第8章 欠かせないもの
XANXUSは16歳の時、自分の血の真実を知った。それからティモッテオを討つ計画を持っていたXANXUSは、その一つとしてヴァリアーを掌握した。
初めて"彼"と会ったのは、その頃だった。
––––XANXUSは目を覚ますと、僅かな頭痛が頭の奥に吸い込まれるように消えていくのを感じた。
富裕層の街の、小綺麗な路地裏に座り込んでいた。確か昨夜は、雰囲気の良い酒場で一人て飲んでいたはずだ。その後は酒を片手にここに来て、建物の隙間から覗く月を見上げ、その後の記憶はない。今回は上手く酔い潰れることができたらしい。下手に酒に強いと酔うのも難儀というものだ。
外は昼になるところだった。夜が来るまでもう一眠りするか、と腰を深く落としたその時、視界の端に人の足が映った。
「!」
横を見ると、一人の女がしゃがんで、XANXUSの肩に手を置いていた。
気配はおろか、触れられていたことさえ気づかなかったとは、酔いとは恐ろしいものだ。
「……ああ、平気?だったら良いんだ。これ」
腿の横に置かれたのは、ペットボトルの水だった。
その手には一つの指輪が鈍く光った。真鍮製のそれは蔓のような形をしていた。
「(……男…?)」
女だと思ったそれは、男だった。
その声や手の大きさや骨ばった感じ、骨格もよく見れば女ではない。
しかし、肩下まで伸びた長髪はピンク色で、さらさらと風に波打っていた。
目の下まである前髪で目は遮られているが、口元には微笑みが浮かんでいた。
奇妙で、もの珍しい風貌の男に、XANXUSは言葉無くそれを見ていた。
「…どこか痛む?」
首を傾げながら覗き込む動作に合わせて髪が退ける。
花開くように露わになった、女のような綺麗な顔立ち。蔓のような形状の大きなピアスが両耳に揺れる。
少しの違和感もなく頬に添えられた手に、少し酔いが覚めた。
「触るな、カス!」
顔めがけて拳を飛ばした。
しかし、男は立ち上がりながらそれを避けた。素早いはずだがゆっくりにも見える、不思議な品のある動作だった。
「驚くなあ。突然…」
少し笑いを含んだ余裕綽々な声。
ささやくような発声の仕方は、聞いているだけでゾワゾワする。微笑んだ顔も頭に来る。その身体能力そっちのけで、そちらばかり考えていた。
とは言え、さすがのXANXUSも少し飲み過ぎたようだ。ここまで酔ったことも無かった。再発した頭痛が不愉快だった。
「うちに来る?訳あってホテルだけど」
男色の気があるのか?
やけに着飾っているし、髪も染めているのだろうし、何よりその中性的な顔立ちが怪しかった。
「待って、追われてるんだ。さすがに、この時間はいないと思うけど…」
男は呟きながら、路地裏から顔を出して辺りを見渡した。
妙な男だと思った。見てくれも浮世離れしているし、薬でもキメていて、誰かに追われる幻覚か何か見ているのかと憶測したが、それは違うだろうという直感があった。
この男の正体が気になるXANXUSは、酔いも手伝ってか、普段ならするはずもない質問をなげた。
「おい、カス。名前は」
「カスで結構だよ。君は?」
「………なぜ名前を隠す」
「追われているからさ」
「……誰にだ」
「悪い人」
男はそう、目を細めて笑った。
もちろんこの男ーーテレサの父はXANXUSを知っていた。
最近はマフィア界に疎いので暗殺部隊のボスになったことは知らなかったが。
「君はいくつになったの?」
子供の自己紹介じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい。XANXUSは急速に興味が失せ、さっさと立ち上がって背を向けた。
「ああ、待って。良いお酒があるんだ。一人じゃ寂しいし、一緒にどう?」
「次話しかけたら殺す」
「ロマネ・コンティ」
「……ほざくな」
「本当。そこの酒場、隠し持ってるんだ。でも僕のこと気に入ってくれてさ、破格で譲ってもらったの」
「…偽物だったら殺す」
「そういうことで」
男はさらりと笑って、XANXUSの手を軽く引いて歩き出した。XANXUSは鳥肌が立って、すぐに振り払った。
部屋に着くと、男はさっそく酒の準備を始めた。
髪を一つに縛って、グラスと酒をテーブルに置くと、自分のグラスに注いだ。 XANXUSのグラスにも注ぐと、目を合わせて微笑んで、一口煽った。
綺麗な動作だ。つい目で追ってしまう、ゆったりとした優美な仕草。あの店主が気にいるのも無理はない。
酒が喉を通る。柔らかくも力強い透き通った味は本物に違いなかった。
「……引き止めてごめん。でも、君を見てたら娘を思い出した。それに指輪が……少し君が気になるみたいで」
そこそこ気分が良かったXANXUSも、娘という単語に少し眉を顰めた。
つまり、男は親だ。偽善と裏切りに満ちた、父親だ。
「……同年代なんだ。あ、写真見る?僕の奥さんそっくりの美人な、」
「黙れ」
グラスが割れる勢いで酒をテーブルに置いて、睨みつける。
男は何が気に障ったのか分からず、小首を傾げた。
「…何かあった?」
「るせえ!!」
XANXUSは机を蹴り飛ばすと、男は少し驚いて表情を崩したが、すぐに冷静な真顔になった。
目の前の男が、父親という生き物だというだけで、こんなにも頭に血が昇るものだ。
「………誘ってごめん。忘れようか、お互い」
男は引き際は弁えているらしく、静かに立ち上がると、XANXUSの横を早足に過ぎ去った。そして部屋を出ると、男の足音は遠くなっていった。
「……………可哀想な子」
男は伏し目がちに小さく呟き、夜の街に立ち尽くしていた。
偶然にも、XANXUSは数日後その男の正体を知ることとなった。"カリタファミリーという、その昔ボンゴレと確執のあった弱小ファミリーの生き残り"と、ある殺し屋から聞いたのだ。
"殺し屋から"––––そう、彼は暗殺対象だった。理由は覚えていない。興味がなかった。
ただ、あの奇妙な一夜の、偶然のわだかまりが頭をよぎる。そして、その仕事を引き受けた。
男を捕まえるのは簡単で、初めて会ったあの路地裏に座り込んでもいると、あっさりと再会できた。
少し気まずそうな、伺うような目で見てきたが、XANXUSに敵意が無いということが分かると、微笑んで話しかけた。
「……よかった。君にはまた会いたかった」
「………」
これから殺されるとも知らず、おめでたいことだ。決してその心中は漏らさずに、無言を貫いた。
男は疑うこともなく近づく。
XANXUSの肩に手を置くと、心底嬉しそうに微笑んだ。
「なぜかな、指輪が…君を探しているみたいで」
どこか焦ったような声。男も死期を察しているのか、本当に何かに追われているのか。
「……もしかして、君はテレサを知っている?会ったことが、ある?」
聞き覚えの無い名前。興味も無い。どうでもいい、今は目の前の男を消すこと以外はどうでもいい。
「………さぁな」
静かに、一切の殺意も悟られないうちに、流れるような仕草で男の胸に銃を突きつける。
数秒の間のあとに、男はようやくXANXUSの意図に気付いたのか、わずかに目を見開いた。
「……待ってくれないか。最後に、娘の写真を見ても、」
「知るか、カスが」
XANXUSはトリガーを少し引いた。
男は寂しげに目を細めて、祈るように何か3文字だけ呟いて、死を受け入れた。
––––パンッ
心臓を撃ち抜かれた男は、ゆっくりと横に倒れた。
コートのポケットから落ちたパスポートを見ると、彼は34歳だった。たしかに娘がいてもおかしくない歳だ。
そして、3枚の写真が挟まっていた。
1つは、桃色の髪の少女が窓枠に腰掛けて笑っている写真だった。4、5歳に見えるが、男と同じ髪色ということは娘と見ていいだろう。柔らかな太陽の光に包まれ、なんとも輝かしい笑顔だ。
2枚目は、恐ろしく美しい女だった。ベッドの上で高く積んだ枕に背を預け、輝く金髪を無造作に、しかし品がある風に一つに束ね、化粧もしていないところを見ると、病床だろうか。殺し屋の言っていた妻に違いない。その慈悲深い微笑みの前では、怒りさえ忘れてしまうような気がして、地面に振り落とした。
3枚目に現れたのは、長い桃色の髪の女だった。広い廊下の大きな窓の前に佇み、胸の下で手を握る仕草が酷く不安げだ。1枚目の少女と同じ場所に思えるが、遠くから隠し撮ったかのようなアングルで、時は夜だった。月明かりが女を照らし、長い髪の隙間から覗く目は今にも泣き出しそうで、どこか遠くを見詰めていた。喪服のように真っ黒な服に包まれた体は闇に溶け全貌はわからないが、流れるように美しい姿勢のせいか、妙に高い品格があった。
誰だ?
右端には『Io la rivoglio,Teresa』の文字。Teresaはこの女の名前だろうか。"取り戻したい、テレサ"か。なかなか笑わせるではないか。
裏の日付を見ると、幼い少女の写真と妙な女の写真との間には、8年の月日が流れていた。そして、少女の写真の裏には『Il mio Teresa』とある。
"私のテレサ"?
この少女とこの女が、どちらもテレサ?確かに女は十代前半に違いないだろうし、少女の成長した姿というのも納得できる。しかし、少女の無邪気で朗らかな笑顔とはどうしても繋がらない。
8年––––まあ、その間に何かが起こったのだろう。
「(…どうでもいい)」
職業病か推察しようとしてしまったが、これ以上時間を取られるのは無駄以外の何物でもない。XANXUSは写真とパスポートを男の胸に押し付けると、手に炎を灯し、死体ごと消した。
かたん、と音が鳴って、男の指輪だけがチリにならずに地面に落ちた。これも、そのうち人々に踏み付けられて、ゴミのように忘れ去られるだろう。
XANXUSはその場を一歩離れると、もう男のことは記憶から消し去っていた。