共に歩む未来
初雪の降るどんよりと曇った空。
その空模様を表情一杯に表した海風の姿があった。
周りにいる姉妹もあからさまに落ち込んだ様子の彼女に声をかけていたが、まるで効果がないことから今ではその空気に当てられたように黙り込んでしまっている。
陸からの返事が来なくなって二週間。
海風から別に手紙を書いてみてもそれに対する音沙汰もない。
「な、なにか事情があるのかもしれませんよ!」
「そうだ!なんか理由があんだよきっと!」
「そうですね……」
白いノースリーブのセーラーに青い髪を長く伸ばした艦娘と同じ制服で深い青の髪をおさげにした艦娘―五月雨と涼風―が再び励ます。
しかしその効果はまるで無いようで、海風は暗い表情で俯いたままでいた。
春雨が淹れてくれたお茶も口を付けないまますっかり冷めてしまっている。
「嫌われてしまったのでしょうか……」
「そんなことないって!」
ポツリと零した一言に涼風がすぐさまフォローを入れる。
しかし、海風には一つ思う節があった。
最後に陸と会ったあの日の別れ際。
その際に見せた彼の表情。
いつも明るく元気な彼が初めて見せた暗いそれが海風の心を不安の色に染め上げる。
悪い予感が頭の中を巡り巡って仕方がない。
「戻ったよー」
「あ、おかえりなさい」
無言の重い空気に包まれた談話室にまるで光明が刺す様に響く明るい声。
茶色の髪を背中辺りまで伸ばし、トレードマークのカチューシャをした艦娘、海風の長女である白露だ。
先程まで遠征だったようだが今ようやく帰投したのだろう。
「海風は……相変わらずか」
「すみません……」
白露の言葉に更に表情を暗くする海風。
本当は今回の遠征も海風が赴くはずだったのだが、作戦に支障が出ると提督から休むように言い渡され、その代わりとして白露が赴いてくれていたのだ。
そのことが更に海風の調子を悪化させていた。
「いいって。こういう時ぐらいお姉ちゃんに甘えなさい」
「ありがとうございます」
「ねえ海風」
優しくかけられる声。
それは以前、海風の気持ちが恋かもしれないと教えてくれたあの時のようで。
その声に海風はようやく顔を上げる。
その表情は目尻に涙を貯めながら、しかし決して決壊はさせないようにと気張る様子が見て取れた。
「心当たり、あるんじゃない?」
「実は……」
海風の言葉に周囲がざわつく。
その中で白露だけがしっかりと海風を見据えていた。
「話してもらえないかな?」
「あの時、陸君が暗い表情をする直前のことなんですが……」
ぽつり、ぽつりと零すように吐き出される海風の言葉を一言も聞き逃さぬように耳を傾ける白露と姉妹達。
談話室ということもあってか、しばらくその様子を見守っていた周りの艦娘達も彼女らの話に聞き入っている様子。
「あの時、大破から修復が完了した私を見て酷く驚いていました。それから様子が変わってその日は帰ってしまって……」
そこまで言って海風は口をつぐんでしまう。
周りの者たちはそれがどうかしたのかと言った様子でお互い顔を見合わせたり、顎に手をやったりしている。
「そんなの当たり前のことでは?」
控えめに手を上げながら五月雨が言う。
そう、当たり前の事なのだ。
あることに思い当たったのであろう、白露と春雨だけは苦虫を噛み潰したかのような渋い顔をしている。
「その当たり前は、『艦娘の中の』当たり前ですから……」
海風も同じ結論に至っていたのだろう。
あれだけの大怪我をしたにも関わらず、ほんの数時間で綺麗さっぱり後遺症もなく現れた自分。
それが恐らく彼には異質な物と映ったのだろうと。
「なんだよ……たったそれだけのことじゃんか……」
「でも大きなことです。自分と同じかそうでないかというのは」
悔しそうな表情で漏らす涼風を宥める春雨。
彼女は既に提督と恋仲であるからこそ、その違いがいかに大きいか知っているのであろう。
あまりの衝撃で皆が黙り込む。
その重い空気の中発せられる一声。
「それで、海風はこのままでいいの?」
「白露姉さん?」
その声の主、白露の方を堪えきれなくなった涙を流しながら見やる海風。
その顔はこれまで以上に真剣なもので。
白露の言葉の真意を測りかねているところに、再度ニュアンスを変えて投げかけられる。
「だから、海風はそれでこの恋を諦めていいの?」
「そんなの……!」
嫌に決まっている。
言葉にはされなかったがしっかりとそれが聞き取れた。
それを聞いて白露の顔が安心したという風な表情に変わる。
「じゃあもうやることは決まってるね」
「え?」
白露の言葉に怪訝な表情変わる海風。
その様子に改めて白露は自信を持って告げる。
「簡単なこと。確かめてみようよ」
「それは……」
怖い。
海風の表情がそう語る。
もし本当に陸に否定されたら、そう思うと足がすくんでしまう。
そんな様子の海風に今度はあの時のような優しい表情で告げる。
「ぶつかってみようよ海風。そうじゃないと分からない事もあるよ?」
「そうよ海風。それにいつか通る道じゃない」
白露に続き今まで静観していた村雨も続く。
それに続いて応援の声が海風に次々と投げかけられる。
「みんな……」
たくさんの声援が海風にほんの少しの勇気を与える。
それにこのまま終わるのは海風自身が嫌だった。
「ほら海風、善は急げだよ」
「はい、いってきます!」
白露に背中を押されてその場を抜ける海風。
その顔にもう陰はなくなっていた。
※※※
それから早速陸の家に電話をかける。
本人が出ることはなかったが、「いつもの場所で待ってる」と言伝を頼み、鎮守府を出る。
いつも待ち合わせに使っている時計塔のある広場へ着くも陸の姿はない。
それから近くのベンチに座って待つこと十数分。
俯く海風に背後から小さく、震える声が投げかけられる。
「お待たせ……ねーちゃん」
「陸君!?」
待ちに待った念願の声に振り返る海風。
そこには微妙な表情で、それでも何とか笑おうとする陸の姿があった。
そのまま彼は海風の隣に腰かける。
「お久しぶりです、陸君」
「うん……少しだけ久しぶり」
それから会話が続かない。
聞かねばならないと頭では分かっているのだが、心に残る恐怖がそれを阻む。
気まずい空気が続く中、最初に口を開いたのは……
「ねーちゃん、ごめん」
陸のほうだった。
唐突に告げられた謝罪の言葉に海風は体を強張らせる。
聞きたくない、しかし何に対する謝罪なのか気になるという相反する気持ちを抑えながら続きを待つ。
「俺、ねーちゃんに最低なことした」
少しずつ吐露される彼の心情に耳を傾ける。
俯く彼を見つめて次の言葉を待つ。
「俺、あの時のねーちゃんを見て怖いって思ったんだ。俺と違う、俺の知ってる普通と違うねーちゃんが。そんなの最低なことなのに」
そんなことはない。
未知なるものに恐怖を抱く、それは正常な反応であろう。
現に自分は深海棲艦という未知の存在に対して恐怖を抱くことが未だにある。
そう言いたかったが、今はぐっと我慢して彼の言葉の続きを待つ。
「そんな自分が嫌で、ねーちゃんに合わせる顔がなくて……。手紙も何書けばいいか分かんなくなって……」
そうだったのか。
自分に対する恐怖から手紙を書くことをやめてしまったのかと思っていた。
だが、彼は自分が海風に抱いた感情故に申し訳なさで書けなくなっていたのか。
(嫌われたわけじゃ……なかったんだ)
その事実が海風の不安を波が砂に書いた字をさらうように消して行く。
好いた人が自分の事を嫌ったわけではなかった。
それがこれほど嬉しいことだとは。
口に手を当て涙をこらえる海風に自嘲するように笑いながら陸は続ける。
「ごめんね。幻滅したよね」
「そんなこと、ありません」
陸の言葉を即座に否定する海風。
驚いた様子の陸だったが、それを気にせず海風は続ける。
「陸君にはここに来ないという選択肢がありました。話さないという選択肢も。それでも話してくれました。自分の嫌な所を包み隠さずに教えてくれた陸君に幻滅なんてしません」
陸の目を見て海風はしっかりと告げる。
自分の嫌な部分を人に告げられる人間はあまりいない。
しかし陸はそれを包み隠さず自分に告げてくれた。
そんな彼に感謝こそすれど、幻滅などするものか。
彼の本心を知れたこと、そして自分が嫌われたわけではなかったことに安心し、堪えていた涙のダムがとうとう決壊する。
「よかったです、今度こそ嫌われてしまったと思っていて……」
「そんなわけないじゃん!」
海風の言葉に思わず立ち上がって反論する陸。
それに驚き海風は目を丸くする。
「好きになった人をそんな簡単に嫌いになったりするもんか!」
「え……?」
「あっ……」
今彼は何と言っただろうか。
好きになった人、確かにそう聞こえた。
それはいったい何を意味するのか、思考が一瞬でフリーズしてうまく考えが纏まらない。
「陸君、それって……」
「あーもう!そうだよ!」
半ばヤケクソのように声を荒げる陸。
それに驚き海風は目を丸くする。
しばらく頭を掻きむしっていた陸だったが、一回、二回と深呼吸をした後にしっかりと海風に向き直る。
「海風ねーちゃん」
「は、はい」
陸の今まで見たことのないほど真剣な表情に気圧されてどもってしまう海風。
先の発言からこれから告げられることには予想がつく。
しかし待ってほしい。
こちらは突然の事で心の準備などできていない。
そんな海風に構わず陸は告げる。
「好きです。初めて見た時からずっと」
「っ……!」
告げられた。
彼は海風の事を好いていると。
それも自分が好きになるよりもずっと前から。
その事実に海風の涙が、安堵によるものから喜びによるものへと変わる。
「私も、私も陸君の事が……好きです」
「ほ、本当?」
「本当ですよ」
陸の顔に自分の顔を寄せる海風。
そのまま二人の顔の距離はどんどん詰まって。
そっと。
陸の唇ギリギリ左の頬に少し湿った、柔らかい感触が触れる。
ぎょっとして固まる陸に涙の伝う頬を赤く染めた海風がはにかみながら告げる。
「冗談じゃこんなことしません」
「ねーちゃん……」
海風の口付けに彼女の言葉が本心だという事を確信する。
どうやら俗に言う両片思いというものをしていたようで。
その事実が更に照れくささを倍増させる。
「あのさ……ねーちゃん」
「はい?」
「もう一回……いいかな」
その言葉に照れながらも無言で頷く海風。
再び二人の顔は徐々に距離を詰めていき、今度は唇同士が触れ合う。
雲の切れ間から差し込む日差しが、二人を祝福するかのように照らし出していた。
※※※
それから二人の関係が劇的に変わったというとそうではなく。
今まで通り文通をし、纏まった時間を作ることができれば優先的に会う時間に充てるようになった程度。
それでも海風にとっては肩の力を抜くいい時間になっているのだろう。
陸と付き合うようになった彼女はその前と比べて随分余裕ができ、演習や出撃の成果も伸びるようになった。
私生活においても料理の他にお菓子作りに挑戦するようになったり、最近では花言葉以外に石言葉などにも興味が出てきた様子で、趣味を同じくする艦娘達と話をしている様子も見受けられるようになった。
彼女の提督の言葉を借りるなら『戦いではない何かに、やりたいことを見つけ始めた』という事になるだろう。
陸にとっても彼女の相手で恥ずかしくないようにという思いからだろう、勉学もこれまで以上に力を入れ、店の手伝いの頻度も増えた。
あまりに突然だったことから陸の両親は熱でもあるのかと疑ったほどである。
そんな二人が順調に歩みをはじめて数か月……
※※※
季節は巡り春。
桜の花が満開に咲く通りを籐のバスケットを持った影が二つ。
白露型姉妹のお花見企画にお呼ばれした陸とその迎えを頼まれた海風である。
「でもよかったの?姉妹水入らずのところにお邪魔して」
「大丈夫ですよ。皆が呼んで欲しいと言ってましたから」
「ならいいんだけど……」
二人で仲良さげにバスケットを持つ姿は微笑ましく、周りの花見客から見られているも、本人たちは気づいていない様子で。
むしろ見せつけているかのようにも見える。
「冷やかされるの、覚悟してくださいね」
「うへぇ」
海風の言葉にげんなりと言った様子の陸をクスクスと笑いを漏らして見る海風。
それでも陸の顔を見るに本気で嫌がっている様子はなくて。
どちらかと言うと初めて海風の姉妹全員と顔を合わせるという事で緊張している様で。
そんな必要ないのにと思うが決して口にはしない。
「しかし、本当に恋人同士になれるなんて」
「またその話ですか?」
緊張を誤魔化すために漏らされた、付き合い始めてからたびたび聞くことがあった言葉に海風は口を尖らせる。
そんな彼女を宥めながら陸は続ける。
「だって夢みたいなんだもん。しかも初恋なんだし」
「だからって。また頬っぺたつねりましょうか?」
「それは勘弁!」
こうして海風の方からからかいに行く場面が見られるだけでも彼女達の進展具合が見て取れる。
そんな彼らの仲睦まじいやり取りを少し離れたところから呼ぶ声が
「二人とも早くー!もう始まってるよー!」
その声に手を振り返す海風。
陸の手からバスケットを取り上げたかと思うと、空いた彼の腕に自分の腕をからませる。
突然の事に驚く彼を引っ張りながら、今までで数度しか見せたことのないようなとびっきりの笑顔を浮かべて……
「行きましょう、陸君!」
「りょーかい、海風」
すでに始まったどんちゃん騒ぎに向けて駆け出す二人。
それはこれから歩む未来へ駆けだすようで。
きっとこの先も様々な障害があることだろう。
でもこの二人なら……きっと大丈夫。
桜の舞う中駆ける二人の背中はそう確信させてくれるものだった。
その空模様を表情一杯に表した海風の姿があった。
周りにいる姉妹もあからさまに落ち込んだ様子の彼女に声をかけていたが、まるで効果がないことから今ではその空気に当てられたように黙り込んでしまっている。
陸からの返事が来なくなって二週間。
海風から別に手紙を書いてみてもそれに対する音沙汰もない。
「な、なにか事情があるのかもしれませんよ!」
「そうだ!なんか理由があんだよきっと!」
「そうですね……」
白いノースリーブのセーラーに青い髪を長く伸ばした艦娘と同じ制服で深い青の髪をおさげにした艦娘―五月雨と涼風―が再び励ます。
しかしその効果はまるで無いようで、海風は暗い表情で俯いたままでいた。
春雨が淹れてくれたお茶も口を付けないまますっかり冷めてしまっている。
「嫌われてしまったのでしょうか……」
「そんなことないって!」
ポツリと零した一言に涼風がすぐさまフォローを入れる。
しかし、海風には一つ思う節があった。
最後に陸と会ったあの日の別れ際。
その際に見せた彼の表情。
いつも明るく元気な彼が初めて見せた暗いそれが海風の心を不安の色に染め上げる。
悪い予感が頭の中を巡り巡って仕方がない。
「戻ったよー」
「あ、おかえりなさい」
無言の重い空気に包まれた談話室にまるで光明が刺す様に響く明るい声。
茶色の髪を背中辺りまで伸ばし、トレードマークのカチューシャをした艦娘、海風の長女である白露だ。
先程まで遠征だったようだが今ようやく帰投したのだろう。
「海風は……相変わらずか」
「すみません……」
白露の言葉に更に表情を暗くする海風。
本当は今回の遠征も海風が赴くはずだったのだが、作戦に支障が出ると提督から休むように言い渡され、その代わりとして白露が赴いてくれていたのだ。
そのことが更に海風の調子を悪化させていた。
「いいって。こういう時ぐらいお姉ちゃんに甘えなさい」
「ありがとうございます」
「ねえ海風」
優しくかけられる声。
それは以前、海風の気持ちが恋かもしれないと教えてくれたあの時のようで。
その声に海風はようやく顔を上げる。
その表情は目尻に涙を貯めながら、しかし決して決壊はさせないようにと気張る様子が見て取れた。
「心当たり、あるんじゃない?」
「実は……」
海風の言葉に周囲がざわつく。
その中で白露だけがしっかりと海風を見据えていた。
「話してもらえないかな?」
「あの時、陸君が暗い表情をする直前のことなんですが……」
ぽつり、ぽつりと零すように吐き出される海風の言葉を一言も聞き逃さぬように耳を傾ける白露と姉妹達。
談話室ということもあってか、しばらくその様子を見守っていた周りの艦娘達も彼女らの話に聞き入っている様子。
「あの時、大破から修復が完了した私を見て酷く驚いていました。それから様子が変わってその日は帰ってしまって……」
そこまで言って海風は口をつぐんでしまう。
周りの者たちはそれがどうかしたのかと言った様子でお互い顔を見合わせたり、顎に手をやったりしている。
「そんなの当たり前のことでは?」
控えめに手を上げながら五月雨が言う。
そう、当たり前の事なのだ。
あることに思い当たったのであろう、白露と春雨だけは苦虫を噛み潰したかのような渋い顔をしている。
「その当たり前は、『艦娘の中の』当たり前ですから……」
海風も同じ結論に至っていたのだろう。
あれだけの大怪我をしたにも関わらず、ほんの数時間で綺麗さっぱり後遺症もなく現れた自分。
それが恐らく彼には異質な物と映ったのだろうと。
「なんだよ……たったそれだけのことじゃんか……」
「でも大きなことです。自分と同じかそうでないかというのは」
悔しそうな表情で漏らす涼風を宥める春雨。
彼女は既に提督と恋仲であるからこそ、その違いがいかに大きいか知っているのであろう。
あまりの衝撃で皆が黙り込む。
その重い空気の中発せられる一声。
「それで、海風はこのままでいいの?」
「白露姉さん?」
その声の主、白露の方を堪えきれなくなった涙を流しながら見やる海風。
その顔はこれまで以上に真剣なもので。
白露の言葉の真意を測りかねているところに、再度ニュアンスを変えて投げかけられる。
「だから、海風はそれでこの恋を諦めていいの?」
「そんなの……!」
嫌に決まっている。
言葉にはされなかったがしっかりとそれが聞き取れた。
それを聞いて白露の顔が安心したという風な表情に変わる。
「じゃあもうやることは決まってるね」
「え?」
白露の言葉に怪訝な表情変わる海風。
その様子に改めて白露は自信を持って告げる。
「簡単なこと。確かめてみようよ」
「それは……」
怖い。
海風の表情がそう語る。
もし本当に陸に否定されたら、そう思うと足がすくんでしまう。
そんな様子の海風に今度はあの時のような優しい表情で告げる。
「ぶつかってみようよ海風。そうじゃないと分からない事もあるよ?」
「そうよ海風。それにいつか通る道じゃない」
白露に続き今まで静観していた村雨も続く。
それに続いて応援の声が海風に次々と投げかけられる。
「みんな……」
たくさんの声援が海風にほんの少しの勇気を与える。
それにこのまま終わるのは海風自身が嫌だった。
「ほら海風、善は急げだよ」
「はい、いってきます!」
白露に背中を押されてその場を抜ける海風。
その顔にもう陰はなくなっていた。
※※※
それから早速陸の家に電話をかける。
本人が出ることはなかったが、「いつもの場所で待ってる」と言伝を頼み、鎮守府を出る。
いつも待ち合わせに使っている時計塔のある広場へ着くも陸の姿はない。
それから近くのベンチに座って待つこと十数分。
俯く海風に背後から小さく、震える声が投げかけられる。
「お待たせ……ねーちゃん」
「陸君!?」
待ちに待った念願の声に振り返る海風。
そこには微妙な表情で、それでも何とか笑おうとする陸の姿があった。
そのまま彼は海風の隣に腰かける。
「お久しぶりです、陸君」
「うん……少しだけ久しぶり」
それから会話が続かない。
聞かねばならないと頭では分かっているのだが、心に残る恐怖がそれを阻む。
気まずい空気が続く中、最初に口を開いたのは……
「ねーちゃん、ごめん」
陸のほうだった。
唐突に告げられた謝罪の言葉に海風は体を強張らせる。
聞きたくない、しかし何に対する謝罪なのか気になるという相反する気持ちを抑えながら続きを待つ。
「俺、ねーちゃんに最低なことした」
少しずつ吐露される彼の心情に耳を傾ける。
俯く彼を見つめて次の言葉を待つ。
「俺、あの時のねーちゃんを見て怖いって思ったんだ。俺と違う、俺の知ってる普通と違うねーちゃんが。そんなの最低なことなのに」
そんなことはない。
未知なるものに恐怖を抱く、それは正常な反応であろう。
現に自分は深海棲艦という未知の存在に対して恐怖を抱くことが未だにある。
そう言いたかったが、今はぐっと我慢して彼の言葉の続きを待つ。
「そんな自分が嫌で、ねーちゃんに合わせる顔がなくて……。手紙も何書けばいいか分かんなくなって……」
そうだったのか。
自分に対する恐怖から手紙を書くことをやめてしまったのかと思っていた。
だが、彼は自分が海風に抱いた感情故に申し訳なさで書けなくなっていたのか。
(嫌われたわけじゃ……なかったんだ)
その事実が海風の不安を波が砂に書いた字をさらうように消して行く。
好いた人が自分の事を嫌ったわけではなかった。
それがこれほど嬉しいことだとは。
口に手を当て涙をこらえる海風に自嘲するように笑いながら陸は続ける。
「ごめんね。幻滅したよね」
「そんなこと、ありません」
陸の言葉を即座に否定する海風。
驚いた様子の陸だったが、それを気にせず海風は続ける。
「陸君にはここに来ないという選択肢がありました。話さないという選択肢も。それでも話してくれました。自分の嫌な所を包み隠さずに教えてくれた陸君に幻滅なんてしません」
陸の目を見て海風はしっかりと告げる。
自分の嫌な部分を人に告げられる人間はあまりいない。
しかし陸はそれを包み隠さず自分に告げてくれた。
そんな彼に感謝こそすれど、幻滅などするものか。
彼の本心を知れたこと、そして自分が嫌われたわけではなかったことに安心し、堪えていた涙のダムがとうとう決壊する。
「よかったです、今度こそ嫌われてしまったと思っていて……」
「そんなわけないじゃん!」
海風の言葉に思わず立ち上がって反論する陸。
それに驚き海風は目を丸くする。
「好きになった人をそんな簡単に嫌いになったりするもんか!」
「え……?」
「あっ……」
今彼は何と言っただろうか。
好きになった人、確かにそう聞こえた。
それはいったい何を意味するのか、思考が一瞬でフリーズしてうまく考えが纏まらない。
「陸君、それって……」
「あーもう!そうだよ!」
半ばヤケクソのように声を荒げる陸。
それに驚き海風は目を丸くする。
しばらく頭を掻きむしっていた陸だったが、一回、二回と深呼吸をした後にしっかりと海風に向き直る。
「海風ねーちゃん」
「は、はい」
陸の今まで見たことのないほど真剣な表情に気圧されてどもってしまう海風。
先の発言からこれから告げられることには予想がつく。
しかし待ってほしい。
こちらは突然の事で心の準備などできていない。
そんな海風に構わず陸は告げる。
「好きです。初めて見た時からずっと」
「っ……!」
告げられた。
彼は海風の事を好いていると。
それも自分が好きになるよりもずっと前から。
その事実に海風の涙が、安堵によるものから喜びによるものへと変わる。
「私も、私も陸君の事が……好きです」
「ほ、本当?」
「本当ですよ」
陸の顔に自分の顔を寄せる海風。
そのまま二人の顔の距離はどんどん詰まって。
そっと。
陸の唇ギリギリ左の頬に少し湿った、柔らかい感触が触れる。
ぎょっとして固まる陸に涙の伝う頬を赤く染めた海風がはにかみながら告げる。
「冗談じゃこんなことしません」
「ねーちゃん……」
海風の口付けに彼女の言葉が本心だという事を確信する。
どうやら俗に言う両片思いというものをしていたようで。
その事実が更に照れくささを倍増させる。
「あのさ……ねーちゃん」
「はい?」
「もう一回……いいかな」
その言葉に照れながらも無言で頷く海風。
再び二人の顔は徐々に距離を詰めていき、今度は唇同士が触れ合う。
雲の切れ間から差し込む日差しが、二人を祝福するかのように照らし出していた。
※※※
それから二人の関係が劇的に変わったというとそうではなく。
今まで通り文通をし、纏まった時間を作ることができれば優先的に会う時間に充てるようになった程度。
それでも海風にとっては肩の力を抜くいい時間になっているのだろう。
陸と付き合うようになった彼女はその前と比べて随分余裕ができ、演習や出撃の成果も伸びるようになった。
私生活においても料理の他にお菓子作りに挑戦するようになったり、最近では花言葉以外に石言葉などにも興味が出てきた様子で、趣味を同じくする艦娘達と話をしている様子も見受けられるようになった。
彼女の提督の言葉を借りるなら『戦いではない何かに、やりたいことを見つけ始めた』という事になるだろう。
陸にとっても彼女の相手で恥ずかしくないようにという思いからだろう、勉学もこれまで以上に力を入れ、店の手伝いの頻度も増えた。
あまりに突然だったことから陸の両親は熱でもあるのかと疑ったほどである。
そんな二人が順調に歩みをはじめて数か月……
※※※
季節は巡り春。
桜の花が満開に咲く通りを籐のバスケットを持った影が二つ。
白露型姉妹のお花見企画にお呼ばれした陸とその迎えを頼まれた海風である。
「でもよかったの?姉妹水入らずのところにお邪魔して」
「大丈夫ですよ。皆が呼んで欲しいと言ってましたから」
「ならいいんだけど……」
二人で仲良さげにバスケットを持つ姿は微笑ましく、周りの花見客から見られているも、本人たちは気づいていない様子で。
むしろ見せつけているかのようにも見える。
「冷やかされるの、覚悟してくださいね」
「うへぇ」
海風の言葉にげんなりと言った様子の陸をクスクスと笑いを漏らして見る海風。
それでも陸の顔を見るに本気で嫌がっている様子はなくて。
どちらかと言うと初めて海風の姉妹全員と顔を合わせるという事で緊張している様で。
そんな必要ないのにと思うが決して口にはしない。
「しかし、本当に恋人同士になれるなんて」
「またその話ですか?」
緊張を誤魔化すために漏らされた、付き合い始めてからたびたび聞くことがあった言葉に海風は口を尖らせる。
そんな彼女を宥めながら陸は続ける。
「だって夢みたいなんだもん。しかも初恋なんだし」
「だからって。また頬っぺたつねりましょうか?」
「それは勘弁!」
こうして海風の方からからかいに行く場面が見られるだけでも彼女達の進展具合が見て取れる。
そんな彼らの仲睦まじいやり取りを少し離れたところから呼ぶ声が
「二人とも早くー!もう始まってるよー!」
その声に手を振り返す海風。
陸の手からバスケットを取り上げたかと思うと、空いた彼の腕に自分の腕をからませる。
突然の事に驚く彼を引っ張りながら、今までで数度しか見せたことのないようなとびっきりの笑顔を浮かべて……
「行きましょう、陸君!」
「りょーかい、海風」
すでに始まったどんちゃん騒ぎに向けて駆け出す二人。
それはこれから歩む未来へ駆けだすようで。
きっとこの先も様々な障害があることだろう。
でもこの二人なら……きっと大丈夫。
桜の舞う中駆ける二人の背中はそう確信させてくれるものだった。