第6話 昔のはなし
「(どこにいやがる……)」
XANXUSは部屋に帰ると、メイドからテレサがいないとの報告を受けた。
まさかテレサが逃げようなどと考えるとは思えないが。そもそもそんなこと、あの足では不可能だ。そのうち戻ってくるだろうとさして気にせず、ベッドに横になった。
しかし、30分もしないうちに目が覚めた。いつもの匂いや柔らかさや体温や呼吸音が、つまりテレサが足りなかった。
XANXUSは真っ先に中庭のあの場所に向かった。外に出ると、まだ空は青いが、一番星が輝いていた。
案の定、すぐにテレサを見つけた。
壁に背を預けて死体のように動かないテレサの顔を覗き込む。目を瞑って、一定のリズムで呼吸しているところを見ると、眠っているようだ。今にも泣き出しそうな顔で。
肩を強く揺すって、密かに苛立ちをぶつけなから声をかけた。
「おい……起きろ」
「……?」
切なげに目が開かれる。
目が合うと、テレサは目を見開いて、しっかりとXANXUSの腕に手を乗せ、瞳を覗き込んだ。
ーー……あの時の、色……
夢の続きを、そこに見た。
だから泣いてしまったの。
また、その瞳に出会えたから。
心を奪われたあの瞬間が、もう一度訪れたから。
なにをしていたの。
忘れてしまっていたの。
また私を追って来てくれたの。
聞きたいことはたくさんあるのに、その瞳を見つめるのに精一杯で声が出てこない。それなのに、涙だけは出てくる。
「おい、」
「あの時は、ありがとうございました」
XANXUSはテレサと出会ってから一番の驚きを感じた。
泣いて許しを乞うつもりかと問い質そうと思ったのだが、テレサが自分の言葉を遮って発言する日が来るなんて、考える必要など無かったほど、あり得ないことだった。
「ハンカチ……、返せなくてごめんなさい」
いつもの砂が落ちるようなか細い声ではなく、おっとりと淑やかで耳に心地よく、どこか嬉しそうで可愛らしい、一文字一文字が生きた、生きた声だった。いや、それが本当の声なのかもしれない。
「あなたは今でも……」
瞬き一つの間に涙が四つもこぼれる。
それでも幸せそうに笑っていた。
震える腕がXANXUSの方へと伸ばされる。
「私の…光……」
きゅっ、と少しの力で、XANXUSの腕を握る。目を薄く開いて涙を流しながら幸せそうな笑顔を浮かべ、しっかりとXANXUSの目を見つめていた。
その涙に、XANXUSは過去の幻影を見た。
名前なんてそもそも知らない。顔なんて忘れ去った。それでも、ひとつだけ覚えている。
あの、瞳に閉じ込められた海から流れる美しい雫を。
「(………お前は……あの時の……)」
XANXUSは唖然としながらも、テレサの頬に手を添えた。
するとテレサは、少女のような軽やかな声で言う。
「……あの時、私に手を伸ばしてくれたのは、どうして…ですか……?」
––––ああ、そうだ。俺も覚えている。
少し期待するようなテレサの瞳。
XANXUSは指先でそっとテレサの涙を拭った。テレサは微笑みながらその手に頬をすり寄せた。
「…………ふふっ、……嬉しい」
ころころと可愛らしい笑い声。心の底から幸せそうに微笑む。
いかにもテレサらしい素直な言葉に、思わずXANXUSも小さく笑いが漏れた。
「満足したか?」
「……はい。……幸せです…」
テレサの隣に座って、軽く腕を引く。テレサはXANXUSの肩に頭を寄せて、目を瞑った。
そして言葉は姿を消し、穏やかな二つの呼吸だけが二人の言語と成った。
やがて月が沈もうと傾き始めた頃、テレサは泣き疲れて、そっと眠りについた。
その長い夜も明けると、XANXUSはテレサを抱きかかえ、部屋に戻った。そして、ベッドにその身体を横たえ、日が昇るまで眠りについた。
XANXUSは部屋に帰ると、メイドからテレサがいないとの報告を受けた。
まさかテレサが逃げようなどと考えるとは思えないが。そもそもそんなこと、あの足では不可能だ。そのうち戻ってくるだろうとさして気にせず、ベッドに横になった。
しかし、30分もしないうちに目が覚めた。いつもの匂いや柔らかさや体温や呼吸音が、つまりテレサが足りなかった。
XANXUSは真っ先に中庭のあの場所に向かった。外に出ると、まだ空は青いが、一番星が輝いていた。
案の定、すぐにテレサを見つけた。
壁に背を預けて死体のように動かないテレサの顔を覗き込む。目を瞑って、一定のリズムで呼吸しているところを見ると、眠っているようだ。今にも泣き出しそうな顔で。
肩を強く揺すって、密かに苛立ちをぶつけなから声をかけた。
「おい……起きろ」
「……?」
切なげに目が開かれる。
目が合うと、テレサは目を見開いて、しっかりとXANXUSの腕に手を乗せ、瞳を覗き込んだ。
ーー……あの時の、色……
夢の続きを、そこに見た。
だから泣いてしまったの。
また、その瞳に出会えたから。
心を奪われたあの瞬間が、もう一度訪れたから。
なにをしていたの。
忘れてしまっていたの。
また私を追って来てくれたの。
聞きたいことはたくさんあるのに、その瞳を見つめるのに精一杯で声が出てこない。それなのに、涙だけは出てくる。
「おい、」
「あの時は、ありがとうございました」
XANXUSはテレサと出会ってから一番の驚きを感じた。
泣いて許しを乞うつもりかと問い質そうと思ったのだが、テレサが自分の言葉を遮って発言する日が来るなんて、考える必要など無かったほど、あり得ないことだった。
「ハンカチ……、返せなくてごめんなさい」
いつもの砂が落ちるようなか細い声ではなく、おっとりと淑やかで耳に心地よく、どこか嬉しそうで可愛らしい、一文字一文字が生きた、生きた声だった。いや、それが本当の声なのかもしれない。
「あなたは今でも……」
瞬き一つの間に涙が四つもこぼれる。
それでも幸せそうに笑っていた。
震える腕がXANXUSの方へと伸ばされる。
「私の…光……」
きゅっ、と少しの力で、XANXUSの腕を握る。目を薄く開いて涙を流しながら幸せそうな笑顔を浮かべ、しっかりとXANXUSの目を見つめていた。
その涙に、XANXUSは過去の幻影を見た。
名前なんてそもそも知らない。顔なんて忘れ去った。それでも、ひとつだけ覚えている。
あの、瞳に閉じ込められた海から流れる美しい雫を。
「(………お前は……あの時の……)」
XANXUSは唖然としながらも、テレサの頬に手を添えた。
するとテレサは、少女のような軽やかな声で言う。
「……あの時、私に手を伸ばしてくれたのは、どうして…ですか……?」
––––ああ、そうだ。俺も覚えている。
少し期待するようなテレサの瞳。
XANXUSは指先でそっとテレサの涙を拭った。テレサは微笑みながらその手に頬をすり寄せた。
「…………ふふっ、……嬉しい」
ころころと可愛らしい笑い声。心の底から幸せそうに微笑む。
いかにもテレサらしい素直な言葉に、思わずXANXUSも小さく笑いが漏れた。
「満足したか?」
「……はい。……幸せです…」
テレサの隣に座って、軽く腕を引く。テレサはXANXUSの肩に頭を寄せて、目を瞑った。
そして言葉は姿を消し、穏やかな二つの呼吸だけが二人の言語と成った。
やがて月が沈もうと傾き始めた頃、テレサは泣き疲れて、そっと眠りについた。
その長い夜も明けると、XANXUSはテレサを抱きかかえ、部屋に戻った。そして、ベッドにその身体を横たえ、日が昇るまで眠りについた。