第3話 日常に溶け込んで
ーーギィ…
「!」
重い扉の開く音。
男は驚いて扉の方を振り向く。
そこに現れたのは、やはり恐れていたXANXUSだった。
「な……なんで…」
「なぜここが分かったか?テメェの思考なんざ見え透いてんだよ」
余裕ある緩い足取りで近づく。まるで死刑宣告を告げるかのように。
「……手前の妄想を押し付けることしか考えてねぇ…」
この部屋を選ぶはずだ。
引き摺って連れて来られて、テレサがどれだけ怯えているかなんて、何も考えずに。
「……押し付ける…?テレサは拒んでない!こんなに従順に、僕を受け入れて……そうだ、お前は自分が受け入れられないから嫉妬しているんだろ?」
男の狂言に、XANXUSは思わず口角が上がった。
「ハッ…テメェには分からねえか…その女がどれだけ内心で文句を垂れてるか」
「!!」
男は悔しさに、つい手に力がこもる。テレサの細い腕がその力に耐えられずに、少し軋んだ。
「っいた……」
ぽろりと涙がひとつ溢れて、テレサの縋るような目がXANXUSに向く。言葉がなくとも、何を伝えたいか分かり切っている。XANXUSはそんなテレサに答えるように小さくため息をついた。
XANXUSの赤い目が男を捉える。それだけで、心臓が凍ったかのように感じた。恐怖で体の力が抜けて、テレサの腕が解放されてぱたりと落ちた。
XANXUSは男の胸ぐらを掴むと、目で威圧したまま小さく呟いた。
「……コイツは人形じゃねえよ」
「…!」
テレサはその言葉に、涙が滲んだ。
そのまま男を床に引き摺り下ろすと、鈍い音がして男は地面に打ち付けられた。
「…雑魚が。今すぐ消えろ。二度とテレサに近付かなければ……見逃してやる」
この男の立場とボンゴレの関係を考えれば、あくまで今回のことは無かったことにしたほうが良いだろう。
特に、テレサの血筋のことを考えると。ボンゴレの人間であるXANXUSが、過去に確執のあったファミリーの血族のテレサ絡みで、ボンゴレの同盟の次席を消したとなると。
男は何も言わずに、いや言えずにか、早足でその場を去った。辛うじて懸命な態度と言えるだろう。
XANXUSはその背を鼻で笑って、テレサの方を向いた。
「……いつまで寝転んでる」
「あっ……ごめんなさい」
テレサは慌てて半身を起こす。その声が震えていて、俯いて隠した顔は間違いなく泣き出しそうなんだろうと思い、XANXUSは軽い力で顎を掴んで上を向かせた。
「……っ…」
小さく息を詰まらせたテレサは、案の定泣いていた。何を泣いてる、なんて聞かなくても分かり切っているか。
少なくとも、テレサが演技で弱々しく振る舞っているわけではないということは流石にもう分かった。襲われても反抗一つしないとは、XANXUSにとっては少しも理解が出来ないが、それがテレサの本性らしい。
「…テメェも黙ってないで殴るか蹴るかくらいしやがれ」
ぽろぽろと涙を流すテレサの手を引っ張って、早く来いと促す。
「あっ……」
しかし、地に着いたテレサの脚は力が入らず、べちゃっと地面に座り込んだ。
「?……なにしてる」
「っごめんなさい……立てなくて…」
「…は…?」
テレサが泣きながら俯くのを見て、XANXUSは察した。
恐怖で腰が抜けたのだろう。XANXUSは殴る蹴るどころじゃなかったわけかと、頭を抱えそうになった。
「お前に期待したのが間違いか」
「……ごめんなさい…」
申し訳なさそうに俯くテレサはいかにも弱々しくて、ある種の嗜虐的な性癖を煽るだろうと思わせた。ただ美しいモノを支配して好き放題したいだけの器の小さい男にとってテレサの存在は堪らないだろうが、不幸中の幸いか、XANXUSはそんな低俗な嗜癖は持ち合わせてはないない。
痛い目に遭ってもテレサは何も学習していないと、ため息をひとつ漏らしつつ、テレサの膝に腕を通して、抱き上げる。
「っきゃ……」
咄嗟に、XANXUSの肩に手を掛ける。
「っ………あの…XANXUS様……」
「あ?」
「………来てくれて、ありがとうございます…」
かあ、と頬を染めて、XANXUSを見上げる。
だって、誰かが助けてくれるのは、いつぶりかわからないほどだったから、本当に嬉しくて。名前を呼んだら来てくれるなんて、夢みたいで。
ずっと小さい頃に、忘れられない人はいるけれど、きっともう二度と、名前も知らないその人には会えないから。
「………」
XANXUSは何か不意を突かれたような気持ちで、テレサを見詰めた。
珍しく、いや、初めてかもしれない。テレサは嬉しそうに微笑んでいた。こんな顔も出来たのか、とぼんやり思いながら。
改めて近くで見ると、やはり容姿だけは抜きん出ている。そんな女を1人で放っておいたのも、今回の結果を招いたのか。最近ずっと側に置いていたから感覚が麻痺していたのかもしれない。
ーーいや、最初にかっ拐ったのは俺か。
誘拐されかけたとして、一番派手に拐っているのは自分に違いない。男の強引さを責めたりもしたが、一番手荒に強引に扱っているのは間違いなく自分の方だ。
そういえば、とXANXUSは思い出した。誘拐しておいて、まだ手を出していないのだった。
まあいい。別に欲を満たすだけなら他に女がいるし、コイツは抱き心地が良いからそばに置いているだけだ。飽きるまでの話だ、と結論付けると、XANXUSは眠る時にするように、無意識にテレサの肩を抱き寄せた。
「………」
テレサは少し近くなった距離に顔を赤く染めた。
「(……もう少し、近くにいても良いかしら………)」
すり、とXANXUSの首元にテレサの額が寄る。心の中では、あまりに思い切った事をしてしまったかも、と思いながらも、ふっと体の力が抜けて安堵で満たされた。
「…!」
つい歩みを止めた。テレサが自分から近寄ってきたのは初めてだった。それに、体の緊張が解けて、完全に身を委ねているのを感じた。
テレサのその僅かな動きで、何処からともなく香る桃のような芳香が広がった。目線だけを下に移してテレサの顔を見ると、顔を赤くして俯いていた。
「(………流石に甘やかし過ぎたか)」
式場なのもあって、昼の光がステンドグラスに散乱されて、テレサを包むように照らした。
いつもより鮮明に見えるテレサの表情は、どこか嬉しそうで、満たされているような気がした。もともと暗い顔しか見たことがなかったからか、物珍しさにXANXUSはぼんやりと眺めていた。
その視線に気付いたのか、テレサはふと顔を上げる。
ふっくらとした桃色の唇が目に入ると、吸い寄せられるように唇を寄せてしまった。
ーー数秒間、ただ重ねるだけのキス。
そういえば、テレサが起きている時にキスをするのは初めてかもしれない。
柔らかい感触がクセになって、時々啄むことはあっても、テレサがあまりにも眠ってばかりだから、本人はそんなこと知る由もないだろう。
テレサのことだから、どうせ誰かとキスを交わすのも初めてだろう。奇遇なことに、いや少し嫌味を感じなくもないが、こんな真昼間の式場のど真ん中で、ファーストキスか。
こんなことでは、この遠慮を知らない鈍感な女が、さらに贅沢になってしまうか、とXANXUSは考えながら、静かに唇を離した。
テレサは呆然とした顔でXANXUSを見上げたまま固まっていた。何が起こったのか分かっていないのか、それか思考がショートしてしまったのか。
「(……は……初めて、……の…)」
ーーぽろっ
感情が心いっぱいに溢れて、何も言葉が浮かばなくなると、つい涙が零れた。
「は……?…なに泣いてやがる」
別に乱暴はしていない。まさか、嫌だと言い出すわけじゃないだろうな?とXANXUSは眉根を寄せた。
「………う、………嬉しくて…」
小さな声でぽつりと言う。
少し手が震えていて、それだけ伝えるので精一杯なんだろうと、容易に予想できた。
それに、テレサが選んだたったひと言は、まるで少女のように素直で単純な言葉で、それがやけにテレサらしいと感じた。本当に嬉しそうに目を細めて見上げてくるテレサは、なんだか……ーー
「……そうかよ」
ふい、と目を逸らして歩き出す。
これ以上、テレサの青い瞳を見ていたら、その目に見つめられたら、何か口を滑らせてしまいそうだ。
心の内でさえ呟くのが憚れる言葉を。それはあまりにも馬鹿らしくて、寒気がするほどの。たかが一人の、しかも男を知らない生娘相手に。
絶対に認めねぇ、と心の中に浮かびかけた言葉を煙に巻いて、XANXUSはテレサを見ないように前を向いた。