窓辺


「でもね、わたしは今までオルフィーがきかせてくれたどんな有名なお話よりも、オルフィーがつくってくれたお話の方がすきなの」
 広い絨毯に仰向けになったアリスが、寝言を言うみたいな心地で、それでいて本を朗読するみたいにきっぱりと言い放った。窓から差し込んだ夕日にてらされて、金の刺繍糸のようにきらめく彼女の髪に見とれていた僕は、一瞬彼女が何を言ったのかわからなかった。それでもちゃんとその言葉を反芻して、やっと飲みこんだ瞬間、頭がぼっと熱くなるのを感じた。ギリシャ神話よりも、聖書よりも、この国のおとぎ話よりも──他の何よりも、僕がつくる話が好き。
 元々小さくあけていた自分のくちびるが勝手に震えだすものだから、あわてて口をつぐむ。すると頭の熱が行き場を失ったようで、帽子の中さえ熱くなっていきそうなほどだった。泳いだ目線が、こちらに体を向けたアリスのとかち合う。アリスはただちょっといたずらっぽく笑ってみせた。きっと僕は今耳まで真っ赤だ。はずかしくて、深めに被った帽子のつばを片手で更に下げようとするが上手くいかない。
「ふふっ、オルフィーったらすぐてれちゃうんだから!」
 しびれを切らしたアリスが軽やかな笑い声を上げた。
「照れてるわけないだろ!ただきみの比べた相手が面白かっただけだよ」
 勢いに任せてデタラメを言うと、アリスは不服そうに唇をとがらせた。
「どこが」
「そんな偉大なものを並べられて、僕が上なわけないさ。きみってやつは歴史の尊さを全然わかっていないし文学のこともわかっていないね!何千年も語り継がれてきた話やなるべくして文壇のトップについた人が書いたものをきかせてあげているのに、こんなにも良さが伝わってなかったなんてショックだよ」
 無我夢中でべらべら喋ったために息継ぎのタイミングを損なって、少しだけ息が浅くなった。無意識につむった目を片方だけうっすら開くと、アリスにはあっけにとられた様子はなく、それどころか、彼女のさくら色のくちびるが、くすり、と笑みをこぼしたのがわかった。タンポポの綿毛を舞い上がらせる、かすかな風のような笑みだった。
「もしわたしがオルフィーのこと知らなくても、それかずーっとずっと先の未来に生まれても、オルフィーがどんなものを書いても、ぜったいオルフィーの書いたお話を見つけるし、それが世界で一番すてきなものだっておもうよ。だってオルフィーがわたしのために書いてくれたんだもんね」
 まだほんの少しだけ舌足らずなところがある発音の、ほんの少しだけ上がった語尾が、この屋敷にしては狭めの部屋に吸い込まれた。その次にばさばさとやや派手な音が足元に広がった。片付けようとして僕の両手に抱えていた本が滑り落ちたのだ。拾わなきゃ、という文言だけが頭にこだまして、実際僕は完全に固まったままだった。強い西日が彼女の丸い輪郭、細められた瞳を照らした。
「神話もおとぎ話も、なんでも好きだよ。でも、一番はオルフィー。ちかい未来の大文豪、オルフェウス先生!」
 それだけ言うと、アリスはぱっと起き上がって僕が落とした本を拾い集め、さっさと片付けに行ってしまった。その後ろ姿にちらりとみえた耳のはしが、淡い紅色をしていた、ような気もするが。僕はとにかくうれしくて、しかしさすがに文豪にはなれないなんて考えながら、しばらくポケットから出した万年筆を眺めていた。
 やがて、絨毯に抜け落ちた彼女の金髪が、落ちかけの陽の光を吸って薄暗闇の中できらきら輝くのを見た。
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