに着くと、自分と手を繋いでいる美しい少女が見える。その少女が笑うと、まるで霧が晴れたように回りが生き生きと鮮明に映るのだと。
自分はアリエス宮で喜怒哀楽を教わったのだとシュナイゼル兄上は話していた。だから、ルルーシュでないとダメなのだと。
あの子がいなかったら、きっと自分は指示を飛ばすだけの感情のない人形になっていたと笑っていた。
ユフィの恋も叶えてやれそうにない私は、ユフィが早まる前に新しい婚約者を探そうとしていた。
でもその前に私はユフィの話を聞くべきだった。私がユフィにしたことは、あの女と同じことだ。本当に申し訳なかった。」

頭を下げて泣き崩れる姉に、それは違うと、ユーフェミアは言いたかった。
全部感情のままに暴力を振るった。
皇帝にスザクを取られたときも、スザクが悪いと思ったし、ルルーシュとお兄様の結婚式だって、ルルーシュがお兄様を取ったと思った。
全部全部自分以外のせいにして生きてきた。
それはとてもずるい、ずるい生き方だった。
この上、今まで身を呈して庇って、守ってくれていたコーネリアお姉様のせいにしたくない。
それだけは回避しなければならない。
ユーフェミアはしゃくりあげながら涙を流した。
「おね、お姉様が悪いんじゃない。私が、私が悪かったの。」
「ユーフェミア…。」
「ルルーシュに、なりたかった。だって、ルルーシュなら、誰からも求められて、認められる。わた、私は、お母様の権力が、欲しい人からしか、声がかからない。」
「そんなことは」
「それでも!それでもいいって、思ってました。大丈夫、私は、皇族で、同じ皇族の、誰かに嫁ぐんだからって…!シュナイゼルお兄様に拘ったのは、私が汚かったから…!恋なんて、素敵なものじゃなかった。
だって、お兄様は一番帝位に近かった。お兄様の、お妃様になったら、皇后陛下になったら、わた、私のお母様の、権力が欲しかった人も、お母様も、見返すことができるからって…!でも、そんなに甘くなかった…!」
「ユーフェミア…?」
「私は昨日まで、お兄様の居ないお兄様の後宮にいました。・・・ルルーシュとして。」
驚いたコーネリアは立ち上がりかけたが、一連の騒動でユーフェミアが無事だったのは、シュナイゼルの宮に居たからなのだと納得した。
「・・・それで。」
「ルルーシュとして求められることは、余りにも多かった。
そして権力を持つことは、責任を伴うのだと初めて知りました…!
エリア11のことも、私の提案を誰かが形にしてくれていた。そうやって誰かの力を私は自分の力だと思っていた。愚かでした。
ルルーシュとして求められることを、私は何一つとしてこなせなかった。
隣国の王子が謁見するときの晩餐会に何を出したら良いかメイドに聞かれても、そんなこと誰かがすればいいって言ったらそのメイドは、『私たち従僕が、お仕えしている方以外の方をおもてなしする時、従僕が考えておもてなしすることはありません。指示をお願いします』って言ったの。王子の嗜好や、隣国の宗教での禁忌、アレルギー、晩餐に出すカトラリーから食器の選別は妃の仕事で、重要ではなくとも必要だと。ブリタニア帝国で今、旬を迎える食材も王子が来ると決まった一年前に食材の手配はできているのに、晩餐のメニューの指示をお願いしますと言われて、私が今まで参加した晩餐会は全て誰かの手を介して作ったのだと知ったの。私は、私は本当に何も考えない、愚か者だったのだわ…!」


「お姉様や、周りの方々は私が成長できるための道を作ってくれていたのに、私がそれを、棒に振ったの!
ルルーシュは完璧で優秀で、でもそれはルルーシュがとてもとても頑張ったからだと、ついさっき思い出した…!
私には、いろんな先生がいた。
ピアノ、ヴァイオリン、淑女教育、教科の先生は全員教授だったし、ダンスの先生はトロフィーを持ってた。
語学の先生は8人いたのに、私は帝国で使う言葉しかわからない。
帝王学は始めてからすぐ辞めてしまった。
あんなに丁寧に教えてもらったのに、何一つ身に付かなかった。
昔はルルーシュに先生が居ないと知って羨ましいと感じたわ。でも違う。
ルルーシュは何でも完璧に出来た。
でもそれを教えてくれた先生は一人も居なかった。
一人も居なかったから、自分一人で全て勉強してきた。
それだけの覚悟を持って生きてた。ナナリーや、マリアンヌ様のために。
私はただ僻んで見ていただけ!
ルルーシュの立ち姿は誰より美しかった。ピアノもヴァイオリンも誰よりも上手だった。12か国語を話せるのは、楽譜にそれぞれの言語を書いてたから。一石二鳥って言ってた。
自分の力で道を全部全部切り開いていった。
私はそんなルルーシュの苦労も努力も全部忘れて私利私欲でルルーシュを、ルルーシュのお腹を撃った。
いらないから、この世にその子はいらないから、って、思ってた。
私がルルーシュになるんだから、いらないって。でも、あの宮で私はルルーシュにはなれなかった。だってルルーシュはとても優秀だったから!
皆が、皆が私を憎んでた。
当たり前よね?だって私が撃ったのだもの。撃って命を、ルルーシュの子どもを殺してしまったのだから…!」
「ユフィ!!」
「今、今になって、あの時の撃った感触を思い出すの。
昨日、あの宮でルルーシュの騎士に“学べたか”って聞かれた時に何も思わなかったのに。
あの宮から出された後で、血で汚れたウェディングドレスを着せられた時や、お母様が私を物で殴った時の方が遥かに鮮明に、知ることが 出来た。
痛みを知って初めて解ったの。
私は、殺してしまったのよ!
あの扉を守っていた従者も、お兄様とルルーシュのお子様も、ころして…!
痛かっただろうなとか、悲しかっただろうなと、今なら思えるの。これが自分だったら許せないって思うの。
今更!
昨日お母様に殴られてから、そう思えるようになったの。
私が、馬鹿だった!愚かで、価値がない女になってしまった。
だから、お姉様が悪いんじゃない。
私が、私が、一番愚かで、自己中心的で、色んな人の思いを踏みにじったの…!
帰れる場所が無いことも怖いと解ったの。ルルーシュは、7歳で日本に行かされたのに…!あの頃は私は命令だから仕方ないって思って、見捨てた。
ルルーシュには、どんなに謝っても足りはしない。
裁判にかけられて、私は罪を償うわ。だってもう、それしか償いの仕方が分からないの。
それだけの暴力を振るったの。ごめんなさい。本当にごめんなさい…!」

生まれて初めての後悔と、自責の涙を流すユーフェミアに近づき、コーネリアはその短くなってしまった髪の毛を撫でた。

「・・・裁判では、真実を話しなさい。自分の気持ちも、何も隠さずに。
そうして裁判が終わって、罪を償ったら、お前は南方の修道院へ行くことが決まった。」

ユーフェミアは、涙を拭きながら姉を見上げた。

「北の離宮に、あの女と一緒に行くことになっていたが、昨日になってシュナイゼル兄上から、中華連邦との国境に近い南方の修道院へと減刑の嘆願書が出されて、それを陛下が今日受理してくださった。ルルーシュが、お前を許してくれと、シュナイゼル兄上に頼んでくれたのだ。」

突然のことに、前が見えなくなるほどの涙が溢れる。
今後あの『しつけ』が何度も待っているのだと、絶望していたから。

「どうして、どうして…!」

泣きながら姉に理由を問う。
だってルルーシュを撃ったのは自分であるのに…!

「ナナリーも、クロヴィスも、もう居ない。
あの頃アリエス宮に居た兄妹を、ルルーシュは喪いたくないと泣きながら話していた。もう、誰かが傷つくのも、殺されるのもたくさんなのだと。
お前は嫌がるだろうけれど、と話していた。
引き受け先もグランストンナイツにひそかに頼んで探していた。
あの修道院は皇后陛下の息のかかった所だから、悪い扱いにはならぬだろうと。それに、」

コーネリアは掌をぐっと握った後、ユーフェミアを抱き締めた。


「ユフィ。お前の本当の父親である、ノースライド侯爵が、お前の刑期があけて、修道院でおちついたらお前を娘のユスティーナとして修道院に迎えに来てくれる。」

「・・・本当の、おとうさま…?」

「ノースライド侯爵は、反逆罪だと分かっていても、私たちの母親を、幼い頃から好いていたのだと。
あの女と関係を持てたことは、身に余る喜びだったと話していた。
お前が生まれてからは領地のことを理由にして登城しなかったが、家に居もしない娘の戸籍を作っていた。
・・・侯爵家の、お前の戸籍だ。
ユフィがしたこともご存知だったが、皇帝への当て付けで自分と関係した愛の無いあの女と、子は駒でしかない皇帝の娘として育てられた可哀想な娘に会いたいと何度も涙ながらに仰っていた。
本当ならお前が女だと分かれば生まれてすぐに侯爵家に養子として入る手筈だったらしい。女でも使い道があると見たフリューゲル嬢は、お前を手元に残し、ノースライド侯爵とはそれから連絡を取っていない。
かの侯爵は、帝都には遠く及ばないが、自分のノースライド領でゆっくり過ごしてもらいたいと。親子の時間が持てたら良いと。そう、言っていた。
夫人はおらず、今回のことで侯爵位から子爵位へと降格されるが、サテンのようなふわふわした桃色の髪の毛はユフィとそっくりだった。
あとは、ユフィが自分がどうしたいのかをゆっくり考えたらいい。」

姉からゆっくりと体を離されて、皇帝の娘じゃなかったことをこんなに嬉しく思ったのは初めてだった。

私は愛されていた。
この姉から、そして遠くない未来に出会うであろう本当の父親に。
そして、ルルーシュに。
それはとても身に余る幸せだ。

泣きながらその場で最大のカーテシーを行う。これだけは、誉められたくて覚えたのだ。

『あら、ユーフェミアさん、小さな淑女ね。お手本みたいよ。』

チャーミングに笑ったマリアンヌ様に、誉められたくて。

「コーネリア殿下、今まで大変お世話になりました。これからも、殿下のご多幸をお祈りしております。
・・・それから。
ルルーシュ妃殿下に謝罪とお礼をお伝え下さいますでしょうか?
ルルーシュ妃殿下、私が愚かでした。それなのにお許し頂き、生きるチャンスを下さり、大変申し訳ございません。私ごときの願いを口にすることは不敬とは思いますが、妃殿下の治めるブリタニア帝国が、幸多いことをお祈り致します。」
「伝えよう。」
「ありがとうございます。」

顔を上げて少しだけ笑うと、コーネリアも少しだけ笑ってくれた。
きっと次に会うときは、自分はユーフェミアではない。
コーネリアも、皇女ではない。
もしかしたら、もう会えないかもしれない。
どうなるかは分からない。
自分が立っている場所は氷の上より脆くて崩れやすい道の上だ。
それでもこれからはこの道が破れないように、破れない場所を自分で見極めながら、探して、思考して生きていかなくてはならない。
自ら道を切り開いていったルルーシュのように。覚悟を持って。

「…!お元気で、お姉様。」

カーテシーしている真横をコーネリアが通りすぎるのを待って、もう戻れない日々に再び涙を流した。
扉をノックする音が聞こえて、ナイトオブスリーが車へ誘導する。
車はゆっくりと裁判所へ向かって走るのを、ラウンズナイツに混ざったコーネリアは見届けた。

こうして、ユーフェミア・リ・ブリタニア、この残虐な皇女は、歴史からその存在を消すこととなったのだった。








Elysion宮殿は、ハロウィンの飾り付けで大忙しだった。
10月の暮れである。
ルルーシュが、この宮からエリア11に飛んでから1年と少しが過ぎようとしていた。

この宮の小さな主は、最近めっきり食欲が落ちてしまった。
シャーリーは、じゃがいものスープをエルモアの口に運ぼうとして首を横に振られた。
昼食を始めてから、まだ小さなロールパン1つと、じゃがいものスープを少しだけ口にしただけだった。
食べさせたいが、無理をするとこの皇子様は無理矢理食べて、後から吐いてしまう。
それは自分達は望んでいない。
もう少し粘りたい気を押さえつけて、シャーリーはエルモア殿下の頭を撫でた。
「お腹が空きませんか?」
首を横に振ると、申し訳なさそうに曖昧に笑って、カトラリーをテーブルに置いた。
夏を少し過ぎたあたりから、エルモアは声が出せなくなっていた。
はくはく、と空気が揺れる音がして、つい最近読唇術をマスターした咲夜子が眉を寄せる。

『おかあさまの、プリンがたべたいの。』

第六皇子を捻り潰してやりたいと、咲夜子は思った。
彼から母親をあのクソ男が取り上げ、シュナイゼルがこの宮に幽閉していたユーフェミアがやっと居なくなってくれて、そろそろルルーシュ様が帰って来てもいいでしょと思っていたのに。
あの第六皇子が色々と手を染めてくれちゃってたから、日本へのフォローが遅れて本国への帰還が延びてしまった。
リヴァルがストレスにかまけて、栗かぼちゃの芽をうっかりむしってしまったと後悔していたが、自分もストレス発散して大理石のホールをワックスがけでスケートリンクにしてしまいそうだった。
ハロウィンで藁人形をつくろう。
五寸釘も忘れずに。
楽しい筈のイベントは、去年も今年もなかった。
新しく来る予定だった赤ちゃんのためのお部屋は、希望がいっぱい詰まったまま重いカーテンをかけ、鍵をかけることになった。
みんな、あの部屋を見ることは辛かったのだ。

エルモア殿下からお母様の単語が出たのに、自分達はどうしようも出来ない。
シャーリーが涙をぐっと堪えて、不敬とは思いながらもエルモア殿下を抱き締めた。殿下も、シャーリーの胸で目を閉じたのだった。

カレンもロイドもシュナイゼルもまだ帰らない。

この宮は1年前から火が消えたようだった。ルルーシュ一人いないことでこんなに変わるのかと、シュナイゼル殿下が苦し気に笑ったのが印象的だった。
ゆらゆらとシャーリーがエルモアを抱き上げて揺らすのを、リヴァルは堪らない気持ちで見ていた。
やはり、もう一度シュナイゼル殿下に手紙を、と部屋を後にしようとした時だった。

ダダダダダと、走る足音がした。
咲夜子があらぬ場所から銃を取り出し、エルモア殿下を抱えるシャーリーを背にした。リヴァルは近くにあったテーブルを立てた。
侵入者かと皆に緊張が走る。
足音は扉の前で止まり、軽い音を立てて開いた。

「エルモア!」

声を上げたのはルルーシュだった。
皆が驚き、目を見開いたのを見て侵入者だと間違われたのを悟ったルルーシュは、苦笑しながら「今帰った。」と小さな声でそう帰宅を告げた。




「お、おかえりなさい、ルルーシュ。」
エルモアを抱き上げていたシャーリーはすぐにその言葉を言った。
彼女は、あの悲しい結婚式でルルーシュがユーフェミアに撃たれた映像の後から会えなかった。
日本に行く前にルルーシュがElysionに寄れなかったからだった。
ラクシャータから聞いて、無事だと知ったのはしばらく経ってからだった。それさえ、ジェイルに連れ去られる直前で、その後は分からなかった。
エルモアと、リヴァルと、宮の半分を閉じて生活する日々。
ルルーシュの安否は分からずに、小さな主と一緒に待つと決めてからも不安は押し寄せた。
「おかえりなさい、ルルーシュ。」
「シャーリー。」
「よく、よくぞ、ご無事で」
エルモアを抱き上げたまま涙を拭えないシャーリーを、ルルーシュはエルモアごと抱き締めた。
「ありがとう、シャーリー。この宮を守ってくれて。エルモアに、寄り添ってくれて。」
目を閉じて眠っているエルモアをシャーリーから抱き上げて、ルルーシュは眉間に皺を寄せた。
「大きくなった。その間見れなかったことが悔やまれる。…少しやせたか?」
「夏ごろからお喋りが出来なくなって、食べることもその辺りから徐々に…。先生はストレスだって話していて。」
子どもを強く抱き締めて、ルルーシュは小さく「すまなかった」と泣いた。
小さなこの体でどんなに耐えたのか。
マオにも聞いていたが、突然笑いだしたり、泣き出したりと情緒不安定だったようだ。
「それでも今日は、ルルーシュのプリンが食べたいと話していたの。」
「今は時期がかぼちゃだな。リヴァル、かぼちゃは・・・」
エルが眠っている間にかぼちゃのプリンだな、と考えたルルーシュは、青白くなったリヴァルに気づいた。
「どうした?」
「かぼちゃ、なんですがね。」
「なんだ。」
なかなか喋らないリヴァルに、咲夜子は同情した。
「リヴァルさん、間違ってかぼちゃの芽を摘んでしまったので、今年はかぼちゃがないんです。」
「は?」
「いやあ、あのですねー。ちょっと、考えごとしてて」
曖昧に笑ったリヴァルに、ルルーシュは学生の時と同じように溜め息をついた。
「・・・まぁ、リヴァルのすることだからな。かぼちゃは諦めよう。だが、今日はパーティーだ!皆でごはんを食べよう!」

久しぶりのルルーシュ様のご飯!

宮中が歓喜に包まれた瞬間だった。
エルモアはそのまま執務室のソファーベッドに寝かされ、ルルーシュは夕飯の為にキッチンへ急いだ。


4時になってロイドやカレンが帰って来てからは、部屋の中が更に賑やかしくなった。
エントランスには花が飾られ、沢山のランタンが廊下を彩る。
主の帰還に、宮全体が光を取り戻したようだった。










笑い声で目が覚めたエルモアは、虚ろな目をしたまま飾り付けられた廊下を歩いた。

シャーリーもリヴァルも居ないことを不思議に思って廊下を歩いていたら、いつもは鍵が掛かっている晩餐会用のホールが開いている。
そこをのぞきこむと色々な料理が並べられており、いい匂いがただよう。

キラキラと光る食器にカトラリーはまるで夢の中にいるよう。
誰かお客様がきたのかしら?と首を傾げて思案していると、脇の下に手を入れられて後ろからゆっくりと抱き上げられた。


びっくりして振り返ると、そこには会いたくても会えなかった母が笑っていた。


「ただいま、エル。」


あまりに現実味が無くて、目を見開く。手を伸ばしても、夢の中のように消えてしまわない。
おかあさまだ、とエルモアはその首にぎゅっと抱きついた。
ちゃんと温かくて、いい匂いがする。


おかあさまだ…!


何度、何度あの悲惨な映像を見てしまって泣き叫んだだろう。
すごく綺麗だったウェディングドレスが、瞬く間に真っ赤に染まっていった。
血の中に倒れた体がピクリとも動かないことに体から血が抜き取られるような、そんな気が、した。
タンカーで運ばれていく様を、父が、あの父が大きな声を上げているのを見て、ロイドが駆けていったのを、ただ見ていることしかできなかった。
その後も、おかあさまの、お子さまが死んでしまったと、父から聞かされて。おかあさまの、体が良くなるまで待ってようと、そうしようと皆で頑張って待とうと話していたけれど、不安で。
とても、とても不安で。
もしかしたら、もう、帰って来ないのではないかと、何度も、何度も、不安になっては思い直して。
それでもやっぱり不安で。


でも、帰って来てくれた。


声もなくしゃくり上げるその小さな背中を、ルルーシュはとんとん、とゆっくり叩いた。
首にしがみついて泣くエルモアは、きっと叫び声を上げているのに、何も聞こえない。
この子を引き取った時にもう、悲しい思いはさせないと誓ったというのに…!

「エル。長いこと待たせてしまって、ごめんなさい。元気だった?」

泣くエルモアにつられてルルーシュの瞳にも涙が浮かぶ。
エルモアは何度も何度も頷いて、更に大泣きした。



なかなかキッチンへ帰って来ないルルーシュを呼びに来たロイドは、やっと会えた母子の再開に気づくと、エルモアに向かってにっこりと笑った。

「エルモア殿下、僕が!エリア11からお母様をお連れしましたよ。エルモア殿下、誉めてください!」

あまりに大きな騎士の声に、エルモアは涙で真っ赤になった目をロイドに向けて手を伸ばした。
ロイドはエルモアに近づくと、少し屈む。
エルモアは、ロイドのプラチナブロンドをゆっくりと撫でて、唇を『ありがとう、ロイド伯』と動かした。
そのしぐさがルルーシュと似通っているのを、機嫌良く見つめたロイドは、「お褒めいただき、ありがとうございます。」と続けた。
ルルーシュは呆れながらも、「今日はお祝いのパーティーよ!さぁ、私が作ったプリンが食べたい人はだぁれ?」とエルモアを見た。
エルモアは、パッと笑顔になった後で、ルルーシュに再び抱きついた。

おかえりなさい、と大好き、を同時に伝える為に。


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