短編

どうぞ、と差し出された一杯のコーヒーに目をやった。それからそのコーヒーを差し出してきた男を見やる。男は普段の雰囲気には似つかわしくない、ニコニコとした笑顔を見せていた。

「……頼んでいません。下げてください」
「まぁそう言わずに。折角入れたんだから飲んでくださいよ」
ジェバンニは、気分を害した様子もなく言った。
「頼んでいないと言いましたよね。勝手に淹れたのはあなたでしょう」ニアは少し苛立ったような声で返す。
「……まぁそれはそうですけど。眠気も多少マシになりますよ」
「……眠くありません」
「さっき船漕いでるの見ましたよ。味は保証するのでどうぞ」
「……」

図星を刺されたことで、気持ちが少し落ち着いた。先程感じた苛立ちも収まった。
もう一度コーヒーに目をやると、至って普通のコーヒーだった。しろい湯気があがっている。カップもソーサーも真っ白で、装飾はない。
「ミルクと砂糖はお好みで」
そう言いながら、ジェバンニはミルクと砂糖、それから自分の分のコーヒーを、トレーから机の上に移した。近場にあった椅子を適当に引き寄せ、ニアの向かいに座る。
「……あなたも飲むんですか?」
「ダメですか?」
ジェバンニは少し困ったような顔をした。
「ダメというわけではありません。ですか別にそこで飲まなくてもいいでしょう」
「ここで飲んだらダメなんですか?」
「……そうではありません。でも向こうで飲めばいいじゃないですか」
「向こうがいいなら、ここで飲んでもいいじゃないですか」
そう言って、ジェバンニはコーヒーにミルクと砂糖を入れだした。もう動く気はなさそうだ。ニアは小さく息を吐いた。
ミルクと砂糖を入れ終えたジェバンニは、ニアの方に差し出してきた。しかし、差し出されたそれを、ニアは憮然とした面持ちで眺めたまま、動こうとはしなかった。ジェバンニはそれを気にしていないようで、ひとりコーヒーをすすり始めた。


「……そういえば、日本ではコーヒーにミルクも砂糖も入れないで飲む人たちがいるらしいよ」
「……」
しばらくして、突然話し出したジェバンニに、ニアは怪訝そうな目線を送った。
「友人がそのことを知って、真似てみたらハマっちゃったみたいでね。僕もススメられて飲んでみたけど、口に合わなかったよ。ニアは飲んでみたことありますか?」
「……いえ」
「やっぱりそうですよね。試してみますか? ブラックコーヒー」
ニアはコーヒーに視線を落とした。未だミルクも砂糖も入れられていないコーヒーは、濃い色をしていた。

コーヒーをぼんやり見つめていたニアの耳に、冷めちゃいますよというジェバン二の静かな声が届いた。なんとなくからかわれたような気がして顔をあげたが、その表情にからかいの色はなく、ただ穏やかだった。
ニアは突然気恥ずかしくなり、急いでカップに手をかけた。「あっ」とジェバン二が驚いたような声をあげたが無視して口をつけた。

ニアはゆっくりとカップをソーサーに戻すと、眉間にしわを寄せた。ジェバン二の方を見ると、彼は苦笑いを浮かべている。
「僕でも苦いなと思ったんだ。そりゃあ……ニアにはかなり苦いと思うよ」
「……バカにしているんですか?」
じろりと睨むとジェバン二は慌てて両手をぶんぶんと振った。
「違うよ。いつもかなりの量の砂糖を入れていたから、甘党なんだろうなって思ってただけ!」
「……」
「ほら、冷めちゃう前に美味しく飲んでください」ミルクと砂糖を指差しながらジェバン二は言った。
それでもニアは動こうとはしなかった。先程からどうにもペースが乱されていることに腹が立った。
そんなニアの心中を知ってか知らずか、ジェバンニはニアのコーヒーを自分の方に引き寄せると、ミルクと砂糖を入れだした。砂糖はどう考えても入れ過ぎだったが、ジェバンニはそれを適当にかき混ぜると、またニアの方に戻した。「どうぞ」と言った顔を窺えば、最初に見せていたニコニコとした笑顔を浮かべている。
ニアは観念して、もう一度カップを手に取った。


「甘すぎです」ニアはぼそりと言った。
「あれ、おかしいな。いつもそれくらい入れてた気がしたんだけどな?」
ジェバンニはわざとらしい言い方をした。表情からも、からかっていることが分かる。
「……あんなには入れていません」
「それはスミマセン。以後気を付けますね」

ジェバンニは全然気を付ける気などなさそうな口振りだったが、ニアは「そうして下さい」とだけ返した。
たまにはとんでもなく甘いコーヒーも悪くないかもしれないと、そう思ったから。
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