進みだす物語
校外学習。
数ある学校行事の人気上位に入るであろうそれの前日、多くの生徒が楽しみでなかなか寝付けないであろう夜を過ごす中、相馬 陸も同じように過ごしていた。
去年までは思いっきり外で遊び、そのまま疲れで眠りについていたのだが、今年はわけが違った。
枕元に置いてあるしおりに手を伸ばす。
『鎮守府見学』
表紙には大きな文字でそう書かれていた。
※※※
陸にとって生まれて初めての衝撃を受けた日から約一ヶ月。
彼の感情をこれでもかと揺さぶった彼女との再会は未だ果たせないでいた。
日に日に膨らんでいく、会いたいという感情を持て余す毎日。
そんな日々にある日、光明が差す。
次の校外学習は近くの鎮守府の見学。
先生にそう告げられた日は小躍りしそうなのを堪えるのが大変だった。
もしかしたら会えるかもしれない、あわよくば話をする時間もあるかもしれない。
そんな考えばかりが頭を支配する。
その日からあらゆることが手につかなくなったのは説明するまでもないだろう。
※※※
そんな日々を過ごし迎えた当日。
大淀と名乗った長い黒髪に眼鏡をかけた、いかにもできる女性と言った雰囲気を纏う艦娘に連れられて、陸たち一向は鎮守府の中を回っていた。
提督という鎮守府の一番偉い人が仕事をする部屋で一体どんな仕事をしているか、艦娘とはいったいどういう存在なのか、深海棲艦とは何なのかと言った話にクラスメイト達は興味津々の様子だったが、陸にとってはそんなもの右から左である。
この後控える艦娘の演習見学。
沢山の艦娘の演習の様子が見ることができるという事前の説明を聞いてから、これしかないと考えていたからだ。
そんな陸の様子を悟ったのか、それともクラス全体がそういった雰囲気を出していたのか、苦笑いをしながら話を終える提督。
「皆待ち切れないみたいだ。大淀、演習場に連れて行ってあげて」
遂に来た。
今日のメインイベントと言っても過言ではない。
この機会を逃せばもう会えないかもしれない。
どうか居ますように。
天へ祈りながら演習場への扉を潜る。
その瞬間、陸だけでなくクラス全員が言葉を失った。
砲撃の轟音、艦載機のプロペラ音、それに負けないほど大きな艦娘達の声。
提督からの説明ではスポーツの練習試合のようなものだと聞かされていたがとんでもない。
演習に励んでいる艦娘は皆、今この瞬間命がけの実戦を行っているかのような気迫を放っていた。
(すごい……)
呼吸すら忘れて魅入る。
大淀が演習の内容を説明してくれているが全く耳に入ってこない。
ただただ圧倒される、その時。
視界の端で見覚えのある三つ編みが揺れた気がした。
意識を一気にそちらに傾ける。
「居た……」
陸がいる反対側。
ポールのようなものが乱立する水面の上。
そこに件の彼女の姿があった。
桃色の髪を左でサイドテールにしている艦娘の後ろに必死の表情で喰らいついている。
あの柔らかな微笑みからは想像もできないほど凛々しい表情。
水飛沫の舞う中をまるでフィギュアスケートのステップを踏むかのように滑る二人。
本来なら無粋に聞こえるであろう砲撃の音までも演出の一つのように感じる。
視線が吸い込まれる。
目を離すことができない。
一体どれぐらいの間そうしていたのか。
二人が岸に上がったことでようやく意識が帰還する。
どうやら演習場にいる艦娘の皆さんに自由に話を聞きに行っていいようだ。
クラスメイトは皆、戦艦の物と思われる大きな砲を触らせてもらっていたり、艦載機が航空ショーのように飛んでいる様に歓声を上げている。
どうやら皆目先で繰り広げられている派手な方へと集まったようで、奥にいる艦娘に話しに行くクラスメイトはいないようだ。
(今しかない)
真っ直ぐに階段に腰かけている彼女の元を目指す。
頭の中が真っ白になる。
この日までに散々考えた話題はもう既に欠片も覚えていない。
(もうどうにでもなれ!)
俯く彼女の隣に立つや否や開口一番。
「お、お名前を教えてください!」
相変わらず裏返りかける声。
耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。
突然声をかけられたことに驚いたのか、それとも本当に自分に近づく存在に気が付かなかったのか。
彼女はひどく驚いた様子で目を白黒させていた。
「あ、あの……俺の事、覚えてないですか?」
覚えていてくれているものだと勝手に思っていたが、自意識過剰だったか。
確かに「君はその日来たお客さんの顔をいちいちすべて覚えているのか」と聞かれれば答えはNOになる。
どうしたものかと考えていると彼女はあの日と同じ微笑みを浮かべて、
「覚えていますよ。お魚屋さんでお会いましたよね?」
その言葉にほっと胸をなでおろす。
ここで「あなたなんて知りません」と返されていたらその場で崩れ落ちていただろう。
第一関門クリアなどと心の中でガッツポーズをしていると、自分の分のスペースを空けてくれたので隣に腰かける。
「あ、俺、相馬 陸って言います。お名前を教えてくれませんか?」
「白露型七番艦、改白露型一番艦の海風です。よろしくお願いします」
緊張が伝わったのだろうか。
それとも慣れない敬語が変だったのだろうか。
少しだけクスリと笑った後に彼女はそう名乗った。
海風。
あぁ、それはなんて……。
「綺麗な名前」
思わずそう漏れてしまうほどに彼女にぴったりの流麗な響きを持つ名前だった。
ハッとして隣を見れば聞こえていたようで頬が少し赤くなっている。
「ありがとうございます。名前を褒めてもらうことはあまりないので、少し照れてしまいますね」
えへへと笑う海風。
先ほどの微笑みとはまた違った一面を覗かせる笑顔にぎゅうっと胸を締め付けられるような感覚に陥る。
彼女の見せる表情一つ一つが愛おしい。
また顔が赤くなる予感を覚え、誤魔化すように次の話題を振る。
「あ、あの……すごいいきなりなんですけど、お手紙書いてもいいですか……?」
唐突過ぎると我ながら思う。
しかしこうでもしないとまた会うことはおろか、交流することすら難しくなることが簡単に予想できたからだ。
変な子だと思われただろうか、横目で海風の方を見る。
「大丈夫ですよ。鎮守府の住所で宛名を海風にしていただくと私に届きますから」
流石にいきなりで驚いたのか、目をパチパチとしていたがすぐにいつもの微笑みで了承してくれた。
これでこのままさようならルートを避けたと内心で再びガッツポーズを取る。
本当はここで叫び声でも上げたかったが完全に変な子になってしまうので何とかこらえる。
「よかった。ダメって言われたらどうしようかと思ってた」
「この鎮守府は機密さえ洩らさなければ後は比較的緩いんですよ」
軍隊なのにそれでいいのかとも思うが、海風が言うには提督の方針らしい。
トップがそう言うなら大丈夫なのだろうと納得する。
しかしこれ以降会話が続かない。
聞かねばならないことがあっさりとOKされてしまった上に、他の話題は先ほど頭が真っ白になった際にきれいさっぱり忘れてしまった。
気まずさを感じながらも何か話題はないかと考えていると先ほどの演習のことを思い出す。
「そういえば、さっきの演習すごかったですね!あの棒をすり抜けるみたいに避けててかっこよかった!」
「ありがとうございます。でも海風はまだまだです」
途端に曇る顔。
海風が指さす方を見てみると、先ほど海風の前を走っていた桃色の髪の艦娘が今度は一人で演習をしている所だった。
気のせいか先ほどよりも速く見える。
チラリと海風の方を見ると羨ましさと悔しさが同居したような複雑な表情をしていた。
「春雨姉さんは海風と性能は大して変わらないのにあれだけ速く動けるんです。それに砲撃も」
春雨と呼ばれた艦娘の動きに目を戻す。
構えられた砲の先にある的がことごとく粉砕されていく。
頭の上にもうひとつ目があるのだろうか。
視線は的を捉えたまま、正確にポールを避けていく。
「海風は加減していただいてもついていくのが精一杯ですから。だからまだまだなんです」
「そっか……」
そう答えるしかない。
今日初めてまともに話した自分には先の言葉にどれだけの悔しさが、苦悩がこもっているかなんて分からない。
「でも、姉ちゃんは頑張ってると思う」
「え?」
ただ、届いていないからと自分の頑張りが見えていないのが悲しかった。
今日初めてちゃんと会話をした人間にこんなことを言われると思ってなかったのだろう。
少し潤んだ瞳を向けながらキョトンとしている。
「さっきの姉ちゃん、凄くかっこよかった。本気で頑張ってなきゃそんな風には見えないもん」
これは父親からの受け売りだった。
曰く、「本気で何かを頑張っている人間っていうのはそれだけで滅茶苦茶かっこいいんだぞ」
小さい頃からそう教わってきた陸はその言葉を信じて疑わなかった。
少年故の純粋さか、それとも相馬 陸がこういった人間なのか。
どちらにせよ、少年が放った言葉は海風の心に染み渡っていく。
「だから姉ちゃんは頑張ってる。それは姉ちゃん自身が一番知ってるでしょ?」
暖かい言葉が、優しい笑みが海風の心を包む。
見えていない、まだ結果に出ていない努力に目を向けてもらうとはこれほど嬉しいものなのか。
堪えきれなかった滴が海風の頬を伝う。
「え、ちょっ!」
「違うんです、嬉しくて。ありがとうございます」
泣かせるなんて思っていなかったのだろう。
陸は酷く狼狽しながらもポケットからハンカチを取り出して涙を拭く。
「ごめん、なんか偉そうだったかも」
「そんなことないです。嬉しかったですよ、本当に」
海風の顔に笑顔が戻る。
初めて会った時のような柔らかい微笑み。
(やっぱり笑ってる方が綺麗だ)
当たり前の感想を当たり前に抱く。
そして今更ながら自分の取った行動に顔を赤くする。
「相馬君!時間ですよー!」
「あ、やっべ!」
先生の声にようやく状況を思い出す。
今は校外学習中だ。
次の予定が詰まっているのでいつまでもこうしているわけにはいかない。
「じゃあ姉ちゃん、絶対手紙書くから!」
慌てた様子で駆けていく少年。
せめてもう一度お礼をと海風も声を上げる。
「相馬君、本当にありが……」
「陸!」
しかしそれは当の少年の声で遮られる。
意味が分からず首を傾げていると、
「陸でいいよ!名字だと父ちゃんたちとごっちゃになるから!」
なるほどそういうことか。
彼がそう言うのなら、下の名前で呼ぶ方がいいのだろう。
「陸君!本当にありがとうございました!」
「うん!またね、海風姉ちゃん!」
訪れる静寂。
しかし、彼が来る前の落ち込んだ様子はもう見られない。
「海風ー!二セット目に行きますよー!」
「はい!すぐに行きます!」
春雨の声に気合十分の様子で返す。
(頑張ろう。陸君の言葉に恥ずかしくないように)
少年がくれた言葉を胸に海風は一歩を踏み出した。
※※※
「やったー!」
帰宅するや否や叫び声をあげる。
今まで我慢していたのだ。
少しぐらいは許されるだろう。
今日の出来事を思い出す。
名前を聞けただけでなく、文通の約束をし、更にはあの微笑みとはまた違った笑顔を見ることができた。
収穫は十分すぎるほどである。
「さっそく書こう」
帰りに購入した便箋を机に広げる。
まずは何から書こうか。
今日のお礼からだな。
動き始めた鉛筆はしばらく止まることはなかった。
※※※
『だから姉ちゃんは頑張ってるよ』
あの少年、相馬 陸がくれた言葉が頭をよぎる。
まさか初対面に近い子供に励まされるとは。
しかし不思議と悪い気はしない。
自室のベッドに横たわりながら今日の出来事を思い出す。
すると同室の妹が帰ってきたようで、ドアが開く音が響く。
疲れたーと漏らしながら入ってきた妹はこちらを見るや
「姉貴、なンかいいことあった?」
「え?どうして?」
「いや、なンとなく」
顔にでも出ていたのだろうか。
もしそうなら少し恥ずかしい気もする。
「で、どうなの?」
更に踏み込んでくる妹。
話してもよい気もするが
「内緒!えへへ」
「なンじゃそりゃ……」
このことは胸にしまっておこう。
きちんと鍵をかけて、忘れないように。
数ある学校行事の人気上位に入るであろうそれの前日、多くの生徒が楽しみでなかなか寝付けないであろう夜を過ごす中、相馬 陸も同じように過ごしていた。
去年までは思いっきり外で遊び、そのまま疲れで眠りについていたのだが、今年はわけが違った。
枕元に置いてあるしおりに手を伸ばす。
『鎮守府見学』
表紙には大きな文字でそう書かれていた。
※※※
陸にとって生まれて初めての衝撃を受けた日から約一ヶ月。
彼の感情をこれでもかと揺さぶった彼女との再会は未だ果たせないでいた。
日に日に膨らんでいく、会いたいという感情を持て余す毎日。
そんな日々にある日、光明が差す。
次の校外学習は近くの鎮守府の見学。
先生にそう告げられた日は小躍りしそうなのを堪えるのが大変だった。
もしかしたら会えるかもしれない、あわよくば話をする時間もあるかもしれない。
そんな考えばかりが頭を支配する。
その日からあらゆることが手につかなくなったのは説明するまでもないだろう。
※※※
そんな日々を過ごし迎えた当日。
大淀と名乗った長い黒髪に眼鏡をかけた、いかにもできる女性と言った雰囲気を纏う艦娘に連れられて、陸たち一向は鎮守府の中を回っていた。
提督という鎮守府の一番偉い人が仕事をする部屋で一体どんな仕事をしているか、艦娘とはいったいどういう存在なのか、深海棲艦とは何なのかと言った話にクラスメイト達は興味津々の様子だったが、陸にとってはそんなもの右から左である。
この後控える艦娘の演習見学。
沢山の艦娘の演習の様子が見ることができるという事前の説明を聞いてから、これしかないと考えていたからだ。
そんな陸の様子を悟ったのか、それともクラス全体がそういった雰囲気を出していたのか、苦笑いをしながら話を終える提督。
「皆待ち切れないみたいだ。大淀、演習場に連れて行ってあげて」
遂に来た。
今日のメインイベントと言っても過言ではない。
この機会を逃せばもう会えないかもしれない。
どうか居ますように。
天へ祈りながら演習場への扉を潜る。
その瞬間、陸だけでなくクラス全員が言葉を失った。
砲撃の轟音、艦載機のプロペラ音、それに負けないほど大きな艦娘達の声。
提督からの説明ではスポーツの練習試合のようなものだと聞かされていたがとんでもない。
演習に励んでいる艦娘は皆、今この瞬間命がけの実戦を行っているかのような気迫を放っていた。
(すごい……)
呼吸すら忘れて魅入る。
大淀が演習の内容を説明してくれているが全く耳に入ってこない。
ただただ圧倒される、その時。
視界の端で見覚えのある三つ編みが揺れた気がした。
意識を一気にそちらに傾ける。
「居た……」
陸がいる反対側。
ポールのようなものが乱立する水面の上。
そこに件の彼女の姿があった。
桃色の髪を左でサイドテールにしている艦娘の後ろに必死の表情で喰らいついている。
あの柔らかな微笑みからは想像もできないほど凛々しい表情。
水飛沫の舞う中をまるでフィギュアスケートのステップを踏むかのように滑る二人。
本来なら無粋に聞こえるであろう砲撃の音までも演出の一つのように感じる。
視線が吸い込まれる。
目を離すことができない。
一体どれぐらいの間そうしていたのか。
二人が岸に上がったことでようやく意識が帰還する。
どうやら演習場にいる艦娘の皆さんに自由に話を聞きに行っていいようだ。
クラスメイトは皆、戦艦の物と思われる大きな砲を触らせてもらっていたり、艦載機が航空ショーのように飛んでいる様に歓声を上げている。
どうやら皆目先で繰り広げられている派手な方へと集まったようで、奥にいる艦娘に話しに行くクラスメイトはいないようだ。
(今しかない)
真っ直ぐに階段に腰かけている彼女の元を目指す。
頭の中が真っ白になる。
この日までに散々考えた話題はもう既に欠片も覚えていない。
(もうどうにでもなれ!)
俯く彼女の隣に立つや否や開口一番。
「お、お名前を教えてください!」
相変わらず裏返りかける声。
耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かる。
突然声をかけられたことに驚いたのか、それとも本当に自分に近づく存在に気が付かなかったのか。
彼女はひどく驚いた様子で目を白黒させていた。
「あ、あの……俺の事、覚えてないですか?」
覚えていてくれているものだと勝手に思っていたが、自意識過剰だったか。
確かに「君はその日来たお客さんの顔をいちいちすべて覚えているのか」と聞かれれば答えはNOになる。
どうしたものかと考えていると彼女はあの日と同じ微笑みを浮かべて、
「覚えていますよ。お魚屋さんでお会いましたよね?」
その言葉にほっと胸をなでおろす。
ここで「あなたなんて知りません」と返されていたらその場で崩れ落ちていただろう。
第一関門クリアなどと心の中でガッツポーズをしていると、自分の分のスペースを空けてくれたので隣に腰かける。
「あ、俺、相馬 陸って言います。お名前を教えてくれませんか?」
「白露型七番艦、改白露型一番艦の海風です。よろしくお願いします」
緊張が伝わったのだろうか。
それとも慣れない敬語が変だったのだろうか。
少しだけクスリと笑った後に彼女はそう名乗った。
海風。
あぁ、それはなんて……。
「綺麗な名前」
思わずそう漏れてしまうほどに彼女にぴったりの流麗な響きを持つ名前だった。
ハッとして隣を見れば聞こえていたようで頬が少し赤くなっている。
「ありがとうございます。名前を褒めてもらうことはあまりないので、少し照れてしまいますね」
えへへと笑う海風。
先ほどの微笑みとはまた違った一面を覗かせる笑顔にぎゅうっと胸を締め付けられるような感覚に陥る。
彼女の見せる表情一つ一つが愛おしい。
また顔が赤くなる予感を覚え、誤魔化すように次の話題を振る。
「あ、あの……すごいいきなりなんですけど、お手紙書いてもいいですか……?」
唐突過ぎると我ながら思う。
しかしこうでもしないとまた会うことはおろか、交流することすら難しくなることが簡単に予想できたからだ。
変な子だと思われただろうか、横目で海風の方を見る。
「大丈夫ですよ。鎮守府の住所で宛名を海風にしていただくと私に届きますから」
流石にいきなりで驚いたのか、目をパチパチとしていたがすぐにいつもの微笑みで了承してくれた。
これでこのままさようならルートを避けたと内心で再びガッツポーズを取る。
本当はここで叫び声でも上げたかったが完全に変な子になってしまうので何とかこらえる。
「よかった。ダメって言われたらどうしようかと思ってた」
「この鎮守府は機密さえ洩らさなければ後は比較的緩いんですよ」
軍隊なのにそれでいいのかとも思うが、海風が言うには提督の方針らしい。
トップがそう言うなら大丈夫なのだろうと納得する。
しかしこれ以降会話が続かない。
聞かねばならないことがあっさりとOKされてしまった上に、他の話題は先ほど頭が真っ白になった際にきれいさっぱり忘れてしまった。
気まずさを感じながらも何か話題はないかと考えていると先ほどの演習のことを思い出す。
「そういえば、さっきの演習すごかったですね!あの棒をすり抜けるみたいに避けててかっこよかった!」
「ありがとうございます。でも海風はまだまだです」
途端に曇る顔。
海風が指さす方を見てみると、先ほど海風の前を走っていた桃色の髪の艦娘が今度は一人で演習をしている所だった。
気のせいか先ほどよりも速く見える。
チラリと海風の方を見ると羨ましさと悔しさが同居したような複雑な表情をしていた。
「春雨姉さんは海風と性能は大して変わらないのにあれだけ速く動けるんです。それに砲撃も」
春雨と呼ばれた艦娘の動きに目を戻す。
構えられた砲の先にある的がことごとく粉砕されていく。
頭の上にもうひとつ目があるのだろうか。
視線は的を捉えたまま、正確にポールを避けていく。
「海風は加減していただいてもついていくのが精一杯ですから。だからまだまだなんです」
「そっか……」
そう答えるしかない。
今日初めてまともに話した自分には先の言葉にどれだけの悔しさが、苦悩がこもっているかなんて分からない。
「でも、姉ちゃんは頑張ってると思う」
「え?」
ただ、届いていないからと自分の頑張りが見えていないのが悲しかった。
今日初めてちゃんと会話をした人間にこんなことを言われると思ってなかったのだろう。
少し潤んだ瞳を向けながらキョトンとしている。
「さっきの姉ちゃん、凄くかっこよかった。本気で頑張ってなきゃそんな風には見えないもん」
これは父親からの受け売りだった。
曰く、「本気で何かを頑張っている人間っていうのはそれだけで滅茶苦茶かっこいいんだぞ」
小さい頃からそう教わってきた陸はその言葉を信じて疑わなかった。
少年故の純粋さか、それとも相馬 陸がこういった人間なのか。
どちらにせよ、少年が放った言葉は海風の心に染み渡っていく。
「だから姉ちゃんは頑張ってる。それは姉ちゃん自身が一番知ってるでしょ?」
暖かい言葉が、優しい笑みが海風の心を包む。
見えていない、まだ結果に出ていない努力に目を向けてもらうとはこれほど嬉しいものなのか。
堪えきれなかった滴が海風の頬を伝う。
「え、ちょっ!」
「違うんです、嬉しくて。ありがとうございます」
泣かせるなんて思っていなかったのだろう。
陸は酷く狼狽しながらもポケットからハンカチを取り出して涙を拭く。
「ごめん、なんか偉そうだったかも」
「そんなことないです。嬉しかったですよ、本当に」
海風の顔に笑顔が戻る。
初めて会った時のような柔らかい微笑み。
(やっぱり笑ってる方が綺麗だ)
当たり前の感想を当たり前に抱く。
そして今更ながら自分の取った行動に顔を赤くする。
「相馬君!時間ですよー!」
「あ、やっべ!」
先生の声にようやく状況を思い出す。
今は校外学習中だ。
次の予定が詰まっているのでいつまでもこうしているわけにはいかない。
「じゃあ姉ちゃん、絶対手紙書くから!」
慌てた様子で駆けていく少年。
せめてもう一度お礼をと海風も声を上げる。
「相馬君、本当にありが……」
「陸!」
しかしそれは当の少年の声で遮られる。
意味が分からず首を傾げていると、
「陸でいいよ!名字だと父ちゃんたちとごっちゃになるから!」
なるほどそういうことか。
彼がそう言うのなら、下の名前で呼ぶ方がいいのだろう。
「陸君!本当にありがとうございました!」
「うん!またね、海風姉ちゃん!」
訪れる静寂。
しかし、彼が来る前の落ち込んだ様子はもう見られない。
「海風ー!二セット目に行きますよー!」
「はい!すぐに行きます!」
春雨の声に気合十分の様子で返す。
(頑張ろう。陸君の言葉に恥ずかしくないように)
少年がくれた言葉を胸に海風は一歩を踏み出した。
※※※
「やったー!」
帰宅するや否や叫び声をあげる。
今まで我慢していたのだ。
少しぐらいは許されるだろう。
今日の出来事を思い出す。
名前を聞けただけでなく、文通の約束をし、更にはあの微笑みとはまた違った笑顔を見ることができた。
収穫は十分すぎるほどである。
「さっそく書こう」
帰りに購入した便箋を机に広げる。
まずは何から書こうか。
今日のお礼からだな。
動き始めた鉛筆はしばらく止まることはなかった。
※※※
『だから姉ちゃんは頑張ってるよ』
あの少年、相馬 陸がくれた言葉が頭をよぎる。
まさか初対面に近い子供に励まされるとは。
しかし不思議と悪い気はしない。
自室のベッドに横たわりながら今日の出来事を思い出す。
すると同室の妹が帰ってきたようで、ドアが開く音が響く。
疲れたーと漏らしながら入ってきた妹はこちらを見るや
「姉貴、なンかいいことあった?」
「え?どうして?」
「いや、なンとなく」
顔にでも出ていたのだろうか。
もしそうなら少し恥ずかしい気もする。
「で、どうなの?」
更に踏み込んでくる妹。
話してもよい気もするが
「内緒!えへへ」
「なンじゃそりゃ……」
このことは胸にしまっておこう。
きちんと鍵をかけて、忘れないように。