イサコの母方のオバ。転生者だけど原作知識はなし。人間としては割とダメだけど、転生した人間としてはまずまずな性質。
コヨーテの歌
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戻った会社は記憶のままだった。忙しくも暇でもない。上司には定期的に連絡をしていたし、今日戻ってくることも知っていた。連絡をしたときは「本当に大丈夫なの? 」とひどく心配をされたが、幸枝にも事情があるし、それにどう考えても休みすぎだった。
「松川さん、どうもお世話になりました」
「あらあ、やだ。気にしなくてもいいのよ。それより大変だったわね…」
「…おかげさまでなんとかなりました」そう言いながら、香典返しを渡していく。同じチームを組んでいる人達はもちろん、幸枝が今まで会った会社の人はみんな人がいい。父親の葬儀のとき、躊躇の欠片もなく有休を消化することを提案してくれた。
幸枝はこと家族関係においては不器用であったが、外との関わりはそこそこに上手く出来るようだった。そこそこ、というよりは仕事で進捗を報告しあうのが普通だったし、交わす会話も構想やら企画やらに関するものばかりなので、幸枝にはもってこいの職場だったのだ。
「父の死に目にも会えましたし、姉の手続きも一段落したので…。まあ、お仕事を頑張ろうと思いまして。進捗はどうなっていますか? 」
「こういうのは区切りだからね、幸枝ちゃんが大丈夫ならいいわあ。進捗ねぇ、動物系はともかく植物系はイマイチな感じみたい。植物系の意思を持った何かがいてもおかしくないと思うんだけど…。
あとは、接触した感覚がないと、電脳ペットもどうなのか~って会議がまたあったみたいよぉ。ほんっとに何度繰り返せば良いのかしらねぇ。あなたのやつはそのままよ。みんなして『触ったら生涯恨まれる~』ってやってたから」
「ボスにも迷惑をかけましたけど、そっかー、そんな風に思われてたんですね。合ってますけど! 嬉しいからそのまま先に進めます。なんだか良い企画が作れそうな気がするんですよ」
お隣の席の松川さんは、子持ちの女性だ。優しくて穏やかな気性。同僚として幸枝と協力する反面、私生活のことには随分と心配してくれる。お子さんが中学生らしく、デスクには家族の写真が置かれている。
「幸枝ちゃんがそう言うならボスもちんたらしてらんないわねぇ。植田と芳野とは? もう会った? 別件の書類が足りない~って騒いでたから、書類の不備を確認した方がいいかも」
「アー、浦島太郎みたいな気持ちですね。なんにも覚えてないですもん、すごい取り残されたみたい」
「確認しておきます、ありがとうございます」と告げ、幸枝は自分のデスクに向き直る。なにせやることは山ほどあるのだ。1月前の自分のやりかけに、会議で認証が下った案件。周りが片付けてくれた諸々も目を通さなくてはならない。幸枝の日常が戻ってくる。自分が望んで飛び込んだ場所。永遠に尽きない興味を満たすことの出来る場所。しれず幸枝は息をついた。
さて、幸枝が元の生活に戻っていく中、天沢家も日常を取り戻していく。幸枝がいる間に引っ越しは済み、子供達は先日から新たな幼稚園に通っている。夫の通勤時間は長くなったが、今までのアパートに比べれば充分に良い生活ができた。幸子も住み慣れた家に戻ってきたことに──足りないものが多かったが──さほどの心配もなかった。両親のことも一区切りがついた。煩雑な手続きもおおよそは終わっているし、子供達も元気で夫も仕事で困った話しはしない。何の問題もなかった。何も不安は無いはずだった。それでも幸子の心の底に、重い鉛のような不安がこびりついて離れない。体調が優れないからかもしれない。精神のバランスを崩した幸子は、かつて無いほどに不安定だったから。そう思って自分のことを落ち着けるしかない。
思えば幸子の人生は常に不安と共にあった。生まれてからずっと身体が弱く、物心ついた頃にはすでに自由がなかった。周りの子達が楽しそうにやっていることを「我慢」し続けていた。父も母もとても優しかったし、つらい治療があってもなんとかなった。でも友達と気兼ねなく遊ぶには、身体が弱かった。
だからあの頃、幸子は母におねだりをしたのだ。「妹がほしい」と。それは幸子の容態が大分良くなってきた頃だったらしい。幸子の体感の中では最近であるが、もっと昔から妹がほしいと言っていたらしい。それから、そうやって幸枝は生まれたのである。
子を持った親として、あの頃の両親の気持ちを考えると、「とんでもないことを言った」と思ってしまう。子供の無い物ねだりだったのだ。幸子の治療と世話をし、さらに乳飲み子の妹の世話をするのは大変だったろう。その苦労を思う。
幸子は幸せだった。初めて見た赤ん坊の小ささと泣き声の大きさに驚いた。動くことすらままならない妹を、抱き上げた温かさを随分と鮮明に覚えている。外で遊べない幸子と、小さくて動けない幸枝。あの頃は何もかもが満ち足りていた。
幸枝が大きくなればなるほど、幸子はずっと物足りなくなっていく。幸枝はおとなしい子供で、小さい頃から癇癪の一つも起こしたことがない。それに反して幸子は病弱な身体に何度も癇癪を起こした。父も母も手のかからない幸枝を可愛がったし、手のかかる姉である幸子のことも可愛がった。自分と妹の違いが目に見えて明確になっていく。
幸枝の年が、幸枝をねだった幸子追い越した頃。幸枝は友達と走り回って遊んでいた。幸子はその頃に体調がまた下降していくところだった。坂道を転がり落ちるように病院に缶詰になる。
幸枝が小学生に慣れた頃、何も無く健康な幸枝を見て「どうして私だけ」と幸子は思う。もう小学生も後半、言葉も随分と覚えたのに幸子は癇癪を起こした。お見舞いに来ていた幸枝を叩いた。驚いた両親がふたりを引き離して、父親が幸枝をつれていく。母親が叩いた右手を握りしめて強く抱きしめた。わんわんと喚いた幸子を、母親は叱らずにただ抱きしめた。胸に突き刺さるような「ごめんね」という言葉を呟きながら。
その翌日から幸枝は外にいた友達と遊ばなくなった。本を読み漁るようになった。家族と話すとき、身を引くことが多くなった。父と母を幸子にできるだけ宛がった。
幸子は当時、なにも気がつかなかった。両親との時間が増えたことすら気がつかなかった。幸枝は幸子とあまり話さなくなった。幸子には自分しか見えていなかった。
中学生になれば幸子は安定した体調を手に入れた。人より弱く、無理は出来ないが学校生活を送ることができる。幸子の人生に余裕が生まれたとき、困った顔をする両親に気がついた。自分と世界がズレた妹を見た。
あの子を望んだのも名前をつけたのも幸子だった。それを勝手に突き放したのも幸子だった。
誕生日にパソコンをねだり、幸枝は後に「メガネ」と呼ばれる技術に傾倒していく。あの日、幸子が幸枝を叩いた日に、幸枝はそれを使う人と出会ったという。
大人になった幸子は、その頃に出会ったことを恨めしく思うこともあった。それがなければ、もう少し幸枝と親しい家族でいられたかもしれない。だが、それが身勝手な願望であることも同時に理解している。幸枝が諦めたのは、自分が原因なのだとちゃんとわかっているのだ。
幸子はずっと後悔している。
幼かったあの頃に、あんなに身勝手に妹に当たったことを。だから上手くいかない。自分がどうしていたって、妹は自分の好きなことをやっていてほしい。自分が昔に取り上げてしまったから、だから好きに生きてほしいと思っている。
気遣いが嬉しい。でも気が重い。
子供と遊んでくれて嬉しい。自由な時間がありがたい。でも、でも、でも。勇気が足りなかった。「姉」として正解の振る舞いが分からなかった。
「松川さん、どうもお世話になりました」
「あらあ、やだ。気にしなくてもいいのよ。それより大変だったわね…」
「…おかげさまでなんとかなりました」そう言いながら、香典返しを渡していく。同じチームを組んでいる人達はもちろん、幸枝が今まで会った会社の人はみんな人がいい。父親の葬儀のとき、躊躇の欠片もなく有休を消化することを提案してくれた。
幸枝はこと家族関係においては不器用であったが、外との関わりはそこそこに上手く出来るようだった。そこそこ、というよりは仕事で進捗を報告しあうのが普通だったし、交わす会話も構想やら企画やらに関するものばかりなので、幸枝にはもってこいの職場だったのだ。
「父の死に目にも会えましたし、姉の手続きも一段落したので…。まあ、お仕事を頑張ろうと思いまして。進捗はどうなっていますか? 」
「こういうのは区切りだからね、幸枝ちゃんが大丈夫ならいいわあ。進捗ねぇ、動物系はともかく植物系はイマイチな感じみたい。植物系の意思を持った何かがいてもおかしくないと思うんだけど…。
あとは、接触した感覚がないと、電脳ペットもどうなのか~って会議がまたあったみたいよぉ。ほんっとに何度繰り返せば良いのかしらねぇ。あなたのやつはそのままよ。みんなして『触ったら生涯恨まれる~』ってやってたから」
「ボスにも迷惑をかけましたけど、そっかー、そんな風に思われてたんですね。合ってますけど! 嬉しいからそのまま先に進めます。なんだか良い企画が作れそうな気がするんですよ」
お隣の席の松川さんは、子持ちの女性だ。優しくて穏やかな気性。同僚として幸枝と協力する反面、私生活のことには随分と心配してくれる。お子さんが中学生らしく、デスクには家族の写真が置かれている。
「幸枝ちゃんがそう言うならボスもちんたらしてらんないわねぇ。植田と芳野とは? もう会った? 別件の書類が足りない~って騒いでたから、書類の不備を確認した方がいいかも」
「アー、浦島太郎みたいな気持ちですね。なんにも覚えてないですもん、すごい取り残されたみたい」
「確認しておきます、ありがとうございます」と告げ、幸枝は自分のデスクに向き直る。なにせやることは山ほどあるのだ。1月前の自分のやりかけに、会議で認証が下った案件。周りが片付けてくれた諸々も目を通さなくてはならない。幸枝の日常が戻ってくる。自分が望んで飛び込んだ場所。永遠に尽きない興味を満たすことの出来る場所。しれず幸枝は息をついた。
さて、幸枝が元の生活に戻っていく中、天沢家も日常を取り戻していく。幸枝がいる間に引っ越しは済み、子供達は先日から新たな幼稚園に通っている。夫の通勤時間は長くなったが、今までのアパートに比べれば充分に良い生活ができた。幸子も住み慣れた家に戻ってきたことに──足りないものが多かったが──さほどの心配もなかった。両親のことも一区切りがついた。煩雑な手続きもおおよそは終わっているし、子供達も元気で夫も仕事で困った話しはしない。何の問題もなかった。何も不安は無いはずだった。それでも幸子の心の底に、重い鉛のような不安がこびりついて離れない。体調が優れないからかもしれない。精神のバランスを崩した幸子は、かつて無いほどに不安定だったから。そう思って自分のことを落ち着けるしかない。
思えば幸子の人生は常に不安と共にあった。生まれてからずっと身体が弱く、物心ついた頃にはすでに自由がなかった。周りの子達が楽しそうにやっていることを「我慢」し続けていた。父も母もとても優しかったし、つらい治療があってもなんとかなった。でも友達と気兼ねなく遊ぶには、身体が弱かった。
だからあの頃、幸子は母におねだりをしたのだ。「妹がほしい」と。それは幸子の容態が大分良くなってきた頃だったらしい。幸子の体感の中では最近であるが、もっと昔から妹がほしいと言っていたらしい。それから、そうやって幸枝は生まれたのである。
子を持った親として、あの頃の両親の気持ちを考えると、「とんでもないことを言った」と思ってしまう。子供の無い物ねだりだったのだ。幸子の治療と世話をし、さらに乳飲み子の妹の世話をするのは大変だったろう。その苦労を思う。
幸子は幸せだった。初めて見た赤ん坊の小ささと泣き声の大きさに驚いた。動くことすらままならない妹を、抱き上げた温かさを随分と鮮明に覚えている。外で遊べない幸子と、小さくて動けない幸枝。あの頃は何もかもが満ち足りていた。
幸枝が大きくなればなるほど、幸子はずっと物足りなくなっていく。幸枝はおとなしい子供で、小さい頃から癇癪の一つも起こしたことがない。それに反して幸子は病弱な身体に何度も癇癪を起こした。父も母も手のかからない幸枝を可愛がったし、手のかかる姉である幸子のことも可愛がった。自分と妹の違いが目に見えて明確になっていく。
幸枝の年が、幸枝をねだった幸子追い越した頃。幸枝は友達と走り回って遊んでいた。幸子はその頃に体調がまた下降していくところだった。坂道を転がり落ちるように病院に缶詰になる。
幸枝が小学生に慣れた頃、何も無く健康な幸枝を見て「どうして私だけ」と幸子は思う。もう小学生も後半、言葉も随分と覚えたのに幸子は癇癪を起こした。お見舞いに来ていた幸枝を叩いた。驚いた両親がふたりを引き離して、父親が幸枝をつれていく。母親が叩いた右手を握りしめて強く抱きしめた。わんわんと喚いた幸子を、母親は叱らずにただ抱きしめた。胸に突き刺さるような「ごめんね」という言葉を呟きながら。
その翌日から幸枝は外にいた友達と遊ばなくなった。本を読み漁るようになった。家族と話すとき、身を引くことが多くなった。父と母を幸子にできるだけ宛がった。
幸子は当時、なにも気がつかなかった。両親との時間が増えたことすら気がつかなかった。幸枝は幸子とあまり話さなくなった。幸子には自分しか見えていなかった。
中学生になれば幸子は安定した体調を手に入れた。人より弱く、無理は出来ないが学校生活を送ることができる。幸子の人生に余裕が生まれたとき、困った顔をする両親に気がついた。自分と世界がズレた妹を見た。
あの子を望んだのも名前をつけたのも幸子だった。それを勝手に突き放したのも幸子だった。
誕生日にパソコンをねだり、幸枝は後に「メガネ」と呼ばれる技術に傾倒していく。あの日、幸子が幸枝を叩いた日に、幸枝はそれを使う人と出会ったという。
大人になった幸子は、その頃に出会ったことを恨めしく思うこともあった。それがなければ、もう少し幸枝と親しい家族でいられたかもしれない。だが、それが身勝手な願望であることも同時に理解している。幸枝が諦めたのは、自分が原因なのだとちゃんとわかっているのだ。
幸子はずっと後悔している。
幼かったあの頃に、あんなに身勝手に妹に当たったことを。だから上手くいかない。自分がどうしていたって、妹は自分の好きなことをやっていてほしい。自分が昔に取り上げてしまったから、だから好きに生きてほしいと思っている。
気遣いが嬉しい。でも気が重い。
子供と遊んでくれて嬉しい。自由な時間がありがたい。でも、でも、でも。勇気が足りなかった。「姉」として正解の振る舞いが分からなかった。