イサコの母方のオバ。転生者だけど原作知識はなし。人間としては割とダメだけど、転生した人間としてはまずまずな性質。
コヨーテの歌
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「あああ…このマトン、性質がどうしても安定しないんですけど……松川さんはどうなりました…? 」
「…性質モジュールの変質の仕方がおかしいのよねぇ……最近、ちょっと電脳空間との相性がズレてきてるのよ…」
「やっぱりそっちもですよね…。画一的な学習をする必要はないですけど、成長のプログラムが前回とは仕様がおかしいとしかいえないというか…そういう状況ですよね…」
職場に戻ってこっち、幸枝は大規模なプロジェクトの一端として働いていた。それこそ、身を粉にしてという表現がよく似合うほどに。
電脳ペットの開発に成功している幸枝の会社に、それ以外のモジュールの発注がかけられたのである。シリーズとして、電脳空間のパトロールを行う人工知能を備えたものだ。
それから、それ以外にも細々とした物質。電脳空間だけに存在するモジュールと、効果を与えるものを試験的に作るように依頼されている。こちらは他社との競合で、他の会社よりもうまくいけな注文をとれるものだ。チャンスを前に、代表は気合いが入っているらしい。前例というか、実績を持っている幸枝たちに与えられた仕事は自由度も高ければ要求も高い。
「あ゙あ゙ー!? 」
「どうしました植田。メモリアルの設計でそんなに叫ぶことあります? 」
頭をかきむしりながら奇声を上げたのは、データ管理に並々ならぬ情熱をかける男だ。ペットマトンに成長プログラムを作れたのは、この男のおかげと言っていい。行動記録をデータ化、無限に分岐する選択肢を選び取ることで「成長」を表現することが可能になった。
さしもの彼も今回のオーダーにやや苦労している。
「いやいやいやいやいや。いや? ペットの記録を"メモリアルとして残したい"という気持ちは分かります。でも、可動年月全ての中から複数枚の"良いショット"を、それぞれ選んで持ち主に返す。ですよ? 正気とは思えませんね。これを実現させるなら、まずはペットの稼働時間を決めないとダメです。データが膨大すぎてサーバが足りません。精算度外視のクソみたいな企画になっちゃいますよ。でも作らないとダメじゃないですか。叫びますよ」
「植田も大変ですねー…」
じゅるじゅると手元の野菜ジュースをすする。そもそもこれらの企画書を提出したときから、問題は大量に存在したのだ。むしろ。企画から制作までできるのがこの会社の強みではあるが、それでも無理がある。企画書を提出してきた芳野を質問攻めしたくらいには厳しいのだ。
「いやだわ…もう退勤時間じゃない…? 」
「ああ…また今日も残業だ…」
「残業もそう悪くないですけどね」
「えええ、幸枝ちゃんダメよ。その思考は危ないわ」
「私はお先に失礼するわー」と言って帰っていく松川には悪気もなければ何もない。彼女には家で帰りを待つ娘がいるし、残業も良いものではないのは確かだ。仕事が半分以上趣味の人間は除いて。
デスクに上体を乗せた植田は何事かをぶつぶつと呟いているし、幸枝はぼんやりと紙パックの中身を飲み干している。
「ねぇ、植田。社内開発用のボットかなんか作りませんか? 今の状態じゃ効率が悪すぎると思うんですよね」
「…」
幸枝の一言に、つぶやきは止まり。そのかわりに沈黙が下りる。幸か不幸か、今部屋の中にいるのは二人だけだった。パソコンや簡易サーバが稼働する音が耳につく。紙パックの底から空気を飲み干す音がし始めた。
「幸枝サンさ、実は天才だったりします? 」
「本当の天才は植田みたいに、好き勝手に完成させて儲けにつなげるような人だと思いますよ」
伏せていた体を起こし、おでこに奇妙な模様をつけた植田は輝くような目を幸枝に向ける。行儀が悪いとわかっていても、どうしても最後まで飲み切りたい幸枝は紙パックを吸い続けるも、どことなく虎の尾を踏みつけた気持ちになった。
「ああ~! 何で気がつかなかったんだ? 開発環境がね、PCだけだと限られちゃうって思ってたんだよね! 少なくともモデリングと試作用には新しいやつが欲しいし、メガネのリソースだけだと足りてないもんね! 接続用の…暗号式で、個人認証で提供データの階層が変わるようなやつでも作っちゃう!? ああ~~~なにそれ楽しそう! 今やってるやつより絶対に楽しい…! 」
(完全にやってしまったわ)
現実を見ずに、ひたすらに自分のやりたいことを語る人間の目だった。きらきらと輝き、エネルギーに満ち溢れている。だが、幸枝たちはお金をもらって働いているに過ぎない。会社の要求に従ってものをつくらなければならない。だから、こんなことは許されるはずがない。ある程度やって満足したら止まるはず、そう思っていた幸枝の思惑は当たらない。
「いや、…ちょっと待ってよ…これ、ボスに通るんじゃない? 」
そう言いながら手元のキーボードを鬼のような速さで叩き始めた同僚を見て、幸枝は諦めと覚悟を決めるしかなかった。もっと、そう。彼女が思っていたのは、簡易的な創造ベースである。とりあえず形にすること、そこまでの作業スペースの確保だった。でも、この天才的な技術と知識を持っている男が、やたらとはりきっているのなら。そう簡単に終わらないだろうことは、もうわかりきっているのだ。
「植田、それって企画書ですか? 残業申請書ですか? 」
「どっちもですね! ボスにメールで叩きつけるわ。あー、久しぶりじゃない? ミゼットの時以来? あんなに小さい体にプログラムが入ること入ること」
「…うーわー…もしかしなくとも私の分も入ってます? あ、メール…」
「言い出しっぺだから当然ですよね。残念なことに松川さんはいないけど、企画部のテーブルには芳野もいるから、そっちも巻き込んじゃいますわ」
提出よろしく、と言う植田に悪びれたところは全くない。メールからリポップした書類には電子承認を求める欄だけが空白で、それ以外にはぎっちりと文字が詰まっている。過去最高といっていい。
「植田、これ。内容が大分おかしいのですが…」
「えー? だってこれからやることを考えたら当然だし必要では? 法律で就労規則ってあるけど、あれって会社で働く時間ですよね? 僕たちはさ、それ、趣味で開発したくなるわけですから」
「わかるんだけどわかりたくなかった…! 」
内容にあるのは、今日の残業で何を行うかということ。電脳空間の探査用システムの開発。電脳空間の把握とデータ化。疑似電脳空間の開発。モデリングシステムの改定と新システム。開発段階におけるデータ共有の認証化と外部アクセス。おおよそのところはこういったところで、それをビジネス用語で飾り立てて、何を言っているのか一目ではわからない状態になっている。
「あー、松川さんが早く出社してほしい。…はい、認証」
「あとーあとー、何を盛り込んだらいいかな…盛っちゃえば弾かれないやつも出てくるでしょ」
「植田! 認証! 」
「あーりがとう! 」
残業届をよく読んでみれば、今日の残業はとりあえず20時。3時間の残業でなにができるのか、と思われがちだが…集まる人間とやることによっては十分変わるのだ。
「呼ーばれて飛び出てびっくりな芳野っす! 」
残業届を提出してから少し、計画がメインの芳野がやってくる。植田は帰ってきたらしい企画書の返答からやることを抽出しており。ふたりがそろったらもうやることは決まっている。
もうケンカもかくやの話し合いである。予算だとか、時間だとか。そもそも別のことをやるべき予定があるのに、それ以上のタスクを突っ込みまくる植田に対してのお怒り。それから、それに対するボスのお褒めの言葉。なんにせよ折衷案が出なければ話は進まないのである。その間、幸枝がなにをやっていたかというと。お気に入りのお茶を沸かして、近所で買ったドーナツを食べていた。
「幸枝さんは意見ありません? 」
不意に質問をぶつけられたのは、ドーナツを食べ終わる頃だった。幸枝の様子を見てずるいと言ったのは植村だ。芳野はじっと幸枝のことを見ている。
「ボスからGOが出てるなら、植村の案でいいんじゃないですか? とくに意見はないですけど」
「そうやって! …担当以外には、本当に淡泊ですよね…。幸枝さんは、もっと好きにしてもいいと思うんすよ…。植村さんのストッパーとしてちゃんと機能して欲しいんすよ、本当に」
「植村さんのストッパーは私じゃなくて松川さんですよ」と返しながらも、肩を落とした芳野に同情の視線を流しておく。調整する側も大変なのだ。
「えー…僕ってそんなに暴走します? ちゃんと利益の出る仕事はしてると思うんですけど」
しれっとした顔で返すのは植村で、その返答が全てを物語っている。彼は本当に利益のある仕事をするが、それ以上に無条件に仕事を増やすこともあるのでどうとも言い難い部分が多い。注文通りの仕事をしないことに定評がある。なぜ許されているかというと、結果的に仕事が評価されるからだ。巻き込まれる人間は天災に巻き込まれたと思うしかない。
「うーん。やっぱりペットに寿命をつけるべきだと思うんですよ。ペットマトンを作り始めたときにはなかったバグとか、ズレとかがここのところ広がってるでしょ? 電脳ペット病院とか作ってサービスの拡大はして、でも寿命はそれぞれの見た目とかモチーフに沿うべきだと思いますね…近々サーバの台数が追いつかなくなりそうですし…」
「まともに話してればまともですよね」
「その提案も織り込まないとまずいっすね」
苦い虫を噛みつぶした顔をする芳野だが、一方で楽しそうに手帳にメモを書き始めている。すさまじい量のメモだが、彼は素晴らしい速度で書き切る。
世の中に色々な人がいると知ってはいたものの、幸枝はここでは「まあ普通」といった範疇の人間に納まる。奇人変人の巣窟じみた、なにかに特化した人間が多すぎるのだ。幸枝はこうはできない。
「アー、ふたりとも楽しそうでいいですよねぇ…」
「何言ってんすか、幸枝さんだって相当楽しそうですけど」
「幸枝さん、ボスにあんだけ言わせといて楽しくなかったら怒られるレベルでは? 」
知らぬは本人ばかりと、呆れたように言う二人に幸枝はきょとりと目をしばたたかせた。楽しいのは確かにそうだが、それが周りに分かるほどとは思っていない。
「そんなにわかりやすいですか? 」
「この会社で一番楽しそうに仕事をしているのは幸枝さんだと思いますけど。楽かどうかは置いて」
「あーあ、これだから。ウチの会社の人間ってこういうやつばっかじゃないですか。なんなの人事」
「人事部は確かに謎ですけど…植村にだけは言われたくないのでは。ていうか私も植村にはいわれたくないです」
じわじわと熱くなる頬を自覚しながらも、言われっぱなしが気にくわない幸枝はゆるゆると反論する。
それに真顔になるのが植村で、会話を変えてくれるのが芳川である。
「いや、僕もそれには賛成っすね。…そういえばなんですけど、医療用メガネの開発の話って聞きました? 」
「はー? 一緒にしないで欲しいんですけど…。というか、医療用? そもそも今って病院の中はメガネ使えないですよね? 」
「確かに。病院にだけは食い込めてないですよね」
疑問を浮かべる幸枝に、芳野は楽しそうに返答する。彼本人からすればそれは楽しいことなので。嫌がる人が多かろうと、彼にとっては難しい調整こそが楽しみなのだ。本質的には加虐体質の彼はぎりぎりを攻める。目標からのズレを大幅に許しはしない。だから、予定がぎちぎちのハードスケジュールは大好物。
「医療現場の機器が誤作動することのない空間の構築と患者情報の保存と共有、それと──精神疾患向けの空間の構築、を検討してもらえないかってことらしいすよ」
「わーーーー! なにそれ!? 本気で言ってんの!? 豪華すぎじゃないの!? 」
「アー…私も同感ですけど…それは、ちょっと気になりますね…医療用の電脳空間、しかも精神接続とかになるんじゃないですか…? 」
それに乗っかるのは楽しいことが大好きな開発者である。植田はデータ管理に対して目がないし、幸枝は「特別な空間」に興味を強く引かれていた。二人はワーカーの前に、とてつもなく電脳空間が好きな人だったので。それは当然のことだったのかもしれない。
「芳野、それを提案した人は誰ですか? 」
「えーっと、ねぇ…あぁ、小此木先生っていう、お医者さんらしいすよ」
「へぇ…。植村、」
「……いや、ね。わかってますよ? でも送った企画書を下ろすのは流石にちょっと無理じゃないかと思うんですよね」
「ですよね! ああー…話しだけでも聞きたい…」
ぐらりと自分の中の指針が揺れるのを感じる。天秤が傾くように、欲求と好奇心が皿に加わってしまったのだ。自分のことながら制御ができるものではない。幸枝自身がどうにかできるものではない。
場に残るふたりの男は目を合わせて考える。いわく「これどうやって止めます? 」「いや無理に決まってるじゃないすか」
「ああ、植村がひとりでそれを片付ければよくないですか? 私はひとりで小此木さんの話しを聞けばいいので…」
「いや無理ですけど!? 幸枝さん無茶言うね!? どっちも無茶な話だし、そこまでいくとボスも認めないと思いますけど!?」
「流石に僕もそれは厳しいと思うんすよね」
鈍い反応を繰り返すふたりに、幸枝はそれでも引かない。常の幸枝なら諦めてもおかしくないが、不思議と今回は引く気が起きなかった。"引いてはいけない"と感じるぐらい、今回の件は引き受けるべきだと強く思った。
対するふたりも引かない幸枝にややも諦め気味だ。なにせ、植村の上げた案は社内での開発ラインの話しであるし、芳野は計画がすり替わるだけで厳しい日程が変わらないことは察していた。
そして、芳野のもう一点の懸念は。
「いや、幸枝さん。この話しがウチで通ったところで、政府から認可が下りないとウチの儲けにはならないんすよね、わかります? 」
「…なら、猫目さんに繋ぎをとるので、小此木さんの話しを聞きたいです」
「…今回は随分と食い下がりますけど、そんなに魅力的な話しですか? 」
「とても。とても魅力的な話しだと思います。それに将来性を感じます。私たちがなにもしなくても、数年後には形になるはずです。ですが、ここで私たちが関わることに価値があると思います」
心は「やるべき」と叫んではいるが、それがなぜかと言われればそれは言語化しにくい。興味だけでそう言っているのかと、そう言われればそうなのだ。でも、どうしても関わりたいと幸枝は考えている。
「…うーん、確かに。僕らが開発に関わらなくても、誰かひとりが言い始めたならどこかで形にはなるだろうね。それも医療系統には未だにメガネは食い込んでないわけだし、医者が実際にそれだけ言うなら効果はあるんだろうし」
先ほどとは違い、前向きな発言になった芳野に幸枝はやや期待する。大きな利益はないが、将来的なアドバンテージとして「知っている」ことは力になるのだ。でも、大きな期待はしてはいけない。なぜなら芳野だから。
「でも公的な記録には残らないでしょ? うちが紹介したって、コイルスが納得しなきゃこっちには仕事が降りてこない。逆にね、小此木さんがうちにアポを取ったのが不思議なぐらいなんだよ」
「はー…、そうですよね…」
「うん、でもそれならいいんじゃないかな。小此木さんは良い技師を見つけて希望が叶うし、医療も進歩する。猫目さんは新しい可能性を得る。僕たちは伝手を手に入れる。具体的な利益は出ないけど、ウチからコイルスに持って行って損は出ないですね」
「芳野…! 」
「芳野…!? 」
まさかの許可である。幸枝はあふれ出す喜びに思わず立ち上がったし、反対に植村は椅子に深く沈み込んだ。「くそ、芳野が裏切るなんて…」などとぶつぶつ呟いている。
「まあまあ植村、ウチのものにはなりませんからね。幸枝さんが外れるのは、小此木先生の話を聞くのと、それから猫目主任技師に紹介するときぐらいでしょう。あなたの企画も何とかなりますよ」
「なんとかなるように私がいるんですけど」と楽しそうにする芳野に、ひらすら苦い顔をする植村である。植村は植村でやりたいことがあり、幸枝は幸枝でやりたいことがある故のすれ違いである。実際に損益が生じる中でのやりとりにしては軽いが。
それにしても幸枝のやりたいことが通った。話しを聞いて、紹介するだけとはいえど、幸枝の紹介によっては猫目が紹介を断る可能性もある。幸枝自身は「それはありえないだろう」とは思うが、猫目も趣味でコイルスにいるわけではない。
「芳野、小此木先生の連絡先を教えてください」
***************************************************
Q.幸枝ってどんな人?
芳野「メガネに対する好奇心と発想が会社で一番強い人っすね。仕事に打ち込んでるところを見れば、どれだけ好きでこの会社に来たのかがわかります。ていうか、幸枝さんを落としたコイルスの人事がよくわからないっすね」
植村「採用同期の1つ年下の女。会社で一番気があうような気がしてたけど、今回の件も含めてあんまり自由すぎるのは良くないな…、って学びました。もうちょっと芳野さんが楽しくなさそうな仕事をしたいです」
松川「頑張り屋さんな女の子、って感じね。きっとこの会社は天職なんじゃないかしらね? いつも楽しそうだから、こっちも楽しくなっちゃって困るわぁ」
ボス「自由に仕事をしてもらえると会社が儲かる」
「…性質モジュールの変質の仕方がおかしいのよねぇ……最近、ちょっと電脳空間との相性がズレてきてるのよ…」
「やっぱりそっちもですよね…。画一的な学習をする必要はないですけど、成長のプログラムが前回とは仕様がおかしいとしかいえないというか…そういう状況ですよね…」
職場に戻ってこっち、幸枝は大規模なプロジェクトの一端として働いていた。それこそ、身を粉にしてという表現がよく似合うほどに。
電脳ペットの開発に成功している幸枝の会社に、それ以外のモジュールの発注がかけられたのである。シリーズとして、電脳空間のパトロールを行う人工知能を備えたものだ。
それから、それ以外にも細々とした物質。電脳空間だけに存在するモジュールと、効果を与えるものを試験的に作るように依頼されている。こちらは他社との競合で、他の会社よりもうまくいけな注文をとれるものだ。チャンスを前に、代表は気合いが入っているらしい。前例というか、実績を持っている幸枝たちに与えられた仕事は自由度も高ければ要求も高い。
「あ゙あ゙ー!? 」
「どうしました植田。メモリアルの設計でそんなに叫ぶことあります? 」
頭をかきむしりながら奇声を上げたのは、データ管理に並々ならぬ情熱をかける男だ。ペットマトンに成長プログラムを作れたのは、この男のおかげと言っていい。行動記録をデータ化、無限に分岐する選択肢を選び取ることで「成長」を表現することが可能になった。
さしもの彼も今回のオーダーにやや苦労している。
「いやいやいやいやいや。いや? ペットの記録を"メモリアルとして残したい"という気持ちは分かります。でも、可動年月全ての中から複数枚の"良いショット"を、それぞれ選んで持ち主に返す。ですよ? 正気とは思えませんね。これを実現させるなら、まずはペットの稼働時間を決めないとダメです。データが膨大すぎてサーバが足りません。精算度外視のクソみたいな企画になっちゃいますよ。でも作らないとダメじゃないですか。叫びますよ」
「植田も大変ですねー…」
じゅるじゅると手元の野菜ジュースをすする。そもそもこれらの企画書を提出したときから、問題は大量に存在したのだ。むしろ。企画から制作までできるのがこの会社の強みではあるが、それでも無理がある。企画書を提出してきた芳野を質問攻めしたくらいには厳しいのだ。
「いやだわ…もう退勤時間じゃない…? 」
「ああ…また今日も残業だ…」
「残業もそう悪くないですけどね」
「えええ、幸枝ちゃんダメよ。その思考は危ないわ」
「私はお先に失礼するわー」と言って帰っていく松川には悪気もなければ何もない。彼女には家で帰りを待つ娘がいるし、残業も良いものではないのは確かだ。仕事が半分以上趣味の人間は除いて。
デスクに上体を乗せた植田は何事かをぶつぶつと呟いているし、幸枝はぼんやりと紙パックの中身を飲み干している。
「ねぇ、植田。社内開発用のボットかなんか作りませんか? 今の状態じゃ効率が悪すぎると思うんですよね」
「…」
幸枝の一言に、つぶやきは止まり。そのかわりに沈黙が下りる。幸か不幸か、今部屋の中にいるのは二人だけだった。パソコンや簡易サーバが稼働する音が耳につく。紙パックの底から空気を飲み干す音がし始めた。
「幸枝サンさ、実は天才だったりします? 」
「本当の天才は植田みたいに、好き勝手に完成させて儲けにつなげるような人だと思いますよ」
伏せていた体を起こし、おでこに奇妙な模様をつけた植田は輝くような目を幸枝に向ける。行儀が悪いとわかっていても、どうしても最後まで飲み切りたい幸枝は紙パックを吸い続けるも、どことなく虎の尾を踏みつけた気持ちになった。
「ああ~! 何で気がつかなかったんだ? 開発環境がね、PCだけだと限られちゃうって思ってたんだよね! 少なくともモデリングと試作用には新しいやつが欲しいし、メガネのリソースだけだと足りてないもんね! 接続用の…暗号式で、個人認証で提供データの階層が変わるようなやつでも作っちゃう!? ああ~~~なにそれ楽しそう! 今やってるやつより絶対に楽しい…! 」
(完全にやってしまったわ)
現実を見ずに、ひたすらに自分のやりたいことを語る人間の目だった。きらきらと輝き、エネルギーに満ち溢れている。だが、幸枝たちはお金をもらって働いているに過ぎない。会社の要求に従ってものをつくらなければならない。だから、こんなことは許されるはずがない。ある程度やって満足したら止まるはず、そう思っていた幸枝の思惑は当たらない。
「いや、…ちょっと待ってよ…これ、ボスに通るんじゃない? 」
そう言いながら手元のキーボードを鬼のような速さで叩き始めた同僚を見て、幸枝は諦めと覚悟を決めるしかなかった。もっと、そう。彼女が思っていたのは、簡易的な創造ベースである。とりあえず形にすること、そこまでの作業スペースの確保だった。でも、この天才的な技術と知識を持っている男が、やたらとはりきっているのなら。そう簡単に終わらないだろうことは、もうわかりきっているのだ。
「植田、それって企画書ですか? 残業申請書ですか? 」
「どっちもですね! ボスにメールで叩きつけるわ。あー、久しぶりじゃない? ミゼットの時以来? あんなに小さい体にプログラムが入ること入ること」
「…うーわー…もしかしなくとも私の分も入ってます? あ、メール…」
「言い出しっぺだから当然ですよね。残念なことに松川さんはいないけど、企画部のテーブルには芳野もいるから、そっちも巻き込んじゃいますわ」
提出よろしく、と言う植田に悪びれたところは全くない。メールからリポップした書類には電子承認を求める欄だけが空白で、それ以外にはぎっちりと文字が詰まっている。過去最高といっていい。
「植田、これ。内容が大分おかしいのですが…」
「えー? だってこれからやることを考えたら当然だし必要では? 法律で就労規則ってあるけど、あれって会社で働く時間ですよね? 僕たちはさ、それ、趣味で開発したくなるわけですから」
「わかるんだけどわかりたくなかった…! 」
内容にあるのは、今日の残業で何を行うかということ。電脳空間の探査用システムの開発。電脳空間の把握とデータ化。疑似電脳空間の開発。モデリングシステムの改定と新システム。開発段階におけるデータ共有の認証化と外部アクセス。おおよそのところはこういったところで、それをビジネス用語で飾り立てて、何を言っているのか一目ではわからない状態になっている。
「あー、松川さんが早く出社してほしい。…はい、認証」
「あとーあとー、何を盛り込んだらいいかな…盛っちゃえば弾かれないやつも出てくるでしょ」
「植田! 認証! 」
「あーりがとう! 」
残業届をよく読んでみれば、今日の残業はとりあえず20時。3時間の残業でなにができるのか、と思われがちだが…集まる人間とやることによっては十分変わるのだ。
「呼ーばれて飛び出てびっくりな芳野っす! 」
残業届を提出してから少し、計画がメインの芳野がやってくる。植田は帰ってきたらしい企画書の返答からやることを抽出しており。ふたりがそろったらもうやることは決まっている。
もうケンカもかくやの話し合いである。予算だとか、時間だとか。そもそも別のことをやるべき予定があるのに、それ以上のタスクを突っ込みまくる植田に対してのお怒り。それから、それに対するボスのお褒めの言葉。なんにせよ折衷案が出なければ話は進まないのである。その間、幸枝がなにをやっていたかというと。お気に入りのお茶を沸かして、近所で買ったドーナツを食べていた。
「幸枝さんは意見ありません? 」
不意に質問をぶつけられたのは、ドーナツを食べ終わる頃だった。幸枝の様子を見てずるいと言ったのは植村だ。芳野はじっと幸枝のことを見ている。
「ボスからGOが出てるなら、植村の案でいいんじゃないですか? とくに意見はないですけど」
「そうやって! …担当以外には、本当に淡泊ですよね…。幸枝さんは、もっと好きにしてもいいと思うんすよ…。植村さんのストッパーとしてちゃんと機能して欲しいんすよ、本当に」
「植村さんのストッパーは私じゃなくて松川さんですよ」と返しながらも、肩を落とした芳野に同情の視線を流しておく。調整する側も大変なのだ。
「えー…僕ってそんなに暴走します? ちゃんと利益の出る仕事はしてると思うんですけど」
しれっとした顔で返すのは植村で、その返答が全てを物語っている。彼は本当に利益のある仕事をするが、それ以上に無条件に仕事を増やすこともあるのでどうとも言い難い部分が多い。注文通りの仕事をしないことに定評がある。なぜ許されているかというと、結果的に仕事が評価されるからだ。巻き込まれる人間は天災に巻き込まれたと思うしかない。
「うーん。やっぱりペットに寿命をつけるべきだと思うんですよ。ペットマトンを作り始めたときにはなかったバグとか、ズレとかがここのところ広がってるでしょ? 電脳ペット病院とか作ってサービスの拡大はして、でも寿命はそれぞれの見た目とかモチーフに沿うべきだと思いますね…近々サーバの台数が追いつかなくなりそうですし…」
「まともに話してればまともですよね」
「その提案も織り込まないとまずいっすね」
苦い虫を噛みつぶした顔をする芳野だが、一方で楽しそうに手帳にメモを書き始めている。すさまじい量のメモだが、彼は素晴らしい速度で書き切る。
世の中に色々な人がいると知ってはいたものの、幸枝はここでは「まあ普通」といった範疇の人間に納まる。奇人変人の巣窟じみた、なにかに特化した人間が多すぎるのだ。幸枝はこうはできない。
「アー、ふたりとも楽しそうでいいですよねぇ…」
「何言ってんすか、幸枝さんだって相当楽しそうですけど」
「幸枝さん、ボスにあんだけ言わせといて楽しくなかったら怒られるレベルでは? 」
知らぬは本人ばかりと、呆れたように言う二人に幸枝はきょとりと目をしばたたかせた。楽しいのは確かにそうだが、それが周りに分かるほどとは思っていない。
「そんなにわかりやすいですか? 」
「この会社で一番楽しそうに仕事をしているのは幸枝さんだと思いますけど。楽かどうかは置いて」
「あーあ、これだから。ウチの会社の人間ってこういうやつばっかじゃないですか。なんなの人事」
「人事部は確かに謎ですけど…植村にだけは言われたくないのでは。ていうか私も植村にはいわれたくないです」
じわじわと熱くなる頬を自覚しながらも、言われっぱなしが気にくわない幸枝はゆるゆると反論する。
それに真顔になるのが植村で、会話を変えてくれるのが芳川である。
「いや、僕もそれには賛成っすね。…そういえばなんですけど、医療用メガネの開発の話って聞きました? 」
「はー? 一緒にしないで欲しいんですけど…。というか、医療用? そもそも今って病院の中はメガネ使えないですよね? 」
「確かに。病院にだけは食い込めてないですよね」
疑問を浮かべる幸枝に、芳野は楽しそうに返答する。彼本人からすればそれは楽しいことなので。嫌がる人が多かろうと、彼にとっては難しい調整こそが楽しみなのだ。本質的には加虐体質の彼はぎりぎりを攻める。目標からのズレを大幅に許しはしない。だから、予定がぎちぎちのハードスケジュールは大好物。
「医療現場の機器が誤作動することのない空間の構築と患者情報の保存と共有、それと──精神疾患向けの空間の構築、を検討してもらえないかってことらしいすよ」
「わーーーー! なにそれ!? 本気で言ってんの!? 豪華すぎじゃないの!? 」
「アー…私も同感ですけど…それは、ちょっと気になりますね…医療用の電脳空間、しかも精神接続とかになるんじゃないですか…? 」
それに乗っかるのは楽しいことが大好きな開発者である。植田はデータ管理に対して目がないし、幸枝は「特別な空間」に興味を強く引かれていた。二人はワーカーの前に、とてつもなく電脳空間が好きな人だったので。それは当然のことだったのかもしれない。
「芳野、それを提案した人は誰ですか? 」
「えーっと、ねぇ…あぁ、小此木先生っていう、お医者さんらしいすよ」
「へぇ…。植村、」
「……いや、ね。わかってますよ? でも送った企画書を下ろすのは流石にちょっと無理じゃないかと思うんですよね」
「ですよね! ああー…話しだけでも聞きたい…」
ぐらりと自分の中の指針が揺れるのを感じる。天秤が傾くように、欲求と好奇心が皿に加わってしまったのだ。自分のことながら制御ができるものではない。幸枝自身がどうにかできるものではない。
場に残るふたりの男は目を合わせて考える。いわく「これどうやって止めます? 」「いや無理に決まってるじゃないすか」
「ああ、植村がひとりでそれを片付ければよくないですか? 私はひとりで小此木さんの話しを聞けばいいので…」
「いや無理ですけど!? 幸枝さん無茶言うね!? どっちも無茶な話だし、そこまでいくとボスも認めないと思いますけど!?」
「流石に僕もそれは厳しいと思うんすよね」
鈍い反応を繰り返すふたりに、幸枝はそれでも引かない。常の幸枝なら諦めてもおかしくないが、不思議と今回は引く気が起きなかった。"引いてはいけない"と感じるぐらい、今回の件は引き受けるべきだと強く思った。
対するふたりも引かない幸枝にややも諦め気味だ。なにせ、植村の上げた案は社内での開発ラインの話しであるし、芳野は計画がすり替わるだけで厳しい日程が変わらないことは察していた。
そして、芳野のもう一点の懸念は。
「いや、幸枝さん。この話しがウチで通ったところで、政府から認可が下りないとウチの儲けにはならないんすよね、わかります? 」
「…なら、猫目さんに繋ぎをとるので、小此木さんの話しを聞きたいです」
「…今回は随分と食い下がりますけど、そんなに魅力的な話しですか? 」
「とても。とても魅力的な話しだと思います。それに将来性を感じます。私たちがなにもしなくても、数年後には形になるはずです。ですが、ここで私たちが関わることに価値があると思います」
心は「やるべき」と叫んではいるが、それがなぜかと言われればそれは言語化しにくい。興味だけでそう言っているのかと、そう言われればそうなのだ。でも、どうしても関わりたいと幸枝は考えている。
「…うーん、確かに。僕らが開発に関わらなくても、誰かひとりが言い始めたならどこかで形にはなるだろうね。それも医療系統には未だにメガネは食い込んでないわけだし、医者が実際にそれだけ言うなら効果はあるんだろうし」
先ほどとは違い、前向きな発言になった芳野に幸枝はやや期待する。大きな利益はないが、将来的なアドバンテージとして「知っている」ことは力になるのだ。でも、大きな期待はしてはいけない。なぜなら芳野だから。
「でも公的な記録には残らないでしょ? うちが紹介したって、コイルスが納得しなきゃこっちには仕事が降りてこない。逆にね、小此木さんがうちにアポを取ったのが不思議なぐらいなんだよ」
「はー…、そうですよね…」
「うん、でもそれならいいんじゃないかな。小此木さんは良い技師を見つけて希望が叶うし、医療も進歩する。猫目さんは新しい可能性を得る。僕たちは伝手を手に入れる。具体的な利益は出ないけど、ウチからコイルスに持って行って損は出ないですね」
「芳野…! 」
「芳野…!? 」
まさかの許可である。幸枝はあふれ出す喜びに思わず立ち上がったし、反対に植村は椅子に深く沈み込んだ。「くそ、芳野が裏切るなんて…」などとぶつぶつ呟いている。
「まあまあ植村、ウチのものにはなりませんからね。幸枝さんが外れるのは、小此木先生の話を聞くのと、それから猫目主任技師に紹介するときぐらいでしょう。あなたの企画も何とかなりますよ」
「なんとかなるように私がいるんですけど」と楽しそうにする芳野に、ひらすら苦い顔をする植村である。植村は植村でやりたいことがあり、幸枝は幸枝でやりたいことがある故のすれ違いである。実際に損益が生じる中でのやりとりにしては軽いが。
それにしても幸枝のやりたいことが通った。話しを聞いて、紹介するだけとはいえど、幸枝の紹介によっては猫目が紹介を断る可能性もある。幸枝自身は「それはありえないだろう」とは思うが、猫目も趣味でコイルスにいるわけではない。
「芳野、小此木先生の連絡先を教えてください」
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Q.幸枝ってどんな人?
芳野「メガネに対する好奇心と発想が会社で一番強い人っすね。仕事に打ち込んでるところを見れば、どれだけ好きでこの会社に来たのかがわかります。ていうか、幸枝さんを落としたコイルスの人事がよくわからないっすね」
植村「採用同期の1つ年下の女。会社で一番気があうような気がしてたけど、今回の件も含めてあんまり自由すぎるのは良くないな…、って学びました。もうちょっと芳野さんが楽しくなさそうな仕事をしたいです」
松川「頑張り屋さんな女の子、って感じね。きっとこの会社は天職なんじゃないかしらね? いつも楽しそうだから、こっちも楽しくなっちゃって困るわぁ」
ボス「自由に仕事をしてもらえると会社が儲かる」