1日目 お引越しのご挨拶

一息着いて、ちらりと時計を見れば時刻は午後1時半を回った所だった。休みが土日と限らない仕事をしていたり、出掛けている可能性もあるが、引越しの御挨拶はずるずる後回しにしたくない案件だ。
「よし、次はお隣さんにご挨拶ネ」
神楽はダンボールの中から挨拶用に用意した菓子折りを取り出す。神楽の部屋は角部屋なので、挨拶は右隣の1件だけでいい。ついでにそのまま買い物い出ようと買出しのリストも財布と一緒にカバンに詰めた。部屋を出て数歩、隣の部屋のドアの前で神楽は足を止める。近くに公園でもあるのだろうか?子ども達のはしゃぐ声がかすかに聞こえるが、目の前の扉は硬く閉まったまま、人の気配は感じられない。
“もしかしたらお留守カナ…”
そう思いながらも神楽はドアの横についたインターホンに手を伸ばす。ついでに表札に視線を向けたがそこには名前が書かれていなかった。
インターホンを押して待つ事しばし。けれどドアの向こうには依然人の気配がしない。やっぱり留守なのだろうか?夕方もう一度出直してみる?迷いながらももう一度だけインターホンを押す。それでもドアの向こうはシンと静まり返ったままだ。
「やっぱり留守みたいアル・・・」
手に持った菓子折りは一度部屋に置いてもう一度帰ってから出なおそう、と神楽が自分の部屋へと1歩踏み出した時だった。ドタン、バタンッと何か大きな音がドアの向こうから聞こえた。驚いた神楽がそのままの姿勢で立ちつくしていると、今度はガチャリと目の前のドアが開く。
「…だからさぁ、新聞ならいらないって昨日も…」
寝起き、なのだろうか?ドアの向こうから覗いたのはぼさぼさの銀髪に隠しもしない不機嫌を顔に張りつけた男だった。
「す、すみません。えと…新聞、じゃなくて、隣・・・隣に引っ越してきた神楽アル・・・じゃなくてデス。あの…こ、これ、ご挨拶に…」
すっかり留守だと思っていた所に出てきた男、神楽よりも頭二つ分程上背がある。ただでさえ見下ろされる格好なのにその上に不機嫌丸出しの男の顔に神楽の緊張メーターは一気に急上昇だ。カタコトになりながらも伝える事は伝えられた、それだけでも上出来だと思う。
ただ、これ以上の長居はゴメンだ。こんな恐怖の塊の男とは一刻も早く別れたい。
すっと伸びた男の手が神楽の差し出した菓子折りを受け取ったのをちらりと見上げた視線の先に確認する。よし、ミッション完了!
「じゃ、私はこれで。お、お、お休みの所失礼しましたアルッ!」
「えっ、ちょ、ちょっと…」
背中に男の呼び止める声を聞きながらも神楽は猛ダッシュで階段を掛け降りた。そのまま足を止める事なく、次の目的地であるスーパーへと向かった。
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