アネモネ 第三章


飛行機の窓からルルーシュは視界に広がる懐かしい青をじっと見つめた。もうすぐトウキョウ租界、HANEDAに到着する。
ルルーシュは秘密裏で日本に帰ってきた。あの忌まわしい事件から三週間が経過している。ようやく動けるようになるまでになったルルーシュだが、正確には全快には程遠い。
帝都純血派の動きが活発化する前にルルーシュを皇帝宮より安全なところへ行かせたかったシュナイゼルは、動けるようになったルルーシュを見て早々の日本行きを手配した。彼女の腹の傷は内臓部を含めて完治していない。
動かすのは危険だ、とラクシャータはシュナイゼルに意見したが、彼女が死ぬのとどちらがいい、と言い返された。皇帝宮御用達の病院は病院であるのに危険極まりなかったのである。
単身で日本に行くと言ったルルーシュだが、彼女の夫はゆるやかに首を振って諌め、彼女を良く知る従者を二人つけた。C.C.とカレンである。後の者はルルーシュが全快するまで“Elysion”の維持に努めることになっている。


空港から小さな黒い車に乗り換えて、富士へ向かう。車の中はラジオの音以外何も響いていない。

「ルルーシュ。」

わずかに膨れていたはずの腹を無意識に撫で続けるルルーシュに、C.C.は眉を寄せてその手を取った。
「あ・・・すまない。」
謝るルルーシュにC.C.はあの頭の中までお花畑が広がっているあのピンクの女を憎悪した。



ユーフェミアに負わされた傷は、全治五ヶ月だ。その間はずっと子どもが望めない。傷の完治の仕方によってはもう二度と子どもが望めなくなる。女としてはこれ以上ないほどの屈辱を味わうのだ。
C.C.としては、だから彼女の傷に触るようなことは絶対に許せなかった。ルルーシュの行動をとってもそれは同じで、ルルーシュのために心を鬼にしてもそれだけは避けたかった。

「お前は、自分の傷を癒すことだけを考えろ。」

C.C.はそう言うと、悲しく笑うルルーシュの手を取って、ワンピースに包まれたルルーシュの腹にフリースのひざ掛けをかけた。向かうのは皇 神楽耶の膝元である。





日本は、第四皇女であるユーフェミア・リ・ブリタニアの後任である第六皇子、ジェイル・ディ・ブリタニアによって大きな変貌を遂げた。
現在はほんの少しの瘧を残して租界もゲットーも道路が整備され行き来でき、ゲットーはゲットー内での流通が少しずつだがなされるようになった。
租界との格差は歴然とあるものの、以前ルルーシュがいた頃とは大きく違っている。

  横目に流れる租界の景色を、色を映さない目で受け流していたルルーシュは、ゲットーの景色になった途端目を大きく見開いた。

「ゲットーはこんなに変わったのか!?」
車の窓にへばりついて見るルルーシュをミラーから見ていたカレンが朗らかに笑った。
「多くの地域は未だ戦場の傷跡が残っているけれど、東京付近のゲットーと京都付近のゲットーは目に見えて変わったのよ。」
その言葉にルルーシュはカレンをミラー越しに見つめ返した。
「だがこれではブリタニア側に見咎められてしまう。完全な国是違反だ。ジェイル殿下はどういって政治をしている。」
カレンは驚いた。
「“無能は排除”って。次々に本国に送り返しているそうだけれど・・・ルルーシュ、その国是違反だと何が悪いの?」
ルルーシュは一旦視線を逸らすと、痛々しそうに目を瞑った。
「廃嫡されて、最悪殺される。だから、こういうのはゆっくりとコトを運ぶのが常なんだ。・・・やる連中は少ないが。形だけでも服従の体勢を取っていないと、再び戦火に焼かれることになる。」
「・・・今の状態はブリタニアにとって、都合が悪いってわけ?」
カレンはミラー越しにルルーシュを睨み付けた。ルルーシュはカレンを見返し、首を横に振った。
「そうじゃない。ブリタニアにとっては好都合だ。都合が悪いのは日本の民。―――すまないが神楽耶の所へ急いでくれ。」

急かすルルーシュに、カレンは釈然としない顔をしてハイスピードが許される高速に入った。

休憩を取りながら三時間かけてたどり着いた京都六家の目の前にルルーシュは立っていた。

富士の、あの場所である。

あの時と違うのが、目前の御簾の中に入っているのが桐原翁ではないと言うことだ。
ルルーシュの直ぐ後ろにカレンがひかえ、横を五家の当主と桐原翁が並んでいる。
彼らの周りを騎士団員ではない日本解放戦線の者達が囲い、謁見の間の中央に立つルルーシュを凝視していた。



「―――・・・久しいな、皇殿」



笑って言ったルルーシュに、神楽耶は息が詰まったように呼吸をした。本来なら実に三年ぶりの再会である。喜ばしいことであったはずだった。

―――・・・あの事件さえ起こらなければ。

御簾の内側で体を震わせた神楽耶はそのことに思い至って“ルルーシュが今どのような状態か”を思い出した。事件から一ヶ月も経っていない。傍にひかえていた者に耳打ちをして椅子を用意させ、立ったままのルルーシュに神楽耶は御簾を上げて椅子に座るよう、促した。
震える体を叱咤して神楽耶はルルーシュを見た。

「お久しぶりです、ルルーシュ様。此度は・・・」

言いかけて視界が滲む。椅子に腰掛けて悲しそうに笑うルルーシュに、神楽耶は『もう無理をして笑わないで』と立場など関係なく叫びたくなった。





悲しそうに笑うこの女性はなんという非道な暴力に晒されたことだろう。本当ならば、今この瞬間も母親として在ったはずだった。
妊婦でさえ弱者に位置づけられるのならばブリタニアの女性は子どもなど産みたくないだろう。社会性がそうさせるのだ。子どもなど産めやしない。
何故、彼女でなくてはいけなかったのだろう。もう充分すぎるほど彼女は奪われたはずだ。これ以上何を彼女から奪うつもりなのだろう、あの国は。
どれだけ彼女を傷つければ満足なのか。

体を震わせて悲しむ神楽耶を見て、ルルーシュは首を横に振った。
「―――神楽耶。」
諦めたように笑うルルーシュを神楽耶は涙を流しながら見返した。

「酷い、酷いですわあんまりです!何故・・・何故、貴女でなくてはならなかったのですか!?
同じ女でありますのに、血を分けた姉妹でもありますのに!何故、どうしてあのように非道な仕打ちができるのです!どうして・・・どうして女の尊厳を貶めるようなことができるのです!―――何故、銃を向けることができるのです!」
叫んだ神楽耶に周囲がどよめく。
ルルーシュは椅子から立ち上がって神楽耶に近づき抱きしめると、煌めくアメジストの瞳から涙を零した。


「―――それでも私はユフィを憎めないんだ。・・・大切な、妹だから。」


目を見開いた神楽耶に、ルルーシュは一つ頷いた。
「怒ってくれてありがとう―――・・・私の日本での妹。」

ルルーシュの言葉に、今度こそ神楽耶は彼女にしがみついてわぁっと泣き出した。
「―――ありがとう、神楽耶。」
抱きしめた神楽耶の髪の毛をルルーシュはゆっくりと撫でた。


*****


冷えた牢獄から銀色の騎士に連れ出されたユーフェミアは、シュナイゼルの執務室から“Elysion”に入った。
花が咲き誇るその宮は、壮大な風格と威厳をもってユーフェミアを見下ろす。

―――まるで、よそ者を排除するように。

冷たい風にユーフェミアのドレスが揺れる。時刻は夕方に差し掛かったところだ。
何時ぞや、シュナイゼルの執務室から見たときはまるで天国のように美しかったのに、とユーフェミアは疑問に思う。
もしかしたら自分はとんでもないところに足を踏み入れたのではないだろうか。

白く、荘厳な建物はユーフェミアを甘受してはいない。何か、途轍もなく恐ろしいものの中に入ってしまったような宙に浮いた感触が彼女を襲った。

「・・・どうされました?」

一歩、足を引きかけたユーフェミアにロイドが声をかけ、笑って手を差し伸べた。影がさす城の様子を見ていたユーフェミアは、その声にハッとして前を向いた。
次第に陰る城の前で、ユーフェミアに手を伸ばす騎士。城と騎士は双方とも何の違和感がない。

―――やはり、

とユーフェミアは思いかけてまた騎士が彼女を呼んだ。

「―――・・・奥様?」

ロイドは艶やかに笑う。ユーフェミアは本能的に逃げ出そうとした足を踏みとどまった。



自分は、あの女に勝ったのだ。だから今この場にいる。


何を恐れることがあるというの、とユーフェミアはその騎士の手を取った。
・・・そこはもう既に“Elysion”でないことを知らずに。

「お帰りなさいませ、奥様。」

篠崎咲世子は礼儀正しくお辞儀をしながら心中でユーフェミアの、艶のない黒髪を嘲笑した。
―――こんな者を奥様の宮へ入れるなど。
黒髪の咲世子を見たユーフェミアは、眉間に思いっきり皺を寄せて指を指してロイドを振り返った。


「何故この宮にナンバーズがいるのです!」


ヒステリックに叫ぶ声に、咲世子はお辞儀をといて眉をほんの少しゆがめたが、後ろのロイドの視線に一つ、頷いた。





ユーフェミアが東の監獄から出される前、シュナイゼルは城の者を全員集め、ある一つの命令を下した。

曰く、『あの狂った女を“ルルーシュ”として扱うこと。』

その言葉に城の者はうんざりした顔をしたり、何故ですか、と怒りの声をあげたりとざわついたが、咲世子にはその意図が正確に理解できていた。
つまり、『ユーフェミアに、自身の人格を認めない』と言うものだ。




ヒステリックに叫んだユーフェミアだったが、咲世子は何事もなかったようにいつもの如く微笑んで、「あらあら」と首を傾げた。

「ご冗談を。何かの新しいお遊びですか?連日のことでお疲れなのですね、無理もございません。直ぐに紅茶を用意いたしますのでしばしお待ち下さい、・・・ルルーシュ様。」

ユーフェミアは息を飲み込んで咲世子を凝視した。咲世子は更に笑みを深める。

「―――・・・ロイドさん、今日のおやつはルルーシュ様がお好きなプリンですから、後で持っていってくださいな。ルルーシュ様、それでは私は仕事がございますのでこれにて。・・・失礼致します。」

再びお辞儀をした咲世子を見送った後、ユーフェミアは振り向いてロイドを見た。
「い、いったい何なのですか!?私はルルーシュではなく、ユーフェミア・リ・ブリタニアです!あのメイドは何故」
私を“ルルーシュ”と呼ぶの!?言おうとしたユーフェミアだったが、ロイドの笑い声にかき消された。
「ルルーシュ様。咲世子も言っていましたが、何かの新しいお遊びですか?あの女の真似をなさるなんて!」
ユーフェミアはロイドの言葉にカッと顔を赤くした。
「あの女、ですって!?」
ロイドは昂揚するユーフェミアを見て憎悪に顔を歪ませると、大きく頷いた。
「ええ。あの女で充分ですよ。・・・貴女から小さな生命と幸せを、ブリタニアから次世代の王の器を奪った女など。」
ユーフェミアは絶望に顔を歪ませる。
「あ・・・れは、でも・・・」
「今頃は監獄の中ですよ。今回ばかりは姉君も、母君も助けることは難しいでしょう。ルルーシュ様、今はお体を治すことだけをお考えくださいませね。」
ロイドはユーフェミアを城の中に促すと、その後ろで口角を上げた。


―――これが、ユーフェミアに対しての断罪の始まりであった。

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