破り取られた紙片

一八□□年 十二月二十日 雪
 ずいぶん朝早くになんとなく目が覚めると、昨日からずっと降り続いていた雪が積もっていました。紺色の大気の中に新雪がぼんやりと光っていました。
 また、よく見ると空気の中に浮いてキラキラしているものがありました。氷の粒が東に顔をのぞかせるお日さまの光を反射してまたたいているようなのです。思わず窓を開け放つと、冷気が僕の額をさらさらなでました。ぐんと窓から首を出してみると、まるで星空であそぶ夢を見ているような気持ちになったのです。
 まだ屋敷の人達がはたらいている気配は感じられませんでした。
 着替えて帽子をかぶり手袋をはめ、僕は音を立てないように部屋のノブをゆっくり回して、アリスを起こしに行きました。

 アリスを連れて抜き足差し足で外に出ると、 彼女は小さくわぁと歓声をあげました。握っていた僕の手を離して、こもこもと音のする新雪に飛び出していったのでした。
 ウールの真白いコートで着膨れした彼女はまるで子羊のようです。もしくは、ファーの耳当てで耳を包み、手袋もきちんとはめて、タイツの上にブーツをはいた純白な雪の精だったかもしれません。僕はまったくみとれてしまいましたが、雪に同化して見失いそうになったのであわてて追いかけました。
 やっとアリスの手を取ると、彼女はさっと振り返って微笑みました。さやかに朝日の逆光で、彼女の髪が淡く虹色に輝きました。
 また僕がみとれてしまうと彼女は一転していたずらに歯を見せて笑い、僕の手をぐいと手前に引きました。元々前のめりだった僕の体は簡単に均衡を崩して、やわらかい雪にぼすんと仰向けに倒れました。視界に映ったアリスは得意げにうふふと笑っています。口から白い息がもれていました。
「僕だからいいんだぞ。他の子にやったら、君、叱られちゃうんだ。」
「あら!オルフィーだってこんな時間に抜け出して、きっとお父様たちを怒らせるわ。」
 彼女の高くて芯の通った声が好きで、僕は返事をせずににやにや口端を上げていたんだと思います。ひざを曲げてしゃがんでいたアリスは、僕の隣に大の字になって寝転びました。
「もう空がぼんやり明るいのに、満天の星ね。眠っているほかの人たちは知らない星空なんだわ。」
うんと相槌を打つと、彼女は笑顔で続けました。
「私たちだけの、ひみつの星空ね。」
今度はどこかでフクロウがホーホーと相槌を打ちました。彼女は小鳥のさえずりみたいに笑い声をこぼして、フクロウさんと私たちだけ、ね!と言い直しました。
僕たちのはいた白い息が家からでる煙みたいにもく、もくと連なって浮かんでは消えていくのでした。
 ふと気付くと、アリスは上半身をおこして僕の顔を覗いていました。彼女のもこもこの手袋が静かにおりてきて、僕の左頬に触れました。おどろいて彼女の様子を見れば、左頬から手を離さないまま目をほそめてにこにこ笑っているのでした。くちびるの両端には小さなえくぼができていて、とても愛らしいのでした。
 彼女の顔が近づいてきて、彼女の横髪が僕の肩にかかりました。まつ毛の数までわかるくらいに距離が詰まって、僕はもう口がきけませんでした。アリスは僕の目をじっと見つめたあと、まつ毛をはねあげてぱっちりと目を閉じて、満面の笑みをうかべました。僕はもう目をそらすこともできなかったのです。
 ちゅ、とかすかな音がして、鼻先にやわらかなくちびるが落とされたのがわかりました。
「その顔は私だけのひみつね。」
 そうささやいてくすくすと笑ったアリスの瞳には、細氷がちらちらと舞っていたのでした。
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