ポケモン系SS
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お家の中で赤ちゃんがわんわんと泣いています。
今日で7日目。お家の外にまで鳴き声が聞こえています。もう夜も更けてヤミカラス達が楽しそうにしている中です。お母さんはもうずっと眠れていなくて顔が白くなっていますし、お父さんも困った顔で赤ちゃんを抱えています。みんな疲れた顔です。赤ちゃんですら顔を真っ赤にして、言葉にできない欲求を叫んでいます。誰も悪くはありません。
でもお母さんは責任を感じていますし、お父さんはお母さんの気持ちが分かるのでどうしたらいいかと考えています。それに赤ちゃんもずっと泣いていてつらそうです。病院にいるときからずっと泣いていて、看護師さんには落ち着くと言われていたのにこうなのです。おっぱいを飲んで、泣いて、疲れて眠ったら起きて泣くのです。ご機嫌に起きている時がありません。
「どうしよう、やっぱり私が悪いのかな。こんな、」
「そんなことはないさ。この子が言葉を話せれば分かったけど、そうじゃないんだから仕方がないんだよ」
涙でつぶれた声は言葉を言いきれませんでしたが、お父さんはそれが正しくないことは分かります。仕方のないことなのです。分からないことなのです。お手伝いのラッキーもいてくれますが、やっぱり人の全てが分かるわけではありません。
腕の中の赤ちゃんはやっぱり泣いています。先ほどよりも勢いが落ちていますが、それでも声をあげています。もう少しだけ、少しだけ頻度が下がるだけでいいのですが赤ちゃんには願いは届きません。
「ねぇ、君はどうして泣いているのかなぁ。おむつじゃないし、お腹も減ってない」
よしよしと言いながらお父さんは眉を下げて、腕を揺らします。お母さんはもう涙がこぼれてしまいました。何も分からない中の子育てはそれだけで苦しいのに、寝不足もたたって心の中がぐちゃぐちゃです。子守唄もだめ、民間療法もやりましたし、おばあちゃんたちの知恵も聞きませんでした。
「うーん、困っちゃうね。ねぇお母さん、ちょっと疲れちゃうからお茶でも飲まない?」
「ふふ……あなたっていつもそうね。気が抜けるわ……」
お父さんは赤ちゃんの様子を知っていたので、退院からずっとお仕事を休んで一緒に赤ちゃんのお世話をしていました。だから2人ともつらいことも、限界が近いのも分かっているのです。
ダイニングにふたり、何を飲もうかとおしゃべりします。もう泣き声は止まないので、BGMにも近いところがあります。でも不思議なことですが、泣き声はBGMにしては気に障るのです。でも何をしても泣き止まないので、本当に放っておくしかないのです。それがまたつらいのでした。
久しぶりのお茶です。夜だからミルクたっぷりのミルクティーにしようか、なんて話ながら赤ん坊を抱えたお父さんのそばでお母さんがガスをつけます。
ぼ、ぼぼ。
赤ちゃんはびっくりした顔で、音の源を探しているように頭を回します。生後わずかな赤ちゃんには視力はほとんどありません。だから本当は何を見たのかわかりません。でも確かに、その夜から確かに何かが変わりました。ガスの青い炎を見て、その炎に手を伸ばすようにして赤ちゃんは泣き止んだのです。
驚いたのはお母さんとお父さんです。いきなり泣き止んだうえに、むしろ機嫌がよさそうに炎を見つめています。むにゃむにゃとなにかを喋りながら伸ばした手を握りしめて、そうして眠ってしまいました。息をつめて見守っていた二人は、健やかな息を立てる赤ちゃんを見て顔を見合わせて微笑み合いました。二人とも安堵で心なし涙が浮かんでいます。この日二人は、久しぶりに健やかに眠りました。
翌日もその次の日も、泣き始めたら炎を見せてあげるとすぐに落ち着きました。流石に赤ちゃんのそばで蝋燭に火をつけるわけにはいきませんし、ガスの火を料理のついでに見せてあげるだけでご機嫌は続きました。お父さんはそれを見て、炎をまとったポケモンをこの子に与えることをお母さんに話します。二人ともが納得しました。お父さんはポケモンに関わる仕事をしていますから、ポケモンを入手するのは難しくありません。1週間後、お家には新しいポケモンが来ました。
「ほら、ヒトモシ。この子が僕たちの子ども。君にお守りをお願いしたい子だよ」
ベビーベッドの中でもぞもぞと動く赤ちゃんは、初めて見るヒトモシに歓声をあげました。こんな反応を見るのはお父さんもお母さんも初めてです。短い腕を伸ばして、小さな手のひらを必死に広げて、ヒトモシに触れようとしているのがわかります。ここにいる誰よりもヒトモシのことを歓迎しているのは一目瞭然です。まるで、『ヒトモシに出会うために生まれてきたようだった』と、その日を振り返ったお母さんは言います。その日からお家の中に笑い声と、そしてたくさんの写真が増えていきました。
「お父さん! お父さん! 昨日の続き!」
日曜日の朝、待ち望んだ休日に社会人は朝寝坊もしたくなるのだろうけど。それを分かっていても我慢できないのがこの体で、私だ。ベッドの中ではお父さんもお母さんも眠ってるし、大きな声で叫ぶ私はノックもせずに部屋に侵入したわけだ。背中には私を引き留めるヒトモシがいるが、30センチの私の友人の力では私を止めることはできやしない。
お父さんお父さん、と繰り返す声に、寝ぼけた顔で苦笑いをしながら起きてくれる私のお父さんは本当に人格者だと思う。だって今、夜明けの6時だからね。日が昇ってきたところ。健康な子供たちはこの時間帯といったら起きているもんだ。うちには平日はラッキーがお手伝いに来てくれるのだが、休日はいないのでこういった事態になってしまうのである。
「アー…、おはよう」
「おはよう! ねえ、昨日のゾロアの話の続き、明日の朝ねって言ってたでしょ」
「言った言った。お父さんが着替えるまで待ってくれる? 」
「わかった」頷きながら部屋を出る私に手を振って、お父さんはベッドサイドのメガネを拾い上げていた。お母さんはまだぐっすり眠っている。お母さんは決めた時間に起きるタイプなので、すごい何かが起きない限りはずっと眠っている人なのだ。この体を持て余し気味の私からするととても羨ましい。
ドアを後ろ手に閉めて、ヒトモシを抱きしめながらソファまで歩きだす。そろそろ朝の情報番組がはじまるだろうし、ポケモンを題材にした子供向けのアニメも始まっているはずだ。もう、本当に、どうしてこの体は世界を愛しているのだろう。
リビングに差し込む太陽の光が柔らかくて、少しだけ聞こえる小鳥の声はポッポだろうか。それだけで胸をかきむしりたくなるくらい、耐えがたい衝動が私を駆け巡る。郷愁みたいな、苦しいくらいに胸が締め付けられてたまらない「あいしてる」なのだ。大切で大好きで、だから全てのそれに会いたくなってしまう。いつもその衝動に負けて駆けだしてしまう。
窓の外に目を向けて硬直した私に、腕の中のヒトモシが分かった顔で炎を揺らす。
燃え上がった青っぽい炎が視界に入ると、はっと自分を取り戻す。いつもそうだ。どれだけ身の内で心が荒れ狂っていても、この炎が何度でも私を現実に引き戻してくれる。
「…ありがと」
私のきょうだい、私の家族。はじめての友人。小さな声で鳴くヒトモシは私のためにいると、お父さんはそう言っていたけど。私の方こそヒトモシに出会うために生まれてきたような気がする。今よりずっと前、私が私になる前に持っていた苦しかったものを、全部燃やしてもらったのだ。ちらちらと瞼の裏に、何度も見てきた青い炎が私を招く。この世界においでと、君のそばに一緒にいるからと言っているような気がする。本当かどうかはわからないけど、でも私がそう思ったことが大事なのだ。
壁にはたくさんの写真が飾られている。どの写真にも私はヒトモシと一緒に写っている。泣いても笑っても、転んだ時も誕生日の時もいつだって側にいる。お父さんもお母さんもいるけれど、それよりずっと近くにヒトモシが写っていて、思わず笑ってしまった。思い返せば私が泣くのは、ヒトモシがいない時ばかりなのだ。そりゃあお母さんもお父さんもヒトモシを側に連れてくるし、いつだって側にいるはずだ。
「ごめんごめん。トーカ、顔は洗った? 」
「洗ったよ、もう5歳なんだからちゃんと出来るよ! 」
「そっかー、じゃあお父さんは顔を洗ってくるから、5歳のトーカは待ってられるよね? 」
「待てる! 」洗面所に向かうお父さんの背中を見ていると、腕の中のヒトモシが飛び出してソファの上に飛び乗った。こっちを見つめているから、きっと「こっちで待ってよ? 」とでも思っているんじゃないと思う。にんまり笑って、勢いをつけてソファに飛び乗ると慌てたようにヒトモシが怒っている。理由は分からないけど、でもそれが嬉しくてかわいくて「大切だなあ」って思うのだ。
頬ずりをするようにヒトモシに抱き着いていると、シャツの襟を水で濡らしたお父さんがソファまでやってきた。どうやら準備ができたきたらしく、髭もきれいに剃っている。その顔はいつもみたいに微笑んでいて、優しくて、それもまた「大切だなあ」と思う。
「トーカはヒトモシといると本当に楽しそうだね」
「楽しいもん! ねぇ、ゾロアのお話の続きが聞きたい」
「そうだったそうだった」と言いながら、ソファにお尻を押し込んで私たちを退けながら、職場で出会ったゾロアの話をしてくれるのだった。
昼過ぎに、予定していた通りにみんなでデパートに行くことになった。
お母さんは家を出る前から私にハーネスをつける。これは外出するようになってから必ず行われるやつなので、私はもううんざりもいいところなのだ。拒否できるなら拒否したいのだが、お母さんはもう何をやっても出かけるときは私にハーネスをつける。お父さんがいるときはお父さんがしっかり固定してくるので、いつもよりスムーズにハーネスが装着される。
むすくれながらアーマーガアタクシーに乗りこむ私だが、それも10分もすれば忘れる。空から見下ろす景色もそうだし、空を飛び交うポケモンは普段見ることが出来ないからだ。見えるものに夢中になって、膝の上にいたヒトモシが滑り落ちるのも気づかずに立ち上がっていた。
「あ"-----!!」
事件が起きたのはそれから30分後くらい。デパートに着いて、それで買い物を一通りやったあたり。私の我慢が限界になって、自由に動きたくって、だってバリヤードとかロトムがいるのだ! お父さんとお母さんの買い物は私に質問が来ることもないし、だからお父さんとお母さんの目線が離れた瞬間に走ったのだが。
「こらトーカ! またはぐれようとしたね! 」
「あああああああ、なんでなんで、これやだあ!!」
「えっ、ぼく、ちゃんと手、繋いでたんだけど…」
そうだった、そうなのだ。私にはハーネスが付いているのだ。ヒトモシを抱えてダッシュしようとしたところでハーネスのヒモが限界を告げる。それ以上伸びることがないので、走ることもできないし脱ぐことも容易くないから逃げられない。お母さんには怒られるし、お父さんはなぜか落ち込んでいる。私はもちろん自由がきかなくて怒りに感情が傾いでいる。
「ほら…言ったでしょ。ハーネスを買ってよかったって」
「本当だね……、これは絶対に必要だよ」
ヒトモシを抱きしめても感情が落ち着かず、イヤイヤとやっているとお母さんたちが呆れたように会話をしているのが耳に入る。わかってるの! でもやりたいの! 子どもの感情って強ければ全部、涙に直結するんだよ! 知ってた?
それで、私も旅立ちの時が来たってわけ。それはおいおいでいいんだけど、大事なのは私がタマムシ大学に行って、ポケモンの神話と生態を迷いながら専攻したってこと。単位を危うく落としちゃってね。フィールドワークが楽しすぎるんだよ……。それで、そのフィールドワークのレポートでぎりぎり回避して、それ以外の教科も大分ギリギリでなんとかして。それで卒業して、私は学者の端くれというか、真似事をしながらやりたいことをやれているってこと。
『…ねぇ、トーカ。最近あったかいご飯を食べたのはいつ? 』
「エー…、温かいご飯、は。いつかなー、こないだ食べた気がする」
『ねぇ、お母さんはね、トーカにちゃんと教えたはずよね。温かいご飯を食べなさいって、ポケモンと一緒に食べたら美味しいからって、ねぇ』
「アー、うん。ソウネ。聞いた」
スピーカーの音を下げて、その場から静かに離れる。と、勢いよく怒っているお母さんの声が流れ出してくる。その言葉には淀みがなく、噛んだり突っかかったりすることがない。慣れ切っている。私を怒ることに。言っていることはもっともだし、私も何とかまともな人として生活をしたいのだが、いかんせん興味が引かれると全ての優先順位が下がる。手持ちのポケモンのことすら危ういのだから、もはやお察しである。その中で唯一、古なじみのシャンデラだけが私に遠慮がなくぐいぐい来るのでそれで命を繋いでいるくらいはある。
そのシャンデラは今、お母さんの説教を聞いていない私を心なしジト目で見ている。気がする。お母さんから電話が来るのも生存確認であるし、旅立った時の名残でもある。一日一度のメール、一週間に一度の通話。それが今まで続いているのだ。まあそれで、週に一度の電話で怒られているわけだ。
『待って。ねえトーカ? 今日、あなたが食べたものを教えてちょうだい? 』
マイクに向かってシャンデラがわずかに鳴いた。は? 何それ…お母さんと私のシャンデラが通じ合ってるじゃん…。なにどういうこと? 私、今のシャンデラの意図を図り切れなかったのに。お母さんは分かったっていうの?
それはそうとしてやべーんだわ。今日ね、食べたものね。来週末が締め切りの論文のために、意識が切れてたからね。仕方ないよね。ポケモンにはちゃんとフードをあげてたから全然アウトじゃない。
『トーカ? まさか言えないぐらいひどい食生活なの? それならお母さんにも考えがあ』
「今日はアメを食べています」
『……、そのアメの名前は? 」
「…、…。ふしぎなアメです」
スピーカーの向こうで大きい溜息の音がする。はは。お母さんから聞かれたことってなんで素直に答えちゃうんだろうね。シャンデラが頷いているのが心にしみるね。あ、これか? シャンデラに教育されたからか…。この子って不思議と私の気持ちが分かるからなあ。
『今度そっちに行くわ。1年ぶりなんだから断ったりしないよね? 』
「ハイ…。お待ちしておりマス。日程が決まりましたらご連絡くだサイ」
切れたことを確認して、私は私でため息をついた。
家の中を見回せば、片付いているとは言えない屋内の様子である。そもそもお母さんがここまで来れるのかも分からないが、再会するのが1年ぶりなので拒否するのも難しい。手持ちのポケモンたちがその辺をゴロゴロしていたり、家の外に広がる森の中で快適に暮らしていたりする。
そもそもが、だ。森の中の廃れたペンションじみた家を借りているからと、場所があるからと専門書を増やし続けた結果がこれなのだ。使わない部屋にはゴーストポケモンがいたりするし、閉め切ったまま開けたことのない部屋もある。外から見れば完全に魔女の家だし、元の持ち主が何をもってここに家を建てたのかも謎の立地だ。間違いなく、そらをとぶ を持つポケモンが手持ちにはいただろう。
平屋でコの字型の、宿泊施設じみた家だ。その角にあるサンルームは本当に素晴らしくて、それでここを選んだのだ。考えるだけで憂鬱だ。また何事かを言われるのは分かり切っていた。
「あーあ、私ってば怒られてばっかだよなー」
何を当たり前のことをと、そういわんばかりにシャンデラが私をどつくので。それもまた悪いものじゃないなあと、冷えた紅茶の残ったやつを喉に流した。
今日で7日目。お家の外にまで鳴き声が聞こえています。もう夜も更けてヤミカラス達が楽しそうにしている中です。お母さんはもうずっと眠れていなくて顔が白くなっていますし、お父さんも困った顔で赤ちゃんを抱えています。みんな疲れた顔です。赤ちゃんですら顔を真っ赤にして、言葉にできない欲求を叫んでいます。誰も悪くはありません。
でもお母さんは責任を感じていますし、お父さんはお母さんの気持ちが分かるのでどうしたらいいかと考えています。それに赤ちゃんもずっと泣いていてつらそうです。病院にいるときからずっと泣いていて、看護師さんには落ち着くと言われていたのにこうなのです。おっぱいを飲んで、泣いて、疲れて眠ったら起きて泣くのです。ご機嫌に起きている時がありません。
「どうしよう、やっぱり私が悪いのかな。こんな、」
「そんなことはないさ。この子が言葉を話せれば分かったけど、そうじゃないんだから仕方がないんだよ」
涙でつぶれた声は言葉を言いきれませんでしたが、お父さんはそれが正しくないことは分かります。仕方のないことなのです。分からないことなのです。お手伝いのラッキーもいてくれますが、やっぱり人の全てが分かるわけではありません。
腕の中の赤ちゃんはやっぱり泣いています。先ほどよりも勢いが落ちていますが、それでも声をあげています。もう少しだけ、少しだけ頻度が下がるだけでいいのですが赤ちゃんには願いは届きません。
「ねぇ、君はどうして泣いているのかなぁ。おむつじゃないし、お腹も減ってない」
よしよしと言いながらお父さんは眉を下げて、腕を揺らします。お母さんはもう涙がこぼれてしまいました。何も分からない中の子育てはそれだけで苦しいのに、寝不足もたたって心の中がぐちゃぐちゃです。子守唄もだめ、民間療法もやりましたし、おばあちゃんたちの知恵も聞きませんでした。
「うーん、困っちゃうね。ねぇお母さん、ちょっと疲れちゃうからお茶でも飲まない?」
「ふふ……あなたっていつもそうね。気が抜けるわ……」
お父さんは赤ちゃんの様子を知っていたので、退院からずっとお仕事を休んで一緒に赤ちゃんのお世話をしていました。だから2人ともつらいことも、限界が近いのも分かっているのです。
ダイニングにふたり、何を飲もうかとおしゃべりします。もう泣き声は止まないので、BGMにも近いところがあります。でも不思議なことですが、泣き声はBGMにしては気に障るのです。でも何をしても泣き止まないので、本当に放っておくしかないのです。それがまたつらいのでした。
久しぶりのお茶です。夜だからミルクたっぷりのミルクティーにしようか、なんて話ながら赤ん坊を抱えたお父さんのそばでお母さんがガスをつけます。
ぼ、ぼぼ。
赤ちゃんはびっくりした顔で、音の源を探しているように頭を回します。生後わずかな赤ちゃんには視力はほとんどありません。だから本当は何を見たのかわかりません。でも確かに、その夜から確かに何かが変わりました。ガスの青い炎を見て、その炎に手を伸ばすようにして赤ちゃんは泣き止んだのです。
驚いたのはお母さんとお父さんです。いきなり泣き止んだうえに、むしろ機嫌がよさそうに炎を見つめています。むにゃむにゃとなにかを喋りながら伸ばした手を握りしめて、そうして眠ってしまいました。息をつめて見守っていた二人は、健やかな息を立てる赤ちゃんを見て顔を見合わせて微笑み合いました。二人とも安堵で心なし涙が浮かんでいます。この日二人は、久しぶりに健やかに眠りました。
翌日もその次の日も、泣き始めたら炎を見せてあげるとすぐに落ち着きました。流石に赤ちゃんのそばで蝋燭に火をつけるわけにはいきませんし、ガスの火を料理のついでに見せてあげるだけでご機嫌は続きました。お父さんはそれを見て、炎をまとったポケモンをこの子に与えることをお母さんに話します。二人ともが納得しました。お父さんはポケモンに関わる仕事をしていますから、ポケモンを入手するのは難しくありません。1週間後、お家には新しいポケモンが来ました。
「ほら、ヒトモシ。この子が僕たちの子ども。君にお守りをお願いしたい子だよ」
ベビーベッドの中でもぞもぞと動く赤ちゃんは、初めて見るヒトモシに歓声をあげました。こんな反応を見るのはお父さんもお母さんも初めてです。短い腕を伸ばして、小さな手のひらを必死に広げて、ヒトモシに触れようとしているのがわかります。ここにいる誰よりもヒトモシのことを歓迎しているのは一目瞭然です。まるで、『ヒトモシに出会うために生まれてきたようだった』と、その日を振り返ったお母さんは言います。その日からお家の中に笑い声と、そしてたくさんの写真が増えていきました。
「お父さん! お父さん! 昨日の続き!」
日曜日の朝、待ち望んだ休日に社会人は朝寝坊もしたくなるのだろうけど。それを分かっていても我慢できないのがこの体で、私だ。ベッドの中ではお父さんもお母さんも眠ってるし、大きな声で叫ぶ私はノックもせずに部屋に侵入したわけだ。背中には私を引き留めるヒトモシがいるが、30センチの私の友人の力では私を止めることはできやしない。
お父さんお父さん、と繰り返す声に、寝ぼけた顔で苦笑いをしながら起きてくれる私のお父さんは本当に人格者だと思う。だって今、夜明けの6時だからね。日が昇ってきたところ。健康な子供たちはこの時間帯といったら起きているもんだ。うちには平日はラッキーがお手伝いに来てくれるのだが、休日はいないのでこういった事態になってしまうのである。
「アー…、おはよう」
「おはよう! ねえ、昨日のゾロアの話の続き、明日の朝ねって言ってたでしょ」
「言った言った。お父さんが着替えるまで待ってくれる? 」
「わかった」頷きながら部屋を出る私に手を振って、お父さんはベッドサイドのメガネを拾い上げていた。お母さんはまだぐっすり眠っている。お母さんは決めた時間に起きるタイプなので、すごい何かが起きない限りはずっと眠っている人なのだ。この体を持て余し気味の私からするととても羨ましい。
ドアを後ろ手に閉めて、ヒトモシを抱きしめながらソファまで歩きだす。そろそろ朝の情報番組がはじまるだろうし、ポケモンを題材にした子供向けのアニメも始まっているはずだ。もう、本当に、どうしてこの体は世界を愛しているのだろう。
リビングに差し込む太陽の光が柔らかくて、少しだけ聞こえる小鳥の声はポッポだろうか。それだけで胸をかきむしりたくなるくらい、耐えがたい衝動が私を駆け巡る。郷愁みたいな、苦しいくらいに胸が締め付けられてたまらない「あいしてる」なのだ。大切で大好きで、だから全てのそれに会いたくなってしまう。いつもその衝動に負けて駆けだしてしまう。
窓の外に目を向けて硬直した私に、腕の中のヒトモシが分かった顔で炎を揺らす。
燃え上がった青っぽい炎が視界に入ると、はっと自分を取り戻す。いつもそうだ。どれだけ身の内で心が荒れ狂っていても、この炎が何度でも私を現実に引き戻してくれる。
「…ありがと」
私のきょうだい、私の家族。はじめての友人。小さな声で鳴くヒトモシは私のためにいると、お父さんはそう言っていたけど。私の方こそヒトモシに出会うために生まれてきたような気がする。今よりずっと前、私が私になる前に持っていた苦しかったものを、全部燃やしてもらったのだ。ちらちらと瞼の裏に、何度も見てきた青い炎が私を招く。この世界においでと、君のそばに一緒にいるからと言っているような気がする。本当かどうかはわからないけど、でも私がそう思ったことが大事なのだ。
壁にはたくさんの写真が飾られている。どの写真にも私はヒトモシと一緒に写っている。泣いても笑っても、転んだ時も誕生日の時もいつだって側にいる。お父さんもお母さんもいるけれど、それよりずっと近くにヒトモシが写っていて、思わず笑ってしまった。思い返せば私が泣くのは、ヒトモシがいない時ばかりなのだ。そりゃあお母さんもお父さんもヒトモシを側に連れてくるし、いつだって側にいるはずだ。
「ごめんごめん。トーカ、顔は洗った? 」
「洗ったよ、もう5歳なんだからちゃんと出来るよ! 」
「そっかー、じゃあお父さんは顔を洗ってくるから、5歳のトーカは待ってられるよね? 」
「待てる! 」洗面所に向かうお父さんの背中を見ていると、腕の中のヒトモシが飛び出してソファの上に飛び乗った。こっちを見つめているから、きっと「こっちで待ってよ? 」とでも思っているんじゃないと思う。にんまり笑って、勢いをつけてソファに飛び乗ると慌てたようにヒトモシが怒っている。理由は分からないけど、でもそれが嬉しくてかわいくて「大切だなあ」って思うのだ。
頬ずりをするようにヒトモシに抱き着いていると、シャツの襟を水で濡らしたお父さんがソファまでやってきた。どうやら準備ができたきたらしく、髭もきれいに剃っている。その顔はいつもみたいに微笑んでいて、優しくて、それもまた「大切だなあ」と思う。
「トーカはヒトモシといると本当に楽しそうだね」
「楽しいもん! ねぇ、ゾロアのお話の続きが聞きたい」
「そうだったそうだった」と言いながら、ソファにお尻を押し込んで私たちを退けながら、職場で出会ったゾロアの話をしてくれるのだった。
昼過ぎに、予定していた通りにみんなでデパートに行くことになった。
お母さんは家を出る前から私にハーネスをつける。これは外出するようになってから必ず行われるやつなので、私はもううんざりもいいところなのだ。拒否できるなら拒否したいのだが、お母さんはもう何をやっても出かけるときは私にハーネスをつける。お父さんがいるときはお父さんがしっかり固定してくるので、いつもよりスムーズにハーネスが装着される。
むすくれながらアーマーガアタクシーに乗りこむ私だが、それも10分もすれば忘れる。空から見下ろす景色もそうだし、空を飛び交うポケモンは普段見ることが出来ないからだ。見えるものに夢中になって、膝の上にいたヒトモシが滑り落ちるのも気づかずに立ち上がっていた。
「あ"-----!!」
事件が起きたのはそれから30分後くらい。デパートに着いて、それで買い物を一通りやったあたり。私の我慢が限界になって、自由に動きたくって、だってバリヤードとかロトムがいるのだ! お父さんとお母さんの買い物は私に質問が来ることもないし、だからお父さんとお母さんの目線が離れた瞬間に走ったのだが。
「こらトーカ! またはぐれようとしたね! 」
「あああああああ、なんでなんで、これやだあ!!」
「えっ、ぼく、ちゃんと手、繋いでたんだけど…」
そうだった、そうなのだ。私にはハーネスが付いているのだ。ヒトモシを抱えてダッシュしようとしたところでハーネスのヒモが限界を告げる。それ以上伸びることがないので、走ることもできないし脱ぐことも容易くないから逃げられない。お母さんには怒られるし、お父さんはなぜか落ち込んでいる。私はもちろん自由がきかなくて怒りに感情が傾いでいる。
「ほら…言ったでしょ。ハーネスを買ってよかったって」
「本当だね……、これは絶対に必要だよ」
ヒトモシを抱きしめても感情が落ち着かず、イヤイヤとやっているとお母さんたちが呆れたように会話をしているのが耳に入る。わかってるの! でもやりたいの! 子どもの感情って強ければ全部、涙に直結するんだよ! 知ってた?
それで、私も旅立ちの時が来たってわけ。それはおいおいでいいんだけど、大事なのは私がタマムシ大学に行って、ポケモンの神話と生態を迷いながら専攻したってこと。単位を危うく落としちゃってね。フィールドワークが楽しすぎるんだよ……。それで、そのフィールドワークのレポートでぎりぎり回避して、それ以外の教科も大分ギリギリでなんとかして。それで卒業して、私は学者の端くれというか、真似事をしながらやりたいことをやれているってこと。
『…ねぇ、トーカ。最近あったかいご飯を食べたのはいつ? 』
「エー…、温かいご飯、は。いつかなー、こないだ食べた気がする」
『ねぇ、お母さんはね、トーカにちゃんと教えたはずよね。温かいご飯を食べなさいって、ポケモンと一緒に食べたら美味しいからって、ねぇ』
「アー、うん。ソウネ。聞いた」
スピーカーの音を下げて、その場から静かに離れる。と、勢いよく怒っているお母さんの声が流れ出してくる。その言葉には淀みがなく、噛んだり突っかかったりすることがない。慣れ切っている。私を怒ることに。言っていることはもっともだし、私も何とかまともな人として生活をしたいのだが、いかんせん興味が引かれると全ての優先順位が下がる。手持ちのポケモンのことすら危ういのだから、もはやお察しである。その中で唯一、古なじみのシャンデラだけが私に遠慮がなくぐいぐい来るのでそれで命を繋いでいるくらいはある。
そのシャンデラは今、お母さんの説教を聞いていない私を心なしジト目で見ている。気がする。お母さんから電話が来るのも生存確認であるし、旅立った時の名残でもある。一日一度のメール、一週間に一度の通話。それが今まで続いているのだ。まあそれで、週に一度の電話で怒られているわけだ。
『待って。ねえトーカ? 今日、あなたが食べたものを教えてちょうだい? 』
マイクに向かってシャンデラがわずかに鳴いた。は? 何それ…お母さんと私のシャンデラが通じ合ってるじゃん…。なにどういうこと? 私、今のシャンデラの意図を図り切れなかったのに。お母さんは分かったっていうの?
それはそうとしてやべーんだわ。今日ね、食べたものね。来週末が締め切りの論文のために、意識が切れてたからね。仕方ないよね。ポケモンにはちゃんとフードをあげてたから全然アウトじゃない。
『トーカ? まさか言えないぐらいひどい食生活なの? それならお母さんにも考えがあ』
「今日はアメを食べています」
『……、そのアメの名前は? 」
「…、…。ふしぎなアメです」
スピーカーの向こうで大きい溜息の音がする。はは。お母さんから聞かれたことってなんで素直に答えちゃうんだろうね。シャンデラが頷いているのが心にしみるね。あ、これか? シャンデラに教育されたからか…。この子って不思議と私の気持ちが分かるからなあ。
『今度そっちに行くわ。1年ぶりなんだから断ったりしないよね? 』
「ハイ…。お待ちしておりマス。日程が決まりましたらご連絡くだサイ」
切れたことを確認して、私は私でため息をついた。
家の中を見回せば、片付いているとは言えない屋内の様子である。そもそもお母さんがここまで来れるのかも分からないが、再会するのが1年ぶりなので拒否するのも難しい。手持ちのポケモンたちがその辺をゴロゴロしていたり、家の外に広がる森の中で快適に暮らしていたりする。
そもそもが、だ。森の中の廃れたペンションじみた家を借りているからと、場所があるからと専門書を増やし続けた結果がこれなのだ。使わない部屋にはゴーストポケモンがいたりするし、閉め切ったまま開けたことのない部屋もある。外から見れば完全に魔女の家だし、元の持ち主が何をもってここに家を建てたのかも謎の立地だ。間違いなく、そらをとぶ を持つポケモンが手持ちにはいただろう。
平屋でコの字型の、宿泊施設じみた家だ。その角にあるサンルームは本当に素晴らしくて、それでここを選んだのだ。考えるだけで憂鬱だ。また何事かを言われるのは分かり切っていた。
「あーあ、私ってば怒られてばっかだよなー」
何を当たり前のことをと、そういわんばかりにシャンデラが私をどつくので。それもまた悪いものじゃないなあと、冷えた紅茶の残ったやつを喉に流した。
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