1日目 お引越しのご挨拶

「こ、ここまで来れば大丈夫アルナ…」
誰かに追われていたわけではないのだが、足を止めた神楽の口から自然とそんな台詞がこぼれる。そう遠い距離ではないとはいえ、結局スーパーまで一度も止まる事なく走ってきたので完全に息が上がっている。
「何か…怖そうな人だったアル」思い出すとさらに動悸が激しくなりそうになる。
「大丈夫、ご挨拶は済んだし、多分もう関わる事はないし」自分にそう言い聞かせて、何度か深呼吸をして息を整えると、神楽はスーパーへと足を踏み入れた。
アパートから徒歩5分。めちゃくちゃ大きいわけではないが、普段使いの食料品は一通り揃っているスーパーはなかなか便利がいい。今後はこのスーパーをメインで利用するだろうなと思いながら、神楽は店を後にする。
今日は家の周りを散策する事を目的に出てきたし、何より来る道すがらはゆっくり当たりを見渡す余裕もなかったので、少し散策してから家まで帰る事にした。特段買い込んだわけでもないので、荷物の重さを気にする心配もない。
「えっとー、こっちから来たから、あっちに行って見ようカナ」
気の向くままぶらりと辺りを歩いて見れば郵便局や銀行、可愛い雑貨店にオシャレな喫茶店が目に付く、レトロナ雰囲気が漂う銭湯を見つけた時は思わず目を輝かせてしまった。その少し先にあるお弁当屋さんからは揚げ物の香ばしい香りが漂い、店先には今晩のおかずを買い求めてだろう、主婦層の姿が数人見られた。ショーケースの中にはずらりと美味しそうな惣菜が並んでいる。
夕飯のおかず用に神楽もコロッケを買い求める。まだ温かいそれを受け取ると気持ちもほっと温かくなる気がした。
「今夜のおかずは引っ越し蕎麦にコロッケネ」
スーパーの買い物袋の中で揺れるインスタント麺の蕎麦とまだアツアツのコロッケを手に神楽は帰路へと着いた。
家を出た時は、真上近くにあった日も、今は西の空に傾きかけている。少しビクビクしながらアパートの階段を早足で駆け上りつき当たりの自分の部屋を目指す。お隣の部屋の前を通る時、無意識に耳を立ててしまったが、やはり中から人の気配や物音は感じられなかった。
部屋の鍵を開け中に入る。ドアを閉めて中から鍵を掛けたらふうっと思わず安堵の息が零れる。
「…大丈夫。きっともう関わる事もないネ」
自分に言い聞かせるようにつぶやいて神楽は部屋の中へと引っ込んだ。


to be continued...
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