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What's the feeling?

 特別作戦が終わった。
 結果から言えば、上々。
 甲作戦による全海域攻略、更に新たに確認された艦娘を全員保護。
 今の鎮守府は新人の教育で忙しくも、平常時と同じ任務をこなす日々を送っている。
 いわし雲の浮く澄んだ青空。
 波止場の先でそれを見上げる少女の顔はその空模様とは真逆にどんよりと曇っている。

 「はぁ……」

 今日何度目か分からない溜息。
 潮風に淡い空色の三つ編みを揺らしながら、その手に握ったあるものに視線を落とす。
 それは貝殻をいくつか繋いで作ったブレスレット……だったもの。
 先日、文通を行っている少年、相馬 陸からお守りにと貸してもらったものである。
 今では貝殻を繋いでいた紐は千切れ、貝殻もそのほとんどが砕けてしまってその原型を留めているものの方が少ない。
 あれから海風は律儀にもお守りを肌身離さず持っていた。
 出撃時もポケットの中に大切にしまっていたほどで、外す時と言えば就寝時のみだったぐらいである。
 それが結果的に不幸を招く。
 海風が出撃した作戦は前段作戦の締め。
 敵の攻勢も激しくなる海域だった。
 もちろん、損害が出る確率も上がる。
 それが海風に牙を剥いた。
 夜戦時に海風は敵の随伴艦の姫級を沈めることに成功するも、返す手で中破にされてしまう。
 幸いにも艤体に大きな怪我は残らなかったものの、艤装は半壊。
 連装砲を盾にしてもなお防ぎきれなかった衝撃が海風の体を襲う。
 恐らくお守りが壊れたのはその時であろう。
 帰ってきて確認をしたところ現在の姿に変わり果てていた。

 「どうしましょう……」

 「お困りの様だね!」

 突然かけられた声に肩を跳ねさせる。
 振り返るとそこには肩にかからないぐらいの茶色の髪を揺らす、黒いセーラー服を着た少女が立っていた。

 「一人で考えて答えが出ない時は誰かに話を聞いてもらえばいいの。一人で抱え込むのは海風の悪い癖だよ?」

 「白露姉さん……」

 普段は次女や三女の方がよっぽど姉らしく見えるぐらいなのに、なぜこういう時は誰よりも頼りに見えるのだろうか。
 姉妹の事を誰よりもよく見て、些細な変化すら見逃さない観察力。
 本人は直感だと言っていたが、それにはいつも驚かされる。
 まだ敵いそうにはないなという気持ちは隅に追いやり、今は彼女の言葉に甘えるとしよう。

 「お守りを借りたんです。ですが、壊してしまって……」

 ポツリ、ポツリと言葉を繋ぐ。
 これを彼が本当に大事にしていそうだったこと。
 それを自分の身を案じて、信じて貸してくれたこと。
 あの時の陸の表情を思い出すたびに胸に鋭利な何かが突き刺さるような感覚に襲われる。

 「なるほどねー。じゃあそんなの簡単。謝ればいいの」

 「許して、くれるでしょうか」

 「それはあたしには分かんない。というかさ」

 白露の目が海風のそれを捉える。
 いつも浮かべている太陽のように眩しい笑顔はどこへやら。
 真剣な、射抜くような視線に思わず息を飲む。

 「海風は、許されたいから謝るの?」

 その言葉は海風の心を大きく揺さぶった。
 そうだ、許される許されないではない。
 自分は約束を破った。
 きちんと返すという彼との約束を。
 ならば謝罪をするのは当然の事。
 何故そんなことに今まで気づくことができなかったのか。

 「バカですね、私。言われるまで気づくことができないなんて」

 「仕方がないよ。海風はあたしより艦娘歴が短いわけだし」

 本当に人の心というものは難しい。
 鉄の艦だった頃では絶対にこんな風に思い悩むことなどなかったであろう。
 まぁ艦の歴史が記憶のようになっているだけで、艦の頃は考えるという概念すらなかったが。
 ストンと引っかかっていたものが落ちたのか、少しすっきりとした顔をした海風は、いつまでも自分を見ている白露がいつの間にかいつもの笑顔に戻っていることに気付く。
 いや、いつもの笑顔とは何かが違う。
 優しく、見守るような、慈愛に満ちた微笑み。

 「なんですか?」

 「んーん!そんなに嫌われたくなかったんだなぁって思っただけ」

 「当たり前じゃないですか。陸君は大事な……」

 そこで言葉が途切れてしまう。
 文通相手、果たしてそれだけだろうか。
 分からない。
 今湧き上がった気持ちを表現する方法が分からない。

 「大事な……」

 「友達?」

 「そ、そうです!大事な友達です!」

 白露の言葉に慌てて頷く。
 果たしてそうなのだろうかと言った疑問は残ったが、今現在適切な表現が出てこない。
 喉の奥に何かが引っ掛かっているような、そんな嫌な違和感を感じながら首を捻らせる海風を、苦笑いを浮かべながら見守る白露。

 「それよりいいの?こんなところで油売ってて」

 「あ、そうです!私少し出てきます!ありがとう……」

 「お礼は良いから。いってらっしゃい」

 こちらに一礼して駆け出していく海風をヒラヒラと手を振りながら見送る。
 その後ろ姿が見えなくなってからもう一度苦笑い。

 「ありゃ気づいてなさそうだなー」

 本人は無自覚なのだろう。
 彼からの手紙が来た時、それを読んでいる時、返事を書いている時。
 その全てが今まで見せたことのない表情をしていることに。
 もしやと思って、何かを知っていそうな春雨に話を聞けば見事にビンゴ。
 それからは変に口出しはしないように姉妹全員に口止めをして回ったことも彼女は知らないだろう。

 「頑張れ少年。海風はきっと手ごわいよー」

 存在しか知らない少年へ、潮風に乗せてエールを送る。
 彼ならば、きっと海風をより良い方へ導いてくれる、そんな確信をこめて。

           ※※※

 それからの海風の行動は迅速だった。
 提督に外出の許可を取り付け、彼の家へと電話をかける。
 無事在宅中だった彼と待ち合わせの約束をし、待ち合わせの場所へ走る。
 まさか艦娘特有の高い身体能力をこんな場面で使うことになるとは考えたことなかった。
 だが今はそれに感謝しつつ、道行く人が何事かと振り返るのも気にすることなく、最短ルートを駆け抜けた。
 待ち合わせの場所まであと少し。
 目印の時計が見え始めたころ、その下には既に彼の姿があった。

 「陸君!お待たせしました!」

 その声で気づいたのだろう。
 嬉しそうな、その次にまさか走ってくるとは思わなかったのだろう、驚きに顔を染める。

 「走ってこなくてよかったのに」

 「いえ、これぐらいへっちゃらです」

 両手で小さくガッツポーズをしてみせる。
 それに安心したような表情を見せる陸。
 これからその顔を曇らせることになる、その事実に胸を痛めながら単刀直入に繰り出す。

 「陸君ごめんなさい」

 「へ?」

 いきなり頭を下げられ、意味が分からないと言った風の彼に件のお守りを見せる。
 その瞬間に明らかに曇る顔。
 やはり許してもらえはしないか、それでも誠心誠意謝罪をしないとと改めて思う海風。
 ちらりと彼の顔を見ようとした瞬間、両肩を勢いよく掴まれた。
 そこまで怒らせてしまったかと思い、しかし眼を逸らすわけにはいかないと彼の顔を見る。
 その顔は今にも泣きだしそうで、しかし怒りを宿した様子はなく。
 彼の手が肩から腕へ、その後腰へと移動する。
 まるで何かを探すように。
 跳ねる様に上げられる彼の顔。
 その口から出た言葉は海風の予想していたものとはまるで違った。

 「姉ちゃん怪我してないよね!?」

 「ふぇ?」

 怒られるものだと思っていた。
 絶縁を言い渡されても仕方がないとも。
 それなのに彼の口から出たのは海風を心配する言葉。
 完全に予想していなかった言葉に頭がついてこず、素っ頓狂な声を出してしまう。

 「だから怪我!壊れたってことはそれだけ大変だったんでしょ!?」

 「あっ……」

 繰り返されてようやく理解が追い付く。
 それと同時に保身しか考えていなかった先ほどまでの自分が恥ずかしくなる。
 大事な宝物を故意ではないと言え壊されてなお、相手の心配ができる人間などそうはいない。
 しかし、それだけの人格を陸は持っていた。

 「はい、怪我は大きなものは。細かいものは入渠の際に治りましたので」

 「よかったぁ……」

 心底安心したと言った風に、陸は長い長い息を吐きながらその場にへたり込む。
 そんな彼を近くのベンチへと連れて行き、改めて彼に借りたブレスレットだったものを渡す。

 「ごめんなさい、約束守れませんでした」

 改めて頭を下げ直す。
 海風の手から貝殻の欠片を拾い上げる陸。
 しかし、その表情には先ほどの様に曇ったものではなかった。
 優しく、安心させるように海風の頭に手を置きながら彼は微笑む。

 「仕方がないよ。戦いに出てるんだから、こんなのちょっとしたことで壊れちゃうし」

 だから頭を上げてほしいと言う陸の言葉にようやく海風は顔を上げる。
 優しく欠片を撫でながら陸は続ける。

 「それにこれは姉ちゃんが無事でいますようにって貸したんだもん。怪我がなかったから問題なし。それに……」

 そこで一度言葉を区切る陸。
 こちらに向き直り、海風の目をしっかりと見つめて迷いなく告げる。

 「姉ちゃんは約束破ってないよ?」

 「え?でも……」

 おかしなことを言う。
 お守りは原型を留めていない。
 これでは返したことにはならないはずだ。
 どういうことかと目で訴える海風を見て、陸はまるで答え合わせを楽しむように告げる。

 「俺はこう言ったはずだよ?『ちゃんと帰ってきてね』って」

 「……あっ!」

 言った。
 確かに言っていた。
 ちゃんと返してとも言っていたが、約束として言ったのは彼が言った通り、『ちゃんと帰ってきてね』と言う海風の無事な帰還を願うものだった。

 「だからいいんだ。きっとこれが姉ちゃんを守ってくれたってことだから」

 本心からそう思っているのだろう。
 迷いなど一切なく、笑顔でそう言い切る陸。
 その様子に今まで耐えていたものが決壊する。

 「よかったです。嫌われるかと、思って……!」

 「もう、そんなことあるわけないじゃん」

 涙を流す海風の頭を優しく撫でる陸。
 子供の様に泣く彼女を宥めながら、艦娘も笑いもすれば泣きもする普通の女の子なんだと再確認する。
 どれくらいそうしていただろうか、ようやく泣き止んだ彼女は目が赤くなってしまっている。

 「ごめんなさい、急に泣いてしまって」

 「いいって。姉ちゃん、必要ない時にも謝るの悪い癖って言われない?」

 先程似たようなことを言われたことを思い出す。
 彼も本当に人を良く見ていると実感する。

 「あと……。時間大丈夫?」

 「あっ……」

 慌てて時計を見上げる。
 提督に貰った時間まであと少し。
 そろそろ帰り路に着かなくてはならない。

 「そうですね。そろそろ帰らないと」

 「そうだよね」

 その言葉に二人とも立ち上がる。
 しっかりと向き合った二人の間を秋風が吹き抜ける。

 「姉ちゃん、また手紙書くから」

 「はい、楽しみにしてますね」

 「じゃあ、またね」

 「はい、また」

 再会のための言葉を告げる二人。
 しかし、今度は二人とも動かない。
 陸は見送るつもりだったため、海風がその場から動かない事に首を捻る。
 次の瞬間、突然ふわりと今まで経験のない香りと柔らかい感触が陸を包む。
 視線を右に移すと、先ほどまで正面にいた海風の髪の色が視界いっぱいに広がる。
 それでようやく理解した。
 自分が今どういう状況なのかを。

 「姉ちゃ……」

 「では陸君!今度こそまた、です!」

 陸の言葉を最後まで聞かずに駆け出す海風。
 その後ろ姿が消えるまで、陸から海風の感触の余韻が消えることはなかった。

            ※※※

 帰り道を全力疾走で駆け抜け、提督への帰投報告を済ませた海風。
 妹達の呼び止める声を置き去りにして部屋へ戻るや否や、ベットへと飛び込み枕へ顔を埋める。

 (なにやってるんだろぉ~~~~~!)

 思い出されるのは別れ際の行動。
 衝動的に、気が付いたら陸に抱き付いていた。
 熟したリンゴのように顔中を赤く染めて足をばたつかせる。
 走り終えてしばらく経ったにもかかわらず、心臓は早足に鼓動を刻み続ける。

 「どうしちゃったんだろう……。」

 誰に言うでもなくポツリと漏らす。
 しかし、その問いには海風自身も答えを持ち合わせておらず。
 ちりりんと、秋風に揺れる風鈴のみがそれに答えるのみだった。
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