Boy meets girl
いつも通り起きて、いつも通り学校に行って、いつも通り遊んで、いつも通りに眠る。
そんなありふれた一日を今日も送るはずだった。
「ただいまー」
色恋など自分にはまだ関係ないと思っていた。
学校から帰った少年―相馬 陸―はいつも通り、実家の魚屋で店番をしているだろう両親に声をかけた。
しかし、すぐ返事が返ってきたのは母親のもののみ。
いつもなら父親の小言付きの返事が飛んでくるはずなのだが。
怪訝に思い、店の奥を覗きこむ。
どうやら父親はお客の対応中だったようだ。
しかしそれにしても、
(見慣れない人だな……)
こちらに背中を向けているので顔は分からないが、それでも自分の知らないお客だというのは一目で分かった。
時々店番の手伝いをさせられるので、全員とは行かないが常連客の顔は覚えているはずだ。
それになにより、その女性の恰好が目立ち過ぎた。
セーラーのような襟にノースリーブ、二の腕辺りまで覆う長手袋にミニスカートにニーソックス。身長は……悔しいがあちらの方が少し高い。
腰まで伸びた限りなく色素の薄い青い髪を三つ編みで一つに纏めている。
あのような髪色の人は生まれて今まで見たことがない。
服装は制服でありそうだが、この辺りの学校の制服ではない事は明らかである。
「母ちゃん、あの人だれ?」
怪しい、少年の目にはそう映ったのだろう。
ちょうどレジで会計を終えた母に小声で聞いてみる。
「ありゃ艦娘さんだよ」
なるほど、あれが艦娘。
たしかかつての戦争で実在した軍艦が人として転生したと授業で習ったような……。
そして今海で悪さをしている深海棲艦とやらと戦ってくれていると。
話では聞いたことがあるし、この町の近くに鎮守府という施設があることは知っている。
だがそこまでだ。もちろん中には入ったことはないし、艦娘という存在も今まで見たことがなかった。
「本当に俺達と変わらないんだね」
それが素直な感想だった。
会話の内容までは聞こえないが、父親と談笑する姿はまさに人のそれだった。
「軍艦の生まれ変わりって教えてもらったからもっとロボットみたいかと思ってた」
「そんなわけないじゃない。今日も魚の仕入れの相談に来てるんだよ」
なるほど、軍艦の生まれ変わりだからと言って油を飲んだり鉄を齧ったりしているわけではないのか。
そんなことをしていたらますますロボットだな、と一人で納得する。
すると、こちらが話をしている内にどうやら父親達の方も話が終わったようでこちらに歩いてくるところだった。
マジマシと見るのは失礼だろうと横目でちらりと艦娘の方を覗き見る……だけのつもりだった。
しかし、それだけでは終わらずにそのまま呼吸を忘れるほどに見入ってしまった。
(綺麗だ……)
それ以外の言葉が出てこなかった。
今まで出会ったことのある異性などそれこそ母親やクラスメイト、店に買い物に来るおばさんぐらいだが、その中で一番綺麗という言葉が似合う女性だった。
長いすらっとした手足、揺れる三つ編み、水色の瞳、控えめに主張する左目の下の泣きぼくろ。
その全てから目が離せない。
そのまま彼女は少年の前で一度立ち止まると
「こんにちは」
少年としっかり目を合わせて一言。
その瞬間に心臓が飛びあがりそうなほど強く脈打った。
意味が分からないほど体が熱を持っていく。
一瞬挨拶を返すことすら忘れて聞き入ってしまうほど澄んだ声だった。
実際、母親に背中を叩かれていなければそのまま聞き入っていただろう。
「あ……えっと……」
ただ同じ言葉を返すだけなのに、今までで経験したことがないほどの緊張に襲われてうまく言葉が出てこない。
「こ、こんにちは」
ようやく捻りだした言葉も今にも裏返りそうなほどだった。
まるで自分の物ではないような声に先ほどとは違う意味で顔が熱くなる。
しかし彼女は笑ったりする様子もなく、にこりとこちらに微笑むとそのまま店を後にしていった。
※※※
あれからは散々だった。
母親には「あんたには勿体ない」などと言われるし、父親には「きちんと挨拶ぐらいしろ」と怒られた。
後者に関してはその通りなので仕方がないのだが。
あれから数時間が経過したにも関わらず、少年の頭の中はあの艦娘の事で一杯になっていた。
普段なら一度手に付けてしまえばそれなりに捗る宿題も、一ページも進んでいない。
「本当に綺麗だった」
瞼の裏に焼き付くのはあの最後の微笑み。
脳内を反響する澄んだ声。
また会いたい。そんな感情ばかりが胸の辺りをぐるぐると回っている。
どれも知らない感情。
どうかしてしまったのかとさえ思う。
経験はない、しかしこの感情が何かは知っている。
まだ自分には訪れないと勝手に決めつけていた感情。
また会いたい、今度は話をしたい。
でもそれよりもその前に……。
「名前、聞こう」
また会える保証はない、でもきっとまた会える。
謎の根拠を感じながら少年はそのまま夢の中へと旅立った。
そんなありふれた一日を今日も送るはずだった。
「ただいまー」
色恋など自分にはまだ関係ないと思っていた。
学校から帰った少年―相馬 陸―はいつも通り、実家の魚屋で店番をしているだろう両親に声をかけた。
しかし、すぐ返事が返ってきたのは母親のもののみ。
いつもなら父親の小言付きの返事が飛んでくるはずなのだが。
怪訝に思い、店の奥を覗きこむ。
どうやら父親はお客の対応中だったようだ。
しかしそれにしても、
(見慣れない人だな……)
こちらに背中を向けているので顔は分からないが、それでも自分の知らないお客だというのは一目で分かった。
時々店番の手伝いをさせられるので、全員とは行かないが常連客の顔は覚えているはずだ。
それになにより、その女性の恰好が目立ち過ぎた。
セーラーのような襟にノースリーブ、二の腕辺りまで覆う長手袋にミニスカートにニーソックス。身長は……悔しいがあちらの方が少し高い。
腰まで伸びた限りなく色素の薄い青い髪を三つ編みで一つに纏めている。
あのような髪色の人は生まれて今まで見たことがない。
服装は制服でありそうだが、この辺りの学校の制服ではない事は明らかである。
「母ちゃん、あの人だれ?」
怪しい、少年の目にはそう映ったのだろう。
ちょうどレジで会計を終えた母に小声で聞いてみる。
「ありゃ艦娘さんだよ」
なるほど、あれが艦娘。
たしかかつての戦争で実在した軍艦が人として転生したと授業で習ったような……。
そして今海で悪さをしている深海棲艦とやらと戦ってくれていると。
話では聞いたことがあるし、この町の近くに鎮守府という施設があることは知っている。
だがそこまでだ。もちろん中には入ったことはないし、艦娘という存在も今まで見たことがなかった。
「本当に俺達と変わらないんだね」
それが素直な感想だった。
会話の内容までは聞こえないが、父親と談笑する姿はまさに人のそれだった。
「軍艦の生まれ変わりって教えてもらったからもっとロボットみたいかと思ってた」
「そんなわけないじゃない。今日も魚の仕入れの相談に来てるんだよ」
なるほど、軍艦の生まれ変わりだからと言って油を飲んだり鉄を齧ったりしているわけではないのか。
そんなことをしていたらますますロボットだな、と一人で納得する。
すると、こちらが話をしている内にどうやら父親達の方も話が終わったようでこちらに歩いてくるところだった。
マジマシと見るのは失礼だろうと横目でちらりと艦娘の方を覗き見る……だけのつもりだった。
しかし、それだけでは終わらずにそのまま呼吸を忘れるほどに見入ってしまった。
(綺麗だ……)
それ以外の言葉が出てこなかった。
今まで出会ったことのある異性などそれこそ母親やクラスメイト、店に買い物に来るおばさんぐらいだが、その中で一番綺麗という言葉が似合う女性だった。
長いすらっとした手足、揺れる三つ編み、水色の瞳、控えめに主張する左目の下の泣きぼくろ。
その全てから目が離せない。
そのまま彼女は少年の前で一度立ち止まると
「こんにちは」
少年としっかり目を合わせて一言。
その瞬間に心臓が飛びあがりそうなほど強く脈打った。
意味が分からないほど体が熱を持っていく。
一瞬挨拶を返すことすら忘れて聞き入ってしまうほど澄んだ声だった。
実際、母親に背中を叩かれていなければそのまま聞き入っていただろう。
「あ……えっと……」
ただ同じ言葉を返すだけなのに、今までで経験したことがないほどの緊張に襲われてうまく言葉が出てこない。
「こ、こんにちは」
ようやく捻りだした言葉も今にも裏返りそうなほどだった。
まるで自分の物ではないような声に先ほどとは違う意味で顔が熱くなる。
しかし彼女は笑ったりする様子もなく、にこりとこちらに微笑むとそのまま店を後にしていった。
※※※
あれからは散々だった。
母親には「あんたには勿体ない」などと言われるし、父親には「きちんと挨拶ぐらいしろ」と怒られた。
後者に関してはその通りなので仕方がないのだが。
あれから数時間が経過したにも関わらず、少年の頭の中はあの艦娘の事で一杯になっていた。
普段なら一度手に付けてしまえばそれなりに捗る宿題も、一ページも進んでいない。
「本当に綺麗だった」
瞼の裏に焼き付くのはあの最後の微笑み。
脳内を反響する澄んだ声。
また会いたい。そんな感情ばかりが胸の辺りをぐるぐると回っている。
どれも知らない感情。
どうかしてしまったのかとさえ思う。
経験はない、しかしこの感情が何かは知っている。
まだ自分には訪れないと勝手に決めつけていた感情。
また会いたい、今度は話をしたい。
でもそれよりもその前に……。
「名前、聞こう」
また会える保証はない、でもきっとまた会える。
謎の根拠を感じながら少年はそのまま夢の中へと旅立った。
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