アネモネ 第二章


ルルーシュは静かに開いていた本を閉じた。
部屋の中は煌々としているが、それでも外は真っ暗だった。
ふと、今日のことを思い出す。


出された料理にコーネリアの頬が優しく潤むのに、ルルーシュは気がついていた。
・・・敵対した姉。何度も何度も苦汁を飲まされた。彼女のおかげで死んだ騎士団員だって少なくは無い。でも。


嬉しい、と思えた。


まさか涙を流して自分の生を喜んでくれるとは思わなかった。
懐かしい、よく生きていた、言われるたびに面映さが体に広がった。
・・・大好きな姉。母と、いつも自分達を見守ってくれていた。
甘えても、許してくれる人だった。
ナナリーの死を聞いた彼女は、目を見開いて眉を歪めた後、自分を抱きしめた。
・・・辛かっただろうと、背中をさする腕に安心しきってしまい、あの時流れなかった涙が溢れた。
それさえも享受してくれたけれど。
ふと、自分はこんなに幸せで良いのかと思う。
再び本に目を移すと、その本の上に銀色の頭が乗っていた。そしてその頭の人物が自分を見ていた。




「・・・マオ?」
数秒の時間を要して出した名前に、ルルーシュは内心『やってしまった』と反省した。
シュナイゼルにもあの咲世子にも言われたことだが、自分はどうも急な出来事における対処が遅いらしい。気をつけてはいるのだが、どうもダメだ。ルルーシュはふぅ、と溜め息を吐いた。
「ルル、疲れてるの?」
赤く染まった瞳がこちらをじっと見る。心配の色が濃いそれにルルーシュは首を横に振った。
「いいや?疲れてはいない。自分のダメさに呆れていただけだから。」
本を自分が座っているところの横に置くと、ルルーシュはマオにソファに座るよう言った。
「眠れないのか?」
聞くと、大きな体をした子どもは直ぐにソファの上にころん、と横になって、ルルーシュの太ももに頭を乗せた。
「だってね、煩いの。」
拗ねた物言いは、エルモアそっくりだと思う。
「心の声?この宮の者?」
聞くと、マオはゆっくり首を横に振った。
「・・・僕はシャーリーも、咲世子も、リヴァルも、シュナもルルもC.Cもエルも、この宮の人はみんな好きだよ。だってみんな優しくて、僕の家族だもん。」
「そうか。」
「だから“外”の奴は嫌い。」
言われた言葉に、ルルーシュはマオの髪の毛を撫でた。
「だって、ルルのこと殺せとか、言うんだよ。こんなに優しいのに。ルルのこと知らないくせに。そんな奴は死ねばいい、死ねばいいんだ。」
肩を小刻みに震わせながらマオは言った。
ルルーシュは優しくマオの髪の毛を撫でながらそっと呟いた。
「マオは優しいな。」
「優しくない。」
「そうか?だって、私のために怒ってくれるんだろう?」
「僕が怒らなかったら、ルルは痛みを無かったことにするじゃないか。」
「ちょっと話がずれてないか?」
「ずれてない。」
「はぁ。」
溜め息を吐くと、マオは笑った。

マオとの出会いは奇妙だった。
三年前、黒の騎士団の中国在住組との連携をとるために行かせたC.Cが、大きな荷物を宮へ送ってきた中に、マオがいたのだ。


あのときの衝撃は忘れたくとも忘れられない。


怪訝に思いながら段ボール箱を開けて最初にされたことは『C.C!』と叫びながら抱きつかれたことだ。悲鳴すら出なかった。
それは自分と一緒にダンボールを開けた咲世子も同じで、唯一シュナイゼルがマオに銃を向けた。
そしてあたりを見回して、自分を見たマオの第一声は『お前誰?』だった。

聞きたいのはこちらであるのに。

キレかけたシュナイゼルを何とか止めて、自分が誰であるのかを言った後、C.Cの話をすれば、今度はふしぎな顔をされた。
『・・・聞こえない。』
『・・・・?』
『聞こえないのは、何で?』
詰め寄ってきたマオは自分の体をじっと見てきて。それに咲世子が暗器を出そうとしたが止めて。
しばらく観察していると、自分から目を離して考え込んだマオが突然顔を上げてにこぉ、と笑った。
とりあえず害意が無いことが知れてほっとした一堂に降ってきたのは『ここに住む!』という一言だった。


あの後は大変だった。


笑顔のままキレたシュナイゼルがC.Cを緊急帰国させ(アヴァロンで迎えに行くことも無いだろうに・・・)執務室に七日間篭り(そういう映画があったな。日本に。)C.Cと大喧嘩の末、私の部屋に来て半日ずっと私を観察していた。
その頃にはもう宮の中の者はマオに慣れきっていて、私がマオを子ども扱いしかしていないことを悟ると、シュナイゼルはにんまりと笑ってマオを受け入れたのだった。
壮絶すぎる。もっと平凡が良かった。



ふと、視線を下に落とすとマオが安らかな寝息を立てていた。
C.Cが帰ってきて発覚したがマオもギアス能力者だった。
しかも、半径500メートルの人間の心の声が聞こえるらしい。
いつも“煩い”と癇癪を起こす。

ルルーシュは、自分の左目に触れた。
最近は使っていない“王の力”だが、威力は格段に上がっているとC.Cはルルーシュに言った。だからルルーシュが傍にいるとマオは癇癪を起こさない。ルルーシュの傍は、まるでフィルターがかかったかのように外界の音と遮断されるからだ。人の出す心の声は、全く聞こえなくなるのである。

ルルーシュはマオの銀の髪の毛をサラリ、とかきあげると近くにあったクッションを拾い上げ、頭をそこに置いた。


「おやすみ、マオ。」


掛け布団を持ってきて、マオにかぶせるとルルーシュは静かに電気を落とした。

あたりを静寂が支配する。



*****


図書室から自室に帰って明かりをつけると、テラスにシュナイゼルが立っていた。
「・・・殿下」
シュナイゼルは半月を背にして振り返るとルルーシュを見て、妖艶に笑った。
ルルーシュの背に、ぞくりと痺れが走る。
――――こういうときのシュナイゼルは少々手荒くなる。
ドキドキする心臓に“鳴り止め”と言い聞かせて、ケトルが置かれた端の机まで移動する。
お茶を煎れようと水差しからケトルに水を移そうとしたとき、シュナイゼルに左手を掴まれた。
「殿下・・・!」
慌ててシュナイゼルを振り向く前に、晒されていた首に唇を当てられ強く吸われた。

「・・・ァッ」

小さな声が唇から漏れ、この事態は何事だ、と思案する。が、シュナイゼルは思案する余裕をくれなかった。
肩まで伸びた髪の毛を掻き上げ、自分の頭をその大きな手のひらで固定する。深く首に頭をつけて軽いキスを繰り返すシュナイゼルに、ルルーシュは観念してケトルと水差しを机に置いた。
すると今度は右腕を引っ張られてシュナイゼルの方に向かされ、顔にキスが降ってきた。


ルルーシュはキスを感受しながら、シュナイゼルが焦っていることに気付く。
「ん・・・殿下、何をそんなに」
「君には敵わない。・・・今日、さっき。新しいエリア11総督から、手紙が届いたのだ。」
シュナイゼルはルルーシュの唇に最後のキスを落とすとルルーシュを抱きこんだ。
「ぜひ・・・就任祝いパーティにおいで下さいと二人分の招待状を。」
「二人分・・・」
「ルルーシュ。私の妃は君だけだ。連中のいやらしい視線に君を触れさせたくない。本当なら断ってしまいたい。だが・・・一緒に、来てくれるかい?」
ルルーシュは笑ったあと、頷いた。
「・・・はい。それと」
ルルーシュはシュナイゼルの腕の中から夫の顔を見上げた。
「やきもちは、妬かなくていいです。私の終わりは貴方と共に、ですから。」
言われた言葉に一瞬キョトンとしたシュナイゼルだったが、情けない顔で笑ってルルーシュに唇を落とした。
「・・・・全く。本当に君には敵わない。」
抱きしめられた腕の中で、ルルーシュはクスクスと笑った。


お茶を煎れて、二人で飲んでいるとき、シュナイゼルが「そうだった」と話を切り出した。
「・・・君が言っていたロイドの新作を見たよ。」
薔薇の話だった。ルルーシュは朗らかに笑うと、「どうでした?」とシュナイゼルに聞き返した。
「うん。あの薔薇なら“Lelouch”とつけてもいいと、今日言ってきた。」
「では、長く続いたラクシャータとロイドの対決は終わりなんですね?」
楽しそうに笑うルルーシュに、シュナイゼルは呆れたように眉をひそめた。
「そうそう、それだよ。今度は『エルモアのために薔薇を作る』って言って聞かなくてね。何だかんだ言って、彼らは楽しんでいるみたいだからほたってきた。」
「張り合いがあって楽しいんですよ。・・・青い薔薇を、研究してってロイドとラクシャータに言ったことがあるんですが、凄かったですよ。だって二週間で持ってくるんですもの。驚きました。二人とも濃い青で。」
「あぁ“Mariannu”かい?君の、母君の。」
「はい。皇帝から下賜された薔薇は他の皇妃の薔薇と違って生花ではなく造花でしたから。」
「・・・“まがいもの”といわれていたね。私も随分悔しい思いをした。彼女はいつも笑っていらしたけれど。
・・・コーネリアなど、影を使って報復をさえ考えていてね。まぁ、グルになって実行したこともあるけれど。」
「だから、ロイドとラクシャータが持ってきたときは嬉しかった。
母はもういないけれど・・・“まがい物”では無いから。」
「そうだね。・・・今度。君さえよければマリアンヌ様とナナリーに花を持っていこう。」
ルルーシュはシュナイゼルの顔を見上げると、朗らかに笑った。アメジストの瞳から涙が零れ落ちた。
「・・・ありがとうございます、殿下。」


それが、ルルーシュの答え、だった。


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