違い
どうしてこうなったのだろうか。
一月の寒さと切り離された暖かい部屋。
来客があることも想定して作られたのであろうその部屋のピリッとした空気に自然と背筋が伸びる。
先程から聞こえてくる音は書類の上を滑っているのであろう万年筆の音だけ。
「もっとリラックスしてくれていいんだよ?」
部屋の主である、海風が所属する鎮守府の長である提督その人はそのように言うが、それは無理な相談である。
本来は海風の部屋に遊びに来させてもらうだけのはずだった。
きちんと手続きをすれば艦娘と交流のある人物がその部屋に遊びに上がることは難しくないという事で早速それを行ったまではよかった。
しかし件の海風は当日に急な出撃が入ったということでまだしばらくは戻ってこないという。
どうしようかと考えているところに通されたのがこの部屋で今に至る。
私語がないわけではないが余計なことは話している様子はないし、彼やその秘書を務めているのであろうミニスカートの巫女服のような制服に身を包んだ黒い髪を伸ばした艦娘に何か話があるわけでもない。
なによりも仕事の邪魔をするわけにはいかないと言った思いが陸を少々萎縮させてしまっていた。
その様子に肩を竦めながらも必要以上に提督も話しかけたりはしなかった。
※※※
「海風がいつもお世話になってるね」
それからどれぐらい経ったか。
出された飲み物も飲み干してしまい、手持無沙汰になった陸にお代わりを差し出しながら提督は語りかける。
彼も自分の分を用意している辺り休憩のようだ。
「いえ、俺の方こそ」
お世話をしているというつもりはない。
むしろこちらから交流を持ち掛けたのだからお世話になっているのはこちらであろう。
ポケットから煙草を見せて一瞥する彼に頷いて返す。
「君と交流を持つようになってから海風は毎日が楽しそうでね。以前まで楽しそうではなかったというわけではないんだけれど」
それは知らなかった。
あれだけ明るく性格もいいのだから友人と呼べる艦娘も多いだろう。
姉妹も数人、それも海風の話で聞いただけだがいい姉妹だと認識していたが。
「もちろん周りに恵まれていないとかじゃないよ。ただ、君に会うまでは肩に力が入りすぎていた感じでね」
陸の考えを見抜いたのか、そうつづける提督に納得する。
たしかに海風には少々堅物な面がある。
自分がそれを変えたとは思わないが、以前から彼女を見ていた彼が言うにはそういうことなのだろう。
「よかったらこれからも海風と交流を続けてやって欲しい」
「ちょっ!?やめてください!」
吸い終わった煙草の火をもみ消し、頭を下げる彼を慌てて止める。
提督という立場なら簡単に下げていい頭ではないだろう。
それでもこういった行動を取るという事から彼は艦娘達にとっていい上司なのだろうという事が感じ取れるが、自分はそんな大層なことはしていない。
「俺がねーちゃんといたいから、仲良くなりたいから続けてるんです。それだけですよ。」
あわよくばその先までと考えている部分は黙っておくがこれが本心だった。
嫌な交流を必要以上にするつもりはない。
自分がそうしたいから、だから交流を持つ。
相馬陸とはこういう人物だった。
「それに提督さんに頼まれて続けるのも違うじゃないですか。俺はねーちゃんとは対等で居たいんです」
それに誰かに頼まれてなってしまえばその関係には上下関係が出来上がる。
そう、『俺が続けてやっているんだ』という。
そういう関係は陸自身が嫌だった。
「その言葉を聞いて尚更安心したよ」
ほっとしたと顔に書いている彼を見て本当に艦娘達の事を思っているんだと再認識する。
もっと道具のように使う酷い人物もいると風の噂で聞いたこともあるが、この人ならそんな心配はなさそうだと胸をなでおろす。
心地よく鼻腔をくすぐるコーヒーに口を付けようとしたその時、
「提督大変!」
慌ただしい足音と共に開け放たれる扉。
そこにいたのは茶色の髪を背中ほどまで伸ばした黒いセーラー服を着た艦娘。
頭に着けたカチューシャを見るに恐らく以前海風の進水日を教えてくれた彼女だろう。
随分イメージが変わったなどと半ば他人事のように考えていた陸だが、それも次の言葉で一変する。
「海風が!」
その名前を聞いた瞬間には部屋を飛び出していた。
後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえるが関係ない。
海風の身に何があったのか、まずはそれが最優先である。
以前校外学習で来たので海に面しているところまでの道は知っている。
最短距離でその道を駆け抜け、外へ出た陸の目に飛び込んできたのは
「ねーちゃん!!」
被弾し左腕が焼けただれ、左足ももはや付いているのがやっとと言った風の海風だった。
陸の声に反応を示すも、焦点が定まっていないのかぼんやりとどこを見ているのか分からない。
どうしたらいいのだろうか。
狼狽する陸を後ろから押しのける手があった。
先程まで話していた提督の手である。
しかし、顔つきは先ほどまでの温厚そうなものとはまるで違って、真剣な物へと変わっている。
「明石は修復剤と艤体用のポットの準備。手の空いてる人はストレッチャーを持ってきて」
艤装のリンクは繋いだままだとか、輸血の準備など手際よく対処をする彼の背中を呆然と眺める陸。
そんな彼の肩に先ほどの黒髪の艦娘がそっと手を置く。
「あなたはこちらへ。海風さんは大丈夫ですから」
「はい……」
弱弱しくうなずく陸をそっと部屋へ促す彼女。
今の陸にはその言葉に従う事しかできなかった。
※※※
平穏を破ったあの出来事から二時間ほど経った今、陸は再び執務室へと通されていた。
あの後しばらくして帰ってきた提督は「もう大丈夫」と言っていたが、本当にそうだろうか。
何度も時計を確認する。
一分がこれほどまで長いものだったとは。
その様子に提督も最初は声をかけていたが、今ではそっと見守るだけになっている。
(どうか無事で……)
神にも祈る気持ちで両手を合わせる。
その瞬間響く扉をノックする音。
「どうぞ」
「失礼します」
その声に振り返る。
その声の主は先ほどまで治療を受けていた海風だった。
「ねー……ちゃん?」
「陸君、心配をおかけしました」
申し訳なさそうに謝る彼女。
しかし陸はそれどころではなかった。
綺麗すぎる。
陸の頭を最初に過ったのはこれだった。
あれだけ酷い怪我をしたのに、今の彼女は包帯どころかガーゼや絆創膏の一つも着けていない。
普段の手袋をしていない今の彼女の手は、先ほどまで焼けただれていたとは思えないほどの張りとツヤを持っているし、アザの一つもありはしない。
足もあれでは立つことなど到底できないはずなのにしっかりと自分の足で立っている。
「ねーちゃん……怪我は……?」
「提督が修復剤を使ってくださいましたから。多少体に負担はかかりますけどこの通りです」
そう言いながらくるりと回って見せる。
軸足を左にしている辺り本当にもう何という事はないのだろう。
(これが艦娘……)
ゾクリと陸の背筋に悪寒が走る。
自分達と似て、それでいて絶対的に違う部分。
それをまざまざと見せつけられた。
(怖い……)
そこまで思って我に返る。
自分は今何を考えたのか。
思い返すだけで吐き気がしてくる。
「ごめんねーちゃん、今日は帰るね」
「え、でも……」
「ほら、あんな大変だったから休まないと。じゃあまた」
もっともらしい理由を付けて立ち去る陸。
その背中を見送る海風。
その様子を眺めていた提督は煙草の煙を吐きながら二人の事を考えながら思考を巡らせる。
(ここが正念場かな)
それからしばらくして、陸からの文通が途絶えることになった。
一月の寒さと切り離された暖かい部屋。
来客があることも想定して作られたのであろうその部屋のピリッとした空気に自然と背筋が伸びる。
先程から聞こえてくる音は書類の上を滑っているのであろう万年筆の音だけ。
「もっとリラックスしてくれていいんだよ?」
部屋の主である、海風が所属する鎮守府の長である提督その人はそのように言うが、それは無理な相談である。
本来は海風の部屋に遊びに来させてもらうだけのはずだった。
きちんと手続きをすれば艦娘と交流のある人物がその部屋に遊びに上がることは難しくないという事で早速それを行ったまではよかった。
しかし件の海風は当日に急な出撃が入ったということでまだしばらくは戻ってこないという。
どうしようかと考えているところに通されたのがこの部屋で今に至る。
私語がないわけではないが余計なことは話している様子はないし、彼やその秘書を務めているのであろうミニスカートの巫女服のような制服に身を包んだ黒い髪を伸ばした艦娘に何か話があるわけでもない。
なによりも仕事の邪魔をするわけにはいかないと言った思いが陸を少々萎縮させてしまっていた。
その様子に肩を竦めながらも必要以上に提督も話しかけたりはしなかった。
※※※
「海風がいつもお世話になってるね」
それからどれぐらい経ったか。
出された飲み物も飲み干してしまい、手持無沙汰になった陸にお代わりを差し出しながら提督は語りかける。
彼も自分の分を用意している辺り休憩のようだ。
「いえ、俺の方こそ」
お世話をしているというつもりはない。
むしろこちらから交流を持ち掛けたのだからお世話になっているのはこちらであろう。
ポケットから煙草を見せて一瞥する彼に頷いて返す。
「君と交流を持つようになってから海風は毎日が楽しそうでね。以前まで楽しそうではなかったというわけではないんだけれど」
それは知らなかった。
あれだけ明るく性格もいいのだから友人と呼べる艦娘も多いだろう。
姉妹も数人、それも海風の話で聞いただけだがいい姉妹だと認識していたが。
「もちろん周りに恵まれていないとかじゃないよ。ただ、君に会うまでは肩に力が入りすぎていた感じでね」
陸の考えを見抜いたのか、そうつづける提督に納得する。
たしかに海風には少々堅物な面がある。
自分がそれを変えたとは思わないが、以前から彼女を見ていた彼が言うにはそういうことなのだろう。
「よかったらこれからも海風と交流を続けてやって欲しい」
「ちょっ!?やめてください!」
吸い終わった煙草の火をもみ消し、頭を下げる彼を慌てて止める。
提督という立場なら簡単に下げていい頭ではないだろう。
それでもこういった行動を取るという事から彼は艦娘達にとっていい上司なのだろうという事が感じ取れるが、自分はそんな大層なことはしていない。
「俺がねーちゃんといたいから、仲良くなりたいから続けてるんです。それだけですよ。」
あわよくばその先までと考えている部分は黙っておくがこれが本心だった。
嫌な交流を必要以上にするつもりはない。
自分がそうしたいから、だから交流を持つ。
相馬陸とはこういう人物だった。
「それに提督さんに頼まれて続けるのも違うじゃないですか。俺はねーちゃんとは対等で居たいんです」
それに誰かに頼まれてなってしまえばその関係には上下関係が出来上がる。
そう、『俺が続けてやっているんだ』という。
そういう関係は陸自身が嫌だった。
「その言葉を聞いて尚更安心したよ」
ほっとしたと顔に書いている彼を見て本当に艦娘達の事を思っているんだと再認識する。
もっと道具のように使う酷い人物もいると風の噂で聞いたこともあるが、この人ならそんな心配はなさそうだと胸をなでおろす。
心地よく鼻腔をくすぐるコーヒーに口を付けようとしたその時、
「提督大変!」
慌ただしい足音と共に開け放たれる扉。
そこにいたのは茶色の髪を背中ほどまで伸ばした黒いセーラー服を着た艦娘。
頭に着けたカチューシャを見るに恐らく以前海風の進水日を教えてくれた彼女だろう。
随分イメージが変わったなどと半ば他人事のように考えていた陸だが、それも次の言葉で一変する。
「海風が!」
その名前を聞いた瞬間には部屋を飛び出していた。
後ろから自分の名前を呼ぶ声が聞こえるが関係ない。
海風の身に何があったのか、まずはそれが最優先である。
以前校外学習で来たので海に面しているところまでの道は知っている。
最短距離でその道を駆け抜け、外へ出た陸の目に飛び込んできたのは
「ねーちゃん!!」
被弾し左腕が焼けただれ、左足ももはや付いているのがやっとと言った風の海風だった。
陸の声に反応を示すも、焦点が定まっていないのかぼんやりとどこを見ているのか分からない。
どうしたらいいのだろうか。
狼狽する陸を後ろから押しのける手があった。
先程まで話していた提督の手である。
しかし、顔つきは先ほどまでの温厚そうなものとはまるで違って、真剣な物へと変わっている。
「明石は修復剤と艤体用のポットの準備。手の空いてる人はストレッチャーを持ってきて」
艤装のリンクは繋いだままだとか、輸血の準備など手際よく対処をする彼の背中を呆然と眺める陸。
そんな彼の肩に先ほどの黒髪の艦娘がそっと手を置く。
「あなたはこちらへ。海風さんは大丈夫ですから」
「はい……」
弱弱しくうなずく陸をそっと部屋へ促す彼女。
今の陸にはその言葉に従う事しかできなかった。
※※※
平穏を破ったあの出来事から二時間ほど経った今、陸は再び執務室へと通されていた。
あの後しばらくして帰ってきた提督は「もう大丈夫」と言っていたが、本当にそうだろうか。
何度も時計を確認する。
一分がこれほどまで長いものだったとは。
その様子に提督も最初は声をかけていたが、今ではそっと見守るだけになっている。
(どうか無事で……)
神にも祈る気持ちで両手を合わせる。
その瞬間響く扉をノックする音。
「どうぞ」
「失礼します」
その声に振り返る。
その声の主は先ほどまで治療を受けていた海風だった。
「ねー……ちゃん?」
「陸君、心配をおかけしました」
申し訳なさそうに謝る彼女。
しかし陸はそれどころではなかった。
綺麗すぎる。
陸の頭を最初に過ったのはこれだった。
あれだけ酷い怪我をしたのに、今の彼女は包帯どころかガーゼや絆創膏の一つも着けていない。
普段の手袋をしていない今の彼女の手は、先ほどまで焼けただれていたとは思えないほどの張りとツヤを持っているし、アザの一つもありはしない。
足もあれでは立つことなど到底できないはずなのにしっかりと自分の足で立っている。
「ねーちゃん……怪我は……?」
「提督が修復剤を使ってくださいましたから。多少体に負担はかかりますけどこの通りです」
そう言いながらくるりと回って見せる。
軸足を左にしている辺り本当にもう何という事はないのだろう。
(これが艦娘……)
ゾクリと陸の背筋に悪寒が走る。
自分達と似て、それでいて絶対的に違う部分。
それをまざまざと見せつけられた。
(怖い……)
そこまで思って我に返る。
自分は今何を考えたのか。
思い返すだけで吐き気がしてくる。
「ごめんねーちゃん、今日は帰るね」
「え、でも……」
「ほら、あんな大変だったから休まないと。じゃあまた」
もっともらしい理由を付けて立ち去る陸。
その背中を見送る海風。
その様子を眺めていた提督は煙草の煙を吐きながら二人の事を考えながら思考を巡らせる。
(ここが正念場かな)
それからしばらくして、陸からの文通が途絶えることになった。