刀さに

石が積み上げられた河原
赤く染まった不気味な空
吹く風は湿気を含んで全身にまとわりつき、息をするのも気持ち悪いほど

またか、と私はため息をついた。
いつからか見るようになったこの夢には目覚める為の決まりがある。

ひとつ、石を十段積み上げること
ふたつ、河原のどこかに落ちている刃物を探し出して自らを傷付け、積んだ石に血を浴びせること
みっつ、血まみれの刃物を壊し、投げ捨てること

この中で1番大変なのは実はみっつめだ。
刃物の種類がランダムで、しかもどの辺りに落ちているのか決まっていないので捜索に時間がかかる。厄介なことにこの河原には鬼がいて、見つかれば追われる。幸い今まで捕まったことはないけれど、捕まればロクな目に遭わないのだろう。鬼に捕まる前に全てを終わらせるため、辺りを見渡しながら足場の悪い河原を歩き始めた。
ごろごろと転がる石に足を取られながら進むが、一向に刃物が見つからない。焦りと不安で息が詰まる。足を止め、付近の様子を探る。すると、遠くに鈍く光るものを見つけた。

「あった!」

一目散に駆け寄った先には、日本刀が一振り落ちていた。刀身を鞘から引き抜き、石積みの邪魔にならないよう傍らに置いておく。いつどこから鬼がくるかわからないので、ここから先は時間との戦いだ。平たい石を選んで十段の石塔を積み上げていくが、手が震えて何度も崩してしまう。
背後から、足音が聞こえ始めた。歩きづらい石の河原をものともせず、ゆっくりと近づいてくる。
振り返った先には、鬼がいた。
般若の面を被り、肩に掛けた上着をはためかせた洋装姿でこちらに手をのばしている。

「うそ…もうきたの」

手が震えて石が上手く積めない。
その間にも白い鬼は段々と近づいてきていた。
ここは諦めて逃げたほうがいいかも知れない。傍らの日本刀を拾い上げ、鬼に背を向けて走り出そうとしたところで、石に足を取られて転んでしまった。抜き身のままの刀が手から離れて転がっていく。足は紫色に腫れていて、夢の中だというのに強い痛みを感じた。このまま足を引きずって逃げてもきっと捕まる。押し寄せる絶望感に潰され、私は諦めて目を閉じた。

「やっと…追いついた。主、会いたかったよ。目を開けて、こっちをみて」

鬼が喋った。優しい声で、親しげに。
まるで恋人に話しかけるような柔らかい声に誘われて、目を開けそうになった。

「だめだ、そのまま動いてはいけないよ」

大きな手が視界を遮った。真っ暗な中で、風を切る音と、その後に何かが落ちる音が聞こえた。それきり、静かになった河原で恐る恐る目を開けた。視界を覆う手はいつの間にか離れていた。おかげで私は般若の面が真っ二つになって足元に落ちている様子を確認できた。鬼の姿はないが、後ろには誰かが立っている。

「振り向かないで。ゆっくり深呼吸をしてごらん。目覚める時間だ」

こうして私は目を覚ました。どうやらリビングのソファーで眠ってしまっていたようで、起き上がると身体が痛い。

「大丈夫かい。こんなところで寝ていると風邪をひいてしまうよ」

同居している兄が、心配そうに額に手を当てて熱を測ってくれた。薄暗い中でもわかるほど随分と顔色が悪いし、手が冷たい。

「心配かけてごめんね。でも、体調が悪いのは兄さんの方でしょ。早くベッドに戻って休んで」

「今日は気分が良いんだよ。かわいい妹とお喋りがしたいなあ。うなされるほど怖い夢を見たんでしょう?兄さんに話してごらんよ」

「ただの夢だよ。心配しなくても大丈夫だから」

「だーめ、話してくれるまでこのままでいるよ」

ソファーの隣に座った兄に頭を抱きこまれ、胸に押し付けられる。とくん、とくんと規則正しい心音が耳に届いた。生きている人の音だ。しばらく耳を傾けていると、段々と落ち着いてきた。

「今まで何回も見てる夢なんだけど。
河原で鬼に捕まりそうになったの。いつもは逃げ切れるんだけど、さっきは石につまづいて、怪我して動けなくなっちゃった」

「そっか、それは怖かったね」

「でも、さっきの夢では鬼に捕まりそうになったとき誰かに助けられたんだよ。振り向かないでって言われたから、顔は見てないんだけど。
そういえば声は兄さんに似ていたような気がするなあ」

「おお、妹のピンチを助ける兄か。僕もそうなれるかなあ」

「うーん、どうかな。どっちかって言うと私が助ける方じゃない?」

「むう、厳しいね」

「そういうことは身体を治してから言ってよね。はい、お話終わり。無理すると良くないから、もう休んでね」

「そうだなあ…一緒に寝てくれるならおとなしく休むよ」

「兄さん…今年いくつになるんだっけ?」

「いいじゃない、この世にたった二人の兄妹なんだし。
怖い夢にうなされた妹を起こしてあげるくらいは僕にもできるからね」

そう言って、兄さんはふんわりと微笑んだ。両親を早くに亡くした私にとって、年の離れた兄さんは親代わりでもあった。小さい頃、悪夢を見て泣く私を優しくなだめてくれたことをふと思い出した。その後、兄さんは病気に罹ってしまい、記憶に残る大半は病院かベッドの上の姿になってしまったけれど。

「わかった、今夜だけね」

いつ入院生活になるかも知れない兄さんの願いは、できる限り叶えてあげたい。そう思って私は了承の返事をした。ほんの少しだけ、あの夢をまた見るかもしれないことが怖かったというのもあるけれど。
それから久しぶりに兄さんと並んで食事の準備をした。2人で食事をして、片付けを分担して終わらせた後も、しばらくの間リビングのソファーで他愛ないお喋りをした。じゃんけんでお風呂の順番を決めたけど、なかなか決着がつかなくて2人揃って本気になってしまい、子供みたいだと笑ってしまった。ちなみに私は負けたので2番目だ。

「上がったよ。お湯張り替えておいたから入っておいで」

「ありがとう兄さん。あ、ちゃんと髪乾かしてね。そのままにしちゃだめだよ」

湯上がりの兄さんが髪を濡らしたままなのを見て、軽く注意をしてからお風呂場に向かった。お気に入りの入浴剤を湯船に入れて浸かると、心が落ち着いた。思っていたよりも悪夢を見て疲れていたようで、小さなため息がこぼれた。


お風呂から上がってドライヤーをかけながら、何気なく覗いた鏡。私の後ろには、夢の中の河原で見た白い鬼が立っていた。凍りついて動けない中、ゆっくりと面を外した鬼の顔は兄さんだった。喉を締め付けられているみたいに声を出せないまま私はその場で倒れ、やがて意識を失った。

次に目を開けたとき、私は河原に倒れていた。擦りむいた腕の血が白い着物の袖を点々と赤く染めている。どうやら私は、白衣に緋袴という巫女装束を着ているようだった。浴衣くらいしか着たことのない私が持っているはずのない衣装だったことから、またあの夢を見ているのだと理解した。どこからが夢なのかわからないけど、ここに留まっていては恐らく鬼に捕まる。立ち上がり、せめて身を隠せる場所を探そうと思って歩き出したが、足袋に草履の足元が不安定で何度も石につまづいた。思うように動けない焦りから、一筋の涙が頬を伝って足元に落ちた。一度流れ始めた涙は堰を切ったように溢れて止められない。遂には地面に座り込んで膝を抱えてしまった。

「見つけた。もう大丈夫だよ」

幼子をあやすような優しい声が聞こえ、白い手袋に包まれた手に涙を拭われた。色素の薄いショートボブの髪に琥珀色の瞳を持つ彼は鬼と同じ顔で微笑んだ。鬼と同じ顔で、兄さんとも同じ顔。違うのは兄さんは黒髪のショートボブで瞳は茶色だということ。

「安心して、僕は君の味方だ。君の刀になることを選んで修行を終えてきたんだから」

「刀…?それから、修行ってなんのこと?」

「今はわからなくていいよ。じゃあ、行こうか。鬼退治の時間だ」

「倒せるの?そうしたらもう、この夢は見ない?」

「倒すよ。君を苦しめる者は全て僕が斬ってみせる」

この言葉をどこかで聞いたような気がした。霞みがかって思い出せないけれど、何となく一緒にいれば大丈夫だと思った。手を引かれているだけで安心した。さっき私を夢から目覚めさせてくれたのは多分この人なんだろう。

「やっぱり、兄さんなの」

「違うよ、今は」

「今は?」

「僕は髭切。覚えていないだろうけど、君の為の刀だよ」

「よくわからない…人の姿をした刀?何かの比喩なの」

見上げた彼、髭切は険しい顔で一点を見つめていた。視線の先には、面を着けた白鬼の姿があった。握った手に力が入る。

「大丈夫、君を守る。危ないから僕の後ろにいてね」

軽く頭を撫でられ、髭切は腰の刀を抜いた。曇りひとつない美しい刀身が河原の曇り空に反射した。

「やあ、一振り目。その生を終えたにも関わらず、執念深く主を求めているのかい。鬼を斬る刀である僕の同位体なのに、お前の方がよっぽど鬼にふさわしい姿をしているじゃないか」

白鬼は何も答えず、刀を抜いて襲いかかってきた。その刃は黒ずみ、刃こぼれが見える。折れそうな刃を気にすることなく斬りかかってくるものだから、髭切が押され気味になっている。


「あるじ…」

「この子はもうお前の主じゃない」

髭切の刃が白鬼の面を真っ二つにした。その下の顔は人形のように無機質で琥珀の瞳だけが不気味に光っていた。態勢を崩した白鬼の隙を突き、髭切が鞘で殴り倒した。そのまま足で踏みつけ、刃の切っ先を喉に突き立てようとしたところで、白鬼と目が合った。彼は静かに泣いていた。

「髭切、やめて!」

振り下ろされそうになっていた刀に飛びついて動きを止めた。この刃で斬らせてはいけない、とどうしてか強く思った。彼が斬るべきなのは鬼であって彼自身ではないのだから。
だから、私は割れて河原に転がった鬼の面を指差した。

「あなたが斬るのはこっち。今のあなたは鬼を斬る刀の『鬼切丸』。同位体を斬らせて『友切』になってほしくない」

聞き慣れない名前が口からこぼれた。
髭切は目を見開き、刃の切っ先を白鬼から離した。私を背に庇ったまま、問いかけてくる。

「その名前、どうして知っているの」

「わからない、けど…お願い斬らないで『自分』を」

「そう…君がそう望むなら」

髭切の切っ先が向いたのは鬼の面。一太刀でその面はバラバラになって消えた。同時に倒れた白鬼の身体から黒いモヤが出てきた。それは私に襲いかかろうと迫って来たが、髭切の一閃によって跡形もなく消えた。

倒れたままの白鬼は微動だにしない。ただ、もう敵意はないのだろうと思った。恐る恐る近付き、覗き込んだその顔は髭切と瓜二つだった。着ているものが同じなら、区別がつかないように感じられた。

「あの…大丈夫、ですか?」

問いかけに反応し、白鬼はうっすらと目を開けた。あるじ、と唇が動き力なく手をのばしてくる。その手を握り返すと、白鬼は一瞬目を見開き微かに笑った。

「彼にはもう時間がない。君のおかげで正気に戻れたんだ。最期は君の手で送っておやり」

「わかった」

やり方は身体が覚えていた。心臓に当たる部分に手をかざし、祝詞を唱える。審神者と呼ばれる人間にしか使えない魂送りの儀式だ。私はその力を失い、審神者の任を解かれたことを思い出した。白鬼は私の本丸に顕現した一振り目の髭切だったが、采配ミスにより折れた。戦場で回収できなかったその刀を鬼の面の呪具に取り込まれ、夢を介して私まで取り込もうとしていた、とこれは私の護衛として兄に扮し現世に降りてきてくれた二振り目の髭切の推測だ。
力を失うのが一時的なものだった場合、時間遡行軍に狙われる可能性が高いから、本丸唯一の極個体だった僕が着いて来たんだよ、と髭切はあっさり言った。

「それじゃあ、力が戻ったらまた審神者になるの」

「さあ、どうだろう。話の続きは起きてからにしようか。ここは夢の中だから、たまたま力が使えたのかもしれないし」

「そうだね。鬼はもういないけど、ここはちょっと怖いな」

「じゃあ帰ろうか。僕達の家に」

髭切と手を繋ぐと、急速に意識が遠のいた。
次に目を覚ますと、兄さんの顔が目の前にあった。ふんわりと優しく笑って私の頭を撫でている。
いつものように、「兄さん」と呼ぼうとして強烈な違和感を感じてしまった。

「目が覚めた?おはよう、でもまだ朝早いからもう少し眠ってていいよ」

「髭切」

「おや、覚えていたんだね。そうだよ、君の重宝の髭切だ。今まで通り兄さんと呼んでも構わないんだけど」

「ごめん、呼べない。だって私は、審神者なんだよね」

「そっか、残念だよ。もう少し兄妹でいられるかと思ったんだけど、思い出しちゃったんなら仕方ないね。
もう一度、忘れてもらうよ。
君に降りかかる火の粉は僕が全て払ってあげる。二度と審神者になんてさせないから」

ねえ、大切な僕の『妹』

耳に吹き込まれた言葉が脳を満たしていく。上書きされた妹としての記憶が本物の記憶を押し流していく。

「疲れたでしょう、まだ少し休んでいるといいよ」

「うん、おやすみなさい。兄さん」

眠気に襲われて目を閉じた。微睡みの中、優しく頭を撫でられながら段々と意識が深いところに落ちていくのを感じた。




「君の心も体も誰にも奪わせない。君を人とも思わない時の政府になど、返してやるものか」

穏やかな寝息を立てる妹の髪を整え、その額にそっと口付けを落とした。

「おやすみ、愛しい子。僕の加護が君を守るように……ッ、ごほっ」

咳き込む口を抑えた指の隙間から血が流れた。それは一筋妹の頬を伝った。

「少し力を使うとすぐこれだ。まったく人の体は脆すぎるね」

柔らかい布で妹の頬を拭ってやりながら、髭切は呟いた。

「まだ消えるわけにはいかない」

残された時間は少ないとしても、それは絶対に今じゃない。せめて…妹が1人で生きていけるようになるまで、僕は兄として有り続ける。


「ねえ、妹。君は幸せになるんだよ。なるべきなんだよ。だから、それまで兄さんに守らせてね」
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