飼育
「今日もほんとうによく頑張ったわ。ご褒美に美味しいお酒をあげる。ほら、お口を開けて?」
やわらかく形のいい桃色の唇から、この世のものとは思えないほど優雅でしたたかな声がきこえる。首に繋がれた鎖を急かすように引かれ、促されるままにすれば、彼女は満足気にニコリと微笑み、片手にもったグラスにそっと口付けをした。そのままくいと引き上げ、中の赤黒く艷めくそれを飲み込む。白い喉がかすかに上下した。今度は俺の番だ。口紅の跡がついたグラスに吸いつき、喉を鳴らして残りを飲み干す。
よくのんだわね、と微笑む彼女は、俺だけの女神だ。
彼女は純粋で傲慢だった。まるで王宮から出たことのない幼い姫君のようだ。やさしく献身的で、かと思えば至極自己中心的だった。ただし彼女の自己には俺の存在も含まれているようで、彼女はいつでも俺の味方になってくれた。そんなところも彼女の愛らしい特質だ。
また夜が来て、彼女が望むまま、狂ったように戦闘を続けた。そして気付けば、誰かの槍が腹に刺さっている。このまま続けてもしょうがないかと思い、少々震えた手で槍に手をかけた。
ふと辺りの叫び声や金属のぶつかる音が急に遠くなったように感じ、なんとなく振り向くと、そこには彼女が立っていた。周囲の時間は止まっていて、自分の聞き苦しい呼吸音だけがやけに大きく聞こえた。
「もうやめてしまうの?」
残念そうに問いかけた彼女は槍を掴み、俺がそれを抜くのを阻止していた。冷や汗が額をつたい、ボロボロのマントの上に音もなく落ちた。
「お願い、このまま闘ってみて!あなたなら出来るわ。お願い、見てみたいの。また褒めてあげるから!」
駄々をこねるように彼女が言った。頬は紅潮し、大きく見開かれた眼球は輝いている。彼女の命令に従わないといった選択肢はないのだ。俺は黙って頷いた。
戦いへの恐怖が完全に麻痺してしまったわけではないし、死ぬことはないとわかっていても動揺してしまう。しかしそんな自分の様子すら、彼女は愛してくれるのだ。
いつかあの志高い勇敢な戦士に迫られたことがあった。お前は一国の王だったのだろう、この異常な場所から早く逃げてお前の国を救わなければ、彼女は邪な悪魔だ、お前を人形のように弄んでいるのだ、と。だが、彼女が悪魔だろうと、俺を弄んでいようと関係ない。もし仮にそれが事実だとして、俺に何の不都合があるというんだ?彼女は俺に優しくしてくれる。それで十分なんだ。ここに来る前から世間は人の悪意に溢れていた。どこも同じなら、彼女がいる世界の方が余程いい。
救いがなくてもいい。彼女の傍に居られるなら、ここがどれほど凄惨な地であったとしても、地の果てに咲く天国だと思える。
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