イサコの母方のオバ。転生者だけど原作知識はなし。人間としては割とダメだけど、転生した人間としてはまずまずな性質。
コヨーテの歌
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今生はとても進んだ世界で、彼女の前世と比べるとめちゃくちゃ便利で面白くて、幸枝はずぶずぶと沈むように技術に溺れていった。
おかげで技術も知識もたくさん身に着けた幸枝は、何の苦労をすることなく、──この頃には電脳メガネが発売された──労働力として社会に出ることになる。
ところで幸枝には姉がいる。
病弱で精神的にも強いとは言えない姉である。姉との折り合いは良くも悪くもなく、一般的な家庭の姉妹に比べれば淡泊な関係かもしれない。姉は幸枝を羨んでいたし、幸枝は自由に知識を求めすぎた。でも、家族である事実は覆らないし、姉は結婚したことによって変わっていく。
結婚して変わった姉の苗字は天沢。
幸枝は親不孝な娘だった。人生がうっすら2度目なせいで帰属意識が薄く、実家に帰るのは正月程度。姉はその逆で実家から離れられない人だった。時々会う姉は、実家を離れてからの方が話すようになり、結婚してからはもっと柔らかく笑うようになった。天沢さんという旦那さんはとてもいい人だった。姉が全幅の信頼をおいて、この世で一番幸せだと笑うのだから相当なものであった。そして子供が生まれて、姉は大変そうだがそれでも満足げに笑っていた。実家の父母は嬉しそうに笑っていたし、体が弱い姉を支える天沢さんもしっかりしていたので幸枝は本当に驚いたものだった。上の子は男の子で名前を信彦といった。彼はたいそう優しい子で、姉と旦那の本当に優しい心を学んで生きた。
その数年後に、姉の夫婦に娘が生まれた。この頃は幸枝にとって大変に忙しい時期だった。会社は新たなことを、新しいことをとどんどんつき進み、幸枝は技術に追いつくために必死だった。幸枝は人一倍好奇心や知識欲はあったが、頭のつくりはそんなに良い方ではなかった。興味のないことは後回しになるし、それが結果的に遠回りになっていく。彼女はこの頃の自分をいっとう恥ずかしい人間だと思っている。その頃は正月に帰った実家でも追われるように本を読んだり、あるいは眠り続けていたので甥にも姪にも大きな反応はしなかった。幸枝の内心を言葉にするなら、というより彼女が実際に吐いた言葉は「二人目…、もうそんなに時間たったんだ。おめでとう」であり、彼女の興味外への反応がわかるものである。しかし、前述したように幸枝はそんな過去の自分を恥じているし、そんな反応を直す努力をしている。
幸枝が強く恥じているのは理由があるからだ。
姉夫婦の2番目の子どもが生まれてしばらくした頃。母親が心筋梗塞でぽっくり逝った。あっけないほど簡単に死んだ。幸枝は親不孝な娘だったので、ただ茫洋と葬儀に参列した。
喪主は父だ。葬式は家族だけでひっそりと執り行った。家族といっても親類縁者はそこそこいるので、通夜には人が集まった。さわさわと人の囁きが波の音のように聞こえる。棺桶の中の母親の顔はなまっちろく、その頬に手を伸ばして姉はしくしくと泣いていた。姉はずっと、それこそ幸枝が訃報に駆けつけた時からずっと泣いている。目の下にはクマがくっきりと浮かんでいたし、青ざめた肌は血の気が通っていないようだった。母は姉の一番の理解者だった。
姉の子どもたちは天沢さんがみているようで、彼は二人の乳幼児の面倒を一切に引き受けていた。それに加え、情緒不安定になった姉の心も支えていて本当に出来た人だったのだ。姉は母の遺体が荼毘に付されるまでずっと、母のそばから離れようとしなかったから。それを信彦がじっと見ていたのを幸枝はよく覚えている。
出棺の時、父親の背中が驚くほどしなびて見えた。
姉はこの世の終わりのように泣き叫んでいた。
幸枝は親不孝な娘だから、ようやくここで泣くことができた。
どれだけ嘆いたところで何も変わらないから、徐々に時間が心を癒していくはずだった。少しずつ少しずつ母がいなくなったことを受け入れて、その現実が当たり前になって「おばあちゃんはねぇ、」なんて会話ができるようになるはずだった。それぞれが心を整理して日常に戻っていくはずだった。
母が死んでから8か月後、今度は父親が倒れた。
この世に不幸があるというなら、姉は可哀想なことに不幸を抱いて生まれたのかもしれなかった。そうでなければ、神様というのはあまりに姉が可愛いからと試練を与えたのもしれない。母の死に引きずられるようだった。父は末期のがんを告白した。前後関係はあまり意味がないが、母の葬儀の時にはもう取り返しのつかないレベルまで進行していたという。幸枝は何も知らされていなかった。姉の横顔を見れば追い詰められたような顔をしてるものだから、聞くことも憚れた。何も知らせないことを選んだ父は、姉に申し訳なさそうに一言詫びた。それが姉に対する最期の言葉になった。
「幸枝、お前のことが心配だよ」
姉のいない病室で、正気と夢の間を彷徨う父が幸枝の目を捉えて言った。むにゃむにゃと呂律の回らない口で、そのようなことを言ったようだった。父のことを愛していた姉よりも、親不孝な妹にかける言葉の方がしっかりしていた。父という存在が、ようやく目の前にいるのだと知覚したようだった。
ややもなく父も死んだ。母を見送ったのと同じ場所で、同じような棺に入った父の姿は不思議だった。家の同じ場所に棺が置かれ、同じ日付だけ死を悼み、火葬場で同じように出棺された。母の時と同じように親戚の声がさざ波のように広がっていく。骨になるまでじっと待っていると耳に言葉が入ってくる。
「あんまりねぇ、奥さんに続いて亡くなっちゃうなんて」
「本当にねぇ、まだまだ若かったのに…」
青い空に一筋の煙が昇っていくのをじっと見ていた。母の出棺は雨の日だった。こんなに綺麗に晴れてよかったと誰かが言ったのを耳にとらえた。姉の姿は見えない。まだ、炉の前でへたりこんでいるのだろうか。
家に帰りつくと、姉が腕に抱えていた父を仏壇の前に下した。きゃらきゃらとはしゃぐ子供たちに清めの塩をかけている天沢さんを横目に姉をじっと見ていた。喪服の首がぶかぶかであることに気が付いた。
その日の夜、なんだか眠れなくて夜空を眺めに軒先に立った。田舎の葬式は最後に飲み食いがあって面倒だ。でも疲れてそれで眠れるのなら良いのかもしれない。お酒を飲んで奥さんに連れられて帰る人たちをよく見る。
夜空はぴかぴかと星をぶちまけて光っていた。昼間の煙のように暗い空に筋を描いている。ふと、父の最期の言葉が幸枝の脳みそに浮かんだ。一度思い付いたらもうだめだった。幸枝は親不孝な娘だった。家族よりも自分の好きなことが一番だった。やりたいことをやった。ろくに相談なんてした覚えがない。姉と話した覚えがない。それでも父と母は幸枝のことをずっと応援していた。幸枝が生きたい道を踏み外さないように、幸枝の背中をじっと見つめていた。いつだって手を差し伸べれるように。
思い出の中の両親はいつも笑っているわけではない。心配する顔、困った顔をしていた。姉に向けられた顔だけではなかった。幸枝は人生が二度目だったから、姉が可哀想で両親の気持ちを「もういいや」としたことを思い出した。それが意図的であったかはわからないが、親はそれに気が付いただろう。彼女は尊大にも親の気持ちの上に胡坐をかいたのだ。
幸枝は親不孝な娘だったけれど、それが正しいことなのか疑い始めた。
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