To you the amulet
ある休日のお昼過ぎ。
その日の夕餉の材料を買い求める人々で賑わう商店街。
しかし、その一角に閑散とした店が一つ。
「暇だなぁ」
その店の店主である相馬陸の父が誰に言うわけでもなくぼやく。
店先には本来並ぶはずの新鮮な魚たちの姿はなく、店内は閑散としていた。
「いつものことだから仕方ないよ」
「とは言ってもなぁ……」
ちょうど二階から降りてきた陸のフォローに対しても理解はできても納得はできないと言った様子。
相馬家の魚屋に閑古鳥が鳴いているこの現状には理由があった。
現在の海は深海棲艦が出没するため、漁に出る船舶には決まって艦娘の護衛、もしくは事前の海域掃討が行われている。
そのため、魚を入手する術がないと言ったことにはなっていない。しかし、例外とされる期間が存在する。
四半期に約一度のペースで行われている対深海棲艦特別作戦の期間である。
その間は日本周辺の近海ですら封鎖され、民間の船舶が海に出ることは禁止されるのである。
その間は漁師が漁を行うことができず、結果魚屋である陸の家に商品が入ってこないというカラクリだった。
国から援助金が出ているのでその間でも生活に困らないのが救いではある。
「特別作戦……か」
今日何度目か分からない父親の溜息を聞き流しながら家を出る。
文具屋までの道中、ぼんやりと思考を巡らせる。
特別作戦というものがどんなものが詳しくは知らない。
陸自身も実家の職業上知っているだけで、今が特別作戦の実施期間だという事を知っている一般人の方が少ないだろう。
まぁ情報が漏洩してからでは遅いのでその点は仕方がないと言える。
だがその特別作戦が普段より格段に危険なものという事を陸は知っていた。
数年前、ちょうど荷が入ってこない期間と本土に行われた空襲の時期がぴたりと重なっていたからだ。
当時、それは大騒ぎになったことだ。
その時前線に出ていた艦娘達はそれ以上に大変だったであろう。
そんな危険な作戦が行われるとなると、陸が考えることはもちろん……
「姉ちゃん、大丈夫かな」
愛しの想い人、海風の事である。
文通によって、最近演習の調子がいい事、海域に出た時に武勲艦になることが増えた事等は教えてもらっている。
しかし、それでも心配なものは心配だ。
普段よりも危険な海域にその体一つで戦いに出向くわけなのだから。
「俺に出来る事……。ないよなぁ……」
海風のために何かしたい。
そう言った気持ちは湧き上がるのだが、如何せん自分は民間人。
深海棲艦と戦うことなどできはしない。
自分に出来る事など彼女の無事を祈るぐらいである。
「でもなにか……。なにかできること……」
文具屋に着き、便箋を選んでいる間も頭の中はそのことばかりが支配する。
一周、二周と店内をぐるぐると回る。
ちょうど三周目に差し掛かろうとした時、陸の目に飛び込んできたのはある一枚の便箋。
「これだ!」
その便箋を引っ手繰るように手に取る。
それは夏をイメージした砂浜と海の描かれた便箋。
一寸先も見えない霧が一瞬で晴れたような感覚。
手に取った便箋を即座に購入し、帰り路を急ぐ。
思いついたなら即行動、善は急げである。
それは少し前に同じ道を歩いた時とは打って変わって晴れやかな表情だった。
※※※
二日後、先日花火大会で待ち合わせを行った場所に海風は来ていた。
朝届いた陸からの手紙に一時間でいいから時間を作って欲しいと書いていたので、あらかじめ交換していた電話番号に電話をしたところ、ここが指定されたのだ。
提督に無理を承知で頼みに行ったところ、妙に暖かい笑顔で快諾されたのが少々引っかかるが、今は素直に感謝しておくことにする。
待ち合わせの時間まであと五分。
キョロキョロと辺りを見渡していると近づいてくる足音が一つ。
「姉ちゃん!ごめん急に呼び出して!」
息を切らしながら走ってくる陸。
相当急いできたのだろう。
肩で息をし、顔は汗だくである。
「忙しいのに……ほんと……ありがとう……!」
「いえ、大丈夫です。提督も了承済みですから」
息も整わないうちから話し始める陸を宥め、ハンカチで汗を拭う。
その時、陸が握りしめているあるものに気付いた。
「陸君、それは?」
「これはね、お守り」
見た目は小さないくつかの貝殻を紐でつなげたブレスレットのようなもの。
陸曰く、それは陸が数年前の本土空襲の際に母親から譲られたお守りだそうだ。
陸の母親も幼い頃にその母親から譲られたものだという。
それ以来、この貝殻のブレスレットは陸の宝物となっていた。
陸が例の便箋を見てこれを思い出したのは、砂浜と一緒に貝殻が描かれていたからだった。
どうしてそんなものをと考えているところに、それが海風の目の前に差し出される。
「これ、姉ちゃんに貸すよ。」
「え?」
まるで意味が分からない。
母親から譲ってもらったそんな大事なものを、なぜ自分なんかに貸すのか。
どう反応したらいいか分からないと言った様子の海風を見て、陸は続ける。
「これのおかげか分からないけど、俺はあの空襲の時怪我なく帰ってこれたんだ。だから姉ちゃんが無事に帰ってこれるように、これを貸すよ」
「そんな……。できませんよ、そんな大事なもの……」
宝物だと陸は言った。
母親が陸のことを心配して渡したお守りだ。
それを自分が借りていいわけがない。
渋る海風に陸は半ば押し付けるようにそのお守りを握らせる。
「やっぱり心配なんだ。でもこれぐらいしか俺にできることないから」
「陸君……」
その手は震えていた。
海風が怪我をすることへの、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないという恐怖。
こんなことしかできない自分への悔しさ。
それと強引に折り合いをつけた結果の行動だったのだろう。
ここまで慕ってもらっているのだ。
これ以上無碍にするのは陸に失礼だろう。
そう考えた海風は改めてお守りを握りなおす。
「分かりました。お預かりしますね」
「うん。あ、ちゃんと返してね!大事な物なんだから!」
茶化すように念を入れてくる陸。
彼なりの気遣いだろうか、作戦中という事もあってピンと張りつめていた心が少し緩む。
「お約束します。白露型の名に懸けて」
「うん、約束。ちゃんと帰ってきてね」
「はい」
微笑みあう二人。
その間を青い葉を乗せた風が吹き抜ける。
まるで『そろそろ時間だ』と二人に告げるように。
「じゃあ姉ちゃん。またね」
「はい、陸君。また」
告げるのは再会のための言葉。
お互いほぼ同時に背を向ける。
これ以上の言葉は二人には必要なかった。
※※※
「ただ今戻りました」
執務室の扉を開けて提督に帰投の報告をする。
作戦中とのこともあって机の上には書類が山積み、長机には特別作戦の戦場である海域の海図が拡げられている。
「おかえり。早かったね」
「作戦中ですから。あまり鎮守府を空けるわけにはいきません」
「まだ情報収集中だからそこまでピリピリしなくていいのに」
真面目だなぁと漏らす提督。
しかしその目は書類に戻ることなく海風を捉え続ける。
「あの……。海風の顔に何か……?」
先程出る前に鏡は見た時には変な所はなかったはずだが。
戻るまでに髪に葉でもついたのだろうかと髪を払う海風を見て、クスリと笑みをこぼす提督。
「いや、なんかいい顔になったなって」
「いい顔……ですか?」
はて、自分は今いったいどんな顔をしているのだろうか。
そんな含みのある言い方をされると非常に気になる。
「気づいてないならいい、忘れて」
「なんなんですか、もう……」
訳が分からないと言った様子で部屋を後にする海風。
その姿が扉で隠され切るまで見送った提督は胸ポケットから煙草を取り出して咥える。
「いい感じに肩の力が抜けてることに気付いてないとはね」
「まぁ海風らしいっちゃらしいよねー。」
タイミングを見計らったかのように部屋に入ってくる一つの影。
突然の来訪者にも構わずに提督は煙草に火をつける。
「あの子にお礼しないとね。本当はあたしがやらなきゃいけなかったのにさ」
「まぁ機会があればね」
それだけ言い終えるとくるりと背を向ける少女。
彼女が部屋を出る直前に、吸い終えた煙草の火を消しながら集めた情報の束を放り渡す。
「そろそろ頃合いだ。頼りにしてるよ」
「まかせて、いっちばん活躍しちゃうんだから!」
去り際に見せた彼女の笑みはそれだけでこれからの戦いを乗り越えていけそうな。
そんな気にさせてくれる眩しいものだった。
その日の夕餉の材料を買い求める人々で賑わう商店街。
しかし、その一角に閑散とした店が一つ。
「暇だなぁ」
その店の店主である相馬陸の父が誰に言うわけでもなくぼやく。
店先には本来並ぶはずの新鮮な魚たちの姿はなく、店内は閑散としていた。
「いつものことだから仕方ないよ」
「とは言ってもなぁ……」
ちょうど二階から降りてきた陸のフォローに対しても理解はできても納得はできないと言った様子。
相馬家の魚屋に閑古鳥が鳴いているこの現状には理由があった。
現在の海は深海棲艦が出没するため、漁に出る船舶には決まって艦娘の護衛、もしくは事前の海域掃討が行われている。
そのため、魚を入手する術がないと言ったことにはなっていない。しかし、例外とされる期間が存在する。
四半期に約一度のペースで行われている対深海棲艦特別作戦の期間である。
その間は日本周辺の近海ですら封鎖され、民間の船舶が海に出ることは禁止されるのである。
その間は漁師が漁を行うことができず、結果魚屋である陸の家に商品が入ってこないというカラクリだった。
国から援助金が出ているのでその間でも生活に困らないのが救いではある。
「特別作戦……か」
今日何度目か分からない父親の溜息を聞き流しながら家を出る。
文具屋までの道中、ぼんやりと思考を巡らせる。
特別作戦というものがどんなものが詳しくは知らない。
陸自身も実家の職業上知っているだけで、今が特別作戦の実施期間だという事を知っている一般人の方が少ないだろう。
まぁ情報が漏洩してからでは遅いのでその点は仕方がないと言える。
だがその特別作戦が普段より格段に危険なものという事を陸は知っていた。
数年前、ちょうど荷が入ってこない期間と本土に行われた空襲の時期がぴたりと重なっていたからだ。
当時、それは大騒ぎになったことだ。
その時前線に出ていた艦娘達はそれ以上に大変だったであろう。
そんな危険な作戦が行われるとなると、陸が考えることはもちろん……
「姉ちゃん、大丈夫かな」
愛しの想い人、海風の事である。
文通によって、最近演習の調子がいい事、海域に出た時に武勲艦になることが増えた事等は教えてもらっている。
しかし、それでも心配なものは心配だ。
普段よりも危険な海域にその体一つで戦いに出向くわけなのだから。
「俺に出来る事……。ないよなぁ……」
海風のために何かしたい。
そう言った気持ちは湧き上がるのだが、如何せん自分は民間人。
深海棲艦と戦うことなどできはしない。
自分に出来る事など彼女の無事を祈るぐらいである。
「でもなにか……。なにかできること……」
文具屋に着き、便箋を選んでいる間も頭の中はそのことばかりが支配する。
一周、二周と店内をぐるぐると回る。
ちょうど三周目に差し掛かろうとした時、陸の目に飛び込んできたのはある一枚の便箋。
「これだ!」
その便箋を引っ手繰るように手に取る。
それは夏をイメージした砂浜と海の描かれた便箋。
一寸先も見えない霧が一瞬で晴れたような感覚。
手に取った便箋を即座に購入し、帰り路を急ぐ。
思いついたなら即行動、善は急げである。
それは少し前に同じ道を歩いた時とは打って変わって晴れやかな表情だった。
※※※
二日後、先日花火大会で待ち合わせを行った場所に海風は来ていた。
朝届いた陸からの手紙に一時間でいいから時間を作って欲しいと書いていたので、あらかじめ交換していた電話番号に電話をしたところ、ここが指定されたのだ。
提督に無理を承知で頼みに行ったところ、妙に暖かい笑顔で快諾されたのが少々引っかかるが、今は素直に感謝しておくことにする。
待ち合わせの時間まであと五分。
キョロキョロと辺りを見渡していると近づいてくる足音が一つ。
「姉ちゃん!ごめん急に呼び出して!」
息を切らしながら走ってくる陸。
相当急いできたのだろう。
肩で息をし、顔は汗だくである。
「忙しいのに……ほんと……ありがとう……!」
「いえ、大丈夫です。提督も了承済みですから」
息も整わないうちから話し始める陸を宥め、ハンカチで汗を拭う。
その時、陸が握りしめているあるものに気付いた。
「陸君、それは?」
「これはね、お守り」
見た目は小さないくつかの貝殻を紐でつなげたブレスレットのようなもの。
陸曰く、それは陸が数年前の本土空襲の際に母親から譲られたお守りだそうだ。
陸の母親も幼い頃にその母親から譲られたものだという。
それ以来、この貝殻のブレスレットは陸の宝物となっていた。
陸が例の便箋を見てこれを思い出したのは、砂浜と一緒に貝殻が描かれていたからだった。
どうしてそんなものをと考えているところに、それが海風の目の前に差し出される。
「これ、姉ちゃんに貸すよ。」
「え?」
まるで意味が分からない。
母親から譲ってもらったそんな大事なものを、なぜ自分なんかに貸すのか。
どう反応したらいいか分からないと言った様子の海風を見て、陸は続ける。
「これのおかげか分からないけど、俺はあの空襲の時怪我なく帰ってこれたんだ。だから姉ちゃんが無事に帰ってこれるように、これを貸すよ」
「そんな……。できませんよ、そんな大事なもの……」
宝物だと陸は言った。
母親が陸のことを心配して渡したお守りだ。
それを自分が借りていいわけがない。
渋る海風に陸は半ば押し付けるようにそのお守りを握らせる。
「やっぱり心配なんだ。でもこれぐらいしか俺にできることないから」
「陸君……」
その手は震えていた。
海風が怪我をすることへの、もしかしたらこれが今生の別れになるかもしれないという恐怖。
こんなことしかできない自分への悔しさ。
それと強引に折り合いをつけた結果の行動だったのだろう。
ここまで慕ってもらっているのだ。
これ以上無碍にするのは陸に失礼だろう。
そう考えた海風は改めてお守りを握りなおす。
「分かりました。お預かりしますね」
「うん。あ、ちゃんと返してね!大事な物なんだから!」
茶化すように念を入れてくる陸。
彼なりの気遣いだろうか、作戦中という事もあってピンと張りつめていた心が少し緩む。
「お約束します。白露型の名に懸けて」
「うん、約束。ちゃんと帰ってきてね」
「はい」
微笑みあう二人。
その間を青い葉を乗せた風が吹き抜ける。
まるで『そろそろ時間だ』と二人に告げるように。
「じゃあ姉ちゃん。またね」
「はい、陸君。また」
告げるのは再会のための言葉。
お互いほぼ同時に背を向ける。
これ以上の言葉は二人には必要なかった。
※※※
「ただ今戻りました」
執務室の扉を開けて提督に帰投の報告をする。
作戦中とのこともあって机の上には書類が山積み、長机には特別作戦の戦場である海域の海図が拡げられている。
「おかえり。早かったね」
「作戦中ですから。あまり鎮守府を空けるわけにはいきません」
「まだ情報収集中だからそこまでピリピリしなくていいのに」
真面目だなぁと漏らす提督。
しかしその目は書類に戻ることなく海風を捉え続ける。
「あの……。海風の顔に何か……?」
先程出る前に鏡は見た時には変な所はなかったはずだが。
戻るまでに髪に葉でもついたのだろうかと髪を払う海風を見て、クスリと笑みをこぼす提督。
「いや、なんかいい顔になったなって」
「いい顔……ですか?」
はて、自分は今いったいどんな顔をしているのだろうか。
そんな含みのある言い方をされると非常に気になる。
「気づいてないならいい、忘れて」
「なんなんですか、もう……」
訳が分からないと言った様子で部屋を後にする海風。
その姿が扉で隠され切るまで見送った提督は胸ポケットから煙草を取り出して咥える。
「いい感じに肩の力が抜けてることに気付いてないとはね」
「まぁ海風らしいっちゃらしいよねー。」
タイミングを見計らったかのように部屋に入ってくる一つの影。
突然の来訪者にも構わずに提督は煙草に火をつける。
「あの子にお礼しないとね。本当はあたしがやらなきゃいけなかったのにさ」
「まぁ機会があればね」
それだけ言い終えるとくるりと背を向ける少女。
彼女が部屋を出る直前に、吸い終えた煙草の火を消しながら集めた情報の束を放り渡す。
「そろそろ頃合いだ。頼りにしてるよ」
「まかせて、いっちばん活躍しちゃうんだから!」
去り際に見せた彼女の笑みはそれだけでこれからの戦いを乗り越えていけそうな。
そんな気にさせてくれる眩しいものだった。