アネモネ 第二章


朝、起きて眠っているシュナイゼルを起こさずにルルーシュはベッドから抜け出した。
着替えて自室を出、廊下を歩きながら朝食のメニューと今日のシュナイゼルの予定を考える。
厨房に着くと、シャーリーと咲世子が起きていて、リヴァルが一仕事終えたのか、厨房の冷蔵庫の前で牛乳を立って飲んでいた。
「すまない、寝坊してしまった。」
慌ててエプロンを着たルルーシュは、直ぐに今日の献立をつらつらと言った。
そして材料を出そうと冷蔵庫に寄ったら・・・リヴァルが「ギャッ」と奇声を上げた。
「ル、ルルル、ルルルルーシュ!」
「どうしたリヴァル。ルが多いぞ。寝ぼけてるのか?」
「なぁに?またルルに悪さしてんの?殿下に殺されるわ・・・よ・・・」
いきなり静かになったシャーリーが顔を真っ赤に染めた。
「ル、ルルルルルルルルルルルルルルーシュ!」
「ナッ、なんだ?」
常に無い迫力のシャーリーが、ルルーシュに首を見るように言った。咲世子が目を逸らしながら手鏡を差し出す。


映し出されたそこは・・・


「きゃあ!」
紅い・・・紅い所有印。シュナイゼルの独占欲の塊、だった。
「すまない、着替えてくる。」
ルルーシュは下拵えの準備の説明を手早く言うと、さっさと厨房を後にした。

肌が白いルルーシュには、その印はあまりに厄介だ。カレンに見つからなかったことをこれ幸いと思おう、と思い留めて、部屋に入るとシュナイゼルが笑いをこらえてベッドで丸くなって震えていた。
「殿下、つけたのは貴方でしょう。」
恨みがましい声がシュナイゼルの笑いを更に助長させる。
「フハッ・・・すまない。すま・・・な・・・」
息も絶え絶えに謝られてもちっとも嬉しくない。
ルルーシュはツン、とシュナイゼルから視線を逸らして服を着替えた。
着替え終わったルルーシュを、シュナイゼルは後ろから抱きしめた。
「・・・怒ったかい?」
まだ声が笑いを含んでいる。
「知りません。」
ツンツン、とモノを言いながら、ルルーシュはシュナイゼルに体を預けた。
「朝食が作れませんから、離して下さい。」
それにシュナイゼルは苦笑する。本当に、愛しい。
「・・・それは困ったな。では今日は朝食は抜きかな。そして朝食が無いということは、君が作る昼食も無いということ・・・残念だ。私は今日は夕飯までご飯を食べられないのかい?もしかしたらおなかを空かせて倒れてしまうかもしれないなぁ。あぁ残念だ。」
シュナイゼルはわざとおどけて言うと、ルルーシュが涙で潤んだ目で見つめてきた。
「・・・酷い人。」
ルルーシュはシュナイゼルに向き合うと、シュナイゼルを抱きしめた。
「作りますから・・・少しだけ待っていて。」
弱く言われた言葉に、シュナイゼルは『いじめすぎたな』と苦笑した。
「待ってるよ。いくらでも。私の奥さん。」
顔を見上げたルルーシュはにこっと笑った。


少し遅い朝食が済んで、ルルーシュが書斎でシュナイゼルの仕事を手伝っていると、扉から軽快な音が鳴った。

「入れ。」

ノックされたドアの向こうに立っていたのはシュナイゼルの剣“特派”の責任者 ロイド・アスブルンドだった。
ルルーシュは入ってきた人物を見て息を飲んだ。

・・・だいたい、ロイドがドアをノックすることが槍が降る事態であるのに(セシル女史曰く)その服装を見てルルーシュは目を見開き、驚きのあまり書斎の机から立ち上がった。

ガタン、と予想以上に大きな音が鳴る。ロイドはそれに構わずに、無言でルルーシュに跪いた。
ロイドが着ている服は、ある特定の階級の者でなければ、またその覚悟が無ければ着られないものだ。
ルルーシュは悲しみに眉をゆがめた。
そんなルルーシュの顔をロイドは跪いた状態で見上げた。



ロイドが着ている服―――それは、漆黒の騎士服だったからだ。



「殿下が、こういうことを望まれないのは百も承知です。」
ただ呆然と立ち尽くすルルーシュの耳に、ロイドの言葉が反響する。
書斎は、水を打ったように静まり返る。
「だったら、何故!?」
ルルーシュは首を横に振って涙を流した。



「僕は、僕という人間が嫌いだった。好きになれたのはほんのつい最近です。そう、三年前から。
・・・貴方もご存知の通り、僕はとても風変わりな人間です。機械にしか興味が無く、ミレイ君の言うとおり女性はみんな同じ。
だからシュナイゼル殿下に拾って下さるまで、僕は独り取り残されることが多かった。
もちろん、研究チームの中じゃそんなこと起こらなかったけれど、でも大学と院を出たら全て終わりだった。勉学を終えた自分に残された道は伯爵になる、という事だけ。
でも、そんなの全然望んでないし、研究ももっと続けたい。・・・だから軍に入ったんです。」
ルルーシュはロイドの言葉に耳を傾けた。
「一等兵から始めた軍は予想道理厳しいところだったけれど、僕は伯爵位だったから念願のナイトメアフレームに触れることが出来た。
あの出会いは絶対に忘れられない。忘れたくはない。
・・・貴方の、お母様に逢ったときのことです。
今までただの金属の塊だった物体が、まるで命を吹き込まれたかのように動き出した。
動かしている美しい人『閃光のマリアンヌ』
僕は動いているガニメデを見て、研究者になろうと思ったんです。
より良い進歩を、より良い生存率を。あのときから僕は僕の道を歩き出したんですよ。
研究に明け暮れて僕がアイディアに詰まると、シュナイゼル殿下はマリアンヌ皇妃のことをよく話してくれました。
『彼女はまるで大空のような人だった』殿下の口癖です。でもそれと同じくらい貴方のこともよく話されていました。『笑った顔が可愛い、自分を必要としてくれる、あぁ愛しいルルーシュ!』聞き飽きたくらいですよ。でも、そんな言葉の中でひとつ気になることがあった。それは貴方が亡くなったと聞かされた年から、貴方が帰ってくるまで毎年12月5日にぼそりと紡がれるんです。」

ロイドは息を継いだ。

「『ルルーシュは他を大切にはするが、自分は大切にしない』
何故、貴方が自分を大切にしないかは想像が出来ます。けれど、出会って三年間、僕は何故自分がここに生きているかやっと理解できた。
今までなんとなく生きていた人生は無駄じゃなかった。全部今日に繋がっていたんです。
・・・あの時、シュナイゼルじゃなくても第一皇子でも第四皇子でも本当は誰でも良かった。でもそこをシュナイゼルにしたのは、貴方の喪に服していたと聞いたからだ。『冷酷』の二つ名は、そのまま彼のやるせなさを見た気がしたからです。
他人ばかりを思いやって、自分を粗末にする貴方を、僕は真実守りたいと思った。貴方が騎士を望まないのは百も承知です。騎士とは魂の呪縛。解っていないわけではありません。
けれど、その鎖は僕を最大限に幸せにする。


どうか、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下。僕に死に勝る誇りと、喜び、幸福と栄誉をお許し下さい。



僕は貴方の騎士になりたい。」





長い長い空白の後、ルルーシュは首を横にゆるやかに振った。
「ダメだ・・・それは出来ない。してはだめだ。」
「殿下・・・。」
「母上は、騎士侯だった。ラウンズナイツ。王という絶対的君主に繋がれた存在。王の命令を拒絶することは絶対に許されず、愛してもいない男に抱かれて、その子を産んだ。
・・・私は、私が許せない。
私のせいで母上は足を失った。私がいなければ、小さな鳥籠に囚われるようなことにならず、自由に風を切って歩けたはずだ。
あんな、あんなことで死ぬこともなかった。全ては私のせいなのだ。
・・・兄上、殿下の言うとおり、私は私を大切には出来ない。だから騎士も持たない。
・・・ロイド、お前には自由に生きて欲しい。私に囚われず、縛られず、ただ自由に。」
ロイドに目を向けたルルーシュは、目の前の存在がキラキラと目を光らせていることに気付いた。
「ロ、ロイド?」
ロイドはまるで彼がプリンを食べているときのようににんまぁ、と笑った後、立ち上がってくるくると回った。
「いやったー!」
叫んだロイドにルルーシュはパニックに陥る。
なんだ?どういうことなんだ?ロイドはついに狂ったのか?
目を白黒させていると、ロイドはルルーシュの眼前に詰め寄って再び笑った。
「はい!自由に生きさせていただきます。それで、騎士叙任式はいつにしますぅ~?あっは☆」
「はぁ?ロイド、私の話は聞いていたのだろうな?」
「も~殿下ったらぁ。当たり前じゃないですか。殿下に囚われず、縛られずに、自由に生きるんでしょ?だから、殿下の意思に囚われず、縛られず、自由に殿下の騎士になることを、たった今僕がさっさか決めちゃったんです☆だから、殿下のお言葉はちゃあ~んと聞いてますよ?」
「私は騎士を持つ気はない!」
「殿下ったら、僕に自由に生きて欲しいって言ったのに。女にも二言はないんでしょう?だったらいいじゃないですか。」
「騎士をそんな風に考えるな!」
「・・・僕は本気です。たとえ貴方が許してくれなくても、勝手に守ります。こう見えて頑固なので、何年も何年も追いかけますよ。しつこいですよ~。うざいですよ~。」
「うっ」
「だから殿下、お願いします。貴方のために薔薇も作りました。貴方がお好きなイチゴだって一粒1キロあるモノを作ってみせます。
シュナイゼル殿下の“剣”であり続けることも誓います。だからどうか」
「・・・ナナリー」
うつむいたルルーシュが小さな声で妹の名前を呟いたのをロイドは聞き逃さなかった。
「ナナリー殿下がどうなされたのですか?」
ルルーシュは顔を上げると、呆れたように溜め息を吐いた。
「ナナリーの、薔薇を作って。今度、殿下と一緒に母上とナナリーの所へ行くから。・・・頼んだぞ。・・・わが騎士。」
ぼそり、呟かれた言葉にロイドはその場に崩れ落ちて涙を流しながらルルーシュを見上げた。
「拝命いたしました、わが主。」
ロイドは、かすんで見えない視界の中で、初めて自分の生きる目的が見えた。


“至宝の華”それを守る幸福と栄誉を。



*****



ざわざわと人々の喋る声、煌めく豪華絢爛なシャンデリア。
染みひとつない真白なクロスで覆われたテーブル。行き交う貴族達。午後七時を過ぎた会場は、着飾った人々で溢れかえっていた。
それらを見ていたシュナイゼルは、人知れず溜め息を吐く。


「―――――・・・帰りたい。」


溢れかえる人々を会場の上座から見下ろしていたシュナイゼルは呟く。彼の右隣の席は空いており、左隣には第一皇子の妃が先ほどまで座っていた。
 そう、シュナイゼルの妃であるルルーシュは今日、来てないのである。・・・押しかけ騎士の邪魔に因って。
 シュナイゼルは再び溜め息を吐いた。パーティはあまり好きではない。どちらかと言えば嫌いな方だった。
馬鹿な連中が自分に媚を売りに来るからだ。さっきからチラチラとこちらを見てくる女達の視線がやけに感に障る。
シュナイゼルは半ば逃げ出したかった。


早く、早く、早く帰ってルルーシュに癒されたい。それでなくても今日の政務は激務だった。エリア11から帰ってきた者たちの中から、不逞をした三人をぶっ潰したのだ。
気持ちは酷くささくれ立って、イライラと足を動かしたりするも、全然気が治まらない。
この上もなく不機嫌なシュナイゼルを見た第一皇子が、気の毒そうに笑って隣からワインを差し出した。

「随分、荒れているね。」

そういう感情を外に出さないシュナイゼルの、珍しい失態に、第一皇子は『原因は何だろう。』と考えて、止めた。
顔が笑顔のままの弟は、全体に疲労の色が見て取れたからだ。
シュナイゼルは差し出されたワインを受けとった。
「・・・すみません、兄上。このような祝いの席で。」
「いや、大丈夫だよ。気にしないでくれ。君が疲れているのも分かるからね。・・・今日は特に凄まじかったと、バトレーから聞いている。」
「知っておいででしたか。」
シュナイゼルは視線をゆるり、と第一皇子に向けた。第一皇子は、ゆっくりと頷く。
「三人、首を切ったそうだね。“無能はいらない”と。一人は伯爵位にあったと聞いた。」
「・・・あの者達を、あの職に就けてしまったのは私の責任です。
エリア11で成功を収めた者たちでありましたから、高く評価していたのですが。・・・ことが起こる前に発覚してよかった。でなければ、あの者たちは欲に走ってしまう所だった。神聖なブリタニアの政務に豚は要らない。」
「まぁまぁ。気がたっているのはわかった。だが、今は楽しんでは?今日は奥方は来られないのかい?」
シュナイゼルはその言葉を聞くと、しゅん、と項垂れた。第一皇子はおや?と首を傾げる。
「私は共に来たかったのですが、私の騎士と、彼女の騎士の猛反対にあいまして。・・・宮にさえ、入れてもらえませんでした。」
持っていたワインを一気に煽ったシュナイゼルに、これは相当だ、と第一皇子は笑った。


「拗ねているのかい?」
笑う第一皇子を横目に、シュナイゼルは溜め息を吐いた。
「笑わないでください。・・・拗ねてはいません。帰りたいだけです。」
「君に愛されている奥方は幸せ者だな。一人だけ、だったかい?」
「私は彼女以外を求めるつもりはありません。」
「でも他の女の子達が放っておかないだろう。現に、先ほどから君をチラチラ見ている。」
「・・・興味などわきませんよ。ただ着飾るだけでしか自分を磨けない者など。」
「まぁそういわずに。」
第一皇子が苦笑してシュナイゼルをたしなめていると、紅い影がシュナイゼルの前に立った。
「ごきげんよう、お兄様たち。」
深紅のドレスを着込み、大きなルビーで着飾ったユーフェミアは、第一皇子とシュナイゼルに恭しくお辞儀をする。第一皇子がにこやかに笑った。
「やぁユーフェミア。今日は深紅なんだね。とても美しい。・・・まるで薔薇の花みたいだ。」
ユーフェミアは艶やかに笑うと、今度はシュナイゼルを見る。シュナイゼルはその視線に吐き気を覚え、おもむろに立ち上がると、「失礼」とその場を立ち去った。
早足で他へ行ってしまうシュナイゼルに、ユーフェミアは眉を顰め、その後を追い、第一皇子は再び苦笑した。





テラスに逃げてきたシュナイゼルの後を着いてきたユーフェミアは、後ろからシュナイゼルに抱きついた。

「離したまえ。不愉快だ。」
むせかえる香水の匂いが移ってしまったらどうしてくれる、とシュナイゼルは思いながらユーフェミアの体を乱暴に突き放した。
深紅のドレスを着込んだユーフェミアは何を狙ったのかは分からないが、酷く目に痛い。一見すると華美な高級娼婦を連想させて、でも『彼女達の方が教養がある』とシュナイゼルは内心吐き捨てた。
あぁ、早く帰ってルルーシュに会いたい。シュナイゼルは再び強くそう思った。もう、帰ってしまおう。

再び会場に戻ろうとしたら、ユーフェミアが再度抱きついてきた。
今度は中々離れない。
「私を“Elysion”に入れてくれるまで離しません。」
「あの宮は、我が妻だけの宮だ。君を入れるつもりは無いと言った筈だが?」
「第二夫人でも構いません!」
「彼女以外の妻を持つつもりもない。」
「何故ですか?何故私では」
「しつこい。」
シュナイゼルは力が弱まるのを見計らってその腕を振り払った。
ユーフェミアは、振り払われた手を、胸の上で重ね合わせて、「では」と話をきりだした。
「私はその方と戦います。その方を蹴落としても貴方の妻になります。」
きつい表情で言ったユーフェミアに、シュナイゼルは嘲笑した。
「君では決して彼女に勝てないと断言しよう。・・・そんな日は来ないよ。失礼。」
衣を翻し、また会場に戻ったシュナイゼルの後ろで、ユーフェミアは力なく崩れ落ちた。

会場に戻ったシュナイゼルはスザクとすれ違った。
誰もが頭を下げる中で、ここには来ていないはずの、自身の騎士を見つけ、声をかける。

「カレン」

緋色の髪をした騎士は、白い騎士服に身を包んでいた。
彼女の手入れの行き届いた真っ直ぐな髪を見て、赤とはこんなにも美しい色だったか、と思う。
「殿下!」
騎士は、真っ直ぐに歩いてきて、己の前で跪いた。
「突然のことで申し訳ありませんが、奥様がいらっしゃってます。」
「・・・来ている?彼女が?」
驚いて確認を取ると、カレンは大きく頷いた。
「たった今到着されました。私は一足早く会場に着けとの奥様のご命令でしたので、殿下と連絡を取るために先に参りました。
ロイドとミレイ嬢も一緒です。」
「分かった。」
シュナイゼルは大きく頷くと、カレンがホッとしたように笑った。




ホールの入り口にカレンと急いで行くと、コーネリアとルルーシュが先に話をしていた。けれど直ぐにルルーシュはシュナイゼルに気付き、朗らかに微笑みながら小さく手を振った。
それだけで、今までシュナイゼルを苛んでいたイライラが全て帳消しにされる。嬉しそうに手を振るルルーシュを見て、ロイドが後ろで『納得いかない!』という顔をして、ぶーっと頬を膨らませる。今日、彼は白い布地に、黒の縁取りの騎士服を着ている。
拗ねたロイドを見たミレイが呆れかえっていた。


「殿下。」


呼ばれた声に誘われるまま手を伸ばし、シュナイゼルはルルーシュを抱きしめた。
全身から力が抜けると同時にルルーシュの声が心配を含んだものに変わる。
「殿下、疲れてらっしゃいますね?」
心配そうなその声に、コーネリアは大きな瞳をパチパチ、と瞬かせた。シュナイゼルはルルーシュの真珠の頬に唇を寄せる。
「君は、超能力者みたいだね。」
冗談を言ったシュナイゼルに、ルルーシュは眉を歪めると、シュナイゼルの頬に口付けを落とした。
「何があったかは、宮でお伺い致します。・・・大丈夫ですか?」
その言葉に、シュナイゼルは笑うと、再びルルーシュを抱き込んだ。
「君に会ったら、何だかもう全て吹っ飛んでしまったよ。・・・大丈夫だ、心配しないでくれ。」
「貴方の“大丈夫”は信用なりません。・・・今日は挨拶だけにして帰りましょう?」
心配の色が濃く出ている妻の顔が下から覗き込んでくる。その視線に負けて、シュナイゼルは首を縦に振った。
「・・・そうするよ。第一皇子殿下には先ほど済ませたし、コーネリアもここにいる。後は・・・今日の主催者に挨拶をするだけだ。」
「第六皇子殿下だけですね?」
「あと父君。」
付け加えられた名前に、ルルーシュの瞳が嫌悪に染まる。
「嫌かい?」
シュナイゼルが聞くと、ルルーシュは溜め息を吐いた。
「公務と割り切ることに致します。」
少し気落ちしたルルーシュを、シュナイゼルが再び抱きしめたあと、シュナイゼルはルルーシュに腕を差し出す。
ルルーシュはその腕を取ると、自らの腕をそこに絡め、ほんのりと顔を紅く染めた。

「君は、第六皇子に会うのは初めてかい?」
会場へと続くホールを歩きながらシュナイゼルはルルーシュに問うた。ルルーシュは苦笑する。
「・・・はい。会うのは初めてです。」
「あの子の母君も強烈だったからね。まぁ、今も凄そうだけれど。」
「あの頃アリエス宮に出入りなさっていた兄弟姉妹は私達に良くしてくれましたけれど、他の方たちは、蔑むか関わらないかのどちらかでした。・・・第六皇子殿下は後者にあたります。ですから」
「君は名前も顔も知らない、と。」
「はい、その通りです。」
息を吐いたルルーシュを見て、シュナイゼルは妻の体を自身にグッと近付けた。
「緊張するかい?」
その問いに、ルルーシュはシュナイゼルを見上げた。
「えぇ・・・少しだけですが。」

はにかんで笑ったルルーシュはやはり美しい。
薄い生地を何枚か重ねた彼女のドレスは朝焼けの色だった。
胸元は濃い紺色で、それが腰回りから段々と色を変える。紺から淡い紫までのグラデーションは、咲世子とシャーリー、ミレイの傑作である。
ルルーシュはそっと布で覆われた手を心臓の上に置いて、深呼吸をした。
首にしているのは彼女が宮に来たときに贈った一粒の小さめなダイヤがひっそり輝くもので、今まで自分を飾らなかったルルーシュが初めて着けたものだった。
裾が上品に広がった彼女の体に合わせてつくられたマーメイドラインのドレスは、ルルーシュに凄く似合っていた。

言葉も出ないほどに。

全体にちりばめられたビーズは彼女が動く度にキラキラと煌めく。
シュナイゼルの視線に気付いたルルーシュは慌てて両手で体を隠した。
「・・・あまり、見ないで下さい。」
顔をしかめたルルーシュの手をとって、シュナイゼルは微笑み、そしてそのままルルーシュの手の甲に口付けを落とす。
ドレスに合ったボンネットが彼女の顔の三分の一を隠しているのに気を良くして、シュナイゼルはルルーシュの手を強く引いた。





シュナイゼルがルルーシュの手を引いて会場に入れば、入り口付近の者達が一斉に頭を下げる。
そして頭を下げた者達がまた頭を上げると、シュナイゼルの隣――――ルルーシュを見て目を見開き、そして固まった。


“あの方は誰なのかしら”
“素敵なご衣装ね”
“殿下と一緒に来られたと言うことは、彼の宮に済んでいらっしゃる皇妃殿下か?”


ザワザワと憶測が飛ぶ会場で、ミレイとカレンは『よし!』と合図を交す。
何よりも自分の主一番!な二人はルルーシュの背を見て朗らかに笑った。ロイドはさも『当然』と会場の話声には無関心を貫いている。
ルルーシュが通ったあとは噂話と感嘆の吐息、人々の囁き声しか聞こえない。
腕にすがる力が増したことにシュナイゼルは気付き、苦笑を洩らした。

「そう派手に緊張すると、躓いてしまうよ?」
心なしか青ざめてしまったルルーシュは、シュナイゼルを見上げて困ったように笑った。

ルルーシュはひとつ吐息を吐くと、シュナイゼルに小声で言った。
「・・・慣れぬだけです。少しだけ、慣れてきましたけれど。」
その言葉にシュナイゼルは微笑み、ひときわ大きな人の輪を指した。
「ほら、あそこに第六皇子殿下がいる。見えるかい?」
ルルーシュは指された方向を見て、ゆっくりと頷いた。
「はい。」
その返事を聞くと、シュナイゼルは“執政者”の顔をして会場を進んだ。



二人で慎重に歩いて第六皇子のところに着くと、まずシュナイゼルが一歩前に出た。それに習い、ルルーシュはシュナイゼルよりも一歩後ろで広がったドレスの裾を持って屈んだ。権力者に対しての最上礼をとる。
それを横目で見たシュナイゼルが、先に祝いの言葉を述べた。

「この度はエリア11総督就任おめでとう、ジェイル。君ならば、あの極東の島国をいい方向に改変してくれると信じているよ。」
にこやかに左手を出したシュナイゼルに、ジェイル・ディ・ブリタニアは同じように左手を出して頷いた。
「ありがとうございます、シュナイゼル兄上。兄上に期待された分、それをエリア平定に役立てようと思います。・・・本当に、側近を選ばせてくれた温情に感謝いたします。」
「いや、君が最も力を発せるようにさせてあげたいと、進言したのは妻の方でね?
私もそうしたほうが民のためになると思ってその言葉を聞いたのだよ。君ならできると思ったしね。紹介しよう、私の妻だ。・・・ルルーシュ。」
呼ばれたルルーシュは最上礼をといてゆるやかに立ち上がった。
一歩前に出て、第六皇子に微笑むと、少し屈んで略式の挨拶を行った。
「ごきげんよう、ジェイル様。この度は総督就任おめでとうございます。心からの祝福を致しますわ。」
「こんばんわ、レディ。」
ジェイルはルルーシュを見て惚けていたが、挨拶を言われると慌てて跪いた。そしてたおやかなルルーシュの手を取って、口付けを落とした。
「妻は、公に出るのは今日が初めてでね。」
シュナイゼルがルルーシュの方に手を回すのを見て、ジェイルは立ち上り、シュナイゼルを見る。
「以後、お見知りおきを。」
ゆるやかに笑ったルルーシュに、ジェイルは銀縁の眼鏡を上げるとアッシュグレーの髪の毛を耳にかけた。
「・・・貴方のような美しい人は、一生忘れませんよ、レディ。今後ともよろしくお願いします。」
その言葉に笑ったルルーシュだが、シュナイゼルは目を細めてジェイルをじっと見たあと、フイ、と目を逸らした。


名残惜しむようにルルーシュの手を離さなかったジェイルの前から退いて皇帝の前に、ルルーシュとシュナイゼルは来ていた。
ルルーシュの表情は氷のように冷たい。見据えた皇帝は何も言わず、シュナイゼルが帰りの口上を述べる間、ずっとルルーシュを見ている。
口上が終わって帰ろうとした二人を、老いた皇帝はルルーシュに向かって何か言おうと口を開いたが、首を横に振って手で二人を払った。
“帰っても良い”という皇帝の合図に、ルルーシュは素早く礼を取った後、皇帝の前から退いた。



シュナイゼルの車が玄関ホールに止められているのをテラスの上から見つけたユーフェミアは、自分もその車に乗ろうと、ドレスの裾を持った。
だが会場に入ろうとしたそのときに、シュナイゼルの声が下から聞こえたのでユーフェミアはテラスの下を覗き込んで目を大きく見開く。シュナイゼルが、見知らぬ女の腰に手を回していたからだ。
彼女は嫉妬に狂った表情を浮かべ、今まで自分を探してくれていた騎士にすら目もくれず、すぐさま玄関ホールに走った。

髪の毛が乱れるのも気にせず、辿り着いた時には車は行った後で、ユーフェミアはその場で立ち尽くし、唇を噛んだ。



お兄様、私よりその女をお選びになったの・・・?
―――でしたらその女と戦い、必ず蹴落としてやりますわ。

ええ、どんな手を使っても!

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