二人で過ごす聖なる夜
色とりどりのネオンが定番のベルや鈴の音が刻むリズムと共に街を彩る。
行き交う人の波の波に吐いた白い息が消えていく様子を見やる。
去年までの今頃は家のテレビに映る、街ではしゃぐカップルなどを自分には関係のないことだと思いながら煎餅でも齧って見ていたが、翌年には自分がテレビの向こう側のような場所に立つことになろうとは当時は露ほども考えていなかった。
襟付きのボタンシャツにセーター、ズボンはチノパン、上からダウンコートと自分が持っている中では余所行き用の服装を選んできたが、場違いではないだろうか。
緊張しながらも待ち人を待つこと数分、自分の名を呼ぶ声の方を見るとそこには今日の約束相手である彼女の姿。
トレードマークの長い三つ編みを揺らし、手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
走らなくてもいいと何度も言っているのに、と内心で苦笑いを浮かべながら手を振りかえす。
「こんにちは、ねーちゃん」
「はい、こんにちはです陸君」
息を整えて満面の笑みで返す海風に必死でにやけるのを堪える。
いつからか定かではないが、海風はよく自分にこうした花を満開にしたような笑顔を向けてくれるようになっていた。
嬉しさと照れくささをばれない様にするために、今日は一日休暇を使って二人で遊びに出かけるために普段とは違い私服を纏った海風を改めて見やる。
青の縦セーターに、これまた青のラインが入った黒のロングスカート、その上から白いダッフルコート。
海風自身の容姿と相まって、道行く人も何人か海風に視線を奪われている。
それほどに彼女の姿は可憐で可愛らしかった。
「あの……あまりじっと見られると……恥ずかしいです」
「あっと……ごめん」
顔を赤く染めながら呟かれたその声に見入ってしまっていたことを自覚する。
いつかの夏祭りの時も同じようなやり取りをしたなと思い出しながら顔を逸らすも、海風の方を盗み見るのは止められずにいた。
それほどまでに、彼女の姿に釘づけにされていたのである。
「私服で会うの珍しいからつい……とても似合ってる」
「ほ、本当ですか?」
左側の長く伸びたもみあげの髪をくるくるといじりながら、軽く伏せた目で陸の方を見る海風。
その仕草は反則だろうと思いながらも、これに関してはしっかり告げるべきだろうと陸はきちんと目を合わせる。
「本当だって。思わず見惚れちゃった」
「ありがとうございます、えへへ」
照れくさそうにはにかむ海風に陸はそっと手を差し出す。
今日という日はあっという間に過ぎてしまうだろうから、一分一秒が惜しい。
「じゃあ行こうか、ねーちゃん」
「あ、あの……ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
改まってどうしたのだろうかと怪訝そうな顔つきで海風と向き合う陸。
当の海風は何かを言いかけては止め、また何かを言いたそうにするというのを繰り返している。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
もしや予定していたよりも門限が早くなってしまったといったのかと悪い考えが陸の頭の中を過る。
「ねーちゃん?」
「いえ……あの……これって……デ、デート……ですよね?」
「へっ?」
海風の口から出た言葉に一瞬思考がフリーズする。
もちろん陸は最初からそのつもりだ。
想い人と一緒にこの日に遊びに出かけられるのだから、本人がそう思うことぐらいは許されるであろう。
ただ海風もそう思っていてくれているならそれはもちろん正真正銘の……
「お、俺はそうだと思う。というかデートのつもりだった」
「で、ですよね。デート……なんですよね。……えいっ!」
「ねーちゃん!?」
そっと呟いたかと思えば、にへらっと笑顔を浮かべて陸の腕に抱き付く海風。
突然の事に頭が追い付かず思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
彼女の顔を見やると耳まで真っ赤に染まっているが、腕を放す様子もない。
左腕に感じる海風の体温と柔らかさに心臓が既に限界寸前にまで追い詰められている。
「それでは行きましょう陸君、クリスマスデートです!」
「了解、ねーちゃん」
あくまで平静を装いつつ応える陸。
そう、今日は十二月二十四日。
世間で言う聖なる夜である。
※※※
「海風、ちょっといいかしら?」
「はい、どうぞ」
話は二週間前に遡る。
部屋の扉をノックしながらかけられる声に便箋の上を滑らかに走らせていたペンをそっと置く。
振り返るとそこには手に長方形の紙を二枚こちらに見えるように持った我らが三女の姿。
「村雨姉さん、どうしましたか?」
「ちょっとね。ところで海風、あなた来週末の予定は空いてる?」
「ちょっと待ってくださいね」
言われて予定表に目を落とす。
年末年始辺りは基本的に最低限の業務しか行われないが、自分がそれに当てられて否いとは限らない。
「あ、今年はお休みみたいです」
「そう、ならちょうどよかったわ」
そう言って右手に持った紙を改めてひらひらとこちらに見せる村雨。
今まで触れていなかったが、いったい何を持っているのだろうか。
「ここに期限が来週末までの映画のチケットが二枚あります」
「はい」
「海風にあげるわ」
「自分で行かないんですか?」
自分が見に行きたいから手に入れたチケットのはずなのにいったいどういう事なのだろうか。
怪訝そうな顔をする海風に村雨は納得した様子で続ける。
「雑誌の抽選で当たったの」
「あぁ、なるほど。では一枚いただきます」
そう言って一枚だけ掴む。
しかし、村雨はチケットから手を放す様子はない。
しばらく膠着するも状況は変わらない。
「えっと、村雨姉さん?」
「分かってないわね。あげるのは二枚ともよ、二枚」
「あっ……」
ここでようやく村雨の意図に気付く。
村雨はこう言いたいのだろう、『陸と二人で見に行け』と。
進水日以来会っていない事を考えるとこれはいい機会になるだろうと考え、改めて二枚とも手に取りなおす。
「ありがとうございます、村雨姉さん」
「いいのよ、ただのお節介だから」
そう言って部屋を出て行こうとする村雨。
早速この件を手紙に書こうとペンを取り直した瞬間、思い出したかのように背中越しに声をかけられる。
「あ、誘うなら来週末にしなさいね。」
「来週末……?」
何かあったかを思い返すこと数瞬、今月の頭に長女がその日に姉妹艦の間でプレゼント交換をしようと言っていたことを思い出す。
そう、来週の週末は……
「白露姉さんには私から話しておくから。クリスマスデート、頑張ってね」
「デ、デート!?」
海風の素っ頓狂な声を華麗に流しながら今度こそ部屋を出て行く村雨。
顔が熱を持っていくことを自覚しつつ、生まれて初めてのデートという場面に戸惑いながらも、この機会を無駄にするまいと便箋にペンを走らせる。
自分の恋心を自覚してから初めて二人きりででかけるのだ、少しでもいい所を見せたい。
そんな思いが海風の頭の中を支配していた。
(頑張って振り向いてもらわないと……!)
それからは、当日のことを思うと夜も眠れない日が続いたのは言うまでもない話である。
※※※
「意外と面白かった」
誘って貰った映画の感想としてはいかがなものかと思うが、普段映画をほとんど嗜まないのだから仕方がない。
アクションものだったので陸でも十分に楽しめたのが救いだったが、海風はどうだったのだろうか。
ちらりと海風の方を窺うと未だに興奮冷めやらぬ様子で頬が紅潮している。
「映画館で見るのは初めてだったんですけど、テレビで見るのとは全然違うんですね!」
パンフレットまでしっかりと購入した姿を見るによほどお気に召したらしい。
ねーちゃんは映画好き、としっかりと脳味噌に書き込みながら大型ショッピングモールのエスカレーターを下る。
「とりあえず、順番に見ていく?」
「そうですね」
大抵冷やかしになりそうだなぁと心の中で店員さんに手を合わせながら、並ぶ店先を覗いていく。
眼鏡屋でお互いに眼鏡をかけてみたり、服屋で海風に着せ替え人形にされたり、花屋で先日の四つ葉のクローバーの件から勉強したという海風の花言葉講座に耳を傾けたり。
二人の間に話題が尽きることはなく、次々に花を咲かせていく。
その最中、ふと海風の目があるものに留まる。
「何か見つけた?」
その視線を追いかけるとそこには透明な箱の中に積み上げられたクッションほどの大きさの猫のぬいぐるみが随分と眠そうな顔でこちらを見ていた。
「陸君、これは?」
「UFOキャッチャーって言って、クレーンを操作して中の景品が取れたら貰えるんだ」
その言葉に海風の瞳がきらりと光った気がした。
陸の説明を熱心に聞き、コインを入れる。
海風に操られたクレーンはぬいぐるみの真上でぴたりと止まるとそのまま真っ直ぐに降下して……
「あっ……」
むんずっと。
しっかりとアームがぬいぐるみを掴んだように見えたが、持ち上げる段階ですり抜けるように抜け落ちてしまった。
無慈悲にも虚空を掴んだクレーンが元の位置に戻る。
少々ムッとした表情で再びコインを投入しようとした海風だったが……
「姉ちゃん、ちょっと待って」
それを制する声に振り替えると少々渋い顔をした陸の表情。
どうしたのだろうかと首を傾げている海風の手を引きながらゲームセンターを出ると小声で耳打ちにしてきた。
「ちょっと他のゲームセンターも見てみない?」
海風が返事をする間もなく、陸は他に並んでいるゲームセンターを覗いて同じものが景品になっているクレーンゲームがないかを確認し、見つけ次第コインを投入して一度だけプレイしていく。
それを繰り返すこと三回目。
しっかりとぬいぐるみを掴み、しかし取り出し口に繋がった穴の直前で落ちてしまった様子を見て落胆した様子の海風に満足そうな顔をして陸は場所を譲り渡す。
「多分ここなら大丈夫」
どういうことなのか釈然としないままにコインを入れる。
先程と同じように、まるで意思を持ったかのようにぬいぐるみの真上まで移動したクレーンは海風がスイッチを押すのに導かれてそのまま降下してぬいぐるみをしっかりと掴む。
しかしそこからは先程は違った。
クレーンによって持ち上げられたぬいぐるみは、今度はアームをすり抜けるようなことはなく成されるがままに運ばれて……
「やった!」
歓喜の声を上げ、取り出し口に転がり落ちてきたぬいぐるみを抱きしめ、頬をすり寄せる海風の様子を優しく見守っていた陸が近づく。
「おめでとう姉ちゃん。」
「はい、ありがとうございます!」
よほど嬉しかったのだろう。
返事をしながらもすり寄せるのをやめない様子が微笑ましい。
しばらくもふもふとぬいぐるみの感触を楽しんでいた海風だったが、ハッと陸の視線に気づいて恥ずかしそうにしながらおずおずと尋ねてくる。
「そういえば、どうしてお店を変えたんですか?」
「あぁー……」
海風の質問に少し遠くを見るような視線を飛ばす陸。
少し周りを見渡して周りにあまり人がいない事を確認すると海風に耳打ちしてきた。
「最初のお店はアームの掴む力が弱そうだったんだ。だからあそこで取るのは難しいと思って」
その言葉に納得する海風。
アームの強さが各ゲームセンターのさじ加減で決められているのなら、アームの力がなるべく強い所を選んだ方が景品を取りやすいだろう。
しかし、アームの強さを一度見ただけで見抜くとは……
「もしかして陸君って……」
「あはは、実は地元のゲーセンには結構通ってました」
ポリポリと頭を掻きながら答える陸。
それなら迷うことなく行動をしていたのも頷ける。
「でも、慣れているなら取ってくれてもよかったのに……」
「その、ねーちゃんゲーセン初めてみたいだったから自分で取りたいかなって思ってさ」
そう、陸という少年はこういった人の気持ちを敏感に感じ取る部分がある。
声に出さずとも自分の気持ちを汲み取ってくれる、それが心地よい。
(だから好きになったんですけど……)
そこまで考えて慌ててぬいぐるみに顔を埋める。
自分でも分かる、今顔が真っ赤になっているであろうことが。
「ねーちゃん?」
「なんでもないです、なんでも!」
陸にばれない様に必死で顔を隠す海風。
それを覗きこもうとしたその瞬間にふっと照明が暗くなり、広場のクリスマスツリーを中心に色とりどりのイルミネーションに灯りが灯る。
まるで光の国に迷い込んだようなそんな光景に感嘆の声を漏らしているところへ差し出される右手。
「じゃあ行こうか、姉ちゃん」
「行くってどこへですか?」
その手を取りながら尋ねると、陸はいつかの夏祭りで花火をサプライズで見せてくれた時と同じ顔をしながら告げる。
「そろそろいい時間だし、特等席にね」
※※※
そう言って連れてこられたのは広場の一角にある小洒落たパスタ屋。
海風も雑誌で何度か名前を見かけたことがある有名な店だ。
陸が店員に予約をしていた旨と名前を告げると、連れていかれた先に用意されていたのは広場を一望できるテラス席。
そこはライトアップされたクリスマスツリーを腰を据えて落ち着いて鑑賞できる特等席だった。
「こんないい席を予約していてくれるなんて、ありがとうございます」
「デートだからさ、いい雰囲気のところ用意しておこうかと思って」
本当に細かい所に気を配ってくれる彼に感謝する。
タイミング的にはちょうどいいだろう。
「実は陸君にプレゼントを持ってきたんです」
「えっ!?」
そう言って鞄から取りだされたのは可愛らしくリボンで包装されている紙包み。
随分軽いがいったい何なんだろうか
「開けて、いい?」
海風が頷くのを見てからそっとリボンを外していく。
その中から出てきたのは白い毛糸で編まれたマフラーだった。
「初めて編んだので、少し不恰好ですけど……」
「ねーちゃんが編んでくれたの!?嬉しい!」
そう言いながら早速巻いてみる陸。
首だけでなく心も温かく感じるのはきっと気のせいではないだろう。
一通り堪能し、汚さないようにとそっと袋の中に仕舞う。
「お守りの時といい、進水日の時といい、頂いてばかりだったので」
「気にしなくていいのに。というか失敗しちゃったな」
そう言って鞄のポケットから手の平より少し大きいぐらいの紙袋を取り出し、海風に差し出す。
海風の物のようにリボンのような包装はないが、クリスマスツリーのシールが貼ってあった。
「開けてみてもいいですか?」
「どうぞ」
そっと破らないようにシールが剥された中から出てきたのは、金色のピンをベースに四つ葉のクローバーをあしらったヘアピンだった。
以前のプレゼントを気に入ったことからそれに関するものを購入してきてくれたのだろう。
「もっとちゃんとした物を用意してくるんだった」
「そんなことないです、嬉しいです」
少し申し訳なさそうにしている陸にそっとフォローを入れて早速ヘアピンを着ける。
輝くイルミネーションの中、きらりと光を弾くそれは、暗がりに溶けてしまいそうな海風の髪色にそっとアクセントを差し込むように控えめにその存在を主張する。
少し頬を染めながら髪を耳へかけるその仕草も相まって、陸の心臓を跳ねさせるには十分すぎるほどの魅力を放っていた。
「すごく綺麗」
「あ、ありがとうございます」
どうやら声に出ていたようで、二人そろって顔を赤くして俯いてしまう。
タイミングよく店員さんが持ってきてくれたメニューから二人であれやこれやと談笑しながら注文を決め、その後はお互いのパスタを分けながら舌鼓を打った。
予想した通りに楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので。
色々と雑談をしているうちに時計の針は帰り支度をしなければならない時間を示す。
会計を済ませてモールの外へ出るとピリリとした冬特有の寒さと……
「雪です!」
ふわふわと降り注ぐ粉雪に歓声を上げる海風。
淡く反射された街灯の明かりを背景に振り返った彼女の笑顔はそれに負けないほど輝いていて
「ホワイトクリスマスですね!」
来年も、ずっと彼女と共に……。
そういった気持ちが陸の胸を渦巻く。
溢れ出る欲求に逆らうことなく、思いを乗せて口を開く。
「来年も、一緒に見に来ようよ」
陸の言葉にきょとんとする海風。
だが次第にその言葉の意味が分かったのだろう。
今日一番の赤面の後に、彼の腕へと抱き付く。
「はい、もちろんです」
目いっぱいの笑顔をその顔に咲かせて。
行き交う人の波の波に吐いた白い息が消えていく様子を見やる。
去年までの今頃は家のテレビに映る、街ではしゃぐカップルなどを自分には関係のないことだと思いながら煎餅でも齧って見ていたが、翌年には自分がテレビの向こう側のような場所に立つことになろうとは当時は露ほども考えていなかった。
襟付きのボタンシャツにセーター、ズボンはチノパン、上からダウンコートと自分が持っている中では余所行き用の服装を選んできたが、場違いではないだろうか。
緊張しながらも待ち人を待つこと数分、自分の名を呼ぶ声の方を見るとそこには今日の約束相手である彼女の姿。
トレードマークの長い三つ編みを揺らし、手を振りながらこちらに駆け寄ってくる。
走らなくてもいいと何度も言っているのに、と内心で苦笑いを浮かべながら手を振りかえす。
「こんにちは、ねーちゃん」
「はい、こんにちはです陸君」
息を整えて満面の笑みで返す海風に必死でにやけるのを堪える。
いつからか定かではないが、海風はよく自分にこうした花を満開にしたような笑顔を向けてくれるようになっていた。
嬉しさと照れくささをばれない様にするために、今日は一日休暇を使って二人で遊びに出かけるために普段とは違い私服を纏った海風を改めて見やる。
青の縦セーターに、これまた青のラインが入った黒のロングスカート、その上から白いダッフルコート。
海風自身の容姿と相まって、道行く人も何人か海風に視線を奪われている。
それほどに彼女の姿は可憐で可愛らしかった。
「あの……あまりじっと見られると……恥ずかしいです」
「あっと……ごめん」
顔を赤く染めながら呟かれたその声に見入ってしまっていたことを自覚する。
いつかの夏祭りの時も同じようなやり取りをしたなと思い出しながら顔を逸らすも、海風の方を盗み見るのは止められずにいた。
それほどまでに、彼女の姿に釘づけにされていたのである。
「私服で会うの珍しいからつい……とても似合ってる」
「ほ、本当ですか?」
左側の長く伸びたもみあげの髪をくるくるといじりながら、軽く伏せた目で陸の方を見る海風。
その仕草は反則だろうと思いながらも、これに関してはしっかり告げるべきだろうと陸はきちんと目を合わせる。
「本当だって。思わず見惚れちゃった」
「ありがとうございます、えへへ」
照れくさそうにはにかむ海風に陸はそっと手を差し出す。
今日という日はあっという間に過ぎてしまうだろうから、一分一秒が惜しい。
「じゃあ行こうか、ねーちゃん」
「あ、あの……ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
改まってどうしたのだろうかと怪訝そうな顔つきで海風と向き合う陸。
当の海風は何かを言いかけては止め、また何かを言いたそうにするというのを繰り返している。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。
もしや予定していたよりも門限が早くなってしまったといったのかと悪い考えが陸の頭の中を過る。
「ねーちゃん?」
「いえ……あの……これって……デ、デート……ですよね?」
「へっ?」
海風の口から出た言葉に一瞬思考がフリーズする。
もちろん陸は最初からそのつもりだ。
想い人と一緒にこの日に遊びに出かけられるのだから、本人がそう思うことぐらいは許されるであろう。
ただ海風もそう思っていてくれているならそれはもちろん正真正銘の……
「お、俺はそうだと思う。というかデートのつもりだった」
「で、ですよね。デート……なんですよね。……えいっ!」
「ねーちゃん!?」
そっと呟いたかと思えば、にへらっと笑顔を浮かべて陸の腕に抱き付く海風。
突然の事に頭が追い付かず思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
彼女の顔を見やると耳まで真っ赤に染まっているが、腕を放す様子もない。
左腕に感じる海風の体温と柔らかさに心臓が既に限界寸前にまで追い詰められている。
「それでは行きましょう陸君、クリスマスデートです!」
「了解、ねーちゃん」
あくまで平静を装いつつ応える陸。
そう、今日は十二月二十四日。
世間で言う聖なる夜である。
※※※
「海風、ちょっといいかしら?」
「はい、どうぞ」
話は二週間前に遡る。
部屋の扉をノックしながらかけられる声に便箋の上を滑らかに走らせていたペンをそっと置く。
振り返るとそこには手に長方形の紙を二枚こちらに見えるように持った我らが三女の姿。
「村雨姉さん、どうしましたか?」
「ちょっとね。ところで海風、あなた来週末の予定は空いてる?」
「ちょっと待ってくださいね」
言われて予定表に目を落とす。
年末年始辺りは基本的に最低限の業務しか行われないが、自分がそれに当てられて否いとは限らない。
「あ、今年はお休みみたいです」
「そう、ならちょうどよかったわ」
そう言って右手に持った紙を改めてひらひらとこちらに見せる村雨。
今まで触れていなかったが、いったい何を持っているのだろうか。
「ここに期限が来週末までの映画のチケットが二枚あります」
「はい」
「海風にあげるわ」
「自分で行かないんですか?」
自分が見に行きたいから手に入れたチケットのはずなのにいったいどういう事なのだろうか。
怪訝そうな顔をする海風に村雨は納得した様子で続ける。
「雑誌の抽選で当たったの」
「あぁ、なるほど。では一枚いただきます」
そう言って一枚だけ掴む。
しかし、村雨はチケットから手を放す様子はない。
しばらく膠着するも状況は変わらない。
「えっと、村雨姉さん?」
「分かってないわね。あげるのは二枚ともよ、二枚」
「あっ……」
ここでようやく村雨の意図に気付く。
村雨はこう言いたいのだろう、『陸と二人で見に行け』と。
進水日以来会っていない事を考えるとこれはいい機会になるだろうと考え、改めて二枚とも手に取りなおす。
「ありがとうございます、村雨姉さん」
「いいのよ、ただのお節介だから」
そう言って部屋を出て行こうとする村雨。
早速この件を手紙に書こうとペンを取り直した瞬間、思い出したかのように背中越しに声をかけられる。
「あ、誘うなら来週末にしなさいね。」
「来週末……?」
何かあったかを思い返すこと数瞬、今月の頭に長女がその日に姉妹艦の間でプレゼント交換をしようと言っていたことを思い出す。
そう、来週の週末は……
「白露姉さんには私から話しておくから。クリスマスデート、頑張ってね」
「デ、デート!?」
海風の素っ頓狂な声を華麗に流しながら今度こそ部屋を出て行く村雨。
顔が熱を持っていくことを自覚しつつ、生まれて初めてのデートという場面に戸惑いながらも、この機会を無駄にするまいと便箋にペンを走らせる。
自分の恋心を自覚してから初めて二人きりででかけるのだ、少しでもいい所を見せたい。
そんな思いが海風の頭の中を支配していた。
(頑張って振り向いてもらわないと……!)
それからは、当日のことを思うと夜も眠れない日が続いたのは言うまでもない話である。
※※※
「意外と面白かった」
誘って貰った映画の感想としてはいかがなものかと思うが、普段映画をほとんど嗜まないのだから仕方がない。
アクションものだったので陸でも十分に楽しめたのが救いだったが、海風はどうだったのだろうか。
ちらりと海風の方を窺うと未だに興奮冷めやらぬ様子で頬が紅潮している。
「映画館で見るのは初めてだったんですけど、テレビで見るのとは全然違うんですね!」
パンフレットまでしっかりと購入した姿を見るによほどお気に召したらしい。
ねーちゃんは映画好き、としっかりと脳味噌に書き込みながら大型ショッピングモールのエスカレーターを下る。
「とりあえず、順番に見ていく?」
「そうですね」
大抵冷やかしになりそうだなぁと心の中で店員さんに手を合わせながら、並ぶ店先を覗いていく。
眼鏡屋でお互いに眼鏡をかけてみたり、服屋で海風に着せ替え人形にされたり、花屋で先日の四つ葉のクローバーの件から勉強したという海風の花言葉講座に耳を傾けたり。
二人の間に話題が尽きることはなく、次々に花を咲かせていく。
その最中、ふと海風の目があるものに留まる。
「何か見つけた?」
その視線を追いかけるとそこには透明な箱の中に積み上げられたクッションほどの大きさの猫のぬいぐるみが随分と眠そうな顔でこちらを見ていた。
「陸君、これは?」
「UFOキャッチャーって言って、クレーンを操作して中の景品が取れたら貰えるんだ」
その言葉に海風の瞳がきらりと光った気がした。
陸の説明を熱心に聞き、コインを入れる。
海風に操られたクレーンはぬいぐるみの真上でぴたりと止まるとそのまま真っ直ぐに降下して……
「あっ……」
むんずっと。
しっかりとアームがぬいぐるみを掴んだように見えたが、持ち上げる段階ですり抜けるように抜け落ちてしまった。
無慈悲にも虚空を掴んだクレーンが元の位置に戻る。
少々ムッとした表情で再びコインを投入しようとした海風だったが……
「姉ちゃん、ちょっと待って」
それを制する声に振り替えると少々渋い顔をした陸の表情。
どうしたのだろうかと首を傾げている海風の手を引きながらゲームセンターを出ると小声で耳打ちにしてきた。
「ちょっと他のゲームセンターも見てみない?」
海風が返事をする間もなく、陸は他に並んでいるゲームセンターを覗いて同じものが景品になっているクレーンゲームがないかを確認し、見つけ次第コインを投入して一度だけプレイしていく。
それを繰り返すこと三回目。
しっかりとぬいぐるみを掴み、しかし取り出し口に繋がった穴の直前で落ちてしまった様子を見て落胆した様子の海風に満足そうな顔をして陸は場所を譲り渡す。
「多分ここなら大丈夫」
どういうことなのか釈然としないままにコインを入れる。
先程と同じように、まるで意思を持ったかのようにぬいぐるみの真上まで移動したクレーンは海風がスイッチを押すのに導かれてそのまま降下してぬいぐるみをしっかりと掴む。
しかしそこからは先程は違った。
クレーンによって持ち上げられたぬいぐるみは、今度はアームをすり抜けるようなことはなく成されるがままに運ばれて……
「やった!」
歓喜の声を上げ、取り出し口に転がり落ちてきたぬいぐるみを抱きしめ、頬をすり寄せる海風の様子を優しく見守っていた陸が近づく。
「おめでとう姉ちゃん。」
「はい、ありがとうございます!」
よほど嬉しかったのだろう。
返事をしながらもすり寄せるのをやめない様子が微笑ましい。
しばらくもふもふとぬいぐるみの感触を楽しんでいた海風だったが、ハッと陸の視線に気づいて恥ずかしそうにしながらおずおずと尋ねてくる。
「そういえば、どうしてお店を変えたんですか?」
「あぁー……」
海風の質問に少し遠くを見るような視線を飛ばす陸。
少し周りを見渡して周りにあまり人がいない事を確認すると海風に耳打ちしてきた。
「最初のお店はアームの掴む力が弱そうだったんだ。だからあそこで取るのは難しいと思って」
その言葉に納得する海風。
アームの強さが各ゲームセンターのさじ加減で決められているのなら、アームの力がなるべく強い所を選んだ方が景品を取りやすいだろう。
しかし、アームの強さを一度見ただけで見抜くとは……
「もしかして陸君って……」
「あはは、実は地元のゲーセンには結構通ってました」
ポリポリと頭を掻きながら答える陸。
それなら迷うことなく行動をしていたのも頷ける。
「でも、慣れているなら取ってくれてもよかったのに……」
「その、ねーちゃんゲーセン初めてみたいだったから自分で取りたいかなって思ってさ」
そう、陸という少年はこういった人の気持ちを敏感に感じ取る部分がある。
声に出さずとも自分の気持ちを汲み取ってくれる、それが心地よい。
(だから好きになったんですけど……)
そこまで考えて慌ててぬいぐるみに顔を埋める。
自分でも分かる、今顔が真っ赤になっているであろうことが。
「ねーちゃん?」
「なんでもないです、なんでも!」
陸にばれない様に必死で顔を隠す海風。
それを覗きこもうとしたその瞬間にふっと照明が暗くなり、広場のクリスマスツリーを中心に色とりどりのイルミネーションに灯りが灯る。
まるで光の国に迷い込んだようなそんな光景に感嘆の声を漏らしているところへ差し出される右手。
「じゃあ行こうか、姉ちゃん」
「行くってどこへですか?」
その手を取りながら尋ねると、陸はいつかの夏祭りで花火をサプライズで見せてくれた時と同じ顔をしながら告げる。
「そろそろいい時間だし、特等席にね」
※※※
そう言って連れてこられたのは広場の一角にある小洒落たパスタ屋。
海風も雑誌で何度か名前を見かけたことがある有名な店だ。
陸が店員に予約をしていた旨と名前を告げると、連れていかれた先に用意されていたのは広場を一望できるテラス席。
そこはライトアップされたクリスマスツリーを腰を据えて落ち着いて鑑賞できる特等席だった。
「こんないい席を予約していてくれるなんて、ありがとうございます」
「デートだからさ、いい雰囲気のところ用意しておこうかと思って」
本当に細かい所に気を配ってくれる彼に感謝する。
タイミング的にはちょうどいいだろう。
「実は陸君にプレゼントを持ってきたんです」
「えっ!?」
そう言って鞄から取りだされたのは可愛らしくリボンで包装されている紙包み。
随分軽いがいったい何なんだろうか
「開けて、いい?」
海風が頷くのを見てからそっとリボンを外していく。
その中から出てきたのは白い毛糸で編まれたマフラーだった。
「初めて編んだので、少し不恰好ですけど……」
「ねーちゃんが編んでくれたの!?嬉しい!」
そう言いながら早速巻いてみる陸。
首だけでなく心も温かく感じるのはきっと気のせいではないだろう。
一通り堪能し、汚さないようにとそっと袋の中に仕舞う。
「お守りの時といい、進水日の時といい、頂いてばかりだったので」
「気にしなくていいのに。というか失敗しちゃったな」
そう言って鞄のポケットから手の平より少し大きいぐらいの紙袋を取り出し、海風に差し出す。
海風の物のようにリボンのような包装はないが、クリスマスツリーのシールが貼ってあった。
「開けてみてもいいですか?」
「どうぞ」
そっと破らないようにシールが剥された中から出てきたのは、金色のピンをベースに四つ葉のクローバーをあしらったヘアピンだった。
以前のプレゼントを気に入ったことからそれに関するものを購入してきてくれたのだろう。
「もっとちゃんとした物を用意してくるんだった」
「そんなことないです、嬉しいです」
少し申し訳なさそうにしている陸にそっとフォローを入れて早速ヘアピンを着ける。
輝くイルミネーションの中、きらりと光を弾くそれは、暗がりに溶けてしまいそうな海風の髪色にそっとアクセントを差し込むように控えめにその存在を主張する。
少し頬を染めながら髪を耳へかけるその仕草も相まって、陸の心臓を跳ねさせるには十分すぎるほどの魅力を放っていた。
「すごく綺麗」
「あ、ありがとうございます」
どうやら声に出ていたようで、二人そろって顔を赤くして俯いてしまう。
タイミングよく店員さんが持ってきてくれたメニューから二人であれやこれやと談笑しながら注文を決め、その後はお互いのパスタを分けながら舌鼓を打った。
予想した通りに楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので。
色々と雑談をしているうちに時計の針は帰り支度をしなければならない時間を示す。
会計を済ませてモールの外へ出るとピリリとした冬特有の寒さと……
「雪です!」
ふわふわと降り注ぐ粉雪に歓声を上げる海風。
淡く反射された街灯の明かりを背景に振り返った彼女の笑顔はそれに負けないほど輝いていて
「ホワイトクリスマスですね!」
来年も、ずっと彼女と共に……。
そういった気持ちが陸の胸を渦巻く。
溢れ出る欲求に逆らうことなく、思いを乗せて口を開く。
「来年も、一緒に見に来ようよ」
陸の言葉にきょとんとする海風。
だが次第にその言葉の意味が分かったのだろう。
今日一番の赤面の後に、彼の腕へと抱き付く。
「はい、もちろんです」
目いっぱいの笑顔をその顔に咲かせて。