アネモネ 第四章
『お願いがありますの、陛下。』
女神はこうなることを、ずっと前から知っていたのだと言うことを知る。
『あの子たちを、日本へ。』
女神、お前の人生は閃光のように輝いていた。一瞬の煌めきは多くの人間を魅了した。
『ええ、大嫌い。』
手など触れられなかった。お前は最期まで高潔だった。その真っすぐな魂に魅かれた。
『ご達者で、陛下。』
私が唯一、触れられなかったもの。
だが女神、お前は知っているだろうか。
恋に狂った愚かな私は、お前から手足を奪い去ってしまうほど、
「愛していたのだ。」
聞こえているか?女神。否―――“マリアンヌ”
******
「僕は、自分が貴方方の兄妹だということを、ずっと前に聞かされていました。でも、こうして会うということは・・・正直考えていなかったですね。」
朗らかに笑いながらロロ・ランペルージはルルーシュを見た。
飛んでいるアヴァロンの中、艦の主要人物を取り囲むようにして席が設けられている。
弟だという、ナナリーにそっくりな彼のその言葉にルルーシュは眉間に皺を寄せた。
「なぜ、」
「僕とナナリー殿下は二卵生の双子でした。マリアンヌ皇妃が何を考えたかは存じ上げませんが、おそらくは皇帝宮に住む人間から僕を守ってくれたんだと思います。僕は―――貴方方と違って男でしたから、第三皇妃や第六皇妃に殺される危険があった。だから、双子の方割れは死産と言う形にして、当時後継ぎがいなくてお家断絶の一途を辿っていたランペルージ男爵家に、後継ぎをやるという恩を売ったんです。でもそれは貴方方を守るという伏兵でもあった。僕が貴方方の後見人に名乗り出れば、こんなナリでも歴史ある由緒正しい男爵家のバックが付くことになりますので。だから、後見人に名乗り出るときより先には名乗り出ないものだと思っていました。」
「そうだったのか。」
悲しそうな顔をしたルルーシュに、ロロが慌てて首を横に振る。
「あわわ、そんな顔をしないでくださいったら!逆に僕はあの皇帝宮の醜い争いに巻き込まれることもなく、ここまで生きてこれたんです。両親もすっごく大切にしてくれましたし、ときどき来るマリアンヌ皇妃とも話す機会も有りましたし。」
「母に、会えたのか・・・?」
「ええ。よく皇帝陛下と一緒にいらしていましたよ。最初のうちは二人はうちと近い親戚の人かな、と思っていたくらいです。陛下の方は、いつも父と難しい顔をして話しこんでいましたが、皇妃さまとは一緒に鬼ごっことか、軽い料理とか、勉強とかしていました。
皇妃さまはとても博識で、どんな先生よりも、ずっと授業の内容が面白くって・・・」
少し照れたように、ロロは頬を赤く染めてふんわりと笑った。
「そうだったのだな。」
ルルーシュは納得したように頷いた。
「現在は、総督府の手伝いをしてもらっているんだ。優秀な部下の一人でもある。」
ルルーシュの膝の上に自らひざかけをかけたシュナイゼルは、ルルーシュの隣のソファへ深く腰掛けた。
「殿下、日本は・・・。」
「少し厳しい状況だが何とかできるよう手を尽くそう。経済特区のことと帝都純血派の事は放っておけない。非道なやり方は弱者には当然と思われるかもしれないがね、ルルーシュ。
帝位簒奪にしては愚かな行為だ。エリア11の資金のほとんどが不正に私費に使われたとあれば、流石にそのまま、と言うわけにはいかないな。ジェイルは失脚するだろう。帝国議会はそれほど甘くない。」
「では、エリア11は・・・。」
「臨時だが、兄上に任せようと思っている。補佐には父上からジノをお借りして、バトレーを向かわせる。次の総督が決まるまでの3ヶ月間だけの予定だが、忙しい中でもあの方なら応じて頂けるだろう。」
「早く次の方を決めなくてはいけませんね。」
「ああ。」
頷いたシュナイゼルに、ルルーシュはほう、と息を吐いて隣に座るシュナイゼルの肩に凭れかかった。
「ルルーシュ?」
落ち着いた声に安堵する。ルルーシュはそのまま大きく肩の力を抜いた。
「――――・・・私は、独りではなかった。」
ルルーシュはあの夏の日に全てを失くした、と思っていた。
カラカラと、ただ風に回る車椅子の車輪を見たときに。
母を喪って、残された自分の唯一人の妹が誰をも憎まずに自分の名前を呼んでこと切れたときに。その体を荼毘に付した時に。
でもそうではなかった。
「ロロ、私は今とても幸せだ。」
「妃殿下?」
目の前が再び曇る。
「母が撃たれて…ナナリーを喪ってからの8年間は、ただ皆消えて無くなればいいと思いながら生きてきた。独り生き残った自分の生命力を呪い、この中に流れるブリタニアの血を憎んだ。それは今も変わらないが、でも。」
ルルーシュの頬を伝った涙を、シュナイゼルの大きな掌が拭った。
「―――私は今日初めて、このゴキブリ並みの生命力に感謝したい。ロロ、私は幸せだ。とても…とても幸せ者だ。」
泣きながら口角を上げると、ロロ・ランペルージ男爵は呆れたように笑った。
「妃殿下のゴキブリ発言に是を返したとあっては、僕が咲世子さんに怒られてしまいます。ですが、僕にも言わせてください。こんな僕に血のつながりを認めてくださり、ありがとうございます。僕は幸せです。世界一幸せな弟です。だってこんな生きた宝石みたいな姉がいるのだから。」
ロロの言葉にルルーシュは「大げさな」と呆れたが、シュナイゼルとロロは大げさにため息を吐いた。
「殿下、これが妃殿下の素なのですか?」
「そうなのだよ。あまり笑えたことじゃなくてね。色々考えてはいたのだが。」
「大きな鏡を設置してはいかがですか?」
「男として生活していたくらいだ、効果は期待できないよ。」
・・・・。
「それではこのお話はまた総督府で。」
「ロイドも含めてね。」
訳のわからない会話をされ、首を傾げたルルーシュに、お茶を運んできたロイドまでもがシュナイゼルに同情の視線を送っていた。
*******
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、」
走っても走っても出口が見当たらない。
ここは何処だっただろう。辺りを見渡せば黒い大地が宮を囲っている。
ゴロゴロと先程から聞こえる雷鳴のせいで空も黒い。
湿った土は否応なしに自分の足を絡め取る。底なし沼みたいに。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、きゃっ!」
小さな石に転がされ、膝を擦りむいた。
あまりの痛さに握りしめた手の甲に降りだした雨がかかる。
冷たい、冷たい、雨が。
「お姉様……!」
涙で濡れた頬を拭ってくれる優しい手は無い。
何時かの、愚かな自分が振り払ってしまった……!
「お姉様、お姉様、お姉様、お姉様……!」
柔らかな眼差しも、暖かいその膝も。満たされていた空間も、
もう戻らない。
「なぜ、なぜ、なぜ、」
ーーーーーーなぜ、私がこんな目に会わなくてはならないの!?
思わず手に握りしめた草を力任せに引き抜く。
水に濡れた髪の毛は土で汚れて、擦りむいた膝からは少しずつ血が滲んだ。
冷えた体は痛みを助長させ、ユーフェミアは自身の腕で自分を掻き抱いた。
自慢だったドレスは所々が裂け、むき出しの足は泥まみれ。
整えていた黒い髪も今や根元から褪せたピンク色が覗き、白い肌は傷だらけになって血が滲んで。
まるで、まるで、自分が化け物になったかのよう。
雨に濡れながら天を仰ぐとそこには巨大なガラスの壁が聳え立っている。
冷えた体をカタカタと震わせながら巨大なガラスの壁を見上げる。
見上げた頭上で閃光が走った。
続く、轟音。
「きゃあああああぁぁ!!」
慌てて耳をふさいで体を丸める。ガタガタと恐怖に震える体は、それでも誰からも守ってもらえない。
目の前にあるのは宮の外壁。
震える体を叱咤しながら立ち上がって、泥にまみれた手をその硬質な硝子に打ち付けた。
「誰か!誰でもいい!ここから、このなかから出しなさい!私は、」
呼吸音が大きくなる。この期に及んでまだ認めたくはなかった。彼の人の愛する唯一人の妃になりたかった。愛されて守られて当然の存在に。
でも、でも、でももう耐えられない。
声はよく通る方だと自覚している。もしかしたらたまたま通りかかった人が助けてはくれないだろうか。助けなくとも、母に居場所が伝わりさえすれば……!それさえすれば…!
ーーーーー私はこんな境遇を、こんな理不尽なことを望んではいない!
「誰か!誰でもいい!ここから、この中から私を出しなさい!私は、
ユーフェミア・リ・ブリタニアです!」
叫んだ瞬間にピシャァァァアと再びの轟音と閃光が走った。
叫んだ名前はかき消される。
更に強くなった雨に体が冷えていくのが分かったが、どうすることも出来ない。
嫌でも解ってしまう。
言葉は届かない。言葉は無意味。言葉は唯の音。言葉は無いもの。
ーーーー自分は何の力もない、ただの女なのだと。
それでもこの場所に居ることを良しとしない頭は現状を打破しようと目の前の硬質ガラスを力一杯叩いた。
「私を、私をここから出して……!」
幾度も叩いたが外宮からは音沙汰がない。
壁を叩きすぎた手は赤黒く変色していく。
とうとう膝の力が抜けて、その場にずるずると座り込んだ。
顔を伝うのは最早雨なのか涙なのか分からない。体が冷えて震える。
あまりの寒さに、カチカチと歯が震えて音が鳴った。
王宮にいて知るはずの無かった寒さ。
こんな寒い思いをルルーシュとナナリーはしたことがあるんだろうか?
いや、無いだろう。
ある訳がない。
だって守られている。メイドにも、庭師にも、あの得体のしれない心を読む不気味な生き物からも。そして何よりシュナイゼルお兄様があんなに目をかけているのだから……!
私はこんなにも理不尽な目にあっていて、可哀想なのに!
「ずるい!ずるいわよ!私だけ。……どうして!どうしてなの!」
悔しくて憎くて赤黒くなった手で土を引っ掻いた。やり場の無い怒りが全身を駆け巡る。
いつだって、優秀なルルーシュと比較されて生きてきた。彼女が領地経営に7つにも満たないときに乗り出した時に、ユーフェミアはまだ遊んでいるの、と影口をたたかれたりした。
優秀なルルーシュ、将来美しくなるであろう彼女。
高位の皇女たちから抜きん出て、たった7つの彼女はひどく恐れられていた。
―――皇女の中の皇女、最低位の才媛、完璧、優秀、秀才という言葉は彼女のためにあったのだから!
一つしか違わない自分は、仮に母や姉の七光りがあったところで、嫌というほど比較されてきた。教師も他の皇子、皇女からも―――父からさえも。
「だから、居なくなったと知ったときは安心したのに!」
彼女の母親が凶刃に倒れたと聞かされて、実際棺に入れられているのも見た。後ろ楯を亡くした彼女が男の子のような格好をしていたのを、内心ざまぁみろとも思っていた。
可愛いルルーシュ、美しいルルーシュ、聡明なルルーシュ、賢明なルルーシュ、慈悲深いルルーシュ、地位は低いがいつかは后に。シュナイゼル殿下も良い伴侶が早々に見つけられて良かった。他の皇女は、特にピンクの第四皇女はないだろう。王室で彼女が一番帝妃にふさわしい。新しい時代の担い手としてはこれ程ふさわしい方も居ないだろう。帝国はこれで安泰だ。
帝国はこれで安泰だ。
私の事など誰も見てはくれなかった。母の身分が高いから聞こえないようにはしてくれていたけど。
ずるいわ、ずるいわよ!
何故彼女だけこんなに大切にされる。何故彼女だけいつもこんなに優先される。
私はいつも置いてきぼり。
お姉様だって、ダールトン家の者が守っていて、私なんか、私なんか、
「私なんか、いつも、いてもいなくてもおなじみたい。」
空気に溶けた音を、背後から近づいた誰かの砂を踏んだ音がかき消した。
「もう、分かっているな。お前。」
自分がルルーシュではないことを。
言葉と同時にジャリッと土を踏む音がする。素早く後ろを振り向くと、緋色の髪の毛をした女の騎士が立っていた。
此処に来て初めて見る顔だ。
「あの…」
あぁ、これで救われた。良かった、帰ることができる。
赤い髪の騎士に希望を抱きかけたところで、その騎士は自分をキッと睨み付けた。あまりの眼光の鋭さに微笑もうとして失敗する。
「勘違いしないで。私はこの楽園にあんたがいるのが赦せないの。
だってここはルルーシュの為に造った場所。ルルーシュの為に機能してるし、ルルーシュしかこの宮は要らないの。要らないのよ。要らないのに、必要無いのに、殿下はここにお前を入れることを承諾した。正気の沙汰じゃない。お前のようなモノをこの楽園へ入れるだなんて。あんたなんかここに相応しくない。不愉快だ。すぐさま去ね。」
「そんなこと…!」
「わかってる?それともわからなかった?そんなこと私にはどうでもいい。早く消えて。
私はあんたが大人しく外に帰るならここからだしてやってもいい。でももしまたこの宮を襲ったり、ルルーシュに危害を加える算段をするなら今ここで息の根を止める。ちょうど、良い肥料が欲しいとリヴァルも言っていたし。」
さぁ、どうする…?
降り続く雨は体を冷やす。轟音の雷は今は収まったがまたいつ始まるかわからない。安全な場所へ行きたい。
今ここで判断しなければ、永遠にここから出られないかもしれない。
薔薇の肥料になどなりたくない。
「わたしは…!」
結論を言おうと口を開きかけたところで、緋色の騎士の後ろに見知った科学者の姿を見た。白い服を着た彼はここに来てからユーフェミアを援護してくれる。
この女の言うことを聞かなくとも安全に帰れる…!
ロイド伯爵は私の味方。
ちょっと頭がおかしくて、ルルーシュと私を勘違いしてるけれど、彼は優秀な下僕。大丈夫、これで寒くなくなる。安全な場所へ行ける。帰ることができる…!
目の前の女の騎士をキッと睨み付けて、再び口を開く。
「私は、」
言いかけると、高嗤いに言葉を遮られた。発する先は、かの伯爵だ。視線を彼に注ぐと、彼はお腹を抱えて嗤嗤っている。嗤っている、が、とても不気味だ。
…………あの、人の気持ちを読む化け物と似たような嗤い。渇いた人の嗤い。地獄の門番のような、冷たい声。
「あっはははははは!ダメじゃないかカレン~。そんなに優しくしちゃ!
コレにはもっともっともっともっと苦しんでもらわないと!」
ひとしきり嗤うと、かの伯爵は私を見つめた。唇から上の表情が削げ落ちている。
そのアイスブルーの瞳に見つめられると凍えてしまいそうな底知れぬ恐怖に体が支配された。
頭が彼の言葉を理解しない。
今、彼は何と言った?
「もっともっと苦しんでもらわないと、帳尻が合わないじゃない。
奥様の苦しみ、怒り、悲しみ、踏みにじられた全て!
あの諦めるしかなかった全てをソレに分からせてやれないじゃない!
殿下が帰るまでここにいてもらおう?カレン。
そうしよう、それがいい!
その女が生きようが死のうが僕や皆には関係ないし、勝手だけど、もし外に出してまたルルーシュ様に迷惑な行動を取ったら君も僕も皆も死にたくなる。
温情はかけない方が君も後悔が少なくていいんじゃないかなぁ?
ソレは好きで母親と姉の威光があるあの宮を出たわけだし!僕らにはソレがどうなろうと、関係の無いことだ。
ソレは、まだまだ足りないよ。ぜんっぜん足りてない。」
伯爵は足りていないと口を動かしたあと、切なく眉をひそめた。
「あの方の、絶望に比べたら、まだまだお遊びのようなものだよ。」
痛みをこらえる表情をした後、ロイド伯はこちらを強く睨み付けた。
「そう、まだまだ全然足りないよ。まだ空腹も、喉の渇きも、雨以上の寒さも、身が震えるほどの孤独も、耐え難い暴力も、近しい人の死を間近で見届けてもいない。身近な誰かの裏切りにも遭ってない。どんなに心を、言葉を重ねてもなかったことにされたことも。
自分の性別を偽らなければ生きて行けない理不尽さも、何度連絡をとっても無視し続けられる苦痛も、祖国から見捨てられ、死んだことになっている状況にも、何の罪もない血を分けた幼い妹が暴力の果てに死んでしまったことも、それを悲しむ余裕すらなかったことも、信頼していた幼馴染に感情を、存在の全て否定されたことも、……幼い頃ともに過ごした実の妹に、愛する人との子どもごと銃で撃たれて、子どもを殺される辛さもお前は知らないんだからね!」
狂った様に嗤う男に背筋が凍る。
「……貴方は」
私の味方だったのではないの。
この宮に連れて来たのは貴方はだったのではなかったの。私を苦しめ、苛むためにこの場所へ連れてきたの?
「どうして、どうしてそんなに私を憎むの!?酷い!酷いじゃない!
ルルーシュがエリア11に留学したときに私はちゃんと送り出したし、その後は何もしてないわ!戦禍に巻き込まれたのはそれは仕方がないことだし、ルルーシュのことだってちゃんと心配してあげたわ!スザクだってナンバーズなのに騎士にとりたててあげたし!それなのにルルーシュは私のお兄様を奪ったのよ!?ルルーシュこそ酷いわ!ルルーシュは私が欲しいものをみんなみんな持ってるじゃない!ルルーシュは残酷で、悪で、酷い人よ!」
白銀の騎士は唇の端を釣り上げた。
「ひ ど い?」
にやりとチェシャ猫のように唇をつり上げた男は満面の笑みで首をくにゃりと曲げて、でも笑っていない目をこちらに向けた。
「僕は大概破綻しているが、お前にだけは言われたくない。
あの方がみんな持っているように見えたのならそれは間違いだ。そうならなければならなかった。そうでなければならなかった。地位が、権力が無いから必要だった。
マリアンヌ様とナナリー様を守る為には非の打ち所が無いようにしなければならなかった。優秀で、完璧でなければならなかった。何故なら、利用価値のない地位が低い皇女はこの皇帝宮には必要なしと殺される運命にあるからだ。
現にマリアンヌ様は凶弾に倒れ、ナナリー様と共に人質として日本に送られた。力を欲したが、年齢があの方の最大の弱点となった。まだ少女だったのに…!
なぜ憎むか?当然だよ。あの方を害すお前は死ぬほど憎い。だから思い知らせたかった。
第四皇女。
あまたの手に守られ、それを当然と感じ無いものとして享受し、他者を振り返らず、自分を悲劇のヒロインかなにかと思っていそうな、このお綺麗なお姫様に。
お前がいかに要らない人間かを、傲慢で汚い、生きるに値しない存在かを、存分に分からせる為に。さて、ユーフェミア第四皇女殿下。」
「お勉強はできた?わかったかなぁ?」
幼子に言うみたいにゆっくりと言われた言葉を知った自分の体から全ての力が抜けるのが分かった。
感じるのは、恐怖だ。体が寒さではなく恐怖で震える。
「地獄へ、ようこそ。僕は熱烈歓迎するよ?お前が苦しみ、嘆き、もがく姿を。それはなんて、とっても素敵なことなんでしょう!
だってあの方には。ルルーシュ様には。あの頃味方は誰も居なかった。舐めてきた辛酸は、僕達が思うよりもっとずっと凄まじいものだっただろう。それなのに受けた苦しみは、愛となって民に還元される。自分のような存在がただ一人でも少なくなるように。そんな稀有なお方の命を脅かす存在には」
白の騎士は再び嗤って、唇だけ動かした。
『罰を。』
目を細めて嗤う男はゆっくりとした動作で腰にあった剣の片方を抜いた。
「ロイド」
赤い髪の毛の騎士が呆れた様にため息を吐くのにユーフェミアは更に震え上がった。
白い騎士のアイスブルーの瞳に射ぬかれて、ユーフェミアは産まれて初めて死の臭いを感じていた。
スラリと抜かれた刃は、暗闇の中でもそれは鮮明に瞳に映った。
耳の奥で聞こえる心臓の音が早くなる。
――――――――――怖い。
刃物を抜かれただけで体に震えが走った。
「ロイド、」
「俺はね、カレン。あの時の奥様の声が耳から離れないんだ。」
『―――――――――――ごめんなさい、ごめんなさい、貴方の、貴方の子どもを、守れなかった…!』
奪われた。目の前で、こんなにも大切にしている存在から!
あの病室での叫びは一番聞きたくなかった彼女の声だった。
握りしめた掌の皮膚から血が溢れても噛みしめた唇で口の中に鉄の味が広がろうとも、絶対に忘れてはいけないのだと心に刻み付けた。あの時、血を吐くほどの憎しみの中で自分は自分の生きる意義を失いかけた。
彼女はそんな自分を引き留めた。当たってくれれば良かった。詰ってくれれば良かった。『なぜ助けてくれなかったのか』と。でも悲しげに笑う彼女に赦された。赦されてしまった。
あの時、あの方が一番傷ついていたはずなのに・・・!
「この、女に。」
剣に映った自分の顔が、まるで生気が無いのにロイドは嗤った。ルルーシュの前で煌めいていた目は虚ろで、口角は斜め上に上がっている。まるで死神の様だ。
「復讐できる機会をずぅーっと、俺は、」
シュンッと素早く刃を振り下ろす。
「待っていたの。」
穏やかに見える微笑みには暗い影が見える。
――――――そう、ロイドはずっと静かに怒っていたのだ。あの時から現在に至るまでずっと。
この桃色のお姫様も、何も出来なかった自分の事も。
ユーフェミアは震撼した。死の恐怖はゾワゾワと背中を這い上がる。
「そんなの、そんなの、だって、あの時は、ルルーシュが悪いのよ!私のお兄様を奪ったから!」
喉を走る声は震えてまるで金切り声のようだ。 激しく吸う息は頭の回転を鈍くさせる。
「私とお兄様は生まれた時からの婚約者よ!私はずっとお妃教育を受けて、頑張って来た!そっ、それをルルーシュが横から奪ったのよ!?それを、そんなの!許されるわけない!
あの日私はお兄様の美しい花嫁になる予定だった!
綺麗で素敵なドレスを着て美しく装って、誰からも祝福されて、お兄様に望まれて、お父様に認められて、次期皇后への第一歩を踏み出す筈だった!
それを!それを、ルルーシュが奪ったんじゃない!
私が一番お兄様に相応しい血筋をもっているし、行政特区日本も上手く行っている。次期皇后に何の遜色も無い。私の場所を奪ったルルーシュなんて、あの時撃たれて当然よ!子どもはいずれ私がお兄様にたくさん生んでさしあげるから、後々変な地位になるくらいなら、いない方が良かったの!いない方が、その方が子どもが幸せと思うのよ!だから撃ってあげたの!死なせてあげたのよ!」
ヒュンと右側から飛んできた剣にユーフェミアは思わず目を閉じて左に体を捩る。
「キャアアア!」
「お前」
カレンが銃の照準をユーフェミアに合わせる。
ロイドは目の前が真っ赤に染まる感覚を味わっていた。
あのお二人の、亡くなった大切なお子様は。
こんな女の、こんな変なプライドで消されてしまっていい存在ではなかった。
生まれて来ることが叶えばきっと誰より優秀で、心温かく、光輝くような美しい皇子になるはずだった。
ギリギリと歯を食い縛る音が口から漏れる。
左から抜いた剣はユーフェミアが叫び終わると手にはなかった。
どうやら無意識に投げたらしい剣を近くまで取りに行き、ユーフェミアの首に近づける。
「ひぃ・・・・ッ!」
「言いたいことはそれだけか?」
「こ、こんなことして、いいと思ってるの?お母様に言いつけてやるわ、お母様は第六皇妃。お姉さまにだって…!ロイド伯爵は皇族に楯突く危険な男よって!」
ロイドはその言葉を聞いてうっそりと笑った。
「ああ、泣きつけばいいよ。彼女らが君を守ってくれると、本気で思っているならね?」
ザンッと耳元で刃が振られる音がして、ユーフェミアは目をぎゅっと閉じた。
「本当に、お前はあの方と何もかも違うね。敵から攻撃を受けた時、あの方は決して視線を反らしたりなどしない。最後まで敵の動向を見て、最後まで生きることを諦めないんだ。何故だかわかるかい?」
震えながら恐る恐る目を開いたユーフェミアが見たものは、ロイドの手に握られている自分の髪の毛だった。
髪の毛を見つめていると、首筋を金属が這う感触がする。
「何を…?」
「周囲から生かされてきた命だからだよ。」
ザクッという音がして頭が急激に軽くなる。
「あ、あ、あ」
「ピンクの髪の毛の、お花畑にお住まいのお姫様。お前があの方の高貴な黒を纏おうなんて」
手に握っていたユーフェミアの髪の毛だったものをロイドは地面に打ち捨てた。
「一億万年早いんじゃない?」
パラパラと地面に落ちる髪の毛は泥水でぐちゃぐちゃになり汚れていく。
ユーフェミアは呆然とそれを眺め、ゆっくりとかき集めた。
「わた、わた、わたしの、」
地面からかき集めた髪の毛を見て、自身の首を触る。鋭利な剣で刈り上げられた髪の毛はザンバラで、結えないほど短い。
「私の髪の毛が・・・・ッ!」
視界が涙に滲むと、上からロイドの嘲笑する声が降ってきた。
「良かったね。これで髪の毛を結うためのアクセサリーを買わなくて済むよー?お前は望んでいたものね?声高な声で、皇族は民のために税金の無駄遣いをやめるべきだって。」
「でもこれではパーティーにッ!」
「行く気だったんだ?でもこれで嫌なパーティーにも行かなくて良くなった。良かったね?常々お前は言ってたものねぇ?
政治の話はつまらないって。
権力を持ってるだけの、なにもしない、できもしない口だけの女がドレスを仕立てるお金なんてこれ以上にないほどの税金の無駄遣いだもんね?
これで民は少しは楽になるよ。なにせ、お前がルルーシュ様の結婚式で着た非常識なドレスは、この皇帝宮の維持費、後宮の予算も含めてだけどね?その予算全て合わせた額の6分の1だって知ってた?
しかもあのあとお前が騒ぎを起こしたせいでドレス工房は廃業。
威信をかけて作ったドレスの支払いが無いから、ついこの間工房を開いていたドレステイラーは借金に追われて首を吊ろうとしてたよ。ルルーシュ様のお助けがなかったら、彼と彼の家族はお前を呪っていたろうねぇ。」
優しく笑うロイドはさながら悪魔の様だ。
「そんなこと知らないわ!彼が作りたいと言ったから作らせてやったのに!私の結婚式のドレスを作ることを光栄に思わないなんて!お金?あれはテイラーが作りたいと言ったのだから、お金なんて要らないでしょう?
私のドレスを作ることで工房に箔がついて感謝されこそすれ、呪うだなんて!
ロイド伯、あなたは狂ってるわ!私の、この私の髪の毛を斬るなんて!お母様に言いつけてやる・・・!言い付けて、殺してやる!」
睨み付けるユーフェミアの、ルルーシュとは違う色の瞳にロイドは満面の笑みで答えた。
「殺してやる?慈愛の姫が聞いて呆れるね。いいよ、言えばいい。お前に、帰れる所があればねぇ。」
切った髪の毛を足で踏みつけてロイドは嗤った。
ロイドの持つ、剣の先がキラリと光るのを、ユーフェミアは目をこれでもかと開いて見つめた。
静寂が訪れる。