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第8章 欠かせないもの






XANXUSがベッドに寝転んでただ眠りもせずにゴロゴロしていると、ふと、寝室から微かな物音が聞こえた。

テレサが目を覚ましたのかと、体を起こす。ちょうど暇を持て余していたところだ。暇潰しに様子を見に行くかと、小さなあくびをしながらソファから起き上がった。

扉の前にまで来ると、微かに苦しげに咳き込む音が聞こえた。ああ、テレサのあの持病が出たのか、とXANXUSは期待を裏切られたことを悟った。
そういえば以前はよく喘息の発作が出ていた。最近は無くなったのは何故なのだろう。良く分からないが、何か心因的な物も関係しているんだろう。

扉を開けると、テレサは一度転げ落ちたのか、地面に座り込み、ベッドに縋るように腕を乗せていた。

「けほっ……けほ、」

咳の合間に懸命に呼吸をする声が響く。下を向くと余計に苦しくなるくせに、本人は自覚が無いらしい。
XANXUSはテレサの肩と膝裏に腕を回し、姫抱きするように上を向かせた。懐かしい姿勢だ。喘息が多かった頃は、よくこうして楽になるように腕を貸したことがあったが、体はちゃんと覚えていたらしい。

テレサの腕を軽くさする。ろくに食べていないのか、腕は少し細くなってしまったようだ。出会ったころより、ようやく体重が増えて良い具合に体が柔らかくなってきていたのに、すっかり戻ってしまった。顔も青白くて、貧血と低血圧もありそうだ。咳き込むたびに、目尻にうっすらと涙が溜まった。

「…けほ、…はぁ……は…」

だんだんと呼吸が出来るようになってきた。少し落ち着くと、テレサはどこか焦るようにもぞとぞと動くと、XANXUSの腕から抜け出した。
そして、まだ少し乱れた呼吸を整えながら口を開く。

「っ…起こしてしまって…ごめんなさい」
「…別に、寝てねぇ」
「……あの……私がそちらで……、っけほ…」

収まり切らないうちに無理に動いたせいか、まだ少し咳き込むテレサに、XANXUSは半分呆れながら眉根を寄せた。

ただでさえ虚弱なテレサが体調が低迷しているときに、てきとうな寝床で眠っていたら悪化するに決まっている。そんな面倒を起こされては、周りの苦労が増えるだけだ。

「……てめえが寝るより100倍マシだ」

テレサは暗い顔で眼を伏せたまま、顔を上げることはなかった。
ひょい、とテレサを抱き上げ、ベッドに座らせる。

鈍臭く少しバランスを崩したが、XANXUSの腕が背中を支える前に、後ろに手をついて耐えた。まるで、XANXUSの手を拒むかのような、思い込みかもしれないが、そんな感じがした。

「……?」

そんなテレサの態度に少しの違和感。
そういえばずっと顔もあげずに俯いて、目を合わせないようにしているのか、もはや合わせたくないのか。
喘息が辛い時も早々に離れたがった気がする。

何か反抗期のようなものを感じて、XANXUSは試しにテレサの髪に手を伸ばす。

「………」

大人しく撫でられてはいるものの、やはり顔もあげずに、身じろぎひとつしない。
顔を隠すように下ろした髪を耳にかけて、顔を見る。頬を撫でながら少し上を向かせる。その時ーー

ーー……ふいっ

テレサが、顔を背けた。
頬を包むXANXUSの手を拒むかのように、顔を背けた。
あの内気なテレサが、信じられないことだが、顔を背けた。

テレサの目はどこか悲しげに垂れている。その態度とは裏腹に、今にも泣きそうな顔をしている。

XANXUSは内心衝撃を受けていたが、表には出さないで言葉を投げた。

「?……おい」

テレサはXANXUSに顔を背くように俯いたまま、何も言わない。

やはり様子がおかしいテレサに、XANXUSは疑問を感じた。

「……テレサ…?」

名前を呼んでも何も反応しない。
その肩に触れようか、髪を避けて顔を見ようか、XANXUSは珍しく少し迷っていた。

しかし、触れようと手を浮かせると、テレサの体が怯えるようにビクッと揺れた。まるで、触るなと言われているような気がして、手が止まる。

「…チッ………」

いくら病み上がりのテレサ相手とはいえ、XANXUSの短気な性格が突然変わるわけもなく…
何を考えているかわからないテレサの態度に、無意識に舌打ちが出た。

「てめえ………言いたいことがあるなら言いやがれ」

少し圧をかけると、さすがにテレサも慌てたのか、ちらりとXANXUSを見上げた。

テレサの両手が、ぎゅっとシーツを握って、ようやく小さく口を開いた。

「…………XANXUS様が……私のこと、嫌いって……言ったから………」

テレサは俯いて顔を背けたまま、小さな声でそう言った。
その声色が、いつもより少し低いような、何となくそんな気がして、XANXUSは悟った。

「(……?まさか…コイツ……怒ってるのか?)」

どちらかというと、拗ねているような。そんな態度だった。
とにかく、テレサが怒っているところなんて、一生見ることは無いと思っていた。実際、生まれて初めて怒りを感じるんだろうと断定できるほど、テレサ自身も戸惑っているような、そんな感じがした。なんというか、全く迫力も無いし、怒るのが下手だった。何より、怒っている本人が一番泣きそうな声だったから。
めんどくせぇガキじゃあるまいし、と言いかけて引っ込めた。

「……もう言わねえ」
「………酷いことも、しない……?」
「しねえ」
「………嘘もつかない……?」
「おい…言わねぇって言っただろうが」

短気なXANXUSは、押し問答は3回が限界らしい。若干イライラしながら強い口調で答える。

「…………ほんとうに……?」
「……ハァ」

どこか強情な態度に一瞬面倒になって頭を抱えそうになり、溜息を付いた。
さすがのテレサもXANXUSに呆れられたのに気づいたのか、ゆっくり顔を上げると、まだ少し疑うような上目遣いでXANXUSを見上げた。それがXANXUSにとっては睨まれているようにも見えた。

「…………約束して…くれますか……?」

テレサは怒っているのだ。
生まれて初めて怒るのも、やはりXANXUSだった。テレサの言う通りになっただけだ。テレサの初めては、全てXANXUSのものーー。当然、怒りを買うのもXANXUSの役割だったわけだ。

「……もう二度と、お前を傷付けないと誓う」

真っ直ぐ目を見てそう言うと、テレサの目が少し和らいで、瞳が濡れた。

「…………許せ、テレサ」

生まれて初めて、XANXUSの口から謝罪の言葉が落ちた。
まるでお互いの初めてを捧げ合うような。いや、最初からそうだった。テレサに抱く感情は、テレサに与える言動は、XANXUSにとって初めてのことばかりだった。

涙がこぼれそうなほど潤んだ瞳で、テレサは何も言わずにXANXUSを見詰めた。XANXUSからその言葉が出ることがどんなに稀有なことか、テレサも十二分に理解していた。

「…………はい」

長い問答の末、ようやく、ようやくテレサから触れる許可が降りたらしい。
XANXUSは一度退いた手を再びゆっくりと伸ばす。テレサはもう怯えることなく、XANXUSを見詰めたまま動かなかった。

テレサの髪に触れる。
一瞬、XANXUSの指先が震えた。それほどに、テレサに触れたかった。心を許したテレサに、触れたかった。

梳かすように耳にかけて、今度は頬を包む。肌に触れると、今度は少し、呼吸が震えた。テレサは微動だにせずに大人しく、人形のような顔でXANXUSを見詰めるだけだった。

そのまま肩を抱いて、唇を重ねた。
柔らかいテレサの唇に触れると、心が震えた。
こんなにも華奢で臆病なテレサを押さえつけて殴ったなんて、今になっては考えられない。

テレサはそっと目を閉じた。ただ重ねただけのキスなのに、酷く安心した。いつものように、背を支えて、体を密着させて、もっとーー

テレサの手が、遠慮がちにXANXUSのシャツを掴む。まるで、「もっと触れて」と言わんばかりに。

XANXUSは交わる角度を変えながら、テレサの腰を抱く。背に手を回して、その小さな体をベッドに沈ませた。
体と体を密着させながら、テレサの指を絡め取る。テレサの体は少しも抵抗しない。緊張して硬い様子もない。

毎日のように交わって刻み込まれたテレサの形が、再び戻ってきた。
もう二度と触れられないと思っていた。壊れたと、壊してしまったのだと思っていた。
怒りしか感じない、壊すことしかできない自身には、テレサはあまりにもか弱くて繊細で、もう二度と戻って来ないと思っていた。ボンゴレの地位のように、結局は手に入らないものだと。

でもテレサは、もう一度XANXUSを受け入れた。傷けられて裏切られても、全て赦して受け入れた。テレサの青い瞳は、大空さえも包み込む青い海のようだった。
仮に望んでいた物が全て手に入ったとして、邪魔者を消した世界で、ボンゴレの地位が手に入ったとして。そこにテレサがいなければ、意味など……ーー

そこまで考えて、XANXUSは驚愕に目を見開いた。静かに唇を離すと、テレサもうっすらと目を開く。宝石のような青い瞳がXANXUSを見詰める。

まさか自分の中でテレサの存在が、と言うより、"ボンゴレ以外の何か"が、ボンゴレ以上の物になるなんて、あり得ない。あり得ないのだ。あり得ないけれども、もし仮に、テレサを失うことでボンゴレが手に入ると囁く悪魔が現れたら、どちらを選ぶだろうか。即答できない事が、もはや結論のようなものだった。

「………テレサ」

宝物に触れるように、テレサの頬を包む。

「……XANXUS様……」

テレサは心地良さそうに眼を細めて、XANXUSの手に頬を寄せる。

夢じゃない。テレサの恋する瞳が、夢なわけがない。
もし悪魔が現れても、きっとテレサの瞳を見たら、何もかも捨てて、テレサを抱き締めてしまうんだろう。
女神じゃなく、とんだ悪魔だ。その魔性の瞳は、XANXUSの運命を狂わせた。

XANXUSはテレサをぎゅっと抱き締める。テレサの濡れたように冷たい体は丁度よくて、心地良い。テレサの香りが脳を占めると、猛烈な眠気が襲ってきた。ここ最近ずっと、まともに眠れなかったから当然かもしれない。妙な思考も、きっとそのせいだろう。いつもの自分じゃなかった。
そういうことにして、今は眠りたい。テレサを潰さないように横になると、しっかりと抱き締めたままXANXUSは眠りに落ちた。

「(…………暖かい)」

テレサの冷たい体をXANXUSの熱が包んでいく。二人の体温が混ざり合うと丁度良い温度になった。

「(………ひとりは……寂しい………)」

ずっと凍えるほど寒かった。心の氷さえ溶けてしまうようなXANXUSの温度に、テレサは心の底から安心して目を閉じた。




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