アネモネ 第三章
様々な機械に体を繋がれて、ルルーシュは苦笑した。例え女同士といえども素っ裸で体を診られるのはいささか恥ずかしい。
そんなルルーシュに気付いたのか、ラクシャータは笑って心電図だとか、今まで腹に触れていたものだとかを聴音機だとか、血圧計だとかを全部取っ払った。
「あとちょっとで終わるから、そんな顔しないで。」
苦笑紛れに言った言葉に頬を赤らめて下を向いたルルーシュに、ラクシャータは薄い浴衣を着せて、ドックの中に促した。
どんなものか、と伺うルルーシュに、ラクシャータは呆れて肩の力を抜く。
「怖くないからそこに寝っころがってね。もうちょっとだから、しかめっ面しないの。」
ガラス越しにクスクス笑って言ったラクシャータを見て、ルルーシュは「治療は順調そうだ」と内心でホッとしていた。
「お疲れ様。」
検査が終わって出された紅茶に笑いながら椅子を引くと、ラクシャータは殊更にっこりと笑った。
「治療の経過は・・・」
言うときになってC.C.とカレンと神楽耶が入室する。それにさえ言葉を切ったラクシャータは近くに三人を促した。
「治療の経過は良好。傷はちゃんとふさがってるし、内臓機能もあらかた大丈夫でしょう。あとは、子宮機能が元に戻れば完治。だからと言っておてんばはよしてよ?」
C.C.が真剣な顔をして、「あとどの位掛かりそうだ?」と訊ねると、ラクシャータは苦笑して「あと一ヶ月半は掛かりそうね」と答えた。
カルテに書き込みながらの言葉に、全員が安堵の息を漏らす。「要するに」と彼女はルルーシュを見た。
「月のものがくるようになればいいてこと。」
ウインクしたラクシャータにルルーシュは再び顔を赤くしたが、「でも」と続けたことに皆が注目した。
「でもやっぱり肌に残された方はもう消えないでしょう。・・・手は尽くしたんだけど、元には、」
戻らない。
肌に残されたもの、とは抉られて焦げ付いた銃痕である。ラクシャータが手を尽くして治療を行った結果、抉れた部分は再生治療でほとんど消すことができたが、それでも傷跡はまるで水滴が凪いだ湖面に一滴落ち、広がるように、ルルーシュの左腹と背に残っている。
ルルーシュは自分の左腹を見ると、両手を膝の上で組んだ。
静かに首を横に振る。
「いいんだ。あの子のことは忘れたくないから、これでいい。」
隣に居た神楽耶がそっとルルーシュの手を握り締め、カレンとC.C.はルルーシュの肩に手を置いた。
ラクシャータは悲しく首を横に振った。
ルルーシュが日本に来てから丁度五ヶ月が過ぎようとしていた。穏やかな毎日を送っている彼女達だが、「同じことなら」と出産予定日になるはずだった日が近くなる毎にふと頭を過ぎる。
・・・本当ならば、来月には待望の第一子が誕生するはずであった。しかし、あの事件で全部パァだ。
ルルーシュの体の傷は癒えはするだろうが、心の傷は永遠に残るだろうな、とC.C.は思っていた。
だがそんなことは言っていられない事態が起きそうだ、とC.C.は考えた。
周囲が非常にきな臭い。
ルルーシュに内密でシュナイゼルはC.C.にエリア11の内情を探る偵察隊を貸し与えた。実質的にはシュナイゼルの間者達である。
彼らはエリアの総督が国是違反をしていないかを見極める職にあるが、いざとなればルルーシュを守る私兵となる。
偵察隊を纏めているC.C.は、最近彼らから良くない噂を聞いた。
総督府に潜り込んでいる一人が、皇帝宮に居るはずのあの男を見たのだという。
―――・・・ナイトオブラウンズ第七席、枢木スザクを。
そのことは、ルルーシュを除いたカレン・ラクシャータ・神楽耶にも伝えてあるが、いまいちC.C.は安心できなかった。
もっと、周りを固めなければとC.C.は思う。
やっと傷が癒えてきたルルーシュに危害を加えるものは何人たりとも許せない。
「来るのなら全力で退けようではないか。」
C.C.はゆっくりと口角を上げて微笑んだ。まさしく魔女の笑い方である。
「あの男には随分と借りがあることだしな。」
騎士叙任の時にルルーシュが見せた微笑が忘れられない。あの、全てをなくした、まるで死人のような。
「お前など、あの宮には相応しくない。」
今、ルルーシュたちは滞在している桐原別邸では無く、本邸に来ている。今日がルルーシュの週一の診察日であるからだった。
桐原公は、にこにこと笑ってルルーシュの治療が良い方向に向かっていることを喜んでいる。この翁も桐原率いる京都六家の重宝、神楽耶より数奇な運命を辿っているこの少女は愛おしい。それに面と向かって美人に微笑まれるのは悪い気がしない。
うんうん、と頷く桐原にC.C.は大仰に溜め息を吐いた。
窓から映る外はころころころ、と枯れ葉が転がっている。もう少しで冬が到来するせいか、京都は寒い。
薄い体のルルーシュを気遣って、桐原は本邸近くにある温泉を薦めた。
「―――・・・温泉、ですか?」
知ってはいるが、実物を見たことの無いルルーシュはピンとこなくて首を傾げる。
「湯が沸いているのだ。体にも良い。」
どうかな?と聞かれて、ラクシャータは温泉療法を思い出した。確かアレは皮膚の治癒やリウマチ、冷え性に効果があったはず、と一も二も無く頷いた。自分も入りたい。
「行きましょう。温かいから湯冷めすることもなさそうだし。」
ラクシャータが許可を出したことで、カレンがうし!と声を上げる。
迷っていたルルーシュだが、カレンを見て了承をする。桐原はうんうんと頷いて、早速手配を取るよう、近くのものに言った。
ラクシャータとカレン、がルルーシュに温泉の素晴らしさを説いている間に、桐原はC.C.を見て神妙に頷いた。
それに気付いたC.C.もまた頷くと、部屋から出て行く三人を無視して桐原に声をかけた。
「おいクソ爺。あれの勝負をしよう。」
桐原は『クソ爺』と呼ばれたことに面食らったが、意図を了承して「まだ若いもんには負けんさ」と快活に笑った。
何のことだか解らないルルーシュたちに、C.C.は補足説明をする。
「この前、日本にもチェスのような遊びがあると聞いたんだ。シュナイゼルをぎゃふんといわせてやる。さっさと出せ。将棋、というのだろう?」
桐原は「さよう」と答える。
「私は後から向かうから、お前達は先に言って風呂に入って煎餅でもかじっていろ。」
何時にないC.C.の傍若無人さを懐かしく思ったルルーシュは、戸惑ったが了承して、二人を連れて行った。
「―――・・・さて。」
完全に三人が去ったのを確認したC.C.は桐原に向き直った。
桐原は頷くと近くの者を下がらせ、将棋板と駒を持ち出した。C.C.は畳の上に腰を下ろす。
「・・・近頃、この屋敷に若い女が出入りしているのではないかと、第六皇子が言ってきおった。」
パチン、という音が部屋に響く。桐原が歩を一つ動かしたのを見て、C.C.も歩を一つ進める。
「どうやら、ルルーシュ殿下をお探しのようだ。枢木の倅が日本中を飛びまわっているらしい。・・・虱潰しに、な。」
「―――・・・ご苦労なことだ。」
C.C.は眉を顰めた。
「それで、私の低に居るにはいささか危険がある。ラクシャータはどうか知らんが、カレンは顔がわれているからな。・・・注意はいくらしていても損ではない。だから姫たちは旅館のほうに行ってもらった。」
「なるほど。」
「明日には別邸に帰るのだろう?」
パチン、と音を立てて再び桐原が駒を打つ。
「そのつもりだが、ルルーシュの体調によってはもう一泊させてもらう。温泉は珍しいからな。」
パチン、パチン、と駒を打つ音が室内に響く。
「・・・おぬしも本当に姫が好きだな。」
桐原が二度目に角を動かしたときにそう零した。C.C.は香車を進める。
「言っていろ。」
それを見届けた桐原が、飛車で香車を取る。
それを見たC.C.は「ぬあ!」と声を上げた。
「お前!女性には華を持たせろと母親から学ばなかったのか?」
焦るC.C.の声に、桐原はほほほと笑って「若い者には負けんと言った」と再び駒を置いた。
C.C.はむすっとすると銀を動かす。桐原は笑いながら駒を打って「そういえば」と言葉を切った。
「お主、将棋などよく知っていたな。」
言った桐原に、C.C.はフンッと鼻息を荒くして、「そんなの当然だ。」と笑った。
「少なくとも、お前よりは長く生きている身だからな。」
言ったC.C.に桐原は「さもありなん」と相槌を打ち、クッと口角を上げて笑った。
「居ない、か。」
ジェイルは本日五回目になる溜め息を吐いた。何故見つからない。連日東京とこの京都を行き来していているのに見つからないとは何事か、と。桐原のところに若いブリタニアの女がしょっちゅう来ているという噂を耳にしたのに、その相手はしがない留学生の一人だった。
クリス・キャロルと言ったか。
目が覚めるようなエメラルドグリーンの髪を、ジェイルは初めて見た。サラサラと零れる髪はかの姉皇女のようだった。
「―――・・・私の、薔薇姫。」
冷徹非道の代名詞、シュナイゼルの真横で朗らかに笑った顔が忘れられない。あの時感じた炎は確かに今も胸の中にある。燃え盛るものとして。
溜め息を吐いた主をそのままに、イエリアはある旅館の前に車を留め置いた。
「―――・・・どうした?」
いきなり止まった車の動きに、ジェイルがミラー越しにイエリアの顔を見る。
イエリアは朗らかに笑って、綺麗ですね。と窓ガラスを上げた。
窓の上に広がっている紅葉の葉が一枚、チラチラと落ちる。
「紅葉、というんだそうですよ。ブリタニアにはあまりなじみは無いですが。紅くて美しいですね。」
「ああそうだな、綺麗だ。」
ゆらゆらと風に舞う紅葉に、ジェイルは目を細めた。
「一枝、貰ってまいりましょう。花盗人はどの国でも許されるというのが定説ですし、ここは殿下の領土にも等しいですから貰っても構わないでしょう。」
シートベルトを解いたイエリアは車のドアからゆるやかに地に降り立った。ジェイルはそれを見て、はんなりと笑う。
「ならば私も。」
言ったジェイルに、イエリアは頷いてジェイルが乗っている後部座席のドアを開いた。
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ちゃぽん。という音を立ててルルーシュは紅く彩られた木々を眺めた。
その色は血の色に似ているが、やはり違う。
じんわりと内側から火が灯されるようなそんな紅だと素直に思う。
滑らかなヒノキの感触を辿りながら髪をかきあげた。
「日本人の繊細な美的感覚にはブリタニアは勝てないな。」
造られた造形が際立つブリタニアの庭を思い浮かべる。確かに美しいが、やはりあるものはあるべきところへ、自然体に配置された日本の庭は美しいと思う。桜は今年は咲くだろうか、とルルーシュは一人“Elysion”を思った。それにしても。
「外に風呂があると聞かされたときもとてもびっくりしたが、こんなに大きいとは思わなかった。」
ちゃぷ、とお湯を掴もうとするルルーシュにカレンが笑う。
「猫足バスがルルーシュの“ふつう”だもんねぇ。」
「あれあれでなかなかいいんだぞ?」
「手入れがラクで、でしょ?」
うぐ、と詰まったルルーシュにラクシャータが頭のタオルを巻きなおしながらなんて庶民的!と笑う。
「普通一国のお姫様、それも宰相妃が風呂掃除をする?」
普通じゃないわ、と笑った彼女にそれもそうねぇ、とカレンが相槌を打つ。
「まぁルルーシュに普通を求めるほうが困難か。」
ケラケラ笑う彼女達をよそにルルーシュは言ってろ、とお湯をかけた。
枝を一振り貰おうとしていたイエリアとジェイルは華やかな笑い声に首を傾げた。続いて響いた水の音にも。
「・・・ここは、民家じゃないのか?」
竹で作られた垣根が高く、糸で縫い合わされていて、中の様子まではわからない。
日本語で会話されているところで、中にいるのはイレブンだということが解るくらいだ。
首を傾げたジェイルに、イエリアはそういえば。と口を挟んだ。
「イレブンは外に風呂を作って入るという習慣があるそうです。ここもそうなのでは・・・?」
「女が裸で外に出て、しかも風呂に入るのか?・・・解らん習慣だな。」
それでも女の裸、と聞いて興味を持たない男など居ない。ジェイルは垣根の切れ目を探す。
イエリアはそれに呆れた溜め息を吐いた。
そのときだった。
「だがまぁ、ここまで体調が回復したのもお前達のお陰だ。感謝している。」
聞こえてきた言葉に、ジェイルは肩をピクリ、と震わせた。聞き間違えるはずが無い。
ジェイルはイエリアを見た。
彼女は「まさか」と口に出したが、直ぐに行動に移した。
持っていた小型のビームサーベルで垣根に静かに穴を開けると、ジェイルと共にその中を覗き込んで、言葉を喪った。
サラサラと波打つ湯の上に上半身だけ晒したルルーシュは長くなった髪の毛を絞っていた。白い肌は水面の光を反射してきらきらと輝いている。
流れる黒髪は艶やかで、水を含んでしっとりとしており、言葉にならないほど美しい。
残念なのは、白皙の肌の上にユーフェミアが刻んだ不幸が左腹部に傷跡として残っていることだった。
でもそれは第二者でないことをジェイルに告げる。
ジェイルとイエリアは紅葉のことなど忘れてその場から離れた。
これが枢木スザクに見つかれば帝国本土に連れて行かれてしまう。
迅速に行動しなければならない。
幸い、ラウンズの手下となる部下は持っておらず、スザクも単独行動だ。
ジェイルとイエリアは顔を見合わせて静かに頷いた。
ドンドンドン、と旅館の扉を叩かれる音がして、藤本真喜子はそそとした動作でもって扉を開いた。
「はい、今開けます。」
カラカラカラ、と音を立てて開かれた先にあった、向けられた銃口と、その後ろにいる総督に真喜子は首を傾げる。
「どうかなさったんですか?」
おっとりと首を傾げた真喜子にイエリアは「匿っている皇女殿下を差し出せ」と要求した。
「なんのことだか」
「解らない、という気か?ならば命はいらんな。」
声を荒げた総督に真喜子は少し柳眉を上げた。桐原との約束でルルーシュを渡すわけにもいかない。
さてどうするか、と考える女将はまさに百戦錬磨の器である。
「認めましょう。皇女殿下はいらしています。でもそれは宰相閣下様がお認めになったこと。総督様とは関係ございませんでしょう?」
暗に、シュナイゼルが後ろについていると意味を言ったのだが、ジェイルには伝わらなかったらしい。
「居るのなら出せ。」
真喜子は面倒だわこの人。と内心思ったが、首を横に振った。
「ルルーシュ殿下は今はお休みになっております。会われるのなら、また後日に。」
「総督である私の言葉が聞けないのか?」
「その前に宰相閣下から私が睨まれるのだとお気づき下さいませんの?」
「宰相はここにはこれまい。」
「解りませんわ。ブリタニアは恐ろしい国ですから。」
バァン!と音がして従者の一人が真喜子に銃を向けた。髪の毛が一房焼けて廊下に落ちる。
「貴様!誰に向かって物を言っている!このイレブンが!」
激昂した従者が真喜子を汚く罵る。切れた髪を後ろに撫で付けながら真喜子は笑った。
「せっかちさんやわぁ。」
やはりおっとりとした態度の真喜子に再び従者が銃を構えたところにパタパタパタと廊下を走ってくる音が聞こえた。
その音に真喜子の顔が蒼白になり、ジェイルは口角を上げた。
「殿下、こちらに来てはダメです!」
長い廊下、ジェイルが確認できるところに走ってきたルルーシュに真喜子が声を張り上げる。
ジェイルは嬉々として「捕らえよ」と従者に言った。真喜子が立ち上がって道を塞ごうとするも、従者の一人に肩と足を両方撃たれる。
従者はその場に武器を投げ捨てて土足のまま廊下を走り、逃げるルルーシュを床に押し倒して引き摺った。
「いや!放せ!放して!」
髪の毛を掴まれたルルーシュはそのまま玄関まで引き摺られる。声を聞きつけたカレンとラクシャータが彼女を連れ戻そうと応戦するが、何分圧倒的に人数が足りない。
「ルルーシュに触れるな!」
蹴ったり殴ったり撃ったりして応戦するカレンの腹にイエリアが一発お見舞いして、カレンは気を失う。
ラクシャータが蒼白になりながら「殿下はまだ完治していない!手荒なことはしないで!」と叫んだ。
髪を持ってズルズルと引き摺られたルルーシュはそのままジェイルに引き渡された。
腹の奥が少しだけズキズキする。眉を歪めたルルーシュが腹を庇っているのを見て、ジェイルは直ぐにルルーシュを立たせた。
「鬼ごっこは終わりだ。俺と共に来てもらう。」
ルルーシュの着ている服に着いた埃を払ってジェイルはルルーシュの両腕を背中に回して手錠をかけ、車の中に誘導する。ジェイルは跪いているルルーシュを引き摺って来た男を見ると、「イエリア」と名を呼んだ。
イエリアは心得たように頷き、その男の頭に向かって発砲した。
「薔薇姫に無礼を働いた男は世界の屑だ。」
何が起こったのかもわからない様子で地に伏せた男を見て、ジェイルは車の中のルルーシュの隣に腰掛けた。
カレンは意識の無いうちに拘束されて、車に運ばれ、銃を突きつけられたラクシャータは唇を噛み締めてルルーシュの向かい側に座らされた。
ぎゅう、と目を閉じるルルーシュにラクシャータはその隣に座る男に殺意が芽生えた。
「何もかも手に入れる。貴方も例外ではない。私の、薔薇姫。」
最悪の再会が訪れた。
END.
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