第7話 与え与えられる関係
テレサは、よく体調を崩す。
どこぞから風邪をもらってくることもあれは、前日に少し体を冷やしたとか歩き回って疲れたとかで、すぐ熱を出したり頭が痛くなったりする。
体重が軽いのだから、体の免疫機能が下がるのも当然だ。だから、XANXUSはテレサが不調でも放置していた。増量させているし、連れ回していれば体力もついてくるだろうし、そのうちマシになるだろうと思っていた。
その日の夜も、テレサは熱っぽいとろんとした目で、時々困ったように眉尻を下げていた。
またか、と気にはしなかった。だが熱が出たら脱水が面倒なので、一応水を飲ませて眠りについた。夜の方は使い物にならないだろうと見逃してやった。
次の日の朝、XANXUSは目が覚めると、腕の中の体がわずかに震えているのがわかった。
寒気がするのか、テレサはいつもより心なしかXANXUSに体を寄せていた。俺で暖を取ろうということか、図太くなったもんだと感心したが。
その体を引っぺがして起きようと二の腕を掴む。しかし、ゆうに指が回る細い腕に、ふと頭によぎるーー少しでも力加減を誤ったらぽきりと折れそうな細い手足。ひどく儚げな白い肌に華奢な後姿。時々不安げに揺れる瞳。本当に時々見せる柔和な笑みには、死の影さえ見える時がある。
美人薄命とはよく言ったもので、この美しさは命と引き換えで、その美しさが枯れないうちに逝くのではないかと考えてしまうのだ。聞けば、美しかった母もテレサを生んですぐに死んだらしいではないか。まさに、命を与えるかのように。
「(……軟弱が)」
そう思いながら、額に手を触れる。いつもより少し温度が高いし、脈拍も平常時より速く、やはりこれから高熱が出そうだ。
熱にうなされているだけで、それほど具合が悪そうにも見えない。放っておけば治るだろう。
そう結論づけると、XANXUSは体を起こしベッドから出て浴室に向かおうとした。したのだが…
「……けほっ」
後ろから聞こえる小さな咳の音に足を止める。振り返ると、うつ伏せになって枕に沈んでいるテレサが見えた。
あの姿勢は、本当に肺が辛くて、少しでも呼吸を楽にしようとする時に、よくするのだ。
「………」
部屋を出ようという時に、もはやタイミングを狙って調子を崩すのか?と疑いたくなる。少しイライラしながら、テレサの元へ引き返した。
「………ん…」
しかし、テレサはあっさりと起き上がると、眠そうに目を何度か瞬いた。
「(………ただ起き上がっただけか…?)」
特段辛そうな様子もなく、何事も無くベッドから抜け出そうする。そののんびりとした仕草に、さらに苛立ちが積もる。
「(紛らわしい咳しやがって…!)」
XANXUSは少し恨みを込めて無言のまま額に手を当て、軽く押す。テレサはよろめき、後ろに手をついた。
「寝てろ」
それだけ言って踵を返す。後に続く足音もなく、振り返ることなく寝室を出た。
仕事が終わり部屋に戻ると、メイドからテレサのことについて報告を受けた。
どうやら10時ごろに掃除をしようと部屋に入ったところ、テレサが寝ているのを見つけ、高熱があったので医者に処置させたとのことだった。結局、風邪だったらしい。薬を投与したので問題は無いとのことだった。
XANXUSは酒を用意させると、一人で飲み始める。テレサが来てからは付き合わせていたから、メイドに注がせるのも落ち着かず、部屋には一人であった。
そこで、ふと。
「(……部屋に給仕はいやがるのか?)」
いつもならいない存在が部屋にいるのなら把握しておきたい、とXANXUSは席を立つ。
大きな寝室の扉を開け、これまた大きな部屋にぐるっと視線を漂わす。
テレサだけのようである。天蓋から垂れる薄いカーテン越しに、ベッドに横たわる小さな体が見える。
その横にピッチャーとグラスと、水を張った洗面ボウルに布が一枚浸かっていて、その横には着替えが畳んで置いてあった。それだけ確認すると部屋に立ち入ることなく扉を閉め、リビングへの廊下を折り返す。
「(……あの服はなんだ?)」
胸の下までシーツを被ったテレサの服がちらっと見えたが、今朝と同じだった。おそらく、メイドに着替えるように換えの服を渡され、そのままということだろう。ひとしきり眠って寝汗もかいただろうし、そろそろ冷えてくる頃だ。
長引かせたいのか?と呆れながら体を翻し、再び部屋の扉を開いた。
テレサの横に立ってみると、熟睡しているのか起きる様子はない。寝苦しそうな様子はなく、薬が効いているのだと思われた。
たかが風邪で薬がいるか?とイラッとしたので、手荒にシーツを剥ぐ。シーツの上で組まれていたテレサの手が解けるが、起きる様子はない。
よくこれだけ寝れるもんだと思いながらネグリジェのワンピースの肩紐をほどく。テレサのためにデザインさせたヴィンテージのネグリジェは、真っ白なシルクをベースに、裾に向けてグラデーションになるようにホワイトピンクに染色されており、清らかな少女のようでも、神殿の女神のようでもあった。脱がせやすさも考慮させたので、肩紐と腰紐をほどき足を通すだけだった。そしてボウルの中の濡れた布を片手でてきとうに水を切り、体を雑に拭いてやる。
そこで、テレサの意識は浮上した。
テレサは夢見心地で、誰だろう、と考えていた。手を止めて欲しくなくて、目を瞑ったままだった。ひんやりした綿の布が腕や背中を撫でていく。その優しい手つきになんだか父を思い出し、つい涙が滲んだ。
––––あなたの愛がなければ、私は生きてはいられなかった。
目を開ける気にはならず、ただ微かに記憶に残る"愛する者に触れる手つき"を堪能していた。やがてそれが止むと、すぐに目を開けた。
「…………お父様……?」
眉間に皺を寄せたXANXUSと目が合う。
自分の口から今なんと出ただろうか、と考え血の気が引いていく。
「あっ…ご、ごめんなさい……」
「………」
口を手で押さえ青くなるテレサに、起きたなら世話してやることもない、と掴んだナイトドレスを放す。
XANXUSの横顔に部屋を出ようとする気配を感じて、テレサももう一度目を瞑る。まだ眠かったし、今なら先ほどの心地いい感覚を夢に見れる気がした。
XANXUSは扉を閉めると、再び部屋の方に一歩踏み出した。が。
「(……あいつは目を瞑ったな)」
素っ裸のまま眠るつもりか、と振り返ってまた扉を開く。案の定、シーツも被らず下着のまま眠ろうとするテレサの姿があった。
もう眠りかけなのか、XANXUSが隣に来るまで目を開かなかった。
「服を着ろ」
「あっ……は、はい」
初めて裸でいることに気がついたのか、慌てて起き上がると、足元にあるXANXUSの脱がしたネグリジェを取ろうと手を伸ばす。
「それじゃねえ」
XANXUSはナイトドレスを掴むと、テレサの膝に投げつけた。
「す、すみません…」
後ろ前を確認してのろのろと着替え出すテレサに、今度こそ部屋に戻ろうと思ったが、そこでピッチャーの水が全く減っておらず、グラスも使った形跡がないことに気づく。
「(……干からびて死にてえのか?)」
脱水を舐めてるんじゃないかと、散々訓練してきたXANXUSは思った。最も、その過程で死人が出るほどの過酷なものではあるが。
「飲め」
「は、はい……」
圧をかけて無言で立っていると、緊張するためか紐が上手く結べないらしい。あまりの鈍臭さにイラつき、奥歯がギリッと鳴った。しかし、先の様子では後で飲めばいいと考えまた眠る可能性があると判断し、飲むまで待つことにしたのだった。
ようやく着終わると、ピッチャーに手を伸ばし、グラスに注ぐ。1リットルの水が入ったピッチャーがそんなに重いのか、腕は少し震えていた。どこまで注げばいいのかとでも聞きたそうな目で見上げると、半分も満たないところでピッチャーを置く。まるでXANXUSのために飲むかのような態度に少し腹が立ったが、グラスに口をつけ、何度か喉が動くのを見届けて、部屋を出ようと歩き出す。
「あっ……」
控えめなテレサの声に、立ち止まる。
振り向くと、テレサ自身、呼び止めるつもりはなかったというような顔で口を塞いだ。
「なんだ」
「あの……いえ、な、なんでも……」
まさか、父の面影を思い出し、そばにいて欲しいと思ったなど言えるわけがない。
XANXUSは、その瞳が寂しげに揺れるのを見て、先の父を呼ぶ声を思い出し、そういうことかと分かってしまったのだが。
馬鹿馬鹿しい、と背を向けて歩き出す。
去り際に視界の端に見えたテレサの手は、遠慮がちにXANXUSの方に伸ばされていた。寂し気に揺れる瞳は、涙が滲んで少し輝いた。
「(……そもそも、あの量で飲んだと言えるか!)」
大きな舌打ちを一つして、テレサの方を振り返る。自分の行動が一番馬鹿馬鹿しく感じた。どこか安心したような顔をするテレサに苛立ちを感じた。
「てめえは脳がねえのか?その量で足りるか」
「す、すみません」
さらに半分注ぎ、こくこくと飲んでいく。その様子を見る限り、テレサ自身喉が渇いていたのだと思われた。寝るのに夢中で、本人も気づいていなかったのだろう。
XANXUSはそれが分かると、今度こそ呆れかえって、なんだかどっと疲れてしまった。
もういい、と諦めると、グラスを置いたテレサの肩を抱いて寝転ぶ。
腕に閉じ込めたテレサは、いつものように緊張することがなかった。それを珍しく思い顔を覗き込むと、テレサは至極穏やかに微笑んでいた。しかし、それはまるで子供の笑みであった。いつもより口角を上げ、嬉しそうに目元を細めている。
「……寝ろ」
「はい」
テレサが目を閉じるのを見て、XANXUSも目を閉じた。眠るつもりはなかったが、テレサが寝るまで付き合うつもりだった。
テレサは、XANXUSの腕の中でこの上なく優しいきもちに包まれていた。
15年間前に消えた父は、本当にやさしい人だった。
はっきりとは分からないけれど、きっと誰かに殺されたんだと思う。遺体も無くて、亡くなったのであろう場所には、形見の指輪だけが残されただけだった。
指輪は炎で燃やされたかのように黒い煤が付いていたけど、父の遺体も無いからどうやって亡くなったのかも分からない。
なぜ殺されてしまったのかはわからないが、殺される危険をおかしてまで救いたかった人がいたのだろうとテレサは思っていた。
この炎を使う時、それが見つかってしまえば排除の対象になるということは再三言われてきたことだった。それほどの歴史と力を持った炎だと。
父は常に、自分を好きになれないテレサに愛を与えてくれた。それでも自分を叱る心の声はなくならず、父への罪悪感は今でも抱えたままだった。
––––もっと素直に泣けばよかった。涙をこらえる私の態度が、どれほどあの人を苦しめたことか。あんなにやさしい、あの人を。
「(……最期まで、こんな私でごめんなさい)」
姿を消す前の日に、二人で寝床に入って、抱きしめて眠ってくれた。父はその時点で別れを告げていたのだろう。
10歳にもならない頃の記憶だけど、よく覚えている。懐かしい、愛を与える手つき。
「(ありがとうございました)」
止めどなく流れる涙に、肩が震えた。
XANXUSはその肩を強く抱き寄せ、頭をぞんざいに撫でた。
「(……私はこれを知ってる)」
ーー愛する者に触れる、やさしい手つき…