今日から私がマスター
今日も朝になる。
鍵を開けて店に入る。コーヒーと洗剤、喫茶ポアロの嗅ぎなれた匂い。バッグを置いて、今日の予定について考える。シフトとか、時間帯とか、出やすいドリンクと食事はなんだろうとか。体はもう十分に慣れたので、色々と考えている間にも順序良く動いてくれる。いつもの藍色のエプロンをつけて手を洗う。水道の蛇口をひねって、キッチンを軽く拭く。
お湯を沸かしてコーヒーを一杯入れる。量と手順をきちんとすれば、ひどい味にはならない。今日も相変わらず味はわからなかった。でも、みんなが美味しいと言ってくれる味だから、これが最適なんでしょう。
喫茶店の準備はそう難しくない。みっちり教え込まれたし、今までのアルバイトの経験も生きている。毎日練習だからと、父がそう言ったのを律儀に守っているんだからいい娘をやっているはずだ。
ただ、どれだけいい娘でマスターであっても、米花町に住んでいるかぎりは犯罪から逃れられないだろう。そのうちきっと、店内でも殺人か強盗が発生するはずだ。どうにかして身の安全は確保したい。先日の毛利先生の件を思い出して考えてしまう。
つらつらと考えていればドアの音。今日のアルバイト従業員、安室さんが出勤してきたらしい。時計を見ればいい時間だった。おはようございます、通りのいい声に返事をする。
バックヤードから店に顔を出した安室さんは、なんというかいつもよりも疲れた顔をしているように見えた。ほかのアルバイトが大変なんだろう。
「ぼくがいない間にひと事件あったとか」
「ええ、二階の毛利先生のところが大変だったみたいですよ」
「毛利さんに直接被害があったかもしれませんが、新聞を読んだ限りではこちらにも影響があったのではないですか? 」
「そうですね。・・・安全を保証できませんからね、お客様にはお帰りいただきましたよ」
「それじゃあ、その日は開店損だったのでは・・・」
「そうです。でも、みなさん何事もなく家に帰れたのなら、うちの収入なんて些細なことですよ」
「些細なことですか? 」
「そうです。コーヒーの美味しさをわからないままでも、喫茶店のマスターができるのと同じくらい些細なことです」
「え、そうなんですか? 」
「そうですよ。美味しさとか、味とか香りの好みは人によって違いますからねえ。万人が美味しいと思ってくれるものっていうのはできないですし、でも美味しい方がいいですよね? 美味しい方が幸せで、満たされますからね。お客さんはね、満足したらまた来てくれます。だから、たった一日のことなんて些細なことなんです」
「・・・・・・」
「安室さんに伝わるかわかりませんが、私はこうやって顧客とお金を増やすのが好きなんですよ」
「マスターは経営がお好きなんですね」
「そうです。ほら、今日も働きますよ。休んだ分は働いてもらいませんと」
安室さんはからりと笑顔で頷く。そこは申し訳なさそうにしてほしかったな、と私はぼんやり思ってしまう。ドタキャンしすぎなんだ。だけど、ぎすぎすした雰囲気で働くのも嫌だから、ぺらぺらの態度でごまかすしかなかった。早くどうにかなってほしい。
喫茶ポアロのコーヒーの香り。食器が触れ合う音、誰かのおしゃべりの声。区切りのいいところまでずっと続くんでしょう、このループが終わるまで。
鍵を開けて店に入る。コーヒーと洗剤、喫茶ポアロの嗅ぎなれた匂い。バッグを置いて、今日の予定について考える。シフトとか、時間帯とか、出やすいドリンクと食事はなんだろうとか。体はもう十分に慣れたので、色々と考えている間にも順序良く動いてくれる。いつもの藍色のエプロンをつけて手を洗う。水道の蛇口をひねって、キッチンを軽く拭く。
お湯を沸かしてコーヒーを一杯入れる。量と手順をきちんとすれば、ひどい味にはならない。今日も相変わらず味はわからなかった。でも、みんなが美味しいと言ってくれる味だから、これが最適なんでしょう。
喫茶店の準備はそう難しくない。みっちり教え込まれたし、今までのアルバイトの経験も生きている。毎日練習だからと、父がそう言ったのを律儀に守っているんだからいい娘をやっているはずだ。
ただ、どれだけいい娘でマスターであっても、米花町に住んでいるかぎりは犯罪から逃れられないだろう。そのうちきっと、店内でも殺人か強盗が発生するはずだ。どうにかして身の安全は確保したい。先日の毛利先生の件を思い出して考えてしまう。
つらつらと考えていればドアの音。今日のアルバイト従業員、安室さんが出勤してきたらしい。時計を見ればいい時間だった。おはようございます、通りのいい声に返事をする。
バックヤードから店に顔を出した安室さんは、なんというかいつもよりも疲れた顔をしているように見えた。ほかのアルバイトが大変なんだろう。
「ぼくがいない間にひと事件あったとか」
「ええ、二階の毛利先生のところが大変だったみたいですよ」
「毛利さんに直接被害があったかもしれませんが、新聞を読んだ限りではこちらにも影響があったのではないですか? 」
「そうですね。・・・安全を保証できませんからね、お客様にはお帰りいただきましたよ」
「それじゃあ、その日は開店損だったのでは・・・」
「そうです。でも、みなさん何事もなく家に帰れたのなら、うちの収入なんて些細なことですよ」
「些細なことですか? 」
「そうです。コーヒーの美味しさをわからないままでも、喫茶店のマスターができるのと同じくらい些細なことです」
「え、そうなんですか? 」
「そうですよ。美味しさとか、味とか香りの好みは人によって違いますからねえ。万人が美味しいと思ってくれるものっていうのはできないですし、でも美味しい方がいいですよね? 美味しい方が幸せで、満たされますからね。お客さんはね、満足したらまた来てくれます。だから、たった一日のことなんて些細なことなんです」
「・・・・・・」
「安室さんに伝わるかわかりませんが、私はこうやって顧客とお金を増やすのが好きなんですよ」
「マスターは経営がお好きなんですね」
「そうです。ほら、今日も働きますよ。休んだ分は働いてもらいませんと」
安室さんはからりと笑顔で頷く。そこは申し訳なさそうにしてほしかったな、と私はぼんやり思ってしまう。ドタキャンしすぎなんだ。だけど、ぎすぎすした雰囲気で働くのも嫌だから、ぺらぺらの態度でごまかすしかなかった。早くどうにかなってほしい。
喫茶ポアロのコーヒーの香り。食器が触れ合う音、誰かのおしゃべりの声。区切りのいいところまでずっと続くんでしょう、このループが終わるまで。
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