アネモネ 第二章


自室に戻ってきたユーフェミアを見て、スザクはとても驚いた。
常に笑顔を絶やさない彼女の瞳から零れ落ちる涙に、どうしていいのか見当がつかなかったからだ。
だからとにかく名前を呼んで、ユーフェミアに理由を聞くことにした。

「ユフィ!」
すばやく駆け寄った自分の騎士に、ユーフェミアは泣き崩れた。
今日はコーネリアとシュナイゼルの宮に行っていたはずだと思案し、腕の中で泣くユーフェミアの背中を撫でた。
「スザク、スザク、私は何か悪いことをしたんでしょうか。どうしてあんなにお兄様に嫌われなくてはならないの。どうしてお兄様に嫌われるのが私でなくてはならなかったのかしら!
私は、お兄様の花嫁になるはずなのに・・・!」
泣き続けるユーフェミアに口を挿もうとしたスザクは、主の言葉に打ちのめされた。
『私を好きになりなさい』と言った言葉はウソだったのか?
スザクは自分の心が急激に冷えていくのに気がついた。
「ねぇ、私は美しくないのでしょうか。・・・お兄様の好きなタイプじゃなかったのでしょうか。やっぱり、お兄様はルルーシュのことをお忘れでないのね。」


主の口から出てきた親友の名に、スザクは心の淵から出てきた。
思い出すのは、彼のニヒルな笑み。
ユーフェミアの騎士となって初めて学校に行ったときに、彼はもう既に教室に居なかった。・・・ミレイも、シャーリーも、リヴァルも一緒に。
本国に帰ったのだろうか、と教授に聞いても『知らない』で通され随分切ない思いをしたものだ。
ニーナが何か言いたげだったが、彼女は最後まで何も言わなかった。(多分、自分が怖かったのだろう)それを不可解に思いつつ特派に顔を出せば、迎えてくれるはずのセシルとロイドが不在で、今まで研究に携わっていた者の一人から、配属先の変更と、特派からの除隊が言い渡された。
「何故?」と言っても、『シュナイゼル殿下からの命令だとしか聞いてない』と返され、一日で自分の環境が変わってしまったことをただ悲観した。
・・・ルルーシュにはもう逢えないような気がした。


「ルルーシュ?」
無意識に名を呟くと、ユーフェミアが白い頬を上げた。
「スザクは知っているでしょう?だって十年前、ルルーシュとナナリーはエリア11に行きましたものね。留学していた二人が居たのに開戦してしまって・・・事故で亡くなったと聞きました。
お兄様は、まだルルーシュのことが忘れられないのですわ。まだ生きていると思っていらっしゃるから、“Elysion”に似たような女をお求めになったのです。きっとそうよ!・・・お可哀想なお兄様。変な女に取り付かれて・・・やっぱり私がお兄様をお慰めするしかないのよ。」
「まってユフィ。ルルーシュは男の子じゃなかったかな。」

スザクは十年前のことを思い浮かべた。ひらひらとした優しい色のワンピースに身を包んだナナリーとは違って、ルルーシュは簡素な白いシャツに黒のズボンだった。
三年前に出会ったときも学生服は男子生徒用を着ていたし・・・随分声も低かった筈だ。
導き出される答えは、いずれも“ルルーシュ”が男であるということばかりで。


スザクは首をかしげた。


ブリタニアはそういうことが寛容なのだろうか・・・。
だがスザクはそう考えて、邪な気持ちに支配された。
性別を超えてまで彼、ルルーシュを奪おうという輩はたくさん居たからだ。



スザクは人知れず目を細めた。
・・・ルルーシュの外見の美しさは他の女子生徒の追随を許さなかった。
艶やかな漆黒の髪、白皙の肌。(誰にも許されてはいない)濡れた至宝のアメジスト。しなやかな四肢、細い輪郭。
あの細い首筋に、熱いキスを送ったら・・・彼は一体どんな反応を起こすのか、自分は一度そこまで考えたことがあった。


美しいルルーシュ。
優しいルルーシュ。
時折、儚げな顔をするルルーシュ。

そうだ、シュナイゼルならば彼に目を掛けていてもおかしくはない。
・・・だって彼は頭も良いし。
エリュシオンにいる人だって、彼ほど美しくはない。
ユフィがシュナイゼルの元に嫁いだら、自分はルルーシュを探しにいける。
今は、ユーフェミアの元にいるけれど本当は彼の騎士になりたかった。でも、彼の平和を早く、早く作らなければと、道を急いた。
ゼロだって討ち取ったし、今度は真実ブリタニアを中から変えていく。
そしてそれが叶ったら、ユーフェミアの騎士を辞めて君の騎士にと名乗りを上げるんだ。
そしたら、君を堂々と守ることが出来る。僕には、そのための力があるんだから。


スザクはぶつぶつと小さく何かを言い、ユーフェミアはそんなスザクを不思議そうな目で見つめた。

「変なスザク、何をおっしゃいますの?ルルーシュは、女の方ですわよ?」

スザクは主から吐かれた言葉に目を見開き、驚いた。
「ルルーシュが・・・女!?」
「はい。だって、一緒に浴室に入ったことがございますもの。ルルーシュは確かに女の子です。
・・・だからシュナイゼルお兄様がいたく目をおかけになっていて。子どもの頃から美しい方でしたから、“いずれは私の妃に”とマリアンヌ様におっしゃっていたそうです。」
「・・・ルルーシュが、女?」
「今となっては、さぞお美しくなっているでしょうに。残念ですわね。死人にお兄様は癒せませんもの。」

スザクにはユフィの声が自分の耳をすり抜けていってしまったように聞こえた。


・・・彼が女!

なんという酷い裏切りだろうか。
何故、自分には言ってくれなかったのだろう。親友だと思っていたのはこちらだけだったのか!だから三年前、他の生徒会の仲間と逃げたのだな!
自分は信頼に足る人物ではなかったと!

・・・・ルルーシュ!

スザクは思いきり拳を握り締めた。・・・最初に裏切ったのは自分なのだと気付かずに。

――――夜になってユーフェミアの部屋にコーネリアがやってきた。
「お姉様!」
ユーフェミアはベッドから立ち上がってコーネリアに素早く近寄る。
「お姉様、お姉様!シュナイゼルお兄様は」
コーネリアは首を横に振ると、ユーフェミアに殊更優しく言葉をかけた。コーネリアから薔薇の香りが香った。
「ユフィ、兄上のことは諦めなさい。」
ユーフェミアはすみれ色の瞳をカッと開いて、コーネリアの肩口の布を掴んで前後に揺する。
「何故?何故ですの?何故お兄様は私では「ユフィ」」
コーネリアはユーフェミアの言葉を止めて眉をひそめると、大きく溜め息を吐いた。

・・・この妹はこんなにも聞き分けがなかっただろうか。

「・・・父上からの厳命だそうだ。」
「ですが!お母様はっ!お母様が!」


部屋の中のユーフェミアの叫び声に、扉の前で控えていたスザクが中に入ってきた。
「ユーフェミア様、どうなさいました?」
慌てて入室したスザクに、コーネリアは「何でもない」と退室を命じたが、ユーフェミアはスザクを泣いて引き止める。腕を掴まれたスザクはユーフェミアを見た。
「スザク!貴方も知っているでしょう?私がお兄様の生まれながらの花嫁だと!」
泣き叫びながら崩れ落ちたユーフェミアを支えながらスザクは彼女の言葉を肯定する。
「・・・はい。そう聞いています。」
心が、抉られたようだった。

そのスザクの答えに、ユーフェミアは顔にサッと喜色を浮かべるとコーネリアを見上げる。
「お姉様!ホラ、スザクもこう言って!」
一身に喜びを表現したユーフェミアにコーネリアは視線を合わせると、ユーフェミアの肩に触れた。
「諦めなさい、ユフィ。私は今日“Elysion”に行って来たのだ。」
コーネリアのその言葉に、ユーフェミアは顔を絶望にゆがめた。



しばらく沈黙が続き、ユーフェミアは顔を床に向けて言った。
「会って・・・来られたのですか?お姉様。シュナイゼル兄上の宮に住む・・・女に」
「あぁ。そうだ」
「どんな、どんな方でした?本当に皇族?私のように総督をなさった方?私と、どう違うのです?」
コーネリアはひとつ首を横に振ると微笑んだ。
「・・・すばらしい方だよ。突然の訪問だったのに、私に直々にお茶を煎れて下さった。とても聡明なお方でね、私よりはユフィの方が歳が近いのに、難しい兄上の政務の話についていって、助言をしていた。
総督はしていないと言ってはいたが、エリア23の平定に携わっていたんだよ、と兄上がおっしゃっていたから、その力は十分にあるだろう。
・・・もし、兄上が帝位に立つのであれば・・・あれほど優れた伴侶はこのブリタニア帝国、エリアも含めてだが、いないだろう。彼女は私達と違ってね、存在そのものが稀有なのだ。
私はねユフィ。その人物に会う前まで、その女とお前を比較してシュナイゼル兄上に言うつもりだった。“ユフィの方が素晴らしい”と。
だが、会って解った。お前と、比べることすら出来ないほど、彼女は高みに存在していたのだよ。・・・私達が見上げても見えないほどの高みに。会えば、解る。」
ユーフェミアは耳を押さえた。
「聞きたくありません!そんな話。」
「ユフィ。とにかく、兄上のことは諦めなさい。」
「嫌です!」
「ユフィ!」
スザクは口論を始めたユーフェミアとコーネリアをたしなめようと動こうとしたら、後ろから声がかかった。


「何です!夜分遅くに煩く喚いて!私の顔に泥を塗るつもり?」

後ろ―――ドアを見ると、四十代前半くらいの女性が立っていた。


「お母様!」
ユーフェミアは素早く母親に詰め寄った。
「何です?」
「私は、お兄様の花嫁ですわよね?」
ユーフェミアは自分の母親を縋るように見た。
母親は、呆れたように溜め息をつくとレースの扇で顔を隠した。
「貴方以外に他に候補があって?」
コーネリアは母親を睨んだ。
「“Elyusion”には既に皇妃殿下が入られました。」
「それがどうしたの?」
「シュナイゼル兄上はその皇妃殿下しか自分は妻にしない、そして“リ”家の者は皇妃には迎えてはいけない、との皇帝陛下からの厳命だそうです。」
パチンッと扇を閉じた母親は、薄く冷笑を浮かべた。
「なんなの、そんなこと。・・・私が何故お前が軍に入ることを止めなかったと思っているの?
・・・さっさとその女を殺してくればいいじゃない。ナイトメアフレームでも体術でも一向に構わないわ。シュナイゼルがそれでもユーフェミアを娶る気がないのなら、そういう薬を使えばいいだけのこと。・・・ユフィ、お前は心配しなくてもシュナイゼル殿下の皇妃よ。陛下の厳命だ、などと。そんなの今更なことだわ。」


「・・・待って下さい!」


スザクはユーフェミアの向こうにいる女性に視線を向けた。
「貴方は、間違っている!」
「お黙り!イレブン風情がこの私に意見を述べようなど!私はブリタニア皇帝第六皇妃であるというのに!
犬は犬らしく巣にお帰り!おお嫌だ、コーネリア、ユーフェミア。何故こんな下等生物がこの部屋にいるのか、私は見当もつかないわ。」

その言葉にスザクの目が限界まで見開かれる。
「枢木、戻れ。」
静かに言われたコーネリアの言葉に、スザクはひとつ礼をして退室した。

「・・・それで?どんな女なの?貴方が気に掛けるくらいだから、相当な女なのでしょう?」
「答える義理はありません。そして私は彼女を殺す気など毛頭無い。ユーフェミアには、新しい婚約者を探します。」
ユーフェミアはその言葉に姉を振り返った。
「お姉様!何故?」
「聞く耳は持たない。・・・その方がお前は幸せだ。」
「嫌です!」
コーネリアは、縋るユーフェミアに目もくれずに母親に向かっていった。
「このことは皇帝陛下と宰相殿下に奏上しておきます。
・・・・厳罰を受けることを覚悟して下さい。貴方は、皇帝陛下に不敬なことを言ったのですからね。」
その一言で母親の顔は蒼白に変わった。
部屋から出て行くコーネリアに、母親が叫んだ。
「お待ち!誰がお前を産んだと思っているの!」
その言葉にコーネリアは嘲笑する。
シュナイゼルと歳近く生まれた自分を、産みはしても育てなかった母親。ひたすら男児が欲しいと自分に目も向けずに。
・・・自分の父はあの無慈悲な皇帝などではない。弱かった、幼い自分を守ってくれたのはダールトン家の者。だから、真の父はダールトン。
そして、脆く壊れそうだった幼い自分を救ってくれたのは。受け入れてくれた母のような存在の人は・・・マリアンヌ皇妃だった。
だから、今叫んでいる人物を母親などとは思えない。


赤い絨毯が敷かれた、シャンデリアが飾られた廊下を見て、あそこはよかった、と考える。
紅色の、落ち着いた色の絨毯。華美な装飾などなど無くて、花で飾られた廊下。ルルーシュの、宮。
無駄に飾られた部屋より、本と木材に囲まれた部屋があんなにも暖かい空間になるのだと知った。
・・・否、違う。
ルルーシュが、あるいはルルーシュの心を理解した誰かがそうなるように作ったのだ。
溢れかえる花々。西日を映す湖。出された温かい夕食。


コーネリアは、人知れず溜め息を吐いた。


・・・ここでは休まることなど出来ない。

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