第9話 光
どうかあの人を救って。
だれかあの人を救って。
テレサと過ごすようになって、もう2年ほどもした頃だった。
その日は、乾燥気味な気候のイタリアにしては珍しく、ひどい雨だった。
しかし、XANXUSが目覚めたのは叩きつけんばかりの雨音のせいではなかった。
瞼を開けたそこには、明らかな殺意を持った瞳があった。
体の中を虫が蠢いているかのようだ。胸がざわつく。気持ち悪くて吐きそうだ。自分が自分ではない感覚。
正にそうなのだ。
全てを知った16歳の自分が、忘れるなと言わんばかりに、理由のない怒りを内側に灯すのだ。あの日に立ち止まったままの少年は、自分ではない誰かのようだった。
抑えられない激情は、その身体に古傷を浮かび上がらせる。
それは、冷めた頭の内側では、馬鹿らしい、子供じみたものだと感じていた。
時々にはこういう日があるのだ。
あの日の自分が亡霊のように付き纏い、あの時の感情が何処からともなく湧き上がる。
テレサと出会ってからは、なぜかそいつは黙っていたが、今になってまだ何か用があるらしい。
隣に眠るテレサをなるべく視界に入れないようにしながら、ベッドから出てソファに体を預ける。身体が鉛のように重い。だるくて、何もする気が起きないのに怒りだけは湧いて出る。
誰でもいい、殺してくるか。
いつもそうして気を紛らわしていた。
朝日が昇るまで殺し続ければ、嘘のように引いていくだろう。
しばらく放心していたが、やがていつものようにすべく腰を上げかけた時だった。
「XANXUS様…?」
姿を現したテレサに、XANXUSは眉をしかめる。先程だって手にかける可能性が十二分にあったが、辛うじて抑えたのだ。
「来るな」
低い声が広い部屋に響く。
獰猛な獣と対峙しているかのように、空気が張り詰める。
照明のかすかな明かりの中、テレサの目にXANXUSの顔に腕に刻まれる傷が映る。
「XANXUS様…!その傷は…?」
テレサが一歩踏み出したその瞬間。
ーーパンッ
銃声が響き、テレサの足すれすれの所に着弾する。
「耳が聞こえねえのか?来るんじゃねえ」
テレサははっきりと恐いと感じていた。
命令に背くことも出来ないと思った。
それでも、なぜかXANXUSに来いと呼ばれたような気がして、震える足を踏み出す。
「……それ以上近づいたらテメェを撃つ」
XANXUSはこの類の冗談は言わないので、本気なのだろう。
それでも、とテレサは思った。
「…………でも…」
テレサは戸惑いながらも、XANXUSの元へ歩みを進めた。
XANXUSはじろりとテレサを睨む。
XANXUSはもはや自分のものではなくなった理性の手綱を奪い取るように、歯をくいしばる。
それでも効かずに、その腕は意思に反してテレサに銃口を向ける。
テレサは微笑を浮かべたままXANXUSのそばまで歩き、やがてその銃口はテレサの腹に当たる。XANXUSは殺気の充満した目をぎらりと向ける。
テレサの両手がそっと銃を持つ手に触れた。その白い手は微かに震えていた。
そのまま、ごく自然な動作でXANXUSの胸板にぴったりと体を付けて、いつものように頬を寄せる。
そして、薄い笑みを浮かべて静かに言った。
「………私はいつでも……あなたの傍に、……」
XANXUSはわずかに目を見開く。
しかし、その油断した隙を憤怒は見逃さなかった。
手から炎が立ち上がり、テレサの手を飲み込んだ。
XANXUSは反射的に一つ舌打ちをする。が、次の瞬間には、その炎はまるで最初からなかったかのように消えていた。XANXUSの手を覆うテレサの両手は淡い桃色の炎に包まれていた。
テレサの慈愛の炎が、憤怒の炎を打ち消したのだった。
「………私は、…大丈夫です」
聖母のような笑みに、身体の緊張が解けたようで、その手から銃がごとりと落ちる。
スローモーションのように落ちていく銃を見ながら、頭の後ろの方でぼんやりと、こいつになら全て話してもいい、と思った。
「…………聞け。全て話す」
テレサは少し驚いたような顔をすると、小さく「はい」と呟いて隣に腰を下ろした。