『いつかの夏祭り』

今日は年に一度歌舞伎町で開かれる夏祭り。
ちょうど最終プログラムで予定されていた打ち上げ花火が終わり、押しかけていた見物客達が家路に着きはじめた頃――。
「うわぁ・・・降り出してきちゃったアル」
不安げな声と共に、神楽はちらりと空を見上げた。空を覆う黒い雲の隙間からポツポツと降り出したのは大きな雨粒だった。夜半過ぎから雨との予報は出ていたが、予想より少しだけ雲の動きが早まったらしい。まるで落ちて来る雨に祭りの余韻が洗い流されるように、帰路に着く人々の足も早まっていった。
つい先程、一緒に祭りに来ていたそよと別れた神楽も、人ゴミの間を抜け家路を急ぐ。しかし雨は次第に激しさを増し、強まる雨脚が容赦なく神楽の頬を叩きつける。じわりと雨を吸って重くなった浴衣は体に張り付くし、足元は履きなれない下駄で思うように走る事も出来ない。思わず折れそうになる心を奮立たせて神楽は足を進めた。しかし、ここまで大降りになってくると、少しでも雨脚が緩むのを待つ方が得策かもしれない。
「どこか雨宿り出来そうなとこは…」
いつも使う大通りを抜け、飲み屋の立ち並ぶ細い通りに入る。神楽の普段の行動時間である昼間は閑散としている場所なので、ほとんど縁がない所なのだが、夜に見るそこはまるで別世界のように煌々とした明かりに輝いていた。
中ではよっぱらいが騒いでいるのだろう、どの店の扉の向こうからもかすかに客のものとおぼしき賑やかな声がこぼれている。そんな中、神楽はふらりとその中の一軒に引かれるように歩み寄った。
『スナックお登勢』白地に黒文字で書かれたシンプルな看板は他の店より少し地味な見た目だが温かみを感じる。けれど、神楽が惹かれたのはそれだけが理由ではなかった。
「そういえば、銀ちゃん先生のご実家もこんな名前の居酒屋さんじゃなかったっけ?」
銀魂高校3年Z組のそして神楽の担任の教師である坂田銀八。その銀八から前に一度だけそんな話を聞いた事があったような気がする。ドクンと神楽の心臓が大きく跳ねる。神楽にとって坂田銀八は担任の教師、であると同時に実は密かに想いを寄せる相手でもあるからだ。ぎゅっと胸元に手を当てれば淡い恋心がじわりと胸を熱くする。
まるで神楽を手招きするかのように揺れる赤い提灯に引かれて、神楽は店の軒先に身を寄せた。ありがたい事に店の前には雨宿りの出来そうな広めの屋根も付いている。
「ちょっとだけ、雨宿りさせてくださいネ」
隣で揺れる提灯に神楽は小さくそうつぶやいた。
いざ雨宿りに徹すると、雨が染み込んだ浴衣の重さと冷たさをより一層感じてしまう。神楽は、浴衣の左の裾をぎゅっと搾った。しっかり雨水を絞れば、バケツにつけた雑巾のように水が滴り落ちる。絞った左手の袖を、シワにならないように軽く伸ばして、今度は右手の袖を同じように絞る。そして浴衣の裾に手を掛けた時だった。
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