刀さに

微睡みの縁からゆっくりと意識が浮上する。夢と現実の境界にある暖かい空間を名残惜しく感じながら、私は目を開けた。

「お、起きたか」

「あれ、ぶぜん…?どうしてここに」

「主にちぃと用があったんだけどよ、あんまり気持ち良さそうに寝てるもんだから起こすのもわりいかと思って待ってた」

太陽のような眩しい笑みに、一瞬クラッとしながら状況を整理する。私は確か机に向かっていたはずだ。そこでうっかり寝落ちていたのなら、何故豊前は私の顔を見下ろしているのだろう。程よい硬さと高さのものに頭を支えられているがこれはお昼寝枕か違ういや違わない。
枕は枕でもこれは俗に言う膝枕というやつだ。
私は今、豊前江に膝枕をされている。ご丁寧に内番着のジャージの上着まで掛けられている。

その状況を理解した途端、私は弾かれたように上体を起こした。しかしそのまま立ち上がろうとしたところでめまいに襲われ、再度豊前の膝に倒れ込んでしまった

「おっと、急に起き上がったら危ねえちゃ。もう少し休め」

「ごめんなさい豊前。その…びっくりしちゃって」

「でーじょうぶだよ。篭手切や桑にもよくこうしてやるんだ。慣れてる」

違うそうじゃない…ていうか江の距離感どうなってるの。言いたいことはあったけど、めまいのせいでそれは何一つ言葉にならなかった。少しでも早く症状が治まるように目を閉じた。ずり落ちた上着を掛け直されると、豊前の香りに包み込まれたようになって思わず心臓が跳ねた。その上優しく頭を撫でてきたり髪を梳いたりしてくるものだから、私の顔は多分今真っ赤になっていることだろう。そういえば以前、友人が真顔で豊前は刀剣じゃなくて彼氏の付喪神なんじゃないかって言ってたけど、確かにこれは勘違いしそう。あの時は笑っちゃったけど、今度会ったとき謝っておこう。
ふと、頭を撫でる豊前の手が止まった。

「主、好きだよ」

「えっ…」

驚いて目を開くと、豊前の赤い瞳と視線が合った。頭に手を添えられているせいで彼から目をそらすことができない。

「聞こえてねぇならもう一回言うぞ。主、俺はあんたのことが好きだ」

「なんで…そんな素振り、今まで一度も見せなかったのに」

「見せられるかよ。特に、あいつらには」

がしがしと頭をかく豊前の顔は心なしか赤くなっている。いつも爽やかな姿しか見てないものだから思わずかわいい、なんて思ってしまった。

「あいつらに勘付かれたら、全力で主と俺をくっつけようとしてくるぞ」

「江の団結力怖い」

「だろ。俺もそれは嫌だ。だからそうなる前に主の返事が欲しい。振るなら潔く諦めるし、これからは臣下として振る舞う。未練がましいことはしないと誓う。
なあ主。俺のこと、どう思ってるか聞かせてくれ」

真剣な赤い瞳が映す私はどんな顔をしていたのだろう。しばらくして豊前はほんの少し寂しげな笑みを浮かべた。それは瞬きのうちに消えてしまったけれど、彼を傷付けてしまったことはわかった。

「あの、豊前…」

「ん、起きられるか?ゆっくりな」

豊前に背を支えられようやく体を起こした。めまいはもうない。体調も良い。ただ心だけが鉛のように重い。

「主の気持ちはよくわかったよ。悪かったな。
じゃ、俺もう行くから。畑当番の松たちを手伝ってやんねえと」

豊前は一度も振り返らなかった。
遠ざかっていく背に声を掛けられず、伸ばした手が空を切った。



それから、数日が経った。あの一件以来、豊前とは顔を合わせていない。本丸は大所帯だし、タイミングが合わなければ数日姿を見かけないことは珍しくないけど、避けられているような気がして落ち着かない。

「ああ、ここにいた。主、すまないけれど少し手伝ってくれないか」

江の誰かに豊前の居場所を聞いてみようかと考えていたら、内番着の松井が廊下の角から姿を見せた。江の皆で蔵の整理をしていたら、たくさんの本や書類が出てきたらしく処分していいものか判断してほしいとのことだった。汚れることを見越してジャージに着替えて蔵に向かった。豊前に会うため、少し気を引き締めた。


「お疲れさま、みんな。入るよー」

開け放たれた蔵の扉をくぐる。念の為、声を掛けたが返事がない。

「誰かいるー?」

「は、主?どうしてここに」

そこにいたのは豊前だけだった。棚の整理をしていた手を止めて、気まずそうに視線を泳がせている。ここ数日避けられていたのは気のせいではなかったと確信した。謝ろうと口を開いた時、蔵の扉が閉まった。かんぬきを掛ける音がかすかに聞こえた。

「あ、待って閉めないで!」

扉に駆け寄り、外に向かって声を張り上げた。

「ごめんねぇ主、豊前と話してみてよ」

「騙してすまないね主。少しだけ時間をくれないか」

桑名と松井の声だった。後ろで豊前がはめられたな、とつぶやいた。

「ううん、私豊前に謝らなきゃいけないと思ってたから。会えて良かった。あの時はごめんなさい」

「何で主が謝るんだ。俺が勝手にしたことだってのに。もうあんな態度とらないから安心してくれ。悪かったよ」

「違うよ。私まだ返事してないでしょう。あの時はびっくりして言えなかったけど、豊前の気持ちすごくうれしい。だから、その…よろしくお願いします」

「主、その返事ははいってことでいいのか」

「うん、私も豊前のことが好きだよ」

「主、その…抱きしめてもいいか」

「いいよ」

豊前に向かって両手を広げてみせた。次の瞬間私の視界は豊前に染まった。
扉の開く音が聞こえた。
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