アネモネ 第一章


ルルーシュが目を覚ますと、目の前にはシュナイゼルとC.C.が仲良くテーブルを挟んでチェスをしていた。

「お前!少しは手加減とやらを知らんのか!女には花を持たせろと母親から習わなかったのか?このサド!」
どうやらC.C.のほうが負けているらしく、がみがみとシュナイゼルに対し文句をたれている。
体がふらついていないことから、熱が下がった、と起き上がって額を触っていると、気づいたシュナイゼルが椅子から立ち上がってこちらに来た。


「おはよう、ルルーシュ。体調はどうだい?」
覗き込まれた紫の瞳に、唐突に昨夜のことを思い出す。
額に触れてきた大きな手を受け入れると同時に頬が赤くなるのがルルーシュにも解った。

・・・なんたる失態!

「・・・?まだ少し熱い。氷を」
自ら動いて氷枕を取りに行こうとしたシュナイゼルを、ルルーシュは腕を掴んで止めた。
「・・・ルル?」
心配そうに見てくる男の顔に自分の顔を近づけ、いつもは無い銀色のものが光るその天辺を、ルルーシュはかぷ、と齧った。
「・・・え?」
予想外の妻の行動に、シュナイゼルはフリーズし、C.C.は声を上げて笑った。
C.C.を見た後、ルルーシュの目を覗き込んだシュナイゼルは、ルルーシュの瞳に少しの責めを感じ取り、逆に笑顔になった。

つまりは、そういうことである。

うつむくルルーシュをシュナイゼルはひょい、と抱き上げると見上げてきたルルーシュの顔中にキスを降らせる。
「おはよう、ルル。」
「おはよう、ございます。」
視線をシュナイゼルから逸らすルルーシュに、C.C.はにこやかに笑った。
「ルルーシュ、この男についていくか?」
シュナイゼルはぐっとルルーシュを抱きしめる腕に力を入れた。
ルルーシュは苦しげにうつむく。
「君の、考えが聞きたい。日本や、その他のことは抜いた君の本心が。」
シュナイゼルは誰にも取られないように、ルルーシュをきつく抱きしめる。
一切の音が空間から消え、あたりを静寂が支配する。
腕の中で身じろいだルルーシュを、シュナイゼルはゆっくりと離した。

「・・・大切に、してくれるのなら。」

控えめな表現。だけれど、この姫が自分の幸せを自ら祈ったことなど無く。
C.C.はそれだけでもシュナイゼルを賞賛したかった。
シュナイゼルは、再びルルーシュを抱きしめる。
「大切に、大切にするよ。絶対に。」
自らを抱きしめる逞しい腕にほっと息をついて、ルルーシュはシュナイゼルの頬に口付けを落とした。

たった一人の、愛しい人。


その日、騎士団に現れたゼロに扇たちは度肝を抜かれた。


「ありえねぇだろ!なんだアレ?」
「・・・どこで拾ってきたのかしら。」
「流石です、ゼロ。まさにカオス!」
上から、玉城・井上・ディートハルトの弁だ。
それもそのはず。颯爽と歩くゼロの後ろ、カレンの横をその人物は悠長に歩いていた。
・・・シュナイゼル・エル・ブリタニア。神聖ブリタニア帝国第二皇子にして、国家宰相その人である。



帰国の前に自分で騎士団に言う。といったルルーシュを、シュナイゼルとC.C.は許さなかった。
いくらカレンが付いているとはいえ、もしものことがあったら、と考えると二人の背筋に寒いものが走ったことを鈍いルルーシュは知らない。
つまり素性を独りで明かす、と言ったルルーシュは自分がいかに魅力的な顔立ちをしているかを明らかに視野に入れていなかった。


確実に襲われる・・・・!


むしろ、今までよく襲われなかったな。とシュナイゼルは感心した。
その感心の影にC.C.とカレン、ミレイの並々ならぬ苦労と努力があったことは確実だった。
それでC.C.も一緒に行くことになったのだが話に信憑性を持たせる為、シュナイゼルの同行が決まったのだ。
ちなみに白いYシャツに、黒のスラックス、ノンフレーム眼鏡着用のシュナイゼルを見たロイドが、大爆笑の末に机から転がり落ちてひーひーと呼吸困難になったことをここで追記しておく。



会議場に集まったメンバーを見たルルーシュは泣きたくなった。
確かに自分は“無”であり、何も無い存在だ。けれどしかし。
会議場に集められたメンバーのほとんどが武器を携帯していた。
そしてそれを自分に向けている。

「どういうことか、教えてもらおうか、ゼロ。」
「日本を、開放してくれるんじゃ、なかったの?」
「このブリ鬼!」

小刻みに肩を震わせて耐えるルルーシュに、シュナイゼルは近寄ろうとして手で制された。
それは、【貴方は手出ししないで】というルルーシュの決心だった。
「私は確かにブリタニア人だ。」
ルルーシュの一言に、全員の声が一斉に止む。
「だが、私は生まれ育ったブリタニアという国が大嫌いだ。それは前から言っている。・・・聞いたことがある奴も、いるだろう。」
「じゃあ何でブリタニアの皇子がここにいるのよ!」
叫んだ女の声が会議場に響く。
「私は、七年前にこの日本の大地を踏んだ。ブリタニアと戦争になる前だ。この国に来た理由は、表向きは友好条約上の留学生だったが、それは実質的な人質に過ぎなかった。」
張り詰めた空気の中、ルルーシュは息を飲んだ。
「自分の住む所だと、連れてこられたのは白くて黴だらけの、いかにも不衛生な建物だった。
自分だけなら逃げ出すことも考えたかも知れないが、私と共に本国から妹が付いてきていた。
妹は目が見えず、また足も使えないことから車椅子に乗って足りない部分を補って生活していた。」
「あんたの身の上話はいいよ、そいつは何なんだよ!」
ルルーシュが言葉を切ったところで玉城が叫んだ。
ルルーシュの話を聞いていた藤堂がハッと目を見開く。


「お前達に、私の素性を明かそう。」

ルルーシュは仮面に手を掛けると、その仮面を取り、床に投げ捨てた。

カランッという金属の音がして、“無”を象徴する仮面が床に転がった。

スルリ、と出てきた絹のような漆黒の髪に団員は息を飲む。
続いて出てきた白皙の頬に誰かが感嘆の声を漏らし、見開かれたアメジストよりも美しい瞳に団員の誰もが呼吸を忘れた。

「お、女・・・?」

突然のゼロの行動についていけない。素顔を晒したことで、もはや誰も“無”とは言えなくなってしまった。
静かになった会議場を隅から隅まで見回し、ルルーシュは朗らかに笑った。
「私の名前は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。
七年前にこの地に来て、そして死んで『ゼロ』になった。
聞いての通り、私はあの憎いブリタニア皇帝の娘。
騙された、と思った奴。
裏切りだ、と憎んだ奴。
お前達は正しい。私なら問答無用で殺している。本当なら申し開きを言う前に物言わぬ死体に変えるべきだ。だが、お前達に余裕があるなら、私の話を聞いて欲しい。日本にとってはこの上もなく良いことだ。
・・・お前達の判断に任せる。これで私を殺そうというものがいれば、そのときは私の心が足りなかったということだ。私が死人と変わらないと言うことだ。
さぁ、私を殺したいと思うものは前に出ろ。」
一気に自分を吐露したルルーシュを見て、まず藤堂が武器を捨てた。

「・・・話し合いに武器は必要ない。」

それを見習い、四聖剣が武器を下に置く。
ぞろぞろと団員が武器を下ろす中、扇だけがルルーシュに銃を向けた。
「扇さん!」
カレンが叫ぶが、扇は銃を構えたまま、ルルーシュを睨み付けた。
「俺は、ナオトとの約束がある。」
「・・・撃っていい扇。私には撃たれる資格がある。」
「ひとつだけ聞かせてくれ。」
「なんだ?」
「日本を開放する、と言ったのは嘘か?」
銃を構えながら言った扇にルルーシュは首を横に振った。
「日本を開放する、と言ったのは本当だ。そして昨日、それが確実になった。」
「・・・後ろの男か。」
「最善策を考えた。これ以上犠牲者を出さない為に。・・・この国からブリタニア人が消え去ればいいのだ。」
「・・・どういうことだ?」
「魔法みたいな政策だ。その言葉ひとつで日本は名前を取り戻し、ブリタニアを追い出すことができる。たった一言。それだけだ。」
「一言・・・。」
「「エリア11を返上し、改め、新国家“日本”とする」」
ルルーシュが言った言葉にシュナイゼルが便乗した。

「私が帝位に付けば、この極東の島国の全てを開放しよう。」

カツン、と音をさせてシュナイゼルはルルーシュの傍に立った。
「それで貴方にどんな得があるという?」
扇は銃を向けたままシュナイゼルに問うた。
「そうだね。宝くじに当たった者の気持ちになれる。大損どころかもろ手を挙げて喜びたくなるような気持ちになると思うよ?」
にっこり、と笑ったシュナイゼルに扇は首を傾げる。
「この世で最も美しい、傾城の美女が私の奥さんになってくれるそうだ。」
その言葉を聞き取った井上が銃を手にする。
「ゼロを、どうする気?」
「どうするも、こうするも、私の勝手だ。」
その意図を汲み取った扇がシュナイゼルに銃を向ける。
「ゼロの体と引き換えに日本を開放する、と言うことか?」
銃を向けられたシュナイゼルは、くすくす笑うと、ルルーシュの瞳を覗き込んだ。
「・・・だって、ルルーシュ。日本のために私のところに嫁いでくれるかい?」
あーおかしい。と笑うシュナイゼルにルルーシュは溜め息をついた。
「そんなだから、貴方は腹黒だって言われるんです。」
呆れたルルーシュは、扇を振り向き、「このお方はそんなに不誠実な方じゃないし、約束は守る」と言ったせいで、その場は更に混乱した。
見かねたカレンが、事の全てを話すと、銃を構えていた扇は構えをといて、ルルーシュに謝った。

そして活動最後の日のシナリオを作り、テロ活動の全てと、他のテログループの活動を止める側に回ることにしたのだ。
そして黒の騎士団は日本開放の宣誓時まで解散となった。


翌日の出立の日、純白のふわふわしたワンピースを着たルルーシュの元に、扇を含めた古参メンバーが見送りに来ていた。
幹部達は、ルルーシュのいでたちを見るなり目をこすった。

「・・・お前さぁ。もっと外見に興味持てよ。」
「・・・うんうん。」
「えー!ルルちゃん可愛い!ひらひら~。殿下の好み?」
「そうだ。機能性が無いからあまり好かないんだが。あの人の考えている事はわからない。」
う~と呻く自分達の主に、扇たちは笑って見ていた。
「扇、日本人への援助金は、毎月銀行のほうに振り込むようにするから、無駄遣いはするなよ。
まずやるべきことは、病院の充実と、炊き出しだな。他の地区の奴らがテロを止めなかったら、そこらへんをちらつかせてみてくれ。
何かあったらC.C.に相談。そうすれば私と直接つなげるからな。」
「解った。」
「藤堂は、」
「解っている。ゲットーの修復と六家への協力要請だな。」
「・・・優秀なことだ。」
ルルーシュが笑うと、玉城が地面に置かれていた木をルルーシュに差し出した。
「・・・これは?」
興味深く見つめるルルーシュに、扇が朗らかに笑う。
「桜、だよ。」
「お前が日本のこと忘れねぇように俺達が用意したんだよ。」
「ぜひ、植えて欲しい。」
幹部らから手渡されたそれを見て、ルルーシュは心から笑った。
この日本に来て、七年間。その中で出会ったこの桜という花は儚くも美しく、力強い生命力に長け、潔い、凛とした立ち姿がまるで母、マリアンヌのようだと思っていたのだ。
降り注ぐ花弁は、彼女がルルーシュに注いだ愛情のようにやわらかく。でも確かで。
「解った。必ず植えよう。日本のことは、当分任せた。」
桜を受け取ったルルーシュは大きく頷いた。


航空艦アヴァロンの中からシュナイゼルがひょっこりと顔を出す。
「ルル、早く乗りなさい。出発だ。」
アッシュフォードの大学部のグラウンドの上に止められた艦は、今日が休校日ということもあって人目が無いとはいえ、ルルーシュが帰国することは極秘なので、ずっとそうやっていることは拙い。
シュナイゼルは一旦ルルーシュの所まで降りると、手に持っていたものをアヴァロン上のカレンに渡し、ルルーシュを抱えあげた。

「きゃあ!」

可愛い声を上げたルルーシュに、シュナイゼルは笑うと、そのままルルーシュもカレンに渡した。
「頼んだよ、カレン。」
「はい。」
カレンはルルーシュを抱き上げ、アヴァロン上におろす。
「殿下!」
顔を真っ赤にして怒るルルーシュを横に、シュナイゼルは扇に向き直った。

「日本は必ず君達の手に還そう。それまで待っていてくれ。」

扇は、いつになく真摯な目をしたシュナイゼルにひとつ頷くと、頭を下げた。
そしてシュナイゼルはアヴァロンに乗る。アヴァロンの窓からルルーシュが

『これからのことを頼む』

と口で言ったのを、井上が見た。
飛び立った空中艦は、普段と変わらない青い空に溶け込んだ。

「さぁ、他のチームを説き伏せに行くぞ!」
扇がそう笑うと、そこにいた幹部らはニッと笑ってグラウンドを出た。

目指すのは、ささやかな幸せが約束された世界―――――“優しい世界”へ。


第一部 END.



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