第8章 欠かせないもの
ぱちり、とテレサは目を開けた。
身体が重い…
頭が少し痛い。
何も考えたくない。
思い出したくない。
二度と目なんて覚めなければ良かった。このまま眠っていたい。
それでも忘れることのできない記憶は、脳を覚醒させた。
視界に入るその場所は、いつもの寝室ではなかった。
その部屋はXANXUSの自室とは打って変わってこぢんまりとしていて、かすかに空いたカーテンから昼の光が差し込んだ。
どこか暖かい気持ちになるような素朴な部屋だ。
「………ここ…は……?」
テレサは起き上がり、ベッドに座る。自分の服が最後の記憶とは別の物になっているのに気付いた。
そばのテーブルにはグラスとピッチャーと、その横にはいくつかの薬が置いてあった。
それは、見覚えのある物たちだった。そういえばいつもXANXUSの寝室にあった。具合が悪くなると、いつもリラが薬と水をそばに置いていてくれた。
そこで、テレサは途端にあの広い寝室で起こった出来事を思い出した。
「………そうだわ、私………」
脳に刻まれたその出来事を思い出す。意外にも悲しみは感じなかった。なんだか脳にモヤがかかったみたいで、心なしか音や匂いも膜一枚隔てられて存在しているかのように朧げに感じる。
起き上がると、お腹に鋭い痛みが走った。
「………いたっ…」
夢じゃないんだ。
下腹部に走る痛みがそう思わせた。
そんな時、カチャカチャと扉の向こうから音が聞こえた。
心臓が跳ねて、ドキドキと鳴らしながらドアを見詰めることしかできなかった。
そして、姿を見せたのは……
「……リラさん……」
「…!」
リラは慌ててドアを閉めて、内側から鍵をかけた。
「テレサ様!お目覚めになって……良かった…!」
リラは横に荷物を置くと、テレサに駆け寄った。そして、顛末を告げた。
ーー「1週間はこの部屋に誰も入るな」
給仕やメイド、隊員も。誰も入るなと告げて、XANXUSは城を出た。
テレサはあの部屋で野垂れ死ぬだろう。あとはメイドか、適当に後始末するだろう。XANXUSの女関係では珍しいことではない。
気が向いたら城に帰ろう。その頃にはテレサの痕跡など何も無くなっているだろう。
リラは、今朝のXANXUSの言葉や雰囲気から、なにかとてつもなく嫌な予感がした。
テレサが来てから、いつの間にか、心なしかXANXUSの雰囲気は柔和になった気がする。ヴァリアー内暴力は依然として変わらないとしても、ふとテレサに向ける一瞬の瞳や、テレサに触れるほんの寸前の手が、今までからは到底感じ取れない柔らかい何かが、確かにあったのだ。
それが、今朝目にしたXANXUSは、まるでテレサに出逢う前に戻ったような雰囲気だった。血の色が滲んだ赤い瞳の奥は非情に凍りつき、心の中は怒りに満ちている。
それに、テレサはどこに?
「(……まさか……まさか、まさか。)」
リラは嫌な汗が滲むのが分かった。
生きているのか?今から殺すつもりなのか?XANXUSの意図は分からないが、リラの勘がテレサの危機を告げていた。
「…………………やるしかない」
リラは自分のしたいことが、XANXUSの、主人の命令に反すると分かっていた。実際、恐怖で手は震えた。
それでもテレサの安否が気になる。そして深く呼吸をして、覚悟を決めた。
昼の静かな城で、部屋に侵入した。
XANXUSの自室は、物の配置なんかはいつも通りでも、なにか、どこか物悲しい雰囲気が漂っていた。
ただ寝室へと続く扉は開けっぱなしで、恐る恐るそちらへ向かった。
そしてベッドに、見慣れた白い体が横たわっているのを見つけた。
何かが起こっているのが直感的にわかった。ドキドキと震える心臓を抑えて、その体に近づいた。
「……テレサ様……?」
顔を覗き込むと、その頬に血の筋が付いているのに気づいた。よほど泣いたのだろうか、目は赤く腫れていた。その白い腕にはアザのように鬱血の跡があって、よほど強い力で掴まれたのだろうと想像できた。
薄い呼吸に胸が動くのを見て、かろうじて安心した。
「………酷い……」
でも、嫌な予感が的中した。今朝のXANXUSは、まるで昔に戻ったみたいに鋭い目付きをしていたから。
リラは冷たい体にシーツをかけると、湯を沸かして体を拭き、傷の手当てをした。
「(一体何が……?)」
昨日まで、いつもの2人だったのに。XANXUSの気まぐれなのか、飽きたから捨てたのか?自分には計り知れないことがあるのだろうと思った。なんでもいい、今はテレサに目を覚ましてほしい。
とにかく、場所を変えないと。
そう考えて、リラはある部屋を思い出した。メイドしか立ち入らないような物置小屋の隣。狭いけどベッドと机がある。何に使われていたのか知らないが、ここに来たばかりの頃はよく、月明かりを頼りに読み書きの勉強をしたものだ。やるしかないーー…
ーーそんなわけでこの小部屋に運び込んだわけだ。
ここ数日間、テレサは眠り続けていたが、ようやく待ち望んだ目覚めの時がやってきたのだ。
でも、目が覚めても、なんだかテレサの反応が薄い。数日間も寝たのだから、完全に頭が冴えるまで時間がかかるのかもしれない。そうだと良いけれど。
小さなシャワー室で髪や体を洗ってやっても、ぼんやりと時々目を瞑りながら感謝の言葉を小さく呟くだけで、半分眠っているような感じだ。
何があったかなんて、とても訊けるような状態ではなくて。最初から訊ねるつもりもないけれど…。
ここもいつまで居られるか分からないし。もういっそ、テレサと一緒に逃げようか…。成功したらそれが一番良いけれど、そんなこと出来るわけがないし。
先は思いやられるけれど、調子が戻るのを気長に待つことにして、いつもと変わらず服を着せて髪を乾かした。何を考えているのか分からない、ぼーっとした顔を盗み見ながら…