ミステリー要素ありなので、話が込み入ってきました。最初は夢主の名前を出さないつもりだったので、少し読みにくい部分があるかもしれません。
DC×刀剣乱舞×相棒 越境者
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安室は車を、マンションの駐車場に止めた。
エンジンを切った途端、助手席の杉下からコール音が響く。
杉下が安室に断ってから、スマホを取り出す。
通話相手を確認してから、杉下がスマホをスピーカーモードにする。
スマホの向こうから神戸の潜めた声と雑踏が聞こえる。
『神戸です。なんとか、大河内さんのおかげで捜査会議に潜り込めました。聞いてくださいよ。警視庁内では松田くんの事件、随分とおかしな内容になっていますよ』
「松田くんは米花中央公園で高木くんを刺した後、過激派の仲介役 と接触するため米花サンプラザホテルへ。ホテルでも外国人女性を人質に取る事件を起こした。さらに松田くんは毛利くん宅のコナンくんを誘拐し、謎の組織と銃撃戦となり逃走中……といった内容でしょうか?」
杉下の淡々とした様子に、神戸がムッとした気配が伝わる。
『もう知ってんのかよ』と神戸が小声で悪態を吐くのが聞こえた。
「何か?」と杉下が静かに問い返す。
神戸がにこやかな笑顔を作るのが、安室にはわかった。
『いえ、何も。公安部は、米花サンプラザホテルで松田くんが仲介役 との接触に失敗したと判断しています。銃撃戦も起きたため、刑事部の刑事二人が負傷。公安部は松田くんを特別指名手配して行方を追っています』
「なるほど……公安部と刑事部の合同捜査ですね。小田切刑事部長の判断はどうなっていますか?」
『小田切刑事部長は、公安部の判断に疑問を持っています。最初の米花中央公園からの通報も、松田くんがホテルで仲介役 と接触するとのタレコミも匿名でした。何者かが悪意を持って、松田くんを排除しようとしている可能性があると小田切刑事部長は判断しています。しかし……』
神戸の歯切れが悪くなる。
『公安主導の捜査のため、小田切刑事部長の意見が通りにくく……公安部の原子部長と小田切部長が対立している状況です。もうすごいですよ、バチバチ。元から刑事と公安は仲悪いですけど……』
神戸の報告を聞き、安室は考え込む。
(さすが小田切刑事部長……判断が適格だ。だが、なぜ公安部の原子部長は匿名のタレコミを信用しているのか? 匿名の情報は信用性が低いと原子部長もわかっているはず……コナンくんは警察内部に犯人の協力者がいると言っていた。僕も同意見だ。まさか原子部長が……)
「米花サンプラザホテルで、松田くんが人質に取った外国人女性。彼女の証言はどうなっていますか?」
杉下の質問で、安室は物思いから覚める。
神戸が不満そうな声を上げた。
『いないんですよ。騒ぎに紛れて立ち去った様子で……彼女と一緒にいた、数名の白人男性も見つからないんです。まあ、銃撃戦になりましたから。関わりたくないと逃げたんでしょうけど。目下、人員を割いて行方を捜索中です。また、嘘みたいな情報ですが……』
神戸の声が、かすかに低くなる。
『米花薬師野病院爆破の死傷者数も、かなり奇妙です。米花薬師野病院は総合病院。病床数は三百を超えます。外来にも、かなりの数の患者が来ていました。なのに死者は二名。重傷者も三名で、意識不明の重体が一人。負傷者は軽傷が多く、ほとんど病院外にいた人です。ガラスの破片で額を切ったとか、火の粉で火傷をしたとか、その程度』
安室は自分の耳を疑った。
(バカな……! 総合病院が全焼する規模の爆発だぞ!? なのに死傷者がほんの数名なんて……)
『まだ鎮火していないので、病院内部の捜索が終わっていません。これから死傷者数が増える可能性は充分ありますが……それでも……どうにも、狐につままれた気分です。外来にも受付にも、山ほど患者がいたのに』
「そうですか」と杉下が反論もせず、神戸の報告を受け入れる。
安室は瞠目し、杉下を凝視した。
杉下はいつも通りの淡々とした表情だ。
神戸が驚愕の声を上げる。
『あっさり信じちゃうんですか!? 自分で言っといてなんですが、僕自身信じられない報告ですよ? 実際、公安部も刑事部も、まだ犠牲者が増えると考えています』
「いえ、おそらく死傷者はこれ以上増えません。増えても、ほんの数名で済むはずです。それでも、なぜ数名が亡くならなければならなかったのか。考えなければなりませんが」
杉下はどこまでも冷静だ。
安室は杉下の落ち着きの理由がわからなかった。
(なんだ……いったい、杉下右京は何を知っている……!?)
『奇妙な点がもう一つ。コナンくんが乗っていたはずの車が、花見町の倉庫街で爆発、炎上した状態で見つかりました』
車内に遺体はなく、コナンと松田の行方は不明だ。
身元不明の男女三人が現場に拘束された状態で残されていた。
男性一人と女性一人が意識不明、意識のある若い男性は完全黙秘中だと神戸が述べる。
大河内監察官が、神戸に呼びかける声がした。
神戸の声音に遠慮が混ざる。
『すみません、そろそろ朝比奈圭子の監察官聴取が始まります。大河内監察官が再度、朝比奈圭子から話を聞くと。僕も同席させてもらいます』
「そうですか。出来れば僕も朝比奈圭子の聴取に同席したかったのですが、時間の関係で出来ません。監察官聴取が終わったら再度、僕へ連絡を。では」
『お待ちください、杉下警部。時間の関係とは? 神戸の報告にも全く動揺されていませんね。もしや杉下警部は、すでにコナンくんと松田警部補の行方をご存じでは? 米花薬師野病院の件も、警部の考えをお聞かせ願いたい』
大河内の生真面目な質問が杉下へ飛ぶ。
「米花薬師野病院の件は、また後程。現在、コナンくんと松田くんには爆弾がつけられています。コナンくんには手錠型、松田くんにはチョーカー型の爆弾が。すでにコナンくんの爆弾は、松田くんが解体作業を開始しています。松田くんの爆弾は解体不可能と、松田くん本人が判断しました」
驚きのあまり神戸が、ひゅっと息を吸い込む音がした。
『爆弾……!? 首にって……しかも、コナンくんは小学生ですよね!? なんでそんな』
『二人の現在位置を教えてください。すぐに爆発物処理班を向かわせます』
大河内からも低い声の進言が飛ぶ。
杉下が首を横に振り、否定した。
「出来ません。勇敢なる警察官よ……から始まるメッセージを爆弾犯が引用しました。三年前の観覧車と、今年の東都タワーの爆破未遂事件で使われたメッセージです」
神戸と大河内が息を呑んだ音がする。
杉下が頷く。
「知っての通り、一般に公表されていないメッセージです。警察内部の情報が、爆弾犯へ漏れています。公安部の動きも気になります。二人の安全のため、彼らの現在位置は口に出来ません。爆弾犯が言ってきたタイムリミットは、今日の日没。ですが、日付が変わるまでは猶予があると僕は考えています」
神戸が杉下に説明を求める。
「今日は古代より特別な日。世界の境界が曖昧になる、ハロウィンだからですよ」
予想外の現実離れした返答に、思わず安室は杉下を見た。
杉下が、わずかに険しい顔で唇をぎゅっと結んでいる。
『確かに今日はハロウィーンですけど……イベントと事件に何の関係が? まさか、今日がハロウィーンだから病院にいた患者さんたちは、全員幽霊だったとか言いませんよね?』
神戸が不審そうに言う。
『ハロウィンに関わるメッセージが犯人から何か? やはり、爆弾犯は外国人ですか?』
大河内が深刻な声音で杉下に尋ねる。
杉下が苦い表情で続けた。
「今はまだ、全て僕の憶測の段階です。しかし、僕の予想が正しければタイムリミットは日付の変わり目です。当然犯人も、死に物狂いで犯行を完遂させようとするでしょう。なぜなら今日しか、彼らの犯行は出来ないからです」
スマホから割り込み音が鳴る。
「キャッチです。では、改めて。監察官聴取が終わったら、僕へ連絡を。よろしくどうぞ」
杉下が通話を切り替え、応答する。
スピーカーモードのため、すぐに通話相手の声が聞こえ始めた。
『公安部の風見です。世田谷区の鬼子母神産婦人科病院への聞き込みが終わりました。杉下警部の予想通り、赤ん坊の取り違えが発生していました。二十九年前の事件です』
「すでに刑事事件としては時効になっていますね。取り違えられた赤ん坊の、双方の身元は分かりますか?」
杉下の素早い質問に、風見が答える。
『取り違えられた赤ん坊の名は、雨宮渚と宗像凪咲。同じ日、ほぼ同じ時刻に生まれた女児です。しかも宗像凪咲の父親は警察官……現在の神奈川県警本部長です』
命令通り、伊達と風見が鬼子母神産婦人科病院で聞き込むと様子が不審な女性を発見。
五十代そこそこの女性で、職業は看護師だ。
女性は顔色も悪く、いかにも何かありそうな様子だったらしい。
伊達が女性に話しかけると、彼女はすぐ、堪えかねた様子で泣き崩れた。
「とうとう、見つかる時が来た。もう耐えられない」と、女性は二十九年前に意図的に赤ん坊の取り違え事件を起こしたと自白した。
『当時、高橋看護師は経済的に余裕がなく、金銭につられての犯行だったそうです。取り違える赤ん坊も、指定されていたと供述しています』
安室は眉根を寄せて、考えた。
(宗像本部長か……大物だな。次期警察庁長官と確実視されている男だ。しかも雨宮は、松田渚さんの旧姓。宗像本部長が、渚さんの本当の父親か)
『神奈川県警本部長なら、警察庁の中でもエリート中のエリートだ。しかし、二十九年前なら、いくら優秀でもまだ駆け出しの新人だったはず。警察への恨みって動機も考えられるが、しっくり来ねえ。松田の嫁さんが、嬰児取り違えの被害者だった件も気になる』
懐かしい伊達の声に、安室の眼の奥が熱くなった。
目元を押さえ、安室は涙を隠す。
(不意打ちを喰らった気分だ……班長がいるだけで、現場の安心感が違う。松田も頼りがいのある奴だが……)
三年前の十一月七日を安室は思い出す。
(あの日……松田が亡くなった日。僕にとって、松田の死は予想外だった。松田なら、必ず萩原の仇を取ると思っていたのに……)
『高橋という女看護師は奇妙な話もしていました。二十九年前に尋ねてきた男が、最近また尋ねて来た』
襟足に白髪交じりの、やや長髪の男性。人形のように綺麗な顔をしているが、顔に大きな火傷の跡がある。
『もし警察官が話を聞きに来たら、正直に話せと言われた。二十九年も経っているのに全く容貌が変わらず、亡霊のようで不気味だった……と』
風見の報告に、安室は口を真一文字に結んだ。
安室は意識して思考を、現在に引き戻す。
(人形めいた容貌の男……おそらく、刀剣男士だろう。しかし、小野田官房長が見せてくれた写真の中には、顔に傷がある男はいなかった。コナンくんに連絡し、匿名掲示板で審神者たちに聞いてもらう手もあるが……)
風見の報告に、杉下が興味深げに頷く。
「なるほど……つまり、二十九年前にも近日にも、同一人物と思わしき男性が高橋看護師に警告に現れたわけですね。だから高橋看護師は怯えていた」
伊達が杉下に同意する。
『ええ。しかも、爪楊枝を咥えたガタイのイイ警察官に言えって、ご丁寧に俺を指名してきやがったそうです。正直、薄ら寒い話ですよ。さらに奇妙な点が一つ……取り違えられた宗像凪咲ちゃんは、交通事故死しています。彼女が小学三年生の時に』
安室の背筋を、冷たい戦慄が駆け抜けた。
強烈な違和感と不快感が、安室の胃から駆け上がる。
「なんだって? 事故死? 死んだなんて、そんな……確かなのか? 産院では、わからないはずだ」
安室の重ねた問いかけに、伊達が答える。
『交通部の同期に問い合わせて、確認したんだよ。凪咲ちゃんの事故は、学校から帰宅時だった。轢き逃げだ。目撃者がいたにも拘らず、犯人は未だに捕まっていない。……まあ、松田渚さんが本当のお嬢さんで、今も生きていると分かれば宗像本部長は喜ぶだろうが……』
伊達の声が暗く沈んでいく。
『死んだ子や、子供を取り違えられた雨宮夫妻の心情を考えると……なんとも言えねえ気持ちになるな……俺も人の親だからよ。一生懸命に育てて一人前にした娘が、実は他所の家庭の子で……本当の娘は何年も前に死んでいたなんて……残酷すぎるぜ』
轢き逃げの原因に、安室は思い当たる情報があった。
推理が安室の頭の中で、猛然と組み上がっていく。
(コナンくんが言っていた……未来では、通り魔に見せかけて審神者候補生が殺される事件もあると……松田渚は審神者の力を持っている。旧姓も出身地も生まれた病院も、未来で調べればすぐにわかるだろう。ならば……取り違えが無ければ……)
(本来、轢き逃げで殺されるのは松田渚だったのか? だが、誰かが松田渚を助けた。松田渚は審神者の力を持っているから、未来の政府にとって価値がある人間だ。死なれると、未来の政府にとって都合が悪い。だから……)
(未来の政府が介入し、松田渚を助けた。介入の結果、取り違えられた赤ん坊が犠牲になった)
(死ぬ運命の身代わりになった)
不吉な推理に、安室の全身に鳥肌が立つ。
安室は、自分の心臓が早鐘を打つのを聞いた。
(捻じ曲げられた運命、取り違えられた赤ん坊、事象の操作……誰かの意思が介在している! 赤ん坊の取り違えも引き逃げも故意だ。本来、正しい歴史であれば起こらなかったはずの事件だ……!)
自分でも説明できない違和感と確信が、安室の中に広まっていく。
安室は戸惑い、視界が大きく揺れた。
胃の辺りから嫌悪感と怒りがこみ上げ、安室は息苦しくなる。
伊達が呼び掛けているが、咄嗟に声が出ない。
安室は、ぐっと腹の底に力を込めた。
目眩が少しマシになり、安室は目を伏せた。
不快感を口から言葉に乗せて、安室は絞り出す。
「……人の命を、いったい何だと思っているんだ……」
聞こえなかったのか、風見が聞き返す。
伊達の心配する声も聞こえた。
安室は姿勢を正し、伊達に気持ちや態度を取り繕った。
「……僕も伊達刑事と同じく、やりきれない気持ちになっただけですよ。火傷がある男の素性も気になりますし。こちらでも調べてみますね」
「これから伊達くん達は、横浜へ向かってください。要件はすでにメールしました。では」
杉下が通話を切ろうとする。
『待ってください、もう一件報告があります! 警視庁内の松田警部補の資料ですが、改竄されていました。三年前の日付で、殉職と……』
風見の報告に、杉下の表情が厳しくなる。
伊達と安室は息を呑んだ。
安室が慌てて問いただす。
風見が戸惑いながら答える。
『今日の正午ごろに自分が確認した際は、データに問題なかったのですが……米花サンプラザホテルの一件があり、再度、部下に松田警部補の資料を確認させたところ、殉職と記述されていました』
改竄されたデータの中では、松田陣平の殉職時の階級は巡査部長。
殉職日は、三年前の十一月七日だと風見が言う。
自分の記憶と一致する情報に、安室は息を飲む。
重い衝撃が、安室の全身を突き抜けた。
「外部からの不正アクセスされた痕跡は? 外部犯によって、データが書き換えられたのでは?」
杉下から素早く質問が飛ぶ。
『違います。外部から侵入された形跡はありません。しかし、ほんの数時間で誰にも気づかれずに改竄されています』
「つまり、米花サンプラザホテルの事件が起きてから、誰かが松田くんの内部資料を書き換えた。しかも、改竄は警察官が行った可能性が高い」
『何のために? すでに松田は特別指名手配されてる! 犯人の目的が松田の殺害だとしても、死亡日が三年前の日付なんて……』
伊達が焦った声を上げた。
安室の中で目まぐるしく思考が動く。
諸伏の死の違和感と、松田が生きている現実の齟齬が安室の中で繋がっていく。
呼吸が早くなり、唇と喉が渇いていく。
安室は一度、唾を飲み込んだ。
まだ言葉にならない推理が、じっくりと安室の心の中で形を取り始める。
安室は唇を湿らせ、ゆっくりと風見に質問した。
「松田が殉職した時刻は三年前の十一月七日の正午ちょうど。場所は、杯戸ショッピングモールの大観覧車か?」
スマホのスピーカーの向こうから、風見が息を呑む音が聞こえた。
『なぜ、観覧車だと……降谷さん、すでに改竄をご存じだったんですか……あっ』
風見が自分の口を押えた気配がした。
安室はとっさに杉下を凝視した。
杉下が片手を上げ、安室と風見を制止する。
「今、安室くんの正体は重要ではありません。伊達くん、あなたは松田くんの同僚です。何か気付いた点は?」
言いにくいのか、伊達の短い唸り声が聞こえた。
『……白鳥が言っていたんですよ。松田渚さんが搬送された時、高木と佐藤の様子がおかしかった、と。特に高木は、なぜか松田が殉職したと思っていたそうです。ゼロは病院で、高木から事情聴取を受けたんだよな? その時に、高木から松田の殉職を聞いたのか?』
安室は否定しようとして、一瞬沈黙した。
(班長に松田の殉職を知らせても大丈夫なのか? 僕の記憶では班長も、ナタリーさんも故人だ。班長の家庭には子どもたちもいる。下手に班長に知らせて、何か影響が出たら……)
一瞬のためらいの後、安室は嘘を吐いた。
鈍い痛みが、安室の胸に走る。
「班長の予想通りだよ。高木刑事から聞いた。事情聴取の時、高木刑事が松田の件を僕に相談してきて……高木刑事は僕の動揺を見ていたから。不審に思ったんだろう。目暮警部と白鳥警部は、いつも通りだったが……捜査一課の佐藤刑事は、今どうしている? 佐藤刑事も、松田刑事の殉職を知っていた様子だが……」
『やっぱ、佐藤もか……』と伊達が呟く。
「安室くんはともかく、なぜ佐藤さんと高木くんは松田くんの殉職を知っていたのでしょう? 松田くんの死が三年前だとしたら……高木くんと松田くんに面識はないはずです。高木くんが一課に来たのは、一年ほど前ですから」
杉下から鋭い質問が飛んだ。
安室と伊達は、一瞬、沈黙した。
もしや、と朧げな推理が安室の中で繋がる。
『確かに奇妙ですね。佐藤警部補と高木巡査部長は交際中です。松田警部補と二人の接点は同僚程度のはず。目暮警部と白鳥警部は、松田警部補の殉職を知らなかった。松田警部補の同僚でも、反応が異なる理由が不明です』
風見が生真面目な声で疑問を述べる。
伊達が唸りながら、重い口を開く。
『まあ……ある程度、予想は着くが……だが……だがなぁ……』
「おや、何でしょう? 何でも話してください。今はどんな手がかりでも必要です」
杉下の追及に、伊達がさらに唸る。
安室は、咄嗟に伊達に助け舟を出す。
「僕の想像だったら、申し訳ないが……佐藤刑事は、松田に異性としての好意を持っていたのでは? しかし松田は既婚者だ。性格的に考えて、松田も佐藤刑事も不倫するとは思えない」
佐藤刑事の中に松田への好意が燻っている時期に、高木刑事が赴任してくる。
紆余曲折の末、佐藤刑事と高木刑事がくっついた。
「違うか?」と安室は伊達に問いかける。
滑らかに述べながらも安室は、苦い気まずさを味わう。
伊達が観念したのか、大きな息を吐いた。
『まあ、ゼロの予測通りだな……俺は後輩の恋心に、とやかく言うつもりはねえけど……松田を吹っ切るまで、佐藤はかなりかかったんだよ……今も同じ部署にいるし……』
『マジですか……』と風見の呟きをスピーカーが拾う。
「四角関係ですね」と杉下が断言した。
「現在、出ている仮設の中で死者は二人。松田くんと、松田渚さん。取り違えがなければ、渚さんは小学生時に亡くなっています。渚さんがいなければ、松田くんは独身のはず」
『独身同士の佐藤警部補と松田警部補が出会い、惹かれ合うが松田警部補は殉職……佐藤警部補の中には松田警部補への強い思いが残り、高木巡査部長との恋愛の壁になる……しかし、高木巡査部長は粘り強く佐藤警部補にアプローチを繰り返し、ゴールイン。乗り越えるべき壁だったため、二人は松田警部補の殉職を覚えている……と? しかし、この筋書きは空想です。実際は違います』
安室は強い違和感を持ちながらも、風見に同意する。
「風見の推理は、おそらく合っている。この世にいないはずの松田渚さんがいて、松田も生存している……」
「過去の事象と、我々の認識が狂っている可能性もあります。本来なら、三年前に松田くんは死ぬはずだったのでしょう」
杉下の冷酷な発言に、安室は血の気が引いた。
伊達と風見も驚いているのか、息を呑む音が聞こえる。
どんな表情で発言したのか、安室は杉下の顔を見るのが怖かった。
(三年前、杉下警部が松田を助けたんだよな? 松田本人が言っていた。なのに、なぜ杉下警部は簡単に「松田の生存が異常だ」と断言できる? 杉下警部には人情がないのか?)
(杉下警部には、僕の違和感や認識の齟齬を何も報告していない。だが、僕の思考や心を全て読まれている気分だ……)
「佐藤刑事は、現在どちらに? 彼女からも話を聞く必要があるかもしれません」
杉下の容赦ない追及に、安室はこめかみを抑えた。
(出来れば、佐藤刑事への聴取には同席したくないな……知人から同期への恋心を聴くなんて、キツすぎる……)
かすかに動じながら、風見が杉下に答える。
『今、高木巡査部長の付き添いで米花中央病院にいるはずです。松田警部補が高木巡査部長を刺したと聞いて、佐藤警部補は酷く動揺したそうです。目暮警部の判断で、佐藤警部補は捜査から外されました』
安室は不吉な予感がした。
「高木刑事の容体は? 危ないのか?」
『手術中だと聞いています。脚や体に後遺症が残るかどうか、五分五分だと聞いていますが……』
安室は咄嗟に、うまく返答できなかった。
今まで何度か、コナンを介して高木や佐藤と行った捜査を安室は思い出す。
(高木刑事に後遺症か……体に後遺症が残った警察官は内勤に回されるケースが多い。だが同僚や職場全体への迷惑を恐れ、依願退職する者が大半だ……勿体ない……高木刑事は捜一の仕事が合っている様子だし、まだまだこれからの年齢なのに……)
再度、奇妙な違和感を持ち、安室は眉根を寄せる。
(現在起きている松田の事件……ペストマスクの爆弾犯は、松田を狙っていた。高木刑事は爆弾犯と僕らの因縁に巻き込まれ、重傷を負った……だが、変だ)
松田がもし、三年前に殉職しているのが正しい歴史ならば。
高木刑事は今回の爆弾事件に巻き込まれても、怪我をしなかったはず。
松田が三年前に死亡し、現場にいないからだ。
庇う相手がいなければ、怪我のしようがない。
(高木刑事は捜一に所属しているから、松田が死亡していてもペストマスクの爆弾犯と関わった可能性はあるが……少なくとも高木刑事が大怪我をした現状は、正しい歴史とは異なる。現状は、歪んでいる。杉下警部の指摘通りに……)
自分の中で出た結論に、安室は瞠目した。
ぎゅっと安室は自分の拳を握り締める。
安室は自分の推理を否定しようとした。
(何をバカな……! 松田が死んでいるのが正しいなんて……出会いは殴り合いだったが、松田は僕の同期だぞ!? なのに、なぜ僕は……松田の生存への違和感を、否定できない……!?)
安室は一瞬、奥歯を噛み締めた。
大きく息を吸い込み、安室は動揺を鎮める。
「佐藤刑事に松田の件を教えてやれ。僕の予想が正しければ、何者かが佐藤刑事に接触する可能性もある。情報を与えた後、密かに佐藤刑事を見張ってくれ」
助手席から杉下の目線を安室は感じた。
『降谷零』として動き始めた安室を、興味深そうに杉下が観察している。
『了解しました。しかし、何者かと言うのは……火傷のある男ですか? 高橋看護師に接触してきた……』
「特定の心当たりはないが……しかし、必ず誰かが佐藤刑事に接触してくる。その誰かを手掛かりにすれば、今起きている奇妙な事件が解けるはずだ」
『わかりました。すぐに人員の手配を』
「頼む……が、お前が信頼できる人間を使ってくれ。警視庁公安部から、情報が洩れている可能性がある。必要だったら、僕の名を出してゼロの人員を使ってもいい」
『やっぱり……』と潜めた風見の呟きが聞こえた。
安室は内心、嬉しくなった。
「お前も気づいていたか」
『捜査本部の動きが変だと、公安内部でも何人か気付いていますよ。表立って原子部長に反対はしませんが……高木巡査部長の傷は、刺し傷ではなく銃創だと病院から報告されています。ホテルの一件の際、コナンくんも私と松田警部補に助けを求めていました。素行に問題のある人物ですが、松田警部補が犯人とは自分には思えません』
落ち着いた声で、風見が言い放つ。
安室は思わず、ふっと笑った。
「僕の部下は優秀だな。小野田官房長が言っていたよ。大きな謎だと。いくつものヤマが関連して、何かが確実に動いているが全貌がわからないと……もう一つ、風見に聞きたい件がある。公安部にいた諸伏景光の変死だ。改めて、ヒロが変死した状況を聞きたい」
黙っている伊達が、戸惑った気配がした。
風見が一瞬、息を呑む音がする。
『諸伏の転落死は通行人からの通報により、捜査一課が担当しました。通報があったのは深夜二時頃。臨場したのは伊達警部補と松田警部補です。二人とも諸伏の素性を知っていたため、すぐに公安部に連絡が入り、公安案件となりました』
諸伏の死因は多発性外傷による出血性ショック。
近くのビルの屋上に争った形跡があり、手摺には諸伏の指紋がついていた。
松田と伊達は、諸伏が誰かとビルの屋上で争い、転落させられたと推理。
殺人事件だと判断したが、公安案件となったため捜査一課による捜査は打ち切られた。
転落しても諸伏には少しの間、意識があったらしく、スマートフォンに触れながら死んでいたそうだ。
『というか、諸伏の件は降谷さんもご存じですよね……? 諸伏を突き落とした殺人犯に心当たりがあると、以前仰っていましたが……』
恐る恐る尋ねる風見に、安室は答えられなかった。
(また齟齬だと……!? いったい、どうなっている……!? 僕はヒロの死が拳銃自殺だと知っている……ヒロの遺体の前に立っていた赤井秀一の表情や捨てセリフ、ヒロの血と硝煙の匂いだって覚えている! だが……)
安室は唇を噛み締めた。
(僕には、ヒロが転落死だと聞いた記憶が無い……松田と会った記憶も、三年前の十一月六日が最後だ……今、ここにいる僕がおかしいのか? もし、おかしいのだとしたら……違うのだとしたら……今まで、ここにいたはずの『降谷零』はどこに行ったんだ……?)
漠然とした疑問を抱き、安室は全身に怖気が走る。
真っ黒い斑点が、いくつか視界に現れ消えた。
疾走する心臓とは裏腹に、顔や指先が冷たくなっていく。
駐車した車の中、安室はハンドルを握り直した。
掌にまで冷や汗が滲んでいる。
「安室くん、いえ降谷零くん。やはり君は……」と杉下が言いかけた時、安室はスマホの震動を感じた。
潜入捜査用のスマホだ。
安室は咄嗟に、身動きが出来なかった。
冷や汗が安室の首や背を伝う。
「降谷くん自身もうまく説明できない様子ですね。少し、彼と話すので時間をください。では」
あっさりと杉下が通話を切り、助手席のシートベルトを外した。
「僕はマンションで聞き込みをしてきます。降谷くんは、どうぞご自分のお仕事を」
助手席のドアを開け、杉下がさっさと行ってしまう。
安室は面食らいながら、杉下の後ろ姿を見送った。
(杉下警部、やはり最初から僕の素性に気付いて……いや、今はそれより……)
安室は潜入捜査用のスマホを取り出す。
画面には『ベルモット』と表示されていた。
通話ボタンを押すと、ベルモットの気だるげな声が聞こえた。
『随分待たせるのね、バーボン。もう少しでコールを切るところだったわ』
「すみません。少々手が離せなくて。急用ですか?」
『知っているわよ。あなた今、特命係の杉下右京と共にいるのでしょう? 驚いたわ。ずいぶん大物に呼び出されて、警察庁へ行ったそうね』
安室は瞠目し、身体が強張る。
(情報が洩れている……!? いったいどこから……やはり……)
動揺をベルモットに悟られないよう、安室は余裕たっぷりに微笑んだ。
「もう知っていたんですか。あなたはいつも情報が早い。おかげで、こちらから連絡する手間が省けました」
『警察庁の小野田公顕……あのRUMも警戒する切れ者よ。いったい、どんな要件だったのかしら』
「毛利先生の名代として呼ばれただけですよ。本日発生した、米花薬師野病院の爆破事件。毛利先生は自分の娘を爆発から庇い、大怪我を負われましたから」
スマホの向こうのベルモットが、一瞬沈黙する。
「今、東都で騒ぎになっている、警視庁捜査一課の松田刑事の事件。一昨日発生した警視庁立てこもり事件、さらに六年前に発生した反米イスラム過激派テロリスト事件。この三件に関係がありそうだが、繋がりがよくわからないので毛利先生の意見が欲しいとの依頼でした」
『意見が欲しいとの依頼なら、警察庁内で済むはず。なぜ今も杉下に同行しているのかしら?』
「松田がさらに米花サンプラザホテルで騒ぎを起こしたので。話の流れで、僕も杉下警部に同行する形に。下手に断ったら怪しまれますし、小野田の信用を得る絶好のチャンスですから」
ベルモッドが喉の奥で笑う。
『相変わらず、幸運の女神の前髪を掴むのが上手ね、バーボン。他の二件との繋がりはわからないけど、松田って刑事の面白い情報があるわ。松田刑事の妻、松田渚。今日の午前中、キールが薬物を注入した女よ』
驚愕のあまり、自分の指先がゆっくりと痺れ出すのを安室は感じていた。
『あなたは知らないだろうけど先日、大きな取引があったの。あの方の意向でね。RUMも知らない取引よ』
安室は自分の耳を疑った。
(RUMも知らない取引だと? ……僕は今、組織の中枢に触れているのか……)
注意深く、安室は息を吸い込んだ。
「それはまた……大層な情報ですね。いいんですか? 僕に話して」
『あの方のご意向よ。せっかく小野田に近付けたのならバーボンに話してやれ、と』
とっとっと、と安室の心音が高くなった。
緊張のあまり、安室の皮膚に汗が滲む。
ベルモットが薄く微笑む気配が、スマホの向こうから伝わる。
スピーカーの向こうで、煙草に火をつける音がする。
ゆっくりと煙を吸い込み、ベルモットが息を吐く。
『取引があったこと自体、ごく一部の幹部しか知らないの。我々が取引した組織の名は『クロノス』。松田渚の始末は、『クロノス』から技術提供を受けるための条件だった。最初はジンが射殺する予定だったのだけど……』
ベルモットの声が、さらに低くなる。
『向こうとしては大事にしたくなかったみたい。使う薬も指定して来た。『クロノス』にとって松田渚は、この世に居てはならない存在なのよ』
安室はベルモットの声に集中しながら、思考を巡らす。
(『クロノス』? 裏社会でも聞いた経験がない組織だ。ギリシャ神話の時の神の名だが……審神者や歴史修正主義者と関係がある組織なのか?)
「ますます奇妙な話ですね。どうしても消したい存在なら、もう松田渚は死んでいるはず。なのに、まだ彼女は生きています。しかも一度は警察に保護された。……キールが注射した薬物の効果は?」
『即効性の劇薬よ。体内に入ればまず、二度と元には戻らない。心も体もね……薬の効果を考えれば、松田渚はキールの目の前で死んでもおかしくなかった。なのに、あなたの言う通り、彼女はまだ生きていて、しかも行方を晦ませている……』
ベルモットの声に警戒が滲んだ。
『到底、ただの作家とは思えない行動だわ。だから、あの方も興味を持たれた』
息を呑みそうになり、安室は自分の口元を抑えた。
『あの方はとても疑り深く慎重で、臆病なタイプなの。松田渚の結末も、知りたいみたい。我々が手に入れた技術の真偽と共にね……』
「松田渚が狙われたのは、審神者だからですね」
ベルモットが息を呑む音が聞こえた。
『バーボン、あなた……いったい、どこから探り当てたの』
「あなたお気に入りの眼鏡の少年からですよ。コナンくんも審神者の力を持っているため、未来の情報を把握しています。先方としては、コナンくんも邪魔の様子。松田渚の事件にコナンくんも巻き込まれています。手首に爆弾を付けられてね」
スマホの向こうのベルモットの気配が鋭くなる。
「ご心配なく。コナンくんは今、松田刑事と一緒にいます。松田刑事は爆発物の専門家ですから、コナンくんの爆弾もうまく解体するでしょう。すでに解体作業を始めていますよ」
ベルモットが、ほっと息を吐く音が聞こえる。
「しかし、まさかあなたからも審神者の単語が出てくるとは。コナンくんが教えてくれた、未来に発明されるタイムマシン。さすがに半信半疑でしたが……」
『事実よ。我々が取引したのは、時を渡る技術を手に入れるため。時間遡行の手段があれば、我々の計画は大きく推進する……せいぜい頑張りなさい、バーボン。今回は厄介な案件よ。生き延びたければ、これからも幸運の女神の前髪を掴み続けなさいな』
ベルモットからの通話が終わる。
ロック画面に戻ったスマホを見つめながら、安室は自分の顎に手を添えた。
これからどう動くべきか、安室はしばし考え込む。
(三年前の松田の死に、審神者の松田渚……組織と取引をした『クロノス』。『家族を守る会』や『赤いカナリア』など未来のテロ組織……情報が足りない……)
(なぜ、僕は松田の死が正しいとわかるのか。僕に審神者の力があるとしたら、認識の齟齬も審神者の力のせいか? だが、コナンくんは松田の死を知らなかった)
安室はスマホを取り出し、コナンからのショートメールを呼び出す。
(コナンくんが送ってきた、審神者の匿名掲示板……ここに、まだ情報が? 審神者の力が安室さんにもあるはず、とコナンくんは言っていた。僕も匿名掲示板に書き込めるのか?)
ショートメールのURLを安室は押す。
問題の匿名掲示板が画面に表示された。
(奇妙だ。書き込み欄がない……僕には書き込めないのか。スマホを起動したとき、注意書きがいくつか出たとコナンくんは言っていたな……僕のスマホには注意書きが出ていない……やはりコナンくんは、未来で誰かが勝手に審神者の登録手続きをしたのか? 誰が?)
時間もないので、安室は内容にざっと目を通す。
松田渚の書き込みに注意して読み進める。
内容を知るたびに、安室は瞠目した。
(渚さんには、松田の姿が遺体に見えているのか……凄惨な姿だ。コナンくんが話していなかったのは、松田本人へショックを与えたくなかったからだろう……)
読み進めて行くと、安室は胸が詰まる思いだった。
安室の中で松田への同情が深まっていく。
(声が聞こえない、聞きたくない……顔が見えない……離婚するかも……松田、お前……渚さんが拉致されて必死に捜査しているのに……報われないな……)
松田渚の書き込みは、拉致された少し前の時刻で止まっていた。
安室の胃がジリジリと痛む。
口元に指を当てて、安室は物思いに沈んだ。
(正史と偽史を判別する力、死期逸脱者……松田は死期逸脱者か。本来、生きていてはいけない人間……なんて言い草だ)
(……冒頭部分の書き込みも奇妙だ。観覧車で警察官が一名殉職したと書き込んでいる者と、助かったと言っている者がいる……)
すぐさま、安室の脳裏に閃きが走る。
(あの理論を僕たちの現状に当てはめれば……だが、あの方程式は思考実験だ。現実に当てはめるのは………)
考えながら安室は車のドアを開けた。
杉下に相談するため、安室は車から降りる。
話すべき内容を整理しながら、安室は駐車場からマンションのエントランスへ向かった。
エンジンを切った途端、助手席の杉下からコール音が響く。
杉下が安室に断ってから、スマホを取り出す。
通話相手を確認してから、杉下がスマホをスピーカーモードにする。
スマホの向こうから神戸の潜めた声と雑踏が聞こえる。
『神戸です。なんとか、大河内さんのおかげで捜査会議に潜り込めました。聞いてくださいよ。警視庁内では松田くんの事件、随分とおかしな内容になっていますよ』
「松田くんは米花中央公園で高木くんを刺した後、過激派の
杉下の淡々とした様子に、神戸がムッとした気配が伝わる。
『もう知ってんのかよ』と神戸が小声で悪態を吐くのが聞こえた。
「何か?」と杉下が静かに問い返す。
神戸がにこやかな笑顔を作るのが、安室にはわかった。
『いえ、何も。公安部は、米花サンプラザホテルで松田くんが
「なるほど……公安部と刑事部の合同捜査ですね。小田切刑事部長の判断はどうなっていますか?」
『小田切刑事部長は、公安部の判断に疑問を持っています。最初の米花中央公園からの通報も、松田くんがホテルで
神戸の歯切れが悪くなる。
『公安主導の捜査のため、小田切刑事部長の意見が通りにくく……公安部の原子部長と小田切部長が対立している状況です。もうすごいですよ、バチバチ。元から刑事と公安は仲悪いですけど……』
神戸の報告を聞き、安室は考え込む。
(さすが小田切刑事部長……判断が適格だ。だが、なぜ公安部の原子部長は匿名のタレコミを信用しているのか? 匿名の情報は信用性が低いと原子部長もわかっているはず……コナンくんは警察内部に犯人の協力者がいると言っていた。僕も同意見だ。まさか原子部長が……)
「米花サンプラザホテルで、松田くんが人質に取った外国人女性。彼女の証言はどうなっていますか?」
杉下の質問で、安室は物思いから覚める。
神戸が不満そうな声を上げた。
『いないんですよ。騒ぎに紛れて立ち去った様子で……彼女と一緒にいた、数名の白人男性も見つからないんです。まあ、銃撃戦になりましたから。関わりたくないと逃げたんでしょうけど。目下、人員を割いて行方を捜索中です。また、嘘みたいな情報ですが……』
神戸の声が、かすかに低くなる。
『米花薬師野病院爆破の死傷者数も、かなり奇妙です。米花薬師野病院は総合病院。病床数は三百を超えます。外来にも、かなりの数の患者が来ていました。なのに死者は二名。重傷者も三名で、意識不明の重体が一人。負傷者は軽傷が多く、ほとんど病院外にいた人です。ガラスの破片で額を切ったとか、火の粉で火傷をしたとか、その程度』
安室は自分の耳を疑った。
(バカな……! 総合病院が全焼する規模の爆発だぞ!? なのに死傷者がほんの数名なんて……)
『まだ鎮火していないので、病院内部の捜索が終わっていません。これから死傷者数が増える可能性は充分ありますが……それでも……どうにも、狐につままれた気分です。外来にも受付にも、山ほど患者がいたのに』
「そうですか」と杉下が反論もせず、神戸の報告を受け入れる。
安室は瞠目し、杉下を凝視した。
杉下はいつも通りの淡々とした表情だ。
神戸が驚愕の声を上げる。
『あっさり信じちゃうんですか!? 自分で言っといてなんですが、僕自身信じられない報告ですよ? 実際、公安部も刑事部も、まだ犠牲者が増えると考えています』
「いえ、おそらく死傷者はこれ以上増えません。増えても、ほんの数名で済むはずです。それでも、なぜ数名が亡くならなければならなかったのか。考えなければなりませんが」
杉下はどこまでも冷静だ。
安室は杉下の落ち着きの理由がわからなかった。
(なんだ……いったい、杉下右京は何を知っている……!?)
『奇妙な点がもう一つ。コナンくんが乗っていたはずの車が、花見町の倉庫街で爆発、炎上した状態で見つかりました』
車内に遺体はなく、コナンと松田の行方は不明だ。
身元不明の男女三人が現場に拘束された状態で残されていた。
男性一人と女性一人が意識不明、意識のある若い男性は完全黙秘中だと神戸が述べる。
大河内監察官が、神戸に呼びかける声がした。
神戸の声音に遠慮が混ざる。
『すみません、そろそろ朝比奈圭子の監察官聴取が始まります。大河内監察官が再度、朝比奈圭子から話を聞くと。僕も同席させてもらいます』
「そうですか。出来れば僕も朝比奈圭子の聴取に同席したかったのですが、時間の関係で出来ません。監察官聴取が終わったら再度、僕へ連絡を。では」
『お待ちください、杉下警部。時間の関係とは? 神戸の報告にも全く動揺されていませんね。もしや杉下警部は、すでにコナンくんと松田警部補の行方をご存じでは? 米花薬師野病院の件も、警部の考えをお聞かせ願いたい』
大河内の生真面目な質問が杉下へ飛ぶ。
「米花薬師野病院の件は、また後程。現在、コナンくんと松田くんには爆弾がつけられています。コナンくんには手錠型、松田くんにはチョーカー型の爆弾が。すでにコナンくんの爆弾は、松田くんが解体作業を開始しています。松田くんの爆弾は解体不可能と、松田くん本人が判断しました」
驚きのあまり神戸が、ひゅっと息を吸い込む音がした。
『爆弾……!? 首にって……しかも、コナンくんは小学生ですよね!? なんでそんな』
『二人の現在位置を教えてください。すぐに爆発物処理班を向かわせます』
大河内からも低い声の進言が飛ぶ。
杉下が首を横に振り、否定した。
「出来ません。勇敢なる警察官よ……から始まるメッセージを爆弾犯が引用しました。三年前の観覧車と、今年の東都タワーの爆破未遂事件で使われたメッセージです」
神戸と大河内が息を呑んだ音がする。
杉下が頷く。
「知っての通り、一般に公表されていないメッセージです。警察内部の情報が、爆弾犯へ漏れています。公安部の動きも気になります。二人の安全のため、彼らの現在位置は口に出来ません。爆弾犯が言ってきたタイムリミットは、今日の日没。ですが、日付が変わるまでは猶予があると僕は考えています」
神戸が杉下に説明を求める。
「今日は古代より特別な日。世界の境界が曖昧になる、ハロウィンだからですよ」
予想外の現実離れした返答に、思わず安室は杉下を見た。
杉下が、わずかに険しい顔で唇をぎゅっと結んでいる。
『確かに今日はハロウィーンですけど……イベントと事件に何の関係が? まさか、今日がハロウィーンだから病院にいた患者さんたちは、全員幽霊だったとか言いませんよね?』
神戸が不審そうに言う。
『ハロウィンに関わるメッセージが犯人から何か? やはり、爆弾犯は外国人ですか?』
大河内が深刻な声音で杉下に尋ねる。
杉下が苦い表情で続けた。
「今はまだ、全て僕の憶測の段階です。しかし、僕の予想が正しければタイムリミットは日付の変わり目です。当然犯人も、死に物狂いで犯行を完遂させようとするでしょう。なぜなら今日しか、彼らの犯行は出来ないからです」
スマホから割り込み音が鳴る。
「キャッチです。では、改めて。監察官聴取が終わったら、僕へ連絡を。よろしくどうぞ」
杉下が通話を切り替え、応答する。
スピーカーモードのため、すぐに通話相手の声が聞こえ始めた。
『公安部の風見です。世田谷区の鬼子母神産婦人科病院への聞き込みが終わりました。杉下警部の予想通り、赤ん坊の取り違えが発生していました。二十九年前の事件です』
「すでに刑事事件としては時効になっていますね。取り違えられた赤ん坊の、双方の身元は分かりますか?」
杉下の素早い質問に、風見が答える。
『取り違えられた赤ん坊の名は、雨宮渚と宗像凪咲。同じ日、ほぼ同じ時刻に生まれた女児です。しかも宗像凪咲の父親は警察官……現在の神奈川県警本部長です』
命令通り、伊達と風見が鬼子母神産婦人科病院で聞き込むと様子が不審な女性を発見。
五十代そこそこの女性で、職業は看護師だ。
女性は顔色も悪く、いかにも何かありそうな様子だったらしい。
伊達が女性に話しかけると、彼女はすぐ、堪えかねた様子で泣き崩れた。
「とうとう、見つかる時が来た。もう耐えられない」と、女性は二十九年前に意図的に赤ん坊の取り違え事件を起こしたと自白した。
『当時、高橋看護師は経済的に余裕がなく、金銭につられての犯行だったそうです。取り違える赤ん坊も、指定されていたと供述しています』
安室は眉根を寄せて、考えた。
(宗像本部長か……大物だな。次期警察庁長官と確実視されている男だ。しかも雨宮は、松田渚さんの旧姓。宗像本部長が、渚さんの本当の父親か)
『神奈川県警本部長なら、警察庁の中でもエリート中のエリートだ。しかし、二十九年前なら、いくら優秀でもまだ駆け出しの新人だったはず。警察への恨みって動機も考えられるが、しっくり来ねえ。松田の嫁さんが、嬰児取り違えの被害者だった件も気になる』
懐かしい伊達の声に、安室の眼の奥が熱くなった。
目元を押さえ、安室は涙を隠す。
(不意打ちを喰らった気分だ……班長がいるだけで、現場の安心感が違う。松田も頼りがいのある奴だが……)
三年前の十一月七日を安室は思い出す。
(あの日……松田が亡くなった日。僕にとって、松田の死は予想外だった。松田なら、必ず萩原の仇を取ると思っていたのに……)
『高橋という女看護師は奇妙な話もしていました。二十九年前に尋ねてきた男が、最近また尋ねて来た』
襟足に白髪交じりの、やや長髪の男性。人形のように綺麗な顔をしているが、顔に大きな火傷の跡がある。
『もし警察官が話を聞きに来たら、正直に話せと言われた。二十九年も経っているのに全く容貌が変わらず、亡霊のようで不気味だった……と』
風見の報告に、安室は口を真一文字に結んだ。
安室は意識して思考を、現在に引き戻す。
(人形めいた容貌の男……おそらく、刀剣男士だろう。しかし、小野田官房長が見せてくれた写真の中には、顔に傷がある男はいなかった。コナンくんに連絡し、匿名掲示板で審神者たちに聞いてもらう手もあるが……)
風見の報告に、杉下が興味深げに頷く。
「なるほど……つまり、二十九年前にも近日にも、同一人物と思わしき男性が高橋看護師に警告に現れたわけですね。だから高橋看護師は怯えていた」
伊達が杉下に同意する。
『ええ。しかも、爪楊枝を咥えたガタイのイイ警察官に言えって、ご丁寧に俺を指名してきやがったそうです。正直、薄ら寒い話ですよ。さらに奇妙な点が一つ……取り違えられた宗像凪咲ちゃんは、交通事故死しています。彼女が小学三年生の時に』
安室の背筋を、冷たい戦慄が駆け抜けた。
強烈な違和感と不快感が、安室の胃から駆け上がる。
「なんだって? 事故死? 死んだなんて、そんな……確かなのか? 産院では、わからないはずだ」
安室の重ねた問いかけに、伊達が答える。
『交通部の同期に問い合わせて、確認したんだよ。凪咲ちゃんの事故は、学校から帰宅時だった。轢き逃げだ。目撃者がいたにも拘らず、犯人は未だに捕まっていない。……まあ、松田渚さんが本当のお嬢さんで、今も生きていると分かれば宗像本部長は喜ぶだろうが……』
伊達の声が暗く沈んでいく。
『死んだ子や、子供を取り違えられた雨宮夫妻の心情を考えると……なんとも言えねえ気持ちになるな……俺も人の親だからよ。一生懸命に育てて一人前にした娘が、実は他所の家庭の子で……本当の娘は何年も前に死んでいたなんて……残酷すぎるぜ』
轢き逃げの原因に、安室は思い当たる情報があった。
推理が安室の頭の中で、猛然と組み上がっていく。
(コナンくんが言っていた……未来では、通り魔に見せかけて審神者候補生が殺される事件もあると……松田渚は審神者の力を持っている。旧姓も出身地も生まれた病院も、未来で調べればすぐにわかるだろう。ならば……取り違えが無ければ……)
(本来、轢き逃げで殺されるのは松田渚だったのか? だが、誰かが松田渚を助けた。松田渚は審神者の力を持っているから、未来の政府にとって価値がある人間だ。死なれると、未来の政府にとって都合が悪い。だから……)
(未来の政府が介入し、松田渚を助けた。介入の結果、取り違えられた赤ん坊が犠牲になった)
(死ぬ運命の身代わりになった)
不吉な推理に、安室の全身に鳥肌が立つ。
安室は、自分の心臓が早鐘を打つのを聞いた。
(捻じ曲げられた運命、取り違えられた赤ん坊、事象の操作……誰かの意思が介在している! 赤ん坊の取り違えも引き逃げも故意だ。本来、正しい歴史であれば起こらなかったはずの事件だ……!)
自分でも説明できない違和感と確信が、安室の中に広まっていく。
安室は戸惑い、視界が大きく揺れた。
胃の辺りから嫌悪感と怒りがこみ上げ、安室は息苦しくなる。
伊達が呼び掛けているが、咄嗟に声が出ない。
安室は、ぐっと腹の底に力を込めた。
目眩が少しマシになり、安室は目を伏せた。
不快感を口から言葉に乗せて、安室は絞り出す。
「……人の命を、いったい何だと思っているんだ……」
聞こえなかったのか、風見が聞き返す。
伊達の心配する声も聞こえた。
安室は姿勢を正し、伊達に気持ちや態度を取り繕った。
「……僕も伊達刑事と同じく、やりきれない気持ちになっただけですよ。火傷がある男の素性も気になりますし。こちらでも調べてみますね」
「これから伊達くん達は、横浜へ向かってください。要件はすでにメールしました。では」
杉下が通話を切ろうとする。
『待ってください、もう一件報告があります! 警視庁内の松田警部補の資料ですが、改竄されていました。三年前の日付で、殉職と……』
風見の報告に、杉下の表情が厳しくなる。
伊達と安室は息を呑んだ。
安室が慌てて問いただす。
風見が戸惑いながら答える。
『今日の正午ごろに自分が確認した際は、データに問題なかったのですが……米花サンプラザホテルの一件があり、再度、部下に松田警部補の資料を確認させたところ、殉職と記述されていました』
改竄されたデータの中では、松田陣平の殉職時の階級は巡査部長。
殉職日は、三年前の十一月七日だと風見が言う。
自分の記憶と一致する情報に、安室は息を飲む。
重い衝撃が、安室の全身を突き抜けた。
「外部からの不正アクセスされた痕跡は? 外部犯によって、データが書き換えられたのでは?」
杉下から素早く質問が飛ぶ。
『違います。外部から侵入された形跡はありません。しかし、ほんの数時間で誰にも気づかれずに改竄されています』
「つまり、米花サンプラザホテルの事件が起きてから、誰かが松田くんの内部資料を書き換えた。しかも、改竄は警察官が行った可能性が高い」
『何のために? すでに松田は特別指名手配されてる! 犯人の目的が松田の殺害だとしても、死亡日が三年前の日付なんて……』
伊達が焦った声を上げた。
安室の中で目まぐるしく思考が動く。
諸伏の死の違和感と、松田が生きている現実の齟齬が安室の中で繋がっていく。
呼吸が早くなり、唇と喉が渇いていく。
安室は一度、唾を飲み込んだ。
まだ言葉にならない推理が、じっくりと安室の心の中で形を取り始める。
安室は唇を湿らせ、ゆっくりと風見に質問した。
「松田が殉職した時刻は三年前の十一月七日の正午ちょうど。場所は、杯戸ショッピングモールの大観覧車か?」
スマホのスピーカーの向こうから、風見が息を呑む音が聞こえた。
『なぜ、観覧車だと……降谷さん、すでに改竄をご存じだったんですか……あっ』
風見が自分の口を押えた気配がした。
安室はとっさに杉下を凝視した。
杉下が片手を上げ、安室と風見を制止する。
「今、安室くんの正体は重要ではありません。伊達くん、あなたは松田くんの同僚です。何か気付いた点は?」
言いにくいのか、伊達の短い唸り声が聞こえた。
『……白鳥が言っていたんですよ。松田渚さんが搬送された時、高木と佐藤の様子がおかしかった、と。特に高木は、なぜか松田が殉職したと思っていたそうです。ゼロは病院で、高木から事情聴取を受けたんだよな? その時に、高木から松田の殉職を聞いたのか?』
安室は否定しようとして、一瞬沈黙した。
(班長に松田の殉職を知らせても大丈夫なのか? 僕の記憶では班長も、ナタリーさんも故人だ。班長の家庭には子どもたちもいる。下手に班長に知らせて、何か影響が出たら……)
一瞬のためらいの後、安室は嘘を吐いた。
鈍い痛みが、安室の胸に走る。
「班長の予想通りだよ。高木刑事から聞いた。事情聴取の時、高木刑事が松田の件を僕に相談してきて……高木刑事は僕の動揺を見ていたから。不審に思ったんだろう。目暮警部と白鳥警部は、いつも通りだったが……捜査一課の佐藤刑事は、今どうしている? 佐藤刑事も、松田刑事の殉職を知っていた様子だが……」
『やっぱ、佐藤もか……』と伊達が呟く。
「安室くんはともかく、なぜ佐藤さんと高木くんは松田くんの殉職を知っていたのでしょう? 松田くんの死が三年前だとしたら……高木くんと松田くんに面識はないはずです。高木くんが一課に来たのは、一年ほど前ですから」
杉下から鋭い質問が飛んだ。
安室と伊達は、一瞬、沈黙した。
もしや、と朧げな推理が安室の中で繋がる。
『確かに奇妙ですね。佐藤警部補と高木巡査部長は交際中です。松田警部補と二人の接点は同僚程度のはず。目暮警部と白鳥警部は、松田警部補の殉職を知らなかった。松田警部補の同僚でも、反応が異なる理由が不明です』
風見が生真面目な声で疑問を述べる。
伊達が唸りながら、重い口を開く。
『まあ……ある程度、予想は着くが……だが……だがなぁ……』
「おや、何でしょう? 何でも話してください。今はどんな手がかりでも必要です」
杉下の追及に、伊達がさらに唸る。
安室は、咄嗟に伊達に助け舟を出す。
「僕の想像だったら、申し訳ないが……佐藤刑事は、松田に異性としての好意を持っていたのでは? しかし松田は既婚者だ。性格的に考えて、松田も佐藤刑事も不倫するとは思えない」
佐藤刑事の中に松田への好意が燻っている時期に、高木刑事が赴任してくる。
紆余曲折の末、佐藤刑事と高木刑事がくっついた。
「違うか?」と安室は伊達に問いかける。
滑らかに述べながらも安室は、苦い気まずさを味わう。
伊達が観念したのか、大きな息を吐いた。
『まあ、ゼロの予測通りだな……俺は後輩の恋心に、とやかく言うつもりはねえけど……松田を吹っ切るまで、佐藤はかなりかかったんだよ……今も同じ部署にいるし……』
『マジですか……』と風見の呟きをスピーカーが拾う。
「四角関係ですね」と杉下が断言した。
「現在、出ている仮設の中で死者は二人。松田くんと、松田渚さん。取り違えがなければ、渚さんは小学生時に亡くなっています。渚さんがいなければ、松田くんは独身のはず」
『独身同士の佐藤警部補と松田警部補が出会い、惹かれ合うが松田警部補は殉職……佐藤警部補の中には松田警部補への強い思いが残り、高木巡査部長との恋愛の壁になる……しかし、高木巡査部長は粘り強く佐藤警部補にアプローチを繰り返し、ゴールイン。乗り越えるべき壁だったため、二人は松田警部補の殉職を覚えている……と? しかし、この筋書きは空想です。実際は違います』
安室は強い違和感を持ちながらも、風見に同意する。
「風見の推理は、おそらく合っている。この世にいないはずの松田渚さんがいて、松田も生存している……」
「過去の事象と、我々の認識が狂っている可能性もあります。本来なら、三年前に松田くんは死ぬはずだったのでしょう」
杉下の冷酷な発言に、安室は血の気が引いた。
伊達と風見も驚いているのか、息を呑む音が聞こえる。
どんな表情で発言したのか、安室は杉下の顔を見るのが怖かった。
(三年前、杉下警部が松田を助けたんだよな? 松田本人が言っていた。なのに、なぜ杉下警部は簡単に「松田の生存が異常だ」と断言できる? 杉下警部には人情がないのか?)
(杉下警部には、僕の違和感や認識の齟齬を何も報告していない。だが、僕の思考や心を全て読まれている気分だ……)
「佐藤刑事は、現在どちらに? 彼女からも話を聞く必要があるかもしれません」
杉下の容赦ない追及に、安室はこめかみを抑えた。
(出来れば、佐藤刑事への聴取には同席したくないな……知人から同期への恋心を聴くなんて、キツすぎる……)
かすかに動じながら、風見が杉下に答える。
『今、高木巡査部長の付き添いで米花中央病院にいるはずです。松田警部補が高木巡査部長を刺したと聞いて、佐藤警部補は酷く動揺したそうです。目暮警部の判断で、佐藤警部補は捜査から外されました』
安室は不吉な予感がした。
「高木刑事の容体は? 危ないのか?」
『手術中だと聞いています。脚や体に後遺症が残るかどうか、五分五分だと聞いていますが……』
安室は咄嗟に、うまく返答できなかった。
今まで何度か、コナンを介して高木や佐藤と行った捜査を安室は思い出す。
(高木刑事に後遺症か……体に後遺症が残った警察官は内勤に回されるケースが多い。だが同僚や職場全体への迷惑を恐れ、依願退職する者が大半だ……勿体ない……高木刑事は捜一の仕事が合っている様子だし、まだまだこれからの年齢なのに……)
再度、奇妙な違和感を持ち、安室は眉根を寄せる。
(現在起きている松田の事件……ペストマスクの爆弾犯は、松田を狙っていた。高木刑事は爆弾犯と僕らの因縁に巻き込まれ、重傷を負った……だが、変だ)
松田がもし、三年前に殉職しているのが正しい歴史ならば。
高木刑事は今回の爆弾事件に巻き込まれても、怪我をしなかったはず。
松田が三年前に死亡し、現場にいないからだ。
庇う相手がいなければ、怪我のしようがない。
(高木刑事は捜一に所属しているから、松田が死亡していてもペストマスクの爆弾犯と関わった可能性はあるが……少なくとも高木刑事が大怪我をした現状は、正しい歴史とは異なる。現状は、歪んでいる。杉下警部の指摘通りに……)
自分の中で出た結論に、安室は瞠目した。
ぎゅっと安室は自分の拳を握り締める。
安室は自分の推理を否定しようとした。
(何をバカな……! 松田が死んでいるのが正しいなんて……出会いは殴り合いだったが、松田は僕の同期だぞ!? なのに、なぜ僕は……松田の生存への違和感を、否定できない……!?)
安室は一瞬、奥歯を噛み締めた。
大きく息を吸い込み、安室は動揺を鎮める。
「佐藤刑事に松田の件を教えてやれ。僕の予想が正しければ、何者かが佐藤刑事に接触する可能性もある。情報を与えた後、密かに佐藤刑事を見張ってくれ」
助手席から杉下の目線を安室は感じた。
『降谷零』として動き始めた安室を、興味深そうに杉下が観察している。
『了解しました。しかし、何者かと言うのは……火傷のある男ですか? 高橋看護師に接触してきた……』
「特定の心当たりはないが……しかし、必ず誰かが佐藤刑事に接触してくる。その誰かを手掛かりにすれば、今起きている奇妙な事件が解けるはずだ」
『わかりました。すぐに人員の手配を』
「頼む……が、お前が信頼できる人間を使ってくれ。警視庁公安部から、情報が洩れている可能性がある。必要だったら、僕の名を出してゼロの人員を使ってもいい」
『やっぱり……』と潜めた風見の呟きが聞こえた。
安室は内心、嬉しくなった。
「お前も気づいていたか」
『捜査本部の動きが変だと、公安内部でも何人か気付いていますよ。表立って原子部長に反対はしませんが……高木巡査部長の傷は、刺し傷ではなく銃創だと病院から報告されています。ホテルの一件の際、コナンくんも私と松田警部補に助けを求めていました。素行に問題のある人物ですが、松田警部補が犯人とは自分には思えません』
落ち着いた声で、風見が言い放つ。
安室は思わず、ふっと笑った。
「僕の部下は優秀だな。小野田官房長が言っていたよ。大きな謎だと。いくつものヤマが関連して、何かが確実に動いているが全貌がわからないと……もう一つ、風見に聞きたい件がある。公安部にいた諸伏景光の変死だ。改めて、ヒロが変死した状況を聞きたい」
黙っている伊達が、戸惑った気配がした。
風見が一瞬、息を呑む音がする。
『諸伏の転落死は通行人からの通報により、捜査一課が担当しました。通報があったのは深夜二時頃。臨場したのは伊達警部補と松田警部補です。二人とも諸伏の素性を知っていたため、すぐに公安部に連絡が入り、公安案件となりました』
諸伏の死因は多発性外傷による出血性ショック。
近くのビルの屋上に争った形跡があり、手摺には諸伏の指紋がついていた。
松田と伊達は、諸伏が誰かとビルの屋上で争い、転落させられたと推理。
殺人事件だと判断したが、公安案件となったため捜査一課による捜査は打ち切られた。
転落しても諸伏には少しの間、意識があったらしく、スマートフォンに触れながら死んでいたそうだ。
『というか、諸伏の件は降谷さんもご存じですよね……? 諸伏を突き落とした殺人犯に心当たりがあると、以前仰っていましたが……』
恐る恐る尋ねる風見に、安室は答えられなかった。
(また齟齬だと……!? いったい、どうなっている……!? 僕はヒロの死が拳銃自殺だと知っている……ヒロの遺体の前に立っていた赤井秀一の表情や捨てセリフ、ヒロの血と硝煙の匂いだって覚えている! だが……)
安室は唇を噛み締めた。
(僕には、ヒロが転落死だと聞いた記憶が無い……松田と会った記憶も、三年前の十一月六日が最後だ……今、ここにいる僕がおかしいのか? もし、おかしいのだとしたら……違うのだとしたら……今まで、ここにいたはずの『降谷零』はどこに行ったんだ……?)
漠然とした疑問を抱き、安室は全身に怖気が走る。
真っ黒い斑点が、いくつか視界に現れ消えた。
疾走する心臓とは裏腹に、顔や指先が冷たくなっていく。
駐車した車の中、安室はハンドルを握り直した。
掌にまで冷や汗が滲んでいる。
「安室くん、いえ降谷零くん。やはり君は……」と杉下が言いかけた時、安室はスマホの震動を感じた。
潜入捜査用のスマホだ。
安室は咄嗟に、身動きが出来なかった。
冷や汗が安室の首や背を伝う。
「降谷くん自身もうまく説明できない様子ですね。少し、彼と話すので時間をください。では」
あっさりと杉下が通話を切り、助手席のシートベルトを外した。
「僕はマンションで聞き込みをしてきます。降谷くんは、どうぞご自分のお仕事を」
助手席のドアを開け、杉下がさっさと行ってしまう。
安室は面食らいながら、杉下の後ろ姿を見送った。
(杉下警部、やはり最初から僕の素性に気付いて……いや、今はそれより……)
安室は潜入捜査用のスマホを取り出す。
画面には『ベルモット』と表示されていた。
通話ボタンを押すと、ベルモットの気だるげな声が聞こえた。
『随分待たせるのね、バーボン。もう少しでコールを切るところだったわ』
「すみません。少々手が離せなくて。急用ですか?」
『知っているわよ。あなた今、特命係の杉下右京と共にいるのでしょう? 驚いたわ。ずいぶん大物に呼び出されて、警察庁へ行ったそうね』
安室は瞠目し、身体が強張る。
(情報が洩れている……!? いったいどこから……やはり……)
動揺をベルモットに悟られないよう、安室は余裕たっぷりに微笑んだ。
「もう知っていたんですか。あなたはいつも情報が早い。おかげで、こちらから連絡する手間が省けました」
『警察庁の小野田公顕……あのRUMも警戒する切れ者よ。いったい、どんな要件だったのかしら』
「毛利先生の名代として呼ばれただけですよ。本日発生した、米花薬師野病院の爆破事件。毛利先生は自分の娘を爆発から庇い、大怪我を負われましたから」
スマホの向こうのベルモットが、一瞬沈黙する。
「今、東都で騒ぎになっている、警視庁捜査一課の松田刑事の事件。一昨日発生した警視庁立てこもり事件、さらに六年前に発生した反米イスラム過激派テロリスト事件。この三件に関係がありそうだが、繋がりがよくわからないので毛利先生の意見が欲しいとの依頼でした」
『意見が欲しいとの依頼なら、警察庁内で済むはず。なぜ今も杉下に同行しているのかしら?』
「松田がさらに米花サンプラザホテルで騒ぎを起こしたので。話の流れで、僕も杉下警部に同行する形に。下手に断ったら怪しまれますし、小野田の信用を得る絶好のチャンスですから」
ベルモッドが喉の奥で笑う。
『相変わらず、幸運の女神の前髪を掴むのが上手ね、バーボン。他の二件との繋がりはわからないけど、松田って刑事の面白い情報があるわ。松田刑事の妻、松田渚。今日の午前中、キールが薬物を注入した女よ』
驚愕のあまり、自分の指先がゆっくりと痺れ出すのを安室は感じていた。
『あなたは知らないだろうけど先日、大きな取引があったの。あの方の意向でね。RUMも知らない取引よ』
安室は自分の耳を疑った。
(RUMも知らない取引だと? ……僕は今、組織の中枢に触れているのか……)
注意深く、安室は息を吸い込んだ。
「それはまた……大層な情報ですね。いいんですか? 僕に話して」
『あの方のご意向よ。せっかく小野田に近付けたのならバーボンに話してやれ、と』
とっとっと、と安室の心音が高くなった。
緊張のあまり、安室の皮膚に汗が滲む。
ベルモットが薄く微笑む気配が、スマホの向こうから伝わる。
スピーカーの向こうで、煙草に火をつける音がする。
ゆっくりと煙を吸い込み、ベルモットが息を吐く。
『取引があったこと自体、ごく一部の幹部しか知らないの。我々が取引した組織の名は『クロノス』。松田渚の始末は、『クロノス』から技術提供を受けるための条件だった。最初はジンが射殺する予定だったのだけど……』
ベルモットの声が、さらに低くなる。
『向こうとしては大事にしたくなかったみたい。使う薬も指定して来た。『クロノス』にとって松田渚は、この世に居てはならない存在なのよ』
安室はベルモットの声に集中しながら、思考を巡らす。
(『クロノス』? 裏社会でも聞いた経験がない組織だ。ギリシャ神話の時の神の名だが……審神者や歴史修正主義者と関係がある組織なのか?)
「ますます奇妙な話ですね。どうしても消したい存在なら、もう松田渚は死んでいるはず。なのに、まだ彼女は生きています。しかも一度は警察に保護された。……キールが注射した薬物の効果は?」
『即効性の劇薬よ。体内に入ればまず、二度と元には戻らない。心も体もね……薬の効果を考えれば、松田渚はキールの目の前で死んでもおかしくなかった。なのに、あなたの言う通り、彼女はまだ生きていて、しかも行方を晦ませている……』
ベルモットの声に警戒が滲んだ。
『到底、ただの作家とは思えない行動だわ。だから、あの方も興味を持たれた』
息を呑みそうになり、安室は自分の口元を抑えた。
『あの方はとても疑り深く慎重で、臆病なタイプなの。松田渚の結末も、知りたいみたい。我々が手に入れた技術の真偽と共にね……』
「松田渚が狙われたのは、審神者だからですね」
ベルモットが息を呑む音が聞こえた。
『バーボン、あなた……いったい、どこから探り当てたの』
「あなたお気に入りの眼鏡の少年からですよ。コナンくんも審神者の力を持っているため、未来の情報を把握しています。先方としては、コナンくんも邪魔の様子。松田渚の事件にコナンくんも巻き込まれています。手首に爆弾を付けられてね」
スマホの向こうのベルモットの気配が鋭くなる。
「ご心配なく。コナンくんは今、松田刑事と一緒にいます。松田刑事は爆発物の専門家ですから、コナンくんの爆弾もうまく解体するでしょう。すでに解体作業を始めていますよ」
ベルモットが、ほっと息を吐く音が聞こえる。
「しかし、まさかあなたからも審神者の単語が出てくるとは。コナンくんが教えてくれた、未来に発明されるタイムマシン。さすがに半信半疑でしたが……」
『事実よ。我々が取引したのは、時を渡る技術を手に入れるため。時間遡行の手段があれば、我々の計画は大きく推進する……せいぜい頑張りなさい、バーボン。今回は厄介な案件よ。生き延びたければ、これからも幸運の女神の前髪を掴み続けなさいな』
ベルモットからの通話が終わる。
ロック画面に戻ったスマホを見つめながら、安室は自分の顎に手を添えた。
これからどう動くべきか、安室はしばし考え込む。
(三年前の松田の死に、審神者の松田渚……組織と取引をした『クロノス』。『家族を守る会』や『赤いカナリア』など未来のテロ組織……情報が足りない……)
(なぜ、僕は松田の死が正しいとわかるのか。僕に審神者の力があるとしたら、認識の齟齬も審神者の力のせいか? だが、コナンくんは松田の死を知らなかった)
安室はスマホを取り出し、コナンからのショートメールを呼び出す。
(コナンくんが送ってきた、審神者の匿名掲示板……ここに、まだ情報が? 審神者の力が安室さんにもあるはず、とコナンくんは言っていた。僕も匿名掲示板に書き込めるのか?)
ショートメールのURLを安室は押す。
問題の匿名掲示板が画面に表示された。
(奇妙だ。書き込み欄がない……僕には書き込めないのか。スマホを起動したとき、注意書きがいくつか出たとコナンくんは言っていたな……僕のスマホには注意書きが出ていない……やはりコナンくんは、未来で誰かが勝手に審神者の登録手続きをしたのか? 誰が?)
時間もないので、安室は内容にざっと目を通す。
松田渚の書き込みに注意して読み進める。
内容を知るたびに、安室は瞠目した。
(渚さんには、松田の姿が遺体に見えているのか……凄惨な姿だ。コナンくんが話していなかったのは、松田本人へショックを与えたくなかったからだろう……)
読み進めて行くと、安室は胸が詰まる思いだった。
安室の中で松田への同情が深まっていく。
(声が聞こえない、聞きたくない……顔が見えない……離婚するかも……松田、お前……渚さんが拉致されて必死に捜査しているのに……報われないな……)
松田渚の書き込みは、拉致された少し前の時刻で止まっていた。
安室の胃がジリジリと痛む。
口元に指を当てて、安室は物思いに沈んだ。
(正史と偽史を判別する力、死期逸脱者……松田は死期逸脱者か。本来、生きていてはいけない人間……なんて言い草だ)
(……冒頭部分の書き込みも奇妙だ。観覧車で警察官が一名殉職したと書き込んでいる者と、助かったと言っている者がいる……)
すぐさま、安室の脳裏に閃きが走る。
(あの理論を僕たちの現状に当てはめれば……だが、あの方程式は思考実験だ。現実に当てはめるのは………)
考えながら安室は車のドアを開けた。
杉下に相談するため、安室は車から降りる。
話すべき内容を整理しながら、安室は駐車場からマンションのエントランスへ向かった。