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Turning

 ポカポカとした陽気。
 すっきりとした秋晴れの日差しが差し込む談話室の一角で色とりどりに話題の花を咲かせる少女達。
 珍しく多くの姉妹艦の休暇が重なった白露型姉妹の姿がそこにはあった。
 女三人寄れば姦しいと言う言葉通り、先程から話題が尽きる様子はない。
 一つの話題が終わればすぐさま次の話題が始まる。
 時には一つの話題が終わる前に次の話題がねじ込まれる。
 もはや最初の話題がなんだったのか、恐らく話している本人達すら分からないだろう。
 そんな中、空色の髪を三つ編みで一つに纏めた少女――海風は一人心ここに非ずと言った様子。
 手に持った愛用の湯飲み、そこに入れられたお茶の水面をじっと見つめている。
 その心に浮かぶのは文通相手の少年の事。
 数日前、彼に衝動的に抱き付いてしまったあの日から隙さえあれば彼の事を考えてしまっている。
 次の返事はいつになるだろう、今何をしているだろう。
 彼に関する事がまるで泉の源泉のように湧き出る。
 
 「海風の姉貴ー、聞いてっかー?」

 「あ、ごめんなさい」

 赤い髪をおさげにまとめた妹――江風の声にハッと意識が現実に帰還する。
 このお茶会が始まってからもう何度同じやり取りをしたか分からない。
 そんな海風の様子に最初は頬を膨らませていた江風も、今では少し心配そうな表情になっている。
 えへへ、と誤魔化す海風。
 そんな彼女に江風の向かいに座った茶色の髪をツーサイドアップにした少女――村雨が声をかける。

 「そういえば、少し前から気になってたんだけど」

 赤と紅檜皮の目を薄くして、まるでいたずらを思いついた子供の様ににやりと笑みを浮かべる村雨。
 その様子は妖しいという表現がぴったりだろう。
 嫌な予感を感じ、乾いてきた口を潤すためにお茶を一口含む。

 「海風って、最近女の子の顔するようになったわよねー」

 「ぶふっ!?」

 とんでもないキラーパスを受け、飲んでいたお茶を誤飲する。
 隣から姉貴汚いなどと聞こえるがそんなことに構っている余裕はない。

 「ど、どういう意味ですかそれ!」

 どうにか吹き出すことは堪え、息を整えて叫ぶ海風。
 顔が赤くなっているのは先ほどまで咳き込んでいたためか、それとも。
 珍しく声を荒げる海風の様子を意に介さずに村雨は話を続ける。

 「さあ?海風はどういう意味で捉えたのかしら?」

 意味深な笑みを浮かべて海風を見やる村雨。
 今なら黒い羽根と尻尾が見えそうなほどである。
 ぐぬぬと漏らす海風、そのやり取りをお茶菓子を齧りながら見ていた江風が問う。

 「海風の姉貴は女だろ?艦娘なンだから」

 当たり前の、しかしこの場においては少々的外れな発言に頭を抱える村雨。
 今聞きたいことは性別として女性か否かではない。
 回りくどいやり取りは無しにして単刀直入に聞くことにする。

 「あの文通相手の子とはどうなのって聞きたいの」

 「あぁー!江風も気になる!」
 
 いつの間にばれていたのだろうかという疑問が浮かぶが今は置いておく。
 ずずいっと食いつく二人に気圧されるが、どうと言われても特に変わったことはない。
 あのお守りの謝罪の一件から、時間ができれば少し会うことが増えたが、それ以外は今まで通りの文通である。
 例外として自分の心の中の状況を除けば、であるが。

 「どこかに出かけたりとかは!?」

「以前夏祭りに一度……」

 「手を繋いだりは!?」

 「その時に、一度だけ……」

 「一回だけ!?」

 ものすごい剣幕で捲し立てる二人に気圧され、誤魔化すという選択肢はなく正直に答えていく海風。
 そして思い出されるのは、あのお守りの一件のあの日の別れ際の行動。
 事あるごとに脳裏に自動再生されるあの場面。
 今でもしっかりと残る彼を抱きしめた時の感触。
 もう幾度も襲われた感覚だが、未だに慣れずに体温を上げていく。
 それを村雨が見逃すはずもなく

 「何か隠してるでしょ」

 「そんなこと、ないですよ?」

 震える声で返しながら泳ぐ眼を逸らす。
 はい、そうですと自白しているようなものだが流石にこれを話すことには抵抗があった。
 だがここで黙秘など二人が許してくれるはずもなく
 
 「江風」

 「ほいほいー」

 「ふぇっ!?」

 パチンッと。
 村雨の指の音と同時に後ろから江風に羽交い絞めにされる海風。
 前を見れば手をワキワキさせながら村雨がじりじりと近づいてくる。
 これはまずい、なにがまずいかは分からないがとにかくまずいと本能が告げる。

 「村雨姉さんちょっとまっ……」

 「さっさと吐きなさーい!」

 静止の声が虚しく響く中、無情にも繰り出されるくすぐり。
 海風が音を上げるまで、そう長い時間はかからなかったのは言うまでもないだろう。

           ※※※

 十数分ほど経っただろうか。
 先程まで海風の悲鳴混じりの笑い声が響いていた談話室の一角には耳まで赤く染めた海風とご満悦と言った表情を浮かべた村雨と江風の姿があった。
 この様子から根掘り葉掘り、一から十まで洗いざらい喋らせられたのは想像に難くないだろう。
 
 「そんな大胆なことしちゃってたなんてねぇ」

 「忘れてください、忘れさせてください……」

 「忘れちゃダメよ」

 羞恥に埋もれながらなんとか絞り出した声にピシャリと言い放たれる。
 先程までの生暖かい視線はどこへやら。
 真剣な、駆逐隊旗艦を務めている時と同じ表情でこちらを見やる村雨。
 その変わり様に、先程まで一緒になってからかっていた江風も驚いた様子だった。
 急な変化に戸惑う海風に次は優しく微笑みかける。

 「海風いい?その感情は大切にしないとダメ。だってそれは……」
 
 「むーらーさーめー?こっちからあんまり干渉しちゃダメって言っておいたよね?」

 突如村雨の声を遮り、その背後から伸ばされる腕。
 それらは見ているだけで柔らかいと分かる村雨の頬っぺたを摘まむと勢いよく引っ張る。
 何事かとソファーの後ろを見るとどこかに出かけていたはずの長女の姿があった。

 「あ、海風ただいまー」

 にへらっとこちらに笑いかけながらも頬を引っ張る手は休めない辺り流石だと思う。
 そこまで考えて一つの考えが海風の頭を過る。
 白露なら、自分よりも人の感情と言うものに長く触れてきた彼女なら、今の自分が抱く感情の答えを知っているかもしれない。

 「白露姉さん、今時間はありますか?」

 「大丈夫だけど、どしたの?」

 チラリと視線を逸らす。
 流石に不特定多数が集まるここで話す事は躊躇われた。
 しかし、それだけでこちらの意図は伝わったようで。

 「おっけー。じゃあこの前の波止場にいこっか」

 彼女の直感のよさに今はただ感謝する。
 二人が部屋を出た後、顔を見合わせる村雨と江風。
 考えていたことは同じだったのだろう。
 こっそりと後をついていこうと行こうとしたその時、

 「ダメですよ?」

 いつからそこにいたのだろう。
 桃色のサイドテールが逆立ちかねないほどの威圧感を放ちながら仁王立ちする春雨。
 顔は笑っているが目が笑っていない。

 「野次馬もほどほどに、ですよ?」

 春雨の言葉にコクコクと頷く二人。
 その現場を見た者が言うにはまるで張子の虎のようだったとか。

          ※※※

 談話室でそのようなことが起こっているとは露知らず。
 高かった日が傾き始めた鎮守府敷地内の波止場の先に白露と海風は来ていた。
 先日お守りの一件で相談に乗ってもらった時からそれほど日は経っていないはずなのに随分久しぶりに思えてしまう。

 「で、何か相談事?」

 波止場の先でくるりと回ってこちらを見る白露に、先日衝動的に体が動いたことや彼を友達と言った時のモヤモヤ、今自分の心の大半が彼の事で埋まっている様な心情を打ち明ける。
 自分自身でも順を追って整理をつけるかのように。
 急かすようなこともせず、ただ黙って聞いてくれる白露に感謝しながら、ここ数日胸に滞留していた感情を吐き切る海風。

 「姉さんはこの感情を知っていますか?」

 「多分ね。経験はあたしもないんだけど」

 「じゃあ……!」

 「その前に質問」

 海風の言葉を遮ってまで発せられた言葉に首を捻る。
 だが、白露の表情は真剣そのもの。
 何か意味があるのだろう、そう信じて次の言葉を待つ。

 「もし、もしもだよ?あたしがその子とさっきまで楽しくおしゃべりしてたって言ったらどんな感じ?」

 その質問にどういう意味があるのだろうか。
 疑問に思いながらもその場面を思い浮かべる。

 (陸君が誰と仲良くしても、それは陸君の自由ですし……)

 頭では分かっている。
 では今自分の胸に湧き上がってきた、今までとは比べものにならないほどのモヤモヤはなんだろう。
 この感情を正確に表現する言葉を海風は知らずにいた。
 ただ言えることがあるとすれば

 (面白くない……)

 そんな感情が胸を渦巻く。
 明らかに機嫌が悪くなっているのが自分でも分かった。
 そんな様子に白露も苦笑いを浮かべる。

 「あはは……聞くまでもなかったみたいだけどどんな感じ?」

 「モヤモヤします」

 適切な言葉が見つからず、取りあえずそう答えておく。
 そんな答えでも白露は満足した様子で。
 
 「海風さ、それ焼きもちもちじゃない?」

 「へ?」

 焼きもち。
 言われてすとんと腑に落ちる。
 今まで経験のない感情、これが嫉妬と言うものなのか。
 なるほどと考えてからようやくここで一つ引っかかる。
 なぜ自分がそんなことで焼きもちを妬いているのだろう。
 ドラマのワンシーンのような。
 まるで自分が彼の事を……。

 「そんなわけ……。それじゃまるで陸君の事が好きみた……い……」

 瞬間、目の前を覆っていた霧が晴れるような感覚に陥った。
 知識の中では知っていた、知っていると勘違いしていた感情。
 これが……?
 
 「気づいた?」

 優しくかけられる声。
 その声は今までの彼女の中で一番優しくて。
 未だに戸惑いを隠せない様子で白露を見る海風。
 その瞳は困惑だけではない、未知なる感情への恐怖の色も映しているように見える。

 「好きだなんて……。私は、海風は艦娘です……。そんなの……」

 許されるはずがない。
 言葉にはされなかったが、白露にはしっかりと聞こえた気がした。
 どうしてこうもこの子は融通が利かないのだろうと内心で頭を抱える。
 それに対する答えは既に姉妹の中に持っている者がいるというのに。

 「でも春雨は提督から指輪を貰ってるよ?榛名さんも」

 この鎮守府では練度上限開放にドッグタグの形のものを利用している。
 それでも提督から指輪を贈られた艦娘が二人いた。
 そのうちの一人が彼女の姉妹である春雨である。
 言われてようやくハッとした表情を浮かべる海風。
 そう、ここで許されないと言った話になると彼女たちの事も否定してしまうことになるからだ。
 
 「艦娘だから恋をしちゃいけない、幸せを追っちゃいけないってことはないんだよ?」
 
 それは提督がいつも言っていることだった。
 鉄の塊だったものが今度は人として生を受けた。
 心を、感情を持つことができた。
 だから戦い以外のなにかに、どこかにやりたいことを見つけなさい、と。
 これがそういう事なのだろうかと考えるが、すぐに答えは見つかりそうにない。

 「好き……。私は陸君のことが、好き……」

 改めて、その感情を噛み締めるように呟く。
 本当にそうなのだろうかと言う不安を含みながらも、言葉にするたびに体が熱くなっていくような気がしてくる。

 「あたしがそう感じたってだけだけどね。答えの一つじゃないかなってことで」

 そう言って軽く海風の肩を叩く白露。
 その背中を黙って見送る。
 今はこの火照った体を潮風で冷ましたかった。

        ※※※

 既に日がとっぷりと暮れた頃。
 ようやく海風は自室へ戻った。
 結局あれから考え事が止まらず、ずっと妙に体が熱いような感覚に悩まされていたからだ。
 自分が陸の事を好きなのかもしれない。
 考えただけで体が再び熱を持っていく。
 それを紛らわすように枕に顔をうずめてみる。
 暗くなった視界の中で浮かんでくるのは彼の顔。
 自分が無事でよかったと、貝殻を撫でながら向けてくれた優しい笑顔。
 ガバッと顔を上げる。
 鏡を見なくても分かる。
 今自分の顔は真っ赤に染まっていることだろうと。
 こんなことになっていても自分の気持ちに確信が持てない辺りに彼女の人として未成熟な部分が出ているのだろうか。
 次会ってみれば分かるかもしれない。
 期待半分、そして分かることで彼との関係が変わってしまうのではないかと言う不安がもう半分。
 そんな彼女の心を表すように、半分に欠けた月が夜空を照らしていた。
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