長い、とも言えないような微睡みのような眠りから目を覚ましたわたしは、あの人がいつもやさしく握ってくれていた、この手に握らされた招待状に気付いた。
それを握っている火傷で真っ黒になった手と腕を見ると、あの悪夢のことを思い出す。



 どれくらい前だっただろうか。わたしの、いや。「記憶」の中にある、世間から隔絶された故郷。岸に打ちつける波に、草木の清らかな香り。そして、島に響く人々の笑い声。わたしはいつもあの人と一緒に、小さくて、美しくて、あたたかい島を冒険していた。永遠にも感じられた優しい日々だった。しかし、永遠なんてあるわけがない。私たちの手から日常が、前触れもなく失われたあの日。
「あなたと一緒なら、きっとどこへでもいけるわ。だからこれからも、ずうっとそばにいてね!」何も知らないわたしは、淡い紫の夕焼けに包まれていたあの人に微笑んだ。

 …あの人の返事は、どうだったかしら。忘れているはずはないのに。



 「記憶」の中であの人や、あの人と一緒に感じたものは、他の人物や風景と比べてとても鮮明だった。それに例外はなかった。たとえ、それが恐ろしい記憶だったとしても。だからわたしはあの悪夢に、ずっと蝕まれ続けるのだろう。それはこの両手の火傷の痛みと、耳の中で響く燃えさかる炎の音が証明している。
 あの出来事のことをわたしは悪夢と呼んでいる。ほんとうに…本当に悪夢だったのなら、どんなに良かったか。

ーーわたしはあの人を探さなければいけない。この狂気の宴の中でも、あの人はきっと優しい心のままで、「■■■」を待ってくれているはずだから。



 「…ずうっとそばにいてね!」
彼女はいつもの柔らかな微笑を浮かべて言った。金色の、吸い込まれそうな目を細めて。僕はそれにもちろんと答えて、笑みを返し、柔らかい、夕日を受けて輝きを増す巻き毛を撫でた。僕も、彼女と一緒ならこの海の果てまで旅ができるだろうと思う。けれど、海の果てまで行くことはきっとない。だって、僕と彼女はそういう位なのだから。それだって、今のくらしが続くなら幸せだと僕は思う。
 彼女と別れた後、僕は縦笛を吹きながら石段の道を通って帰った。
 そういえば、あの難破船の船員たちは全員無事だった。助けることが出来て本当に良かったと思う。結果的には島の秘密を少し教えることになってしまったが、あの人たちなら大丈夫だろう。人に優しくしていれば、神様も僕達に恩寵をくださるとお母様も言っていた。
 人助けは良いことだ。困っている人を放っておくことはできない。



 精巧なペンを、まだ未熟さが残る右手で、きゅっと握る少年の姿が半月の夜にあった。この島の夜は少し冷えるので、少年の肩にはショールがかかっている。一年を通して、この島は夜になると潮風が吹いて気温が下がる気候だった。
 少年は、村の方から涼しい潮風に乗ってきこえてくる軽快な音楽や笑い声に耳を傾けながら、手記を書いていたようだ。しかし、少年はペンを滑らかな木の机に置いて立ち上がった。石の窓にひじを立てて、頬を手において、何かを考えていた。
 私が思うに、自分は将来本当に立派な「神」になれるのだろうかという懸念だろう。無駄な事だ。少年は生まれた瞬間から神であり、神に立派も不恰好もないのだ。あるのは権力と純粋な信仰。そんなこともわからないほど軟弱で、そして清らかで、純白の魂だったのだ。窓から望む暗い海と暗い夜空の境界線に真っ赤な炎を見たとき、愚かな私はそれを神の祭だと思った。島の人々の恐怖におののく叫び声を聞くまでは。



 私はやっとこの長い眠りから目覚めた。灰に染まった、草の青が美しかった島の地面を白い足で踏み締める。私は神として、「記憶」の中の故郷を再建し、人間達に復讐をしなければいけない。
 恩寵である深緑のシダを手に取り、今や私と、生きているかも分からない愛しい彼女しか知らない、島の秘密を精製する。セイレーンの歌と、オルフェウスのハープを響かせ、虚妄の宴を開く。愚かな人間達を支配するのに、狂気を利用するより良い方法はないのだ。
 もし生きているのなら、彼女はきっと私を見つけてくれるだろう。早く来てくれ、私の愛しく、かけがえのない「記憶」よ。
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